【完結】流れ星の転校生~とある武術家ウマ娘がトレセン学園に転入する話~ 作:カンヌシ
秋の風が肌に冷たい季節となった。しかし、それはウマ娘たちの激しい戦いの幕開けの季節でもあった。
バ群の起こす地鳴りが観客席まで聞こえて来る。今回のG3レースにはマリンアウトサイダが出走すると言う事で、開催前からかなりの話題となり、そのレース場は平常時の数倍の来場者数を記録していた。
あの宝塚記念以来、レースウマ娘としてのマリンの人気はみるみる内に高まっていった。『史上最大のフロック』と揶揄された事が逆に注目を集め、実際のレースを見て胸を打たれた人々が次々と彼女のファンとなっていったのだ。
そして、マリンはひと月前のOP戦を2週連続で走り、2連勝を収めた。それは彼女の状態を見極めてゴーサインを出した『シリウス』のトレーナーの英断だった。『宝塚記念』の出来事があった今だからこそ、勝利に驕らず、地道な努力を重ねるレースウマ娘でありながら武道家ウマ娘である彼女の姿は、更に多くの注目を集める事となったのだった。
今、観客席の目の前を1周目のバ群が通過した。また彼女たちがここを通る時は、手に汗握るデッドヒートが繰り広げられる。その期待に観客たちは胸を膨らませていた。
「行っけーーーー、マリーーーーン!!!」
「頑張れえええ、マリンさーーーん!!!」
「良い調子ですわよ、落ち着いてゴーですわ!!!」
「そうだ! 落ち着いて行け!」
ゴールドシップ、ウイニングチケット、メジロマックイーン、そしてオグリキャップが観客席の最前列から声援を送る。このメンバーが本日のマリンの応援団だ。他のシリウスメンバーは次週以降のレースの為に学園でトレーニングをしていた。
「ありがとう、オグリキャップ。マリンの応援に来てくれて。マリンも喜んでいたし、きっと調子が上がったはずだ。でも、本当に良かったのかい? ただでさえマリンのトレーニングに時間を割いてくれているのに」
トレーナーが隣に立つオグリキャップに言った。
「私なら問題ない。むしろ教える事で分かる事も増えてきたんだ。レースとは本当に奥が深いな。マリンは凄く頭から良いから、並走トレーニングだけのつもりがついつい色々と教えたくなってしまう。だからマリンが出るレースは絶対に見たかった。トレーナーというのは、いつもこんな気持ちなのだろうか」
そう言ってオグリキャップは優しい眼差しでマリンを見つめる。もしかしたら、いつかオグリキャップがトレーナーとなる未来もあるのかもしれないと、『シリウス』のトレーナーはぼんやりと考えるのだった。
………
……
…
ダッダッダッダッダッ!!
「ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ!」
マリンは現在、最後尾で前方のバ群を観察している。気合いは十分、頭もクリア、いわゆる絶好調というやつだ。
彼女は今朝、この会場へと出発する前に先輩から貰った手紙を読み返したのだった。その手紙にはマリンへの祝福と、夢を叶えてくれたお礼と、自分も新たな夢に向かって奮闘していると丁寧な文字で記されていた。そして、その手紙の最後の一文がマリンにとって何よりも励みになった。
“あなたと過ごした日々が、あなたの走りが、私に明日への勇気を与えてくれています。ありがとう、マリンちゃん。お姉さん、ずっと応援してるよ”
「ハァッ、ハァッ!」
第2コーナーを過ぎ、レースは中盤に差し掛かる。この直線で早めに仕掛けてバ群に発破をかけよう。
(良かった。このレースの世界に来て……色んな人と出会えて、本当に)
マリンは前方を睨みつける。脚をためてターフを蹴り出す体勢を整える。
(私は……その人たちの為に……走れる!!!)
さあ、ここからが本当の勝負だ。この重賞レースを皮切りに、新たな挑戦を始めるんだ、支えてくれた皆の為に。
黒髪のウマ娘は気力を奮い、前に進もうと脚先に力を込める。
しかし、その瞬間……予想外の何かがマリンに襲いかかった。
ドドクンッ!!!
「ッ…………!?」
何だ……何が起こっている?
ドドクンッ、ドドクンッ、ドドクンッ!!!
突然だった。心臓がこれまでにないくらい激しく鼓動する。まるで、何かの危険を知らせる警報のように。
「はっ…………!?」
そして、マリンアウトサイダは目の前の光景に驚愕する。
そこには轟々と猛り狂う炎がどこまでも燃え広がっていた。ターフの全てが、業火へと変貌していた。
(これは……幻だ。私に、警告している。『この先に進んではならない』と教えている……)
合気道と呼ばれる日本発祥の武術、その真髄は『護身』にある。究極の護身とは、危険と『出会わない』こと。その先に危険の待つ道をそもそも歩まないことこそが、最高の防衛である。
マリンは師である角間源六郎から聞いた事があった。時折、目の前の道が溶岩に、崖に、海原に、針地獄に、そして闇に変貌する……と。護身を極めれば極めるほどに、長年の鍛錬と経験で勘が研ぎ澄まされて行くほどに、ハッキリと未来の危険を予感できるようになるのだと。
(これが……そうなのか? 私のような道半ばの武術家が……)
しかし、何故『今』なのか。それは誰にも分からない。武の神様の気まぐれなのかもしれない。だが、1つだけハッキリしている事がある。
眼前のその道は……『過酷』そのものだという事だ。
「ハァッ、ハァッ、ぐっ!!!」
脚を一歩踏み出す毎に、炎が全身を焼いたように錯覚する。ジュウゥゥゥと聞こえるはずのない、身体の肉が焼け焦げる音も聞こえる。
(何でッ……!! これからなのに!! このレースが私の『実力』で挑戦する、初めての重賞なのにッ……!!!)
マリンは若かった。世代最強の格闘ウマ娘と呼ばれても、武術家の基準で十数年など赤子に等しい。だから無理矢理進もうとした。その業火の道の先に、勝利を掴もうと手を伸ばす。だが……
「ハァッ……ハァッ……あ、ヒッ……!?」
ドドクンッ、ドドクンッ!!!
鼓動が耳をつんざく大音量に聞こえる。それが心臓の異常なのか、恐怖による動悸なのか、マリンには判断がつかなかった。
燃え盛る業火の先、そこには光など無かった。あるのは完全な『闇』……何も無いはずなのに、人はそれに恐怖を覚える。
マリンはそれを見て感じた。嫌でも理解させられた。この先を走り続ければ、待つものは……
『死』であると。
…
……
………
『さあ、レースも中盤を過ぎた! バ群はやや縦長の展開! 今レースで注目のマリンアウトサイダはここで仕掛けて来るの……か……えっ?』
実況アナウンサーが言葉に詰まる。いつもならここで早仕掛けをするのがマリンの『追い込み』のセオリーだった。徐々にペースを上げてくるだろうと予想していたのに、そのアナウンサーの目に映ったのは……
減速し、ついには立ち止まり、苦しそうに胸を押さえるマリンの姿だった。
『マ……マリンアウトサイダに故障発生!!! マリンアウトサイダが走行を中断しました!!! 胸を押さえています、何らかのトラブルが発生した模様!!! マリンアウトサイダが走行を中断!!!』
観客席は騒然とした。『シリウス』のトレーナーが何かを叫び、救護班の元へ全力で駆け出した。マックイーンは両手で口を押さえている。ゴールドシップは身を乗り出してマリンの名を叫ぶ。他の2人のウマ娘もとても平静でなどいられない様子だった。
第2コーナーを過ぎた直線、その途中でマリンは立ち止まり、内ラチに寄りかかった。呼吸は乱れ、顔を歪め胸を押さえている。その表情は恐怖に染まっていた。
ーーーーーー
マリンのレースから3日後。
ガチャリ
と、『シリウス』のトレーナー室のドアが開いてトレーナーが入ってきた。チームメンバーはソファーに座ったり、室内をウロウロしたりと落ち着かない様子だったが、トレーナーの姿が見えた途端、皆一斉に彼の元へと駆け寄った。
「みんな、今は授業時間のはずだろう。ずっと待っていたのかい?」
レースの後、マリンは病院に搬送され、検査の為に2日間入院する事となった。その間チームメイトはお見舞いに行く許可が降りず、本日ようやくトレーナーと保護者である角間氏が医者から詳しい説明を受けた。皆、トレーナーが病院から戻ってくるのを待っていたのだ。
「んな事どうでもいいだろ、トレーナー! マリンは……マリンは大丈夫なのかよ!」
「そうです! マリンさんはどうしちゃったんですか? 教えて下さい、トレーナーさん!」
ゴールドシップとスペシャルウィークがトレーナーに詰め寄ると、彼は悲しさを隠せないその目を伏せる。
「もちろん、話してあげるよ。だから落ち着いて。みんな、座って聞いてくれ」
トレーナーはいつものホイールチェアにゆっくりと腰を下ろした。キュルルと回転させて皆の方へ身体を向ける。チームのウマ娘たちは固唾を飲んでトレーナーの言葉を待つ。沈黙が部屋を支配して、皆胸の中の不安で息が詰まりそうだ。
「とりあえず、彼女は無事だ。命に別状はないとお医者さんが言っていた」
その言葉に皆は胸を撫で下ろす。だが、その続きがあることは皆分かっていた。あのレース場に居なかった者も、中継の映像は観ていた。マリンの身に何か異常な事が起こったのは明白だったからだ。
「精密検査の結果……マリンは心臓に生まれつきの異常がある事が分かったそうなんだ。それは軽度の小奇形で、日常生活やある程度の運動をするくらいなら支障は無い、異常があることにすら気付かない程度のものだそうだ」
心臓の異常、と聞いて皆目を見開いた。嫌な予感が皆の脳裏をよぎる。
「彼女は去年までは格闘ウマ娘として活躍していた。格闘技ならば、心臓に長期的な負担はかからない。だから、特に問題はなかった。だけど……レースは違う。数あるウマ娘の競技の中で、レースは最も心臓を酷使するものの1つと言っても過言ではない。この間のレースの負担で、ついにマリンの心臓は悲鳴を上げた……簡単に言うと、こんな感じだ」
皆が息を飲んだ。それはまるで……
「何だよそれ……まるでマリンが……アイツが……レースの世界に……!」
ゴールドシップはその先の言葉を飲み込んだ。それはレースウマ娘にとっては、あまりに残酷な言葉だった。
トレーナーも悔しそうに目を瞑った。
「トレーナー……マリンは、また走れるようになるのか?」
ナリタブライアンが尋ねる。
「……もちろん、僕はマリンがまた走れるようになると信じている。だけど彼女の心臓は、骨折とは違って治療できるものではないんだ。手術をしたとしても、それこそ心臓への負担を高める要因になってしまう可能性もあるそうだ。前例の無い、未知数な部分が多いんだ」
皆一様に暗い表情で俯いた。あまりにも……あまらにも過酷な現実だ。レースウマ娘にとって、走れなくなるかもしれないと言う恐怖は耐え難いものだ。しかも、治療のしようがないのだ。
「念の為、マリンは今週末までは検査の為に入院することになっている。明日からならお見舞いに行っても大丈夫だ。ただし、念の為にまずは4人までに制限するとのことだ。だから明日は僕とあと3人までマリンに会いに行ける」
みんなで誰が行くか話し合ってくれ、そう言ってトレーナーはパソコンに向き合った。これから心臓に持病を抱えたアスリートの情報を集めるつもりだった。どれだけ参考になるか分からないが、何もしないで待つのはトレーナーも耐えられなかったのだ。
………
……
…
コンコン、と看護師が病院の個室をノックしてトレーナーと3人のウマ娘を室内へ案内する。
昨日の話し合いの結果、トレーナーと一緒にお見舞いに行くウマ娘はメジロマックイーン、スペシャルウィーク、サイレンスズカの3人となった。
彼らがその個室に入り目にしたのは、窓の側に立ち、空を眺めている病衣姿の黒髪のウマ娘だった。外はずっと雨が降り続いている。
「あ……トレーナーさん……それにマックイーンさん、スペさん、スズカさん……」
彼女は振り返った。一瞬彼女は涙を流しているように見えたが、それは錯覚だった。
看護師が部屋を出ていくと、マリンはお見舞いに来た4人に椅子をすすめ、自分はゆっくりとベッドに座った。
そこからしばし、無言の時間が流れた。最初に口を開いたのは『シリウス』のトレーナーだった。
「マリン、もう体調は大丈夫なのかい?」
「……ええ、特に問題はありません。今は落ち着いています」
あのレースの日、トレーナーは1人マリンに付き添って病院へ行った。その時はマリンの顔色はかなり悪かったのだが、今は彼女の言う通り落ち着いているように見える。
マリンは他の3人のウマ娘に視線を向ける。皆、何を言えば良いのか分からず困っている様子だった。
「皆さん、もう私の……心臓のことはご存知みたいですね。心配をおかけして、本当に申し訳ありません……」
「……謝る必要なんて無いですわ。あなたが無事で、本当に良かった……あのレースの日、私は生きた心地がしませんでしたもの」
「ええ、本当にそう。私も寮のテレビで観ていたわ」
メジロマックイーンとサイレンススズカが優しい表情でマリンに語りかける。しかし、会話は続かなかった。重苦しい空気は消えない。
「……あの日からずっと雨ですね」
ポツリ、とマリンは呟いた。彼女はぼんやりと窓の外を見つめていた。皆がお見舞いにくる直前と同じように雨が降るのを眺めていた。
「昔から悲しい事がある時は、必ず雨が降っていました。まるで空が私と一緒に泣いているみたいで、心の中にまで雨が染み込んでくる気がして……不思議と心が落ち着くのです」
4人は黙って聞いていた。
「でも……今は、この事ばかりは、流石にショックが大きくて、昨日も一昨日も、寝ても覚めても、心を雨雲が覆っていて……私は自分の名前の通りに、レースの世界に来てはならないウマ娘だったんじゃないかと……『アウトサイダー』、元から私は部外者だったのではないかと、そんな風に思ってしまって……」
「ッ!! 違いますっ!!!」
それを聞いたスペシャルウィークが突然ベッドに座るマリンに飛びかかるように抱きついた。マリンは驚いた顔で彼女を受け止めた。
「スペちゃん!?」
「こら、スペ! マリンはまだ」
入院してるんだ、というトレーナーの言葉を打ち消すようにスペシャルウィークは叫ぶ。
「違いますッ!!! 絶対に、絶対にそんなことないです!!! マリンさんは、私たちの、『シリウス』の仲間です!!! 来ちゃいけなかったなんて、絶対に言っちゃダメですッ!!! ダメなんだからあああ!!!」
次第に涙声になっていく彼女の声を聞いて、マリンはふっと微笑む。そしてマリンの胸に顔を埋める彼女を、子供抱くように柔らかく抱きしめた。
「ごめんなさい、スペさん。弱音を吐いてしまいました。不安にさせてしまいましたね。許してください……」
「グズッ、許しません……そんな事、言ったら絶対にダメです……許してあげません……」
マリンはギュッと一度強くスペシャルウィークを抱きしめて、離した。スペシャルウィークの目は涙に濡れていた。
「スペさん、私の言葉には続きがあります。私はチーム『シリウス』のレースウマ娘です。自信と誇りを持ってそう言えます。そして、同時に格闘ウマ娘でもあるのです」
ズビッとスペシャルウィークは鼻を啜ってマリンを見つめる。
「スペさん……万が一身体の一部が使えなくなったり、動かなくなった時、武術家はどうすると思いますか?」
スペシャルウィークは分からない、と言うように首を小さく振る。
「一から、修行し直すのです。最初の最初の初めから、生まれ変わった身体だと思って、身も心も初心に帰して、基礎鍛錬からやり直すのです。心臓に枷がかかっても同じです。私はまた一から……いやゼロからやり直せます」
マリンはトレーナーの方を向く。トレーナーも真っ直ぐにマリンの瞳を見つめていた。
「トレーナーさん、『あの時』みたいに……また私をゼロから受け入れてくれますか? 例え心臓がレースに向いていないウマ娘の私でも……再びチーム『シリウス』に入れてくれませんか……?」
トレーナーはマリンの瞳の中を覗き込む。そこには、まだ闘志が燃えていた。走りたいと願うウマ娘がそこに居た。
「もちろん、私は現実を見据えているつもりです。もし上手くいかなかったら、その時は……覚悟しています。トレーナーさんと医師の言うことには、絶対に従います。だから……」
「うん、勿論だ」
『シリウス』のトレーナーは立ち上がり、マリンの元まで歩み寄る。
「君はずっと『シリウス』のレースウマ娘だ。お医者さんもレースに復帰出来る可能性はまだあるとおっしゃっていたんだ。暫く休養して、様子を見てからトレーニングを始めよう。頑張ろう、マリンアウトサイダ。また、ゼロから」
トレーナーの言葉は力強く、マリンに再び活力を与えた。
「ううう……マ゛リ゛ン゛ざぁん!!!」
トレーナーの言葉に、スペシャルウィークはまた涙を目に溜めてマリンに抱きついた。それをまたマリンも優しく抱きとめる。
まだ希望は残っている。今はそれを信じて先に進むしかない。元々、自分はレースの世界とは殆ど無縁なウマ娘だった。心臓までもがレースの世界へ行く事を否定しようとしても、まだ走れる。走る為の両脚は残っているのだ。
道はきっと続いている。今はそう……信じるしかなかった。
やっと物語の終わりが見えてきました。
まだ少し暗いままですが、続きを気合い入れて書いてます。よろしくお願いします。