【完結】流れ星の転校生~とある武術家ウマ娘がトレセン学園に転入する話~ 作:カンヌシ
ワアアァァァーーー!!!
マリンアウトサイダのデビュー戦を観戦する群衆の中に、ある1人のウマ娘がいた。
灰色の髪と濃い紫色をした瞳の彼女は、5着でフィニッシュしたマリンをじっと睨みつけていた。唇を噛み、怒っているようなその表情はまるで敵を目の前にした復讐者の如き剣幕だった。
そんな彼女の耳に周囲の観客のざわつきが聞こえてきた。
「なんだ、結局5着かよ〜。少しは期待していたんだけどなぁ」
「まあ、仕方ないだろ。マリンアウトサイダがレースに転向したのは半年くらい前だろ? それまで格闘技一筋だったんだ。対して周りはレース一筋で努力してきたウマ娘ばかりだ。三女神はそう簡単に勝たせちゃくれないよ」
「そりゃそうだけどよ〜。やっぱ期待しちゃうじゃん? 格闘技もレースも強いウマ娘かもしれないってさ。勝てなきゃ、なんで格闘技を止めたのか分からないじゃんか。調子乗ってたって思われても仕方なくね?」
「お前の言ってることも理解できるけどな……彼女はちょっとばかし自分を過信しすぎてたか、格闘技もレースも舐めてたのか……と、思わないでもない」
「だろだろ! 世代最強格闘ウマ娘も、やっぱ結局は華やかなレースの世界に目が眩んだのかね〜?」
(………!!!)
灰髪のウマ娘はその会話につい声を上げそうになった。しかし、それをグッと堪えてマリンだけを見つめる。
「……なんでだよ、マリン……!」
彼女の呟きは観衆の声に掻き消される。
「なんで、レースなんかに……!」
そう言って彼女は会場を逃げ出すように去った。
(やっぱり、納得できない……アイツは何で私たちを……格闘ウマ娘を裏切った!)
灰髪のウマ娘は怒りに任せて足を踏み鳴らして歩く。通り過ぎる人々がギョッとしていた。
彼女の名はルリイロバショウ。マリンの地元にある空手道場の師範の娘である。そこは寺子屋のようなこともしており、マリンはそこで時折子供たちに勉強を教えていたので、2人は小さい頃から知り合いだった。ルリイロバショウが一方的にマリンをライバル視していた感じだが、腐れ縁みたいなものだった。
ルリイロバショウはマリンのトレセン学園への編入がニュースになった時に、1度マリンの住む山へ突撃した。結局、マリンのレースへの転向の理由は聞けず「うるさい、帰れ」と玄関から投げ飛ばされたのだった。
(やっぱり、いつか……もう一度直接問いただしてやらないと気が済まない……!)
そう考えながら、彼女は駅の方へ去って行った。
ーーーーー
デビュー戦から数週間後……
ダッダッダッダッダッ……
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ…!」
ピッ!
シリウスのトレーナーがマリンのダッシュタイムを計測している。6本目となるそのタイムを手元のタブレットに入力する。
(……タイム自体は悪くない。流石、レースと方向性は違っても鍛錬を積み上げてきたウマ娘だ。脚質は追い込みか差しって判断は多分間違っていないはず。だとするとやはり後はレース経験の差と、彼女自身の『あの問題』だろう……)
トレーナーはマリンの敗因の分析をしていた。デビュー戦の後、マリンは2回の未勝利戦のレースに出走していた。しかし、未だに勝てていなかった。順位は4着と再び5着、1度惜しいところまで行ったが、ギリギリでウイニングライブを逃していた。
(……保健医が言っていた『本格化』についても、考慮しなくちゃいけないな。こんなケースは僕も初めてだし、他のトレーナーで相談できそうな人はいたっけ……)
トレーナーはメイクデビュー前にマリンが保健医の検診を受けた時のことを思い出していた。
〜〜〜〜〜
『マリンアウトサイダさん、貴方の本格化はとっくにピークを過ぎています。貴方の身体は格闘ウマ娘としては既に申し分ない程に成長しています。しかし言い換えれば、レースウマ娘としての能力が伸びる余地は…………恐らく小さい』
保健医は落ち着いた表情でマリンを見つめる。
『ご存じと思いますが、トレセン学園の生徒は個人差はありますが、概ね本格化の時期に合わせてレースウマ娘としての本格的なトレーニングを開始します。客観的な意見を申しますと、貴方の挑戦は非常に厳しいものとなるでしょう……』
『……はい、それは分かっていました……覚悟の上です』
マリンも同じように保健医の目を見つめ返す。
『……そうですか、分かりました。何かあれば、どうか遠慮なく。どのような相談にも応じます。マリンアウトサイダさん……頑張って下さい。私は貴方を応援していますよ』
〜〜〜〜〜
トレーナーはマリンに水分補給を指示して、彼女のデータを更新する。
「『本格化は既にピークを過ぎている』……か。なら、今の彼女の身体的な長所を伸ばす方向で考えるか……」
トレーナーは小さく呟く。
(格闘ウマ娘だったマリンは体幹を維持するバランス感覚に優れていて、身体の柔軟性と跳躍力には目を見張るものがあるが……それをレースに活かす方法はあるのか……? 後は、不良バ場でもタイムが殆ど落ちていないのは凄いな。本人は山育ちだから泥の中で走るのは慣れていると言っていたが、これは1つの武器になるか……)
「トレーナーさん、次は何をすれば……?」
考え込むトレーナーにマリンは声をかけた。レースに負け続けて落ち込んでいる様子はなく、着々とトレーニングをこなせているように見える……あくまで表面上は。
「ああ、すまない。ちょっと今後のトレーニングメニューについて考えていてね」
「……申し訳ありません。私の鍛錬不足で、未だ勝利を掴めていません。敗北を次に活かすことが……出来ていません。トレーナーさんがこれ以上ないほどに私に尽力してくれているのは理解していますが……」
「気にすることはないよ。元々ハードな挑戦になると分かった上で君も努力しているんだ。僕はそれを支えてあげるだけだよ。今日のトレーニングはここまでだ。ストレッチをしてから着替えておいで」
「はい、ありがとうございました」
スッと頭を下げて礼をして、マリンはストレッチを開始した。
(敗北を次に活かせていない……か)
トレーナーはグネリグネリとバレリーナ並みに身体の柔らかいマリンのストレッチを横目に、また深く考え込むのだった。
ーーーーー
「ふぅー……ちょっと、遅くなってしまった」
時刻は寮の門限ギリギリ。日はとっくに落ちていて空は真っ暗。マリンはガチャリと寮の入り口のドアを開けて、靴箱に靴をしまうとそのまま自室へと直行した。
なぜここまで遅くなってしまったかというと、今がちょうどテスト週間だというのが関係している。
トレーニング後にトレーナー室へ向かうとウイニングチケットとスペシャルウィーク、前髪ぱっつんのウマ娘とお仲間2人が頭から煙を上げながら教科書に噛み付いていた。このウマ娘たちはいつも赤点と戦っていた。
その5人はマリンの姿を見るや否や「三女神様、仏様、マリン様〜!!!どうかお助けを〜!!!」とマリンにテスト勉強を手伝ってくれと懇願してきたのだ。そんな彼女らを放って置けるはずもなく、寺子屋で子供たちに勉強を教えていた経験のあったマリンは慣れた様子でその面倒を見たのだった……
「先輩はもうとっくに帰ってるだろうな……」
マリンはコンコンとドアをノックしてから、ただいま戻りました、と言って部屋に入る。
「……ん?」
部屋の様子がなんだかおかしい。部屋の左側はまるで誰も使っていないかのように、ベッドも机も本棚もガランとしている。部屋を間違えたかと思ったが、右側には間違いなく自分の私物が置かれている。
「先輩……?」
そう呟いたところで、廊下から足音が聞こえてきた。嫌な予感を振り払うようにマリンが廊下に出ると、そこには褐色で姉御肌なウマ娘が立っていた。美浦寮の寮長、ヒシアマゾンだった。
「マリン……やっと帰ってきたかい」
「寮長……! 先輩は……?」
あー……とヒシアマゾンは言い淀む。いつもは毅然とした彼女だが、今はその目には隠しきれない無念さが見て取れた。
「……あの娘には言うなって止められてたんだ。これから頑張っていくマリンに余計な心配をさせたくないってさ。ちょうど、お前さんと入れ違いで出て行ったよ」
「…………!!! 今どこにいるんですか、先輩は!?」
「……恐らく正面門から出ていったところだ。今から走れば追い付くハズだよ」
「失礼します!」
ダダダダッ!とマリンは荷物を放り出して、廊下を駆け抜けて玄関へ向かう。
いつもならそれを注意するヒシアマゾンも、この時ばかりは目をつむった。
ヒシアマゾンはゆっくりと、マリンの部屋の入り口の壁に腕を組んで背をもたれかけた。ただじっと、片側だけが殺風景になってしまった部屋を見つめる。それは彼女が寮長となってから幾度となく見てきた光景だった。
「……辛いよな……去る方も、残される方も……それを見守るしか出来ないのもさ。何度これを経験しても……アタシは慣れる気がしないよ……」
その言葉は誰に聞かれることもなく、廊下の冷たい空気に溶けて消えていった。
…
……
………
「ハァッ、ハァッ、ハァッ!」
マリンは靴も履かずに、裸足で歩道を駆けていた。靴下は邪魔だったので脱ぎ捨てた。
バッサバッサとスカートと腰に巻いた緑色のパーカーがなびく。
タッタッタッタと軽めの足音が響く。
「先輩っ……どうして!」
マリンは走りながら、メイクデビューで負けてしまった日の夜の事を思い出していた。シリウスのメンバーとトレーナー室でデビュー記念パーティーをした後で、かなり帰るのが遅くなってしまったのに、先輩は寝ずに待ってくれていた。そして優しく『おかえりなさい』と言葉をかけてくれたのだ。
先輩もメイクデビューは勝てなくて、自分も同じようにデビュー記念パーティーを開いて貰ったけど、壁の張り紙の多分「初勝利」と書かれていた部分が不自然にポッカリと欠けていて、申し訳ない気持ちになったことも語ってくれた。
「ハァッ…ハァッ!」
正面門が近づいてきた。夜勤の守衛が守衛室にいるが、開けてくれるように頼む暇はない。
「フッ!!!」
マリンは勢いのままに門に飛び付き、足をかけて跳ねた。さながらアクション俳優のような動きで門の上部に手をかけると、クルリと門の上空を身体を捻って飛び越えた。レースでは使わない技術がここで活かされた。
ガチャチャーーーーン!!!!と大きな音が鳴り、それに驚いた守衛が飛び出してくるもマリンにそれを気にせず、着地してから学園外へと駆けていく。
………
……
…
「はぁ……」
先輩ウマ娘は俯いて、手提げ鞄1つでゆっくりと歩いていた。
「終わっちゃったな……私のレース……」
荷物は既に実家に送ってあるので、後は駅に向かうだけ。身軽なはずなのにこうも足取りが重くなるのは未練ゆえだろうか。
「マリンちゃん、今頃ビックリしてるかな……」
思い出すのは、半年を共に過ごしたルームメイトの顔だった。武術家らしく実直で真面目な雰囲気だけど、どこか幼いような世間ズレしてるような感じが放っておけず、世話を焼いたあのウマ娘。
そんなことを考えていると、タッタッタッタ足音が聞こえてきた。靴を履いてるにしては軽すぎる音だ。あまり聞いたことが無い。
そう思って振り返ると、遠くから誰かがこちらに走ってきていた。まさかと思って立ち止まると、やはり後輩のあのウマ娘が駆けて来ていた。
「……ハァッ!ハァッ! 先輩!」
「マリンちゃん……あなた、裸足じゃない! どうしたのよ!?」
「それはこっちのセリフです! 先輩、どうして黙ってたんですか!?」
「っ…………」
先輩ウマ娘は悲しそうな目で黙っている。
マリンは膝に手を当てて呼吸を整えている。
「ハァ……ハァ……まだ、新年度は始まったばかりです。私は、これからまだ先輩と、頑張っていきたいと……思ってたんです……」
「……ごめんね、マリンちゃん。でもね、もう決めていたんだ。去年の秋冬で重賞を勝てなければ、レースを引退するって。この時期までいたのは……未練があったから」
先輩の目に薄らと涙が浮かぶ。
「……マリンちゃんに『おかえりなさい』って言ってあげたかったんだ……マリンちゃんのデビュー戦までは学園に居たいって、私……親にワガママ言っちゃってさ。結局、その後も暫く残っちゃったけどね。でも、もうおしまい」
「っ……!!!」
マリンは息を飲んだ。
「サイレンススズカさんが、ウイニングライブはファンに『ただいま』をいう為にあるって言ってたって、マリンちゃん言ってたよね?」
マリンは黙ってうなずく。
「でもね……その『ただいま』を言えないウマ娘も、たくさんいるの。何度走っても、どれだけ頑張っても、ステージに立てないウマ娘が……たくさんいるの」
先輩の目から涙がこぼれ落ちる。
「私も……そのたくさんの中の1人なの。だからもし、マリンちゃんが勝てなかった時は……私が『おかえりなさい』って、誰よりも誰よりも強く言ってあげないといけないって……思ったの。それが私が最後にやるべきことかなって」
「……先…輩……」
マリンの目が悲痛に歪む。
マリンはあの『おかえりなさい』が何故こんなにも心に残っているのか、その意味をようやく理解できた。
「私のエゴだよね、気持ち悪いよね……でもね、それが私とG1ウマ娘との差なの。その現実を覆せるだけの脚を……私は持っていないの」
「……っ……でも、先輩は努力しています! 負けても、負け……続けても、それを次に活かせれば……きっと……」
「マリンちゃんには分からないよ!!!!!」
ビクンと身体を震わせ、マリンは息を止める。
「負けても格闘技の世界に戻れるマリンちゃんには……分からないよ……私にはレースで走る以外の道は……もう、無かったの……」
マリンは言葉に詰まる。
「夢だったの……G1レースで勝つことにずっと憧れてたの……! でも……これだけ走り続けても重賞1つにも届かなかった……トレーナーとやれる事は、やり尽くしたつもりなの……」
でも……と先輩は更に涙を流す。
「夢を見ることが……こんなに辛いって……思いたくなかった……!!! 思いたく……なかったのに……!!! もう……どうしようも……なくて…………っ、う、あ……あああ……!!」
先輩が手提げ鞄を落として、両手で顔を覆う。手のひらを伝って、ポタリポタリと滴が落ちていく。
「先……輩……」
マリンにはかける言葉が見つからなかった。
目の前で見ているのは、多くという言葉では足りない程の、レースウマ娘の現実のたった1つなのだった。
「ひっ……ぐっ……ごめん、ごめんなさい。マリンちゃんに、酷い事……言っちゃった……マリンちゃんも……負けて悔しいはずなのに……私が見てきた誰よりも、悔しがってたのに……」
「……え……?」
マリンはその言葉に戸惑った。確かに悔しいと思っていたが、それが誰よりも、と表現できるものかは分からなかった。
「うん、マリンちゃん……多分自覚してなかったよね。きっとレースよりも凄い闘いを経験してきたから……でも、だからこそ、誰よりも負ける事を悔しがっていたよ。私には分かるんだ、先輩だからね」
ぐずっ、と先輩が顔を上げる。
「ねえ、マリンちゃん……」
「なん……ですか……?」
「『夢』は……見つかった?」
「……いえ、まだ……見つかっていません」
「じゃあ、さ」
先輩が涙に濡れた顔で、目一杯の笑顔を作る。
「私の『夢』……マリンちゃんに預けても良いかな?」
マリンは悲しそうな表情でじっと先輩の顔を見つめる。
「先輩の『夢』を……?」
「うん、私は自分の『夢』に……もう押し潰されそうなの……でも、もしこれが誰かの『夢』だったのなら……この背中に乗せて走っていけたかもしれない……」
先輩は笑顔を保っている。
「昔、マリンちゃんに私の『夢』を応援すれば良いって言ったよね。マリンちゃんの背中に……私の『夢』を乗せてもらっても良いかな? 自分の『夢』が見つかるまでで……良いからさ」
「っ……はい! 預かります、先輩の……『夢』を……」
「……うん、ありがとね、マリンちゃん。……ありがとう。マリンちゃんが転入してきた理由……聞きそびれちゃったけど、私はもうレースウマ娘じゃないから、聞かないでいいかな」
先輩ウマ娘はぐしっと顔を拭うと、鞄を拾いなおした。
「それじゃ、もう行くね。頑張ってね、マリンアウトサイダ……お姉さん、応援してるよ」
そう言って先輩はクルリと翻って歩き出した。
「あ………っ………」
行かないで、と言いそうになった。それで何が変わるわけでもないのに……
マリンはその背中が見えなくなるまで、ずっと見つめていた。先輩は1度も振り返ることはなかった。
マリンはただただ……己の無力感に打ちひしがれていた。
ーーーーー
「んんー? おお、やっと戻ってきたか」
守衛のおじさんが校門の前に立っていた。遠くからトボトボと歩いてくるマリンの姿に気付いた。少しして、マリンは校門にたどり着いた。
「……お前さん、マリンアウトサイダだな。あの出ていったウマ娘は友達かい?」
「……はい、とても親切にして貰いました。尊敬する……先輩でした……」
「そうか……ここじゃあな、活躍するウマ娘より、その先輩のようなウマ娘の方が多いんだ。こうやって、夜の誰も歩いていない時間にこっそりと出て行くんだ。翌日には他の皆は事情を察して、あまりその娘のことは話題にしない。格闘ウマ娘の世界じゃあ、どうかは知らんがな」
「………………………」
「まあ、今夜はそのまま寮に帰りな。門を飛び越えたお咎めは無しにしてやる。次からはちゃんと守衛に話を通せ。いいな?」
「はい……すみませんでした……」
そう言ってマリンは校門の横の通用門から学園内に入った。背中の方でガチャンと施錠音が聞こえても、振り返らず覚束ない足取りで歩いていた。
守衛はそんな彼女を少し心配したが、とりあえず守衛室から美浦寮の寮長に報告の電話をかけることにした。
…
……
………
マリンは歩き続けた。どこに向かっているかも、正直分からない。ただ、去っていく先輩の背中が瞼の裏に焼き付いて離れなかった。追いかけたかったが、理性がそれは無駄だと諭していた。
去りゆく誰かをただ見つめるしかない、そんな経験はしたこと無いはずなのに、植え付けられたトラウマが蘇ったかのような感覚がマリンを支配していた。自分が知らないだけで、どこかで同じ経験をしたのだろうか……?
そう思ってしまう程に、マリンの感情は揺さぶられて、滅茶苦茶になっていた。
「あ……」
クシャ……と足が芝を踏んだ。
そこは中央の広場の近くだった。気付かぬうちにだいぶ進路がずれていたみたいだ。
「あれ……は……」
マリンの見つめる先には例の『切り株』があった。先輩ウマ娘も、何度も使っていたと言っていた。
「………………」
クシャ、クシャと切り株に向かって歩みを進める。そこにたどり着くと、両手をついてウロの中を覗き込んだ。
そこは伽藍堂で、無限に続いているのではないかと思える闇があった。このウロは今までにどのくらいのウマ娘たちの叫びを呑み込んできたのだろう。暗闇に目が慣れてきても、底が見えなかった。
「あ……」
雫が一滴、闇に吸い込まれていった。音は聞こえないが、次から次へ、ホロリホロリと滑り落ちていく。
「あ、うっ……っ……っ……!」
支える手に力が込もる。胸の中が混乱と無力感と無念と……喪失感でいっぱいだった。
「う……あああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
マリンはその全てをそこに吐き出すように、声の限りをウロの中に叫んだ。
「私はっ……何も……出来なかった!!!!!
去っていく先輩に……何も……何も……言えなかった……!!!!!
ただ……見てる……事しか……うあああああああああああああああ!!!!!!」
肺も喉も潰れてしまいそうなほど、マリンは生まれて初めて叫んだ。
「私は……格闘ウマ娘としての……『敗北』は知っていた……!!!!!
でも……レースウマ娘の……レースで負ける『悔しさ』を……その『悔しさ』を……知らなかった!!!!!!
分かってなかったんだ!!!!!
ルドルフ会長が言ってたのは……この事……だったんだ……
こんなに……こんなに…………う、ぐぅ………ひっ………」
ウマ娘は走るために生まれてきた。そんな言葉が周知となる程に、『走りたい』『勝ちたい』というは本能はウマ娘の魂に根付いている。
レースで負ける事は、そのウマ娘の存在の根源を揺るがす。存在を否定されるかのような衝撃をもたらす。報われるならば幸せだろう、だがそうではないウマ娘の方が圧倒的に多い。
大多数のウマ娘は、先輩のように、その悲しみの津波に耐え続けなければならないのだ。
マリンもそれを感じていた。レースで負けるたびに、心にその波が押し寄せてきた。だが、彼女はそれをどす黒い闇だとしか感じ取れなかった。それが多くのウマ娘を襲ってきた悔し涙の津波だと、知らなかったのだ。
「くや、しい…………悔しい、悔しい、悔しい、悔しい、悔しい、悔しい、悔しい、悔しい!!!!!!!!!」
先輩は、ずっとこんなものに耐えていたのか。私はたった3回の敗北で、こんなにも潰れそうなのに。
「私は………『弱い』………!!!!!
なんて………『弱い』…………
本当に………よわ……い…………」
マリンは膝をついて切り株に寄りかかった。涙がただただ溢れ出てきて、子供のように泣きじゃくった。
マリンアウトサイダはその悔しさを無自覚に押し込めていた。油断が大敵となる格闘家としての振る舞いは、他の者には冷静沈着な態度に見えただろう。だがそれはレースウマ娘としては歪な心理状態だった。それに気付いたのはトレーナーとゴールドシップだけだった。
今まで彼女は、レースウマ娘ではなく『格闘ウマ娘』としてレースを走っていた。教官の言っていた『迷子』とはそういう意味だったのだ。
………
……
…
涙を流して、初めて自覚した悔しさをウロにぶつけるマリンを柱に隠れながら見守る影があった。
(……ヒシアマゾンから突然連絡が来た時は驚いたけど)
それはチーム『シリウス』のトレーナーだった。
彼はマリンが寮に戻ってきていないとヒシアマゾンから連絡を受けたのだった。マリンと仲の良かったルームメイトが学園を去る事になったので、必要ならメンタルケアをお願いしたい、と。
(この様子だと……彼女はもう自覚したみたいだな。彼女自身の問題を。そのきっかけがこんな悲しい現実だったのは……トレーナーとしては、辛いけど……)
ふぅ……とトレーナーはため息をつく。恐らく今はそっとしておいた方が彼女の為になるはずだ。睡眠を取らせて、翌日にでも話を聞こう。
(僕は運が良かっただけなのかな……もしかしたら、マックイーンたちみんなが、マリンのルームメイトと同じ結末を辿る未来もあり得たのかもしれない……)
トレーナーは柱の陰から広場を覗く。とにかく、今はマリンアウトサイダを見守ろう。彼女が落ち着いて寮に帰るのを見届けるまで…………
その日、マリンアウトサイダは『レースウマ娘』になった。
その事を知っているのはシリウスのトレーナーと切り株のウロだけだった。
一応、ここまでで第一部って感じです。
第一部は敗北をテーマに書いてるのであまり人気は出ないだろなって思ってましたが、数少ないブックマークをくれた方々や、そうでなくても追ってくれてる方々にこの場を借りて最大の感謝を表明します。
主人公が活躍するレースはもう少し先ですが、楽しんでいただけると嬉しいです……!
m(_ _)m