【完結】流れ星の転校生~とある武術家ウマ娘がトレセン学園に転入する話~ 作:カンヌシ
最終章、始まります。少し暗い展開が続くと思いますが、彼女の物語の最後までお付き合い頂ければ幸いです。
この物語の始まりより十数年前、ある老人がウマ娘の赤ん坊を拾ってから数年経ったある日の正午過ぎ。
その日は天気の崩れた薄暗い1日だった。耳をすませば風でギシギシと家が軋む音が聞こえてくる。ラジオで聴いたニュースでは天気は更に荒れると言っていた。
武術家である老人の道場、その裏手の母屋の囲炉裏のある和室で『ミドリ』と呼ばれる小さなウマ娘と老人が昼食を取っていた。ミドリは黙々とご飯と焼き魚、味噌汁と山菜の漬物を食べていたが、すでにおかわりを2回して老人の3倍は食べていた。小さくともやはりウマ娘なのだった。
ミドリは口数は少ないが、とても利発な子供だった。会話の受け答えも達者で、箸の使い方も老人が教えるとすぐに身に付けた。何よりも、小さいながらも目を見張るほどの武術の素養があった。
そのウマ娘が果たして何者なのか、謎の多い子供だが老人は露も気にせず、淡々と自分の持てる技術を教え込むだけだった。彼女が誰なのかはお天道様が知っている、ならば自分が知らないところで問題はない。そのような事など気にしても仕方がないと考えていた。
ただ間違いないのは、老人はぶっきらぼうながらも愛情を持ってそのウマ娘に接していた事だ。孤児である彼女がいつか己だけの力で生きていけるようになるまでは、老人はその子を守ると決めていた。亡くなった彼の伴侶もきっとそれを望んでいるはずだ。
「ミドリ、今日はもう外へ出てはならんぞ。嵐がやってくるらしい。俺は風の備えを確認しに畑へ行ってくるから、昼飯食い終わったら読書でもしときな」
「うん、分かった」
ミドリは短く返事をする。子供らしい一面をあまり見せないのは、流石に老人も少し心配をしていた。小学校へ上がる頃には、知り合いの経営する町の道場にでも通わせようか、などと考えていると……
カラランッと箸が床に落ちる音がした。
「むっ、気を付けなさい」
老人は幼いウマ娘に呼びかける。最近は箸を落とすことなどなかったのだが、偶にはそんな事もあるだろうとこの時は気に留めていなかった。
しかし、何やら様子がおかしい。ミドリは箸を落としたまま微動だにしなかった。目の焦点があっておらず、虚空を見つめていた。
「…………行かなきゃ」
今度は持っていたお茶碗を床に落とした。ミドリは落ちた白飯を気に留めず、立ち上がってそのまま玄関に向かって走り出した。
普段ならあり得ないその子の行動に老人は面食らい、ミドリが去るのを止められなかった。
「ミドリッ!!? 待て!!!」
制止の声も聞かずに、ミドリは幼子とは思えない速さで外へと飛び出した。老人が玄関から外へ出た時には、ミドリの姿は見えなかった。空には既に黒い雲が渦巻いていて、パラパラと小雨を降らしているが、それも段々と強まってきている。山の天候は平地よりも変化が早いのだ。
「あいつ、裸足で飛び出しやがって! しかも雨まで降ってきやがる。どこに行った……こんな事、今まで一度だってなかったのによ……」
ミドリはここでは基本的に子供用の簡易道着を着て過ごしている。薄手なので雨に濡れると身体を冷やしてしまう。老人は急いで下駄を履くと、彼女を探すため母屋を飛び出した。
………
……
…
「ミドリ!! どこにいる!? ミドリー!!!」
老人は修行場や近場の林を探すがミドリの姿は見えない。雨も強くなり、視界も徐々に悪くなっている。
「マズいな……他にアイツが行きそうな場所は……川原か、まさかツキの墓じゃあねえよな……ん?」
老人は、墓と呟いてからある事を思い出す。
「まさか……」
老人は脳裏にウマ娘の赤ん坊が木のウロに収まっている光景が浮かんだ。
老人は全力で駆け出した。老いを感じさせない走りでミドリと初めて出会った場所へと急いだのだった。
………
……
…
「……ミドリ!!」
老人は幼いウマ娘をようやく見つけた。彼女は思った通り、自身が置き去りにされていた木の前に佇んでいた。
昼間だというのに周囲は薄暗く、天気は悪化して雨の激しさが増してきている。それなのにミドリはただ立ち尽くしたまま、目の前の木を見つめるばかりだった。
「ミドリ……一体どうしたってんだ。ウチへ戻るぞ。濡れたままじゃあ風邪をひいちまう」
老人の声に、幼いウマ娘の耳がピクンと反応する。
「……ミドリじゃない……」
「……?」
老人はその声に眉を潜める。明らかにいつものミドリの雰囲気ではなかった。
「……マリン……」
幼いウマ娘は、ゆっくりと老人へ振り返る。その顔はあまりに寂しげで、その目には深い悲しみが宿っていた。
「……『マリンアウトサイダ』……わたしの名前……」
ポタリ、と彼女の髪から雨粒が滴り落ちる。道着も雨に濡れてしまっている。この空も彼女と一緒に泣いているかのようだった。
「……どこ……?」
ふらりと幼いウマ娘は力無く歩き出した。老人は慌てて彼女の元へ駆け寄り、背中から抱き止める。
「どこ……どこなの……?」
「っ、待て、どうしたんだ! お前は、誰を探している……?」
ピタリ、と幼いウマ娘の動きが止まる。
「……分かんない……分かんないよぉ……どこ……どこなのッ……!」
老人の腕の中で彼女は暴れ出す。小さくてもウマ娘の腕力はかなりのものだ。老人は本気で彼女を拘束する。
「離してぇ……!! どこ……どこにいるの? なんで……なんで来ないの……ずっと……わたし、ずっと……」
「ミドリ! 落ち着くんだ、ミドリッ!」
「どこ……どこぉ……? わたし……ぁ……」
突然、糸が切れたように幼いウマ娘はグッタリと動かなくなる。老人は慌てて、彼女の様子を確かめる。
「っ!? ひどい熱だ……こりゃいかん!」
老人が手を彼女の額に当てると、信じられないくらいに熱を帯びていた。明らかに異常なことが彼女の身に起こっている。
老人は迷う事なく、彼女を背負って駆け出した。自分の手には負えないと判断して、山を降りて病院へと向かったのだった。
その後、幼いウマ娘の高熱は治まらず、5日間もずっと昏睡したままだった。ようやく目を覚ますと、まるで何事もなかったかのようにケロリと体調が回復した。しかし、雨の中を飛び出した事や、誰かを探して彷徨っていた事を、彼女は全く憶えていなかった。
ただ1つ、自分の名前が『マリンアウトサイダ』だという事だけは認識しているようだった。
老人が医師に聞いたところによると、ウマ娘の名前は基本的には母親が初めに『知る』のだそうだ。母親が産まれた赤子のウマ娘を見た時に、原理は不明だがそのウマ娘の名前が頭に浮かんでくると言う。なのでウマ娘にとって名前とは名付けるものではなく、『天から授かるもの』なのだ。
しかし、何らかの要因で母親がその子の名前を知る前に、もしくは他の誰かに伝える前に居なくなる場合もある。その時はそのウマ娘本人が物心がついた後で、個人差はあるがどこかのタイミングで自身の真名を『自覚する』のだと言う。
幼いウマ娘の不可解な行動はその事に何らかの関係があるかもしれないが、ウマ娘には謎が多く、ハッキリとした原因は分からないと最後に医師は言った。
老人は退院した後もすぐに修行をしたいと元気に言う、無邪気な幼いウマ娘を見て考えた。あの時の彼女の目……それはとても数年しか生きていない幼いウマ娘のものではなかった。あのまま、彼女が求める『誰か』を探し続けたのなら、この子はきっと『迷子』になる。そんな予感がどうしても脳裏にこびりついて拭い去れなかった。
だから老人は決めた。このウマ娘を幼名の『ミドリ』と呼び続けよう、と。
彼女が真に己の進むべき道を見つけるまでは……
彼女がその迷いを、己の力のみで振り払えるくらい成長するまでは……
決して真名では呼ぶまいと、固く心に誓うのであった。それが武に生きる不器用な男の、言葉には決して出さない、マリンへの愛情だった。
ーーーーーー
時は飛んで現在……チーム『シリウス』のトレーナー室。
マリンを除くチームメンバーがお昼休憩の時間に集まっていた。この日の授業は午前中のみで、午後の時間を全てトレーニングに費やす予定だった。
そんな中、トレーナー室の片隅から何やら甘〜い空気が漂ってきていた……
「トレーナーさん、お味噌汁もご用意致しましたわ。どうぞ」
コト……と優雅な動きで、メジロ家の至宝『メジロマックイーン』は自身のトレーナーのデスクに水筒から味噌汁を注いだお椀を置いた。
トレーナーの机には巨大な弁当箱が鎮座していた。丹精込めて作られたであろう惣菜は手作り感に溢れており、所々に見るからに高級な食材が使われているのはメジロ家のご愛嬌である。
「ああ、ありがとうマックイーン。すまないな、メジロ家の令嬢に召使いどころか、コックみたいに昼ご飯の用意までさせてしまって」
「もう、またそんなことをおっしゃって。私たち、出会ってからどのくらい経つとお思いなのですか? お弁当の用意くらい、なんてことありませんわ。いつも言ってるじゃないですか。トレセン学園では私はあくまで、いちレースウマ娘に過ぎません。でもゆくゆくは……その、とにかくっ! トレーナーさんを労うのは当然のことですわ」
マックイーンはポッと顔を赤くしながら語る。
「ははは、そうだったな。マックイーンの作る味噌汁は美味しいからね。これからも入れてもらえると嬉しいよ」
「ふふっ。ええ、お望みなら……これからも、いくらでも……『毎日』でも……ご用意致しますわ」
その様子を他のチームメイトたちは無言で見つめている。部屋の中央のソファ、スペシャルウィークの隣りに座る異次元の逃亡者『サイレンススズカ』はポツリと言う。
「……今週に入ってから、トレーナーさんとマックイーンの同じ様な会話を5回は聞いたわ。いつの間にか、紅茶が『お味噌汁』にグレードアップしたわね……」
「ですね! 具が入ってる分、間違いなくグレードアップですっ! あ、でもタピオカミルクティーもあるから、紅茶もまだまだ負けていないかもしれませんよ!」
「そう言う問題じゃないだろ、スペシャルウィーク。チッ、誰だ? トレーナーとマッマクイーンがくっつけば皆が助かるとか言っていたのは」
「ぴゅ〜ぴゅぴゅ〜♪」
ナリタブライアンの睨み付けるような視線をゴールドシップはそっぽ向いて躱す。
「アハハ……しかも手作りのお弁当まで用意してるし、間違いなく『甘さ』が増したよね」
「うん……ライス……お砂糖加えられてライスプティングになっちゃいそう……」
「でもでも、マックイーンさん最近レースの成績も上がってるよね! 恋をすると乙女は強くなるって、きっと本当だよね!」
「「ねー!」」
他のウマ娘たちも(一部盛り上がっているが)少し呆れたような顔でトレーナーとマックイーンのやり取りを眺めていた。ただ、この場にいないマリンアウトサイダを除いて。
「ねえねえ、マリンさんはどこにいるの? 教室には来てたのに」
ウイニングチケットがキョロキョロと辺りを見回して、他の皆に尋ねた。
「あ、マリンさんならオグリキャップさんと一足先にグラウンドで並走トレーニングをしてますよ! 来週G3レースが控えてるから、少しでも多くトレーニングをしたいって」
「あ、そうだったんだ! この間のOP2連戦も勝って、夏の合宿前の宝塚記念と合わせたら3連勝中だもんね! 気合い入ってるなぁ、アタシも頑張るぞお!」
そう、マリンアウトサイダは現在絶好調なのであった。G1レース『宝塚記念』を勝利した彼女には他の重賞レースにも出走する資格が十分にあった。しかし、彼女はOP戦から地道に挑戦する道を選んだ。
それは一重に、『史上最大のフロック』と呼ばれた宝塚記念のイメージの払拭の為、そして尊敬する先輩ウマ娘がOP戦を2勝していた事も関係してた。何よりも地道に経験を積み上げて、ファン投票ではなく堂々と実力でG1レースに出走したいという思いもあったのだ。
スペシャルウィークの言葉を聞いて、ナリタブライアンが突然立ち上がる。周りのウマ娘たちは何事かと座ったまま彼女を見上げた。
「ブ、ブライアンさん……どうしたの?」
彼女の隣に座っていたライスシャワーが恐る恐る尋ねた。
「……こんな甘ったるい空気が充満する部屋になんか居られるか……! 私はグラウンドへ行く」
「お! 何だ何だ、ブライアンちゃん。何のフラグだ? 恋の死亡フラグか? よーしアタシも、ちょっくらグラウンドの川の様子を見てくるぜっ……!」
そう言ってゴールドシップも立ち上がる。
「あ、だったらみんなでマリンさんの並走トレーニングを手伝いませんか、レース形式で! スズカさんもやりましょう! 私……逃げますよ(ニヤリ)」
「! ふふっ、スペちゃんったら、前に『逃げてみたら?』って言ったの覚えててくれたのね。良いわよ、私から先頭の景色を奪えるかしら」
スズカまでやる気になってしまっていた。そこからなし崩しに皆でマリンの並走トレーニングを手伝うという名目で『模擬レース』をする話がすっかり出来上がってしまった。
「ちょっと、皆さん! トレーナーさんはまだお昼を食べ終わっていませんのよ! 勝手にトレーニングを始めては……」
「うるせーー! 色ボケマックちゃんはトレーナーと乳繰り合ってろい! オラオラ、お邪魔虫はみんな退室だーー! さっさと行くぞぉーー!」
そうして皆がゾロゾロとゴルシに背中を押されながらトレーナー室を出て行ってしまった。残されたマックイーンは「もうっ!」とため息をつく。
「はっはっは、みんな気合い十分だな。お互いを高め合えるのは良いことだ。もしかしたら僕なんて必要ないのかもね」
「もうっ、トレーナーさんまで! 冗談でもそう言うことは言わないで下さい。皆まだまだトレーナーさんを必要としているのですから」
「マックイーンも?」
「もちろん、私にはいつだってトレーナーさんが必要ですわ! ………〜〜〜!」
はっはっは、と笑うトレーナー。対してマックイーンは自分の言った事に顔を赤くした。
「でも、元々途中でマリンの並走トレーニングを手伝って貰うつもりだったからね。自然とそうなったのは、手間が省けて良かった。本当に良いチームになったよ、『シリウス』は」
「……そうですわね。マリンさん……トレセン学園に流れ星のように突然やってきた転校生が、今では立派なチームの一員に……頑張って欲しいですわ、心の底から私はそう願っています」
そう言って、マックイーンはそっと自分の胸に手を当てるのだった。
………
……
…
「ハァッ、ハァッ、ハァッ!」
「うん、今の走りは中々良かったぞ。この調子なら、きっと来週のレースも上手くいくと思う。マリン、もう1本行けるか?」
「はいっ! お願いします!」
複数あるトレーニンググラウンドの1つで、マリンはオグリキャップから1対1で指導を受けていた。マリンは実力を付けてきたとは言え、当然だがまだまだオグリキャップの足元にも及ばなかった。『芦毛の怪物』は、文字通りの怪物なのだとトレーニングをする毎に思い知らされる。たが、それが強者の存在に燃える武術家のマリンには良い刺激となっていた。
(つくづく出会いには恵まれているな……私は。それに今朝も……)
「ふふっ、楽しそうだなマリン。何か良い事でもあったのか?」
「えっ、あっ、すみません! せっかくトレーニングして頂いてるのに、気が緩んでしまって」
「気にしないでくれ。私も楽しんでいるからな。トレーナーにも誰かに物を教える経験を積んでこい、と言われている」
「そうだったのですか……いえ、ただ……今朝貰ったファンレターの中に、私の先輩からの手紙が入っていたので、それがとても嬉しくて……彼女はもうトレセン学園には居ないのですが、私を応援していると」
マリンは嬉しそうに、しかし少しだけ寂しそうに笑う。
「……そうか。マリンは好きなんだな、その先輩の事が」
「……はい。とても、とても尊敬しています。先輩のお陰で私は今もここで走れているのです。宝塚記念に勝てたのも、先輩が背中を押してくれたからです。だからこの先のレースも全力で走ります。先輩の為に、私の背中を押してくれた全ての人たちの為に」
マリンの笑顔を見て、オグリキャップも微笑んだ。
「そうか……うん、私も応援しているぞ、マリン。ん? あれは……『シリウス』のメンバーか。みんなここへ向かってきているぞ」
「え?」
クルッとマリンが振り返ると、手をブンブン振っているゴールドシップを先頭にチームメイトの皆がここに向かっていた。マックイーンが居ないのは……きっとゴルシが気を利かせたんだな、とマリンは気付いた。
そうして、マックイーンを除いたシリウスのメンバーが合流して、皆で並走トレーニングをする事となった。
結局はスペシャルウィークの思惑通り模擬レースと化し、皆ヘトヘトになるまで競い合ったのだった。
マリンはとても充実した日々を過ごしていた。この日も、支え合える仲間と共にレースウマ娘として着実に前に進んでいた。
しかし、この時は誰も予想もしていなかった。次にマリンが走る重賞レース。そこが彼女の『運命』の分かれ道となる事を……
『運命』が追いかけてきている事を……
以前、孤児のウマ娘の名前はどうなるのか?と書きましたが。一応、これが自分なりの予想となります。人間の母親からウマ娘が産まれるのかは分からないですが、それでも同じ事が起こるのではないかと予想しています。