「動け、動け……っっ!」
すれ違いの一瞬、何が起きたかウソップには分からなかった。
ウタが無防備に落ちていく様、
その光景にようやく理解が追いついた時、なお走り出さない己の脚にウソップは泣きそうになった。
ウタが、殺されてしまう。
「ここで行け、なきゃよぉ、くそぉ……っ!」
己は何を自称していたのかと自身への怒りと悔しさにウソップは戦慄く。
仕損じた、しかし血溜まりを作って
「
クロはウタとウソップの事を、自身にここまで手傷を負わせ、手こずらせた以上、もはや小僧小娘と侮って考えていない。
倒すべき敵と認識を改めていた。
すでに数々の狙撃からウソップの位置にはアタリをつけている。ケリを付けるべく、次の狙撃の射角を予測し森を見渡す。
そこで。
クロの視界の端で、ゆらりと立ち上がった姿に、未だ若い
ウソップもまた、真っ赤に染まったパーカーの袖口から血を滴り落としながらも立ち上がる姿に、震えた。
「う、た……」
震えながら名を呼ぶ。ふと、ウソップの心に灯るものがあった。
味方と敵。2人から見詰められる中。
立ち上がり、血濡れの顔で振り返ったウタは、クロを認識してすかさず攻勢に打って出る。
──いい゛い゛っっ……──だ、く、ない゛ぃいっっ!!
ウタは脂汗を額一杯に流しながら、歯を食いしばって右腕をクロへと振るい線を放った。
……吐きそうな程の激痛に堪えた。子供達にあんな涙を流させた、ウソップの大好きな村と大切な少女を狙った、……そうやって。
ウタの大好きな
「いいだろう。やはりお前から、きっちり殺してやるっ!」
乱雑な5つの線の内4つをステップを刻んで躱し、
クロに仕掛けたものの、その場を動けずにいるウタに
「──そこだ……っ!」
「まあ今だよな」
狙撃手の敵ながら理想的な狙い澄ましに、クロは苦笑いを1つ零した。
飛来する風切り音を想定通りと評し、クロは急加速の姿勢からとは思えない軽やかな身じろぎ1つで避けた。
足止めにもならなかった。爆風を涼しい顔で受け流すクロが半秒もせず来るだろう、痛みと疲労に動くのも億劫なウタは、賭けにでた。
クロがコレでまず1人だと斬りかかり、ウソップが寸秒先の光景を想像して絶望した、その矢先──震えて動かなかったウタの身体が
「──え、便利」
その奇妙な動きの正体をすぐ悟ってクロが思わず素で驚く。ウソップは遠目に「え、素敵」と状況を忘れて呟く。
クロから付かず離れずの距離を、地面を嘗めるように動き続けるウタ。
ウタのブーツとパンタロンの膝辺りまで、ほのかに光る音符マークが刺繍のようになって浮かんでいた。
ウタの操る汎用性の高い能力への関心を捨て置き、クロは移動していく先へと
──限界が近いっ……っ。
高速でウタの左側面に回り込もうと疾駆するクロは、──今日初めて戦慄した。
──
「──なっ!?」
遠くウソップの視界からは、クロの姿が消えてすぐ、ウタもまた消えていた。
まるでクロの
紫の瞳が、
クロからすれば信じ難い瞬間だった。
背筋に走った悪寒を振り払うようにクロが打って出る。
左側面に追いすがるとすかさず
高速接近から右の爪で横薙ぎを、避けた所へ貫手を重ねる2連撃!
ウタは速やかに自らを
──なんだその出鱈目な……っ!?
単に足を使った移動では有り得ない複雑に過ぎる機敏に、クロが内心で呻く。
高速で、かつ、右に左にも同速の勢いで残像がブレていた。ウタの避けたその先が見えない。
速度を出せてかつ自在に動く移動術、姿の行き先を目で追えない……まるで己のような何かと対面しているような錯覚に陥りつつ、止まるは悪手と誰もいない正面へと
背面からのウタの流線が、クロの腹部を完全に絡めとる寸前の回避行動。
肝を冷やしながらギリギリと力強く引く流線を
すぐ側の木の幹が半ば吹き飛ぶ。
耳をつんざく爆音に顔を顰めながら見上げた先、ウタが居ないと歯噛みする──そのクロの横。
半壊した幹がメキメキとへし折れ地面に倒れていく、その隙間から、ウタが頭から這い出でるように滑り込んで現れ、歯噛みしていたクロは刹那ではあるが唖然とした。
……ウタは痛みと出血で朦朧とする意識の中、足を包む能力を感覚だけで操作していた。
音符に乗って空を飛ぶ感覚。
足裏だけを乗せてスライダーのように扱い滑る感覚。
弾む音符を蹴って跳びはねる感覚。
それら全ての移動能力を掛け合わせた、音符のロングブーツ。
宙を跳ねながら、後追いしているだけではクロを捉えられない。
クロの瞬発力、瞬間加速は極めて高く、移動中とて目で追えない。
なら、と。
戦いの中、切られた瞬間、ウタがクロを捉えるなら、勝つならばどうするかを導き出した答えだった……。
倒れる寸前の木と地面の合間からの奇襲、クロの意表を突いたウタがすれ違いざま、右手1つで流線を放つ。
これまでで最も乱雑な軌道、だがその線の手繰り手が複雑怪奇な機動でかつ加速していることで、
両の
速すぎるウタとクロの攻防を遠目に、張り裂けんばかりに眼を凝らすウソップは息も忘れてパチンコを引き絞り、流線を凌ぎ終えたクロを狙い澄ます。
流線を切り払った直後のクロには、一直線に切り返すウタが見えていた。
乱機動で撹乱される前にクロは迎え撃つつもりで踏み込み、本能からの警鐘に従って仰け反る。
同時に眼前で爆発、出足を挫く火薬星の煙に包まれる前に
「ナメるな……っ!」
舌打ちし、先に止まりはしない! とクロも駆けた。
追随して流線を放ってくるウタ。
流線を切り捨て、回避しながら、ウタのその動きの機動を目で追う。
目が回りそうになるほど追い切れず、クロは頭が割れそうなほど苛立った。
木々の上を滑り、茂みの合間を抜け、岩肌をなめて、宙すらも高速の機動力で前後左右斜めに跳ね回る動きまでしてのける。
その上で散々に、延々と、流線を放ってくる。
それに応じるか、と構えれば飛んでくる火薬星、ウタがクロに近ければ鉛星。腹の立つ程的確な射撃。
叫びたくなるほど心を乱されていた。
──森でなければ……っ!!
杓子……際限のない加速に物を言わせて辺り一帯を切り裂いて回る、クロの必殺。
だがその切り札を切るには森は
いくらも拓けていない場所で、視界の確保もできぬほど加速しては自滅必至……クロからすれば、木や岩に顔面から衝突して負けましたなど死んだほうがマシ。
そも
「っは、っ……っ!」
捉えられてはいない。絡められるも即座に切り払っている。
だが。
走り回っていても防戦一方であり、
「ぉ、っぉおっ……ぁあ、あアぁっ、……〜っ!」
肩で息をしていた。
ただしく、窮地であると、認識していた。
計画のこともクロネコ海賊団のことも、今のクロの頭には何もない。
敵であると認めたとしても。
生意気にもこの百計のクロを速さで翻弄するこの女を、ちょこざいにも的確な援護をしくさる海賊小僧も、必ず殺すという怨念似た激情がクロを突き動かす。
──は、きそう……吐かない……はかな、い……っ!
縦横無尽に高速で、地面と宙を木々を茂みを移動する……それはまた空を飛ぶのとはまるで違う感覚でウタを苛み、歯を食いしばって耐え忍んでいた。
眠気は左腕の痛みが掻き消す、けれども疲労は誤魔化せない。
流線を振るうのはもはや叶わない。
振るって絡めたとしても簀巻きにはとてもできない。
左腕も切られてからずっとそうだが、右腕の感覚も朧気だ。
せめてもの、ウソップの火薬の一撃がマトモに炸裂すればと、そのための隙を作るのに音符を使って浮かす方向に腐心する。
クロもまた、その絶え絶えとした息の上がり様から限界が見えている。
ウタもそうだが、クロもそうなら。
──我慢比べだ海賊執事……!!
ウソップは決め手であるはずの己自身に、気が触れそうなほど腹が立っていた。
高速戦闘がなんだ。
キャプテン・クロがなんだ。
接近戦の心得がないからなんだ!
ウタが前衛を買って出るからこそ任せた。
ウソップ自身の後衛は冴えわたっていた。
即席の布陣としてはよく戦えていた。
……そんな事を考えてる場合じゃない。
ウタは見るからに限界だ、いや限界なんてとうに超えているのが目に見えている。
左腕の出血は遠目にも酷い。妙なデザインのシャツも可愛らしい白とピンクのパーカーも白かったパンタロンもウタ自身の血て赤く染まっている。
振り絞れるもの全てを出し切って、死に物狂いの意地すら絞ってウタが戦っている。
吠えている、咆えているんだ! 声の出せないあいつの叫びが聞こえる!
倒す、と。
勝つ、と。
「俺はなんだウソップ、──俺は何だっっ!!」
答えを出す。そのために何をすべきかはわかり切っている。
どうなったって構わない。ウタが今にもぶっ倒れそうになりながら、声なき声で負けないと咆えているなら──勝機を!
恐怖に震える膝を叩き、ウソップは血戦の渦中へと駆け出していった。
ふと──流線の攻めが緩んだことに気づく。
ふと──足下の煩わしい音符が減った事に気づく。
ふと──目線が定まっていないことに気づいた。
「ふ、ふっふい゛っ、あ゛ぁ゛っ!!」
そこが終着かと、限界が来たかと察したクロがついにウタを仕留めるべく動く。
冴えのない、しかし速さの面影の残す
もはや脚を動かす気力もない。立っているのがそもそも変だ。
いっそのこと倒れたい、休みたい、眠りたい、ルフィの腕まk──
『もう、会いたくないのかよ』
──会いにいく、んだから……!
「っ、しね゛ぇええええ────っっ!!」
目を血走らせたクロが一秒後に振り下ろす
「ぅううあああああああ────ーっっ!!」
ウタを抱えるように飛びついたウソップが、それを背中で受けた。
なんで!? とでも言いたげな、血で汚れた顔のウタにウソップは下手くそな作り笑顔を返した。
地面に倒れると同時に「ぎぃいづつつったくねぇえええっ」などとやはり下手くそ極まる演技をつつ、震える身体を起こして立ち上がった。
「なんだ、今更になって、先に殺されに、来たかっ!?」
「今更? そうだ今更だ! 今更になって、目の前でお前をぶっ飛ばしたくなって出てきちまっただけだ!! 喰らえクロォオッ! 必殺」
「やかま、しい゛ぃいっ!」
「ぅあっ!!」
ウソップがパチンコをクロへと向けた瞬間、
──いや、違う!
倒れ伏すウタは、ウソップが痛みに震えながらクロの足下に倒れ込むように
──でもダメ、それじゃウソップが、ダメだ!
クロはもはやうずくまったウソップを殺すべく猫の手を振り上げていく。
──残されたものは何か、手はないか、出し尽くせるものはまだなにか、まだ、まだ────!!
動けない身体で、今にも消えそうな脚の音符に、気づいた。
「──俺の名は、キャプテン・ウソップ」
「は? ハンッ、そうかよ……っ!」
顔を上げたウソップ。
爪を振り下ろすクロ。
脚の音符を炸裂するように自壊させた。炸裂した瞬間、無数に散り舞う小音符。
ウソップもクロも、突然の事態に硬直した。
──ここで終わりじゃダメだ、なにも変わらない、無駄に終わる!
でもやったことはない。
だって試したこともない。
流線そのもので事足りたことだから、必要だと考えたこともない。
だけどこの瞬間、今ほんの1秒を引き止めるだけの力があればいい!
──お願いっっ!!
ウタの一か八かの想いは、形になった。
無数に散った音符がウタの右手を起点に寄り集まって、絡まりあって、想いの通りに連なっていく!
「この、こ、こんな……!?」
手足を縛り上げられ狼狽するクロ見て、ウソップは、そんな瞬間にも聞こえるウタの勝てという叫びに背中を押されて勢いよく立ち上がった。
そこでウソップは、そういえばさっき、喰らえと言って言いそびれた言葉を思い出す。
村を、皆を、カヤを、人の心を弄んだクロというクソッタレなケダモノにこそ相応しい!
「──
──必殺!!
「ウソップバスター──グロォオオオオブッッ!!」
火薬星を握り込んだ工具用のグローブの掌を、キャプテン・クロの顔面に叩きつけた!!
おれぁいま、ドンと胸を張ってるよ