【完結】流れ星の転校生~とある武術家ウマ娘がトレセン学園に転入する話~   作:カンヌシ

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25話 寄り道の果て

 

 

 

 

 マリンアウトサイダの実家の山奥の道場、その裏手の母屋の縁側に1人の老人が座り、茶を啜っていた。

 

 彼の名は角間源六郎、その道場の主である。彼は今しがた伴侶の月命日の墓参りを済ませて帰宅したところだった。その日は何故か……本当に何故か彼女と初めて出会った日の事を鮮明に思い出したのだった。

 

 

「……ツキの奴、何をやるかと思ったらまずは結婚しろだの言いやがったな。あの日は本当に死ぬかと思ったぜ。しかも、ほんの僅かな時間で良いって言った割には道場主をさせるもんだからなぁ。思っていたより神経の図太い女だった……流石は極道のウマ娘だ」

 

 

 そう独りごちて、ズズズゥゥと老人は茶を啜る。

 

 そう、彼がこの山で道場主をしているのは彼の伴侶がそうさせたからである。

 

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

 

 数十年前、角間源六郎とヤマブキツキミソウが婚約を交わしてから数ヶ月後。とある山中にあった古びた武道場の改装工事が完了した。ツキミソウがあらゆるツテを使い、借金をしてこれを建て直したのだった。土地も安く、空気も良く、自給自足できる環境が整っている理由でこの場所を選んだらしい。

 

 ちなみに2人が夫婦となったのはあくまで表面上の仮の関係である。そのような事をハナミザケが許すはずもなかったが、生来のとんでもない頑固さを発揮したツキミソウに姉が折れた……と言う具合だった。ハナミザケは妹の『思い』を聞き、やれるだけやってみると良いと(源六郎を射殺さんばかりに睨み付けながら渋々と)山で道場を開く事を許したのだった。

 

 

「……で、こんな辺鄙なとこに道場を構えてどうするんだ? 門下生を募集しても人っ子一人来ないだろう、ここは」

 

 

 源六郎はツキミソウに押されて道場主になる事まで引き受けてしまった。正直、弟子を取るような年齢でもないので気が乗らなかったが、彼女がどのようにその『思い』を実現するのか興味があったのも事実だった。詳しく聞こうとしても、ツキミソウは後で説明しますの一点張りだったので、源六郎はこれからどうするのか見当もつかなかった。

 

 

「はい、源六郎さん。貴方には町中、いや日本中を回ってウマ娘のヤンキーやゴロツキども、はぐれた武術家ウマ娘と喧嘩をしてもらいます」

 

「……は?」

 

「こんな辺鄙なとこで待ってるだけでは門下生は来ませんよ。ですから、貴方がウマ娘たちを実力でねじ伏せ、屈服させてここに連れてきて下さい。この道場で貴方が武術を、私が勉強を、そして大自然が生き抜く術を教えます。ある程度は自給自足するのですから、お金は最低限あれば良いのです」

 

 

 源六郎はツキミソウの瞳の奥に、篝火が変わらず灯っているのが見えた。

 

 

「ツキさんよ、アンタやっぱり極道の娘だな。そんな大層な夢を語っておいて、俺に力ずくでウマ娘たちをねじ伏せてこいなんて言うかね、普通」

 

 

 ふふっ、とツキミソウは笑った。太陽の光に照らされて汗ばんでながらも、その髪と肌は白く美しく輝いていた。

 

 

「力ずくでも、初めの一歩を踏み出さねば意味はありません。地道に進めば良いのです。ここからヒトと武術家ウマ娘の輪を少しずつ広げます。そうすれば、いずれ必ず……」

 

 

 そこからの2人の日々は慌ただしくも、騒がしくも、苦しくも、しかし心穏やかに過ぎていった。

 

 町を牛耳るヤンキーウマ娘の総長や、レース興行の裏で落ちぶれたウマ娘、家出少女のウマ娘など、あらゆるはみ出しっ子が道場に集まった。世の中を憎んだ眼をした彼女たちも、次第に源六郎とツキミソウに心を開き、年月をかけて『生き抜く術』を身につけ、巣立って行った。

 

 その中にはヒトの門下生たちも居て、対ウマ娘の戦術を源六郎が叩き込んだ。彼らが道場を出る頃には並のウマ娘なら歯が立たない程の実力者になっていた。

 

 そのような事を繰り返している内に、門下生の中には小さな事業主になる者や、同じく武術道場の師範代となる者たちも多く出てきた。

 

 ヤマブキツキミソウはその者たちと手を結び、小さな武術大会の運営会社を設立した。そして、全国各地を源六郎と共に周りながら大会を開き、時には現地のゴロツキとも喧嘩をして更に門下生を増やしていった。気性の荒い格闘ウマ娘たちには拳で語る方が手っ取り早かったのだ。そうやって少しずつ、ヒトと武術家ウマ娘の輪を着実に広げて行った。

 

 

 そんな生活を続ける内に、初めは仮の夫婦関係を演じていた2人も、いつの間にか真の夫婦となっていた。ハナミザケも2人の仲を渋々ながらも認め、ひっそりと祝福していたと言う。違法賭博場でのシノギは徐々に規模を縮小させ、そこにいた武術家ウマ娘たちはツキミソウの事業に協力するようになっていた。

 

 

 少しずつ地道な努力が実り、多くの協賛を得られて、ついにツキミソウは念願だった格闘ウマ娘の為の組織『UMAD』を設立した。その理事長にはヤマブキハナミザケが就任した。ツキミソウは体調の事もあって辞退していた。

 

 

 そうやって、闘えず走れもしない1人のウマ娘が、彼女が愛し、彼女を愛してくれた男と共にその『思い』を遂げた。男と出会った日から20余年、彼女は彼女だけの道を駆け抜けたのだった。

 

 彼女の病弱な身体は、そこまでは保ってくれた。だが既に限界に達していた。彼女は亡くなるまでの最期の数日を、山奥で愛する伴侶と2人きりで過ごした。それは2人にとってとても安らかで、最も幸福に満ちた日々だった。

 

 

 

「人生は旅と同じだ……と多くのヒトが語ります。でも、私は『寄り道』こそが人生の本質だと思うのです。大切な物は、きっとそんな所で見つかるんじゃないかって、寝床で本を一冊読み終わるたびに、そう強く思うのです。でも……このいつ消えてもおかしくない命では、私は寄り道をする暇もありませんでした……」

 

 

 その日々の中の、ある寒い晩、彼女は源六郎の胸に抱かれながら呟いた。

 

 

「叶うのならば、そうですね……モンゴルの大草原を思いっきり走ってみたいです。そこで生きたウマ娘は、生涯その青空と草原を忘れる事は無いと聞きます。この脆弱な身体でも、もし叶うのならば……」

 

 

 ツキミソウは源六郎の目を覗き込む。源六郎も黙ってツキミソウの目を見つめ返した。

 

 

「私は貴方が武の道を歩むのを邪魔してしまいました。でも、私はそれを悪いとは思っていませんよ? むしろ、私の長くはない生涯の中で、きっと唯一の自慢になります」

 

 

 彼女は揶揄うような、楽しそうな調子で言葉を続けた。源六郎は「そうかよ……」と呟く。それが2人の日常の交流だった。そして、彼女は儚げに、寂しげに、彼に尋ねるのだった。

 

 

「源六郎さん……私は、貴方の人生の『寄り道』になれましたか……?」

 

 

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

 

 

 老人が茶碗を仰いて、冷めた緑茶の最後の一滴まで飲んだ。

 

 外は雨が降っている。あの赤ん坊を拾った時と似たような天気だと、ふと思った。

 

 

 すると、老人の背後から足音が聞こえた。足音の主はゆっくりと老人の横に来ると、外を向いたままそこに正座した。

 

 

「……おじいちゃん、ただいま」

 

「おう、ミドリ。何だ、普段は連絡すら寄越さないような奴がどう言う風の吹き回しだ?」

 

 

 老人は急須から茶碗に再び茶を注ぐと、ちびりと口をつけた。黒髪のウマ娘は黙ったままだった。しかし、老人はじっと彼女が語るを待っていた。縁側には雨音と老人が茶を啜る音だけが響いていた。

 

 

 

「……おじいちゃん、私……負けたんだ。心臓に負担をなるべくかけないトレーニングを、トレーナーさんが必死になって考えてくれて、チームのみんなも協力してくれたんだけど……駄目だったみたい。やっぱり、思いっきり走る事が出来なくなってて……OP特別のレースで6人中6着、最下位だったんだ」

 

 

 

 マリンアウトサイダは淡々と語った。きっとこの台詞は事前に用意していたのだろう。きっと前の晩は1人で泣き腫らしたのだろうと、老人は直感した。それは当たっていた。だが、老人はただ黙って彼女の言葉を聞くだけだった。

 

 

「だから私……レースをやめる事にしたんだ。トレーナーさんとも昨日話し合った。本当はね、『有記念』に出られる事になってたの。こんな私にも、応援してくれるファンが沢山できたんだ。でも、今の私の走りでは夢を……明日への勇気をあげられないと思うと、申し訳なくて……どうしようもなくて」

 

 

 マリンの声は段々と小さくなっていく。しかし、少し経つと空元気に早口に喋り始めた。

 

 

「きっと、私が格闘ウマ娘として武の道から逸れちゃったのを、神様が許さなかったのかもしれない。レースの世界に入ったのも……『寄り道』みたいなものだったんじゃないかって。でも友達も沢山できたし、会えなくなる訳じゃないしさ。また武術の鍛錬をして、もっと強くなれば別の目標も見つかるだろうし。だからおじいちゃん、またここで稽古をつけて貰いたんだ。今日はそれをお願いしたくてここに……」

 

「ミドリッ!!!」

 

 

 老人がピシャリとマリンの言葉を遮る。ビクンと彼女は驚いて固まった。

 

 

「……もちっと落ち着いて話せい。老いぼれの耳にゃ若者の早口は障る」

 

「っ……ごめんなさい……おじいちゃん」

 

 

 マリンはこれまでにないくらいに不安定になっていた。老人は察していた。彼女の何もかもを。

 

 再び2人を沈黙が包んだ。ズズゥーと老人が茶碗を空にしてから、不意に口を開く。

 

 

 

「人生は旅のようなもんだ……だが、『寄り道』こそが人生の本質だ。本当に大切なものは、そんな所で見つかる……」

 

 

「え……?」

 

 

 マリンは突然の言葉に驚く。

 

 

「俺の嫁の言葉だ。確かいつか、こんな事を言っていた……ずぅっと昔の話だけどな」

 

 

 マリンは再び外の雨を眺める。

 

 

「おばあちゃん……ヤマブキツキミソウさんが……」

 

 

 んん?と老人がマリンの方を向いた。

 

 

「ミドリ、お前『ツキ』の事をおばあちゃんって呼んでたのか?」

 

「あっ、いやその……おじいちゃんのお嫁さんだから『おばあちゃん』なのかなって……おじいちゃん、昔の話は全然しないから私の心の中でそう呼んでて……ずっと会ってみたいなって思ってたの」

 

 

 それを聞いて「はっはっはっは!!」と老人は大笑いした。

 

 

「ツキは長生き出来なかったからよ、死んだ時は婆さんなんて歳じゃなかったが、そうか、ミドリの中じゃあアイツは『おばあちゃん』になってたんだな! はっはっはっはっはっは!」

 

「……むぅ、そんなに可笑しいかな……」

 

 

 老人はひとしきり愉快そうに笑うと、突然片手でクシャクシャとマリンの頭を撫で回した。髪の毛が乱れていくが、マリンは文句を言いながらもされるがままになっていた。

 

 

「も、もうっ! おじいちゃん、何するの」

 

「なぁ、ミドリ……」

 

 

 老人は撫で回す手を止めて、マリンが今まで聞いた事のないくらい優しい声色で言う。

 

 

「レースは、楽しかったか?」

 

 

 マリンは突然の質問に答えに詰まった。続けて、老人は尋ねた。

 

 

 

「お前がトレセン学園に通った事は、まあ寄り道だろうさ。けどよ、『寄り道こそが人生の本質だ、本当に大切なものはそんな所で見つかる』……このばあちゃんの言葉、今ならどう思う?」

 

 

 

「………………っ。それ……は」

 

 

 マリンは思い出した。トレセン学園に転入してから起こった様々な事が、思い出として甦る。

 

 

 ルドルフ会長が受け入れてくれた事。

 

 自分を大切に思ってくれる先輩と出会った事。

 

 チーム『シリウス』と出会えた事。

 

 最高のトレーナーさんと出会えた事。

 

 ハルウララという優しい春風のようなウマ娘とライバルになった事。

 

 騒がしいクラスメイトと友達になれてキャンプまでした事。

 

 ルリイロバショウと喧嘩したけど、最後には分かり合えた事。

 

 宝塚記念で最高のレースが出来たこと事。

 

 

 そして最後に……先輩ウマ娘から貰った手紙の1文がマリンの頭に浮かんだ。

 

 

“あなたと過ごした日々が、あなたの走りが、私に明日への勇気を与えてくれています。ありがとう、マリンちゃん。お姉さん、ずっと応援してるよ”

 

 

 

 

 

 ポタリ

 

 

 と、マリンの膝に涙の粒が落ちる。

 

 

 

 

「……ううっ……うぇぇぇぇぇ……」

 

 

 老人は優しく、マリンの頭に手を置いていた。

 

 

「うんっ……うん……あったよ。色んなものが……大切なものが。トレセン学園に行かなければ、みんなに会えなかった、先輩にも、ルドルフ会長にも、『シリウス』のみんなにも、トレーナーさん……にも。ルリとも……トレセン学園で走ってぶつかり合ったから、分かり合えたんだ」

 

 

 マリンが両手で目を押さえても、溢れる涙は止まらなかった。

 

 

「悲しい事もあった……けど、おばあちゃんの言う通りだ……寄り道に、大切なものがあった。武の道を歩むだけじゃ……絶対に見つからなかった……!」

 

 

 老人はマリンから手を離し、再び茶を啜った。

 

 

「ミドリ、お前がレースをやめる事に俺は反対しない。だが、お前さんは物を考えられる状態じゃなかっただろう? 『引き際』はしっかりと見極めな。少なくとも俺には、それが今には見えんがな」

 

 

 コト……と茶碗を置いて、角間源六郎はマリンと向き合う。マリンも、泣いて赤くなった目を彼に向けた。

 

 

「お前だけの道を進め、ミドリ。大丈夫だ、お前は俺が鍛えたんだ。お前はヤワじゃない、お前は走れる、思いっきりな」

 

 

 その言葉にマリンは大きく頷く。そして袖で涙を拭うとすぐに立ち上がった。

 

 

「私、トレーナーさんの所に、トレセン学園に戻らなきゃ! ありがとう、おじいちゃん! また来る!」

 

 

 ドタタタと慌ただしくマリンは去って行った。老人は再び腰を落ち着けて、縁側から空を見上げた。いつの間にか雨は上がっており、雲の隙間から光が差していた。

 

 

 

「ツキ……お前の駆け抜けた道は繋がっているぞ……

 

 俺の『寄り道』にも……

 

 俺たちの孫の『寄り道』にも……

 

 お前が残してくれたものも、全部な」

 

 

 

 源六郎はツキが側で微笑んでいるのを、確かに感じた。彼女の笑顔が、ハッキリと見えた気がした。

 

 

 

 

………

……

 

 

 

 

 同日、トレセン学園。

 

 チーム『シリウス』のトレーナー室で、トレーナーはパソコンの前に座り、その画面を難しい顔で眺めていた。

 

 そこには『有記念』……今最後のG1レース、その出走登録画面が映っていた。トレーナーは逡巡していた。出走取り消しの手続きをしようとすると手が止まってしまった。昨日、マリンアウトサイダとはレースを引退すると話はついていた。トレーナーとして言うなら、それは妥当な判断だった。

 

 

(そう……彼女が本来の走りを取り戻すのは難しい。無理をさせると、次こそ命に関わる可能性もある。彼女は走らせるべきではない、それに彼女には武術がある。走らなくても、間違いなく格闘技の世界で活躍できる……はずだが……)

 

 

 悔しかった。彼女がここでレースを引退する事が。格闘ウマ娘だった彼女への批判を、彼女はその脚で跳ね除けた。彼女の活躍で、世間の格闘ウマ娘への評価も少しずつ変わってきていた。これからのはずだった。その先の未来を……見たかった。

 

 

(出走取り消しは……ギリギリまでしないでおこう。まだマリンの引退は世間には公表していない。今は……)

 

 

 すると、トレーナー室の外の廊下から微かに足音が聞こえてきた。その音はすぐに大きくなり、その勢いのままトレーナー室のドアが開かれた。飛び込んできたのは、マリンアウトサイダだった。

 

 

「トレーナーさんっ!! 私、トレーナーさんに話したい事が……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女は望んだ。最後に走る事を。

 

 トレーナーは望んだ。彼女の未来を。

 

 『運命』はただ、静かに見守るだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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