ポケットモンスターNAVY ~暴投モンスターボール~   作:サンダーゴリラ

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最終レポート 虹の彼方に

『ポケモンを愛するあなたにお届け! オーキド博士のポケモン講座! お相手はわたし、クルミですう!』

 目を覚ましたとき、ラジオの声がかすかに聞こえた。

 視界に映るのは岩の天井だった。

 岩の天井に、岩の壁の空間。

 ここが風雨を凌げる屋内であること確かなようだが、同時に「自然」のなかであることもまた確かなようだ。とうとうあれだけ避けていた野宿を経験してしまったことを察し、チリアは落胆を覚えた。

 しかし、ひんやりした殺風景な岩壁にも関わらず、少女が眠っていたのはベッドの上だった。

 重い布団が首までかけられており、暖は確保されている。

 そもそも、ここは一体、どこなのだろう。──ゆっくりと上体を起こし、空間を見渡す。

 やはり、洞窟の──開けた場所であった。

 そしてここにベッドに存在することが納得なほど、洞窟内にはあらゆる生活用品が持ち込まれていた。

 キャンプ用品とキッチン用品を組み合わせて造られた台所。電気を溜め込む業務用のバッテリー。折り畳み式のテーブルや椅子もキャンプ用品だが、洞窟内の電灯に照らされ、まるでダイニングだ。テーブルの上にはポケギアが置かれており、ささやかな音量でラジオを流している。

 そんなキャンプ場にも似た広大な洞窟内には、19体のポケモンがいた。

 高い天井に飛び立ち、あちこちの止まり木を行き来して遊んでいる2体のトゲキッス。──そのうち1体はチリアの手持ちだ。模様でわかる。

 クッションの上では、ブラッキー、サンダース、グレイシアが一堂に会している。進化元がおなじなだけあって、通じ合っているのだろうか。なんとも和やかな場だ。

 逆立ちして回転するカポエラー。それを興味深そうにエビワラーとルカリオが観察している。

 カイリューがなにやら、プテラとラムパルドにマウントを取ろうとしている。しかしすぐにプテラに睨まれ、たじろいでいた。アーボックはその様を呆れたふうに見ている。

 フシギバナとドダイトスが並んでじっとしていると、まるで観葉植物のようだ。ドダイトスの背中の木にはなぜか『ナエトルおめん』が引っ掛かっている。

 洞窟の端には、小規模ながら湖が広がっていた。湖上にはギャラドスとラプラスという、大型のポケモンが浮かんでいたが、さほど窮屈そうな様子はなくゆったりと泳いでいる。よく見ると、ラプラスの甲羅の上にはカブトプスが寝そべっていた。

 バッテリーの傍ら、パソコンが置かれたデスクでは、ポリゴンが──否、その最終進化系のポリゴンZが眠っている。

 そしてチリアがいる組み立て式ベッドの隣には、バクフーンが控えていた。バクフーンは主人が目を覚ましたことに気が付くと、ボッと首の炎の勢いを強くして、洞窟内に鳴き声を響かせた。

 ──あっという間に、チリアの手持ち6体がベッドまで集まってきた。彼らは心配そうに寝起きの主人にすり寄ってくる。

「ええい、うっとうしい」

 いつものように振り払う。

「あ、起きた?」

 木陰から、間延びした声がした。

 木陰……というかドダイトスだ。こちらからは見えなかったドダイトスの陰から、その者は現れた。

「身体、大丈夫? 急に気を失っちゃったからびっくりしたよ。……まあ、あんな吹雪に見舞われてたんだから無理もないか」

 黒いティーシャツに、赤いベストを羽織った少年。

 彼は。

「あ」

 彼は、()()()()

「あ……えとっ」

 記憶の奥底に封じ込めていた初恋の()()()()が。

 しっかり5年分の歳を経た姿が、少女の目の前にあった。

「チーちゃん?」

「あ、あああ、ああ、ああ」

「大丈夫?」

「にゃんっ……」

「にゃん?」

 少女は飛び跳ねるように起き上がると、正座に足を組み、

「助けていただいてありがとうございます。アクタ兄さん」

 少年に、深く頭を下げた。

「いや、いいから! 顔を上げなよ! きみは相変わらず礼儀正しいなあ」

「とんでもございません……っ」

 顔を上げると、アクタと目が合ってしまう。

 それが恥ずかしくて、現実が信じられなくて、チリアはまた頭を下げた。

「んーと……まだ具合悪いかな? 寝てなよ」

「い、いえ! アクタ兄さんを差し置いて横になるわけには!」

「いいからいいから! えーと……カイリュー、お願いできる?」

 カイリューはうずくまるように土下座しているチリアを抱きかかえて、無理やりに元通り、ベッドに寝かせた。

「……アクタ兄さんの言うことは素直に聞くのね」

 主人に睨まれ、またカイリューはたじろぐが。

「むしろグッジョブよ」

 褒められた。

「食欲、あるかな? いまスープを温めるからね」

「お構いなく」と止めたかったが、アクタはチリアの返事を待たずして、キッチンに向かっていった。

「……きみたちは元気そうね」

 チリアをのぞき込む手持ちのポケモンたちは、傷ひとつない。

 直近の記憶では、バクフーン以外は『ひんし』に陥っていたはずなのだが、チリアが気絶している間にアクタが治療してくれたのであろう。ふもとにあったポケモンセンターに連れて行ってくれたのか。──なんにせよ、とんだ手間をかけてしまった。申し訳なくてドキドキする。

 ベッドの横にあるハンガーラックには、チリアのウインドブレーカーと帽子、そして失くしたはずのリュックが掛かっていた。

「その荷物、チーちゃんのだよね?」

 トレイにふたつのカップを乗せて、アクタが戻ってきた。チリアは素早い腹筋運動でふたたび上体を起こした。

「ニューラたちから取り戻したけど、食糧類はあらかた食べられちゃってたよ。ほかの道具は無事だけど……ごめんね、ぼくの到着が遅れたばかりに」

「とんでもないです。取り戻していただいて、ありがとうございます」

「……もうちょっと、楽にしていいよ? そんなに緊張しないで」

「は、はい……」

 スープを受け取るチリアの指は、震えていた。

 緊張するなと言ったって、無理な話だ。

 アクタはチリアにとって、青春のすべてである。そして同時に心的外傷(トラウマ)の原因だ。どの面を下げて「久しぶり」なんて気軽に笑い合えばいいのだ。

「スープ、味薄くない? ポケモンも飲めるように作ったきのみのスープなんだ。一応、塩を加えたけど……薄味だったらまた調味料を足すよ」

 ひと口、スープを飲んでみる。温かい。

「……とてもおいしいです」

 顔上げると。

「良かった」

 アクタは、自分のカップにケチャップをとくとくと注いでいた。

「──あ、チーちゃんもケチャップ使う?」

「……いえ、結構です。お気遣いありがとうございます」

 そういえば、好きだったっけな、ケチャップ。

 つまり──アクタは5年前から変わっていないのだ。背が伸びていても、凛々しい顔つきになっていても、中身は一緒だ。優しくて、ポケモンが好きで、ケチャップが好きな、とびきりに格好良いアクタ兄さんだ。

「よし、おいしい」

 きのみのスープ改めケチャップのスープを飲み、少年はじつに満足そうに頷いた。

「あの、いまさらですけどここ……シロガネ山の洞窟で合ってますよね? 岩質がおなじですし」

「岩質のことはよくわかんないけど、そうだよ。ここはシロガネ山の頂上付近の洞窟」

「アクタ兄さんは、ここではなにを? 修行ですか?」

「修行っていうか……最近はここに住んでる」

「住んで……?」

 あらためて、洞窟を見渡す。

 生活感があるのはたしかだ。バッテリーはもちろんのこと、薪ストーブまで完備されているし、長期滞在を想定された空間となっている。

「ぼく最近、この山の管理を任されてるんだ。ポケモンリーグのお手伝いだね」

 アクタはチリアの想像以上の権限を持っているようだった。

「管理人、ですか」

「うん。シロナ……師匠の紹介でね。野生ポケモンたちのお世話をしたり、生態について報告したり……あとこの山は一般のトレーナーは立ち入り禁止だから、見回りしたり……ま、侵入者なんてそうそういないんだけどね。許可のあるトレーナーだったらぜんぜん修行に使ってオッケーだからさ。その修行を手伝ったり、休憩にこの洞窟を貸したり……って感じ」

「すごいです」

「えへへ、そう? だれでもできるよお、こんなの」

 照れたように笑うアクタ。チリアは、そんなアクタをかわいらしく思った。

「チーちゃんが来るってことはさ、じつはさっきまで知らなかったんだ。きょうはマサラに帰って、ナナミさんに毛づくろいやってもらってたんだけど。オーキド博士が来て急に、『お前、こんなところでなにやっとる!!』ってどやされちゃった。シロガネ山に挑戦者が来るから、急いで戻れってさ」

「……なんだか、お休みを邪魔してしまったみたいで申し訳ありません」

「謝んないでよ! むしろこっちこそ……ぼくがいなかったから、みんなが張り切っちゃったみたいで……大変だったでしょ?」

「みんなと言うと……」

 野生ポケモンたちのことだろうか。

 たしかに彼らは、()()()()()いた。攻撃性は高く、シロガネ山を進ませまいという目的意識も感じた。

「この山のポケモン、ぼくとか、遊びに来るトレーナーたちと修行の相手をして、けっこう強くなっちゃったんだ。顔見知りの人間には襲いかかってくることはないんだけど、やっぱり知らないひとは『侵入者』扱いなんだよね」

 どうやらチリアは、管理人の不在というたまたま最悪のタイミングで山を訪れてしまったらしい。ほんの一日でも違えば、もっとすんなりとアクタに会えたことだろう。

 ……それでも、アクタには会った瞬間にショックで気を失う自信はあるが。

「ほんとにごめんね。野生ポケモン相手とはいえ、チーちゃんのことを危険な目に遭わせてしまった。仮にもシロガネ山の責任者なのに」

「いえ、わたしなら大丈夫ですから! お気になさらないで!」

 頭を下げるアクタの姿に、むしろチリアのほうが申し訳なくなってくる。

「ええと……山に棲むポケモンは、アクタ兄さんに育てられたのですね。ならば手強いのは納得です」

 違和感のないよう、話題を変える。

「ぼくがっていうより……山に来るトレーナー、だいたいジムリーダーとかだからさ。自然とポケモンたち、強くなっていくんだ」

 ポケモンリーグが管理する禁足地というだけある。

 つまりこのシロガネ山は、ジムリーダー御用達の修行場のようだ。

「洞窟暮らししているぼくの様子を伺いに、っていう目的もあるんだろうけどさ、カントーのジムリーダーさんたちはよく来てくれるよ。タケシさん、カスミさん、少佐、お嬢、キョウ先生、ナッちゃん、カツラ師匠……あとグリーンか」

 呼び方から察するに、ジムリーダーたちとはとても仲が良いらしい。

『キョウ先生』というのは、四天王のキョウだろうか?

「たまにシンオウからも友だちが来るんだ。この前まであっちを旅してたからさ。ゲンさんっていう波動のお兄さんが特によく来る」

 そういえば、ドダイトスの背中にある『ナエトルおめん』には見覚えがある。なるほど、あの仮面のプロレスラーの来訪先はここだったらしい。

「あとはポケモンもね。ミュウツーはたまに戦いに来てくれる。ファイヤーなんかはすっかりこの山を棲み処にしてるし」

「伝説級のポケモンまで……アクタ兄さんのお人柄はすさまじいですね」

 一応褒める口調ではあるものの、チリアはしっかり戦慄している。

 なにに戦慄しているかというと──アクタが想像以上にモテていることにである。

 緊張している場合ではないのかもしれない。この夢のような状況はどうやら現実のようであるし、なればこそ、この再会をひたすら喜んでいるだけでは凡愚だ。自分は天才であると言い聞かせつつ、さらに会話を発展させる。

「『シロガネ山の怪物』とは、アクタ兄さんのことでしょうか」

 少女の問いに。

「それなー……」

 少年は眉を八の字に下げて、はっきりと困った表情を浮かべた。チリアは、そんなアクタをかわいらしく思った。

「もっとカッコいい異名が良かったな。なんだろうね、『怪物』って」

 そのため息は、肯定と同義であった。

 ワタルは『怪物』について、その存在しか語らなかった。

 物騒な名が指すとおりに害獣じみたポケモンであれば、素直に『怪物退治』として依頼されたであろう。──チリアは実力者とはいえ、子どもに任せていい話とも思えないが。

 危険を示唆するような発言はなかったため、理性のあるポケモンなのか、もしくは単純に『怪物』じみた実力を持つ──あるいはそれらしい由来(エピソード)のあるポケモントレーナーであることは、予想の範疇であった。

「ジムリーダーのみなさんなんかは、『強くて堅い石の男』とか『イナズマ・アメリカン!』とかさ」

「ああ、あれはダサ……」

「ああいうカッコいいのが良かったなあ」

「カッコいいですよね!」

 危ういところで手の平を返すチリア。

「ま、なんと呼ばれようが関係ないんだけどね。べつに『怪物』って一般に広まってるわけじゃないし……あ、でもチーちゃんは一応、『怪物』に……ぼくに挑戦しに来たんだよね?」

「ちょ、ちょ、挑戦なんてそんな! アクタ兄さんに対してそんな! おこがましい!」

 懸命に首を横に振る。

 しかしさすがにそれを否定するのは、無理があった。

「え……でもチーちゃん、カントーとジョウトのバッジ合わせて16個集めて、しかも殿堂入りまでしたんでしょ? だからワタルさんとオーキド博士の紹介で、ぼくに挑戦するんだって……博士からはそう聞いたよ?」

 あのジジイめ。

 チリアは心のなかで毒づいた。

「……はい。そのとおりです。ごめんなさい。まさか、相手がアクタ兄さんとはつゆ知らず、なんとも恐れ多い……」

「恐れ多いなんてことないって! ぼくこそ、挑戦を受ける身になって光栄だよ。シロガネ山には遊びに来てくれるひとはいっぱいいるけど、バッジとか集めた上で『挑戦』するひとなんて初めてだからさ! えへへ、ちょっとしたジムリーダーの気分だ」

 はにかむアクタ。チリアは、そんなアクタをかわいらしく思った。

「チーちゃんの具合が良くなって、吹雪で積もった分の雪かきが終わったら、戦おうよ。頂上に広いバトルフィールドがあるんだ」

「……い、いいんですか?」

「もちろん」

 夢みたいだ。

 否。アクタとポケモンバトルをするなんて、夢にも思ったことはなかった。

 二度と会うことはないと思っていた初恋の少年は、存在そのものがまるで夢のようで。

 そんなアクタと、ポケモンバトルという最高のコミュニケーションをとることができるなんて──

「僥倖と言いますか……幸甚の至りです……!」

「うん。………………どういう意味?」

「めちゃくちゃ嬉しいです」

「あはは、ぼくもだ」

 チリアはそっと、自分の太ももをつねってみた。

 夢ではなかろうかと疑ったからだ。──正常に痛覚が走るということは、きっと現実なのだろう。

「すぐにでも戦いたいです。よろしければわたし、これから雪かきをしてきましょうか?」

「いやいや、まだ休んでてよ! 外がちゃんと晴れたら、みんなでやろう。野生ポケモンたちも、食べ物をあげれば手伝ってくれるんだ」

「で、でもわたし、ほんとうにもう元気なんです。目が冴えてますし、それにアクタ兄さんの前で横になるわけには……」

「なんだそれ? まあ、元気っていうならなによりだけどさ。じゃあ──」

 アクタは、ストーブの上で湯気を立てているヤカンを一瞥する。

「お茶でも淹れようか。お嬢から貰った、ハーブティーのお茶の葉があるんだ。チーちゃんの旅の話が聞きたいな」

「わたしの、ですか?」

「ジョウトとカントーを旅したんだろ? 興味あるなあ」

「……レポートに換算して50ほどありますけど」

「いいね! ぜひ聞かせてよ。チーちゃんの旅って、どんなだったの?」

 ぽつぽつと、丁寧に、大切に、チリアは自分の話をする。

 語るうちに、アクタのポケモン13匹は、興味ありげにチリアの話に耳を傾けた。果たして、内容がわかっているのか否か。

「つまりその赤毛はドロボーで……」

「ひゃあ、すげえ」

 嫌いなポケモンたちに囲まれた空間なのに、不快感どころか、まるで気にならず──むしろこの尊い空間の一部として、愛しくさえ感じた。

 ポケモンは好きじゃない? むしろ嫌い?

 そんな記録は、アクタに語るレポートには含まれていなかった。

 

 

 絶望なんて、新たな希望の前では、脆いものである。

 すべてを呪うほどの大失恋(5歳)を経験したチリアだが、いざ失恋相手と再会し、その笑顔を浴びてしまうと、心を凍りつけていた絶望は、薄氷のように融けてしまう。

「やあ、良い天気になった。きょうはけっこうあったかいよ」

 山道をバンギラスたちが雪かきしてくれている。

 赤い帽子を被ったアクタは、青いコートを羽織って、積雪が薄くなっていく山道を歩く。

 チリアはアクタの後ろ姿を凝視しながら、胸を熱くしていた。

「チーちゃん、勘違いだったらごめん。さっきからぼくのお尻をずっと見てない?」

「勘違いです」

「なあんだ。じゃあごめん」

 チリアの後ろを歩くバクフーンは、アクタと出会ってからかつてないほどに機嫌の良い主人に、そろそろ違和感を覚えてきた。

「それにしても、アクタ兄さんはほんとうに、このシロガネ山の頂点に立っているのですね」

 頂上までの道のりで、野生ポケモンはただの1匹さえもチリアたちに襲いかかってくることはなかった。まるで『ゴールドスプレー』を使ったかのように──否。ポケモンたちはアクタの近くまで接近しつつも、まるで警戒した様子はなくすれ違ったり、あいさつのような挙動を少年に返す。

 チリアがひとりでダンジョンにチャレンジしたときは、1メートルを進むにも油断ならなかったというのに──現在のシロガネ山は、もはやダンジョンとすら呼べない。

「そんなんじゃないよ。ぼくはみんなと友だちになれたってだけさ」

「……好きだ……」

「え、なんだって?」

「なんでもありません。想いが溢れただけなので」

 野生ポケモンは本来、みずからの縄張りに敏感だ。

 なのにアクタは、あまりにも山のポケモンに()()()()いる。それがどれほどの偉業であるか、チリアにはよくわかる。ジョウトとカントーを連続で旅し、たくさんの野生ポケモンに手間を取らされたのだ。

「……まったく、どこが『怪物』よ。これじゃまるで『聖者』じゃない」

「え、なんだって?」

「なんでもありません。また想いが溢れました」

「そっか。大変だね」

 アクタの後ろ姿に見惚れている間に、やがて山頂に到着した。

 チリアが遭難したであろう地点からはそう離れていなかった。──仮にあのとき、遭難せずにバンギラスたちから逃げおおせていたとしても、アクタが頂上で待ち構えてくれているわけでもなかったので、無駄足になっただろうが。

「……立派なバトルフィールドですね」

 ふたりが立った地面は平らに均されていて、ポケモンたちを戦わせるには十分すぎるほど広い。

「いいでしょ。がんばって造ったんだ。まあ、その作業もいろんなひとに手伝ってもらったんだけど」

「ねえ、アクタ兄さん」

 ふたりは向かい合う。

「兄さんは、カントー地方で『最強』のトレーナーなんですか?」

 少女の問いに。

「え……違うと思うけど」

 少年はすぐに首を横に振った。

「たくさんのひとに勝ったことがある。でも、負けたこともいっぱいある。わりと負け越してるかな? だから『最強』なんて地点があるとすれば、きっとここじゃない」

「……そうですか」

「残念?」

「いえ」

 こんどはチリアが、清々しく首を横に振る。

「自分でもびっくりするくらい、どうでもいいんです」

 形式上、チリアが目指した『最強のトレーナーになる』という目標は、もはや意味を持っていなかった。

 適当に課した目標よりも、もっと大切なものを取り戻したからだ。

「称号にこだわらずにバトルができるなら、そっちのほうが好みです」

「同感だな。じゃあ、さっそく……あ!」

 モンスターボールを手に取ったアクタは、不意に、景色に目を奪われた。

 たしかにシロガネ山頂上のからの景色は絶景ではあるものの、アクタにとっては見慣れている風景のはずだ。しかしその目線の先──ジョウト地方方面の空には、チリアをしても目を引かれる光景が映っていた。

「ホウオウ?」

 その翼は、金色に輝いていた。

 白銀に染まった山から臨む虹は、オーロラよりも神秘的に、極彩色に空を彩る。ただの虹ではない。あの金色のポケモンが発する光が、虹の橋をかけているのだ。

「あのポケモン……ごくたまに見るんだけど、こんなに山の近くを飛んでるのは初めてだな。ジョウトの伝説のポケモンで──そうそう、ホウオウっていうんだっけ。よく知ってるね」

「はい。ホウオウとは一度、戦ったことがあります」

「そうなんだ!? すごいね!」

 チリアを振り返ったアクアは、純粋で、快活な笑みを浮かべていた。

「ああ──」

 なんて綺麗なんだろう。

 思わずチリアは、涙を流していた。

 ホウオウのかける虹が。

 白銀の山が。

 いままで旅してきた、ジョウト地方の景色が。

 そしてその、笑顔が。

「チーちゃん、どうしたの? どこか痛いの?」

「……いえ、なんでも、なんでもないんです。ただ──」

 はじめて世界を美しいと思った。

「──旅をして良かったな、って」

 旅の終わりを見据えて訪れた山で、無事に満たされて。

 しかしここは終わり(ゴール)ではない。チリアにとっては、新たな始まり(スタート)だ。

「大丈夫です。だから──わたしと戦ってください、アクタ兄さん」

「うん、いいよ」

 向かい合った少年少女は、互いにモンスターボールを構える。

 得たものが多過ぎて、想いが溢れ返ってしまいそうだ。でもいまは、戦いに没頭していたい。

 好きなポケモンたちと、好きなひととの、好きなポケモンバトルに。

「バクフーン!」

「フシギバナ!」

 ふたりが投げたモンスターボールは、虹の彼方を目指すように、(そら)高く──

 ──見当違いの方向に飛んで行った。




 おさげの女の子が
 レンガの道を歩いてる……
 ……もういかなきゃ
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