ポケットモンスターNAVY ~暴投モンスターボール~ 作:サンダーゴリラ
「この先はシロガネ山だよ。恐いほど強いポケモンが生息しているんだ。きみなら大丈夫だと思うけど、十分注意してくれよ」
心配そうな係員に見送られ、チリアはポケモンリーグの西ゲートから、28番道路へ足を踏み入れた。
「──すでにちょっと寒いわね」
チリアは、重装備だった。
いつもの赤のトップス、サロペット。さらにその上から、トップス・ボトムズともにウインドブレーカーで防備。白いキャスケット帽が似合っている気がしない。
荷物の量もかなり厳選し、かつ登山に必要なものを準備したので、必然的に大型のリュックを背負うことになってしまった。後ろを歩くバクフーンはすこし不安そうだ。
一応、山のふもとにはポケモンセンターがあった。職員は受付の女性ひとりのみのようだ。
「いくら入山が規制されているとはいえ、こんなところにもポケモンセンターがあるのね。もはや閑職じゃない」
などとひどいことを呟きながら、チリアはポケモンセンターを背に、いよいよシロガネ山に突入する。
「さて、ここがわたしの旅のゴールになるのかしら」
:
「最後に一度、オレとバトルしないか。本気の手持ちで戦ってやるから」
「いいわよー」
トキワジムに挑戦する前日。
チリアはワタルと戦った。
そして──
「見事だったよ……」
チリアは勝利した。
「なにが見事よ。謙遜するわけじゃないけど、あなた手持ち3体しか持ってなかったじゃない」
「だからきみも3体しか使わなかった。それでいて、きみは勝った」
冷静に分析すると、ワタルに勝てたのは多少なりとも運に左右された面もある。今回のチリアたちはすこぶる調子が良かった。
「トキワジムにもシロガネ山にも、これで安心してきみを送り出すことができるよ」
ワタルはじつに清々しい様子であった。まるでわざと負けたのではないかと疑ってしまうほどに──無論、そんなわけがないことは戦ったチリアがいちばんよくわかっているのだが。
「もしきみが『シロガネ山の怪物』を倒したとして──その後どうするかは決めているのかい? チャンピオンになる資格はある。然るべき手順を踏めば、ジムリーダーになることも可能だ」
「まだ考えてないわよ。──問題は、最強になったわたしが、そのとき
「……満足か。そうだな。だれであれ、どんなかたちであれ、旅にピリオドを打つ決断に重要なのは、
「………………」
思えるだろうか。
そんな不安を呑み込んで、東に方向を見上げた。
「どうなるかわかんないけど、きっと大丈夫よ。ちゃんとあの山で、終わらせる」
楽天的な発言ではない。
どうあれ、チリアはもうこの旅を最後にするつもりだったのだ。
:
シロガネ山の登山は熾烈を極めた。
さらに凄絶。さながら苦行。このダンジョンに挑戦したことを、早くもチリアは後悔していた。
「来なきゃよかった……」
怒涛のように押し寄せる野生ポケモンたちをようやく振り切って、アイテムで手持ちポケモンを回復させる。ポケモンたちはかなり消耗している。入山してまだ1時間ほどしか経過していないのに。
「まさか野生のポケモンにここまで追い詰められるなんて……」
リングマ、ドンファン、イワークやゴローンといった強い攻撃力を持ったポケモンや、ゴルバット、ニューラ、ムウマなど俊敏なポケモン。彼らは野生とは思えぬ連携でチリアを追い込んできた。
そう。挙動が野生とは思えないのだ。
彼らはチリアのポケモンのみならず、人間であるチリアのことも攻撃の標的に定めている。──それ自体は野生ポケモンとして珍しい攻撃性ではないのだが、奇怪なのは、チリアに向けられた攻撃が明らかに加減されたものであることだ。
おまけに、荷物や腰のモンスターボールまで狙ってくるものもいる始末だ。まるで盗賊団を相手にしている気分である。
また、彼らは的確にチリアの進行方向を塞いでくる。この山の奥に進ませないよう“とおせんぼう”しているみたいだ。縄張り意識とはまた違った、堅牢さがある。
「……なにかを守っている、とか?」
チリアはおさげをいじりながら、野生ポケモンの動きを考察する。
「理由は不明だけど、ポケモンたちは人間をシロガネ山の奥には進ませたくないのね。それは『シロガネ山の怪物』に原因があるのかしら」
俄然、その『怪物』に興味が湧いてきた。
その正体はよほど強いトレーナーなのか、もしくは伝説級のポケモンなのか──とにかくシロガネ山の野生ポケモンにとって、『怪物』はアンタッチャブルな存在なのだろう。
「まあ、それも会ってみればわかるわ。どれほど危険なものなのか──」
洞窟を進むチリアの前に、突然それは現れた。
鎧のような甲殻を持つ、『怪物』──というか『怪獣』。
「バンギラス……!」
その野生ポケモンが、山全体に響き渡るほどの咆哮とともに少女に襲いかかった。
:
「ブラッキー、“アイアンテール”!」
ようやく、バンギラスを打ち倒した。野生ポケモンにしてはレベルが高く、かなり苦戦させられた。
──が、ここでひと息つけるわけでもない。
周囲はすでにほかの野生ポケモンに包囲されており、彼らはバンギラスを倒したチリアを警戒しながらも、じわじわと距離を詰めてくる。
「……相手してらんない。走るよ!」
チリアとブラッキーは走って洞窟を抜けて、外気に晒された山肌に逃げ出す。
いつからか、雪が降っていた。
入山する直前はあんなに晴れていたのに。山の天気は変わりやすい──というか、無情だ。これでも天気予報や雲の流れは確認したのだが。
「……冗談でしょ」
しかし少女を愕然とさせたのは、足場を白く染めた積雪ではない。
待ち構えていた、3体のバンギラスたちだ。
「ひょっとして──『シロガネ山の怪物』ってのは、『シロガネ山』自体のことだったりして?」
あまりに過酷なダンジョンの洗礼は、なるほど『怪物』だ。
が、少女の疑問に回答をくれるものはだれもいない。バンギラスたちは、侵入者を撃退するために容赦ない攻撃を開始する。
:
「きみは、無理して最強を意識していないかい?」
オーキド博士の問いに。
「そうかもね」
あっさりと、少女は頷いた。
「そもそも『最強』っていう目標は、所詮は借り物でしかない。旅を始めるきっかけになった、無礼なドロボー坊や……一応、ライバルかな。その子が『世界でいちばん強いポケモントレーナーになる』と言ったのよ」
「はあ。それを……なんというか、参照したわけか」
オーキドはようやく得心した。チリアが語った『最強になる』という目標には、どうにも信念がこもっておらず、理由も背景も不明だったからだ。他者の影響であるというのなら、納得である。
「『最強』を目指すポケモントレーナーは五万といる。そんなありふれた夢とはいえ、きみは目標への執心も渇望もなさ過ぎる。着実にゴールに近づいているにも関わらず……」
「だって旅の目標はなんだってよかったし、どうだってよかった。いつ諦めたってよかったのよ。ワタルやイブキは『諦めるな』なんて言うけどさ……。もし負けが続いて限界を感じるようだったら、スパっと諦めてワカバに帰ろうと思ってた。でも……」
「きみは負けなかった」
「天才だからね」
諦めるだけの理由を得ずに、ジムバッジを16個集めるところまで到達してしまった。
「なまじ才能があるのも考えものね。なかなか限界にたどり着きやしない」
「そんなことない──と言いたいところじゃが、そうやって才能を発揮することに夢中になれないきみは、ある種、哀れに見える」
哀れ。
その表現は冷酷だったかもしれないが、あえて、オーキド博士は言葉を択ばない。
「シロガネ山へ挑戦した結果、その才能がどのような結果を生むかはだれにもわからんが──もし戦いを捨てることになったら、きみはどうなる?」
「さあ? また新しい暇つぶしを探すだけでしょ」
「暇つぶしかね、ポケモンバトルは」
「あるいは逃避ね」
チリアも言葉を択ばない。
まるで他人事のように、自分自身を分析する。
「服とかアクセとかを見ていると、気が紛れる。本を読んでいると、もっと気が紛れる。そしてポケモンバトルは、もっともっと気が紛れる。──そういうことよ。『最強を目指す』って言ってれば、戦う口実になった」
チリアは深くため息をついて、天井を見上げた。
「思えば、旅をしている間はずーっと、気が楽だったな……」
「……気を紛らわせないと、つらいかい」
「ひとりでいるとさ、過去の出来事をもとに、やな感じことばかりを考えてしまう。自分でトラウマを抉ってさ。馬鹿みたいな自傷行為よ。だから、なにかに逃げていないと、しんどい」
ますます、オーキド博士はチリアのことが哀れに思えた。
つらい過去を持った人間が、旅を通じてそれを克服できず、『最強』に到達しようとしているのか。
「……きみのトラウマのことは知らないが」
真実は、失恋である。
「いまはその中身を聞き出すつもりはない」
失恋である。
「きみのやり方では、『最強』とは孤高にして唯一を意味することになる。それはあまり健全ではないな。孤独になってしまう」
「不健全なの?」
チリアは目の前の老人を見つめ、小首をかしげる。
孤独が悪いことだと思っていないからだ。
いまさら、孤独になろうとも一向に構わないのに。
「しかしだからこそ、きみはシロガネ山に行くべきだ。最強になるために、ではなく」
「だったらなんのために?」
「……その傷を癒やすことができる可能性がある。すくなくとも、きっときみは知るだろう。自分が
:
旅をするなかで、命の危険を感じたことはない。
どんなダンジョンだって、その頭脳とポケモンのおかげでたやすく踏破してきた。
ポケモンセンターというインフラストラクチャーにも多大な恩恵を受けた。
ロケット団と対峙したときだって、多少は身の危険を意識したものの、命まで脅かされたことはなかった。彼らはチリアよりも弱かったからだ。
「……死ぬかも」
しかしいまのチリアは、満身創痍であった。
手持ちのポケモンは、いま連れ歩いているバクフーン以外はみんな戦闘不能になってしまった。
大きなリュックサックは、野生ポケモンに掴まれた拍子に手放してしまった。咄嗟の判断であったが、愚策であった。いくら身軽になったとして、アイテムがなければどうしようもない。降雪はやがて吹雪になって、その荷物ごと見失ってしまった。
泥にまみれ、雪に濡れて、チリアはもっとも嫌がっていたボロボロで汚い状態に、いままさに陥っている。
目の前にニューラたちが立ちはだかる。バクフーンはチリアを庇って前に出るも、ニューラたちは素早い動きでバクフーンを傷つける。
「バクフーン……!」
チリアが命令する前に、バクフーンは“ふんえん”でニューラたちを蹴散らした。
首から噴き出る炎は、戦いにつれ弱くなっていく。しかしこの吹雪のなか、バクフーンの炎だけは見失ってはならない。
「いや……やっぱりダメだ。バクフーン、炎を収めて」
バクフーンに寄り添って、背中を撫でる。
「炎が敵に位置を知らせる。くっついて歩くよ。まずは荷物を──いや、洞窟に入るわ。この吹雪では遭難は免れない」
正確には、荷物を失っている時点ですでに遭難しているようなものだ。とりあえずいまは、どうあっても安全な場所に行かなくては。こんなに雪まみれでは頭も働かない。
「なにはともあれ、一回、落ち着かないと。わたしは天才だ。ちょっとでも余裕を与えられれば、どうとでも策を──」
しかし、少女が望んだ余裕は与えられない。
この山には、安全な場所なんてない。
目の前に立ちふさがる、ひときわ巨大で、ひときわ傷だらけで、ひときわレベルが高そうなバンギラスを目の前に、チリアは思わず笑みをこぼした。
「そろそろ……『怪物』ってきみかな?」
その笑みは妖艶でもなく。清々しくもなく。
ただ静かに、悲嘆に暮れたものだった。
「バクフーン、“にほんばれ”!」
まだ、諦めない。
吹雪のなかで、小太陽がシロガネ山の一部分だけを照らす。
「そして──」
──“ソーラービーム”を命じようとしたが、バンギラスの行動のほうが速かった。
強力な“じしん”は、シロガネ山全体を揺るがす。そしてそれは──
「なっ……!?」
チリアの足元を崩した。
不運、としか言いようがない。
バクフーンの“にほんばれ”で急速に溶けた雪が地面に浸透する。
それにバンギラスが“じしん”を送る。
そしてそもそも、チリアの立ち位置がそもそも不安定な地盤であった。
以上を踏まえて──
「いやこれはマジで──」
チリアの立つ足場が、崩落した。
「死ぬって──!」
少女は、落下する。
バクフーンは、崩れる大地に構わずチリアを追いかける。
「来んな!!」
だが今回ばかりは、バクフーンは主人の命令を聞かなかった。重力よりも速くチリアに飛びかかって、そして守るように抱きしめる。
「……バカが。そしたらきみが危ないでしょ」
熱いほどに体温を発するバクフーンを、チリアはモンスターボールに収めた。
これで、落ちていくのはチリアだけ。恐らく落下の衝撃を以てしても、モンスターボールならば手持ちのポケモンたちの命を守ってくれるだろう。
「あーあ、ほんとにしょうもない。わたしの人生、これで終わりか」
落下しながら、命を諦める。
後悔はなかった。
幼い失恋。──だとしても少女に刻んだ傷はあまりにも深く、もうこの人生そのものから逃げ出したいと、なんども考えた。
しかし数年の人生で学んだ倫理観や、天才としてのプライドが、チリアに自死を択ばせなかった。
だとしたらきょうこの日、シロガネ山での遭難死(事故死か?)を以てして、チリアの深層心理の望みは叶えられるのかもしれない。
きっと、この旅に関わった何人かの者は悲しむだろう。
ウツギ博士。ワタル。イブキ。あとその他のジムリーダー。シルバーもだろうか。母親──はそうでもないかもしれない。毎度ポケモンジムで出迎えてくれた眼鏡の男。舞妓たち。ミナキともなんだかんだ長い付き合いだ。ほかにも──
「そういえば旅してるうちに、いろんなひとと出会ったっけな」
でも、どうか悔やまないでほしい。
そして、願わくば遺されたポケモンたちのことを──
「あ」
そうだ。
そうじゃん。
ポケモンたちはどうなる?
もしも自分が死んだとして。
いま、モンスターボールに入っているバクフーンは? トゲキッスは? アーボックは? ブラッキーは? カイリューは? カポエラーは? これからどうやって過ごしていく?
嫌いにならなくてもいい彼らは、死んだ主人のことなんか「どうでもいい」と、思ってくれるのか?
「ダメだ」
自分が死んで悲しむ人間がいるかもしれない。
──それはまあ、いいとして。
自分が死んで悲しむポケモンはいるかもしれない。
──それがなぜか、引っかかる。
引っかかるならば。
「わたし、死んじゃダメだ」
この期に及んでようやく気付いた。
自分は、
「──────」
思わずチリアは、虚空に手を伸ばす。
この終わりを拒むために。
いつもなら諦めているであろう、この致命的な状況の修正を願うために。
:
:
:
突然。
浮遊感が身体を抱き止めた。
チリアの手は、しっかりとだれかに握られていた。
同時に、白い翼が少女の身体を支えた。
ここ最近、見慣れたばかりの白い翼。──トゲキッスは『ひんし』になったはずなのに──否、模様の位置が違う。これはチリアのトゲキッスではない。
「大丈夫?」
その声は、死の世界に足を踏み入れようとしていたチリアの意識を、現実に引き戻すにはあまりにも十分であった。
「あっぶねー……、ギリギリセーフだったね。遅くなってごめん。まさか来客があるなんて思ってなくってさ──」
チリアの手を握る、赤い帽子の少年。
その声を耳にするのは、じつに5年ぶりだ。
「──あれ? もしかして、チーちゃん?」
もしもこれが幻ならば、すでに自分は死んでいるのだろう。
すがりつくように、少女は少年の手を握り返した。
「アクタ兄さん」
今わの際の幻にしては気が利いている。
初恋のひとを出してくれるなんて。
冷え切った身体に熱い感情が満たされながら、少女は気を失った。
次回、最終回。