異端児が異世界から来る。   作:全智一皆

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「隠れた高潔な行いは、最も尊敬されるべき行為である。」
フランスの哲学者、ブレーズ・パスカル


狂人、眠りにつく

            ✻

「―――は?」

 理解するのに、数秒の時間を要してしまった。周りからすれば僅か数秒の事であろうけれども、しかし諦にとっては、その数秒を要したという事実すら悔しく思う事だった。

 諦は数秒を要し、そして理解した。自分が、“アンダーウッドという場所から、『世界の果て』まで吹き飛ばされた”という衝撃的な事実に。

 アンダーウッドと、世界の果てまで一体どれ程の距離があるのかを、諦はサラマンドラの誕生祭に向かった際に理解していた。

 それ故に、この事実はあまりにも驚愕的で、かつ衝撃的で受け入れ難いものだった。

 体感時間、僅か1秒。たったその一瞬で、何十万kmという天と地の差をあの男は埋めたのだ。ただの拳の一振りで、それを埋めてしまったのだ。

 諦は、動くことも出来なかった。指一本すら、動かすことも叶わなかった。

「…自分が如何に程度が低い存在かを知れる、か…はは、何とも…」

『なんだ、随分と懐かしい奴が現れたな。』

 突如の声。諦は、目線だけを声のする方へと向ける。

 其処に居たのは、翼を持った巨大な蛇だった。見覚えのある、神格の持ち主“だった”者だった。

「お前は…」

『無理して喋るな、傷が開くぞ。』

「……」

『貴様も愚かよな。態々あの方に敵対するなど…今の貴様は、生きているのも奇跡のようなものぞ。』

 呆れたように、蛇は言う。諦はただ、黙ってその言葉を受け入れるだけだった。

 諦としても、何故自分が今、生きているのか不思議であるからだ。

 何十万kmの差を一瞬で埋める程の一撃を直撃して、何故生きているのか。それが、諦には分からないのだ。

 手加減された、という考えも浮かんではいるが、その線は薄いだろうと切り捨てた。

 あの一撃に、手加減などという感情は入っていなかった。明らかに、仕留めるつもりで放たれた拳であったから。

『して、お前は…あの方が誰であるのか、知っていて挑んだのか?』

「…知らん。ただ、途轍も無い邪神である事は理解した。」

『ほぉ、そこまでは理解したか。…まぁ、お前が負けるのも仕方無い事だ。何故ならば、あの御方は―――』

 二桁の門を象徴とするコミュニティ『オムニス』のリーダーと同等の力を持つ無貌の神なのだからな。

 そう、蛇が事実を告げた。

 そして、諦は即座に理解した。相手がどんな桁違いな存在であったのかを。

「…ははは、そうか。まさか―――外なる神のメッセンジャー、千変万化の無貌の神、“ニャルラトテップ”だとはな。なるほど、敵わないのも道理だ。」

 ニャルラトテップ。またの名を、ナイアーラトテップ。

 外なる神の一柱にして、旧支配者の一柱。

 クトゥルフ神話における最強の神にして、この箱庭において一桁に最も近い魔皇と称される全創全壊の神であるアザ=トースと同等の力を持つ土の精。

 眷属を持たぬ代わりに千の化身があり、それ故に様々な解釈があるが、無貌の神として言われる事が多い。

 貌を持たないが千の貌を持ち、唯一無二の存在だが、そうでありながら無数に存在し、正体や本質といったものを化身毎にそなえている。こういった自己矛盾を内包しているのもまた、ニャルラトテップが桁違いな神である事の証明だ。

 それを諦は知っている。故に、諦は理解し、そして納得した。自分が敗北した理由を理解し、そして自分が敗北した事にも納得したのだ。

「勝てる訳も無いか…となれば、派遣したのはソトースか。俺がああなるのを見越してか…」

『…潔いな。』

 あっさりと自分の敗北を認める諦に、蛇は面食らった。

 だが、諦はそう言われようとも、反論をするという訳でもなく「あぁ。」と、素直に答えた。

「寧ろ感謝しているよ。俺が暴走しかけたのを止めてくれた事にな。」

 やはり持つべきは友という事だな。

 諦は、穏やかにそう言って、無防備にも眠りについたのだ。

 まるで、死んでしまったかのように、静かに。

 

            ✻

「私としては、貴方のその力は、本来ならばこの『箱庭』には無い筈のものだと考えています。」

 ニャルラトテップは語る。

 “綺麗だったスーツをズタボロにされ、無傷であった肉体はどこもかしかも傷だらけとなり血を流しながら血に伏せる”外なる神の一柱は、自分の喉元に戦斧を添えている青年へと、語り掛ける。

「貴方の力は、外界における有名かつ大規模で、更には最高とも言える知名度補正を持った『神群』の秘奥のものなのは確かです。ですが、しかしその神群は外界なればともかく、だが『箱庭』の世界においては十全にも満たない。何故ならば、その神群は唯一神のみを信仰する一神教だから。この箱庭は、『全能の逆説』という概念によって、一元論・一神教を基軸とした宇宙観を構築することが許されない。

「そして、それ故に2000年代に実在する最大宗派が力を存分に振るう事が出来ない…そうである筈なのにも関わらず。貴方は、それと同じ筈の神群の秘奥を部分的ではあるが、扱うことが出来る。それが、あまりにも不可解なのです。

「神群の秘奥―――"疑似創星図"とは、神群を構築する世界そのものと言ってもいいものです。北欧神群のアースガルド、仏門の三千世界、人類最終試練が一人『絶対悪』アジ=ダハーカの“拝火教”の善悪二元論、“てんの赤道”の鏡像の“虚星・太歳”、ケルト神群の“来寇の書”など。

「ですが、貴方が扱う“疑似創星図”は完全な“疑似創星図”ではない。その伝承の内の一章のみを反映させた不完全な“疑似創星図”だ。そして、それが貴方の神群の弱体化を顕にしている筈だ。

「そうであるにも関わらず、貴方はその力を十全に、完璧に、完全に扱えている。本来ならば不十分な力を、本来ならば不完全な力を、貴方は十分に、完全に扱っている。

「それは貴方が『魔王』であるが故なのでしょうか。それとも、貴方こそが人類に『悪』を背負わせた張本人であるからでしょうか。私には、否、私にすら、それは皆目検討もつかないのです。理解することが出来ないのです。生まれ落ちたその時から魔王である筈の貴方が、彼らの味方をすることが。誕生したその時から人類に害する存在であると定められた真の魔王である筈の貴方が、ここまでして彼を助けようとするのか。

「どうか、教えてはいただけないでしょうかね。

「人類最終試練とは異なる類の、生まれ落ちたその時より魔王と定められた人類種の天敵。

 

「“真性魔王(しんせいまおう)”―――『原初の罪(オリジンクライム)』。」

 にひると笑いながら、青年の名前を、無貌の神は呼ぶ。

 青年は、何も言わない。何も返さない。ただ、蔑むような目線を無貌の神に向けて、ただ静寂を身に纏っている。

 だが、それは徐々に変わりゆく。蔑む目線は、少しずつ憎悪と嫌悪が入り混じったものへと。復讐に身を焦がす復讐者の如き眼光に、変わる。

 そして、青年は戦斧を振り翳し、

「……」

 何かを告げることもなく、無貌の神の首を切り落とすが為だけに、ただ静かに戦斧を振り下ろした。

 ざしゅ―――と。戦斧によって切断されてしまった神の首は肉体から離れ、鮮血をまき散らしながら宙を舞う。

 冷たい風が、青年の髪を揺らし、そして神の屍を晒して吹き抜ける。

 青年はただ、その目で屍を見下す。

 だが、屍は消え失せる。そして、代わりに神々しい存在が現れた。

「ニャルをやるなんて、流石だね。」

 虹色の髪を靡かせて、ヨグ=ソトースは青年へと笑い掛ける。

 だが、青年は笑わない。無表情のまま、「…ソトースか。」と、言うだけだった。

「冷たいねぇ、相変わらず。その状態だといつもそんな感じなの?」

「お前が気にする必要は無い。」

「そうかもね。でも、気になるから仕方ないでしょ?」

「……やはり、お前の相手をするのは面倒だ。」

 ため息と共に、戦斧を『ギフトカード』へと納め、懐へと直し青年はアンダーウッドの方角へと目を向ける。

 先程とは売って変わり、懐かしむようで、それでいて悲しむような目線で、青年はアンダーウッドを見詰めている。

「俺は、此処すらも壊さなければならない。そうしなければならない。それが俺の在り方だから。」

「抗いようもない事だからね。確定事故、定められた人生にして縛られた運命。答えは分かっているけど、一応聞くよ。悔いは、ない?」

 笑みを潜め、真剣な表情に変えて、ソトースは青年へと問う。

 傍から聞いても、それは誰にも理解する事の出来ない会話だろう。辛うじて理解出来るのは、青年がアンダーウッドを破壊するという部分だ。

 だが、それ以外を理解する事は出来ないだろう。それを聴いているのが十六夜であろうが黒ウサギであろうが、絶対に理解は出来ない。

 しかし、当の二人は勿論のこと、理解している。それ故に、何ら問題はない。

 青年は、悲しげに笑って、

 

「あるよ。大いにある。」

 そう答えた。




狂人よ。一時とはいえど、静かに、そして安らかに眠れ。
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