狩人少女はターフを走る 作:しがないヤーナム人
突然だが、貴方はとある人物に向けて【拝謁】していた。理由など無い。強いて言うなら、本能がそうしろといったからだ。
それ以上でも、それ以下でも無い。
……さて話は変わるのだが、貴方は〘時計塔のマリア〙様が好きだ。とても好きだ。特級に好きだ。
具体的に言うのなら、ギリシャ神話や北欧神話に存在する最高神らと同一視する程に、時にはマリア様の装束を着て、マリア様『に限りなく近い存在』になろうとする程に、マリア様が大好きだ。
マリア様をモチーフとして造られたであろう人形も勿論好きではあるが、それ以上に勝るのは本物の〘時計塔のマリア〙様だ。
その敬愛の度数というのは、その姿を拝見するだけで鎮静剤に頼る事になり、攻撃を当てられるだけで喜びのあまり啓蒙が減り、狩人の間では【内臓攻撃】と言われるものをされた際にはほおづきやメンシスの脳みそなんて比較にならないほどに即効で発狂して倒れ、その様子に流石のマリア様本体も思わず心配してしまうまでにだ。
控えめに言って気色悪い。
話に戻ろう。ここからが本題である。
それほどまでにマリア様という存在を敬愛している貴方に、マリア様と酷似した人物を会わせれば、一体どうなるだろうか。
答えは『理性は蒸発して本能だけで動くようになる』。
この答えになるまでの経緯はこうだ。
転入生という体裁でこの学園へと正式に入り、今日も今日とて本に入り浸っていた貴方。
そこで貴方は、
「すいません、相席しても大丈夫ですか?」
と声を掛けられ、他人に興味を示す気も無いために、適当に一瞥してから手で勝手に座るように促そうしたが、その目論みは上手くいかなかった。
白いが血の通っている肌色に、後ろでかるく結わえられた銀色の髪。瞳は金に輝き、目先は鋭いが、しかし慈しみを感じる物。唇の色も薄いながら美人の様相を保つための1パーツとして十二分に機能を果たし、鼻先も整えられている。
背丈が貴方と同じなのと身体が強く鍛えられていない事、敬語な事、後はバッジ付きのスーツ姿で白羽付きの帽子を被っていないのが相違点だが、それ以外は1割1分1厘、声の響きも姿勢も一切違わずマリア様だ。
彼女を認識した直後に衝撃で転げ落ち、そこから3秒経たずして理性が蒸発、周りの事を一切顧みず、彼女に宛てて血族の女王直々に教わった作法で【拝謁】した。
ここまでが貴方の行った事である。
この有様でまた上々な分類というのだから、本当に頭がおかしい。
さて幼体でどんな物にも何かしら大きな反応をしめすとはいえ、仮にも上位者の理性を蒸発させたという、あまりにも大きすぎる功績を人知れず得た女性──人名を〘川添麻里〙という──は、当たり前だが困惑の極地にあった。
当然として彼女はそれの生まれ変わりでもなければ転生した姿でもない。ただの〘時計塔のマリア〙に外見が異様なまでに偶然酷似していただけの、一般新人中央トレーナーでしかない。
川添麻里という女性からしてみれば、相席を申し込んだだけの誰かが、自分の事を見た瞬間に机から転げ落ち、少しの間フリーズしていたと思ったら、その誰かが自身に向けて跪いているという光景を目の当たりにしている訳だ。
控えめに言って気狂いの所業としか形容しようがない。
まあ、平行世界含めて、ほとんどが気狂いか度し難いろくでなしのそれに該当される存在の狩人に、常識やら良識やらを求める事自体が余程狂っているのだが。
そんな事はさておき。
相変わらず拝謁の格好にある貴方は彼女の発する困惑の声に何やら高めてはいけない獣性を高めながら、微かに残った理性でどうすれば彼女の配下に下れるかを考えていた。
この数日で学園内での常識を修めていた貴方は、当然ここにて行われる『選抜レース』という物も存じており、そして貴方も出る予定だ。
一瞥した時に見えたバッジから、彼女はトレーナーであろう。であればその選抜レースとやらも見にくるはずだ。そこで結果を示せば良いという事か。
そう合点した貴方は珍しく口を開いた。
貴公、トレーナーと見えた。それに違いは無かろう?
「え? あ、はい、そうですが……」
ならば、明日の選抜レースに訪れていただきたい。その場にて、貴公に勝利を捧げよう。その際に貴公の……所謂担当と呼ばれる存在となりたいが、よろしいか?
「え、あー……まあ、はい」
よし、取り付けた。
基本無口でとんでもない程に口下手な貴方が、有り得ないくらいに完璧なコミュニケーションを取れた事に内心得心のポーズを取り、そのまま別れを告げる。
彼女が小走り気味にその場から立ち去った後、限界まで達しかけた発狂を鎮静剤で抑え、見事に良い学徒の姿勢を示す事が出来たといえよう。
今の貴方の気分は、掠り傷1つ付ける事無く冒涜聖杯のアメンドーズを狩った時のような爽快感に満たされていた。
尚その後に飲食禁止を破った事と図書室で多少なりとも騒いだ事について、少女ゼンノロブロイにみっちりと叱られた。
憧れの人物に恐ろしいほど酷似していたので衝動的にやってしまった。今は心の底から本当に申し訳ないと思っている。
ゼンノロブロイの前で帽子を取って土下座しながら、そう供述している。
〘◇〙
説教も終わり、ここに訪れてから初めての命の危機を脱した貴方。
しかし、問題点も同時に表れた。貴方は獣女──ここではウマ娘という分類なのだが、肝心の『レース』のやり口を知らない事である。
貴方は良き狩人ではあるが、しかしそれでしかない。
寧ろ、良き狩人であったがために失った物の方が多いだろう。
例えば、他人を無条件に信頼する行為。
例えば、自身を肯定する気持ち。
例えば、自身を認めてほしいと思う心。
例えば、一生物としての重大な欲求。
その中にはきっと、今までやってきた走り方もあるはずだ。しかし貴方は、それを血を入れた時に忘れてしまっているか、あるいは狩人として生きている内に不要と判断して忘れてしまっていた。
故に、ここの『真に良き学徒』であるかといえば、それは違うと言える。
ああ、鮮明に刻まれた『瞳』よ。この獣女に過去の姿を見せてもらえぬか?
脳に刻まれたカレル文字は、何も語らない。
……何を今更。貴公とて、既にわかっているのだろう? 過去には、何も残っていない。
貴方は貴方自身にそう言い聞かせ、未だに燻っている忘却された過去に縋りたい感情をさっさと切り捨て、現状の問題に思考を割く。
まあ、とりあえずやってみなければわからない。運良く身体の勘が覚えていたという可能性も、億に一つ……いや、京に一つは有り得るかもしれないだろうよ。
それに、何もやらないよりは格段に良い。
経験上そうした方が良いと判断した貴方は、今着用している制服から、学園から支給された装束の〘体操服〙に着替える。
余談ではあるが、貴方はこれをあまり気に入っていない。
狩人と呼ばれる者は、一様に軽装な格好をしている。なぜならば、獣の膂力に鎧はただの飾りでしかないからだ。
しかし、逆を取れば当たらなければどうということはないという事でもある。
故に速さを重視した装備となり、回避行動が狩人の生命線となる。獣の爪牙、眷属の神秘、狩人の刃や重打、弾丸を一重で躱す事こそが、狩人の基礎──【ヤーナムステップ】なのだ。
しかしてそれを省みても、これはあまりにも軽装が過ぎるように見えた。上は二の腕を覆う程しか無く、下も膝丈までしかないズボン。
いくら回避すれば良いとはいっても、生地も薄ければ面積も少ない。獣がそうそう出ない土地であることを前提としても、仮に脚を挫いて怪我をしたらどうするのか。
とはいえ、それは貴方個人の意見である。異議が出ていないのは、ターフにいるウマ娘が走っている際の服装を見れば一目瞭然だろう。
それでも気に食わない物は気に食わないが、自分は常識人なのだからと渋々その格好で外へと走る事にした。
他の狩人とは精々頭のネジが1本2本残っているかどうかの違いだというのに、何が理由で自身の事を狩人の中でも常識人だと思えるのか。
これが全くわからない。
〘◇〙
外を照らす光というのは、全く素晴らしいと思わないかね。
常日頃から太陽の恩恵を受けている者からすれば実感できない事ではあるが、約2世紀に渡って月の明かりと火の明かり、ガス灯しか見ていなかった貴方からすれば、それは素晴らしい物なのだ。それは火とは違ってあまりに暖かく、あまりに眩しい。
故に、太陽を称えるように太陽礼拝をしていてもおかしくはない。
冒涜に満ちている上位者共とは違って、太陽とは清廉に満ちた素晴らしい物だ。
そう考えても、なんの支障も無ければ迫害も無い。ここは古都ヤーナムでは無く、思想の自由が保証された国、日本なのだから。
それはそれとして、貴方の太陽礼拝の行為はシンプルに気味悪がられているが。
閑話休題。
外に出て一瞬太陽礼拝しかけたが理性で抑えこみ、その調子のままターフへと移った貴方。そこでは数多くの
改めて見ても、恐ろしい光景である。
貴方はそう感じ、同時に昨日聞いた話を思い出す。
どうやらこの土地では膂力の差が故に彼女らが幅を利かせており、また「人間が
まさかそんな訳がとは思っていたが、事実だというのだから末恐ろしい。その膂力を見た時には、貴方も思わず発狂しかけた物だ。
まあ、人間側に勝てそうな奴がいない訳でもない。拳で上位者を狩れるようなクリモトだったら、例えここにいる全員を相手したとしてもかすり傷無しに勝てそうだ。そもそもあんな存在を人側に分類しても大丈夫かはさておき。
そんな事を空想している内にこの土地流の準備運動も終わり、貴方はターフに立ってみる。
黒髪の少女は「ここに立つと高揚感がする」と言っていたが、どうやら貴方にはその感情の素振りすら無いようだ。
まあ、それは仕方ない。中身が血に酔った狩人では受け取り方も違うのだろう。
貴方はそう割り切り、とりあえず考える前に走る事を選んだ。
最初はヤーナム流に走り出す。当然だが周りにいる獣女の方が断然に速く、貴方は1人また1人と抜かれている。そこに悔しさを感じない辺り、所詮は狩人なのだろう。
周囲から抜かれていくのを気にせず、そこから少しずつ加速する。貴方はこの姿なのもあってかなのか、スタミナの量は異様に高い。
少しずつ加速していき、貴方が余裕を持って走れる限界になった。普段の狩りなら、ここで限度とする所だ。
しかして、今は狩人では無い。ここの学徒なのだ。
貴方は踏み切り、全力の体勢を取る。
身体は異様に傾かせ、脚は全体を使った長いストローク。腕は振りが強く、武器を持って走る事を考慮されていない形だ。
全く、貴方というのはつくづく幸運なのであろう。それはスパートの体勢であった。記憶には無くとも、身体が長い長い間記憶していたのだ。
やはり、やってみる事に価値はある。しかし、スタミナの摩耗も激しく、燃費が悪い。この調子では、『左回りの変態』でも刻まなければろくに走れないか。
最後に勢い良く飛び上がり、着地際にローリングしながら貴方はそう考える。
貴方の口先は、数十年ぶりに愉悦の笑みを浮かべていた。
〘リア10爆発46〙さん、〘太陽のガリ茶〙さん、〘拾骨〙さん、誤字報告ありがとうございます。
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そんな事よりヤーナムしろ