狩人少女はターフを走る 作:しがないヤーナム人
夏休み。
学徒に心身の休養をさせる為に用意された休暇であり、夏の尋常では無い暑さを回避する為に作られた休暇でもある。
勿論トレセン学園にもそれは存在しており、8月の始めを以て既に始まっていた。
さて貴方は知り合いと出掛けてリフレッシュもし、ついでにこの時期を機に新たな玩、ではなく通信機器であるスマートフォンを手に入れ、次の目標レースを初のG3レースである『新潟ジュニアステークス』に据え、最終調整を目的としたトレーニングに励んでいた。
「はい、ラスト一周! 最後まで力を出し切る!」
そんな事は分かっている。
貴方はそれに頷き、夕時のターフの中、再び脚に力を入れる。以前までとは違って洗練されており、しかし狩りに酔った古狩人のような猛々しさと荒々しさの残る脚運びで速やかに加速していく。
左に身体を傾かせ、コーナーを曲がる。コーナーを曲がる際のスピードも若干程度だが強化され、それ以上に正確さを得た。これらは血の遺志による強化だけでは決して獲得し得る事の無い力だろう。
轟轟と風を切る音が耳に響く。貴方にとってのそれは、狩り武器を振るう風切り音、〘火薬庫〙の仕掛けを作動させる際の重厚な金属音には全く及ばないながらも、しかし心地好い音に聞こえる。
ザリザリと地面を踏みしめ、荒々しく、しかしただ我武者羅に走らず最後に向けて貯める。獣性を感じさせながら、一方で理性があるように、そして大袈裟に見せる走りをする貴方は、獣の『狩り』というには烏滸がましく、形容するなれば血族に所属する狩人の様相だ。
第四コーナーを曲がり切り、貴方は貯めていた末脚を解放する。風を切る音が一層強くなり、周りの景色がより速く後ろへと過ぎていく。
残り一ハロンといった所で、貴方は加速の業を巡らせる。
変わらず酷い気分になるが、そういう物だと高速で割り切って目の前の事象に意識を向ける。
150メートル。
100メートル。
50メートル。
25──15──8──今。
残り5メートル地点で貴方は『加速』し、ゴール板を切った。
貴方は緩やかに減速していって立ち止まり、その後に川添トレーナーの元に向かう。
「お疲れ様。はい、スポーツドリンク」
ああ、助かる。
貴方はトレーナーから手渡されたドリンクを受け取り、口に流し込む。強く冷えた液体が喉を伝い、体内に入る。
貴方には精神的疲労や何かを服用した時の一時的な肉体の変化というのはあれど、肉体的疲労という物は無い。今身体から汗の一滴も流していないのが何よりの証拠である。
その件については過去にトレーナーからも疑われたのだが、貴方がそういう体質であると適当に誤魔化してからは、何かを言われるような事は無くなった。その代わりに、今回のように冷えたドリンクを差し出されたり一回のトレーニング事に濡れたタオルで首周りを冷やすようになった。
当の貴方は知るよしの無い事だが、どうやら汗を流すのには体温を調整する意味があるという。それが無いというのは体温が高い状態のままになる事を示すので、恐らくはそれを憂いての事なのだろう。
どこまでも貴方思いのトレーナーだ。
そんな事はさておきとして。
冷水で濡らしたタオルで顔を拭い、身体を冷ますフリをしていると、ふと貴方はある存在を見かける。
それは一人の白衣を着たウマ娘と……何だろうか、あれは。
少なくとも人であり、ヤーナムの住人のような獣化した獣では無いのはわかる。貴方の瞳は確かにそうは捉えているのだが、であれば人とは黄緑色に光る生物なのだろうか?
ただ純粋に気になった貴方は、隣の川添トレーナーへと話し掛ける。
貴公よ。あの緑色に光る何かは誰だ。
「ああ、アレ?」
聞かれたトレーナーは赤い蜘蛛が出てきた時のような顔になり、少し言い淀んだ後、苦笑しながらそれに答えた。
「アレは、まあ、私の同期だよ。担当はアグネスタキオンだったかな? いつもはあんな感じじゃ無いとは思うんだけど……多分担当の娘が作ってる薬の副作用じゃないかな……」
人体とは副作用によって光る物だったろうか。
貴方は訝しんだ。
…………まあ、服用した薬には身体の比重を変えたり一時の獣性に導かせたり、副作用に存在自体を薄れさせる物があるのだから、身体を光らせる物も有っても良い、のか。
……この獣女が知った事では無いが。
引き合いに出す物がかなり狂っているような気がするが、ひとまず貴方はそういう事にした。
それはそれとして、そのアグネスタキオンという人物は何やら面白そうな気配がしてならない。一度関わってみるのも良いだろう。
純然な好奇心で、とりあえず彼女について調べてみる事とした。
〘◇〙
『アグネスタキオン? あー……正直に言っちゃえば、変人、だね、うん』
『タキオンさん、ねえ。うーん、その……マッドサイエンティストって奴なのかなぁ。普段からクラスに顔を出してるって訳でも無いから、良く分からない。ごめんね』
『うーん、何だろう。良く治験って言ってはこっちに変な薬を飲ませたがるから、あんまり良い印象は無いかな』
そして。
「タキオンさん、ですか……」
彼女について聞けば、マンハッタンカフェは好印象を持っている、と言うには到底無理がある表情を浮かべた。
ここまでに聞いてきた事として、まず第一に変人である事、その次に制作した薬を他人に飲ませる癖がある事を知っている。
これまでに聞いてきた全てを総評すると、分類としてはミコラーシュかアーチボルドといった所か。
たった今アグネスタキオンという人物に甚大な風評被害が発生したように思えるが、それは一度置いておく事として。
マンハッタンカフェは大方言いたい事を纏めたのか、そうですねと前置きを入れて彼女は言う。
「まあ、悪い人って訳では無いですよ。研究する理由が、ウマ娘が持つ速度の更なる向こう側を見たいって物ですから。私だって、それには興味があります。ただ……やり方が問題なんですよ」
彼女は溜息を一つ吐く。
「例えば薬を作ってはそれを飲んで欲しいとせがんできたり、研究が忙しいのを理由に授業も選抜レースにも行かない時があるんですよ。お陰で危うくここを退学になりかけましたし。……とはいえ、今は専属のトレーナーさんがついていますけどね」
ああ、あの光っている人型の事か?
「……ダンテスさんも見たんですね……」
タキオンさんはどうして人体を光らせるんですかねと言い、彼女はコーヒーを一口。それに釣られて貴方も飲む。
苦いながらも程良い風味が舌を刺激し、角砂糖の微かな甘みが喉を通る。
ああ、良い味だ。
貴方はただそう思う。既に上位者の身である為、食事という行為はそもそも必要無いのだが、とはいえ心の安らぎにおいては大切な物である。事実貴方は、コーヒーを飲んだ事で幾許かの生きる意思を得ている。
こうなると、人形の焼いてくれたクッキーも手に取りたくなるな。……どうにかして狩人の夢から連れていけない物だろうか? そうすればこの時間の選択肢も広がるであろうよ。
そうして思案しつつ、コーヒーを飲んで一休みしていると。
「おーい、カフェー! やっぱりここにいたのかい! また新しく薬を作ったから治験に参加してくれないかー?」
ガラリと、勢い良く音を立てて扉が開かれる。同時に聞こえるのはハキハキとした声。内容は薬を飲めという物。
察するに、その人物こそがアグネスタキオンという者なのだろう。
噂をすればと一言呟いた彼女は、貴方の方向を向きながら無造作に返答する。
「嫌です」
「おお、今日も今日とて淡白じゃないか! なぁーカフェー、一回くらいは付き合ってくれたって構わないだろー?」
「飲みません」
「酷いなぁ、今日はいつにも増して身持ちが固いのでは無いかい?」
「気のせいでは?」
脚取り早く進む音が部屋に響き、少し経った後に仕切りが開かれた。
そこに立っていたのは、マンハッタンカフェ同様のウマ娘。髪色は茶髪で短く、背丈は彼女よりも少し高い程度。右耳には六角形の形をした飾りが揺れている。
貴方の目を引いたのは、彼女の瞳孔。色は髪色と変わらないのだが、そこに有していたのは狂気と深淵であった。
貴方の宇宙悪夢的な深淵、血に乾いた狂気とは全く程遠いが、しかし常人が持つには十分過ぎる物。
……成程、これでは周りから狂人と言われてもおかしくない。
貴方は奥底で彼女をアーチボルド二世と認識した。
「なぁカフェー、今回はちゃーんと研究を重ねた上で作り上げた物なんだ。だから安心して──おや、そこにいるのは誰だい?」
彼女はマンハッタンカフェに話し掛けている最中、ふと貴方の事が目に入ったらしく話を変える。
黒髪の少女は警戒の様相になり、眉間にシワを寄せる。背後の亡霊も格闘の体勢を取り、準備万端といった所。
「……ダンテスファルサです。それがどうしました?」
「ダンテスファルサ、ダンテスファルサ……ああ、確か最近入った転入生だったか。なら自己紹介の必要があるね」
そう言うと、彼女は仕切り直すように喉を鳴らす。
「こんにちは、ダンテスファルサ君。私の名前はアグネスタキオン。速度の向こう側を見たいが為に研究を繰り返している、一人の研究者さ」
その後、貴方に薬の飲み口を向けて、
「さて、君も一度くらい思った事は無いかい? 速度の向こう側を見たいと、更なる速度を求めたいと。私はその為に、数々の治験を行っている。だから君、私の薬を受け入れてはくれないかな? もしそうしてくれるというのなら、その後の気分や状態などを詳しく教えてくれると──」
と言った。
また始まりましたよと溜息をつくマンハッタンカフェを他所に、貴方は立ち上がり、アグネスタキオンの手元から薬を受け取って。
そして躊躇う事無く、口に流し入れた。
味覚を支配するのは、甘みの暴力。とにかく甘ったるく、その癖口にしぶとく居残る不快な味。
味の感想としては、まあ……ある島国の人間ならば喜ぶ味、といった所だろうか。少なくとも貴方好みでは無いが、ヤーナム製の薬や『エーブリエタースの先触れ』よりは数段良い味だろう。
一瞬呆けた彼女は、しかし貴方が口に入れたのを認めて喜びを見せる。
「おお、君も研究に参加してくれるというのかい!? それはそれは、本当に有難い!」
実の所はただ貴方の好奇心が激しく蠢いた為であり、一切速度を追い求める事に興味は無いので、彼女の推察は全くの検討違いである。
とはいえ、これからも好奇心を刺激する物を作るというのなら、そう思わせておいた方が良いのだろう。
貴方はそう考え、首を縦に振る。
それを見たマンハッタンカフェは真顔になった。
その後彼女は、自主的にアグネスタキオンの研究所へとついて行った貴方の方向を見て、虚空に向けて喋り掛ける。
「……あんな破天荒な人の面倒を見ているなんて、大変そうですね」
それはただの独り言か、それともいるはずも無い貴方の親に向けてか。はたまたそれ以外なのか。
意味はマンハッタンカフェ一人のみが分かる事だろう。
ウマネスト回
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いる
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いらない
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そんな事よりヤーナムしろ