7月の放課後。帰る準備をしながら近江さんと雑談をしていた。
「ダイバーフェス?」
「そう。今度それに出ることになったんだー」
どんなフェスだろうと調べてみる。検索したらすぐに出てきた。『あの有名バンドやミュージシャンも参加!』とデカデカ広告されている。あ、この人知ってる。ふむふむ、観客数3000人……。
「……3000!?」
「うん。今までにない規模だからみんな張り切ってるんだ」
この間のビーナスフォートは多く見ても100人くらい。それと比べたら本当に桁違いだ。そんなデカいフェスに招待されるだなんて……もしかして近江さんたちってすごい?
「それでスクールアイドルの枠が3つで、東雲と藤黄は決まっているんだけどもうひとつをどうしようか相談してるの。それで藤黄の人が虹ヶ咲を強く推してて……」
「へー、いいじゃん。姉ちゃん腰抜かすよ」
ニジガクのステージは彼方先輩のと、録画で見た天王寺さんのやつしか見たことがない。素人目だけどふたりとも東雲と負けないくらいいいステージのように思えた。推薦してもいいんじゃないかと思うけど、近江さんは悩んでいるようだ。
「でも虹ヶ咲はソロアイドルでしょ? 一曲分の枠しかないから誰が出るか揉めないかなって」
「あー……」
なるほど。近江さんの悩みも分かる。せっかく大きなフェスに出場できても、ソロ主体の虹ヶ咲ではひとりしか出られない。虹ヶ咲は一度方向性の違いで廃部になった。今は大丈夫だと思うけど、この一件で溝ができないか心配しているんだろう。
「まあそこら辺はなんとかなるんじゃない?」
「え?」
「一度解散しかけたんだから、そこらへんは慎重になるでしょ」
「そうだといいけど……無責任じゃないかな?」
近江さんは心配してるみたいだけど、正直僕はあまり心配していない。近江さんの引退騒動のとき、同好会みんなで彼方先輩たちを心配していた。みんな優しい人たちなんだ。そんな人たちなら大丈夫だろう。大きいライブだからニジガクにとって悪くない話だし何より……。
「彼方先輩のライブ、もう一度見たいな……」
「確かに……うん、私もお姉ちゃんと一緒のステージに立ちたい!」
また彼方先輩のライブが観れるかもしれない。それだけでもこの話はニジガクに持っていくべきだ。近江さんも同じ気持ちのようで、推薦する決心がついたようだ。
「でもすごいなあ、こんな大きな会場でライブだなんて。しかもニジガクはひとりで立つんでしょ? 僕だったら心臓がいくつあっても足りないよ」
「あはは……そう、だよね……」
苦笑いする近江さんはどこか力無い感じだ。
「……近江さん?」
「……ううん、なんでもない。じゃあ私部活行ってくるね!」
「うん、いってらっしゃい……?」
何か変。奥歯に物が挟まったような違和感を覚えながらも、僕は帰宅した。
◇
時間は刻々と進み、ダイバーフェスまであと1週間となった。近江さんスクールアイドル部の活動は忙しくなっていると校内でも話題になっている。虹ヶ咲は朝香果林先輩が出ることになったそうだ。姉ちゃんは「今回ばかりは果林先輩に譲ってあげます!」と言って果林先輩のサポートをやっているらしい。東雲も虹ヶ咲もフェスに向けて追い込み練習をしているみたいだ。
そんななか僕はふたつの役割を担っていた。
「こんにちはー」
「あっ、中須君いらっしゃい!」
スクールアイドル部の部室をノックする。出てくれたのは2年生の支倉かさね先輩だった。
「今日の分です」
「ありがとう~。中須君のコッペパンはおいしいから毎回楽しみだよ!」
フェスが近づき、スクールアイドル部は遅くまで活動するようになった。そこで調理部に差し入れの依頼が入った。なんでも近江さんが食べていたコッペパンがおいしそうだったからだとか。僕の役割はコッペパンを作り、スクールアイドル部の部室まで届けることだった。
「遥ちゃーん! 中須君来たよー!」
「知ってますから大声で言わないでください!」
「中須君、あたしたちしばらく休憩だから休んでって!」
「遥ちゃんと話してて!」
何回か差し入れしに部室を訪れたが、いつも近江さんと話すように言われる。これが僕に託されたもうひとつの役割で、先輩曰く近江さんのメンタルケアらしい。
「もう、先輩はいつもいつも……。ごめんね中須君、帰っていいからね?」
「いや。近江さんと話すの好きだし、少しここにいてもいい?」
「はあ……またそんなこと言う……」
近江さんはため息をつく。
近江さんと話すのが好きというのは嘘ではないが、目的は他にある。フェスが近づくにつれて、近江さんの笑顔が少なくなっている気がした。何か悩んでいることがあるみたいだけど、近江さんは話してくれない。スクールアイドル部の人たちもそれを感じ取ったみたいで、僕に差し入れの話を持ち込んだ。なんで僕と疑問に思ったけど、部の人たちは僕が適任だと言う。
「今日のコッペパンはなに?」
「今日は『こんがりカプレーゼコッペパン』と『ラクレットチーズコッペパン』!」
カプレーゼとはトマトとチーズとバジルを使ったイタリアのサラダ。赤、白、緑とイタリアの国旗の色で構成されたカプレーゼはとにかくオシャレでSNS映えする。モッツァレラチーズはチーズの中でもカロリーが低く女子受けもいいのがポイントだ。
対してラクレットチーズはちみつコッペパンはパワー型。カロリーなんて気にしない、たっぷりチーズと蜂蜜のおいしさで現代社会のストレスを吹き飛ばす幸福度ランキング世界3位(2021年)のスイスのようなコッペパンだ。
「……ってごめん、話過ぎた」
ついコッペパンのことを訊かれて話過ぎてしまった。近江さんのことを訊こうと思ってたのに忘れるところだった。
「近江さん、何か悩んでいることない?」
「悩み?」
「うん。なんか最近元気なさそうだったから……」
変に遠回しにではなく、直球で訊く。
「悩み……そうだね。いつもより大きな会場だから少し緊張してて……」
近江さんの言葉に納得する。そりゃそうだよね。だって3000人だよ? 教室で発表するのすら緊張するのにその100倍くらいあるんだもん。
「……近江さんなら大丈夫。あんなにすごいパフォーマンスが出来るんだから、3000でも30000人でも絶対上手くやれるよ」
「うん、ありがとう……」
言葉に反して近江さんの表情は優れない。
「中須君はフェス見にきてくれる?」
「うん。もう申し込んであるよ」
「……なら私は大丈夫。もし緊張しても中須君がいると思えば大丈夫だから」
近江さんは笑顔を作ってそう言った。でもやっぱり少し違和感を覚える。まだ何かあるんじゃないか、無理をしてないか。そんな疑問が頭の中をぐるぐる回っていたけど、近江さんは大丈夫だと言うので無理矢理納得することにした。
◇
そしてダイバーフェス当日。僕は朝の早いうちに会場まで足を運んでいた。
ビーナスフォートでの東雲学院のライブは女子高校生が圧倒的な割合を占めていた。それに対して今日は見た目大学生以上の人が多い気がする。メインのバンドのファン層なのかな。
「スクールアイドルっていうのもあるんだって、知ってる?」
「知らない。あ、藤黄学院って妹が通っているところだ!」
後ろからそんな会話が聞こえてきた。言われて今更気がついたけど、今日この会場に来ている人の全員がスクールアイドルを知っているわけではない。むしろ知ってる人の方が少ないかもしれない。
これは頑張って応援しないとな……。
鞄にあるペンライトを見る。はじめてライブを見たときどうすればいいか分からなかった。そんなとき近くでコールをする人のおかげで声を出して楽しめたし、みんなが振ってるペンライトの色に合わせて一体感も感じられた。スクールアイドルが好きになって数ヶ月だけど、まだスクールアイドルを知らない人も楽しめるように盛り上げていきたい。
そう思ったとき、携帯が震えるのを感じた。
メール……彼方先輩からだ。
『会場の裏口方面に来れるかな?』
そこにはただ一行、そう書かれていた。
◇
彼方先輩に呼び出しを受け足早に会場裏口、関係者出入りスペースまで戻ってきた。デートの誘いでないことは分かってるけど、なんの用だろう?
「あっ、かずま君〜。こっちこっち」
「なにかあったんですか?」
「遥ちゃんに差し入れ届けようと思ってね〜。一緒にどうかな?」
要件はやっぱり近江さんのことだった。まあ、彼方先輩だもんね。
「もちろん行きます! でも僕一般ですけど入れるんですか?」
「かすみちゃんから関係者のカード借りてきたから、いざというときかすみちゃんのふりをすれば大丈夫だよ〜」
大丈夫じゃないと思う。彼方先輩の中で僕はよく姉ちゃんのふりをする人になっているんだろうか。
そんなこと考えながら出演者ブースに入り、僕と彼方先輩は東雲学院のいる控えスペースまでやってきた。
「こんにちは〜。遥ちゃんいますか〜?」
「あ、お姉ちゃん。来てくれたの?」
「遥ちゃんに差し入れ。かずま君だよ〜」
そう言って彼方先輩は僕の肩を掴み、近江さんの方へ押してきた。差し出されちゃったぜ〜。
「もう……お姉ちゃんまでそういうことする……」
近江さんは苦笑いする。近江さんは元気がなさそうだった。
「遥ちゃんたちの出番ってまだ先でしょ〜?」
「うん、そうだけど……」
「じゃあちょっとお散歩しない?」
◇
彼方先輩の提案で僕たちはステージ裏を散歩することにした。
ステージの裏で出番を待っている出演者たちはさまざまなことをしていた。ギターの音を確認したり、目を閉じてヘッドホンで音楽を聴いたり、中には逆立ちしている人もいた。……何故逆立ち? とにかく観客の僕では見られないはずの新鮮な光景だった。
「みてみて〜あそこの人のギター面白い形してる〜。あっ、あの人たち知ってる〜!ファンの子が同じクラスにいるんだ〜」
ステージ裏を歩く彼方先輩の口は止まらなかった。本当に近江さんがいるとテンションが高いな。
「へー、そうなんだ」
対する近江さんはさっきから空返事しかしていない。どこか心ここに在らずといった感じであった。
そんな近江さんの様子を彼方先輩が見逃すはずもなく、人通りのないスペースまで来た時に先輩が口を開いた。
「遥ちゃん何か悩みごと〜?」
「……そんなに分かりやすい?」
近江さんは悩んでいることを否定せず、暗い笑みを浮かべてそう言った。
「まあね〜。かずま君もそう思ったでしょ〜?」
「そうですね」
「そうだったんだ……」
「何か不安ごと?」
問いかける彼方先輩の雰囲気は優しい。だけど近江さんが本音を言うまで逃さないという想いも感じた。
「怖いの……ステージに立つのが」
彼方先輩の気持ちを汲んだのか、近江さんはゆっくりと話しはじめた。
「怖い?」
「うん……。今日はいつもより大きな会場、スクールアイドルを知らない人がたくさんいる。頭では分かってると思ってたんだけど……実際にお客さんの歓声を聞いて……」
「怖くなっちゃった?」
近江さんは頷く。スクールアイドルを知らない人がたくさんいるということは、僕もさっき気づいたばかりだ。隣にいた人がそうだったから。
「見てくれなかったらどうしよう、楽しんでもらえなかったらどうしよう、私のせいで藤黄と虹ヶ咲にも迷惑かけたらどうしようって考えたら、一気に不安になって……」
そんななか東雲学院はスクールアイドル枠の中でトップバッターを務める。会場の人がスクールアイドルにどういう印象を抱くか。それは東雲学院のパフォーマンスにかかっている。そしてそれが続く藤黄やニジガクのライブの盛り上がりにも影響する。責任重大だ。
その重圧に近江さんは耐えてきたんだ。スクールアイドル枠のトップバッターとして、そのセンターとして。きっとずっと前から。
そんな近江さんに対して僕はただ緊張しているだけかと思っていた。近江さんなら大丈夫だなんて、なんて無責任な励ましだったんだろう。
「教えてくれてありがとうね」
彼方先輩は俯く近江さんを抱きしめ、目に浮かんだ涙をそっと拭った。
「お姉ちゃん……」
「遥ちゃんたちなら大丈夫、自信を持って。いつも通りのパフォーマンスをすれば、ここにいる人全員を楽しませることができるよ〜」
「そんなこと……」
「あるよ〜。だって遥ちゃんたちのライブでスクールアイドルにはまった人が、目の前にいるでしょ〜?」
「あっ……」
近江さんと目が合う。近江さんのライブでスクールアイドルにはまった人……あっ、僕か。
「かずま君は遥ちゃんのライブを見てどう思った?」
「……すごく感動しました。初めてコッペパンを食べたときくらいには」
「おー、あのかずまのコッペパンと張り合えるなんて、これはもう無敵級だよ〜」
「もう……」
「悩んでいることみんなに話したの〜?」
「ううん」
「どうして?」
「だって……不安なのはみんな同じだし、センターの私がこんな弱いところ見せたら……」
「ひとりで抱え込んじゃダメ。遥ちゃんはひとりでスクールアイドルをやってるの?」
優しい彼方先輩の声。緊張して固くなった心を溶かすような声だった。
「遥ちゃんはひとりぼっちじゃない。ステージの上はグループのみんながいるし、観客席には彼方ちゃんとかずま君がいる。この会場はものすごく広くて、遥ちゃんたちのこと知らない人もいるけど、彼方ちゃんたちがついてるから」
「……ありがとう、お姉ちゃん」
近江さんは彼方先輩の背中に手を回す。不安が完全になくなったなんてことはないと思うけど、きっともう大丈夫だ。
「かずま君も遥ちゃんに伝えたいことがあるんだって」
……へ?
「え? 彼方先輩?」
伝えたいこと……? いや、あったかもしれないけど全部彼方先輩が言ってくれたというか。近江さんそんな期待するような目で見ないで……!
「えっと、近江さんには内緒にしてって言われてたんだけど……」
何も言わないのもまずい気がするので思いついたことを言うことにした。
「差し入れのとき毎回近江さんと話してたでしょ?」
「うん……」
「あれ、クリスティーナ先輩たちに頼まれてたんだ」
「え?」
「近江さん何か悩みがあるみたいだから、おしゃべりしてリラックスさせて欲しいって」
「そう、だったんだ……」
差し入れを依頼されたとき、クリスティーナ先輩たちからそう頼まれた。悩みがあるけど話さない近江さんをみんな心配してたんだ。
「だから、みんなに心配かけたくないとか気にしなくて大丈夫。近江さんのことみんなもう心配してるから」
……あれ? あんまこれ言葉良くないな? これじゃあ『お前のことなんてとっくに心配してるんだから変に気を遣うな』みたいに聞こえちゃう。
「えっと、悪い意味じゃなくてね! 僕が言いたいのはひとりで悩まないでっていうことで……あれ、そうなると彼方先輩が言ったことと変わらないな……」
本当に言いたいことは彼方先輩が言ってくれた。彼方先輩はなんで僕に振ったんだ……これじゃあ締まらないじゃないか。
「ふふっ……」
言葉選びに悩んでいたら近江さんに笑われてしまった。
「あはは! 中須君慌てすぎだよ〜」
「ごめん……」
恥ずかしい。せっかく彼方先輩がいい雰囲気を作ってまとめてくれたのに……。
「ううん、ありがとう。中須君の気持ち伝わったから」
「私はひとりじゃない。苦しいときこそみんなで乗り越えるのがグループだよね。ありがとうお姉ちゃん、中須君! 会場のみんなにスクールアイドルの魅力を伝えるすっごいパフォーマンスをするから、見ててね!」
近江さんはすっきりとした様子で控えスペースに戻っていった。
よかった。本当によかった。彼方先輩がいなかったら近江さんは不安を抱えたままライブに臨んだかもしれない。
彼方先輩はすごいなあ……。本当は僕が近江さんの悩みを訊いてあげなきゃいけなかった。支倉先輩やクリスティーナ先輩に託されたのだから。それなのに僕は全然寄り添えなくて……本当ダメだなあ。
「はあ……」
「どうしたの〜?」
「ちょっと、近江さんのことで」
「遥ちゃん?」
「さっき言ったように、スクールアイドル部の人たちから近江さんのこと頼まれていたんです」
「うんうん」
「それなのに僕は近江さんがただ緊張しているだけだと思って、近江さんならできるって無責任な励まししかできませんでした」
「彼方ちゃんだって同じこと言ったよ〜?」
「でも彼方先輩の言葉で近江さんは立ち直りました。僕の言葉は近江さんにかえってプレッシャーをかけたんだと思います」
「そんなことないよ?」
「近江さんがスクールアイドルを辞めると言ったときも、逆に混乱させるような助言をして……。僕って全然近江さんの力になれてないなって……」
「こ〜ら〜」
視界が暗くなり、身体が柔らかいものに包まれる。それが抱きしめられているということに気づくのに数秒かかった。
「か、彼方先輩!?」
「かずま君は難しく考えすぎ〜。この前も今回も、かずま君は遥ちゃんを思って言ってくれたんでしょ? その気持ちは遥ちゃんに伝わっているよ〜」
背中をポンポンと叩かれる。
「いつも遥ちゃんのこと見てくれてありがとうね」
「あっ……」
身体が解放される。名残惜しくて、つい声が漏れてしまった。
「じゃあ果林ちゃんが心配だし。彼方ちゃんは同好会へ戻るね。かずま君ありがとう! また今度お礼するね!」
「は、はい……。またいつか……」
走り出していった彼方さんを見送る。
「……はーーーっ」
ダメだ、気持ちが抑えられない。気を抜くと叫び出してしまいそうだ。
あれは反則だろう。あまりのことに悩みも吹き飛んでしまった。
いきなり抱き締めるって……僕、男なんですよ? 姉ちゃんと勘違いしてません? 実際彼方先輩にとって僕は姉ちゃんと同じ括りにいるんだろうけど。男として見られてなさそうなのは辛いなあ。
それでもふくらむこの想いは止められない。
僕は、彼方先輩のことが、どうしようもなく好きなんだ……。
次話9月27日更新予定
今までに出てきたコッペパンは2020年のエイプリルフールの日に企画された『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 最強コッペパン総選挙』に登場したコッペパンです。アニメにも出てます。
コッペパン総選挙
Next
第6話 22点の告白