【完結】流れ星の転校生~とある武術家ウマ娘がトレセン学園に転入する話~   作:カンヌシ

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 お時間があれば、この話を読む前に第1話をお読みいただければと思います。伏線などを確認する意味で。
 タイトルは某日本史AのノベルゲームのOPから。


27話 キミだけの旅路

 

 

 

 

「すぅぅぅ……ふぅぅぅ……」

 

 

 『有記念』の出走ウマ娘控室で、マリンアウトサイダは精神統一の為に鏡台の前で深呼吸をしていた。すっと目を開くと、目の前の鏡に映るのは特別製の袴の上から緑色のパーカーを羽織った自分の姿。

 

 

(懐かしいな……『シリウス』のトレーナー室でみんなにお披露目したのが昨日の事のよう……)

 

 

 鏡の中の自分は悲しそうに微笑んでいる。恐らくこのレースを走り切ったらもう、この袴を着ける事は無いだろう。眩しい思い出が邪魔をして、戯れにも着る事を拒む自分が容易に想像できた。

 

 

(パドックの時間までまだ少しある。あと少しで、私の最後のレースが……)

 

 

 コンコン

 

 

 控室のドアがノックされる。以前の『宝塚記念』と似たようなシチュエーションだ。あの時入って来たのは今年の皐月賞ウマ娘アカネダスキだった。しかし、今回は違うだろう。誰が入ってくるか、マリンには予想がついていた。

 

 

 ガチャリ、とドアが開く。入って来たのは灰髪に紫色の瞳のウマ娘。マリンの幼馴染みのルリイロバショウだった。

 

 

「……邪魔するね、マリン」

 

 

 ルリイロバショウは足元を確かめるかのように、ゆっくりとマリンに近付いた。

 

 

 

 

………

……

 

 

 

 

「ルリ……来てくれてたんだ」

 

 

 マリンは立ち上がって、ルリと向かい合う。ルリは沈痛な面持ちでマリンを見つめていた。

 

 

「……体調、大丈夫なの? これから雨も降るって予報で言ってたよ。身体冷やしたらさ、もしかしたら……」

 

「ウォーミングアップをしっかりやれば大丈夫。何にも調子が悪い所は無い、絶好調って感じだよ」

 

「っ…………」

 

 

 ルリは目を細めて、絞り出すように言った。

 

 

「ねえマリン……今からでも、このレース走るのを止めない?」

 

「………………」

 

 

 マリンは、ルリがそう言うだろうと思っていた。マリンの心臓の支障が公表されてから、誰よりもマリンを心配していたのは他ならぬ彼女だったのだから。

 

 

「マリンはさ、G1レースで勝つっていう私との約束は果たしたじゃん……マリンが言ってた先輩の『夢』も叶えたじゃん……マリンはG1レースを勝ったんだよ!? レースウマ娘の中の強者しか集まらないグランプリレースで、1着取ったんだよ!?」

 

 

 ルリの目には既に涙が溜まっていた。マリンは静かに彼女を見つめている。

 

 

「心臓、どうなるか分かんないんでしょ!? もう……もう十分だよ! 私は……命を賭けてまで、マリンに走って欲しくなんかない!!!」

 

 

 思いの丈を叫ぶルリを、マリンはそっと抱きしめた。

 

 

「ごめんね、心配かけさせて。私はいつもこうだな。いつもルリに甘えてしまってる」

 

「嫌だよマリン、私マリンに何かあったら……嫌だよ……! 何で走るのよ……」

 

 

 暖かかった。ルリの体温も、気持ちも、今までで1番暖かく感じた。

 

 

「ルリ、聞いて欲しいんだ。私ね、『夢』が見つかったよ。いや……本当はもう自分の背中に乗っかってたのに、気付いてなかっただけなんだ」

 

 

 ルリは啜り泣きながら、マリンの言葉を聞いていた。

 

 

「『思い』を乗せて走ること……それそのものが私の『夢』だったんだ。影で涙に濡れるウマ娘たちの、先輩の、そしてルリの『思い』を乗せて走る時、私は1番強くなれた。私はもっと、もっと多くのウマ娘たちの『思い』を背中に乗せて走りたいんだ。何となく感じるんだ、そんな忘れ去られていく悲しい思いが、たくさん……どこかにあるのを」

 

 

 マリンは更に強くルリを抱いた。

 

 

「私はルリたちの為に走りたいんだ、それが私の『夢』なの。ルリが気付かせてくれたんだよ。あの時、トレセン学園に突然やってきて、初めてルリと想いをぶつけ合って『喧嘩』した。あれがなかったら、私はここまで走れなかったかもしれない。ううん、絶対に無理だった」

 

「でもっ! そのせいでマリンは……心臓を!」

 

 

 マリンは優しい声で続けた。

 

 

「ルリ、それは違うよ……私は誰よりも誰よりもルリに感謝してるんだ。ルリのお陰で私は走る意味を見つけられたんだ。心臓が悪かったのは生まれつきだよ、ルリは何も悪くなんかない。罪悪感なんて、絶対に抱かないで」

 

 

 マリンは抱いていたルリの身体を離して、正面から向き合う。彼女に『思い』を伝える為に。

 

 マリンの目尻にも、涙の粒が浮かび、溢れ落ちた。

 

 「ルリ……」とマリンは優しく呟いた。

 

 

 

「ありがとう、私に『夢』を見てくれて……

 

 ありがとう、私の『夢』になってくれて……

 

 この有記念が最後のレースだとしても

 

 ルリのお陰で私は今……『夢』を翔けているんだ」

 

 

 

 ルリイロバショウは、子供のように泣きじゃくった。それでもずっと、マリンの瞳を見つめていた。

 

 

「この有記念はね、シンボリルドルフ会長も、オグリキャップさんも、スペシャルウィークさんも、ゴールドシップさんも、他にも私が尊敬するたくさんのレースウマ娘たちが『夢』を乗せて走ったんだ。だから私も走りたい。例え、実力も何もかもが……心臓さえもが足りない……不完全なレースウマ娘だもしても」

 

 

 マリンはニコリと笑う。その笑顔はとても儚げだった。

 

 

「だからね、ルリ。このレースが終わったら私はレースウマ娘じゃなくなる。そしたら、あの時の『夢』を一緒に叶えよう。2人で、日本一の格闘ウマ娘に……」

 

 

「いいの!!! そんなのは、もういいの!!!」

 

 

 ルリイロバショウはマリンに抱き付いた。マリンはそれを驚いた表情で受け止める。

 

 

「お願い……無事に……無事に帰ってきて……! それだけでいいの……私の『願い』は、それだけで……マリン!」

 

「っ…………うん。分かった、約束だ。私は無事に帰ってくる……約束する」

 

 

 時間の許す限り、控室で2人は抱き合っていた。ルリの啜り泣く声だけが、聞こえていた。

 

 

 

 

……

………

 

 

 

 

 マリンアウトサイダとルリイロバショウが控室で会ってから暫く経ち、中山レース場のパドックでは出走ウマ娘が紹介されていた。

 

 観客席ではこの一年の締め括りという事もあり、1人紹介される度に熱狂が沸き起こっていた。16人のウマ娘で争われる有記念、そろそろマリンの紹介が始まる頃だった。

 

 

 

「次だね、マリンの紹介は。みんな、気合を入れて応援するぞ!」

 

 

 『シリウス』のトレーナーがチームのウマ娘たちに檄を入れる。しかし、皆一様に暗い雰囲気のままだった。あのゴールドシップさえも、ルービックキューブを持つばかりで回していなかった。

 

 

「ちょっとー、『シリウス』のみんな暗いよー! こんなんじゃマリンちゃんだって絶不調になっちゃうよ、しっかりしてよー!」

 

 

 そう声をかける小柄なウマ娘は『シリウス』のメンバーではなかった。彼女の名はトウカイテイオー、以前からの縁で今日はマリンの応援に来ていたのだった。テイオーの声に、メジロマックイーンがしょんぼりと答える。

 

 

「そうですわね、私たちが暗い顔をしていては駄目ですわよね……でもどうしても、顔と心が笑ってくれませんの。マリンさんの努力を思い出せば出すほど、胸が苦しくなってしまって……」

 

 

 他の皆も同じ気持ちだった。マリンの心臓の事が発覚した後も、皆時間の許す限り必死にトレーナーと共に策を練り案を捻り出して、マリンのレース続行の為に奮闘していた。それが、仕方がないとはいえこの『有記念』がラストランとなってしまうのだ。消沈してしまうのも無理はない。

 

 

 しかし、トレーナーだけは違った。彼は知っていた。お見舞いに行った病院で見た、彼女の瞳の奥に灯火のように耀く『思い』を。だから彼は、誰よりもマリンを信じていた。

 

 

「テイオーの言う通りだぞ。みんな目に焼き付けるんだ、マリンの姿を。きっと……大丈夫だ」

 

 

 

 前のウマ娘の紹介の後、パドックにマリンが現れた。トラックジャケットを肩に掛け、悠然とした足取りで中央に歩み、観衆の前に立つ。そして……

 

 

 バサァァァ……!!!とマリンがジャケットを放る。過酷の道を征く武術家のイメージの体現である下から燃える赤と青の炎の刺繍を施した袴と、ミスマッチのように見えてこれ以上ない程彼女にフィットしている緑色のパーカー。

 

 

 もう1つのグランプリレース『宝塚記念』で劇的な勝利を収めた、レースウマ娘でもあり、格闘ウマ娘でもあるマリンアウトサイダの威風堂々とした姿がそこに在った。

 

 

 

 観衆は息を呑んだ。『シリウス』のメンバーも、覇王世代とBNWも、黄金世代の4強も、VIPルームのシンボリルドルフたちも、マンハッタンカフェやアグネスタキオン、トウカイテイオーまでもが一瞬我を忘れて魅入っていた。

 

 彼女が、これからラストランを走るウマ娘だと言うことが頭から消えた。その雰囲気も風格も、これから何処までも……この先をずっと何時までも駆けていくかの様なイメージを観客の脳内に植え付けた。

 

 

「ほら、見てごらん」

 

 

 『シリウス』のトレーナーが呟く。

 

 

「あのウマ娘が、チーム『シリウス』のマリンアウトサイダだ」

 

 

 

 ワァアアアアアァァァ!!!

 

 ウオオオオオオオオオオオ!!!

 

 

 

 嵐のような声援と拍手が沸き起こった。皆、マリンアウトサイダの姿に強烈な印象を抱いたのだった。

 

 

 

『7番、マリンアウトサイダ!!! 今年の『宝塚記念』で劇的な勝利を果たしたグランプリウマ娘が、『有記念』にも出走します!!! 彼女はこのレースがラストランとなると発表されていますが、その様な事を微塵も感じさせないくらい雄々しい姿です!!!』

 

 

 マリンが手を振ると、更に観衆たちは盛り上がる。それを見て、メジロマックイーンがため息と共に微笑んだ。

 

 

「情けないですわね、応援する側の私たちが励まされてしまいましたわ……皆さん、他の観客たちに負けていられませんわよ! 精一杯マリンさんを応援するのです!」

 

「へっ……そうだな、頑張れええええマリーーーーーーン!!!! 他の奴らなんか蹴散らして行けええええええ!!!!」

 

「マリンさーーーーん!!! ライスたちが1番応援してるからねーーーーー!!!」

 

「うああああああああああん!!! マ゛リ゛ンざぁあああん!!! 思いっぎり頑張って下ざいいいいい!!!」

 

「スペちゃん、泣くのと応援するのは同時にしない方が良いと思うわ……」

 

「行け!!! お前の真の力を見せてやれ!!! 姉貴と山で修行したんだろ、お前ならやれる!!!」

 

「「「マリンさーーーん!!! 頑張れーーー!!!」」」

 

 

 『シリウス』のメンバーは誰よりも大声でマリンを応援した。他のマリンを応援に来ていたウマ娘たちも、精一杯の声を送った。

 

 VIPルームのルドルフも、驚きの表情から笑顔に変わった。

 

 

「ああ……私が思い悩む事など、何も無かったのだな。彼女は立派な、誇り高い『レースウマ娘』だ」

 

 

 

 

 これから出走ウマ娘たちはゲート前に移動する。レース開始まで、あと僅かだった。

 

 

 

 

 

 

 

………

……

 

 

 

 

 

 

 ゲート前のターフに16人のウマ娘たちが集合する。天気は薄暗く、ポツポツと小雨が降ってきていた。勝負服を着ていてもこの季節だ、濡れるとかなり寒い。だが、その場のウマ娘たちは闘志で身体から熱気を放っている。グランプリレースに出走する実力者たちが睨み合っていた。

 

 そんな中、1人のウマ娘がマリンに近付いた。マリンは一度しか彼女と会った事がないはずなのに、何故だか馴染み深いと感じた。それだけレースで競い合った相手は特別な存在なのだろう。

 

 

「よお、マリンアウトサイダ。宝塚記念ぶりだな」

 

 

 マリンにそう気さくに話しかけたのは、今年の皐月賞ウマ娘、アカネダスキだった。マリンと宝塚記念でぶつかり合った最大の強敵だった。彼女ももちろん、このグランプリレースに出走していた。

 

 

「ご無沙汰してます、アカネダスキさん。あなたの出走するレースは全て拝見していました。非常に胸の熱くなる走り……参考にさせて頂いてます」

 

「堅っ苦しいねぇアンタは。でもそうかい、ありがとな。俺も三冠を目指してたんだが、厳しいもんだねぇ。今年は本当に強え奴らが勢揃いだったからなぁ」

 

 

 アカネダスキは皐月賞の一冠を得た後は、日本ダービーと菊花賞は1着は勝ち取れていなかった。三冠には本当に選ばれしウマ娘でないとなれない。厳しい現実だった。

 

 

「そうですね、今年のクラシック級は群雄割拠だったとトレーナーさんもおっしゃってました。ですが、その中で皐月賞を勝ったのは誇るべきことですよ。私はクラシック期はそもそも参加していませんが……」

 

「なーに言ってんだ、マリンアウトサイダ。俺が言ったのはクラシック級だけの事じゃねえよ」

 

 

 トン、とアカネダスキはマリンの肩に拳を当てる。「え?」とマリンが声を上げるのを見て、彼女は爽やかに笑った。

 

 

「アンタもその本当に強え奴らの内の1人だよ。今年の俺のレースは全部苦しい戦いだったけどよ。1番胸が高鳴ったレースは、アンタと走った『宝塚記念』だった」

 

「……そう、でしたか。私にとっても『宝塚記念』が、最高のレースでした」

 

 

 マリンも笑顔で答えた。それを聞いてアカネダスキは満足そうに頷いた。そして、ほんの少し下を俯いて残念そうな声で言う。

 

 

「……これがラストランだってな」

 

「ええ、そうなります……」

 

 

 アカネダスキはキリッと前を向く。そしてマリンの瞳を覗き込むように見つめた。

 

 

「アンタの心臓の事は聞いている。けどよ、俺は堅苦しい事を言うのは苦手なんだ。だったら最後にアンタにこれだけは言っておきてえ」

 

 

 アカネダスキは握手を求めて手を差し出した。マリンは同じ光景をかつて見た事があった。

 

 

「オレはアンタを見くびっていない……1人のレースウマ娘として、アンタと本気で勝負をする! 良いレースをしよう、マリンアウトサイダ!」

 

「………!!」

 

 

 そう、それはかつて阪神レース場の控室でアカネダスキがマリンにかけた言葉。レースウマ娘の強さを知った、あの言葉だった。

 

 マリンの胸に熱いものが込み上げてきた。アカネダスキはマリンの心臓の事を知ってなお、あの時と変わらず本気で立ち向かって来てくれる。涙が出て来そうなくらい、嬉しかった。

 

 

 ガシッとマリンはその手を掴む。力強く、2人は握手を交わした。

 

 

「はい、良いレースをしましょう。私も全力で行かせて頂きます、アカネダスキさん……!」

 

 

 それを聞いて、アカネダスキも歯を剥いた笑顔になる。野性味の溢れる眼で、マリンを睨み付けた。

 

 

「リベンジだ! 今度は負けねえぞ、マリンアウトサイダ!」

 

「こちらこそ、私の持てる全てであなたに勝ちます……!」

 

 

 

 マリンは幸せを感じた。このような強者が自分のような不完全なレースウマ娘と、本気で戦ってくれる事に。叶うのなら、もっと力を付けてから……アカネダスキと本気で勝負をしたかった。

 

 

 

 そして、16人のウマ娘がゲートに入る。

 

 緊張の数秒間が過ぎてから……

 

 

 バンッッ!!!

 

 

 と、ゲートが開かれた。

 

 

 空が涙を流す中、一年最後のG1レースがついに幕を開けた。

 

 

 

 

……

………

 

 

 

 

 全てのウマ娘の出だしは好調だった。

 

 16人という大人数でのレースはマリンも初めてのはずだ。バ群の後方につくかと思われたマリンアウトサイダは、なんと中段の方につけていた。マリンを応援していた者たちの間でざわめきが起こる。

 

 しかし、『シリウス』のメンバーは知っていた。皆、この有記念をマリンのただの引退記念レースにするつもりはなかった。短いトレーニング期間に皆で知恵を絞り、今のマリンが勝つ可能性の最も高い作戦を立てていたのだ。

 

 

「何とか遅れずに中段につけましたわね。後はとにかく落ち着いて走れれば上出来です。無茶にペースを上げたりしたければ……可能性はありますものね」

 

 

 マックイーンが声には心配の色が混ざっている。それはトレーナーも同じだった。

 

 

「うん、後は周りに流されずに一定のペースを維持できれば身体への負担は少なくなる筈だ。無茶さえしなければ……」

 

 

 トレーナーとチームメンバーがマリンの為に考えた作戦は、『先行寄りの差し』だった。トウカイテイオーのように先行策を使えれば良いが、マリンはそれに慣れてない上に中山2500メートルは先行が有利なのでその数も増える。そこで揉まれて負担になるよりも、差しで行くのが現状ギリギリ出来る作戦変更だった。

 

 

「それでもかなり無茶な作戦変更だと思うケドねー。まあ、ボクが教えられる事は教えたし、後はマリンちゃん次第だね。ホント……奇跡でも何でもいいから、勝って欲しいな……」

 

 

 テイオーも、マリンの引退に無念さを感じていた。彼女もかつて1度は、同じように引退を決意したウマ娘だったのだから。

 

 そして、今回もまたトレーナーはトウカイテイオーに助っ人を頼んだのだった。天才的なセンスを持つ彼女に、マリンの負担を限りなく減らした走りの研究を手伝って貰っていた。トレーナーの調査と併せて、何とか本番までに最低限の形には出来た感じだった。

 

 

「神様、仏様、シラオキ様……どうかマリンさんをお助けください……!」

 

 

 スペシャルウィークが祈りながらマリンを応援した。他の皆も同じ気持ちだった。

 

 

 

 

………

……

 

 

 

 

 レースはその後、特に順位が変動する事なく中盤を過ぎた。第3コーナーの手前、そろそろレースが動いてくる頃だ。

 

 ここまでマリンの走りに特に支障はない。その事に彼女を応援する皆が胸を撫で下ろしていた。

 

 しかし、油断は出来ない。マリンの心臓がどこまで耐えられるのか、それは誰にも分からないからだ。

 

 

 

 ダッダッダッダッダッ!!

 

   ダッダッダッダッダッ!!!

 

     ダッダッダッダッダッ!!!!

 

 

 

 足音が幾重にも重なって聞こえる。マリンはここまで自分がバ群について行けてる事に安堵する。しかし、裏を返せばついていくのがやっと、と言う事だ。ここから先、仕掛ける事が出来なければ後は置いて行かれるだけなのだ。

 

 

 バ場は荒れているが、マリンにとっては何も問題にならなかった。

 

 

 ウマ娘たちがお互いの出方を探っていた。自分よりずっと前方にいるアカネダスキも逃げウマ娘にプレッシャーをかけ続けているのが分かった。

 

 

「ハァッ、ハァッ、ハァッ、クッ、ハァッ!!」

 

 

(少し苦しい……でも、行ける!)

 

 

 脚はまだ十分に残っている。トウカイテイオーと練習した走りが効果を発揮しているようだ。これから第3コーナーを通過する。バ群はやや前方が団子状態。自分の位置は恐らく前から10番目くらい。ここから上げないと勝てない、だがそれは他のウマ娘たちも同じ。きっとぶつかり合う様な勝負になる。

 

 

(トレーナーさん……チームのみんな……クラスの友達……偉大な先輩たち……ダンスレッスンのみんな……おじいちゃん……ルリ……!)

 

 

 マリンの脳裏に、支えてくれた全ての人の顔が浮かんだ。勝ちたかった。その人たちの為に、この夢を乗せて、勝ちたかった。

 

 マリンは控室でトレーナーと別れる前に言われた言葉を思い出していた。

 

 

『マリン……何かあったらすぐに競争を中断して良いんだ。無茶はしないでくれ、どうか無事に……帰ってきて欲しい』

 

 

(ルリにも、同じことを言われた……でも、ごめんなさい。少しだけ、本当に少しだけ無茶をします。私は……勝ちたい……!)

 

 

 また脳裏に景色が浮かぶ。マリンの祖父が、縁側でかけてくれた言葉と共に。

 

 

『お前だけの道を進め、ミドリ。大丈夫だ、お前は俺が鍛えたんだ。お前はヤワじゃない、お前は走れる、思いっきりな』

 

 

 スゥゥとマリンは息を吸い込む。

 

 

(私は……走れる……ッ!!!)

 

 

 第3コーナーの終盤、マリンは勝負を仕掛ける。トレセン学園で過ごした輝く日々に応える為に。

 

 

 

……

………

 

 

 

 

『先頭はダンゴ状態のまま第3コーナーを過ぎた! まだお互い様子見か、ここから仕掛けてくるウマ娘はいるのか!』

 

 

 そして、実況アナウンサーの目に1人のウマ娘が映る。アナウンサーの声に期待と喜びの色が混じる。

 

 

『マリンアウトサイダだ!!! マリンアウトサイダが後方から先んじて仕掛けてきたぞ!!! 後続も上がってくる、レースは大混戦に突入しそうだ!!!』

 

 

 マリンの仕掛けるタイミングは完璧だった。宝塚記念での勝利という経験を積んだ彼女の戦略眼は、このレースでも十分に通じるレベルに達していた。

 

 その大奮闘に観客たちも盛り上がる。もしかすると、と期待が抑えられない。マリンの応援に来たウマ娘たちも声を張り上げる。

 

 前方のウマ娘たちも後方の空気が変わったのを感じたようだ。徐々にスパートに入る体勢を整えていた。

 

 

(あと少し……あと少しだけ保って……! ここから、ここからなんだ……!)

 

 

「うぁあああああああああ!!!」

 

 

 

 バ群の中をマリンが更に前へ進もうともがく。マリンは先頭集団にあと少しで追いつけそうだった。

 

 

 だが、『運命』は容赦なくその刻限を告げる。マリンの心臓は、ついに限界に達してしまった。

 

 

 

 

 ドドクンッ!!!

 

 

 

「ッ!!! ぐぅッ……!!!」

 

 

 

 ドドクンッ!!! ドドクンッ!!!

 

 

 

「クッ………ソオオオオオオオ!!!!」

 

 

 

 

 実況席、観客席から見えるマリンの姿が、目に見えて失速した。

 

 

 

『マリンアウトサイダ、苦しいか!? そこから先が伸びない!!』

 

 

 

 マリンは足掻いた。目の前のターフが闇に変貌しようとしていた。胸の苦しさと込み上がる恐怖を必死に抑えつけて、無理矢理脚を前に出し続けた。

 

 だが、身体が走ることを拒否し始めていた。トレーナーや他のウマ娘たちも、応援よりも心配の表情をしていた。ルリイロバショウは涙を流して、俯いていた。

 

 

 

『もう……もう十分だよ! 私は……命を賭けてまで、マリンに走って欲しくなんかない!!!』

 

 

 

 マリンの耳に、控室でルリが言っていた言葉が反響する。呼吸が乱れて、詰まったような声が混じり始めた。何もかもが、限界に達していた。

 

 

「ハァッ! ハァッ! カハァッ……! ハァッ!」

 

 

 

 

 

 (もう……十分なのかな?)

 

 

 

 

 マリンの脚は緩やかに減速していく。

 

 

 

 

 (私は……走れたよね?)

 

  

 

 

 マリンの腕が上がらなくなっていく。

 

 

 

 

 (先輩から預かった『夢』を叶えた

 

 ルリと交わした『約束』を果たした

 

 たった1度だけど、

 

 ダンスレッスンのウマ娘たちの『思い』を抱いて踊った

 

 私は全部に……報いる事ができたよね?)

 

 

 

 

 マリンの目の前が暗くなっていく。

 

 

 

 

(もう、十分だよね……私の『夢』は……果たしたよね? 私の旅は……ここで……)

 

 

 

 

 ここが終着だと、マリンは悟った。

 

 しかし……

 

 

 

 

(………………えっ?)

 

 

 

 

 闇の先に、『光』が見えた。

 

 それはゴールだった。

 

 第4コーナーを抜けたずっと先。

 

 なのに何故か、そこだけが明るくはっきりと見えた。

 

 

 

 

(……ああ……)

 

 

 

 

 何故、忘れていたのだろう?

 

 『レースウマ娘』としてのマリンアウトサイダの原風景。

 

 トレセン学園に転入するきっかけとなった景色。

 

 

 

 

(……そうだ……)

 

 

 

 

 ゴールの先に、緑色のパーカーを着た『誰か』が立っていた。

 

 

 

 

 

(私の……『願い』は……)

 

 

 

 

 

 マリンは光に向かって、手を伸ばした。

 

 

 

 まるで、星を掴もうとする少年のように。

 

 

 

 

 

 

………

……

 

 

 

 

 

 

『バ群を抜けて最初に駆けてきたのはアカネダスキだああああ!!!』

 

 

 レースは終盤に入っていた。アカネダスキは先行策の有利を活かしきり、2番手から3バ身話して直線に入った。観客席からは嵐のような応援の声が響いている。

 

 

『最終コーナーを曲がって最後の直線に入る! 中山の直線は短いぞ! 後ろのウマ娘たちは間に合うのか! ……え?』

 

 

 実況アナウンサーは目を疑った。アカネダスキの後から、更にバ群の隙間を縫うように駆け抜ける影があった。そのウマ娘は失速して争いからは外れたはずだった。誰の目から見ても、彼女は限界のはずだった。

 

 なのに……そのウマ娘は先頭集団に追い付いていた。それどころか、並ぶ事さえなく追い抜いて行く。緑色のパーカーを靡かせて、黒髪のウマ娘は全てを置き去りにするが如く疾駆していた。

 

 そのあり得ない光景に、観客たちは幻覚を見てるのかとさえ思った。マリンの応援に来ていた者たちも、一瞬呼吸の仕方を忘れていた。

 

 

 

『マ……マリンアウトサイダだあああ!!! マリンアウトサイダがバ群を掻き分け2番手で直線に入ったあああ!!! 先頭との差は凡そ3バ身、宝塚記念とは逆にアカネダスキを追う形だあああ!!!』

 

 

 

 ゾクリと、アカネダスキの背に冷たいものが走った。その気配には覚えがあった。だが、彼女はここまで禍々しいほどに威圧的ではなかった。

 

 

(だけど、んな事どうでもいい……大事なのは、本気で楽しめるかどうかだ! アンタはやっぱり飽きさせてくれねえ)

 

 

「いいぜぇ……! やっぱり最高だよ、アンタ! 勝負だ、マリンアウトサイダ……今度こそ勝つのは俺だあああ!!!」

 

 

『アカネダスキがスパートをかける!!! マリンアウトサイダは既にギアを上げ切っているようだ!!! まだどうなるか分からない、分からないぞ!!!』

 

 

 トレーナーも『シリウス』のメンバーも、覇王世代もBNWも、黄金世代の4強も、シンボリルドルフたちも、ルリイロバショウも皆、冷や汗をかいていた。

 

 何故なら、どう見てもマリンの走りは身体の限界を超えて、入ってはならない『領域』に踏み込んでいたからだ。

 

 

 だけど皆、目が離せなかった。マリンの走りには異質だが、美しく、そして……悲しい雰囲気があった。

 

 

「何だコレは……まるで鎮魂歌(レクイエム)のようだ」

 

 

 テイエムオペラオーの目には、彼女が多くの悲しみを浄化しながら走っているように見えた。

 

 

 

 

 ルリイロバショウは叫びたかった、「もう走らないで!」と。それ以上走ったら、マリンが帰って来ない予感がしていた。

 

 だけど、同時に彼女はトレセン学園で勝負した時に見たマリンを想起していた。

 

 マリンアウトサイダというレースウマ娘の背中を『綺麗』だと思った、あの時の感情が蘇っていた。

 

 

 

 「走れ……」

 

 

 ルリは思わず呟いていた。

 

 

「走れえええええ!!! そのまま行けええええ!!! マリーーーーーン!!!」

 

 

 涙で滲む視界の中、ルリは確かに見た。

 

 

 そこには、『夢を翔ける』ウマ娘が居た。

 

 

 

 

……

………

 

 

 

 

 アカネダスキは全身全霊で疾走している。だが、背後の気配は更に詰め寄ってくる。彼女は理解できなかった、限界を超えた先の『領域』を走るマリンを。

 

 

(これが本当に、あのマリンアウトサイダなのか!? 何故、どこにこんな力が!?)

 

 

〜〜〜〜〜

 

 ウマ娘の存在しないとある世界……そこには、かつてマリンアウトサイダという競走馬が居た。有馬記念を駆け抜けたその牝馬について、ある人物が語っていた。

 

 曰く『頭の良い競走馬はその全力を10とすると、6か7くらいの力しか発揮しないで勝つ。その賢さゆえ、手の抜き方を知っているからだ。だが、あの有馬記念でマリンアウトサイダは……11を出した。その命を燃やして、限界を超えて走っていた』……と

 

〜〜〜〜〜

 

 

『まるで流星だ、黒い流れ星だ!!! マリンアウトサイダがアカネダスキを捉えたあああ!!! 並ばない、並ばない!!! こんな展開、誰が予想できたでしょう!? マリンアウトサイダが、ついに先頭に躍り出たあああ!!!」

 

 

 

 中山レース場の観覧席にへの通路の出口の近く、そこにスーツ姿の老人、角間源六郎が立っていた。

 

 彼はずっとこのグランプリレースを見ていた。陰からひっそりと見守るように。彼女の走りを見届ける為に。

 

 源六郎は走るマリンの姿を初めて直接見た。今までのレースは映像だけで見ていたが、このレースはこの目で見なければならないと、マリンに隠して中山レース場に足を運んでいた。

 

 

 そして……駆ける彼女の姿を見て、満足そうに呟いた。

 

 

 

「そうだ、それで良い。

 

 行け、『マリンアウトサイダ』

 

 そこが……お前だけの旅路(みち)だ」

 

 

 

 源六郎は、初めて彼女の名前を呼んだ。

 

 その声は観衆の声援にかき消されたが、確かに彼女に届いていた………

 

 

 

 

 

………

……

 

 

 

 

 

 

「ああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!」

 

 

 マリンは走った。限界を超えて、極限を超えて、このゴールの先に誰よりも早く辿り着く為に。

 

 

 その命を燃やし尽くして、駆け抜けたのだ。

 

 

 

 彼女だけの……旅路(みち)を。

 

 

 

 

『今、マリンアウトサイダが1着でゴールイーーーーーーン!!! レコードです!!! この雨天の中、レコードタイムを0.4秒更新して、格闘ウマ娘であり、レースウマ娘でもあるマリンアウトサイダが『有記念』を制したあああ!!! 『宝塚記念』に続いて、グランプリレースを2連覇、これをフロックと呼ぶ者はいないでしょう!!! 今年最後のG1レースの覇者は、マリンアウトサイダだああああああ!!!』

 

 

 

 観衆が過去に例を見ないくらいに、大声と絶叫でマリンアウトサイダを讃えていた。観客は総立ちだった。彼女のあまりの凄まじい走りに、座ってなどいられなかった。

 

 そんな中で、アグネスタキオンは信じられないものを見た表情で立ち尽くしていた。

 

 

「……なんてものを目撃したのだ、私は。あれは、本当にウマ娘の走りなのか?」

 

 

 タキオン自身も自分の言葉が理解できなかった。それほどまでに、マリンの走りは異質だった。

 

 

「ん……カフェ、一体どうしたんだい?」

 

 

 マンハッタンカフェも同じ様に立ち尽くしていた。しかし、彼女はレース場ではなく空を見上げていた。その目には涙が溢れていた。

 

 

 

「『お友達』が……泣いています」

 

 

 

 マンハッタンカフェの目にはレース場から舞い上がる無数の光の球が見えていた。悲しい輝きを発していたそれらは一際輝いたあと、次々と空へと昇って行った。

 

 彼女にはそれが何なのか全く分からなかった。まるでこの世界の光景ではないような気がしていた。

 

 

「まるで……『供養』……マリンアウトサイダ、あなたは一体……っ!?」

 

 

 突然、彼女は最前列へ向かって走り出した。アグネスタキオンも慌てて彼女を追いかけた。

 

 

「すみません……! 通してください!」

 

「カフェ!? 一体どうしたんだ!? カフェ!!」

 

 

 マンハッタンカフェは最前列の柵から身を乗り出して、レースを終えて立ち尽くすマリンを見た。

 

 

「ッ!!! ………っ」

 

 

 そして、悲痛な表情を浮かべた後に目を逸らした。

 

 

「カフェ、本当にどうしたんだい? あの娘……マリンアウトサイダに、何かあったのかい」

 

「彼女は……」

 

 

 マンハッタンカフェは震える声で答えた。

 

 

「彼女の魂は……もう……」

 

 

 

 

 

……

………

 

 

 

 

 

 ザァァァーーー……

 

 

 

 雨が降っている。

 

 レース開始から降り始めていた雨は、マリンがゴールしてから更に強まっていた。

 

 まるで祝福するかのように、まるで泣いているかのように。

 

 

 

 

 

 

「……会い……った」

 

 

 

 マリンアウトサイダは虚空に向かって、手を伸ばした。

 

 

 

「ずっと……て……た」

 

 

 

 力無く、1歩を踏み出す。

 

 

 

「ど……にも……なかっ……た」

 

 

 

 彼女の伸ばした手は……空を切る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おと……さ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドシャリ、と糸が切れたように、マリンは地に膝を着いた。

 

 彼女の身体は、左肩からゆっくりと濡れたターフに倒れ込む。

 

 『シリウス』のメンバーも、覇王世代も、BNWも、シンボリルドルフも、皆何かを叫んでいる。

 

 

 

 

 雨は、冷たく降り続いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 彼女の物語は終わりではありません。どうか、最後まで見守ってください……
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