ポケットモンスターNAVY ~暴投モンスターボール~ 作:サンダーゴリラ
レポート1 ワカバタウン/暴投少女
「……………」
ウツギ博士の研究所。
「……うーんむにゃむにゃ……」
ソファでは老人が寝息を立てている。
少女は気にせず、本を読んでいた。
ページをめくる音だけが響く空間。
やがて、窓から差す光が老人の寝顔に差し掛かったところで、ようやく彼は目を覚ました。
「……おや? 外はすっかり明るくなっているではないか」
身体を起こす老人。当然、少女にも気がつき、
「うおっ!?」
思わず声を上げた。
「……おはようございます」
少女はまるで動じず、ひと声だけ老人に挨拶すると、またすぐに本に目を落とした。
栗色の髪をふたつに結んだ、10歳くらいの少女だった。
「きみは……この町の子かな?」
少女は短く「ええ」と応えた。
老人は立ち上がり、かけられていた毛布をたたむ。
ソファのかたわらのテーブルには、研究資料が広がったままだ。どうやら昨夜は寝落ちてしまったらしい。慣れない研究所をきょろきょろと見渡す。
「すまんが、時計を見てくれないか……いまは何時じゃ?」
少女は所持している携帯機──ポケギアを一瞥した。
「9時40分」
「いかん、寝過ごしたようじゃ」
別段、時間を決めた約束があったわけではない。恐らくこの研究所の持ち主、ウツギ博士は、気遣いで自分を起こさなかったのだろう。
すくなくともソファの寝心地は悪くなかった。老人は軽く背伸びをする。
「ところで……」
日が差し込む窓辺のテーブルで、少女は本を広げている。文章の量に対し、ページをめくるスピードは速い。この研究所にある専門書だろうが、内容を理解しているのだろうか。
老人は少女の正面に立ち、咳払いをする。
「わしの名前はオーキド。みんなからはポケモン博士と慕われておるよ」
少女は分厚い本を閉じて、オーキド博士を見上げた。純粋な輝きを孕んだ、大きな瞳だった。
「慕われてる、って自分で言っちゃうんだ」
「ははは、まあまあ」
「ポケモンの研究を?」
「うむ。我々人間はポケモンと仲良く暮らしている。一緒に遊んだり、力を合わせて仕事をしたり、そしてポケモン同士を戦わせ、絆を深めて行ったり……わしはそんなポケモンのことを詳しく知るために、毎日研究を続けているというわけじゃ!」
ふだん、少年少女やラジオのリスナーに対するような自己紹介だ。これで掴みは外さないはすだったが、オーキドの期待に反して、
「ふうん」
少女の反応はそっけなかった。
「ええと、さて……そろそろきみのことを教えてもらおう」
「名前は、チリア。女の子。10歳になったわ」
「チリアちゃんか……きみは、自分のポケモンは持っているかな?」
「いいえ、まさか」
少女は。
チリアと名乗った少女は、どこか冷たく、ため息をついた。
「わたし、ポケモンって好きじゃないの。どちらかというと、嫌い」
:
────
ここはワカバタウン。
始まり告げる風の町。
────
リボン付きの白いキャスケット帽をかぶり、チリアは自宅の1階に降りた。
つけっぱなしのテレビでは映画が流れている。母親は自室で仕事をしていた。「出かけるね」と一応声をかけると、彼女は娘に視線をくれないまま、返事の代わりにひらひらと手を振った。
ワカバタウンには、きょうも爽やかな風が吹いている。
チリアがこの町に引っ越してきて数年が経つが、あちこちにある風向計が静止している景色は見たことがない。
「さてと、きょうは……」
どうしようかな、と呟こうとした矢先、足元に青いボールが飛び込んできた。
──否。ボールではない。この球状に近い物体は、生物だ。
「あ、チリア!」
黄色い帽子の少年が駆け寄ってくる。
「ヒビキ」
彼は、この町で唯一のチリアの友人であり、足元にまとわりつく青いボールの正体──ポケモン、マリルのトレーナーであった。
「いつもいつも……ポケモンのしつけくらい、ちゃんとなさいよ」
「あはは、ごめんごめん。ぼくのマリルは自由なんだよ」
青い、球状に近い形状の水ねずみポケモン、マリルは、じっとチリアを見上げる。
チリアがじろりと睨むと、さっとヒビキの足元に隠れた。「ふん」と少女は肩をすくめる。
「やっぱり邪魔ね、ポケモンって」
「そ、そんなこと言わないでよ……」
ヒビキはチリアと違って、ポケモンが好きらしい。
というかほかの人間はほとんどがそうだ。──すくなくともワカバタウンの住民に関しては、ポケモンを疎んでいるチリアと、気が合う人間はいない。
「ウツギ博士が呼んでたけど、もう研究所には行った?」
「まだだけど……」
チリアは眉間にシワを寄せて、おさげに結った髪をくるくるいじる。
「行きたくないな。まだあのオーキドっていうおじいちゃんがいるだろうし」
「オーキド博士、チリアのこと気に入ってるんだろ? 行きなよ! あの有名なオーキド博士だよ!?」
「知らない」
「『オーキド博士のポケモン講座』は聞いたことあるだろ!?」
「知らないってば」
ここ数日、ウツギ博士のポケモン研究所に、オーキド博士という老人が滞在している。チリアは知らないと言ったが、ウツギ研究所にあった本や研究論文で、その名前は何度も目にした。
有名な人物であるのだろうが、特に尊敬しているわけでも意識しているわけでもない。オーキド博士はチリアになにを見出したのか、ウツギ博士にいろいろと吹き込んでいるようだが、チリアにとっては迷惑な話でしかない。
「まあ無視するのもやな感じだし、行くわ。なにか雑用を頼みたいだけかもしれないし」
そういうわけで。
チリアはいつものように、ウツギ研究所を訪れた。
1階が研究施設。2階はウツギ博士の自宅。妻と子の3人暮らし。助手が1名。
「こんにちは」
奥で、2人の白衣の男が話し合っている。チリアの声に彼らは振り返る。
「あっ、チリアちゃん。来てくれるの待ってたんだよ!」
眼鏡の男は、ウツギ博士。この研究所の主である。
「やあ、チリアちゃん」
白髪の老人は、オーキド博士。ゲストである。
「なにか用事? またヨシノシティで荷物を受け取ってこいとか?」
チリアは、研究所の本を読ませてもらっている代わりに、時にウツギ博士を手伝っている。助手の真似事というよりも、雑用だ。
別段、研究所の書物に興味があるわけではない。ただ、家にある本は読み尽くしてしまったし、ファッション雑誌だって月に一回しか更新されない。内容に問わず、ただ読み物に飢えていたのだ。
オーキド博士に会ったのも、昨日の朝、本を読ませてもらっている最中であった。研究所で眠る見知らぬ老人を、「お客さんだろうな」と思って一切気に留めなかった。
「いや、きょうはおつかいじゃなくて……きみはぼくの研究のこと、知っていたかな?」
「進化の研究でしょ?」
「そう、それが研究の主題だ。でもいま進めているのはちょっと違くて──いまポケモンというのは、モンスターボールに入れて持ち歩くのが当たり前だろ? だけどモンスターボールが発明される前は、みんなポケモンを外に出して連れ歩いていたらしいんだ。そう、きみの友だちのヒビキくんみたいにね!」
それは迷惑な話だな、と思った。
ヒビキのマリルは、なにかとチリアに接近してくるので鬱陶しいのだ。
「もちろんモンスターボールには、ポケモンを運びやすくするという利点もあるけど、連れ歩くことにもなにかしらの意味はあると思うんだよね。それはもしかするとポケモンの成長や進化に関係があるのかもしれない……」
「ふーん」
「そこで!」
ウツギ博士は満面の笑みを浮かべる。
「きみにもポケモンを上げるから、それを連れ歩いてみて、ポケモンと人間との間になにか特別な感情や絆が生まれるものか、調べてみてもらいたいんだ!」
「はあ?」
「きみに上げるポケモンは、そこにある装置に……」
「待って」
チリア、ウツギ博士の言葉を遮る。
「いやです」
「チリアちゃん!?」
泣きつくウツギだが、少女は顔を背ける。
「そんなことだろうと思った。きのうも言ってたもんね、わたしに旅をさせたらどうか、って……ね、オーキド博士?」
「うむ」
オーキド博士は頷く。
「何人もの若いトレーナーを見てきたが、きみには非凡な才能を感じる」
「ポケモンを扱ったこともない、ポケモン嫌いの女の子に? おじいちゃんだからって、なにをボケたことを言っているのかしら」
「チリアちゃん、失礼!!」
焦るウツギだが、オーキドは「よいよい」と寛容に笑った。
「そんなきみだからこそ、じゃ。──いまの社会で生きていくには、大なり小なり、ポケモンを関わっていく必要がある。どうせ避けては通れぬ道ならば、旅を通じて、ポケモンとのつながりを見直してみるべきではないか?」
チリアは、オーキド博士の言葉を噛みしめる。
「正論ね。ぐうの音も出ない。老獪ってこういうことよね」
「チリアちゃん、失礼!!」
正論とはいえ。
それでもチリアは、素直に頷く気にならなかった。
「たしかにわたしは、天才で美少女だから、ポケモントレーナーになったとしてもかなり成功すると思うけど」
自信はあり過ぎるほどあるらしい。その点に、オーキド博士は感心を覚えた。
「社会勉強に、研究の手伝い──そういう義務って、モチベーションにならないのよね。だからやっぱり『行こう』という気にはならない」
「……うむ、いまはそれでよい」
引き続き申し出を断るチリアであったが、意外にもオーキドは、満足そうに頷いた。
「わしの知るトレーナーたちは、だれもが望んで旅に出た。きみもそうするといい。君自身が『行こう』と感じたとき、そこでようやく旅が始まるのじゃ!」
:
その日の夕方のバスで、オーキド博士はワカバタウンを去って行った。
「きみに渡すものがある」
去り際、オーキド博士は片手サイズの白い携帯端末をチリアに渡した。
「ほれ! この最新型のポケモン図鑑! 見つけたポケモンのデータが自動的に書き込まれてページが増えていくという、ハイテクな図鑑じゃ」
チリアはじっと機械を見つめて、
「いや、困るわ。旅に出る気はないって言ったじゃない」
「じゃから、旅に出る気になってから使えばよい! たくさんのポケモンと出会い、この未完成な図鑑を完璧なものにしてくれたまえ」
「義務を追加しないでよ」
口を尖らせるチリアだが、オーキド博士は快活に笑ってバスへと向かう。
「さて、長居をしたようじゃ! これからコガネシティへ行って、いつものラジオ番組の収録をせねばならんのだ。チリアちゃん、またどこかで会おう」
手を振るオーキド博士を、ウツギ博士とともに見送る。29番道路を走り去るバスが見えなくなったところで、ようやくチリアは肩を落とした。
「厄介なおじいちゃんだったわ。だいたい、なんでわたしまで見送りに……」
「オーキド博士からポケモン図鑑を貰うなんて、チリアちゃん、これってすごいことだよ!」
憂鬱そうな少女と真逆に、ウツギ博士は興奮した様子だった。
「なんたってオーキド博士は、トレーナーの才能を見抜く力の持ち主だからね」
「はいはい」
「へえ、そうかあ……ぼくもチリアちゃんはタダモノじゃないと思ってたけど、こりゃおもしろそうなことになってきたねえ!」
「わたしもわたしがタダモノじゃないと思うけど、なんかウツギ博士さあ、もうわたしを旅に出す気でいない?」
勝手に盛り上がられても困るのだ。
ポケギアは持っているが、それは便利だからだ。
トレーナーカードも持っているが、身分証明書になるからだ。
「でもまあ、オーキド博士って良いひとではあるわね」
研究所へ戻る途中、チリアはぽつりとつぶやく。
「そう思うかい?」
「だって最後まで、わたしがポケモンを嫌っている理由を聞かなかった」
「………………」
少女の傷口は触れられなかった。だから、なにも痛くなかった。
「……だからって、期待に応えると思ったら大間違いだけどね。連れ歩きの研究だったら、ヒビキに頼んだら? あの子とマリルなら、なんだかんだ上手くやるでしょ」
研究所の前まで来て、チリアはこのまま家に帰ろうと思ったのだが──
「……ねえウツギ博士。窓って開けてたっけ?」
研究所の窓から、カーテンが飛び出しているのが見えた。
「いやあ? たぶん開けてないはずだけど……」
不穏な予感がした。
根拠のないものは信用したくないのだが、自分の直感には従うことにしている。
すなわち、チリアはウツギ博士を押しのけて、研究所の扉を開けた。
「あれ、チリアちゃん……と博士?」
入口に近いデスクにいた博士の助手は、速足のチリアに驚く。
そう、正面から入れば助手が気づく。
つまり、仮に窓から入る者がいれば、それは──
「………………」
研究所の奥。
ウツギ博士の管理する装置の前に、少年がいた。
黒い服。赤毛。なにより特徴的なのは、攻撃的な鋭い目つき。
「あなた、泥棒?」
チリアが問いかけるや否や、少年は駆け出した。
「待っ──!」
開け放たれた窓から飛び出す、雄弁な答えだ。
チリアは装置に駆け寄る。ウツギ博士が用意した、ポケモン入りのモンスターボールは3つあったはずだ。しかし、いまは2つ。
「ふざけんな! それ、わたしが貰うはずのポケモンだぞ!!」
1つのモンスターボールを掴み、チリアはおなじく窓から飛び出す。
「チリアちゃん!?」
驚くウツギ博士に構わず、チリアは少年を追跡する。
いつも本を読んで過ごすチリアだが、足は速い。スタートダッシュには出遅れたものの、すぐに少年の背中を発見した。
「待ちなさい!」
少年は一瞬だけ振り返るが、当然ながら足を止めない。
「待てっつってんでしょうが!!」
29番道路に差し掛かり、走るのが面倒になったチリアは、モンスターボールを投げた。
少年の足元を狙ったつもりだった。
──人間に向かってモンスターボールを投げるということは、トレーナーとしてのモラルに大きく反するが、チリアはトレーナーではない。というか少女は、自分の手にあるのがモンスターボールであることすら、失念していた。
とにかく。
チリアが投げたモンスターボールは。
天高く、飛んで行った。
「あれ?」
陽が沈みゆく、オレンジ色の空に飛んだモンスターボールは、やがて重力に従って落下する。
そして落下地点は、少年の頭だった。
「痛った!!」
「ああ、ごめん」
頭部の衝撃にうずくまる少年に、チリアは駆け寄る。
「大丈夫? こぶになってない?」
「はあ……はあ……なんなんだよ、お前!!」
少年は立ち上がり、少女を睨む。
「なんなんだよ、はこっちのセリフだけど……」
少年を気遣いつつも、チリアは彼の行く先を塞いでいた。
「いや、べつにあなたがだれであろうかどうでもいいか。泥棒さん」
「……お前、研究所にいたやつだな」
少年はチリアから距離を取りつつ、彼女の足元を一瞥する。
「ふんっ! なんだ、やる気か? お前みたいな弱いやつにはもったいないポケモンだぜ」
「え?」
気がつくと。
チリアの足元には、黒いネズミのようなポケモンがいた。
「……なによきみは」
ポケモンは、チリアを見上げた。
ひねずみポケモン、ヒノアラシ。野生ではなかなかいない種類にして、たしか、ウツギ博士が管理していたポケモンの1匹だ。
「そっか、さっきわたしが投げたボールから……」
チリアが思わず投げたモンスターボールには、このヒノアラシが入っていたのだ。
「………なんだよ。なに言われてるのかわからないのか?」
少年の手にも、モンスターボールが。
「それ、返しなさいよ」
「返す? いや、これはもうオレのものだ。そんなことより、こうしてポケモンを持っている者同士が向かい合ったんだ。それがどういうことか、教えてやるよ」
「なに言ってんの? いいから……」
少年は、足元にモンスターボールを放つ。
現れたのは、小柄ながら大きな顎を持つ二足歩行のワニ型ポケモン。先ほど研究所から盗まれた、ワニノコだ。
「ポケモンバトルだ!」
「なんでそうなんのよ」
ポケモンを持つ者が、ふたり。
片や盗み出したポケモン。片や思わず持ち出したポケモンが、バトルというかたちで向かい合ってしまう。
「……ねえワニノコ。きみ、そいつに攫われたのよ。きみはウツギ研究所のポケモンよ。戻りなさい」
「無駄だ! そいつのモンスターボールはこのオレが開けたんだ!」
研究所にいたときの状態では、ワニノコも、ヒノアラシも、ウツギ博士が所有していたとはいえ、「おや」であるトレーナーがいない状態だった。
「じゃあしょうがない」
腑に落ちないものの、チリアは状況を理解した。
「ヒノアラシ」
足元で、戸惑った様子でワニノコと対峙するヒノアラシは、呼ばれて少女を見上げる。
「やな感じよね。だったら、力づくでワニノコを取り戻すよ。わたしに従いなさい」
覚悟を決めたチリア。やがて、ヒノアラシもまた呼応する。背中の発火器官から、炎を吹き出した。
「“ひっかく”!」
ワニノコが襲いかかる。
「ヒノアラシ、“たいあたり”!」
迎え撃つ。
クールな少女チリアは、ポケモンバトルという分野にて、初めて熱くなれる舞台を知る。
ただし、悲しかな。少女は天才ではあっても、完璧ではなかった。
いまはまだ、チリアは自分の「ノーコン」に気がついていない──