狩人少女はターフを走る 作:しがないヤーナム人
1600メートル、芝、左回りの新潟レース場。天候も晴れており、良バ場の発表。
そしてフルゲート18人で、8枠16番。
今まで走った3戦──メイクデビュー、プレオープン、そしてオープン戦──でも何かと大外に縁のあった貴方だが、今回も今回とて大外枠であった。ここまで来ると最早運命か何かでもあるのかと疑いたくなるくらいだ。
まあ、一度そうなった物は変わらないので大人しく受け入れている貴方は、今回は比較的冷静であった。理由は簡単で、レース前に聖杯ダンジョン巡りをしていないからだ。
というのも、トレーナーから「今までにやってきたレースより一層周りが強くなる」というのを聞いていた。つまる所、貴方の脳内では若干のマンネリ気味になっていた聖杯ダンジョンよりも更に良い爽快感を期待させてくれるのだろうと心躍らせていた、という訳である。
今までも悪くなかった訳では無いが、それ以上に面白い物が出来るのか。
成程、良い話ではないか。
貴方はクククと喉を鳴らす。これからどういうのを相手にするのか、貴方は今の時点から既に楽しみにしていた。
さて貴方は係員から貰ったゼッケンを装着していると、ふと扉がノックされる。恐らくは川添トレーナーだろう。
入ってくれ。
そう声掛けすれば、貴方のトレーナーは入る。いつもより高級感がある、光沢がある藍色のスーツを来ており、どうやらこの日の為に新調したと見える。
「さて、初めてのG3レースだけど……まあ、今日も調子は良さそうだね」
ああ、勿論。
「よし、それなら良かった。緊張も無さそうだし、良い感じ」
血に酔っていないからか普段通り口数は少なく、高揚状態でも無い。とはいえ前述の通りレースに期待しており、上手く隠し切れていないのが脚の揺すりから垣間見えている。
「……やっぱり緊張してる?」
なぜ?
「なんか脚が落ち着かない様子だから、それがちょっとね」
まさか。これは確か……世間で言う所の武者震いと言う物だ。
寧ろ貴公の方こそ落ち着いていないと見えるのだがね。そんな畏まったような服装をしている上、声も震えている。
「へっ? い、いやぁ、さ。だってさ、私G3とかG2とか、そういうレースが出来るのってもう少し経験積んでからだと思ってたし……大丈夫かな、私。ちゃんと良いトレーニングさせられたかな……」
貴方は彼女の事を大分前から良いトレーナーと認めているにも関わらず、今更になってなぜか弱気になっているらしい。
……トレーナーが怖気付いている時には、支えてやるのも担当の務めという物か。
不要な獣性を高めていた貴方は理性面でそう考え、初めて彼女の肩を手で軽く叩き、慣れないなりに貴方は励ましを入れる。
貴公、なあ貴公よ。なぜ貴公は今頃になって怖気付いているのかね?
聞く所によれば、どうやらメイクデビューというのを勝たせられるのはほんの一握りというではないか。しかもそこから2つのレースに出し、その2つも勝たせている。それらはメイクデビュー以上に難易度が高いというのに?
貴公よ、恐れる必要などはどこにも無い。もし勝利を渡せなかったとするなら、その原因は貴公の不足では無い。こちら側の失策にある。だから貴公、落ち着きたまえよ。
「……そう、かな」
ああ、そうだ。貴公は失敗などしない。失敗という文字は、貴公の辞書には無い。
貴方もべた褒めだと思う程に彼女を励まし、同時に発狂を堪えていると、彼女は仕方なさそうに笑う。
「……ハハハっ。そこまで言われたら、私自身の事を信じないとだね」
ようやく落ち着いた川添トレーナーに、貴方はふぅと息を吐く。
「それじゃ、頑張ってね」
勿論だとも。何、心配は不要だ。座して見ていると良いさ。
貴方はそのまま控え室を出て、地下道に行く。
……ああ、良い
パドックにたどり着こうという時、貴方はもう一度愉快そうに喉を鳴らした。
〘◇〙
《三番人気、2枠4番リトルラットリア。ラスト三ハロンに見せる、粘り強い逃げに期待です》
雲の欠片一つ無い晴天の空、ターフに響くは実況の紹介。最初に来たのは三番人気。
《対抗を示す二番人気、6枠11番ブリッジコンプ。中団から一気に追い上げる、切れ味の鋭い差し脚質で一番人気を下せるかが見所です》
続いて出たのは二番人気。これまでに二戦し、その双方ともに一着をもぎ取っている有力なウマ娘だ。
しかし二番人気である以上、上がいる。それが──
《そして本命の一番人気、8枠16番ダンテスファルサ。ここまで三戦三勝、現在無敗を誇るウマ娘です。今回が初めてのG3レース、ここでも稀代の末脚を見せてくれるでしょうか》
ダンテスファルサ、即ち貴方であった。
貴方の名が呼ばれた刹那、観客の歓声はより一層と高まった。所々から貴方に向けての応援もあり、さながら勧善懲悪物のヒーローかのようだ。
もしこれを、貴方を知る大多数の狩人らが聞いたとすれば、そんな巫山戯た事をほざくな糞袋野郎と嘲笑し、バカバカしいと話した者を一蹴していた事だろう。
実際、当事者である貴方自身もそれを未だに信じられずにいた。
これは、脳が見せる幻聴か何かの類では無いのか?
ゲートに入る間も延々と自問していたが、さりとて起きている事は変わる筈も無い。貴方は今この場において一番であると実力を認められており、そして貴方に向けられた歓声がある。
……ここの人間は、少し物好きが過ぎるのでは無いのかね。
貴方はそう思いながらも、しかし悪くは思っていなかった。良き狩人たる貴方でも人らしい感情はある。褒められているなら機嫌を悪くする必要が無い。実に当然の事である。
貴方はいつもより随分多く、三度目の笑いを見せる。
そしてレースなのだからと【露払い】をして、目の前の鉄の扉に意識を向けた。
──カチリ。
静寂の合間、聞きなれた仕掛けの音が微かに聞こえた貴方は、ステップをするように加速した。
《新潟ジュニアステークス、今スタートしました。各ウマ娘、順調に良いスタートを切っています》
流石にオープン戦とは違い、貴方と同タイミングでゲートを抜けるウマ娘も多くなってきた。出遅れも少なく、相手の仕上がりが強くなっているのをひしひしと感じられる。
とはいえ狩人の中でも上位側に位置する貴方が、これ程度でへこたれるような事は無い。いつも通りに前を取って先行した後、後方に潜伏する。
見渡してみると、今回は先頭を突っ切るのが一人に、それに追随するのが九人。中間辺りで走っているのは六人で、貴方と同じ位置の者が二人。前回は逃げの数故にハイペースな展開となったが、今回は一人と少人数な為に、今回の展開は緩やかな物となるだろう。
このペースを保たれつつ、レースは最初のコーナーへと入っていく場面となる。貴方はそれに合わせて内側を取ろうと動こうとする。
が、そう簡単に行かせてはくれないのが現実という物。
……ちっ、邪魔だ。
貴方は内心舌打ちをする。
最後尾に着こうとすれば横の一人がそうさせまいと上下に動き、ならば前にと歩を速めれば前の一人が左右にずれる。
つまる所、貴方はブロックを仕掛けられていた。それも、レースが始まってからずっとだ。
貴方は今までに、ここまで本格的なブロックを受けた事が無かった。
当然ながら、プレオープンとオープンの二つでも受けていた事には受けてはいた。しかしそれらは貴方目線からして生温い物で、ヤーナムステップを駆使して容易に捌けるか、加速の業を使われてそもそもブロックが間に合わないというのが常。
その為に、ここまで本格的に、貴方の動きにピッタリと張り付くようなブロックに上手く対応出来ずにいた。
現段階で癇癪を起こしていないとはいえ、やりたいようにやれていないのが響いているのか、貴方の冷静さは少しずつ削られている。
その状況はコーナーに入ってからも変わらず、依然として二人と拮抗したままであった。
《一番人気、ダンテスファルサ。二人からマークされていますね》
《これまでの戦績で警戒されていたのでしょう。心做しか顔に焦りが出ているようにも思えます》
そんな訳ないだろうが。
貴方は冷静を欠くように、心の中でそう答える。
確かに貴方は焦ってはおらず、意味合い的には観客に緊張感を持たせる為に過ぎない。
しかし、解説の言葉に強く反応する程に、貴方は二人のブロックに苛立ちを催していた。
貴方はダンテスの名を穢させないが為に、まだ『獣の咆哮』──獣の如き咆哮の圧により、周囲を吹き飛ばす狩り道具の一つ──を使うという思考には至っていない。
幾ら跳ね除けるのに便利とはいえ、幾ら狩人の間で気軽に使われているとはいえ、元を辿れば禁じられた狩り道具。禁じられた物を使ってダンテスの名を穢してまででも、殺意の元凶である二人を吹き飛ばしたいとはならず、それに「まだ獣に堕ちていない」と思っていたいのだろう。
勝利の咆哮も、勝利を目指す鼓舞の咆哮も、これまでに一つたりともあげた事が無かったのが、何よりの証拠であった。
だが、そんな心情などつゆ知らずの二人は貴方をブロックし続け。
《間もなく第四コーナーカーブを抜け、最後の直線へと入ります!》
《後ろから来るか、それとも逃げ切るか! 最後の局面です!》
レースを自由に走れず、肺が軋み、喉が乾いて焼けるような痛みが喉を支配する。どれもこれも、貴方にとって不愉快な物の数々。
端的に言って、全てが癇癪の引き金になり得る物であった。
ええい、進路の邪魔ばかりで鬱陶しい! さっさと、失せろ!
とうとう癇癪を引き起こした貴方は激情のままに言葉を吐き、上位者の圧と狩人の殺意により周囲を威圧する。
普通のウマ娘が掛ける物より数段濃厚なそれで怯んだのをステップで躱し、貴方は前を目指す。
《ダンテスファルサ前に出た! 新潟の直線はまだ長い! リトルラットリア、最後の最後まで逃げ切れるか!》
ここまでずっとブロックされていたのが余程堪えたらしく、貴方は乱雑にスパートを掛ける。その様は技量も何もあったような物では無く、知る人が見れば酷い物。
しかし未だ成長途中のウマ娘と生粋の狩人では身体の性能が段違い。スタミナの削れも激しいながら前を次々と抜かし、残るは前で逃げるリトルラットリアのみ。
残り一ハロン。貴方は激情のままに加速の業を巡らせ、そして加速の業を発動させた。
それこそ、完全な失策であった。
加速の業を発動させた貴方は激情から醒め、瞬時にして「ああ、やらかした」と感じた。
貴方の扱う加速の業は前述した通り、一度しか使えない。そしてもう一つの欠点として、発動させた際のスタミナ消費が尋常ではないのだ。その欠点を顧みず怒りに釣られて使った結果、まだ距離が残ってしまっていた。
その隙を彼女が見逃す訳が無く。
「負けて……たまる、かぁぁぁぁぁーっ!」
咆哮をあげ、なけなしの根性を振り絞り。
──そして貴方は初めて、レースの敗北を経験した。
ゴール板を過ぎた後、両手を上げて勝ったと声にも身体にも喜びを表す彼女を見て、ふと過去を思い出した貴方はどうしても目を背かずにはいられなかった。
〘◇〙
どこが悪かったのだろうか。
貴方は一人、控え室で自問する。トレーナーは貴方から少し一人の時間が欲しいと頼んだ為、この場にはいない。
自問に対して考える間もなく、貴方はそれに自答する。
言うまでも無く、激情に駆られた時だろう。
あの時に乱雑に走ったが為に、無益にスタミナを削り、余計に疲労を重ねた。その上、加速の仕掛け所を見誤り、それが原因で彼女が前のままで、しかも逆転出来る距離を残していた。
貴方は溜息を吐く。今までに繰り返してきた狩りの失敗要因と似通っていたからだ。
とはいえ、こういう些末な失敗は狩りで何度も何度もしてきた。今更そこで落ち込むような、やわな狩人では無い。
貴方は気を取り直し、次回に向けて考える。
……まあ、もう良い。過ぎた事だ。これ以上拘っていようが意味などない。次にこれらを改善していこう。
今日の事は、仕方ない。
貴方は常套句を発し、トレーナーを呼び戻しに控え室を出た。
狩人にとって、負けは学生の持つペンみたいな物。
〘なぞのいきもの〙さん、〘geardoll〙さん、誤字報告ありがとうございます。
ウマネスト回
-
いる
-
いらない
-
そんな事よりヤーナムしろ