「ほぅ、双子の男女か」
「まぁね。でもやっぱ親父には負けるけどな」
「ハハハ……言わぬが仏だ将斉」
将和の自宅で年始の挨拶に訪れた三男将斉に将和は乾いた笑い声でそう言うのである。
伴天連歴1946年(光文21年)1月1日、世界は第二次世界大戦を終えていた。
「しかし……何とか戦争は終わったね親父」
「まぁ……まだ怪しいけどな」
第二次世界大戦が終わったのは伴天連歴1945年(光文20年)6月5日の『ベルリン宣言』の時とされている。扶桑皇国連邦はヴィンランドとの和平条約締結後、三国軍事同盟を破棄をトメニア、イタリーに通告。後の9月18日には同盟離脱をして枢軸国からも離脱したのである。
扶桑の離脱にトメニア総統のヒトラーはラジオ放送で激しく非難したが、だからと言って扶桑が方針転換するわけではない。
また、扶桑はヴィンランド、ブリトンの軍の要請に答え陸軍は当初は約15万の兵力と約300両の戦車を北アフリカに派遣してトメニア北アフリカ軍団と激突するのである。
他にも欧州方面には最終的に約25万の兵力と約500両の戦車等、一個主力艦隊と二個機動艦隊を派遣するのである。なお、派遣艦隊総司令長官は将和であった。
扶桑が参戦した事でトメニアは結局は追い詰められていき伴天連歴1944年(光文19年)6月にはノルマンディーに連合軍が上陸したのである。
「そこら辺は史実と一緒かいな」
ノルマンディー上陸の報の時、思わずそう呟いた将和である。それはさておき、ノルマンディーに上陸してからの戦闘は史実と同じ展開だった。違っていたとすればパリ解放の時であった。
史実であれば、パリ解放時は自由フランス軍第二機甲師団が主力となっていたがこの時にそれを勤める筈の自由フランソワ軍第二機甲師団はドイツ空軍の爆撃を受けて壊滅状態となっていた。そのため扶桑皇国連邦陸軍遣欧派遣軍の第18師団と戦車第二師団が主力となって米第38騎兵中隊と共にパリへ進軍したのである。
結果、パリ防衛司令官のコルティッツ大将は史実と同じく連合軍に降伏するのである。なお、この時に防衛軍司令部にヒトラーからの電話が来て「パリを破壊しろ。パリは燃えているか?」との命令があった。それをたまたま司令部に来ていた将和の次男将治が電話口に出てこう伝えた。
「パリは燃えていない。ヒトラー総統、私は戦車第二師団第三戦車連隊長の三好将治中佐だ。貴方が嫌いなアトミラール・ミヨシの息子だ。その息子が何の用? 決まっているさ。連合軍に降伏してそのまま西部戦線のトメニア軍の兵力を東部戦線に注ぎ込めば良い。ルーシはトメニアの全てをかっさらっていくぞ。コルティッツ大将達は確かに貴方の命令に背いた。だが、人の命は守った。そこは彼にもトメニア総統の貴方でさえ褒め称えるべきだろう。それと貴方にトメニアの騎士道精神がまだあるならルーシに全力で当たる事を願う」
将治はそう言って電話を切った。その対応にコルティッツ大将でさえ将治に敬礼をするのである。
そしてパリ解放でトメニアより一番怒っていたのは自由フランソワ軍であった。
「パリ解放の入城の一番は我々にあるべきだ!!」
自由フランソワ首脳のド・ゴールはそう主張したがアイゼンハワーはそれを冷たくあしらった。
「勝手に先走った挙げ句、大事な機甲師団を壊滅させそのような主張を言う者は首脳とは言えない」
アイゼンハワーはド・ゴールらを戦力回復のためとして後方に下げたがどの歴史家も「正解である」と太鼓判を押す程であった。
そしてパリ解放後、ヒトラーに何らかの心境が伺った。8月の下旬からベルギー等に布陣していたトメニア軍がトメニア国境まで撤退を開始したのである。
そして撤退した兵力再配分をすると余剰兵力は全て東部戦線に回されたのである。それを聞いたブリトンのウィンストリアン・チャーチル首相は後に自身の自伝でこう記載していた。
「まさに親からの一喝であろう。トメニア軍が撤退したのもアドミラル・ミヨシの息子にヒトラーが怒られたから撤退にしたに等しいと私はそう感じたのだ」
だが、西部戦線の縮小が間に合わなければルーシ連邦のバグラチオン作戦も成功していた筈であった。そう、西部戦線が縮小し余剰兵力を東部戦線に振り分けた事でトメニア軍中央軍集団は38個師団中19個師団を失いはしたが退却に成功するのである。
その後の戦局も史実と同じ展開になるがヒトラーはベルリン戦が始まる前にベルリン市民を西へ逃がす事に成功させ史実のように市民を巻き添えにした市街戦が展開される事はなくヒトラーは伴天連歴1945年4月30日に総統地下壕で自殺するのであった。
これで戦争は終わったかのように見えた。しかし、ルーシ連邦は連合国に対してトメニアの戦争犯罪者達(多くが技術者達)を引き渡すよう要請したが連合国側はこれを無視しルーシ連邦に対しては逆に捕虜の解放を要請したのである。
「連合国側から追い出されたのも……全ての元凶は日本……いや、扶桑皇国連邦か!!」
ルーシ連邦の首都モスクワで書記長のスターリンは激怒し次なる標的を満州に定めた。8月1日にルーシ連邦は扶桑皇国連邦に対して「ドイツで捕虜にした戦争犯罪者達を直ちに引き渡す事」を要求し認められない場合には撤退中の満州を差し押さえると伝えたのである。
対して扶桑皇国連邦は「既に満州は撤退し国家としても滅亡したのでお好きにどうぞ」と返答したのである。満州国は既に亡命政権として済州島に移動して樹立していたのだ。これにより8月8日にルーシ連邦は極東軍約300万を主力にして満州に侵攻を開始したが此処でスターリンは更に千島列島、樺太にも上陸したのである。
「満州及び樺太、千島列島も接収する」
抗議にきた大使に対してベリヤはそう答え扶桑皇国連邦は現地守備隊に防衛戦を命令、第二次日留戦争が開始したのだ。
まぁ結果として千島列島、樺太は防衛に成功。逆にカムチャッカ半島に逆上陸してカムチャッカ半島の付け根付近にあるマニリまで攻略したのである。
「喧嘩売ったのはそっちからだよな?」
ベルリンの返還業務の一環でベルリンに滞在していた将和ら連合軍首脳は抗議に来た第8親衛軍司令官ワシーリー・チュイコフ大将にそう言い返した程であった。
結局、スターリンはカムチャッカ半島の奪還を諦め代わりに満州の接収でお茶を濁す事になるのである。
「カムチャッカ半島の方面軍もいるよな」
「だなぁ。海軍は軍縮するのに陸軍は増やすのかと国民から言われそうだ」
将和と将斉はそう話すが仕方のない事だった。そこへ五十子が生まれたばかりの赤子を連れて部屋に入ってきた。
「貴方、もうすぐ昼食の用意が出来ると夕夏さんが言ってましたよ」
「ん、もうそんな時間か」
「そういや兄貴らは?」
「二人とも北海道に派遣されて待機だよ」
「……今年は可哀想だな兄貴らも」
「将治の場合はまぁ半分自業自得だわな。ノンナちゃんとクラーラちゃんが取り合ってるからな」
「……うちの血筋ってマシな奴いないの親父?」
「……お前がマシなんだろな」
「……確か扶桑皇国連邦って先日、法改正で重婚制度を取り入れたよな?」
「……さぁて食堂に行こうか」
「ちょっと待てや親父!?」
そそくさと先に出た五十子の後を追いかける将和を追う将斉であった。追いかけた将斉だったが五十子の赤子を抱っこする将和が待っていた。
「ま、でもさ将斉」
「……何だ親父?」
「少なくとも……たかだかこのさき何十年かの平和を勝ち取れた。それだけはこの子達に平和を感受してもらいたいものだな」
「……まぁ、そうだな」
「あぅ?」
将和の言葉に首を傾げる赤子であった。そして幾年の時が流れていったのである。
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次話はオマケみたいなモン