野球回です。
「いよっしゃー、試合じゃオラー!」
樹が気合の入った声でライン引きを飛ばして走る。ライン引きが白い粉を吐き出しながらガラガラという音を立てていた。4月某日。練習場にて。天気は雲一つない快晴。春の陽気さに当てられて小鳥が歌を口ずさみ、家に引きこもる者達も思わず外の空気を吸い込みに外へ出るようなそんな空気。まさに今日は運動日和と言えるだろう。
「おい橙山」
「何すかキャプテン!」
「元気なのはいい事だが、線がぶれてる。やり直し」
「えっ、マジですか!?」
「ふふふ……賑やかだなぁ」
そんな会話をしている樹たちの様子を見ながら、碓氷は微笑みを浮かべていた。彼女も彼女で用具の整理などの仕事をしている最中だ。だが、彼女の笑みはある言葉が聞こえた途端にみるみる色を失っていく。
「牧野先輩もなんか丸くなったよなー、俺らが1年の時なんて怒ってばかりだったのに」
「あれじゃね? キャプテンになって自分の経歴に箔をつけるために好感度稼ぎしてるとか」
「あー、それか新しい監督が入るって聞いたからレギュラーに入れてもらえるように媚びを売ってるっていう感じなのかもな」
「にしてもさぁ、キャプテンがあんなコロコロ顔色変えてるようじゃチームの士気に関わるってゆーか、はっきり言ってメイワクだよなぁ」
「それな! あーあ、早く俺らの代が来ねーかなー!」
話しているのは2年の
「……駄弁っている暇があったら手を動かしてもらえます?」
「は? 何だよ碓氷か。はいはい、分かりましたよ」
「チッ、いちいちうるせーっての」
「そうやって悪口を言うだけで何もしないからあなたたちはダメなんだよ」
「……あ?」
「だってそうでしょう? 結局言いたいだけ言って後は他人任せじゃない。だからレギュラーも取れないのよ」
「テメェ!」
「おいおい、やめとけって!」
「あーそうだよなぁ! お前は牧野先輩大好きだもんなぁ! 大好きな先輩を庇えてさぞ満足なんだろうな!」
「は? 何それ、バカみたい」
「お前もキャプテンも同じだよ! 人に媚ばっか売りやがってキモいんだよ!」
「……!」
「おーいお前ら、用具運び終わったか?」
あわや一触即発。喧嘩に発展しそうだった険悪な空気は、第三者の乱入によって遮られた。それがよりにもよって、渦中の人間である牧野だったために、碓氷と言い争っていた二人も返答がしどろもどろになる。
「あ、えーっと……もう少しで終わります!」
「何かあったのか?」
「いやいやちょっと話し込んでただけですよ! ほら行くぞ最上!」
「……」
大下はへこへこと頭を下げながら、最上は不満げに碓氷を睨みながらその場を離れていった。小さくなっていく彼らの背を認めながら、碓氷は小さくため息をついた。
(やれやれ。媚を売ってるのはどっちなんだか)
「では碓氷も準備があるので」
「お前は待て」
「ぐえっ」
碓氷が立ち去ろうとしたところで牧野が彼女のジャージの襟をひっつかんだ。思いもしなかった行動に碓氷の口からカエルの断末魔のような声が漏れた。碓氷が咄嗟に口を押さえ、薄目で軽く牧野を睨みつける。
「……何てことするんですか。つい乙女らしからぬ声を上げちゃったじゃないですか。これで男子からの人気が落ちたらどう責任を取るつもりで?」
「お前そういうの気にするタイプじゃないだろ」
「流石先輩、目が肥えていらっしゃる」
「どういう意味だよ。全然嬉しくねぇし。……はぁ、俺が声かけてなかったら喧嘩になってただろ」
碓氷の眉がわずかにぴくりと動く。されど視線を逸らす事は無く、声も普段と変わらない平坦な様子で返答した。
「そんな事ありませんが?」
「嘘つくの下手なんだよ。何話してたかまでは聞かねーけど、あんま危ない事すんなよ。ただでさえ誤解されやすいんだから」
「どういう意味ですか」
「さぁね。さてと、とっとと準備するぞ」
「止めてきたの先輩でしょ。あ、ちょっと。……もう、全く仕方がないですね」
そう言って牧野の後を3歩遅れてついていく碓氷。毒づく言葉とは正反対に彼女の歩き方は軽やかだった。
「というわけで……とにかく皆怪我なく! だけど自分の長所をしっかりアピールすること!」
「「「はい!」」」
列になって並ぶ選手達の前。真白が大きく息を吸い込んで発言する。こういう時はシンプルな方が選手に伝わりやすい。実力を計るためとはいえ、第一優先は怪我無く試合を終える事だ。故に真白は端的に述べた。
「よし、良い返事だ。じゃあそれぞれ分かれて準備!」
真白の声で、両ベンチに選手が集まっていく。いわゆる一軍には監督の真白が、二軍には勝と石田のマネージャー二人がつく形だ。主審は顧問の前田が快く担当してくれた。
「では皆さん、作戦通りにいきましょう。普段は味方ですが今回は敵同士。というわけで手加減はいりません。思い切り。ぶっ潰すつもりで。徹底的に。勝ちにいきましょう」
「何か恨みこもってません……?」
「How Rude(失敬な)! そんな事はありません。ええ、恨みも何でもないです。が、私を一軍に入れなかった事を後悔させてやろうとは思っています。では打順ですが……」
2軍を主導するのは石田だ。なるほど、試合前からやけに彼女に気合が入っていたのはどうやらそれが原因らしい。キャプテンとして指揮を執るのは彼女だが、選手でもある彼女の事を考えて勝がベンチからサポートするようだ。
「1番・ショート。橙山」
「ッ! はいっ!」
樹が顔を上げ、声を上げる。緩んだ表情を隠すかのようにぱっと頭を下げた。来た! 来た来た来た。二軍とは言え、スタメン! それも1番! アピールするにはこれ以上ない、絶好の機会だ。その後呼ばれていく打順は右耳からどこかへと流れていったが、些末な事である。
「では打順は以上です。それでは円陣を。……私たちの持つ刃が彼らの喉元に届きうる事を証明しましょう。さぁ行きましょう!」
「「「おう!!」」」
「……うん、あっちも気合入ってるね。こっちも頑張らないとなぁ」
盛り上がる2軍の選手を横目に、真白がぼそりと呟く。1軍も先ほど先発を発表したばかりだ。何か喝を入れるべきだろうか。そんな事を考えていた真白に興奮気味に恋川が話しかける。
「監督監督! アレやりましょうアレ! 何かアオハルっぽくていい感じじゃないですか!」
「あ、やる? いいよ、誰が声掛けする? 僕がやろうか?」
「いえ! こういうのはキャプテンの牧野先輩が向いていると思います!」
「はぁ!? 無茶ぶりかよ!? ったくもう……。長ったらしい講釈を垂れるのは嫌いなんで単刀直入に言う。勝つぞ!」
「「「おう!!」」」
そうして気合を入れた1軍の選手たちが守備位置へと就いていく。軽く素振りをしながら樹は物思いにふけっていた。
(こっから、高校デビュー……!)
樹の視界には、確かに真白が映っていた。
スターティングメンバー
先攻 2軍
1番 ショート 橙山(1年)
2番 セカンド 田中(2年)
3番 レフト 湖南(1年)
4番 ライト 最上(2年)
5番 キャッチャー 辰川(1年)
6番 サード 高橋(1年)
7番 ファースト 滝野(1年)
8番 センター 石田(2年)
9番 ピッチャー 大下(2年)
後攻 1軍
1番 センター 石神(2年)
2番 セカンド 関(3年)
3番 レフト 姉崎(3年)
4番 ライト 近江戸(3年)
5番 ファースト 阿久留(2年)
6番 ショート 田丸(2年)
7番 ピッチャー 牧野(3年)
8番 キャッチャー 西(3年)
9番 サード 碓氷(2年)
「プレイ!」
樹が一呼吸おいて打席に入る。防具をつけながらも球審の声はよく響いた。それを皮切りにして、両ベンチから声援が上がってくる。バットを回しながら動作を確認する。腕は、肩は、胸は、腰は。ちゃんといつも通りを保っている。地面と水平になるようにバットを肩に掛け、ゆっくりと構える。
牧野も最初のサインにうなずき、両腕を首の後ろへと動かす。標準的なワインドアップのモーションから1球目が投じられた。
(見さらせ、これが俺の華々しき高校デビューだ!)
息を吐きながらノーステップでバットを振り抜く。ボールはバットの上を通り空振りとなった。んがっ、という声が樹から漏れる。投手の牧野も帽子を被り直しながら感嘆の声を出した。
「おいおい、いきなりマン振りかよ」
「……んん」
気合が入っていただけに樹の顔が少し熱くなるのを感じる。大丈夫、タイミングは合っていた。後はバットの位置だ。一度バッターボックスを離れてスイングを確認する。次こそはいけるはずだ。
続く2球目、今度はすぐに牧野が首を縦に振った。右腕から投じられたボールは変化してワンバウンドする。変化に追いつけずバットが空を切る。体を伸ばし、リラックスさせながら頭を動かす。
(そう簡単にはいかねーよな……)
今のは恐らくスライダー。外れてもいい、むしろ無理に勝負するのは避けようというバッテリーの意図を感じた。わずか2球で投手有利のカウントを作り上げた。この状況ではどの球にも対処できるようにバットを短く持つのがセオリーである。しかし樹はバットの持ち方を変えず、打席に戻った。
3球目。力が入ったのかボールは構えていたキャッチャーミットの上へと高く外れた。キャッチャーの西が左手を伸ばしてボールを掴み取る。西が「肩の力を抜け」というジェスチャーをしながら返球をする。ボールを受け取った牧野が無表情でボールを何度か握り直したのが見えた。
「次が勝負球」
「えっ、分かるのフレちゃん!?」
「立ち上がり、ここで球数を稼がれると投手としてもリズムが悪くなる。バッテリーとしてもストライクゾーンで勝負してこのカウントで打ち取るのが理想でしょう」
「なるほど! いや~フレちゃん賢いな~」
「あまりベタベタくっつかないでもらえるかしら。さて、打者としてもこの展開は読めるはず。これに橙山君がどう対応するのかが見どころね」
打者である樹の様子を見ながら、西がミットに手を当てる。攻め方としては良い感じ、後はどうやって締めるかで投手がノッてこれるか変わってくる。
(次、インコースで仕留めに行こう)
4球目のサイン交換が終わる。西が左打者の内角に構えた。左足を踏み込んでボールを投げ込んだ。ストライクゾーン、インコース寄りだが真ん中近く。樹は迷いなくバットを振り抜いた。
「ぬんっ!」
バットは確かにボールを捉えた。しかしそれは芯ではなく、バットの下っ面でボールを叩く形となった。ボールは地面に叩きつけられ高くバウンドする。打球はピッチャーとセカンドの間に転がり、セカンドの関が前に突っ込んでくる。こうなればセカンドと樹の競争になる。
「んだぁぁぁぁぁ!!」
半ば叫びに近い声を出しながら樹は地面を蹴りだす。打ち取られた。けど、まだ打席は終わっていない。一塁ベースまであと五歩、四歩。打球方向を見れば関が捕球しているのが見える。間に合う!
ベースを踏んだ感触がしたのと近くで捕球音がしたのはほぼ同時だった。とっさに審判の方を確認すると、両手を水平に広げるのが見えた。
「セーフ!!」
よく見るとボールが内野に転がっていた。どうやらファーストがボールをこぼしたらしい。状況を飲み込んだ樹が息を整えながら一塁ベースへと戻っていく。何か言いたげにグラブを見つめる阿久留を視界に入れながら真白は言葉をこぼした。
「うーん、流石にいきなり内野守備はきつかったかな……確かにファーストは守る機会が多いけど」
一方の2軍ベンチ、もとい勝は盛り上がっていた。ぱちぱちと手を叩きながら感嘆の声を上げる。
「よしよし、ノーアウトで出塁! こっから繋いでいくよ~!」
「そうね。……理想的なバッティングとは程遠いしボール球を振らされた事は要反省だけど、それは試合後にやる事にしましょう。今はとにかく、試合の方に集中しなくては」
(何か背中に視線が……しかも結構棘のある感じの)
チクチクと刺さる視線に寒気を覚えつつも、樹はバッティングローブを尻ポケットにしまう。
「それで今のボールは?」
「umm、ストレートか、いや半速球の変化球という可能性も捨てきれない。牧野先輩の得意球は確かカットボールだったからそれで詰まらせたのかも」
「へー……あっはは、ごめん分かんないや!」
「……。まぁいいでしょう、次の田中君がきっちり繋いでくれれば」
打順は続いて2番打者、田中が審判に丁寧にお辞儀をして打席に入る。一塁ランナーの樹がじりじりとリードを取りながらサインを確認する。石田からのサインに首を振った後、リードをほどほどに広げながら投球を待つ。今はバントだが、次は盗塁のサインが来るかもしれない。それを鑑みるとここで投球モーションを見極めておくのも必要な行為だ。
一球牽制が入る。緩い牽制だったため、滑り込むことなく一塁に帰塁した。ファーストの阿久留の守備を考えても厳しく牽制で攻めてくることは恐らくないだろう。返球するのを確認して再びリードを取る。打者の田中はのっけからバントの構えだ。
初球、リリースの瞬間に田中がバントの構えを引いてバッティングに入る。ボールは左打者の外角高めに外れた。明らかなボール球だ。田中もバッティングの構えのまま止まった。体をひねりながら田中は石田のサインを待つ。
(こ、これでいいんだよね石田さん)
(OKです。では次の球、ゾーンに来たらバントで)
そして次の球、外角に来たカットボールをバント。ほどよく勢いを殺した打球が三塁線へと転がる。サードの碓氷がボールを掴んで二塁を見る。それから即座にファーストへと送球した。今度は阿久留もしっかりと捕球しワンアウトとなる。一塁ベースを駆け抜けた後、安堵のため息をつきながら田中はベンチへと帰っていく。
「はぁ、良かったぁ~成功して」
「Good Job、田中君。さて、チャンスは作った。後はここからどう帰すかね」
ネクストバッターサークルに入っていた湖南が一度、二度と鋭くバットを振る。そしてバッターボックスに転がったバットを拾い上げ、次の打者である最上に預けて右の打席に入った。バットを手首で回し、湖南が打撃の構えを取る。体を屈めない、のびやかなバッティングフォームは対応力の高さを醸し出していた。
(一旦落ち着いて、まずは着実にストライクを取りに行こう)
西が座りながら両手で大きな四角を作ってみせる。今の投手に必要なのは落ち着き、安心感だ。そのために、とにかくゾーンを広げてカウントを投手有利に持っていく。サインが決まった。牧野がテイクバックしてボールを投げ込む。
(真っ直ぐ、ストライクゾーン!)
(―――ですよね)
真ん中低めに来たボールを基本に沿って打ち返す。ライナー性の打球がセカンドベース手前でワンバウンドして二遊間を破った。樹は打球を見て二塁から三塁を蹴った所で止まる。ほどなくしてセンターからの正確なバックホームが返ってきた。
(危ねっ、んにゃろう回ってたら完全にアウトだったな!)
センターの石神が肩を軽く動かしているのが見える。まだまだ余裕がありそうな感じだ。下手に動いていれば刺されかねなかった。得点に絡めなかったのは残念だが勇み足になってアウトを増やすのも忍びない。
一塁ベース上では湖南がバッティンググローブを外しながら息を整えている。ストレートにヤマを張っておいて正解だった、と彼女は自身の打席を振り返っていた。キャッチャーという生き物は常に脳をフル回転させなければならない。それは守備に限った話ではない。打撃でも相手バッテリーの考えを読む事など初歩中の初歩である。もっとも、いくら球種を絞れてもきっちり対応するには本人の実力が必要なのだが。
四番打者の最上が入る前に、西がタイムを取った。マウンドにピッチャーを中心とした輪が作られる。
「よーし……かなりやばい状況だな! 智治、切り替えていくぞ。多少の失点は気にしなくていい。まだ初回だからな! 打たせていくから頼むぞ内野陣、特に阿久留!」
口火を切ったのはキャッチャーの西である。呼びかけられ、小さく肩が動いた阿久留に対して碓氷がいたずらっぽく話しかける。
「うわー名指しだ、これは阿久留君頑張らないといけないねー?」
「心配しなくてもきっちり取りもす、安心せんか!」
「その意気その意気、これなら多少悪送球しても良さそうだね」
「碓氷。お前がエラーしたら罰走だからな」
「えー私だけ扱いひどくないですか牧野せんぱーい」
「……大丈夫みたいだな」
内野陣から笑みがこぼれる。思い起こせば少し肩の力が入りすぎていたのかもしれない。力んでいるだけでは出せる結果も出せない。
「そうだな、悪い。余計な心配をかけた。一人一人、冷静にだな」
「あぁ、分かってるなら問題ねぇ! よっしゃ、切り抜けんぞ!」
西が牧野の肩を叩いて元のポジションに帰っていく。内野陣もそれに合わせて解散していった。守備は状況によってはバックホームもゲッツーも取れる中間守備だ。最上が右打席へと入って構えを取る。打者の姿を認め、牧野が大きく息を吸い込んでキャッチャーの方を見やった。
「ここをどう切り抜けられるかで試合の展開が変わってきそうだね」
そう言いながらも真白は動かない。ただ戦況を見据えて呟くだけである。
「あ、ターニングポイントってやつですね!? でもいくらなんでも早すぎるんじゃ……」
ベンチにいる恋川が反応して興奮気味に声を上げた後、首をかしげる。
「分岐点に早いも遅いもないよ。……まぁでも、これくらい自分でなんとかしないとね」
「え……」
「ストライク!!」
二人の会話を遮るようにして球審からのストライクコールが響いた。外角いっぱいのコースへの直球。球速こそあまり変化はないが、ミットに入った時の音が違う。最上もバットが出ずに見逃した形となった。
その後もボールを前に飛ばさせずにカウントを整え、2-2からボールゾーンに落ちるスライダーを最上が引っかけてショートへのゴロとなる。田丸がグラブでボールを掴んで流れるように二塁ベースを踏み、一塁へと送球。一人でダブルプレーを完成させた。
「すげぇ……」
樹がホームベース手前で感嘆の声を上げる。守備というものは一見平凡に見えるプレーほど差が出るものである。一瞬の判断、柔らかなグラブさばき、そして正確なスローイング。内野守備の教科書と言っても差し支えないそのプレーには人を惹きつけるものがある。……っていかんいかん、感心してる場合じゃなかった。チェンジになったし早くベンチに帰らなくては。
(くそっ、何でこうなった……!)
1回裏。
(考えが甘かったか)
そう認めざるを得ない。スコアは0-2、なおもランナーを二塁において1アウト。一番の石神にフルカウントまで粘られて四球で出塁されたのがケチのつけ始めだった。盗塁を許して三番の姉崎には一二塁間を破るタイムリー、そして四番の近江戸からは左中間のフェンスに直撃するタイムリーツーベース。あれよあれよという間に2点を奪われた。
そして打順はクリーンナップ、五番の阿久留を迎える。とにかくここで踏ん張っておかないと試合が一方的なものへと傾いてしまう。まだ序盤であるだけに、それだけは避けたかった。
されど、と辰川は苦悩する。十数球受けただけだが大下は平凡な投手である。球威も並み、コントロールも良いわけでなく、変化球もそこまで曲がらない。……困った、抑えられるビジョンが湧かない。彼がスロースターターであったりピンチに強い度胸があれば話は別だが、そんなものは希望的観測でしかない。
「どげんした、早う投げんか」
「……チッ」
阿久留の眼光が鋭く光る。腹をくくるしかないか。打者には聞こえないよう小さく舌打ちをしながら辰川はサインを出す。聞いた話によると阿久留はまだ野球を始めて日が浅いと聞く。ならば変化球主体で組み立てるのがいいだろうか。初球、アウトコースから落ちるスプリットを見逃して1ボール。
(狙ってるのは直球か……? でも今の見逃し方は結構余裕があったような。ううむ、とりあえず今のを続けてみるか)
そして2球目。握りが深すぎたのか、ボールは落ちない。中途半端な半速球となってストライクゾーンへと入っていった。それを逃すほど阿久留は甘くない。
「チェストォ!」
金属バット特有の甲高い音が響く。音が先か、それとも打球が先だったのか。無論前者が正しいのだが、それが疑わしくなるほど彼の打球は早く、鋭く、そして重いものだった。サードの高橋が目で追う事しかできず、ボールはツーバウンドしてレフト線へと転がっていく。打球速度があまりにも速すぎたせいか阿久留は一塁止まりだったが、近江戸が生還するには充分なものだった。
「いやいや、何今の殺人的打球! あんなの取ったらグラブごと吹き飛ぶって……!」
泣き言をわめく高橋。彼を始めとして2軍の選手たちの士気は明らかに下がっていた。まだ1回も終えていない、1アウトしか取れていないというのに0-3。このスコアは両者の差を見せつけるのには十分な物だった。しかし、そんな中で。
(……)
(面白れぇ……! そうこなくちゃなぁ!)
まだ闘志が消えていない選手たちがいるのもまた、事実であった。
選手紹介
牧野智治
ポジション:ピッチャー
右投げ右打ち
最高球速:133km/h(4月時点)
持ち球:ストレート(フォーシーム)、カットボール、スライダー、チェンジアップ、カーブ(あんまり曲がらない)
津田商業高校のキャプテン。先陣を切って周りを引っ張っていくタイプというよりかは裏でチームを支える縁の下の力持ちのような存在。責任感が強く苦労性。
投球スタイルとしては球数が多少かさんでも球威が落ちない本格派右腕といったところ。直球はあまり速いとは言えないが、サイド気味のスリークォーターから繰り出されるカットボールを主体として打者の芯を外すピッチングが主となる。基本的に小さく変化するボールが多く、カーブもそこまで曲がらないため多投しない傾向にある。
面白ければ感想やお気に入り登録など是非。