【完結】流れ星の転校生~とある武術家ウマ娘がトレセン学園に転入する話~ 作:カンヌシ
「…………………何でよ!!!」
アドマイヤベガは訳が分からないという風にツッコんだ。
他の皆もアドマイヤベガと全く同じ気持ちだった。なぜ連れ去られたはずのドトウが、まるで動物たちのボスのような風格で中央に立っているのだろうか?
「オ、オペラオーちゃん! ドトウちゃんに何があったんですか!?」
ナリタトップロードが逆さ吊りにされたテイエムオペラオーに問う。
「はーっはっはっは! ボクにもさっぱり分からない! ボクが森の中で宙に舞い上がって(罠に掛かって)いると、突然動物たちが現れて、ボクらをここまで運んできたんだ! 途中でドトウが気絶したのだが、彼女が目を覚ましたらまるで別人のようになっていたのさ!」
ええ……と皆の額に汗が垂れる。
「ドトウちゃん! こんな所で何をしてるんですか!? みんなとっても、とってもとってもとっても心配したんですよ!」
トップロードがドトウに向かって叫ぶ。しかし、ドトウの表情は冷たいままだ。いつものあの朗らかな雰囲気は一切無かった。彼女はまるで何かに取り憑かれたかのようだった。
「私ハコノ森ノ動物ヲ統ベル王……余所者ハ……去レ……!!!」
明らかにいつものドトウじゃない様子に、彼女の救助に来たウマ娘たちはたじろぐ。
「余所者って……ドトウだって今朝初めてこの山に来たばかりじゃん!」
「何と言うことだ……まさか、この極限の状況下でドトウの中の『野性』が暴走し、彼女はそれに支配されたとでも言うのか!?」
「『野性』が暴走するって何!? ああ、頭痛くなってきた……マリン、あれって何とか出来ないの!?」
「分かりません……ただ、動物たちはドトウさんに従っているみたいです。下手にドトウさんを刺激すると、あの動物の大群に襲われてしまうかもしれません。彼女は本当に『野性の王』と化した様です」
BNWとマリンは緊迫した様子で会話する。そんな中、アドマイヤベガが一歩踏み出して見下ろすドトウと対峙する。キリリと険しい顔付きだった。
「ドトウ……いい加減にしなさい!!! みんながどれだけ心配したと思ってるの!? そんな所に居ないで、私たちと帰りましょう……オペラオーも一緒に」
『オペラオー』という単語に、ドトウの耳がピクンと揺れた。
「オペラオー……オペラオーサンハ……オペラオーサンハ、私ダケノ『ライバル』デスウウウウウウ!!!!!!」
ブモオオオオオオオオオ!
グァガアアアアアアアア!
ウキー!ウキー!ウキー!
ドトウの叫びに、周囲の動物たちも呼応したかのように騒ぎ出す。マリンたちはビクンと身構えた。
「オペラオーサンハ、私以外ニ負ケチャ駄目デス……オペラオーサンヲ倒スノハ私ダケデス……オペラオーサンハ……ココデ私ト永遠ニ一緒デス……! ソウスレバ、ソウスレバ……オペラオーサンハ私ダケヲ見テクレル!!! ズットズット、最強ノオペラオーサンノママデ!!!」
ゴゴゴゴゴ!!!とドトウのオーラが膨れ上がる。『野性』が暴走したことにより、オペラオーへのライバル心が歪んだ独占欲へと変貌してしまっていた。動物たちも更に騒ぎ立っている。
「ちょっと、これマズくない?」
周囲を見渡してタイシンが言った。マリンは警戒を強めた。
「今のドトウさんに私たちの声は届きません……ですが、オペラオーさんならあるいは」
「っ! そうよ、オペラオー! あなたからドトウに一緒に帰ると言いなさい! オペラオー!」
アドマイヤベガが天井のオペラオーに呼びかける。だが……
「ウッ……ずっと逆さまで気分が……もう、駄目だ……きゅうぅ」
オペラオーは目が渦巻きになって気絶してしまった。
「もうっ! 肝心な時に!」
そう叫ぶアドマイヤベガをドトウが見つめる。何か仕掛けようとする気配がした。
「誰デアロウト……私ノ邪魔ハサセマセン! 行ケ、我ガ僕タチヨオオオオオ!!!」
!!!とアドマイヤベガが洞窟の暗がりを見つめる。何やら沢山の重なった足音が聞こえてくる。
「っ! まだ他にいるの!?」
アドマイヤベガと皆が警戒する中、現れたのは……
メェ〜メェ〜メェ〜
メェ〜メェ〜メェ〜
メェ〜メェ〜メェ〜メェ〜
ふわふわもこもこした羊の群れだった。
「何で山奥の洞窟の中に羊がいるの!!?」
タイシンがツッコむ。
「……………………山では不思議なことの8つや9つは起こります!」
「ちょっと、マリン! アンタ考えること放棄したでしょ! やめてよ、ただでさえツッコミの数が少ないんだから! アンタもこっち側のキャラでしょ! ハヤヒデとかイクノとか、なんのバグだかうちの学園の知的キャラはみんなボケ寄りなんだから!」
タイシンとマリンがそんなやり取りをしているうちに、いつの間にかアドマイヤベガが羊の群れに囲まれてしまった。
「しまった、油断していたわ! ふわふわの羊たちを眺めてたらつい……!」
もこもこもこもこもこ
メェ〜メェ〜メェ〜メェ〜
「ああっ、ダメッ、そんな擦り寄らないでっ……! ふわふわに、逆らえな……ああぁぁぁぁぁぁぁ……♡」
アドマイヤベガがふわふわもこもこの海に沈んで行った。羊たちは彼女を乗せて洞窟の隅に移動する。まさに動く羊毛ベッドだった。アドマイヤベガは幸せそうに目を閉じていた。
「ア、アヤベ君ーーー!!! なんと言うことだ……『野性』が暴走していても、ドトウ君はアヤベ君の弱点を理解している! 完全に正気を失っているわけではないのか!」
「どどど、どうしよう! アヤベも捕まっちゃったよ!」
ハヤヒデはキランと眼鏡を光らせ、チケットは涙目になっている。マリンはこの状況の打開策を探していた。
「……この状況、私たちだけでは手に余ります。ひとまず、ドトウさんの身は安全でしょう。ここの動物たちが彼女に危害を加えるとは思えません。問題はオペラオーさんとアヤベさんです。あの2人を抱えて何とかここから脱出しなければ……その後なら救助を呼べます。私が囮になりますので、4人はオペラオーさんとアヤベさんの確保をお願いします」
「……うむ、それしかないか。マリン殿、君なら大丈夫だと思うが無茶はしないでくれ。ではBNWでオペラオーを、トップロード君はアヤベ君を頼む」
無茶かもしれないが、それしかないと皆ハッキリ分かっていた。無言で頷いて、それぞれ違う方向へ走り出した。マリンはドトウへ牽制を、BNWはオペラオーの所、トップロードはアドマイヤベガの所へ。
「無駄デスウウウ……私タチノ邪魔ヲスル者ニハアアアア……チカラヅクデ大人シクシテ貰イマスウウウウ!!!!」
シュルンッ!と何かがBNWに音もなく近づいていた。そして、次の瞬間には……
「うわぁ!?」「何だと!?」「きゃッ!!」
BNW3人がひとまとめに拘束されていた。彼女たちに巻き付いていたのは、何と丸太程の太さがありそうな巨大な蛇だった。
「蛇サン……ソノ3人ヲ捕マエトイテ下サイ。食ベテワイケマケンヨ」
シャーーー!と大蛇が返事をするように鳴いた。
「蛇さんってレベル超えてるでしょ! アナコンダじゃん! 何で日本の山奥にアナコンダが居るのよ! おかしいでしょ!」
「くっ! これもドトウ君の『野性』の力なのか!」
「うあああ! う、動けない……!」
命に別状はなさそうだが、BNWの3人は完全に拘束されてしまった。
「ハヤヒデさん! チケットさん! タイシンさーーーん! くっ、せめてアヤベさんだけでも!」
トップロードは焦り急いだ。しかし、彼女の横から凄い速度で巨大な影が近づいていた。
「トップロードさん、危ないッ!!!」
マリンはそのことに気付いており、既にトップロードの近くに来ていた。そして、その巨大な影がトップロードを襲うその直前に彼女を突き飛ばした。
マリンは巨大な熊の前脚による一撃から、トップロードを庇ったのだった。
「グオオオオオ!!!!」
「ぐあああああッ!!!」
熊の一撃を食らったマリンはゴロゴロと転がり、洞窟の壁面にぶつかる。しかし、そこは世代最強の格闘ウマ娘、すぐに立ち上がり熊の方へ駆けていく。
だが……途中でふらついて膝をついた。トップロードを庇った為か、衝撃を受け流しきれていなかった。ジャージの袖はビリビリに破けて血が滲んでいた。
「マリン……ちゃん……?」
そんなマリンの姿を見たトップロードは目を見開いて青ざめている。
「このくらいなら軽傷です……! トップロードさんは早くアヤベさんを……! そこの熊公……私が相手だ……こっちを見ろおおお!!!」
「ウウウガアアアア!!!」
熊がマリンの方へ向かい突進する。熊1匹『だけ』ならば、マリンなら勝てるだろう。だが問題はその他の動物の数が圧倒的に多い事だ。まだ隠れている動物もいるかもしれない。
今はまだ殆どの動物が動いていない。この均衡が崩れる前に脱出しなくてはならない。オペラオー以外のウマ娘たちならば、何とか連れて逃げられないだろうか。
マリンは熊を迎え撃つために構え、その間に思考を巡らせる。正直、かなりキツい状況だ。でも、まともに闘えるのは自分しかいない……!
だが、1歩踏み出すとグラリと視界が揺れた。壁にぶつかった時に頭を打ったダメージが回復していなかった。
「ぐッ……! まず……い……!」
目の前に熊が迫ってくる。しかし覚悟を決める以外に、マリンに選択肢はなかった。まさに、絶体絶命の危機だった。
だが……ここで、その場の誰も予想しない事が起こった。マリンは襲ってくる熊の後方に『強大な何か』の存在を感じた。彼女の武術家としての勘が告げていた。熊よりも、そっちの方がヤバい……と。
「ドトウちゃん…………やり過ぎだよ?」
ゾアァァッ!とマリンの全身に鳥肌が立った。その声には恐ろしいほど冷徹な怒りが込められていた。その声が自分に向けられていなくて良かったと、心の底から安堵した。一瞬にして洞窟内が絶対零度にまで達したかのように、その場の全ての生き物が静止した。
その声は、静かな洞窟内に鈴の音のように響いた。騒いでいた動物たちと沈黙し、その空間は静寂に包まれていた。
目の前の熊など最早脅威ではなかった。何故ならその熊もマリンを目前にして『背後の脅威』の方に怯え固まっていたのだ。その熊の主人であるドトウも、声を出せなかった。
それだけ、そこに立っているウマ娘……ナリタトップロードの怒りは凄まじいものだった。火山の噴火のような爆発する怒りではなく、極寒の大地の全てを凍らせる吹雪のような怒りだった。
マリンが血を流したことは、彼女の中の『超えてはいけない一線』を超えるものだった。
「ドトウちゃん……誰かに怪我をさせたらね……『ごめんなさい』……しないとダメだよ?」
「ヒィッッ!!!」
ドトウは息の詰まった悲鳴を上げて、その場で腰を抜かした。
コツーン……コツーン……
トップロードがドトウ立つ王座に向かって歩き始めた。動物たちも微動だにしなかった。嵐が過ぎ去るの巣の中で縮こまって待つように、皆ナリタトップロードに怯え切っていた。
「ウウウ……ガアアアア!!!」
しかし、あの巨大な熊だけは違った。主人であるドトウを守る為に、方向転換してトップロードに向かって疾走する。トップロードは振り向かない。熊は構わず威嚇するように立ち上がり、体重を乗せた前脚の一撃をトップロードに振り下ろそうとした。しかし……
「ペットがおイタしたら……お仕置きしないとダメですよね……」
そう言ってトップロードはチラリとだけ振り返る。それだけで、その熊の動きはピタリと止まった。熊は見てしまったのだ。ナリタトップロードの眼を。
それは……『鬼』の眼だった。自然界に棲む生物ならば、本能で理解するだろう。それは『触れてはならない脅威』であると。
そして、ナリタトップロードは背後の熊に、ウマ蹴りをかました。
ズドオオオオオオオオオオン!!!
「グゥガアァァァォォォォ!!!?」
彼女の蹴りで、熊は後方に10メートル近くぶっ飛んだ。そのままピクピクと痙攣して白目を剥いている。
トップロードをそれを見ることもなく、前進を再開する。
「ブモオオオオオオオオオ!!!」
今度は巨大な猪がトップロードに向かって突進する。その巨躯から受ける衝撃は、いくら頑丈なウマ娘の身体であろうと無傷では決して済まないはずだ。躱して然るべきなのだが、トップロードは真っ直ぐ歩き続けた。
「ッ!!! トップロードさん!!!」
マリンは辛うじて声を上げた。完全にトップロードの放つ異様な空気に飲まれていた。しかし、あの巨大な猪の突進はいけない。怪我では済まない攻撃なのは見て明らかだった。だが……
「ふんッッッッ!!!」
「ブモオオッ!?!?」
ズザザァァァ!!!と少し後方へ押されながらも、なんとトップロードはその攻撃を真正面から受け止めた。猪も想定していなかった事態に混乱しているようだった。そしてそのまま……
「ぬうぅおりゃあああああ!!!!!」
「ブモオオオオオオオオオン!?!?」
トップロードはその猪を掴み持ち上げ、ぐるんぐるんと2回転した後に横にぶん投げた。ドザザザザアアア!!!と土煙を上げて猪が転がっていく。厚い毛皮で怪我はしていないようだが、目を回して再起不能になっている。
「あなたは誰にも怪我はさせていませんでしたから……大人しくしてて下さいね」
トップロードはそう言うと、再びドトウに向かってゆっくりと歩き出す。コツーン、コツーンとトップロードの足音のみが洞窟内に響く。
この時、トップロードの肉体は怒りによってリミッターが外れている状態だった。この瞬間、彼女は間違いなくこの山で最強の生物だった。
BNWの3人もトップロードの変貌ぶりに驚き、同時に思い出していた。トレセン学園内でのみ囁かれる、ある噂についてだ。曰く、『ナリタを怒らせてはいけない』というものだ。
トレセン学園で特に有名なナリタは3人居る。1人は三冠バのナリタブライアン、1人はBNWのナリタタイシン、この2人は目付きも鋭く、一匹狼気質で近寄り難い雰囲気がある為、怒らせてはいけないと聞くと誰もが彼女たちを真っ先に思い浮かべるだろう。
逆に、最後の1人のナリタトップロードは怒りとは無縁な雰囲気さえある。その明るく朗らかな性格で、ファン人気は学園屈指のものなのだから。
しかし、知る人は知っているのだ。
本当に怒らせてはいけないナリタは……
『ナリタトップロード』である事を。
これが彼女が良バ場の『鬼』と呼ばれる所以、キレたトップロードはその許せない対象を地の果てまで追い詰めて、その者が恐怖で心より反省するまで、決して逃す事は無い……
「ア……アア……」
コツーン、と足音が止まる。ついにドトウの元にトップロードがたどり着いた。彼女は目の前で見ているのだ、トップロードの『鬼』の形相を。冷徹で魂を芯まで凍てつかせるような『鬼』の眼差しを。
マリンと捕まっているBNWの位置からは、彼女の後頭部しか見えなかった。今の彼女の顔を見ろと言われても、絶対に見たくはないのだが。
「ドトウちゃん…………」
再び鈴の音のような声が響く。綺麗な声なのに、何故聞いているだけで背筋が凍りつくのだろう。
「『ごめんなさい』……は?」
暴走した野性の王者ドトウも、今は目の前のトップロードへの恐怖に支配されていた。涙を流してカタカタと震えるばかりだった。
スゥ、とトップロードは右足を上げた。そして……
ズドオオオオオン!!!
ビキビキビキッ…………
とドトウの目の前にの地面を踏みつけた。地響きがマリンやBNWの場所まで伝わった。ドトウの目の前には、ボロボロにひび割れた地面があった。
「『ごめんなさい』……は?」
ガタガタと震えるドトウは、涙目で叫ぶように言った。
「ゴ、ゴメンナサイイイイイイイ!!!! キュウ…………」
ドサリ、とドトウは倒れ込むように気絶する。それをトップロードは優しく抱き上げた。
「はい、それで良いんですよドトウちゃん! 心から謝れば、どんな人にも誠意はきっと伝わります! ですよね、皆さん! ドトウちゃんが謝ったのなら一件落着です、もう蒸し返すのもナシですよ!」
クルッとトップロードはマリンとBNWへと振り返る。その笑顔はいつもの太陽の様にニッコニコなトップロードのものに戻っていたが、なんだか逆にそれが怖い。コクコクコク、と4人のウマ娘は無言で頷く。
「お猿さんたちも、オペラオーちゃんを降ろしてくれますか? 怪我をしないように、優しくお願いしますね」
トップロードのお願いに猿たちは快く応じた、あくまで表面上は。内心では逆らえば殺されると本気で思っている。
気絶したオペラオーが地面に降ろされると、トップロードはドトウとオペラオーの2人を両肩に担いでスタスタとマリンとBNWの元へ向かって歩き出した。大蛇はいつの間にか捕まえていたタイシンたちを解放し、どこかへ去っていた。
「では、日が暮れる前に帰りましょう! すみませんが、ハヤヒデさんはアヤベさんを背負って頂けますか? タイシンさんとチケットさんはマリンちゃんを支えてあげて下さい。怪我をしているので」
「あ、ああ分かった……任せてくれ」
ハヤヒデはすぐにアドマイヤベガを背負って戻ってきた。タイシンとチケットは言われた通りマリンに肩を貸した。そして、8人のウマ娘は無事に洞窟から脱出した。
本当に嵐のような時間だったと、マリンとBNW3人は心の中で思ったのだった。
ーーーーーー
シュコシュコシュコシュコ……
川原の開けた場所に中型のテントが2つ張ってある。明日まで快晴だとラジオの予報で言っていたので川の増水の心配はない。
ナリタタイシンはその側で、切れ込みを入れた木の板に、細い棒を両手で挟み擦り当てていた。その眼差しは真剣そのもので彼女が非常に集中している事が伺える。
「よし……今度こそ……!」
「その調子です、タイシンさん」
側で見守るマリンも彼女を応援する。タイシンに火起こしを教えているのはマリンだ。洞窟での一件の後、彼女たちは本来の目的であったキャンプをすることとなった。
今はタイシンが火を用意して、その間に他のメンバーは魚を捕まえに行っている。
タイシンは時間をかけて棒の先を摩擦させることによって、ようやく十分な量の火種を作り出す事ができた。慎重にそれらを乾燥した枯れ草の中に移す。この工程で何度も火種が枯れてしまったのだ。今度は熱を保ったままの状態を維持できた。絶対に成功させたい。
「ふっ、ふっ、ふっ……」
タイシンは枯れ草に息を吹き込む。強すぎると火種が駄目になる。しかし、十分に酸素を送らねばならない。その適切な強さを感覚で理解していく。そして……ボゥと小さな火が立ち上った。
「やった! マリン、見て!」
「はい! でも落ち着いて、火を絶やさないよう枯れ草を加えて、ゆっくりと組んだ薪の下に入れて下さい」
タイシンはまだ油断しちゃいけないんだと顔をキリッとさせる。言われた通りに少量の枯れ草を加え、火を薪の下に運んだ。細い枯れ枝に火が移るまで枯れ草を更に少しずつ加えていった。そうして、火はようやく安定した。ほっ、とタイシンは安心のため息を吐いた。
「おめでとうございます、タイシンさん。火起こしは山で生きる上での必須テクニックです。これは『生き抜く力』です。とても立派な事ですよ」
それを聞いてタイシンはこの山に来てから1番の笑顔でニカッと笑った。
「ヘヘッ、どうだ! アタシだって、やれば出来るんだ! ありがとうね、マリン!」
そうして2人で火を焚いてしばらく待つと、ウイニングチケットの元気な声が聞こえてきた。その様子を見るに、魚は十分に獲れたらしい。そして、魚と元々作る予定だったカレーの材料を用意して、皆でやっと『普通』のキャンプを楽しんだのだった。魚とカレーの食い合わせの悪さなど、その楽しさの前には些事だった。
結局ドトウはどうなったのかというと、彼女は動物に運ばれた後の記憶はすっぽりと抜け落ちていた。それが山の気に当てられて野性が暴走したせいなのか、トップロードの恐怖への防衛反応のせいなのかは定かではない。
気絶していたアドマイヤベガとテイエムオペラオーには、その後何とか隙を見て脱出できたのだと端的に伝えた。トップロードはドトウを『叱った』ことは口に出さなかったので、マリンとBNWの間には余計なことは言うまいと暗黙の了解が出来ていた。
皆がキャンプを満喫していると、いつの間にか陽が落ちて辺りはすぐに真っ暗になった。昼間の壮絶な体験で皆疲れ切っていたのか、BNWとアドマイヤベガ以外の覇王世代はテントの中で力尽きたように眠ってしまった。
アドマイヤベガは、自前のキャンピングチェアに座って天の星々を見つめていた。ようやく、彼女の本当の目的である『星空観察』が出来る。満点の星空を見て、アドマイヤベガは満足そうに微笑んだ。
(綺麗……ここに住んで、毎日この星空を見れるなんて羨ましいわ……マリンさん)
アドマイヤベガはキャンプマグに入れたコーヒーをちびりと飲む。すると、彼女に向かって足音が近づいてきた。
「隣、良いですか? アヤベさん」
アドマイヤベガが振り返ると、そこには脇に何かを抱えたマリンが立っていた。アドマイヤベガは笑顔で答える。
「ええ、もちろん」
「ありがとうございます。うちの倉庫に似たような椅子があったので持ってきちゃいました。多分、まだ使えます」
そう言うと、マリンは古ぼけたキャンピングチェアをアドマイヤベガの隣のスペースに設置する。見た感じはまだまだ使えそうである。マリンはゆっくりとそれに腰を下ろした。
「うん、大丈夫ですね! 結構頑丈に作られてあるからですかね、屋外用ですし」
「ふふ、そうかもね。コーヒー、飲む?」
はい、頂きますとマリンが言うと、アドマイヤベガは小さなプラコップにコーヒーを注いで渡す。2人はその後、ゆったりと無言で星空を眺めていた。
………
……
…
30分ほど経っただろうか、2人はポツポツと会話を始めた。マリンのこの山での生活やレースのこと、学園生活のこと、何気ない会話も満点の星空の下だと特別な事のように思えた。マリンにとって、この星空は小さい頃からずっと見てきたものだが、友達とそれを眺めながら会話するのは初めての経験だったのだ。新鮮で、心落ち着く、とても楽しい時間だった。
そして不意に、アドマイヤベガはかねてよりの疑問をマリンに問いかけた。それは、ほんの気まぐれだった。
「……ねぇ、マリンさん。1つ、ずっと聞きたいと思ってた事があるの」
「? ええ、何でしょうか」
アドマイヤベガは手元のマグを見つめて、呟くように言った。
「マリンさんは……どうしてレースの世界に来たの?」
その問いに、マリンは息を呑んだ。
「ごめんなさい、答えたくないならいいの。でも、この山で生活して、武術の修行をするあなたは……とても純朴で、レースとは違う魅力のある世界に生きているウマ娘だと、私は思うの。だから、気になってしまって……」
「……いえ、答えたくない訳ではありません。ただ、今思えば我ながら呆れるような理由なのです。今までルドルフ会長にしか話した事がないのですが……笑わずに、聞いて頂けますか?」
アドマイヤベガはコクンと頷いた。マリンはそれを見て、陽の落ちた山中の涼しい空気を肺に吸い込む。そして、ゆっくりと吐いて星空を見上げた。
「……夢を……見たのです」
その言葉に、アドマイヤベガは不思議そうな顔をする。
「夢……?」
「はい、夢です。ある武術大会を優勝した夜に、不思議な……まるで現実のような夢を見たのです」
マリンは語った。行った事も無いはずのレース場で自分が走っていた事、自分の姿も周りの姿も何故か見えなかった事、そして……
ゴールの先に、自分と同じ緑色のパーカーを着た『誰か』が立っていた事。
走っても、走っても、ゴールの先に辿り着けなかった事を。
「……夜中に目覚めると、気付かないうちに涙で顔が濡れていました。喪失感で身体が空っぽになった気がしました。今でも、あの夢を思い出すと……胸がとても苦しくなるのです」
「…………………」
アドマイヤベガはじっとマリンの話に聞き入っていた。
「トレセン学園に入れば、その夢の意味が分かるんじゃないかって、そんな短絡的な思考で私は転入したのです」
マリンはアドマイヤベガの方を向いて、恥ずかしそうに苦笑いをする。
「おかしい……ですよね。顔も名前も知らない、声すら聞いた事のない『誰か』の為に、私は……」
「おかしくなんかないわ」
アドマイヤベガが真剣な顔でマリンの目を見つめていた。マリンも同じく見つめ返してしまう。
「アヤベさん……?」
「おかしくなんか、ないわ。私も……同じだもの」
え?とマリンが呟く。アドマイヤベガはじっと手元のマグカップを見つめる。
「マリンさんには、話してなかったわね。私と……私の『妹』のことを」
その余りにも真剣な声色に、マリンは口をつぐんだ。
「マリンさん、私は……『妹』に、会った事がないの。彼女は、私が産まれる時に……一緒に産まれるはずだったのに、亡くなってしまったの。双子だったの、彼女と私は」
「………!?」
マリンは言葉に詰まった。今までずっと勘違いをしてきたのか。やっとの思いで、言葉を絞り出す。
「そう……だったのですか。すみません、私、てっきり……」
「もう、そんな顔しないで。あなたが気にすると、私まで緊張しちゃうわ。それに、私はもう……『大丈夫』なの。私のトレーナーが私とあの子の為に、見ていて心配になるくらい頑張ってくれたから。本当、お節介な人なのよ」
クスリ、とアドマイヤベガは微笑む。その笑顔は、星空の淡い光のように柔らかく、優しかった。
「あなたの初ウイニングライブのお祝いにお昼を一緒にした時、マリンさんは私の事を『お姉ちゃん』って感じがするって言ったわよね。とても……嬉しかったわ。妹の存在を感じてくれる人が、他にも居るんだって思えて」
「……アヤベさん……」
「だからあなたのその理由は、何もおかしくなんてないわ。会ったこともない誰かの為に走る……まるで星を掴もうとする少年のよう……とてもとても純粋な『願い』……恥ずかしがる必要はないわ。少なくとも、私は笑わない。絶対に」
アドマイヤベガがコーヒーをクピッと飲む。マリンはその横顔をじっと見つめていた。
「……ありがとうございます、アヤベさん。この事を話せたのがアヤベさんで、本当に良かったです。私は……友達に恵まれています。数は少ないのですが」
「……それも私と同じね。騒がしい娘たちが多いけど」
そう言って、2人は再び星空を見上げた。眠たくなるまで、ずっと無言でマリンアウトサイダとアドマイヤベガ、そして星々は語り合っていた。
これにてキャンプ?編終了です。ここまでが第二章の括りとなります。次回から最終章です。畳みます。
ここまでお読み下さった方々に心よりお礼申し上げます! 最後までお付き合い頂ければ幸いです。年内に終われるよう頑張ります。
気が向いたらで大丈夫ですので、ブクマ・感想・評価などなんでも良いので頂けますと非常に嬉しいです。年末で皆様もお忙しいと思いますが、この物語がちょっとした息抜きにでもなればと思います。頑張って行きましょう。