【完結】流れ星の転校生~とある武術家ウマ娘がトレセン学園に転入する話~ 作:カンヌシ
コンコン
病室のドアがノックされる。その引き戸がガララを音を立てて開くと、1人のウマ娘が入ってきた。
「失礼するわ……マリンさん」
トレセン学園の制服を身に付ける、ウェーブのかかった美しい栗毛色の髪、両耳に青色のカバーをして右耳に緑のリボンを付けた『一流』な風格を放つウマ娘……キングヘイローはゆっくりと病室のベッドへと近付いた。
「感謝しなさい。今日はこのキングヘイローがお見舞いに来てあげたのよ。感涙に咽び泣く権利をあげるわ」
キングヘイローはいつもの高飛車な様子ではなく、静かに語りかけるような口調だった。彼女の視線の先には……目を閉じて眠る黒髪のウマ娘がいた。
彼女を見つめるキングヘイローの目が一瞬潤んだ。心配そうに口をつぐむ。しかし、彼女は気合を入れて直ぐに凛々しい表情に戻る。
「さあ、マリンさん。日課のストレッチをやっていくわよ。このキングが『一流』に施してあげるわ!」
そう言って、キングヘイローはマリンの脚をマッサージした後に、慎重に膝を持ち上げたり、股関節を伸ばしたりと、整体師から教わったストレッチを施していく。これはマリンの身体の筋肉の衰えを少しでも遅める為の施術だった。希望したウマ娘たちが交代交代で毎日お見舞いに来て、眠り続けるマリンの面倒を見ていた。本日その役目を務めるのはキングヘイローだった。
キングヘイローはマッサージとストレッチの最中、ずっとマリンに話しかける。学園の様子や、自身のレースの事、そして皆がマリンの回復を待ち侘びている事などを絶え間なく話し続けた……
………
……
…
一通りの施術が終わり、キングヘイローは花瓶の花に水をやると窓の外の景色を眺めた。青空が広がり、街並みの所々に深緑色の木々が並んで見えていた。
あの有馬記念から、既に約3ヶ月の月日が流れていた。冬を越して、季節は春へと移り変わっていく途中だった。トレセン学園には新年度の新鮮な空気が満ちていて、新たな希望を胸にその門を潜るであろう新入生たちを迎え入れる準備をしていた。
キングヘイローはゆっくりと振り返り、窓枠に手を置いて寄り掛かる。マリンに聞こえるように、ポツポツと語り始める。
「……マリンさん。外の景色は見たくないかしら? そろそろ河川敷の桜並木に花が咲き始めるわ。きっとウララさんの瞳みたいな、綺麗な桜の花が……」
キングヘイローは目を細める。その表情には悲しみの色が滲んでいる。
「ウララさんが去年、この病室に来た事は覚えているかしら?」
キングヘイローは思い出す。ハルウララと共にこの病室へマリンに会いに来た時の事を。ハルウララはマリンをじっと見つめて、そして笑顔で振り返ってキングヘイローに言った。
〜〜〜〜〜
『キングちゃん、アタシね、これからトレーニングもっと頑張るよ。マリンちゃんといつか勝負するって約束したからね! いっぱいいっぱいトレーニングして、マリンちゃんに勝ちたいんだ!』
キングヘイローはその笑顔に息が詰まった。
『だからアタシ、もうここには来ない。有馬記念を勝ったマリンちゃんに勝つには、もっともっと、今よりももっとたくさんトレーニングしなきゃ。宝塚記念の時みたいに、マリンちゃんは絶対……約束を守ってくれる娘だって、知ってるから』
〜〜〜〜〜
グズッと病室に啜り泣く声が響く。キングヘイローはその目に涙を浮かべていた。昏睡状態が3ヶ月も続くと、覚悟を決めなければならないと医師は言っていた。
「あの娘……あれからずっと、トレーニングしてるのよ。今までにないくらい一生懸命に頑張ってるの。必ずマリンさんと勝負をするんだって、早起きが苦手なあの娘が目覚まし時計を沢山買ってきて早朝トレーニングをしてるのよ? フフッ、お陰で毎朝うるさくて仕方ないわ」
涙を拭うと、キングヘイローは窓際から移動して、椅子をベッドの側に寄せて座る。マリンの顔を覗き込んで、彼女の手を両手で優しく握った。
「みんな、貴方が帰ってくるのを待ってるのよ。『シリウス』のトレーナーとウマ娘たちも、貴方のお友達も、ウララさんだってずっと……目を覚ましてよ、マリンさん……っ! お願い……お願いだから……」
ポタリとキングヘイローの涙がマリンの手にこぼれ落ちた。
すると、マリンの手が微かに握り返した気がした。キングヘイローは気のせいだと思った、しかし……
ピクン、ピクンとマリンの指が動いた。キングヘイローは目を見開いて、マリンの顔を今一度覗き込む。
マリンは瞼を揺らして、微かに目を開けていた。微睡む様に目を動かしている。
「嘘……マリンさん……マリンさん? 私の事が分かる!? キングヘイローよ!! 大変っ……!! とにかく、か、看護師さん!! それとお医者様!!」
誰かー!マリンさんが!マリンさんが!とキングヘイローは病室を出て大声で助けを呼んだのだった……
窓の外の鳥たちは変わらぬ調子で、春の陽気の中で唄っていた。
ーーーーーー
コンコン
ノック音がして、病室のドアが開かれる。ドアが開く前から騒がしい雰囲気があったが、開けるとなお騒がしかった。
「マリンさーーん!! お見舞いに来ました!! 今日はなんと、『シリウス』のみんなで来ちゃいました!! あ、でもトレーナーさんだけどうしても外せない会議があるそうので、ウマ娘だけです!!」
「スペちゃん、元気なスペちゃんは私も好きだけど、ここ病院だからもう少し静かに……」
そんな元気いっぱいな声で入って来たのは『日本総大将』スペシャルウィークだった。その後ろにゾロゾロと他のウマ娘たちも続いている。
マリンが目を覚まして2週間と少し過ぎた。『シリウス』のメンバーは毎日誰かが必ずお見舞いに来ていた。
「おーーっし、マリン! 今日はこの前よりももっと凄えボドゲを持って来たぞ! ナント最大40人で遊べちまうんだ! アタシが39人役を演じるから、マリンは1人な! 39人居れば誰か1人はマリンに勝てるだろ! 今日こそはその連勝記録をストップさせてやるぜえ…………ってアレ? マリンの奴どこだ?」
「あら、確か看護師の方はこちらに居るとおっしゃってましたが……まだリハビリから戻っていないのでしょうか?」
ゴールドシップとメジロマックイーンがピコピコとシンクロして耳を動かした。何故だか血が繋がっているのかと疑うくらいに彼女たちの仕草は似ていた。
「ええー、マリンさんどーしたのかな?」
「お手洗いに行ってる……かも?」
「待っていればそのうち来るだろう。その間に林檎でも食ってるか」
「ブライアンさーん、それお見舞いの品物だからマリンさんが来てからですー!」
病室は一瞬にしていつもの『シリウス』のトレーナー室と化した。マリンはこの雰囲気にいつも心を和ませていたが、本人はここには居ない。皆が首を傾げていると、外からパタパタと誰かが部屋の前に来て、ドアを開けた。この病院の看護師だった。
「すみません! マリンアウトサイダさんはもう戻っておられますか!?」
「い、いえ……私たちも先程来たばかりで」
マックイーンが答えると、ハァ〜とため息をついて看護師は疲れた顔をして言う。
「マリンアウトサイダさん、また病院から脱走したみたいです……今週の入ってから2度目ですよぉ。もう塀を飛び越えられるくらいに回復したのは喜ばしい事ですが、大人しくしていて欲しいのに……(泣)」
「「「「「え……えええええ!?」」」」」
シリウスのウマ娘たち(の数名)が驚嘆の声を上げた。ブライアンはボリボリと林檎を丸齧りしていた。
………
……
…
ほぼ同時刻、トレセン学園の正面門から1人のウマ娘が外周トレーニングを開始しようとしていた。頭に濃いピンク色の鉢巻をして、トレーニングウェアを着た小柄なウマ娘だった。
目に桜模様が浮かぶ彼女の名は『ハルウララ』。まさにこの季節を身に体現したウマ娘だった。
「よぉ〜し! 今日は河川敷の方まで走っちゃおう! 桜が満開に咲いてるかもしれないしね! うーん、鉢巻うまく結べてるかな? 髪を結ぶリボンも切れちゃったし、いつもキングちゃんに上手にやって貰ってたからなぁ」
そう、ハルウララは一点だけいつもと違う所があった。ポニーテールではなく、髪を下ろした状態で鉢巻を巻いていた。その鉢巻も上手く巻けていなかった。何度キュッと締め直しても、どうしても少し緩んでしまうのだった。
「まっ、きっと大丈夫だよね! しゅっぱーつ!」とハルウララは元気に駆け出す。河川敷へ向けて、彼女のタッタッタッタッと軽快な足音が段々と遠ざかっていった。
…
……
………
それより少し後の時刻、太陽が南中するまではまだ時間がかかりそうな時分。
青空が澄み渡る長閑な風景を、黒髪のウマ娘が散歩していた。彼女は病院から少し離れた河川敷の歩道を歩いていた。
彼女の名は『マリンアウトサイダ』、トレセン学園の制服の上から緑色のパーカーを着て、病院から脱走してきた身なので顔を隠す為に頭にパーカーのフードを被っていた。ヒト用のパーカーなので耳は軽く押さえつけられている。
制服はチームメンバーに病室に持ってきて貰ったものだった。その他にも色んな雑貨を(主にゴルシが)持ってくるので、病室はまるでテーマパークみたいになっていた。それも楽しいのだが、流石にずっと閉じこもっているのは性に合わなかったので、マリンはこうして病院を抜け出してきたのだった。
「わぁ……凄い、本当に綺麗だ。キングさんが言ってた通りだ」
フードを外したマリンの目には、満開の桜並木が映っている。お見舞いに来ていたキングヘイローから話を聞き、彼女は無性にこの桜を見たくなったのだった。病院にはまだ暫く入院しなければならないとの事なので、今見る機会を逃してはいけないと思ったのだ。
ビョオオオ……と風が吹き、それが桜の花びらを何枚か運んできた。マリンはフワフワと飛んできた1枚を右手で掴んだ。手を開いて見ると、綺麗な薄桃色の花びらが手のひらを転がっている。病室では感じられなかった『春』がそこに在った。
また風が吹き、手のひらの花びらもフワリと風に乗り、その仲間たちと一緒になって飛んで行った。マリンはその光景をどこかで見たような気がしていた。
「そっか……いつの間にか、春が来てたんだ……」
マリンはまた少し歩いて、一本の桜の木の下に設置されたベンチに腰掛けた。背もたれに寄り掛かると脚が楽になり、深く息を吐いた。思っていたよりも、この散歩は身体に負荷がかかっていたらしい。ウマ娘の肉体とは言え、3ヶ月以上も動かなかったとなると体力は大分衰えている。これでも脅威的な早さで回復しているのだが。
「ふぅぅぅ……また修行のやり直しだな。後、トレーニングも」
マリンはベンチで暫く休息を取ってから病院に戻る事にした。目を閉じて、耳を澄ませる。まるで自分が周囲の環境と一体になったかのように感じた。
風の音、鳥の鳴き声、川のせせらぎ、車のエンジン音、自分の呼吸音、遠くで女の子が「待ってぇ〜〜!」と叫ぶ声……段々とそれが近付いてきている。
「……ん?」
マリンは瞼を上げる。声のする方を見ると、濃いピンク色の帯のような物がヒラヒラと風に舞ってこちらに飛んできてきた。
マリンは無意識に手を伸ばしてそれを掴んだ。それにはどこか見覚えがある気がした。
「おーーーい、捕まえてくれてありがとーー! それアタシのなんだーー!」
タッタッタッタと軽快な足音が近付いてきた。マリンはその声を知っていた。仲の良いウマ娘たちの中で、マリンは目覚めてから唯一そのウマ娘には会っていなかった。ダンスレッスンの仲間たちがお見舞いに来た時も、彼女だけは来なかった。
そのウマ娘は、ベンチの横で立ち止まった。マリンは座ったまま、彼女の方を向いた。そこにはトレーニングウェア姿の……マリンのライバルが立っていた。
髪を下ろしていて、鉢巻もしていない彼女は、マリンには一瞬見知らぬウマ娘に見えた。しかし、その桜のような瞳は決して見間違える事はなかった。
「……ハルウララ……」
「……マリンちゃん……?」
プルプルとハルウララは震え出した。そして……
「マリンちゃんだーーーー!!!!!」
マリンの耳が少し痛くなるくらい、嬉しさが爆発したような元気溌溂な大声で、彼女はマリンの名を呼んだ。
………
……
…
「そっか〜、不思議だねぇ〜。心臓の悪い所、もう全部無くなっちゃったの?」
「無くなった、と言うのは間違っているかもしれません……形が正常に近いものに変化していたみたいです。お医者様も不思議がっていました。魔法か奇跡としか思えない……と。ウマ娘の謎は深まるばかりだと嘆いていました」
「ふ〜〜ん、でもよく分かんないけど良かった! マリンちゃんがまたレースに出られるんだよね? アタシね、マリンちゃんと本気で大勝負がしたくて毎日いっぱいトレーニングしてるんだ!」
ピコピコと耳を動かして、キラキラした目でハルウララは言った。その変わらない笑顔を見て、マリンも微笑んだ。
ハルウララはマリンから鉢巻を受け取ったが、まだそれを巻いていなかった。
「ええ……キングさんから聞いていました。でもすみません。私の復帰はまだまだ先になりそうです。体力も戻っていませんし、筋肉も大分落ちてしまいましたから……」
それを聞いて、ハルウララは心配そうな目でマリンを見つめた。
「でも安心して下さい。すぐに元気になってみせます。調子を取り戻したら、真っ先にハルウララと勝負をします。約束……でしたからね」
ハルウララは再び春のお日様のような笑顔に戻った。見る者に勇気と元気を与える、天真爛漫な笑顔に。
その後も2人は会話を楽しんだ。マリンはハルウララの視点から見た学園の話を、時々笑いながら聞いていた。そんな穏やかな時間がゆっくりと過ぎて行った。
そして、今度はマリンが語る番になった。と言っても昏睡していた身なので語る事など殆ど無かった。
「そう言えばマリンちゃん! アタシ、マリンちゃんが有馬記念に勝ったお祝いを言ってなかったね! おめでとう!」
「……ありがとうございます。でも……私、何も覚えてないんです。有馬記念に勝った事も、その後に倒れてしまった事も……気が付いたらベッドの上だったのです。その間の記憶も勿論無くて、タイムスリップしてしまった気分でした」
マリンは曇った表情で俯く。チームのメンバーにも、他のウマ娘たちにも同じ事を言われたが、その度に申し訳なく思っていた。
「あ……そうだったんだ。ごめんね、アタシ変なこと聞いちゃった」
「いえ、気にしないで下さい。お医者様も言っていました。昏睡する前の記憶は曖昧になる場合が多いそうです。私もあのレースの事を完全に忘れてしまった訳ではありません。僅かですが覚えています。第3コーナーを過ぎて、仕掛けようとしたら胸が苦しくなって……それで……それ、で……」
ビョオオォォ……と再び風が吹いた。無数の桜の花びらが舞い上がって彼方へと運ばれてゆく。
その光景を見て、マリンはほんの少しだけ思い出した。
心臓の拍動を感じた、あの後の事を。
「それで……ゴールが見えて……ただその先に行きたくなって……それだけを思っていて……」
「……マリンちゃん?」
ポタリ、ポタリとマリンの手に雨が降ってきた。雨粒がマリンの顔を濡らしていた。
「あ、れ?」
いつの間にか彼女の頬が濡れていた。視界が水に飛び込んだようにぼやけていた。
「私、なんで、泣いて……」
途端に、胸がギュウと苦しくなった。喪失感で骨も内臓も、身体の中身が全部消えてしまったみたいだ。
「なんで……どうして、こんなに、胸が……」
どこまでも落ちていきそうな、耐え難いほどの喪失感がマリンを襲った。
だが気がつくと、彼女はふんわりとした温かなものに包まれていた。
ハルウララが、マリンの頭を胸に抱き寄せていた。優しく宝物を扱うように、マリンの頭を慈しむように撫でる。
「……頑張ったね。他の誰よりも、ずっと……頑張ったね」
ハルウララの髪が春風に吹かれてふわりと揺れる。その顔はまるで聖母ように微笑んでいた。彼女は暖かさは、春の木漏れ日のようにマリンを包み込んでいた。
「あ……っ……」
マリンは見つけた。気付くことが出来た。その闇のような喪失感の中に確かに、温かく光るものが在った。それを意識すると、悲しくなり、寂しくなり、切なくなった。
けれど……『満たされていた』。大切な人と再び巡り会えたかのような、そんな喜びが胸の中に広がる。けれど、その理由がマリンには分からなかった。
感情がぐちゃぐちゃになって、ただただ涙が溢れてきて、止まらなかった。
「うっ……ああ……ああああああああああぁぁっ……!」
マリンは泣いた。子供のように、ハルウララの温もりに包まれて、彼女の胸の中で声を上げて泣いた。
「頑張ったね……」
「………ひぅっ……うん……」
「また、走れるよ。思いっきり……みんなと一緒に」
「っ…………うんっ…………」
ハルウララは、一際強くマリンを抱き締めた。
「『おかえりなさい』……マリンアウトサイダ」
優しい春風が花びらを舞い上げた。
2人を包むように、桜の雨が降っていた。
次回、最終話。その後の後日談で完結です。あと2話です。
余談ですが、主人公のキャラやストーリーイメージは『Still for your love』という楽曲から95%くらい作られています。昔、某名探偵アニメのEDに使用されていました。アニソンとしてかなり評価の高い楽曲なので、もし宜しければ是非聴いてみて下さい。
どうか最後までよろしくお願いします。