狩人少女はターフを走る 作:しがないヤーナム人
貴方の距離適性を測った日から時が経ち、メイクデビュー戦まで幾日程となった。
勿論この間までに起きた事も多く、例えば水泳トレーニング全力抵抗事件だったり、あるいは某薬品脳研究者以下だった食生活の改善だったりなど、これら2つ以外にも様々な事があった。
本筋に一切関係しないのでさておき。
まだ西の半分まで太陽が沈んでいない時刻の頃、貴方とそのトレーナーはミーティングをしていた。
「……でも、本当に中距離で出るつもりなの? 多分……多分ってより、確実に本来の力は出しづらくなると思うんだけど」
本に目を落としたまま、それがどうしたと言わんばかりに貴方は首を縦に振る。
貴方が地形的に不利な状況で戦った事など、貴方が周回を重ねた
「ま、まあ、それなら良いんだけど……」
そう言って引き下がる川添トレーナーを横目に、貴方は資料まみれのホワイトボード、その中にある1つに目を移す。
2000メートル、芝、左回りの東京型。
その上、8人仕立てで8枠8番。
人数こそ違えど、条件は奇しくも貴方が選抜レースにて走った時そのものである。
とはいえ、少なくとも、前に相手した者よりは確実に強さが違うだろう。
過去にテレビジョンで見たレースの内容から、そう貴方は推測する。
当時は同じ事を言えた口では無いが、前に相手した奴らは担当をなされていないが為に、露骨に出ていた物なら曲線の曲がりが悪く、細かい部分は脚の回転の動きが角張っていた。
しかし、あの鉄の箱に映っていたのはどうだ。随分と良い動きをしていたではないか。走りに専念した事の無いこの獣女の目から見てもわかる。
そのような者とやり合えるとは、随分良い機会を貰えた。狩りにこそ劣り、血にも酔えないが、たっぷりと楽しもうじゃないか。
「えーと……ダンテス、聞いてる?」
吊り上がる口角を指で抑えながら想像していると、トレーナーから続きを話したいという意味の言葉を受け取った。貴方はそれを促すように手を向ける。
「わかった。これからは最終調整を兼ねて、最後の末脚を伸ばすのと、中距離を走る持久力を鍛えるトレーニングを重視するよ。オーケー?」
貴方は首肯する。
貴方にはレースにおいて重視すべき点やその他トレーニングのやり方は全く知らない為、そのほとんどはトレーナー任せにしている。彼女ならば、良いメニューを組むだろうと。
その点で、貴方はこの川添麻里というトレーナーを信頼し、敬愛しているのだ。
それが変わる事は、きっと無いだろう。
「それじゃ、今日は
貴方は全力で逃げ出した。
…………まあ、なんだ。
たとえ強く信頼し敬愛していたとしても、それとこれとは話が別という事である。
この後、たまたま逃げた方向にいたマンハッタンカフェに捕まえられた。
全く、何故水泳などという糞喰らえな事をやらねばならんのだ。持久を重視すると言うのならこの棟の周回をすれば良いのではないだろうか。ああ、彼女の考えている事が分からない……。
俵担ぎにしていたマンハッタンカフェは水泳に関してのみっともない愚痴を延々と聞かされたという。
〘◇〙
場所は東京レース場。天候は晴れており、良バ場の発表。
現在の貴方は身体のどこかに違和感を感じる事も無く、軽い運動がてら久々に聖杯ダンジョンへと潜ったお陰で、身体も温まっていて気分も上々。獣やトゥメル人、その他諸々ダンジョンにいた敵の血によるハイも若干混じっているが、唐突に得物を振るったり鎮静剤を頭から被ったりしない分、普段の血に酔っている時よりも相当理性的である。
ゆったりとした息遣いの中、貴方のトレーナーから話し掛けられる。
「で、だけど、調子は悪かったりする?」
おおトレーナー、川添トレーナーよ。これを見ても尚悪いと言うのかね?
貴方のそれは、俗に言うほろ酔い状態にある。普段より少し饒舌になっており、気分もやや高揚状態にある。
「……その調子だったら、下手な心配も不要そうだね」
ああ、勿論だとも。何、心配する必要は無い。怯える必要もだ。ここまで鍛錬を積み上げてきたであろう? 故に、恐れていてもしょうがない。
違うのかね?
血に酔っていて饒舌な貴方は、すらすらと言葉を紡ぐ。さながら自身の勝利でも確信しているように。
普段からこうあれば良い物だが、それはそれで問題が起きるのも困り物だ。
川添トレーナーは貴方の発した言葉に共感するように首を振る。
「確かに、そうだね。じゃあ……一言だけ。頑張ってね。応援してるよ」
無論だとも。貴公に再び、勝利を捧げてみせよう。
貴方はそう言い切り、トレーナーと別れた。
係員に導かれて地下道を歩いていくと、レース場へと出る道に着く。そのままパドックへと行き、表舞台に出た貴方はうやうやしく【娼婦の一礼】をする。
《8枠8番、ダンテスファルサ。一番人気です》
《初出走ながら、良い仕上がりを見せています。強い走りを見せてくれそうです》
姿をパドックに表した瞬間、観客席は盛り上がる。ほう、と貴方は少し驚いた。
こんな得体も知れない異邦人の獣女に対して、歓声を向けるとは。
逆を言えばそれ以外は特段思わず、端的に言ってしまえばどうでも良いと思っていた。
貴方からすればそんな些末な事に構う気など無い。そんな事よりも、今の仕える主である川添麻里へと勝利を捧げたいのだ。
貴方はゲートへと向かって歩く。周りからは睨みを効かされているが、当の本人にはなんのその。
寧ろ、これ程度の殺意しか出せないのかと欠伸が出そうになるまでだった。
そもそも貴方にとって、殺意とは身近な物であった。それは完全な獣の本能であったり、あるいは罹患者の人であろうとする故の狂気であったり、あるいは狩人の侮蔑するような狩りの意志でもある。
そんな色濃い殺意と比べてみれば、なんと稚拙な物か。
狩人らと似た物を向けてくれるだろうと期待していた貴方からすれば、その期待を裏切られたように思えた。
まあ、ヤーナムの狩人ではないからしょうがないのか。
貴方はそう考えて割り切った。
ファンファーレが鳴り響き、ゲート入り。
貴方は深く息を吸う。特段緊張している、という訳では無い。血の酔いを全身に回す為だ。
ターフを走るのに果たして血に酔っている必要があるのかは定かでは無いが、しかして精神的なバフがあるかないかでは力の入りようが違う。それは競走するウマ娘でも、血に酔った狩人でも同じだ。
全身に血の酔いが回ったように感じた貴方は、そのままゲート内に入る。
《各ウマ娘のゲートイン完了、出走の準備が整いました。いよいよスタートです》
実況の声が鳴り終わった後、痺れるような空気感が漂う。それは狩人を相手とした狩りに漂う物とは程遠いが、しかし近しい物である。
ほう……良い空気じゃあないか。やはり
貴方はクククと、小さく笑みを漏らす。血に酔ったそれとは違う、狩人狩りをする際の笑みだ。
その後、珍しく貴方の有する多動の癖がなりを潜めた。この
無音に満たされた東京レース場。目の前のゲートが開くのを待っていた。
カチリ。
変わらず軽い、仕掛けが作動した音が耳に入った瞬間に貴方は走り出した。
《メイクデビュー戦、今スタートしました。各ウマ娘、綺麗なスタートを切っています》
一瞬の先頭を取り、貴方は最後尾に下がる。後ろから見渡せば、先頭を走るのが3人、群になるのが3人、1人はそこから下がった位置で走り、最後尾は貴方がいる。
貴方は最初のカーブに入る前に内側を取り、曲線移動に備える。
《先頭を進むのはミニリリー、次いでレプリケーション。激しい競り合いをしています。どうでしょうか、この展開》
《そうですね、前のペースに釣られて全体がハイペースになっています。後半にスタミナが残せるかどうかが勝負の見所、といった所でしょうか》
第一コーナーに入るが、戦況は変わらず。強いて挙げるなら、解説の言った通り、全体的に速いペースになっているという事だろうか。
そんな中、貴方は従容不泊といった様子で後方に陣取り、貴方なりのペースを維持していた。
獣狩りや狩人狩りにおいて、敵の土俵で戦う事はこの上無い愚行に尽きる。もしそうした場合体力を大幅に削られるか、最悪そのまま死ぬ。
貴方はそれを幾多もの狩人との戦い、特にクリモトとの戦いで良く良く叩き込まれた。
……尚、現在に至るまで貴方が彼に勝利した回数はゼロである。
正直クリモトに関しては、人を卒業した上で上位者をも超えた〘クリモト〙というナマモノなので、真面目に仕方ない部分もある。
どこの血狂いが言ったか、「不条理が人に身を窶して殺しに来ている」とは彼の事を指す。
そんな事はどうでも良い話として。
《大欅を超えて第四コーナー!》
《ここからどう勝負が動くか見物です!》
第三コーナー前にある坂を登り、そこから第四コーナーにあたる位置になった頃。
目の前を走るウマ娘ら全体のスピードが僅かに落ちてきたのを、貴方の瞳は認めた。
ここに至るまでハイペースについて行こうとスタミナを使い、残っていたのも勾配差の強い坂で、のこぎりで挽くが如く削られたのだろう。
貴方はそれを、癇癪を起こす事も無く、あるいは悲しむ事も無く、ただ無関心に受け取る。
そして残り三ハロン。貴方は残してあったスタミナを使ってスパートの体勢を取る。
そして前回と同じように前方をステップで躱し、根性でどうにか速度を維持している2人を目に据える。
持久が尽きたと言うのに、自らの意思を以て無理矢理身体を動かし足掻き、尚も勝とうとするとは。良い意味の諦めの悪さを有している。
だが、最初の逃げで失策したのが運の尽きだったな。
ゲート前とは打って変わって冷めた目付きで2人を観察しきった貴方は、加速の業を巡らせた。
そして射程圏内へと入った瞬間、業を発動させ2人を抜く。
貴方は業の加速をそのままに、ゴール板を駆け抜けた。
《ゴールインッ! 圧倒的な末脚で、見事一着を勝ち取りました! ダンテスファルサ、今後の活躍が楽しみです!》
〘◇〙
レースも終わり、ウィナーズサークルに立っていた貴方だったが、その雰囲気には満足というのが無かった。
貴方の感想としては、張り合いが無かったというのが率直な所である。
貴方は良き狩人であり、そうであるが故に強い。しかし望んでいるのは、強いが故の下らない無双虐殺劇では無い。
お互いが気を張り、一枝一端全ての挙動に血眼になり、たった1つの見落としで
その点において、今回のレースは宜しくない物であった。
前の2人に釣られて全体がハイペースになり、それが理由で持てるリソースを全て使い切り、たった1人に為す術なく負けた。
これではひりつきも糞もあった物ではない。ただのみっともない自爆劇ではないか。
貴方は不満げに思うが、しかし気を取り直す。
とはいえど、これは所謂最初の関門であると聞く。そもそもここを超えるのも難しいというならば、次回はより手強い相手が出てくるのだろうよ。
貴方はクククと笑みを漏らし、心の底で次なる敵に期待を始める。
その考えはさながら、〘シャドーロールの怪物〙──あるいは過去の三冠ウマ娘、ナリタブライアンに近しい物であった。
……ウイニングライブ?
……まぁ、その。
かの川添がやらかしたお陰で、突貫工事で覚える羽目になったそう。
〘Othuyeg〙さん、誤字報告ありがとうございます。
ウマネスト回
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そんな事よりヤーナムしろ