【完結】流れ星の転校生~とある武術家ウマ娘がトレセン学園に転入する話~   作:カンヌシ

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17話 史上最大のフロック

 

……

………

 

 

 

『悪路を避けて先頭集団が最終コーナーへと差し掛かる! 後続も外側に膨らんでいく! 1番人気のアカネダスキが上がってきたぞ! このまま……え?』

 

 

 実況アナウンサーの声が一瞬止まる。観客も皆、その光景に騒然とした。

 

 

『マ、マリンアウトサイダが……後続が避けたインコースにスピードを上げて突っ込んでいく! こ、これは……』

 

 

 

 普通のウマ娘なら、そこを走ることを絶対に選ばない。どんな無鉄砲なレースウマ娘でも、引退に追い込まれる可能性のある危険な賭けだけは絶対にしないものだ。だからこそ、誰にとってもマリンのその選択は予想外だったのだ。

 

 

 

「ッ!!! マリンッ!!?」

 

 

 『シリウス』のトレーナーが叫ぶ。事前にコースの確認はしていたのに何故!?と動揺する。最悪の事態が彼の脳裏をよぎった。

 

 他のメンバーも驚愕の表情を浮かべる。少し遅れてマックイーンがゴルシの胸ぐらを締め上げた。

 

 

「ゴールドシップさんッ!! あなた、今度はマリンさんに何を吹き込んだんですの!?」

 

 マックイーンに首を絞められてガクガク頭を揺さぶられながらゴルシは言った。

 

「ちち、違うって、マックイーン!! 何も吹き込んでなんてねーよ!! 流石のアタシもあんなヤベェートコ走れって言わねーって!!」

 

 

 他のシリウスのメンバーが皆、身を乗り出してマリンを見つめる。皆、レースウマ娘として最悪の事態が起こってしまわないか気が気でなかった。

 

 

 

 

 他方で、アドマイヤベガたちも驚愕の表情を浮かべている。会場は一瞬にして、液体窒素がばら撒かれたような冷たい緊張感に包まれていた。

 

 

「あの娘、何やってるの!!!?」

 

 

 血の気の引いた顔でアドマイヤベガが叫ぶ。その目には誰よりも色濃く恐怖が浮かんでいた。本当の『最悪の事態』が彼女の脳裏をよぎった。

 

 どんなスポーツでも、不慮の事故は起こってしまうものだ。ウマ娘レースでも過去に『最悪の事態』が起こってしまった例は存在する。アドマイヤベガはその恐怖を誰よりも強く感受してしまっていた。

 

 

 我を失い駆け出そうとしたアドマイヤベガの腕をトップロードが慌てて掴んで止める。

 

 

「落ち着いて下さい、アヤベさん!! マリンさんのことを信じなさいと言ったのはあなたでしょう、いつものアヤベさんらしくないですよ!!」

 

「でもっ……!!!」

 

 

 トップロードはアドマイヤベガの肩を掴んで向き合った。2人の瞳に互いの姿が映る。

 

 

「大丈夫ですよ、マリンさんって頭良いじゃないですか。無策で無茶なことはきっとしません。アヤベさんも知ってるでしょう?」

 

 

 トップロードの青空のような純真で真っ直ぐな瞳を見て、アドマイヤベガの気分が落ち着いていく。トップロードには、そんな何処までもこの人の事を信じたくなるような不思議な魅力があった。

 

 ルリイロバショウもアドマイヤベガに話しかける。

 

 

「そう、だね……私も、気弱になってた……アイツがそんな簡単にやられるヤツじゃないって誰よりも知ってるハズなのに……うん、アイツなら大丈夫だ。一緒に信じよう、アドマイヤベガ」

 

 

 アドマイヤベガはルリの顔を見て……間を置いてコクンと頷く。

 

 

「そうですよ、きっと大丈夫です! 何てったってマリンさんは『水たまりの鬼』ですから!」

 

 

「「………何それ?」」

 

 

 トップロードの言ってることは分からなかったが、会場から更に大きなどよめきが起こったので3人はターフへと視線を戻す。マリンが迷いなく一番危険な道に突っ込もうとしていたのだ。

 

 

 

 バ群は最終コーナー手前に差し掛かっていた。少しダンゴ状態で外に広がっている。マリン1人だけが内側を走っている。

 

 そしてコーナーの先に、ターフの最も荒れている部分があった。スペシャルウィークとナリタブライアンが言及していた、殆ど『水たまり』の様になっている所。あのスピードで転倒すれば、決して無事では済まない。

 

 

 運命の分かれ道が近付いてきていた。

 

 

 

………

……

 

 

 

(来た……)

 

 

 マリンは前方の水たまりの様な悪路を睨む。外側へ逸れたウマ娘たちを追い越して、今は8位くらいの順位だ。そのウマ娘たちが横目で驚愕の表情を浮かべている。正気か!?と心の声が聞こえてきそうだ。

 

 

(私に足りてないのは技術じゃない……G1レースに出るウマ娘たち相手に、そこで勝負すること自体が間違っている。本当に足りないものは……『覚悟』だ……!!!)

 

 

 徐々に、その悪路が近付いてきた。

 

 

 

(3歩だ……3歩であの『水たまり』を越えれば……!)

 

 

 

 最小限の歩数で危険地帯を走破するために、最初の1歩目は水たまりの端ギリギリに足を置かねばならない。その為に、マリンは目測で距離を確認してストライド(歩幅)を調整する。

 

 段々とソレが近付いてくる。ドクンドクンと心臓が脈打つのが分かる。

 

 

「ハァッ! ハァッ!」

 

 

(1歩目は左足……芝が残っている水際……!)

 

 

 マリンは外側に少し寄って走る。流石に最内ではコーナーを曲がることは出来ない。その為に内ラチから間隔を取った。この1歩目で方向を定める、最終直線まで辿り着けさえすれば良い。そのギリギリの角度。

 

 

(ここ……ッ!!!)

 

 

 マリンの左のつま先が僅かに水たまりに触れる。その踏み込みで大きく右の脚を伸ばす。跳んではいけない、着地した時に確実にスリップする。身体の重心の位置は上下させずに、横にスライドするように『水たまり』を超えていく。

 

 

 股関節を最大限に縦に開く。0.5秒にも満たない滞空時間、一瞬だけ目線を下げて地面を確認する。格闘ウマ娘として培ってきた瞬間の把握力をフルに活用する。浅い田んぼのようなターフの中の着地点を直感で探す。

 

 

(2歩目……ここでミスったら終わる……ここだけは……!!!)

 

 

 この右足は確実に水たまりに突っ込むことになる。間違いなく1番危険な賭けだ。方向転換だけはしてはダメだ。絶対にスリップする。慣性に逆らわずに、右足を地面に添えるように、しかし根を張る様に踏み込まないといけない。全ての意識を一瞬だけ右足に集中させる。

 

 

 勘で踏むべき地点に目星をつける。山暮らしで、小さい頃から人よりも多くの泥水に触れてきた自分の感覚を信じる。

 

 

 ピチャン

 

 

 右足が水の層に触れる。その一瞬がスローモーションのように感じる。泥に蹄鉄が食い込む。泥に対して垂直に踏み込む。足先と足裏の筋肉を繊細に操作する。ズラさぬように、その一点を軸にして身体を運ぶ。

 

 

(行……けぇ……ッ!!!)

 

 

 パチャァアン!!!と水飛沫が上がる。マリンの身体は慣性に逆らわず、勢いのままの方向に進む。一瞬だけ安堵する。しかし、賭けはまだ終わっていなかった。踏ん張りが効かないならば、当然重力によって身体の重心は下に落ちていた。

 

 

 そして3歩目は……目標としていた『水たまり』の端に、僅かに届きそうになかった。

 

 

 今の体勢では、芝の緑が全く見えない部分で方向転換し、更に重心が下がった姿勢を正さなくてはならない。どう考えても、走り抜けるよりスリップする可能性の方が高い。距離のロスになるが、この3歩目まではベクトルを変えない方が良い。そのことをマリンは思考を介さずに直感した。

 

 

 走りながらの1歩すら危険なのに、再び『水たまり』に2歩目を下ろさなくてはならない。あまりにリスクは大きいが、やるしかない。

 

 

 すでに覚悟は決めていた。股関節を最大限に縦に伸ばして、今度は左脚を前方に出す。せめて水際に近い位置を踏めば、滑らないかもしれない。

 

 

 ピチャン

 

 

 左足の蹄鉄が2度目の水面に触れる。飛沫を上げながら沈む。思ったよりも固い地面の感触がした。「行ける……!」と感じて右脚を前に持ってこようとしたその時……

 

 

 

 ズルンッ!!

 

 

 

 と、左足が横に滑った。完全な油断だった。最初に芝でやろうとしていた方向転換をつい無意識にやってしまったのだ。僅かに左足に回転が加わったことで、蹄鉄は地面の泥を抉りながら滑り、そのまま宙に放り出される。

 

 その浮遊感に、マリンの頭から血の気が引く。

 

 

 それはシリウスのメンバーや他の観客たちも同じだった。時が止まったように、皆マリンの左足が横にスライドしてしまったのを見ていた。ライスシャワーは両手で目を覆って顔を背けた。実況アナウンサーの短い悲鳴がマイクに入った。

 

 

 皆、最悪の事態を予感した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

------……っ!!!

 

 

 

 だが、マリンの身体は諦めていなかった。転倒する直前の、宙に浮いたかのような状態。それは格闘ウマ娘、特にマリンのような投げ技主体の武術を修める者なら、日常のように経験してきたものだった。

 

 

 受け身の訓練はどの武術でも最初に行うものだ。もちろんマリンも、師との鍛錬の中で何百回と投げられてきた。空中でのあらゆる姿勢から、最低限のダメージで受け身を取れるよう鍛えられてきた。

 

 

 転倒する最中でもマリンの頭は驚くほど冷静で、さっき以上にその一瞬がスローモーションの様に感じた。

 

 

 『右足をとにかく前に』

 

 

 その一瞬にマリンは言葉にならない思考をする。

 

 

 左足が地面に一瞬着いて、右足を出そうとする途中だったのが幸いした。空中で蹴りを出すように、右足を前方に死ぬ気で押し出す。

 

 

 同時に少しでも重心が下がるのを抑える為に、背中を反って胸を張る。スノーボード等の様な姿勢が急に変化するスポーツでは、選手が自分の膝で自分の胸を打撲する場合がある。それを防ぐ意味もあった。マリンはそれを本能レベルで行なっていた。思考をする暇なんてない。

 

 

 そして……

 

 トン

 

 

 と、右足がターフに着いた。マリンは限界まで脚を広げていて、更にその一点に全体重がかかる。普通のレースウマ娘だったらここで股関節がイカれてもおかしくない。

 

 

 しかし、彼女は武闘家だ。あまり注目されないが、武闘家は一般人が想像するより遥かに関節が柔らかいのである。むしろそうでないと、武術を会得する事は不可能だと言える。マリンもそれこそバレリーナと比肩するほど関節の可動域は広い。そうなるように鍛錬を積んできているので、彼女の身体は現状は無事だった。

 

 その瞬間のマリンは、正面から見るとまるでスピードスケートの選手の様な姿勢だった。

 

 辛うじて着いた右足で、絶妙な姿勢制御により重心を前に移動させる。更に宙に浮いた左足をただ、気合いで前に進める。絶対に勢いを殺してはいけない。それこそ頭からターフに突っ込んで終わりだ。

 

 

 そして、スリップした左足は、今度こそ緑のターフに到達した。

 

 

「-----ぅあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」

 

 

 雄叫びを上げて身体に喝を入れる。

 

 

 今度は左足に全体重をかけて、そのバネで身体を跳ね上げる。格闘ウマ娘として鍛え抜かれた脚は、その無茶苦茶な運動に耐え抜いた。

 

 

 マリンは立て直した。最悪の結末を回避できた。殆どのレースウマ娘にはきっと不可能だっただろう。

 

 

 マリンはその悪路を

 

 『レースウマ娘』として3歩走り

 

 『格闘ウマ娘』として最後の1歩をプラスした。

 

 

 そうやって、彼女だけが走れる『道』を踏破した。

 

 

 決別したと思っていた世界が、彼女を救ったのだった。

 

 

 

……

………

 

 

 

『…………マ、マリンアウトサイダ、転倒していません!!! 転倒していません!!! 先頭集団と並ん……いや、トップです!!! 最内を通って、トップはマリンアウトサイダ!!! 約3バ身リードで最終直線に入りましたぁ!!!』

 

 

 一瞬静まり返った会場が、次の瞬間には驚愕と熱狂の渦に包まれていた。シリウスのメンバー、覇王世代の2人と、灰髪の格闘ウマ娘はそれよりもマリンの無事に安堵する。

 

 

 

 

 

 誰よりも驚愕したのは、かの皐月賞ウマ娘、アカネダスキだった。会場が異様などよめきに包まれた後に、後方から聞こえた激しい水音に耳を疑った。

 

 そして、気が付いたら袴の上から緑のパーカーを着たウマ娘が、泥まみれの姿で自分をインコースから追い抜いていた。

 

 予想もしてなかった光景だ。何故なら、どんなレースウマ娘でもあの悪路は走らない。そんなウマ娘は、型破りというより常識外れだ。

 

 だが、これは現実だった。その悪路を踏み越えて、インとアウトでの走行距離の差で、その格闘ウマ娘はトップに躍り出た。

 

 

 

 アカネダスキは確かに驚愕した。しかし、それを遥かに超える『歓喜』が彼女の内で湧き上がっていた。

 

 彼女の脳裏に自身が制した『皐月賞』、その中でも多くの人々の記憶に残る伝説レースの事が浮かんでいた。

 

 

 奇しくも、それはマリンアウトサイダの所属するチーム『シリウス』のメンバー

 

 『黄金の不沈艦』の異名を持つウマ娘が魅せた……まるでワープしたかのような異次元の走りで1着を勝ち取った、あの皐月賞だ。

 

 

 アカネダスキは幾度となく夢想した。もしも自分のクラシック期があの皐月賞の年だったら……もしあのゴールドシップと戦っていたら、果たして勝てたのだろうか、と。

 

 しかし、クラシック期は文字通り一期一会。その巡り合わせは天が決める。夢想はあくまで夢想のはずだった。しかし……

 

 マリンの走りはアカネダスキにとって、まさにあの伝説の皐月賞の再演だった。本人でもなければレース場も違う。しかし、夢想だったはずの戦いが、極々一部でも現実と化したのだ。それをやってくれたのが世代最強の格闘ウマ娘ならば、相手にとって不足などあるはずもなかった。

 

 ゾクゾクと興奮で身体中の神経に電気が流れたみたいだ。『歓喜』に口が歪む。込み上げてくる感情を吐き出さずにはいられなかった。

 

 

 

「ッ……最高だぜアンタ、最高だッッッ!!!!」

 

 

 

 アカネダスキはギアを上げる。出し惜しみはしない。ここで全力を出さずにいつ出す? こんなウマ娘と戦える機会は二度とは来ない!!!  

 

 

 

 

 マリンもその気配を感じて一瞬後方を見る。過去最強の敵が、自分を標的に定めていた。マリンは初めて、追われる側になった。悪天候に恵まれ、悪路を踏み超えて、格闘ウマ娘として培った全てを使って、ようやくG1ウマ娘の足元に届いた。ここから先が彼女に取っての正念場……いや、決闘の舞台だった。

 

 

「『勝負』だあ!!!!! マリンアウトサイダ!!!!!」

 

 

 アカネダスキの言葉と同時に、2人はスパートをかける。

 

 ゴールまで300メートル、一瞬でも気を抜いた方が負ける。まさに死闘が始まろうとしていた。

 

 

 

『先頭の2人がスパートをかけたああああ!!! 後続もアウトコースから猛追する!!! こんな展開を誰が予想出来たでしょうか!? クラシック期最強の皐月賞ウマ娘と、未勝利戦1勝のみの格闘ウマ娘の一騎討ちだあああ!!!』

 

 

 

 マリンは疾走する。悪路でのスリップで気力と体力を消耗したが、インコースを攻めてきたので脚は残っている。後は全身全霊で最終直線を駆け抜けるだけ。しかし、後ろから迫っているのはG1ウマ娘だ。彼女にとってマリンとの3バ身差など有って無い様なものだろう。

 

 

(でも……負けるわけにはいかない!!! G1レースに出走するチャンスなんて、簡単に来るわけがない!!! こんなレース素人だった私を応援してくれた人たちの為にも……絶対に!!!)

 

 

「だああああああああああああああ!!!」

 

 

 死に物狂いで大地を蹴り進む。内ラチの荒れ具合はマリンにとっては良バ場と大差なかった。トップスピードに乗るのにそれ程時間はかからなかった。ゴールまで200メートルを切る、だが……背後から強大な気配が迫り寄ってきていた。

 

 

『マリンアウトサイダが依然先頭!!! しかし、大外からアカネダスキが追い上げる!!! 段々と差が縮まってきているぞ!!! マリンアウトサイダを差し返せるか!?』

 

 

「うおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 

 

 全身全霊でスパートをかけているのはアカネダスキも同じだった。フィジカルもテクニックも経験もマリンとは天地の差だ。この状況でも十分に追い付ける確信が彼女にはあった。緑のパーカーをなびかせて駆けるマリンの背中を楽しそうな目で睨む。

 

 

 

(こんなに胸の踊るレースは久々だッ!! アンタには感謝しかない……だけど、勝利まで譲る気はない!! このままゴール手前で、差す!!!)

 

 

 

 驚愕のレース展開に、観客たちは喉が張り裂けんばかりの歓声を上げる。ラストのデッドヒートを瞬きもせずに観ていた。先のスリップの時のどよめきも何処へやら。その熱狂の高ぶりは止まるところを知らない。

 

 

『ゴールまで100メートル、マリンアウトサイダ苦しいか!? アカネダスキが1バ身差で迫っている!!! これが皐月賞ウマ娘のプライドか、勝ちは譲らないと言わんばかりの末脚だあああああ!!!』

 

 

 一際大きな歓声が上がる。1番人気なのだから当然だ。会場の殆どはアカネダスキを応援していた。

 

 

 マリンは走る。肺が潰れてしまいそうなくらい苦しい。両脚も悲鳴を上げている。ゴールは目の前だ。あと少しでG1レースの勝利に届くのに、やはり皐月賞ウマ娘、アカネダスキは強すぎる。これがG1ウマ娘……何もかもが自分を圧倒しているのが分かる。

 

 過去最強の相手が追い付こうとしている。インコースを走ったリードなどハンデにもならなかった。限界まで脚を酷使しても、差が縮まってくる。

 

 

(あと……少しなのに……!!!)

 

 

 ほんの少し、マリンの脳裏に敗北のビジョンが見えた。

 

 

(ここまで……ここまで来て……)

 

 

 心臓が破裂しそうなくらい苦しい。ドクンドクンと喧しく警告を発している。しかし……その鼓動に混じって、マリンに声が聞こえてきた。背中に乗せた、様々なものの声が。

 

 

 

 

『勝てないレースの取れもしないポジションのダンス練習なんてして、意味あるんですか!?』

 

『私の『思い』も、ここに居るみんなの『思い』も、あなたに託します。どうか、頑張って下さい……!』

 

 

 かつて心が枯れかけていた、あのウマ娘の顔が浮かぶ。ダンスレッスンで共に練習した他のウマ娘たちの顔も。

 

 

『一緒に……日本一の……格闘ウマ娘、に……マリン……ッ』

 

『私の『夢』を切り捨てるなら……それと同じくらいの事をしてみせてよ!!! レースの世界で!!!』

 

 

 泣き腫らした幼馴染の顔が浮かぶ。一生忘れる事がないだろう、その泣いた声も。

 

 

『夢を見ることが……こんなに辛いって……思いたくなかった……!!! 思いたく……なかったのに……!!!』

 

『頑張ってね、マリンアウトサイダ……お姉さん、応援してるよ』

 

 

 そして……先輩が涙を流しながら浮かべた笑顔と、去っていく背中が見えた。

 

 

 

「……………ッッ!!!!!」

 

 

 マリンの目に闘志が戻る。敗北のビジョンを振り払う。

 

 

(そうだ、私は……勝たなくちゃいけない!!! この背中には、負け続けたウマ娘たちの『思い』も!!! 私が裏切ってしまった幼馴染との『約束』も!!! 先輩の『夢』も……乗っかってるんだ!!!)

 

 

「負け……られるかああああああ!!!!!」

 

 

 心臓も肺も両脚も悲鳴を上げる。そんなのは構わない。この勝負に勝つ為に、マリンの身体は『限界』を超えた。姿勢がより低くなり、加速した。

 

 

「ぐう……ああああああああ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!」

 

 

 

『アカネダスキ追い付……いや、マリンアウトサイダが粘っている!!! 追い付けない、追い付けない!!! マリンアウトサイダが先頭をキープ!!! しかし半バ身差もない!!! どっちが勝つかまだ分からない!!!』

 

 

 アカネダスキは今度こそ驚愕一色になる。マリンアウトサイダはあの段階から、しかも自分が走る所より遥かに荒れたバ場で加速をした。マリンは限界をとっくに迎えているはずなのに。

 

 

「でも……アタシだって……負けられねえんだああああああ!!!!!」

 

 

 アカネダスキも持てるもの全てを限界まで絞り出した。再び差が縮まってくる。しかし、ゴールは目と鼻の先だ。もう相手の位置を確認する余裕もない。ただただ、駆け抜けるだけだった。

 

 

「「ああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!」」

 

 2人のウマ娘の雄叫びが重なる。

 

 

『殆ど並んでいる、並んでいるぞ!!! アカネダスキか!!! マリンアウトサイダか!!! どっちだ!!! どっちだああああああ!!!!!』

 

 実況アナウンサーが絶叫する。文字通り、手に汗握る大接戦だ。会場のアカネダスキを応援していたファンも、今や先頭の2人を両方応援していた。

 

 そして遂に…………

 

 

 

『ゴオオオオォオオオオオオオル!!!!! 2人のウマ娘が、内と外でほぼ同時にゴールイーーーン!!!!! 勝者はまだ分からない、分からないぞ!!!!! 3番アカネダスキか、7番マリンアウトサイダか!!!!! どっちだ、判定はどっちだあああ!!!?」

 

 

 会場が一瞬静まり返る。その場の全ての人が着順掲示板に注目する。緊張がその数秒間を支配する。そして、着順1位の欄には…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

確定 1 『7』 ハナ 

 

 

 

 

 

 ワアアアアアアァァァーーー!!!!!

 

 今までの全てを超える大歓声が沸き起こった。

 

 

『マリンアウトサイダだああああああ!!!!! 何という事でしょう!? 誰もが予想しなかった走りで、ウマ娘格闘界の麒麟児が、グランプリレースを制したあああああ!!!!! 戦績は未勝利戦1勝、そこにG1レースの1勝が刻まれたああ!!!』

 

 

 

「「「「「や……やったあああああああ!!!!!」」」」」

 

 

 チーム『シリウス』のメンバーが叫んだ。同じ頃に、アドマイヤベガとナリタトップロードとルリイロバショウが3人抱き合って歓喜に跳ね上がっていた。3人の仲など関係なく、マリンの勝利と無事の喜びを共有していた。

 

 

 

 

「ハァッ!……ハァッ……ケホッ!……ハァッ……」

 

 ゴールを通過してからずっと、マリンはターフに両手をついて苦しそうに呼吸をしていた。限界を更に超える走りで身体がいう事を聞かなかった。やがて落ち着いてくると、マリンは顔を上げた。

 

 観客席を見ると、溢れんばかりの拍手の嵐で、祝福の声がマリンに送られていた。

 

 マリンは横を向いて着順掲示板を見た。1着に『7』の数字が見えて、ようやく自分が勝ったのだと理解した。

 

 

「ハァッ……ハァッ……わた……し……勝った……やった……んだ……」

 

 

 マリンの目に涙が浮かんだ。

 

 先輩の『夢』、幼馴染との『約束』、勝てないウマ娘たちの『思い』

 

 ようやく、支えてくれた全ての人たちに報いる事ができた。それが、何よりも嬉しかった。

 

 

 その喜びに浸っていると、ザッザッと足音が聞こえてた。マリンがその方を向くと、アカネダスキが近付いてきた。爽やかな笑顔で、彼女は話しかけてきた。

 

 

「よお、大丈夫かい? アンタ、かなり無理して走ってただろ。今は無理に立たなくて良いぜ」

 

「ハァ……ハァ……はい、少し……息を、整えてから……」

 

 

 そう言ってマリンは目元を拭って深呼吸をする。それを聞いてアカネダスキはニヤリと笑い、片膝をついてかがみ込んだ。会話したくてウズウズしている様子だ。

 

 

「それにしても……アンタ、本っっっっ当に凄えな!!! あんな荒れたコースを走るなんざ、普通のレースウマ娘ならあり得ねえぜ! そんで伝説の『ゴルシワープ』みたいに、いつの間にかアンタに追い越されてたしよ! オレあの皐月賞の映像を見るたびに『ゴールドシップとやり合ってた他のウマ娘はどんな気分だったんだ?』って考えてたけどさ、あんな感じだったんだな!!! 凄え経験をさせて貰ったぜ、ありがとよ!!!」

 

 

 アカネダスキはマリンに手を差し出す。

 

 

「オレはアンタを見くびってなんかいなかった! だけどしてやられたよ! アンタの勝ちだ、マリンアウトサイダ! 最高のレースだった!!!」

 

 

 白い歯を見せた熱血的な笑顔で、アカネダスキは言った。

 

 マリンも微笑み返すと、彼女の手を取った。アカネダスキがグイッとマリンを引き上げて、そのまま2人は固く握手をする。

 

 

「私こそ……お礼を言いたいのです、アカネダスキさん。あなたが相手だったからこそ、私は全力で走れました。あなたは、私にレースウマ娘の強さを教えてくれました。本当に最高のレースでした。ありがとうございます……!」

 

 

 そして、アカネダスキはニヤリと笑うと、握手していた右手を離して、今度は左手でマリンの右腕を掴んで高々と掲げた。そのまま観客席に向かって、マリンを紹介する様な仕草で勝者への敬意を示した。格闘技の試合で、負けた選手が勝った選手を讃える時に行うパフォーマンス。それを見た観客たちは一層盛り上がり、更に多くの拍手が巻き起こった。

 

 

 その様子を見て満足気なアカネダスキがマリンに囁いた。

 

「実はオレ、コレ1回やってみたかったんだよな! レースで普通こんな事はしないけどよ、格闘ウマ娘のアンタになら誰も文句は言わねえだろ」

 

「……あなたも、本当に凄い人ですね」

 

 

 マリンはクスリと笑い、アカネダスキと共に観客席に向かって手を振った。あんな激闘の後でもまだまだ余裕のある皐月賞ウマ娘に色んな意味で驚き、感謝したのだった……

 

 

 

 

………

……

 

 

 

 

「やっっったああああああ!!!!! マリンさんが勝ったあああああ!!!!! 良かったああああああ!!!!! 本当に頑張ってたもん、うおおおおおおおおおおおん!!!!!」

 

「マリンさん、凄いです!!! あんな場所を走り抜けるなんて、私には無理です!!!」

 

 ウイニングチケットとスペシャルウィークのテンションは最高潮だった。ライスシャワーや前髪ぱっつんウマ娘たち、他のメンバーも笑顔で拍手を送る。しかし、メジロマックイーンやサイレンススズカ、ナリタブライアン、そしてゴールドシップは落ち着いた様子だった。この後に行われる事の予想がついていたからだ。

 

 

「やりましたわね、トレーナーさん」

 

「ああ……そうだな、マックイーン」

 

 

 メジロマックイーンが隣で手摺りに寄りかかって項垂れているトレーナーに声をかける。彼も内心でマリンのレース結果に喜んでいたが、それよりも……

 

 

「はぁぁぁ、良かった……心臓が止まるかと思った……」

 

 

 『シリウス』のトレーナーは姿勢を戻して、観客に手を振っているマリンの姿を見る。

 

 

「マリンのことは誰よりも祝福してあげたいけれど……僕は彼女の『トレーナー』だからね」

 

 

 そう言って、彼は少しだけ険しい顔付きになる。その意味をマックイーンも分かっていた。

 

 

「ええ、そうですわね……」

 

 

 そして、『シリウス』メンバーはトレーナーと共に本バ場への通路へ向かった。ウイニングチケットやスペシャルウィーク、重賞挑戦組は、チームメイトの勝利に喜びはしゃいでいる。

 

 

 通路を皆が歩いていると、本バ場への出口から小さくマリンの姿が見えた。チケットとスペたちがそれを見て駆け出そうとしたところを、マックイーンが呼び止める。

 

 

「あなたたち、お待ちなさい! まずはトレーナーさんからマリンさんにお話をします。私たちはその後ですわ」

 

 

 そうしてマリンが通路を歩いてくると、先頭を歩く『シリウス』のトレーナーを見て駆け寄ってくる。しかし、トレーナーの様子から何かを察した様に俯いた。

 

 

「お疲れ様、マリン。とりあえず、控室に行こう。ウイニングライブまで、少しは時間があるからね。シャワー室で服の泥を落として、すぐに来てくれ」

 

「……はい」

 

 

 その様子を他の出走ウマ娘たちも見ていた。皆、その勝利とはかけ離れた雰囲気に色々と察した。アカネダスキも「ありゃりゃ……」といった様子で、衣裳室へと向かう。

 

 

 

……

………

 

 

 

 控室にはマリンとトレーナーだけが入り、他のメンバーは廊下で待つことになった。チケットたちも流石に察したようだった。

 

 

「マリン……僕が言いたいこと、分かるね?」

 

「……はい」

 

 

 マリンの耳がシュンと垂れている。

 

 トレーナーがスゥと息を溜めると……

 

 

 

 

 

「バカヤロウ!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 と、廊下のはるか先まで届く怒声が控室から響いた。ビクンと待機しているライスやスペが震えた。

 

 

「あの最終コーナー、何故インコースを攻めたんだ!? そこを走るリスクは事前に確認していたはずだ! 結果として無事だったけども、現に君はスリップした! それを見ていた僕やチームメイトが、その瞬間どんな気持ちだったか分かるか!?」

 

「…………ッ」

 

 

 マリンは俯いている。幼馴染にも同じようなことを言われたのを思い出していた。またやってしまったのだと、胸が締め付けられた。

 

 

「もしあのまま転倒していたら、決して無事では済まなかった。最悪の場合だが、生きて帰ってこれないかも知れなかった。それだけじゃない……あの状況で他のウマ娘たちが離れていたから良かったものの、君の転倒に巻き込まれて取り返しのつかない大事故になる可能性もあった。分かるか? 君の走りは自分の命だけでなく、他のウマ娘の命をも危険に晒すものだったんだ!!! 危険走行と判断されて失格になる可能性だって十分にあった!!!」

 

 

 マリンは俯いて、トレーナーの顔を見れなかった。

 

 

「……僕は君の、チーム『シリウス』のトレーナーだ。僕の仕事はチームメンバーをレースで勝たせる事じゃない。君たちに思いっきり走ってもらって、君たちを……無事に帰ってこさせる事だ。君たちの『物語』を悲しみで終わらせない為に。だから……絶対にあんな走りをしないでくれ。これから、二度と……」

 

「ッ…………!」

 

 

 その言葉は、『シリウス』のトレーナーの心の全てを語っていた。マリンは心の奥底で、自分の行いを真に反省した。

 

 マリンが顔を上げようとすると、気付いたら彼女の顔がトレーナーの胸に当たっていた。暖かく、優しく、力強く、彼の腕で抱きしめられていた。

 

 

 

「本当に……無事で良かった……『おかえり』、マリンアウトサイダ……」

 

 

 

 マリンは、その申し訳なさに目を固くつむった。トレーナーが他のウマ娘たちに信頼されている理由を心で理解した。

 

 

 

「はい……『ただいま』……です、トレーナーさん……ごめんなさい……ごめん、なさい……」

 

 

 

 マリンも、ギュッと弱々しくトレーナーを抱き返したのだった。

 

 

 

 

………

……

 

 

 

 

 その後、トレーナー室に頃合いを測って他のメンバーが入ってきた。チームメイトからの労いを一身に受けていると、コンコンというノックと共にルリイロバショウが入ってきた。以前の未勝利戦の時と同じような状況だった。

 

 

「……約束と違うじゃない。私は余裕で勝ちなさいって言ったのよ。何よアレ、ハナ差だったじゃない。負けていてもおかしくなかったわ」

 

 

 ツンとした態度で腕を組むルリに、マリンは困ったような顔をする。

 

 

「……まっ、いいわ。今回はまけてあげる。おめでとう、マリン……格好良かったわ」

 

「……ありがとう、ルリ」

 

 

 マリンはそんな幼馴染に微笑んで応える。そして、ルリはニヤリと笑ってポケットから小さな紙切れを取り出した。

 

 

「ふふん! 今回もセンターど真ん中のバ券、ゲットしたわよ。撮影出来ないのは残念だけどね。でも、これ全国放送されるんでしょ? 頑張りなさいよ」

 

 

 意地の悪い笑顔のルリに、マリンは落ち着いた様子で言う。

 

 

「ああ、しっかり見ててくれ。ダンスレッスンも……応援してくれたウマ娘たちと頑張ったんだ。バッチリと踊ってみせる」

 

「……ちぇ、なーんだ。すっかり『レースウマ娘』になっちゃって」

 

 

 ルリはキョトンとして、横を向いてつまらなそうに呟く。だが、不意打ちにマリンはルリに抱き付いた。突然の事に目をパチクリさせるルリに、マリンは囁いた。

 

 

「違うよ、ルリ。私は……今でも『格闘ウマ娘』なんだ。ルリと一緒に武の道を歩んでいたから、私はこのレースに勝てた。『レースウマ娘』なだけじゃ、あの道は越えられなかった……」

 

 

 ルリは驚いた顔をして、マリンの言葉を黙って聞いていた。そして、同じようにマリンを強く抱き返した。

 

 

「ッ……そう……そうなの……」

 

 

 繋がりを確認し合う2人を、周りは黙って見守っていた。グスリ、とチケットを始め、何人かのメンバーが涙を目に溜めていた。

 

 

「……『おかえり』……マリン」

 

「うん……『ただいま』……ルリ」

 

 

 ウイニングライブが始まるまで、時間が許す限り、2人は抱き合う。ルリの目元から一筋の涙が溢れ落ちていた。

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 マリンはその後、ウイニングライブの準備の為に衣裳室へと向かった。道すがら頭の中でライブで歌う曲の歌詞とステップを確認する。

 

 

(うん、大丈夫だ。しっかりと覚えている。リラックスしろ、私)

 

 

 と、深呼吸をすると……

 

 

 ドドクンッ!!!

 

 

「ッ!!!」

 

 

 一瞬、胸に違和感を覚えた。しかし、それは何事もなかったかのようにすぐに消え去った。

 

 

(気のせい……かな? レースで少し無理をしてしまったし……でも今は特に変な感じはしないし……うん、大丈夫そう)

 

 

 今はウイニングライブの事が先だ、とマリンは通路を足速に進む。

 

 

(先輩も……きっと見てくれてるよね)

 

 

 フフッと笑って彼女はライブ会場へと向かった。彼女が歌い踊った『Special Record!』のタイトル通り、そのレースはマリンにとっても、マリンを支えた多くのウマ娘たちにとっても、特別な記録となった。

 

 

 

 

 マリンアウトサイダは、その背中に多くのものを背負い、G1レースを奇跡的に勝利した。そのレースは後に『史上最大のフロック』と呼ばれた。悪天候など様々な条件が重なり、経験が浅い故の無謀さで、実力の劣るウマ娘がたまたま勝てただけだと言う声も少なくなかった。

 

 しかし少なくとも、マリンとその幼馴染と、チーム『シリウス』は知っていた。そのフロックの下支えになったのは、マリンの『格闘ウマ娘』としての人生そのものであったことを。

 

 

 だがそれは……彼女の過酷の道の、未だ半ばの事に過ぎなかった。

 

 『運命』だけが、その道の続く先を知っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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