「あ゛ー……けほっ」
スクールアイドルフェスティバルから一夜明け、僕はベッドに横たわっていた。
頭が痛い。喉も痛い。寒気もする。つまりはめちゃくちゃに風邪。雨の中走り回ったのは流石にまずかったか。
「はいはい、変な声出さない。余計ひどくなるよ」
姉ちゃんが濡れタオルを変えてくれる。家には姉ちゃんと僕しかいなく、姉ちゃんが看病してくれていた。
「何とかは風邪ひかないっていうのにおかしいなー」
「う゛るさい……」
姉ちゃんの嫌味が頭に響く。姉ちゃんが風邪をひいたとき言ったことを根に持っているようだった。
「雨の中走り回るなんて、本当馬鹿だよ……」
「……」
「でもそのおかげで、最後のライブにあれだけの人たちが集まってくれたんだよね」
僕だけの力じゃない。最後のステージが出来ることを受けて、生徒会やコッペパン同好会の人たちがSNSで呼びかけてくれた。
「昨日色んな人からメッセージもらったよ。かすみんの呼びかけのおかげで最後のステージを知った、かすみんがずぶ濡れで呼びかける姿に感動したって」
「そう……」
「同好会のみんなもお礼言ってたよ。今度また遊びに来てだって」
「んな無茶な……」
コッペパン同好会の人たちと連絡先を交換した今、改めてニジガクに潜入する気はない。学校外ならまあ、会いたい気持ちもなくはないけど……。
「みんなの夢を守ってくれてありがとうね」
「……」
「かず?」
「すやぴ……」
「もう、せっかくかすみんが素直にありがとうって言ったんだから寝たふりなんてしなくていいのに」
……そこは知らん顔するのが普通じゃない? 指摘するなんて無粋だなぁ。
姉ちゃんはお礼言ってたけど、僕はそんな大したことはしていないと思っている。自分のやりたいことをやっただけ。身体が勝手に動いただけだ。
恥ずかしくて布団を被る。しばらくすると昨日の疲れもあって本当に眠気が襲ってきた。
◇
……懐かしい夢を見た。小さい頃、僕が小学校2、3年生くらいのときの夢だ。
『やだ〜!』
『わがまま言わないの。風邪をしっかり治して、水族館は来週いきましょう?』
『むうーっ!!』
その日は家族で水族館に行くということになっていた。けれども僕は今日みたいに風邪で寝込んでしまったんだ。
結局水族館の予定は延期となり、駄々をこねて疲れてしまった僕はぐっすりと眠っていた。
『おなかすいた……』
『あ、かずおきた~?』
『おねえちゃん……?』
『そだよー』
『ごめんね……水族館行けなくて……』
『かすみんはおねえちゃんだから大丈夫! これ食べて元気だして!』
『これ……こっぺぱん?』
『そう!』
『ぼこぼこ……おねえちゃんが作ったの?』
『ぐっ……ち、ちがうもん! お店で買ったやつだよ! いいから食べて!』
歪な形をした、まるで初めてパンを焼いた人が作ったようなコッペパン。だけど……。
『おいしい!!』
『ほんとう?』
『うん!』
これが僕の原点、おいしさ無敵級のコッペパンだった。
『おねえちゃん』
『な〜に〜?』
『ぼく、将来はパン屋さんになりたい!』
そして、これが僕の夢のはじまり。
◇
≪遥≫
スクールアイドルフェスティバルの翌日、部の練習がお休みということで久しぶりの休日を過ごしていた。
「平和だね~」
「そうだね〜」
「今日は一緒にお昼寝しよっか」
「そうだね〜」
お休みなのはお姉ちゃんも一緒。今日は久しぶりにお姉ちゃんとゆっくり過ごせそうだ。
スクールアイドルフェスティバルは途中の雨でお姉ちゃんとのコラボステージが流れて残念だったけど、最後に一緒に歌うことができてすごく楽しかった。虹ヶ咲の人たちには本当に感謝している。
……あと、中須君にも。
最後のステージが決まったとき帰ろうとする人を中須君が雨の中走って呼び止めてくれた、ということをかすみんさんから聞いた。そしてその最後のステージで、私はお姉ちゃんと念願の一緒のステージに立つことができた。本当に、中須君には毎回助けられてる。
「遥ちゃん、今かずま君のこと考えてるでしょ~?」
「へっ!?」
お姉ちゃんがにやにやして頬をつついてくる。そんな顔に出てたかな? 恥ずかしい……。
「ち、ちがうよ!」
私が否定しても向けられるのはお姉ちゃんの生暖かい目。そんなときスマホの通知がきて会話が途切れた。タイミングがいい。
「メッセージ? 誰から~?」
「かすみんさん」
「なんて?」
「えっとね……え?」
「どうしたの?」
「中須君、風邪ひいたって……」
「あらあら……」
メッセージの内容は中須君が風邪をひいたということだった。中須君雨の中走り回ったんだもんなあ……。
会いたいな……。
「お見舞いいく?」
「……行く」
そんな私の気持ちを察したのか、お姉ちゃんが提案してくれた。いつも中須君にはお世話になっているから、少しでも力になりたかった。あとお礼も言いたいしね。
◇
私とお姉ちゃんはスーパーで果物や飲み物を買ってかすみんさんの家までやってきた。
「いらっしゃ〜い!」
ドアを開けてくれたのはかすみんさんだった。中須君たちのご両親たちはお仕事で不在らしい。
「かずま君は〜?」
「寝ちゃってます」
「そっか〜。じゃあ寝顔を拝見しちゃおっかな〜」
「眠ったばっかりなのでそっとしといてください」
お姉ちゃんの悪戯がかすみんさんによって阻止される。中須君の寝顔、見たかった……残念。
「かすみちゃんはかずま君の看病?」
「はい、かずが寝ちゃったんでこれからお昼を作る予定です」
「偉いね〜」
「お昼は何作るの?」
せっかくだからお昼ご飯を作ってあげたいと思ったから聞いてみた。まあ私よりもかすみんさんやお姉ちゃんが作る方がおいしいんだけど……。
「お昼はもちろん、かずの大好きやつです!」
中須君の大好き、といったらあれしかない。そういえばたくさん食べてきたけど、作ったことないなあ。
「ふっふっふっ……それでは! かすみんのコッペパン作り講座はじめちゃいますよ〜!」
◇
「かすみんクッキング〜! 今日は近江家のふたりと一緒にコッペパンを作りたいと思いま〜す!」
「かすみちゃんのコッペパンも絶品だから楽しみなんだぜ〜」
何故かお料理番組風に始まったコッペパン作り。かすみんさんのコッペパンは虹ヶ咲に見学したとき以来だから楽しみだ。
「まず薄力粉に強力粉、その他もろもろをボウルに入れまーす」
「手にくっついちゃうから始めはお箸とヘラで混ぜて〜」
「まとまってきたらバターを入れまーす」
かすみんさんが慣れた手つきで進めていく。かわいく解説しているけどその作業は洗練されているように感じた。
「そして次が一番重要! こねます!」
「力も必要で大変だよね〜」
「ここで問題です! パンをこねるときに大事なことは、はる子!」
「え!? えっと……握力?」
「ぶっぶー! ハンバーグのときと一緒!」
「あっ、愛情?」
「ぴんぽんぴんぽーん。こねるときに大事なことのひとつが愛情です。ひとこねひとこねしっかり愛情を込めましょう!」
「大事なことのひとつってことは、まだあるの〜?」
「はい! もうひとつありまして、これがかすみんのコッペパンの秘密です! 分かりますか?」
「うーん……力加減?」
「混ぜるスピードとか?」
「ぶっぶーです! 正解は……『かわいい』でした〜!」
「は?」
思わず声が出た。かわいい……? えっと、つまり……どういうこと?
「かわいくこねるってこと〜?」
「ちょっと違います! 『かわいい』をパンに込めながらこねるんです!」
「ん〜……?」
お姉ちゃんはよく分かっていないみたいだけど、私も同じ気持ちだ。
「まあ見ててください。今からこの生地にかすみんのかわいいを込めます」
こねこね。こねこね。かすみんさんが生地をこねていきます。
こねこね。こねこね……。
「どうですか! だんだん生地がかすみんみたいに見えてきたでしょう?」
……。
……?
「いや分からない」
「彼方ちゃんにはちょっと難しいな〜」
パンの生地は変わってないように見える。そもそもかすみんさんみたいな生地ってなに?
「習うよりやってみろです! ではまず彼方先輩の思うかわいいを生地に込めてください!」
「じゃあ遥ちゃんの可愛さを生地にぶつけてみるぜ〜。遥ちゃん……遥ちゃん……」
こねこね。こねこね。お姉ちゃんが私の名前を呟きながら生地をこねていく。変な気分だ。
こねこね。こねこね……。
「お? おぉ〜!? 生地が遥ちゃんに見えてきた〜!」
「嘘ぉ!?」
「でしょ〜!? 彼方先輩センスあります〜」
し、信じられない……。センスの問題なのだろうか?
「じゃあ次はる子の番! かわいいを込めてね!」
私の思うかわいい……。中須君……いやお姉ちゃんかな? 一瞬だけ中須君のこと考えたけどないない。喜んでいいのか分からなくて複雑そうな顔をする中須君の顔が浮かんだ。
「お姉ちゃん……お姉ちゃん……」
こねこね。こねこね……。お姉ちゃんのかわいいを生地へ込めて……。
こねこね。こねこね……。
『遥ちゃーん、もっと優しくこねて〜』
!?
半信半疑でこねていたけど、だんだん生地がお姉ちゃんのように思えてきた。寝ているお姉ちゃんのほっぺのような弾力……。なんか変な幻聴まで聞こえてきたような……。
「……お姉ちゃんに見えてきました」
「おお、はる子も才能がありますねぇ! そこまでこねられたら完璧です! じゃあかすみん変わりますね〜」
信じられないけど本当に生地がお姉ちゃんに思えてきてびっくりした。『かわいい』と『愛情』を込めたからか、あの生地に愛着が湧いてきた。その愛着がお姉ちゃんに見えるよう錯覚したのかもしれない。
「では最後にこの生地を思いっきり台に叩きつけま〜す」
「え?」
叩きつける……? 疑問を口にする前に、かすみんさんが言葉通り生地をとって台に叩きつけた。
「ふんっ!!」
「遥ちゃーん!!?」
「お姉ちゃーん!!!?」
お姉ちゃんの生き写しと呼ぶべき生地が叩きつけられる。その音がとてつもなく大きく聞こえるのは気のせいなのかどうなのか。
「か、かすみちゃん……遥ちゃんになんてことを……!」
「かすみんさんにとってそれはかすみんさんでしょ!? 愛情はどうしたの!?」
「はる子、彼方先輩……。子供が悪いことをしたとき、ちゃんと叱ってあげるのも愛情です」
「で、でもだからって……」
「ふんっ!!」
「「あーーっ!」」
パンをしっかりと膨らませるにはグルテンというものが大切になってくる。パン生地を作るとき叩きつけるのは、そのグルテンを生成するため……らしい。
◇
≪かずま≫
「んん……」
目を開けると見慣れた自分の部屋の天井。いつのまにか寝ちゃったらしい。なんだか懐かしい夢を見た気がする。
「この匂い……」
部屋の向こうから香ばしい匂いがしてきた。パンを焼く匂いだ。
「お腹すいた……」
時刻はもう正午を過ぎている。熱は……少し引いたかな? その代わりに食欲がある。パンを食べたい。
「あ、かずま君起きた~?」
「お邪魔してます」
「え? 近江さんに彼方先輩?」
リビングには近江さんと彼方先輩がいた。なんかデジャブ。近江さんにカラオケへ連れられたあの日みたいだな……。
「今日は中須君のお見舞いに来たんだよ〜」
「僕の?」
「うん。私たちでコッペパン焼いたんだ~。食べる〜?」
「え、食べたいです!」
彼方先輩と近江さんが作ってくれたコッペパン。すっごく食べたい。
「かすみんが作ったのは〜、『レモンカスタード塩コッペパン』!」
「彼方ちゃんは……じゃーん! 『ふかふかブルーベリーミルクコッペパン』」
姉ちゃんの『レモンカスタード塩コッペパン』は名前の通りレモンとカスタード、姉ちゃんのイメージカラーである黄色を基調としている。甘い、酸っぱい、しょっぱいの3つの味を楽しめそうななんとも姉ちゃんらしいコッペパンだ。
彼方先輩の『ふかふかブルーベリーミルクコッペパン』はブルーベリーソースの上に生クリームとブルーベリーをのせたコッペパン。生クリームがふかふかのお布団みたいで、これも彼方先輩らしいものとなっている。
どちらもおいしそうだ。そういえば姉ちゃんのパンって久しぶりだな。最後に食べたのは……いつだっけ? 家のパンは基本僕が作っていたから覚えてないや。
「近江さんは?」
「私は……『卵焼きコッペパン』」
「おぉ〜おいしそう」
「お姉ちゃんたちと違って凝ってないから恥ずかしいよ……」
近江さんが作ったのはパンにだし巻き卵を挟んだシンプルなもの。確かに『映え』を意識するなら凝った方がいいかもしれない。だけどシンプルな方が素材の味をしっかり感じられる。ようはどっちもいいということだ。
「そんなことないよ。すっごくおいしそう」
それに近江さんの卵焼きはおいしい。初めての頃は形が崩れてしまっていたけど、今は彼方先輩の教えもあってかなり成長している。
「いただきまーす」
近江さんのパンを手に取る。彼方先輩と姉ちゃんのはデザート系だから近江さんのパンから食べることにした。
お腹がすいていたから、大きく口をあけてパンを口にした。
──途端、僕の頭の中は真っ白になって、昔の記憶がフラッシュバックした。
「……えっ?」
この味……。
なんで……。なんで近江さんが……。
「や、やっぱり普段からパンを作ってる中須君に出すのは恥ずかしいよ~」
もう一度口にする。この味、食感、口に広がる香り。
間違いない。これは……。
……昔食べた、無敵級のコッペパンの味だ。
「こ、このコッペパン! 近江さんが作ったの?」
「えっと、私は少し手伝っただけで……」
「でもはる子パン作るの初めてって言ってたけどセンスあるよ!」
初めて……。
信じられない。でも確かに記憶の中の無敵級コッペパンは形が歪だった。不慣れな人が作ること、そこにこのコッペパンの秘密があるのかもしれない。
なんにせよようやく、ついに無敵級のコッペパンにまた出会うことが出来た。感動で涙が出てきそうだ。もっと食べたい、味わいたい。そして作ってみたい。
「近江さんが欲しい……」
「……え?」
「一緒にパン作ろう! そしてお店開こうよ!」
「えぇ!?」
僕は近江さんの手をとって言った。こんな美味しいパンを作れるなんて感動だ。是非ともその技術を僕のものにしたいし、このパンを世界に広めたい。
「それってもう告白通り超してプロポーズじゃん!」
「およよ、遥ちゃんが遠くに……でもおめでとう」
姉ちゃんと彼方先輩が何やら勘違いしている。
「これからもパン作ってみない? 近江さんのパンだったら毎日でも食べられるよ!」
「えっと……」
近江さんは考える仕草をする。無敵級のコッペパンを作れるんだ。ぜひとも夏休みの間にたくさん作ってもらって、その技術を盗んでいきたい。
「う〜ん、別にいいかな」
しかし断られてしまった。胸が痛い。意外とショックを受けていた。
「ど、どうして……?」
「だってほとんどかすみんさんが作ったようなものだしそれに……」
「それに?」
「私は中須君のパンが大好きだから」
近江さんは恥ずかしそうに顔を赤らめる。
その笑顔を見て僕は──
ドクン。
心臓が跳ね上がった。
「え、あ……あり、がとう……」
何か言おうと思ったけど上手く口が回らない。顔が熱い。熱がぶり返してしまったみたいだ。
「あ、かず照れてる〜」
「遥ちゃんやりますなぁ〜」
姉ちゃんたちの声が遠くのように聞こえる。というか姉ちゃんがほとんど作ったって言ってたけどもしかして……。いや、今考えるのはよそう。
「来週の月曜日から練習だけど、中須君来れそう?」
「う、うん……。またコッペパン持っていくよ」
「うん、楽しみにしてるね!」
近江さんの笑顔が眩しい。鼓動はまだ収まらない。早くこの熱を治さしてコッペパンを届けに行きたい。
◇
女装して虹ヶ咲学園に潜入してから僕の人生は大きく変わった。
彼方先輩に会った。近江さんと仲良くなった。スクールアイドルを知った。スクールアイドル部へコッペパンを届けるようになった。彼方先輩に告白して、フラれた。
そしてついに無敵級のコッペパンに再会することができた。
だけど、ワンダーランドに辿り着いたかといえばそんな気はしない。
この数ヶ月で大好きなものがたくさん増えてしまった。贅沢だけど無敵級のコッペパンだけじゃワンダーランドとは言えない。
世界で一番のワンダーランド
そこは大好きなコッペパンを大好きな人と一緒に食べる、幸せと笑顔でいっぱいな場所なんだ。