東方短譚   作:黄身白身

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どんぐりとオンザロック

 

「最初は、どんぐりを拾ったんですよ」

「どんぐり」

 

 私の住む別荘を買いたいという彼女は、おうむ返しに言った。

 持ち主である私に直接会いたいという話を何故か私は断れず、彼女を別荘に招いていた。

 はて?

 今、わからないことがいくつかある。

 私はいつ、彼女と知り合ったのだろうか?

 別荘を売るなど、いつ決めたのだろうか?

 そうだ、それはどんぐりから始まっていたのだろう。

 

 

 

 私は母一人に育てられた。世間一般の母子家庭のイメージとはほど遠い何不自由のない裕福な暮らしをさせてもらい、いわゆる一流大学まで行かせてくれたことはとても感謝している。本音を言うならば、仕事に明け暮れていた母にもう少し家にいてほしかったが、それは贅沢というものだろう。私の人生にとって母の不在はさほど大きなデメリットとはならなかったのだから。

 少なくとも、母が本当にいなくなるまでは。

私は大学を卒業して就職、そして結婚した。何年かして母が病死した。

 私の幸運は母がいてこそだったらしい。母が亡くなってすぐに仕事と家庭で私はさんざんな目に遭い、逃げ出すように退職、離婚した。

 弁護士から連絡があったのは、療養という名の引きこもり中のことだった。

 私が生まれてすぐに母と離婚した父が、私に財産を残して亡くなったと。

そう聞いたときも、父に対して実の親子だという感覚は乏しかった。私を育てた母の夫、と表現するのが私の感覚に一番近いだろう。

 

 

 

「この別荘が、亡くなられたお父様の遺産だったのですね」

 

 彼女は訳知り顔に頷いた。

口調と仕草は礼儀正しく優雅だが、なんとも胡散臭さが拭えない。

 詐欺師のような、とも少し違う。

 仕事相手としては非常に優秀で頼れるが、友人としては距離を置きたい。そんな雰囲気

の美人。

 雰囲気と言えば、私と向かい合わせに座ってコーヒーを飲んでいる彼女の姿には妙な違和感がある。言葉では言いにくいが、ソファに座っている姿がどこかおかしいのだ。どこがおかしいのかとは具体的に言えないが、それでも何故か違和感がある。

 ソファに座っているというよりも、ソファとテーブルのスキマに存在している、とでも形容したくなるのだ。

 名前は和風なのに、衣服の上からでもわかる日本人離れしたプロポーションと金髪。いや、それは昨今では珍しいことではないか。

 

「父の遺産とはいえ、持っていても始末に困るのですぐに売ろうと思ったのですが、とりあえずしばらくは住むことになったんですよ」

「それを今回売りに出されたと」

 

 彼女……ヤクモユカリはそう言って笑った。

 和風な名前だと思う。

 

 

 

 私は父の残した別荘に引っ越した。母のいた賃貸マンションは既に引き払っていたし、離婚後に当座のつもりで借りた月決め賃貸マンションにも長居する気はなかった。幸い、別荘にライフラインは完備していて、少ない荷物を運び込めばすぐに生活ができるようになっていた。

 わずかな貯金と母の遺産で食いつなぐつもりだった私に、父の残した別荘とさらなる遺産が転がり込んできたわけだ。

 細かい部分は全て弁護士に丸投げしたが、私の貯金通帳にはしばらく暮らしていけるだけの数字が書き込まれていた。

 療養という名の引きこもりは、場所を変えて続けられることになった。

 とは言っても、部屋の中でひたすらじっとしているわけではない。私は近辺の散歩を新しい日課にした。

 別荘とは言うが大袈裟なものではない。私鉄の駅からバスで上がって山の中腹、少し高級な住宅街の片隅にぽつんとある、別宅や隠宅と言ったほうがしっくりくるような佇まいだ。それでも周囲に自然はあふれていて、散歩先には事欠かない。

 そんなある日、私は小さな女の子が別荘の敷地内に入り込んでいるのを見つけた。

 女の子は一生懸命に何かを拾っているようだった。

 

「どうしたのかな」

 

 話しかけると、女の子は走って逃げた。

 最近の御時世とはそういうものなのだ。仕方ない。

見ると、どんぐりがまとまって落ちている。女の子はどんぐりを拾っていたらしい。

 確かに、この辺りにはどんぐりがたくさん落ちている。

 私はどんぐりを拾った。

 苦労してわざわざ探さなくとも、周りには大量に落ちている。

 拾うというよりもかき集めると言った方が正しいかもしれない。それほど大量に落ちていたのだ。

 それでも、集めていたと言うことはそれなりの量が必要なのだろう。

 通販商品の入っていた段ボール箱に大量のどんぐりを入れ、マジックで【御自由にお持ちください】と書いておく。そしてそれを、別荘の門横に置く。

 翌日には、段ボール箱ごと綺麗さっぱりなくなっていた。

 なんとなく、嬉しかった。

 更にその翌日、空の段ボール箱が門横に置かれていた。律儀に返してくれたのかと思い、もう一度どんぐりを集めると、やはり門横に置いておく。

 今度は中身だけがなくなった。

 そのやりとりが数回、一週間ほど続いたところで、それだけのどんぐりを一体何に使っているのだろうと疑問が湧いた。消えたどんぐりの総量はかなりのものだ。少なくとも一人遊びで使いきるようなものとは思えない。

 私の疑問を待っていたかのように、ダンボール箱の中に一枚の手紙が残されていた。

 

〈ありがとお さるの〉

 

 かなり汚く平仮名ばかりだが、読めないことはない。〈ありがとお〉はちょっと微笑ましいと思った。

 さるの。

 猿野。名字なのか。さすがに下の名前ではないだろう。

 いや、『沙流乃』……ありそうな気もしてきた。

 手紙を拾い上げ、私はその日もどんぐりを拾う。数日続けていたため流石に量が減り、家の周囲から少し離れたところで拾うことにした。

 そこで、以前見かけた女の子をまたもや見かけた。

 あのときは照れて逃げ出したのだろうが、それでもお礼の手紙をくれたのだ。大人の私が無視するわけにはいかない。

 沙流乃ちゃんか、猿野ちゃんか。それはどっちでもいい。

 

「やぁ、お手紙ありがとうね」

 

 沙流乃ちゃん? は立ち止まった。

 

「どんぐりで、何か作っているのかな」

 

 私は笑顔でそう尋ねた。

 女の子は走って逃げた。

 三日後、公民館前の掲示板に【どんぐり云々と話しかける不審者が出没しているので注意】との張り紙が貼られていた。

 私のことではないと思う。多分。

 

 

 

「ちるの、ですわ」

「え」

 

 八雲紫の言葉を、私は咄嗟に聞き返していた。

 

「……ちるの?」

「チルノ、ですわ」

「『さ』と『ち』を書き間違えていた、ということですか」

 

 『ありがとう』を『ありがとお』と書く子だ。ありえる話だろう。

 私の質問で、八雲は何かを思い出したようにクスクスと笑った。

 

「少しおバ……学習能力に難のある子ですので」

 

 その笑顔の優しさに私は虚を突かれた。胡散臭いと感じていた、いわばマイナスの感情がやや減ったようだ。

 チルノという子は、きっといい子なのだろう。

 待てよ。書き間違えたということは。

 

「あのですね。他に、後から来た手紙に、『ちなえ』とか『まりち』とか、人名らしきモノがあったのですが」

「『さなえ』と『まりさ』ですわね。二人とも、チルノとはそれなりに仲良しですから」

 

 優しい子なのだな、三人とも。

 私がそう言うと、何故か八雲は首を傾げる。

 

「……ええ、少しヤンチャですけれど間違いなく優しい子達ですわ」

 

 その間はなんですか。

 

 

 

 女の子は手紙の主ではなかったのだろう。何も言わず逃げたのは照れとしても、流石に不審者扱いはないだろう、多分。

 それに、どんぐりと手紙のやり取りはその後も続いたのだ。

 私はどんぐり以外のモノを入れようと思いついた。

 駅前の商店街で、くじ引き景品として駄菓子の組み合わせをもらったのだ。

 不審がられるかもしれないが、捨てられるのならそれはそれでいい。

 

〈さるのちゃんへ〉

 

 平仮名でそう書いた紙を袋に貼り付けて、どんぐりの代わりに入れておく。

 次の日、手紙が入っていた。

 

〈おいしかったです。みんなでわけました。おれいをしなちいといわれました。あきがみちまのおいもです。さるの〉

 

 そして礼のつもりだろうか、芋が一つ。あきがみちまのおいも。あきがみちま。品種名だろうか。

 名前がどうであろうと、それは異常なまでに美味しい芋だった。ただ蒸かしただけで特別な調理をしたわけではないのに、私の知る限りのどんな高級な芋よりも味が濃厚で、それでいて嫌味は全くなく、まさに「これぞ芋」と声を大にして言いたくなる美味しさだった。体調まで良くなったような気がする。

 芋の美味しさはさておいて、私は手紙の内容に喜んでいた。

 くだらないと言われるかもしれないが、人を喜ばせたのは何年ぶりだろう。

 会社も家庭も、自分をすり減らしていくだけの場所だった。

 仕事も家事も、できて当たり前、身を粉にして働いて当たり前、滅私奉公が当たり前。言葉一つの感謝も得られない、それどころか誰もが粗を見つけては声高に責めたて、心を削りにくる。

 感謝の言葉が、私には嬉しかった。

だから私は、少し調子に乗ってしまったのだろう。

 週一くらいのペースで、どんぐりとお菓子を交互に入れ続けた。

 また芋が届いた。あるいはキュウリ、きのこ。どれも、とんでもない美味しさだった。

 それぞれ、〈あきがみちま〉〈かっぱ〉〈まりち〉の芋、キュウリ、きのこだと手紙に書かれている。

 手紙はそれから毎回入っているようになった。

 他には、恐らくどんぐりとお菓子を分けたのだろう友達のことも書かれていた。

 〈だいさゃん〉〈るうみあ〉〈りぐる〉〈ふらん〉〈めえりん〉〈ちなえ〉……

 さるのちゃんの友達は沢山いるらしい。確かにあれだけのどんぐりが必要なはずだ。

 〈さゃん〉とはどう読むのか悩んだが、とりあえず河童のキュウリだけはとてもよくわかった。うん、河童と言えばキュウリだ。

 そういえば、キュウリやきのこを包んでいた新聞紙には、文○○新聞と書かれている。

 二文字ほどのスペースが破れていて読めないが、「文」で始まる新聞に心当たりはない。聞いたことのない紙名だ。

 読める部分だけでも読んでみると、妙なことばかり書いてある。掲載されている写真もなにかのコスプレ姿の女の子ばかりだ。映画やテレビの登場人物だろうか。

 もしかすると、それらの宣伝用に作られた新聞かもしれない。

 そして、さらに驚いたのは最近に届いたもの。

 氷だ。

 

〈あたいのつくったこおり、あげる〉

 

 そんな手紙と一緒に、段ボール箱の中に入っていた。

 これが、溶けない。

 冷たい。冷たいまま、溶けない。

 水に入れると冷たい水になる。

 酒に入れるといつまでも冷たく薄まらないオンザロックになる。

新種のアイスキューブかとも思ったが、あらかじめ冷やす必要がない代物なんて聞いたことがない。

 いや、そんな物はどうでも良かった。

 私は、手紙を心待ちにするようになった。

 さるのちゃんが色んなところで遊んだこと、お友達とお菓子を食べたこと。手紙を読む度にそれらの情景が頭に浮かぶようだった。

 手紙を読む私は、自然と微笑んでいた。

 私の心は、手紙に温められていたのだ。

 

 

 

「その氷が問題になったのですわ」

 

 ふぅ、と八雲はため息をついた。

 

「お芋にキュウリ、きのこはよいでしょう。消え物の類ですもの。いくら美味しくとも、神力や妖力が込められていようとも、食べてしまえばお終いですから」

「神力……妖力?」

 

 おかしなことを言い出した。

 

「天狗の新聞だって、ただの意味不明の出版物。怪文書として扱われても一向に構いませんわ」

「てんぐ」

「ですが、あからさまに物理に反している物質、要は消えない氷、それは拙い。そう思いませんこと?」

 

 何を言っているのか。

 聞こうとしたが、口が開かない。

 いや、身体が動かない。

 誰かが後ろから私の背に触れていた。どこをどうされているのかわからないが、私の身体はぴくりとも動かない。

 そして、八雲の視線は私の背後に向けられていた。

 

「藍、力加減には気をつけてね。チルノのお気に入りよ」

「紫様、あれをそこまでお気になさらなくともよろしいのでは?」

「あなたがあれと呼ぶ子も幻想郷の一部。それに、今回のことは魔理沙と早苗……ひいては霊夢と二柱にも繋がってしまっているの。食べ物の怨みは怖いけれど、食べ物の恩もそれなりに怖いわよ」

「短慮でした。気をつけます」

「そう。では、次の準備をお願い」

 

 八雲の視線が私に戻った。

 

「せっかくですので、藍が戻ってくるまでの間に御説明いたしますわ」

 

 そこからの話は、荒唐無稽にも程があると思えた。

 妖怪と人間の新天地。この世界の一部にして別存在。結界によって独立した世界。

 

「いつの頃からかはわかりませんが、結界の一部に綻びが生まれていました。その綻びの先にあったのが、この別荘ですわ」

 

 それは、私の知る世界の話ではない。だというのに、八雲の言葉はどこからか湧き出るような信憑性をまとっていた。

 

「敢然たる事実の前では、理屈など些事ということですわ」

「事実、といわれても」

「理性が否定しても、魂が納得しているのです」

 

 私の持つ全ての知識と理性が否定していても、魂がそれを真実だと判定していた。

 

「チルノが送った氷は、回収させてもらいますわ」

 

 それで済むのか。と私は思った。

 知られてはならないことを知った者がどうなるか。簡単な想像だ。

 

「それで、お終いです」

「殺す気、ですか」

 

 八雲はかすかに笑った。

 私を殺す。この女にとって、それはとても簡単なことのような気がした。

 

「確かに、それが一番簡単かつ手早いのですが。こちらにもそうはいかない事情がありまして」

 

 食べ物の恩。と彼女は言った。

 

「チルノはお菓子をお友達に配りました。ええ、とてもいい子です。おかげで沢山の妖怪、神、人間がお菓子を食べましたわ。だから、できれば殺すのは許してあげてほしいと」

 

 ふぅと、わざとらしいため息をついてみせる。

 

「それなりの力の持ち主だと思われるのも、これはこれで面倒くさいものですわ」

 

 記憶を消すだけでいいだろう。それぐらいの力はあるだろう。殺さずにどうにかできるだけの力はあるだろう。

 

「そんな風に言われては、できないとは答えられませんもの。賢者の矜恃として」

「記憶を消す?」

「ええ。別荘に来てからの記憶の一部をスキマに落とします」

 

 再び背後に何かが現れた。

 声が聞こえる。

 八雲に藍と呼ばれていた者。そしてもう一人、小さな女の子の声。

 

「ここが、お菓子をくれた人のおうち?」

「そうだ。霊夢が紫様に頼んだのだ。帰ったらきちんと礼を言うんだな」

「うん」

 

 先ほどと違い自由に動く身体で、私は振り向いた。

 女が二人。いや、大人の女が一人と女の子が一人。

 大人の女を見た瞬間、傾国の美女、そんな言葉が自然と頭に浮かんだ。

 女の子を見た瞬間、私の中の何かが納得した。

 この子が沙流乃……いや、チルノちゃんだ。

 

「おばちゃん、お菓子美味しかった。あたいの友達もみんな、美味しかったって」

 

 チルノはニッコリと笑っていた。

 

「ありがとう!」

 

 私も、笑っていた。

 

 

 

 ブラック企業も地獄のような結婚生活も二度と御免だ。

 父の残した別荘を売った私は、都会のワンルームマンションで悠々自適の生活を送っている。

 結局、一度も行くことなく別荘を売ってしまったので、書類上の住所しか私は知らないのだが、さすがに一度ぐらいは行ってみても良かったかもしれない。いや、そうでもないか。

 私に物心が付く前に母を捨てた父の思い出など何もないのだ。別荘に行ったところで何がどうなるというわけでもあるまい。

 今となっては住所すらうろ覚えだ。別荘があったという証拠は通帳の中の数字だけ。うん、最初から現金だけをもらったと思っておこう。

 しかし、一つだけ不思議なことがある。

 私は今、手元のグラスを眺めている。

 オンザロックの氷を見ていると、なぜだかとても温かく、そして優しい気分になれるのだ。

 

 

 

 

 

 




おまけ

早苗「チルノちゃん。お菓子をもらったらちゃんとお礼を言いましょう。え、会えない。それじゃあお手紙だけでも」
諏訪子「おおっ、まさかこっちでウマイバーが食べられるとは」
神奈子「……ちょっと拙いことになってないかい?」
霊夢「そうね。紫と話をしなきゃ」

文「……怪文書……意味不明の怪文書……意味不明……」
はたて(呼吸困難レベルで笑っている)
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