【完結】流れ星の転校生~とある武術家ウマ娘がトレセン学園に転入する話~ 作:カンヌシ
都内のとある病院の待合室で、トレセン学園生徒会会長、『皇帝』シンボリルドルフが長椅子に腰掛けている。その様子はいつもの英姿颯爽な雰囲気は無く、俯いて悔恨に両手をキツく握り締めている。
陽はとっくに落ち、病院の面会時刻もそろそろ終わる頃だった。他のウマ娘が寮の門限で帰った後も、ルドルフはそこに残り続けた。胸の中の重石が、彼女をその場から動かしてくれなかった。
コツ、コツ、とリノリウムの床に足音が響いた。ルドルフがその音のする方に目を向けると、マリンアウトサイダの保護者である老人が歩いてきていた。彼女はすぐに立ち上がり、老人に頭を下げる。
「お久しぶりです、角間氏」
「久しいな、シンボリルドルフ。ドウザンがバカやらかしたあの時以来か?」
「光陰如箭……ええ、あれからもう2年程経ちますか。その節は大変お世話になりました」
シンボリルドルフは老人と向き合うと、目を瞑り再び頭を下げた。それは挨拶ではなく、謝罪をする深さであった。
「この度は、お孫様のマリンアウトサイダについて、心からお見舞い申し上げます。そして……申し訳ございませんでした。この事態は、予見できたはずでした。私が生徒会長の権限を使ってでも止めるべきだったかもしれません。ですが、私には出来なかった。レースを走る彼女の姿を見たかったばかりに……」
老人はふむ、と頷く。
「座りなされ、シンボリルドルフ。『皇帝』が簡単に頭を下げちゃあいけねえよ」
老人が長椅子に腰掛ける。遅れてルドルフも躊躇いがちに腰掛けた。
「……失礼します」
ギギ……と金具が音を立てる。暫く2人は無言のままだった。ルドルフは、レース場での事を思い返していた。
マリンアウトサイダがターフに倒れた後、彼女は待機していた救急車によって直ぐに都内の病院へと搬送された。事前に彼女の心臓については知らされていたので、救助隊がいつもに増して迅速に対応できるよう配備されていたのが幸いしたのだ。
危険な状態だったが、彼女は辛うじて一命を取り止め、現在も集中治療室にて治療を受けている。予断は許さない状況であると医師からは告げられた。
「そう難しい顔するんじゃない、アイツは大丈夫だ」
老人がルドルフに言った。
「……っ、しかし」
「アイツの背中を押したのは俺だ。そして走る事を選んだのはアイツだ。お前さんに責任はミジンコ程も無えよ」
老人はルドルフの眼を覗き込む。同じようにルドルフも老人の目を見つめ返した。不思議だった。その老人の目には不安の色は一切無かった。明鏡止水、まさにその境地に達した武人の眼だった。
ルドルフはいつの間にか、安堵している自分に気が付いた。彼は自分の孫娘が危険な状態であると言うのに、何故こんな眼をしていられるのだろうか。
そんな事を思っていると、不意にルドルフの頭にポンと老人の手が置かれた。そのまま彼は優しく労わるようにルドルフを撫でた。その手は幾千もの修羅場を超えて生き抜いた武人の手だった。そして、多くの苦しみも悲しみも知っている手だった。撫でられる毎にルドルフの心から緊張と罪悪感が消えていった。
「お前さんは気負い過ぎだ。『皇帝』と呼ばれていようが、俺からしちゃまだまだ子供だ。手が届かなかったからと言って要らん罪悪感は抱かなくて良い。自分の手の届く『間合い』を把握しな。武術と同じだ」
「……はい」
老人はルドルフから手を離して、続ける。
「ミドリなら大丈夫だ。俺が鍛えたんだ。そんなヤワじゃあねえ」
「……すみません、本来なら私の方が彼女の家族である貴方を励まさないといけないのに。私の方が元気づけられてしまいました」
「『老成持重』ってやつだ。年季が違うさ」
老人の言葉で、ルドルフは表情を和らげた。マリンの容態への不安は拭えないが、ここで項垂れていては『皇帝』として彼女に顔向けできない。
「お前さんはそろそろ帰りな。門限はとっくに過ぎてんだろ」
「……後少しだけ、少しだけここに居ても……良いでしょうか?」
老人はチラリとルドルフを見て、腕を組んで背もたれに寄りかかる。
「まぁ、好きにしな……」
再び、待合室に沈黙が訪れた。ルドルフも老人も、ここに居ない者たちも皆、ただひたすらにマリン為に祈っていた。
彼女が帰ってくる事を、待つ事しか出来なかった。
……………
…………
………
……
…
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
…
……
………
…………
……………
「…………………んぅ」
陽の眩しさに黒髪のウマ娘は目を覚ます。いつの間にか眠っていたみたいだ。マリンはゆっくりと身体を起こして眼を擦る。そよ風が草と土の匂いを運んで来た。鳥の鳴き声も遠くから聞こえてくる。
「……あれ、何で私……?」
ぼんやりした意識で、マリンは自分が屋外に居る事に気付く。服装は普段着として実家で着ている薄手の袴だ。外で無防備に寝るなど、いつもならあり得ないのはずなのに。
「んん……んっ!? あれ、パーカーは!? どこ、どこに!?」
マリンは外出するなら必ずパーカーを身に付けていた。自分の周囲をキョロキョロと探すが緑色のパーカーは見当たらなかった。
「どこ!? どこかに置いて来たのか……って、ここは……どこ?」
マリンが遠くまで見渡そうとして立ち上がると、そこは自分の知らない場所だった。草原が広がっていて、遠くの方には雑木林がある。少し先に車が通った轍の残る畦道が丘を越えて続いていた。
「どこだろう、ここ? 知らない場所のはずなのに……『懐かしい』。草と土の匂いも、鳥の声も、花の色も……何で……」
マリンはゆっくりと歩き出す。パーカーはこの辺りには見つからない上、じっとしている理由も無い。とりあえず、畦道に沿って先に進む事にした。
………
……
…
不思議な感覚だった。知らない場所なのに、この先の『目的地』に向かって自分は歩いている。この道の先に何があるのか分からないのに、そこを目指さなければならないと何かが自分を急かしていた。そして、道の先に何やら建物らしきものと、柵に囲まれた広場のような物が見えた。
「ここは何だろう。牧場……? でも、牛も羊も飼われていない。誰か居ないのかな」
マリンはとりあえず進む事にした。人が居ないか確かめようと、広場の柵に沿って歩き続けた。ここは何か動物を放牧する施設なのだろうか。バケツや綱、飼料箱などが置いてある。他にも何に使うのか分からない物も沢山あった。マリンは興味深げにそれらを少し眺めると、さっさと歩いて行った。
「あれ、ここって……坂路?」
更に奥まで行くと、広場の横に何やら整地された一本道が遠くまで続いていた。まるでトレセン学園の坂路トレーニングコースの様な印象を受ける。しかし、その場所はウマ娘が使う場所としては大雑把過ぎた。もっと大きな動物が走っていく為に作られた感じがした。
それなのに、何故か無性にそこに懐かしさを感じた。かつて自分はそこで走った事があるような……
そんな思案をしていると、背後から2人の男性の話し声が聞こえた。マリンは耳をピコピコと動かした。それはゆっくりとこちらに近づいて来ているみたいだった。
マリンが振り向くと、いつの間にかすぐ側に2人の男性が立っていた。マリンは驚いてビクンと身体を震わせるが、その2人はマリンを見るとホッとした様な表情になった。
1人は古ぼけたジャンパーを着ている初老の男性、もう1人はスポーツジャケットにジーンズを着た若い男性だった。2人はマリンの事は認識しているようだが、マリンには話しかけずに2人で会話を始めた。
「やっと見つけたよ。コイツ隙を見せたらすぐに脱柵するんだ。地頭が良いのに気性も荒い、調教師泣かせな馬だよ、全く」
(ウマ……調教師……? 何のことを言っているのだろう)
「ははは……まあでも、頭が良い分コースも直ぐに覚えてくれるのはありがたいですよ。■■■■君と会えば、暫くは大人しくしてくれるでしょう。今日、彼ここに来てるんですよね?」
「えっ…………」
ドクンとマリンの心臓が鳴った。よく聞き取れなかったが、自分はその人物を知っている気がした。
「すみません! 今、誰とおっしゃいましたか!? もう一度……もう一度お聞きしても……」
マリンが話しかけても、2人は聞こえていないかのように会話を続けていた。すると若い方の男性が額に手で日除けを作り、草原の方を見つめ出した。
「ああ、居ましたね彼。ほら……向こうの方に」
「え……?」
ピューーーイ!
と、指笛の音が聞こえた。その瞬間、またマリンの心臓がドクンと鳴った。彼女はその音を知っていた。『あの人が来たんだ』……何故だかそう強く強く思った。
マリンは音のする方をゆっくりと向いた。その視線の先には……
緑色のパーカーを着た『あの人』が立っていた。
「あ……ああ……っ」
マリンは震え出した。心臓が飛び跳ねている。呼吸が上手く出来なくなる。目の裏が熱くなってくる。
「あっ……あぁ…………」
歩き方すらも忘れてしまったかのように、脚が動かなかった。それくらいの衝撃をマリンが襲っていた。
彼女の横で初老の男性が「ほら」と、初めてマリンに言葉をかけた。
「行ってこい、『マリンアウトサイダ』」
ダッ……
ダッ……
ダッダッ……
ダッダッダッダッダッ……!
マリンは『あの人』へ向かって駆け出した。最初はもつれるようだった走りも、次第にしっかりとした走りに変わった。
だがそれは、レースの為の走りではなかった。娘が父親に向かって駆けていくような、心のままにただ前に進む為の走りだった。
マリンは思い出した。
「はぁっ、はあっ……んくっ……はぁっ!」
走りながら、マリンの目から涙が溢れていく。彼女はただがむしゃらに脚を前に進めている。
「はあっ、はあっ……! 会いたかった……!」
『あの人』の顔が見える。幻なんかではなかった。
「ずっと……探してた……!」
視界がぼやけても、構わず走る。
「どこにも……居なかった……!」
彼は両腕を広げて待っていた。
「おとうさんっ……!!!」
マリンアウトサイダは、その腕の中に飛び込んだ。
…
……
………
「おとうさんっ……おとうさん、おとうさん、おとうさん……!」
涙声を上げて、マリンは彼の胸に顔をすり寄せる。それは競走馬だった彼女がいつも彼にしていた仕草だった。
「会いたかった……ずっと探してた……! ずっと待ってた……おとうさん……おとうさん……!」
そう父を呼び続けるマリンを、彼は力強く腕の中に抱き締める。マリンは彼の匂いに、体温に、確かに包まれていた。ずっと求めていた彼に、やっと会えた。その温もりを全身で感じていた。
「……ごめんな、マリン。会いに行けなくて、本当にごめん。でもずっと見ていたよ。マリンの走る姿をずっとずっと、な」
マリンを包む彼の腕に力が篭もる。マリンは子供のように声を震わせて泣いた。
「おとうさん、おとうさん……おとうさん!!! うあああああああああ!!! ああぁ……あああああぁぁぁ……!!!」」
彼はマリンが思いを吐き出して落ち着くまで、彼女をその胸に抱き続けた。
「おとうさん……私、走ったよ。たくさん勝てば、おとうさんが来てくれると思って……でも、走れなくなっちゃった……走ると胸が苦しくなって……それでも会いたくて、会いに来て……欲しくて……!」
彼はマリンの頭を宝物に触れるように、優しくゆっくりと撫でる。
「ああ、分かっていた。お前は才能に溢れる馬じゃなかったのにな……頑張ったな、マリン。お前は他のどの馬よりも頑張った……頑張っていた」
「おとうさん……おとうさん……!」
マリンはより深く、彼の胸に顔をうずめる。この温もりをずっと求めていた。ずっと感じていたかった。彼はその温もりのままの声でマリンに言う。
「お前の走りは、届いていたよ……悲しい結末しかなかった馬たちにも……無念に沈んだ馬たちにも……ほら、見てごらん」
彼は優しくマリンの肩に手を置いて彼女を離す。マリンは名残惜しそうに彼の胸から顔を上げる。そして、周囲の景色がいつの間にか変わっている事に気付いた。
「これは……この光は……」
マリンと彼は真っ暗な空間に無数の光が漂う不思議な場所にいた。まるで宇宙の中を浮いて立っているみたいだった。ずっと遠くまでその光は続いていた。
マリンがその光を見つめていると、彼女の周囲に幾つかの光が集まって来た。その中の1つの光がマリンを労わるように、愛しむように擦り寄った。それに続くように、小さな光たちが彼女の周りをくるくると回った。マリンは知っていた。その光の温もりを……
「おかあ……さん? みんな……あ、あああ……う、うぅああ……!!!」
マリンはその光に抱き締める。二度と会えないと思っていた……母の温もりを感じた。共に牧場で育った子供たちとも、また一緒になれた。
「ごめんなさい……!!! 私だけが……私だけが!!!」
それを聞いて、彼が再びマリンの頭を撫でて抱き寄せる。
「違う、謝らないで良いんだ……お前のせいじゃない、マリン。仕方のない事なんだ。あの世界では、心無い決断を下さなきゃならない時もあるんだ。どうしようもなかったんだ」
彼はマリンの頬に手を当てる。
「だけどお前は、そんな暗く狭い世界を走り抜いた。この子たちの分まで、立派に走ってくれた。それだけで良いんだ。お前の走りは、多くの悲しい競走馬たちの供養になれた。謝る必要なんてどこにも無いんだ、マリンアウトサイダ……俺の愛馬」
「ぐすっ……うぁ……ぁあああ……!」
マリンはその光の1つ1つと触れ合う。光たちはマリンに触れる度に一際強く輝いた。再会を喜ぶように、彼女に感謝しているように。そしてマリンは再び彼と向き合い、抱きついた。
「おとうさん……今度はずっと一緒だよね? 私はもう、離れたくない……!」
彼は少し寂しそうな顔をして、子供を諭すようにマリンに語りかけた。
「マリン、よく聞いてくれ。俺は……今はお前と一緒には居られない」
「っ!? どうして、やっと会えたのに! やっと、やっと……」
すると、彼女の後方から声が聞こえた。それは段々と数を増やしていき。ついには合唱のようにマリンを呼ぶ声の束となった。
マリンは振り返った。すると、立っている場所よりもずっと下の方、そこにオレンジ色に眩しく輝く光の渦があった。まるでトンネルのようだった。そして、その奥から、老人や幼馴染み、トレセン学園で出会った仲間たちの声が聞こえてきた。
「あれは……『みんな』の声……」
「マリン……その世界で、その人たちはずっとお前を心配している。お前の為に祈っている。帰って安心させなきゃ駄目だ」
「っ! でも……でもっ! 私はおとうさんと一緒に居たい! ずっと、ずっとそれを願ってた……!」
彼は真っ直ぐにマリンの瞳を見つめる。少しだけ厳しい顔つきになって言う。
「マリン……お前は、あのハルウララとライバルになったんだろう。そして、いつか勝負をすると約束しただろ。喧嘩の約束をすっぽかしてここに来てるんじゃない、バカ娘」
ピシッと彼はマリンにデコピンをする。「イタッ」と小さく声を上げた彼女を、彼は再び抱き締めた。
「マリン……俺は『ウマ娘』のお前には、走るだけじゃない、色んな生き方を知って欲しいんだ。『自由』に生きて欲しい。それが俺の願いなんだ。その世界には、お前にそれを教えてくれる先達が沢山居るだろう。生きてくれ……俺の分まで、もっと自由に」
「おとう……さん……」
「ああ、ただ……これは置いていけ。俺も同じようなモノを持ってるんだ。2つ持つくらいどうって事ない」
そう言って、彼はマリンの胸に手をかざした。「あ……」と言う彼女の胸から青黒い光が抜け出てきた。マリンは胸から一切の苦しさが消えた。彼がそれを引き受けてくれたのだと、理解した。
「もう時間だな……マリン、どうか生きてくれ。お前はまだ、思いっきり走って良いんだ」
マリンの目からまた涙が溢れる。すると、彼女の身体はフワリと浮かび上がった。オレンジ色の光の渦に、ゆっくりと落ちる様に吸い寄せられる。
「待って……待って、おとうさん! もっと、一緒に居たい……!」
「マリン……聞こえてくる声に耳を澄ませてみるんだ。みんな、お前を待っているぞ。大切にするんだ、お前がその道で得たものを全て」
マリンの耳に、『みんな』の声が聞こえてくる。懐かしくも輝かしい思い出が胸いっぱいに溢れてくる。みんなの所に戻りたい、その思いも確かに本物だった。
だから、マリンは叫んだ。誰よりも彼女を愛してくれた若き厩務員に向かって。
「おとうさんっ!! 私の旅路は、きっと貴方に……おとうさんに繋がっているから! だから、いつか……また……」
その言葉に、彼は微笑んで答える。
「ああ、いつか……な。だけど今は『寄り道』をしろ。お前にとって大切なものが、そこにあるはずだ。そう教わっただろう? マリンアウトサイダ」
マリンの身体が光の渦に落ちていく。眩しさで、彼の顔が見えなくなっていく。
「おとうさん……! おとう……さん……」
マリンの意識は光の中に溶けて消えていった。マリンが最後に見たのは、寂しそうだが、同時に満足そうな顔で微笑む父親の姿だった……