少し短め
──ごめんなさい
僕の告白に対する彼方先輩の返事だ。その後なんて言って去ったのかは覚えていない。ただそこから逃げたくて走った。
枕を濡らす夜が何日か続いた。フラれるなんて分かりきっていたのに、ショックでコッペパンすらまともに作ることができなかった。
そんな僕を立ち直らせてくれたのが近江さんだ。近江さんは僕の作るコッペパンをまずいと言い放った。
──コッペパンは中須君の夢でしょ!? しっかりしてよ!
その言葉で目が覚めた。作ったコッペパンをひとくち食べる。それはもう本当にまずいとしか言えないような味だった。
そうだ、コッペパンは僕の夢だ。それなのにこんなものを作って……。このままじゃダメだ。
その後はなぜか近江さんに引っ張られ、カラオケをすることになった。心というものは案外単純なもので、大声で叫んだら少しは気が晴れた。失恋の傷は完全には癒えてないけど、夢に向かってもう一度頑張ろうと思うようになった。
そのために……。
そのために、夏休みの間もスクールアイドル部にコッペパンを差し入れることにした。
「スクールアイドルフェスティバル?」
「うん、虹ヶ咲が企画するスクールアイドルのお祭りなんだって」
「へー、なんか面白そう」
部室にて、近江さんとコッペパンを食べながらおしゃべりをしていた。
「今日のパンは?」
「今日は『さくらあんホワイトコッペパン』! あんことホイップクリームというコッペパンの定番の組み合わせを採用してさらに『和』の心を表現するためにさくらあんを──」
「あ、電話だ。ちょっと出るね」
説明の途中だったけど近江さんのスマホに着信が来て中断される。
「もしもし、お姉ちゃん?」」
電話の相手は彼方先輩のようだ。それよりも……。
さっきの着信音彼方先輩の『Butterfly』だよね!? え、いいな!
「うん、じゃあお姉ちゃんも頑張ってね…………ごめんね、中須君」
「う、うん……ところで今の着信音……」
「着信音? あぁ、お姉ちゃんがくれたんだ。いいでしょ」
「いいなあ……」
「聴く?」
「聴きたい!」
そう言うと、近江さんはイヤホンの片方を渡してくれた。片方を近江さんの左、もう片方を僕の右耳に装着した。
〜〜〜♪
「綺麗な歌声だよね……」
「うん。昔から大好きだったんだ……」
片耳から心地よい彼方先輩の歌声が流れてくる。あぁ、フられて傷ついた心が癒される……その彼方先輩にフられたんだけどね。
「遥ちゃ〜ん?」
彼方先輩の世界に入り込んでいたところに、支倉先輩が遠慮がちに声をかけてきた。
「え、あっ、かさね先輩!? もう練習再開ですか?」
「いや、練習までは時間あるけど……」
支倉先輩は言葉を切って僕と近江さんを見る。なんだろう?
「ふたりって付き合い始めたの?」
「……」
「……」
思いがけない言葉に、僕も近江さんも言葉を失った。
「つ、付き合ってませんよ!!?」
「あ、そうなんだ。ごめん、なんかいつも以上に仲良さそうだったから早とちりしちゃった」
頬を膨らませて抗議する近江さん。その様子を見て僕は少し考えた。
近江さんか……。
少し考えてみる。彼方先輩が散々言っているように可愛い……と思う。クラス、というか学校で人気も高い。付き合いたいという男子は多いだろう。
夏休み前から近江さんとの仲を誤解されることが多い。確かに仲は良いと思うけど、付き合ってるとか恋人とかではない。付き合わないの、とよく訊かれるけど……よくわからない。今の近江さんとの距離感がちょうどいいから、その先に進もうとは考えたこともなかった。
……それに、やっぱりまだ失恋を引きずってるし。近江さんのおかげでほとんど気にしてないけど。今は恋とかそういうのは考えたくない。
「ほら、練習再開しますよ! 中須君もコッペパンありがとうね!」
先輩たちからいじられていた近江さんは顔を赤くして立ち上がる。僕も部室を出て帰ることにした。
それにしてもスクールアイドルフェスティバルか……。どういうものかまだ分からないけど、名前を聞いただけで胸がときめく。もちろん彼方先輩も出るんだよね?
……あの日から彼方先輩と話してないなあ。
◇
「かず、スクールアイドルフェスティバルの打ち合わせに参加して!」
帰宅すると突然、姉ちゃんがそんなことを言ってきた。
「なんで?」
「ステージの演出でやりたいことがあって……」
「やりたいこと?」
「しず子が主演の演劇があったじゃん? それで思いついたんだけど……」
姉ちゃんの言うことをまとめると、演劇では桜坂さんに扮した謎の人物がいて、まるで本当に桜坂さんが二人いるかのように見えたそうだ。
「そして似たようなことをやりたいと」
「そういうこと! かずにはかすみんの衣装を着てステージに出て欲しいの!」
「ヤダ!」
即断る。迷う必要もない。
「なんで!? 立ってるだけでいいんだよ?」
「いや、普通に姉ちゃんの格好なんて恥ずかしいし」
「今まで何度もしてきたじゃん!」
「してない。ちゃんと女装したのは姉ちゃんが風邪ひいたときだけで、あとはした覚えない」
近江さんたちと遊んだときとか姉ちゃんのふりはしたけど、女装はしていない。スカートなんてもう絶対に履かない。
「……コッペパン同好会」
ボソリと姉ちゃんがそんなことを呟いた。思わずピクっと反応してしまう。それを見逃さなかった姉ちゃんはニヤリと笑った。
「かずこの間言ってたよね。コッペパン同好会が作るコッペパンが最高に美味しかったって」
「う、うん……それが?」
「今回のライブ〜、コッペパン同好会のみんなが手伝ってくれるんだよね〜」
姉ちゃんはわざとらしく声色を少し上げて、ゆっくりと話す。早く本題を話せ。
「協力してくれたら〜、かすみん頼んでコッペパンの作り方聞いてくるよ?」
「ぐっ……」
意地悪そうにこちらを見てくる。悔しいが魅力的な提案だ。彼女達のコッペパンの秘密を知れば、無敵級のコッペパンに大きく近づくだろう。
「………………分かった。やる」
「さっすがかず〜! ありがとう♡」
う、うざい……。でもこれも無敵級のコッペパンのためだ。女装でもなんでもやってやる!
◇
そしてやってきたのは虹ヶ咲学園……の校門前だった。今日は女装してないので流石に校内には入れない。いや女装しても入っちゃダメなんだけどね?
「それじゃあみんなに紹介しますね〜。かすみんの弟のかずまで〜す」
「ど、どうも……」
コッペパン同好会の人たちに挨拶をする。本当は一度会ったことがあるんだけど、あの時は姉ちゃんのフリをしていた。バレないとは思うけどどうしてもビクビクしてしまう。
「すごい! そっくり!」
「双子なの!?」
「知らなかったー!」
「はじめまして!」
僕を見て、コッペパン同好会の人たちは驚いていた。ごめんなさい、はじめましてじゃないんです……。
「……はじめまして。同好会のコッペパンがすごく美味しくて、その秘密をムガムガ……」
「ダーメ。本番終わったら教える約束でしょ」
「え? かすみんの弟さんなら作り方……」
「はいみなさん! 早くいきますよ!」
コッペパン同好会の人が何か言おうとしていたが姉ちゃんによって遮られてしまう。ちっ、姉ちゃん余計なことを……。
◇
ファミレスでの打ち合わせが終わり、オレンジ色の空の下を僕と姉ちゃんは歩いていた。
「かず、ありがとうね」
「どうしたの急に?」
「別に、ただお礼が言いたかっただけ」
珍しく姉ちゃんは素直にそう言った。真正面からのまっすぐな言葉に、僕は何も言えなくなる。
「スクールアイドルフェスティバルってさ。みんなの夢を叶える場所なの」
「みんなの夢……」
「私は自分のかわいいを存分にアピールしたい。それをスクールアイドルフェスティバルで叶えるの」
そう意気込む姉ちゃんの顔はいつになく真剣だ。
「だからかずも期待してて! 応援してくれるみんなも楽しめる最高のライブにしてみせるから!」
姉ちゃんが拳を上に突き出して宣言する。
……本当に姉ちゃんはスクールアイドルにひたむきだ。スクールアイドルを頑張っている姉ちゃんは眩しすぎるくらい輝いている。
だからまあ、僕も少しくらい応援したくなった。
◇
東雲学院でもスクールアイドルフェスティバルに向けて本格的な練習が始まっていた。僕は変わらずコッペパンの差し入れをしていた。
「中須君、明日なんだけど……コッペパンは大丈夫かも」
「おっけー。なにかあるの?」
「その……明日、お姉ちゃんが来るの」
「え?」
近江さんの言葉に僕は少しばかり動揺した。彼方先輩が? どうして東雲に?
「スクールアイドルフェスティバルでお姉ちゃんと私たちでコラボステージを企画してて、明日はその練習があるの」
そういうことか。複数の学校が参加するから合同ステージとかできるのか。
近江さんは前々から彼方先輩と一緒のステージに立ちたいと言っていた。その夢がスクールアイドルフェスティバルで叶うというわけだ。
「それは楽しみだなあ」
「うん。それでお昼はお姉ちゃんが用意してくれるし、その……」
近江さんは言いにくそうにしているけど、言いたいことは伝わった。
告白をしてから、僕は彼方先輩に会ってない。もともと学校も学年も違うから頻繁に会ってはいなかったけど、近江さんの様子を聞いたり、ただ雑談するためにメッセージのやり取りはたまにしていた。そのメッセージも最近していない。気まずいからだ。近江さんはそんな僕を心配してくれているようだ。
「明日も行くよ」
「え?」
「クリスティーナ先輩や支倉先輩からパンをリクエストされてるから」
「でも……」
「それに彼方先輩に会いたい。このままじゃダメだと思うから」
「……そっか」
「心配してくれてありがとうね」
彼方先輩にフラれたけどファンであることに変わりはない。せっかくそこそこ仲が良かったんだから、前のような関係に戻りたい。きっと明日がそのチャンスだ。
明日は頑張るぞ……!
◇
翌日のお昼過ぎ。僕はスクールアイドル部の部室の前に立っていた。
扉の向こうには近江さんたちに加え、彼方先輩がいるはず。僕は深呼吸して気持ちを整えた。
「失礼します」
部室に入る。彼方先輩は近江さんの隣で話をしており、僕に気付くと目を丸くして驚いていた。
「先輩~、コッペパンです」
「おっ、ありがとうね~」
「いつもありがとうございます」
クリスティーナ先輩と支倉先輩にコッペパンを渡す。これで今日の仕事は終わり。帰ってもいいのだが、僕は迷わず近江さんと彼方先輩のところへ向かった。
「彼方先輩もお久しぶりです」
「う、うん。久しぶりだね、かずま君……」
彼方先輩は返事をしてくれる。いつも通りに見えるけど、やっぱり前と距離を感じてしまう。
「彼方先輩」
その理由は他でもなく僕が告白したせい。
「少しお時間いただけますか?」
だから僕が元に戻さなきゃダメなんだ。
◇
彼方先輩を連れ出した僕は花壇の近くを適当に歩いていた。
「かずま君のコッペパン人気だね〜」
「嬉しい限りです。前と比べてコッペパンの味も進歩したと実感しています」
「遥ちゃんもおいしいって言ってたよ〜。そういえば遥ちゃんにお料理も教えているんだよね?」
「そうですね」
「遥ちゃんどんどんお料理が上達してるんだよ〜」
「それは彼方先輩の教えのおかげでもありますよ。この間はびっくりしましたよ。近江さん、姉ちゃんとハンバーグ作ってたんですけどめちゃくちゃ美味しかったです」
「え〜、彼方ちゃんも食べたかったな〜」
「あはは……」
「……」
「……」
ヤバい。会話が続かない。近江さんのことならひと晩話せるはずの彼方先輩がだんまりしている。何か、何か別の話題……。
「……ごめんね」
彼方先輩がぽつりと呟く。小さな声だったけど、辺りの静けさのおかげでしっかりと耳に届いた。
「次かずま君と会ったら、前のように接しようと思ってたのに、いざこうして目の前にすると……どうすればいいか、何を話したらいいか分からなくなっちゃった……」
「彼方先輩……」
「あれからね。お昼寝するときとかバイトしてるときとか考えてたんだ。告白の返事はあれでよかったのかな? もう少し時間をかけて返事をした方がよかったのかなって……」
そう、なんだ……。
彼方先輩そこまで悩んでいたんだ。僕の勝手で悩ませてしまったのを申し訳なく思う。だけど同時に、僕のことをここまで考えてくれたんだと思うと少し嬉しい。
「彼方先輩」
だから僕は満足だ。辛いこともあったけど、告白して良かった。
「頭、撫でてくれますか?」
「え?」
彼方先輩はキョトンとしている。
「彼方先輩は僕のこと弟のように思ってるんですよね?」
「うん……」
「なら、前みたいに頭を撫でてください」
「わ、分かった……」
おそるおそるといった感じに彼方先輩の手が頭に乗る。優しい手つきだった。
「……辛くない?」
彼方先輩が訊いてくる。全く辛くないと言えば嘘になる。あくまで僕は弟で、それ以上先にはいけないことを実感してしまうから。でもこれが僕と彼方先輩のキョリなんだ。
「全然。それ以上に幸せでいっぱいです」
「……そっか」
遠慮がちだった彼方先輩の撫でる力が少し強くなる。彼方先輩も調子を取り戻してきたみたいだ。
「よしよし」
幸せ……。
「もっと姉ちゃんにやってるみたいに……」
「お〜、よしよしよしよし〜!」
あぁ、いい……。なんか大型犬みたいな撫でられ方してる気がするけどいい……。
「お姉ちゃん〜、そろそろ練習始めるけど……え、何してるの?」
彼方先輩渾身のなでなでは近江さんが来るまで続いた。近江さんは若干引いてたけど、僕と彼方先輩が仲直りしたことを喜んでくれているようだった。
その後は彼方先輩と東雲学院のコラボステージの練習が始まった。すごく気になるけど、本番までの楽しみにしておきたい。僕は家に帰ってコッペパン作りに励むことにした。
練習、パン作り、ステージの打ち合わせ……。それぞれがスクールアイドルフェスティバルに向けて歩みながら時は流れ……。
ついに、スクールアイドルフェスティバル当日を迎えた。
次話10月23日更新予定
次回スクールアイドルフェスティバル開幕!
あと2話で完結します。
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第9話 みんなの夢を叶える風