ダイバーフェスが終わった次の週、月曜日の昼休み。僕は近江さんとお昼ごはんを食べていた。
「なんか今日のお弁当豪華じゃない?」
「あはは……ダイバーフェス成功のお祝いだって」
いろいろあったが、ダイバーフェスでの近江さんたちのライブは大成功。続く藤黄もニジガクもいい空気の中圧巻のパフォーマンスを見せ、スクールアイドル枠はすごい盛り上がりを見せた。
「はい! これ中須君にあげる」
近江さんが卵焼きを指差す。あら嬉しい。ひとつ取って食べてみた。ふんわりとしていて、口に入れると出汁の旨みが口の中に広がった。
「おいしい!」
「よかった……」
近江さんはホッと胸を撫で下ろしている。
「もしかしてこれ、近江さんが作ったの?」
「うん」
「やりますねえ!」
「ふふっ、お姉ちゃん直伝です!」
近江さんは得意げにピースをする。彼方先輩の得意げな顔も目に浮かんだ。
「ライブは次いつやるの?」
「うーん……やるとしたら文化祭かな?」
「そうなんだ。じゃあ夏休みはひたすら練習?」
「そうなるかな。合宿するって先輩言ってた」
「おー、部活っぽい」
期末テストも終わり、もう夏休み目前。話題は自然と夏休みのことになった。
「ただ……」
「うん?」
「今回のテスト数学があまり解けなくて……夏休みに復習しないとまずいかも……」
「あー、今回の数学少し難しかったよね。今日返ってくるんだっけ?」
「結果を見るのが怖い……」
「まあダイバーフェスがあって勉強時間取れなかったしね」
テストは先週の水曜日まであり、その週の土曜日がダイバーフェスだった。近江さんたちはテスト期間中でもダイバーフェスの練習に費やしていた訳だし、今回ばかりはどうしても点数は下がっちゃうかもしれない。
「中須君は? テスト期間中もコッペパンの差し入れしてくれたし、あまり勉強時間取れなかったんじゃない?」
「僕は大丈夫。もともとテスト前だからって勉強量増やしたりしないから」
テスト直前に慌てて勉強しても対して点数は上がらない。それは実証済みだ。大事なのは日頃どれだけきちんと勉強しているかだ。
「すごいなぁ……でもそうだよね。テスト期間とダイバーフェスが近いのは前から分かってたんだから、日頃から勉強してたらなあ……」
近江さんは反省した様子を見せる。真面目だなあ。
「そういえばニジガクって夏休みライブするか聞いてる?」
テストが終わったのに勉強の話なんてしたくない。僕と近江さんどちらにも縁があるニジガクの話題を振った。
「やりたいって話は出てるみたい」
「へー、楽しみだなあ」
「そうだね。お姉ちゃん3月に卒業するから、ひとつでも多くライブが見たいよね」
「え?」
近江さんの言葉に動揺する。手にしたコッペパンを机に落としてしまった。
「卒業……」
当然の話だ。彼方先輩は3年生なんだから来年の3月に卒業する。
『はい、かずま君。アーン』
『これからもおいしいコッペパンをいっぱい作ってね〜』
『いつも遥ちゃんのこと見てくれてありがとうね』
彼方先輩との思い出が頭を駆け巡った。出会ってそんな時間は経ってないのに、僕の中で彼方先輩の存在は大きなものになっている。
彼方先輩が卒業したらどうなるんだろう? 今までのように会えたりしなくなるのかな? 元々高校も違うんだからそんなに変わらない?
……分からない。
ただ彼方先輩が卒業するということが僕の何かを駆り立てた。
「……中須君?」
僕は彼方先輩が好きだ。この気持ちを胸にしまったままお別れするなんて、嫌だ。
◇
そんな焦燥感に駆られながら昼休みが終わり、数学の授業が始まった。
「それじゃあテスト返すぞ~」
今日は期末テストの返却と振り返り。夏休み前の消化試合みたいなもので、多くのクラスメイトの気が緩んでいるように感じた。
「近江ー」
近江さんが呼ばれる。近江さんはおそるおそる解答用紙を見て胸を撫で下ろしていた。思ったより悪くなかったみたいだ。
「どうだった?」
「あはは……なんとか平均……」
苦笑いで答える近江さん。あれだけ不安がってて平均……? なんてことだ。心配した僕の気持ちを返して欲しい。おめでとう。
「中須ー」
そして僕の名前を呼ばれた。点数を見る。……まあ、概ね予想通りかな。
「中須君は何点だった?」
「22点」
「流石だね……って22点!?!?」
近江さんが素っ頓狂な声をあげ、その声にクラスメイトたちが何事かと僕たちを見た。いくら僕でもクラス全員にこの点数を知らされるのは恥ずかしいからやめて欲しい。
「やっぱり差し入れしてたから点数下がったんじゃあ……」
「関係ない関係ない。中間のときと点数変わってないから」
「え?」
近江さんが信じられないものを見たかのような目をする。
「あの時はテスト前日徹夜で勉強したのにこんな点数でさ……勉強なんて意味ないよ」
「日頃から勉強してないからでしょ!? なんでそれで勉強しないって方向に行っちゃうのかなあ!?」
遠い目をする僕の肩を掴まれて揺らされる。頭とれる〜。
「夏休み楽しみだな〜。帰りに小麦粉買っていこ〜」
「なんでそんな呑気なの!? もう少し危機感を持った方がいいと思うよ!?」
近江さんはそう言うが、夏休みは無敵級のコッペパンを探究すると決めている。
今の僕を止められる者は……いない。
「来週の追試に合格しなかったやつは夏休み補習地獄だから勉強しとけよ~」
「……はっ?」
……いたわ。
◇
「テストを見せなさい」
その日の夕方。僕と姉ちゃんは母さんに呼び出されテーブルに向かい合って座っていた。
「はい」
「どうぞ」
「……」
答案用紙を並べる。どれもお世辞にも高いとは言えない。特に数学は僕も姉ちゃんもひどいものだった。
「数学どっちも22点……こんなところまで似てなくても……」
母さんは額に手を当てる。呆れと怒りと悲しみでごっちゃになってるようだ。
「22点でにゃんにゃん♡」
「は?」
「ごめんなさいなんでもないです……」
場を和ませようとした姉ちゃんだったが母さんに一蹴される。いや本当なにそれ?
「今まで勉強のことは何も言ってこなかったけど、いくらなんでもこの点数は見過ごせません」
「来週の追試までかずまとかすみは夕飯前に1時間勉強すること!」
「「えぇ〜!!」」
すっかり夏休みモードの僕だったが、先生と母さんによってあっさり呼び戻されてしまった。ちくしょう……。
◇
「はぁ……」
勉強令が出て早数日。今日は学校の図書館で勉強をしていたが進捗はあまり芳しくない。集中力もきれ、とりあえず勉強を始めてから1時間経ったので図書館を出た。
「あぁ……パンこねたい……」
一応数学の問題を何問かは問いた。基礎問題くらいならなんとかできるようになった……明日には忘れてそうだけど。とにかくやっただけで偉い。
公園に寄ろうかな。確か今日はコッペパンのキッチンカーが来ているはずだ。
「おやぁ? 迷える子羊ちゃんがいるかと思ったらかずま君ではないか~」
パンを買い、公園のベンチで食べていたところに後ろから声をかけられた。
「彼方先輩? どうしてこんなところに……」
声をかけてくれたのは彼方先輩だった。こんなところで会えるなんてラッキーだ。
「それはね〜、すぐそこのスーパーでアルバイトをしているからだよ~」
「そうなんですか?」
彼方先輩が指差す方には確かにスーパーがあった。そのスーパーの存在は知っていたけど、もっと家の近くにスーパーがあるのであまり利用したことはない。彼方先輩のアルバイト先だったんだ……通おう。
「それでかずま君はこんな時間に一体何をしているのかな~?」
「勉強……ですかね」
隠すことでもないので正直に答える。ついでに母さんから言われた勉強令のことも話した。
「あぁ、それでかすみちゃんも勉強してたのか~」
姉ちゃんは同じ一年生の人たちを巻き込んでちゃんと勉強しているみたい。なんだかんだ真面目な姉ちゃんだ。
「かずま君はテスト何点だったの?」
「22点です」
「おぅふ……」
顔が引き攣る彼方先輩を見て少し胸が痛む。ちょっと見栄を張ればよかったかも。
「あはは……ひきますよね……」
「そ、そんなことないよ〜。22点でにゃんにゃん、可愛いと思うよ〜」
両手で猫の手のポーズをする彼方先輩。……うん、可愛すぎる。ありがとうございます。
「勉強は進んでるの~?」
「それが……あまり集中できなくて」
「うんうん。かすみちゃんも苦労してたよ~」
「三角比なんて勉強しても絶対将来使いませんし、勉強のやる気が起きないんですよね……」
「難しい問題だね〜。気持ちは分からないこともない……かな?」
のんびりと話す彼方先輩。確か先輩は特待生で奨学金をもらって家計を助けているんだっけ……。本当に立派だと思う。なんだか自分が恥ずかしくなってきた。
「あぁ、勉強しないで頭よくなりたい……」
「そうだな〜。かずま君はコッペパンのお店を開くのが夢なんだよね? だったら勉強しないと〜」
「そうなんですか?」
パン屋を開くのに勉強、考えたことなかった。
「もちろん。商売なんだからちゃんと利益の出る値段を考えなくちゃいけないし、お店の光熱費や器具の費用、アルバイトを雇うならそのお給料も視野に入れないとダメだよ〜」
彼方先輩の口からどんどんお店に必要な情報が出てくる。お金、お金、お金……。店を開くのは思ったよりも大変そうだ。
「あと開業するには初めにすっごくお金が必要だけどかずま君どうする〜?」
「それは……お金を借りる?」
「そうだね〜。融資を受けるにも審査があって、費用対効果、粗利率、イニシャルコスト、お金の内訳とか売上見込みとかを書いた事業計画書を書かないといけないんだよ〜」
うへえ、面倒くさい。計画書とか報告書とか本当苦手分野だ。
「三角比とかは直接使うことはないかもしれないけど、そこで鍛えられた論理的思考力は社会できっと必要になってくると思うよ〜」
そう、なのかな……。うん、彼方先輩から言われるとそんな気がしてきた。少し勉強に対するやる気が出てきたかもしれない。
「それに〜勉強できないと女の子にモテないぞ〜」
モテないぞ〜…………
モテないぞ〜…………
モテないぞ〜…………
彼方先輩のそのひと言で、心の中で火がついた。
勉強できないと、モテない。彼方先輩ももしかしたら勉強ができる人の方が……。
「ありがとうございます! 勉強頑張ります!」
「うん、彼方ちゃん応援してるよ〜」
男というのは単純な生き物で、好きな人の言葉なら勉強でもなんでも頑張れるのかもしれない。
◇
「それじゃあ勉強はじめるよ〜」
土曜日、普段はあまり入らない姉ちゃんの部屋。そこのテーブルを僕と姉ちゃんと彼方先輩が囲んでいた。
「なんで彼方先輩がうちに!?」
「かすみんが呼んだから!」
「お呼ばれされちゃったぜ〜」
ふたりは揃ってピースで答える。仲良いな。
なんにせよ彼方先輩が勉強を見てくれるなら心強い。学力的にもやる気的にも。彼方先輩にがっかりされないためにも、しっかり勉強するぞ!
…………。
……と、意気込んで数時間。信じられないほど順調に勉強は進んでいた。自分の才能というか単純さが怖い。
「ふぃ〜疲れました〜」
「じゃあ休憩しよっか〜」
「はい、ジュースとってきますね」
よっこいしょと姉ちゃんは立ち上がり部屋を出る。彼方先輩とふたりきりとなった。
「ふたりとも頑張ってるね〜。これなら追試は大丈夫なんじゃないかな〜?」
「彼方先輩のアドバイスのおかげですよ」
「いや〜照れますな〜」
彼方先輩はテーブルに突っ伏しておやすみモードに入っていた。すぐに姉ちゃんが戻ってくるだろうけど、今は彼方先輩とふたりきり。少しドキドキする。
そこで、前話したときから気になっていたことについて訊いてみた。
「少し気になったんですけど、どうしてあんなにお店を開くことに詳しいんですか?」
「それはね〜、彼方ちゃんもお店を開くのに興味があるからだよ〜」
「え、そうなんですか?」
「うん。彼方ちゃん将来はお料理をするお仕事につきたいと思ってるんだ〜」
思いがけない返答に少し驚く。……いや、彼方先輩の料理の腕ならむしろ納得だ。
彼方先輩の夢を聞いてある未来が頭に浮かんだ。都内に立つ一軒のカフェ。僕が作るコッペパンと彼方の料理で……。
「お待たせしました〜! かすみん特製プリティジュースで〜す」
「わーい」
姉ちゃんの登場によって僕の妄想は途切れた。いけないいけない。彼方先輩の前なんだからしっかりまじめなところを見せないと。気持ちを切り替えるためにも喉を潤して……。
「……ってすっっっっぱっ!!」
姉ちゃんが持ってきたジュースを飲むと口いっぱいにレモンの酸っぱさが広がった。口がキュッと縮んで唾液が出る。
「あはは〜、かず引っかかった〜。かすみん特製超酸っぱいジュースだよ〜」
「かす姉……!」
「まあまあこれで集中力も上がるし、目も冴えたでしょ? 彼方先輩も飲んでください。これで今日一日お昼寝しなくてすみますよ」
「おぉ助かる〜……すっっっっぱぁ!?」
彼方先輩も口をすぼめる。結局姉ちゃんも飲んで全員が口をすぼめて勉強をすることになった。
◇
そして放課後に行われた追試。難易度が低かったのと勉強した甲斐もあり、確かな自信を持って終わらせることができた。これなら補習地獄も余裕で回避できたはずだ。
晴れ晴れした心持ちの僕は学校近くのスーパーで買い物をしていた。コッペパンの材料を買うためと、彼方先輩に会えるかもしれないからだ。
「おやおやぁ〜?」
そして幸運にも彼方先輩と遭遇することができた。しかし店員の格好ではなく、虹ヶ咲の制服を着ている。
「随分と晴れやかな顔をしておりますな〜」
「追試がちょうど終わったところなんです」
「ほーほー。その様子からすると〜?」
「はい、ばっちりできました」
「わあ〜すご〜い! えらいえらい〜」
慣れた動作で頭を撫でられる。あぁ、幸せだ……。
「彼方先輩はバイトですか?」
「ううん〜。今日はお買い物」
「じゃ、じゃあ少しお散歩しませんか?」
追試が終わって気分が高揚していたこともあり、勇気を出して彼方先輩を誘ってみた。
「もちろんいいよ〜」
彼方先輩は快諾してくれた。すごい、言ってみるもんだ。なんだか今日は何でもできる気がする。
◇
「来週ね〜、みんなで合宿するんだ〜。そこでどんなライブをするか決めるの」
スーパーからの帰り道、僕と彼方先輩は海沿いの道を歩いていた。
「遥ちゃんとはどう〜? 仲良くしてる〜?」
「そうですね。最近お昼を一緒に食べることが多いです」
「いいね〜。順調順調〜」
話題はやっぱり近江さんのこと。近江さんのことを話す彼方さんは少し幼く見え、子供のように笑うので見ていて好きだ。
「夏休み遥ちゃんと会う予定はあるの〜?」
「夏休みの間はないですね」
「え〜、遥ちゃん寂しがるよ?」
「いやいや、そんなこと……」
「そんなことあるよ〜」
「前にも言ったでしょ。かずま君の気持ちは遥ちゃんに伝わってるって」
ダイバーフェスのときにかけられた言葉だ。近江さんの力になれなくて少し落ち込んでいたときに彼方先輩が言ってくれた言葉。彼方先輩のおかげで元気をもらえた。
「あのときはありがとうございました。また悩みがあったら相談にのってくれますか?」
「もちろんだよ〜」
少し前を歩く彼方先輩が振り向いて言ってくれる。後ろの夕日と合わさり、幻想的で綺麗だった。
「かずま君は〜、彼方ちゃんの弟みたいなものだから〜」
だけど出てくる言葉は僕の心を締め付ける。
……弟か。
分かっていた。どんなに彼方先輩と仲良くなっても、彼方先輩にとって僕は近江さんの友達で、姉ちゃんの双子の弟。それ以上の関係には届かない。
だから彼方先輩が僕を撫でたり、膝枕したり、抱きついたりするのは、僕のことを弟としか見ていないからで、そこに恋愛感情は含まれていないんだ。
…………。
「かずま君はバスだっけ?」
「……」
「かずま君?」
今はそういう対象に見られてなくても、未来はどうなるかわからない。まだ彼方先輩と出会って数ヶ月。ふとしたことがきっかけで仲も進展するかもしれない。
「……好きです」
それでも、ふくらんだこの想いを止めることはできなかった。
次話10月9日更新予定
書き溜めがない&近々試験があるため更新が遅くなります。
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第7話 愛叫ぼうよ