東方短譚   作:黄身白身

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居酒屋豆蔵

 今夜は友人と飲む約束をしていた。妻にも吞んで帰るので遅くなると言ってある。

 早めに仕事を終えて事務所を出るとそそくさと駅へ進み、自宅最寄りの駅に向かう電車に乗り込む。

 電車を降りたところで時間を確認すると、予定より三十分ほど早いようだ。それくらいなら構うまい。

 駅の西口を下りて道路を一本挟んだ先の小さなビルの二階。そこに居酒屋豆蔵はある。

 こぢんまりとして地味だが、確かな酒と肴を出すこの店に私が通い始めてからそろそろ一年だろうか。

 いつものように暖簾を潜ると、正面のカウンター席には知った顔が座っていた。

 

「やぁ、こっちこっち」

 

 どうやら先を越されたらしい。彼は既に飲み始めている。

 

「さあさあ座って座って」

 

 彼の押しの強さには慣れたとは言え、いつも少したじろいでしまう。

 

「早かったんですね」

「商談が思ったよりスムーズにまとまってね、時間を潰すのも中途半端だったんで、申し訳ないが先にやらせてもらってるよ」

 

 誰が見ても東欧人、本人曰く生まれも育ちも東欧なのだが、盃を持ち上げる仕草が実にさまになっている。世の東西を問わず、美男子というのは得なものだ。それどころか日本語まで滞りなく話しているのだから天は二物を与えずなんて嘘八百であろう。

 

「まったく日本食というのはいいねぇ。ボクは食事をするたびにこの国が好きになるよ」

「食事と言うより酒のほうが多くないです?」

「うむ、確かに。訂正しよう。飲むたびにこの国が好きになるよ」

 

 彼の笑い声を聞きながら、私は店員にビールを注文する。

 

「とりあえず乾杯しますか」

「ボクたちの友情と、この国の食事と酒に乾杯だ」

「それから、貴方の娘に」

「もちろんだとも」

「異国に学ぶ娘さん二人に」

「レミリアとフランドールに」

「乾杯」

「乾杯」

 

 私が彼、マイケル・スカーレットと知り合ったのは半年前のことになる。

 この店でカウンターに座ってお品書きを前に首を捻っているところに助け船を出したのだ。来日したばかりのマイケルは日本語の読み書きを現地でしっかりと学んできたため料理名を読むことはできた。しかし、読めはしても意味がわからない状態だったらしい。

 豆蔵には、(店主によると「小粋なジョーク」ということだが)妙に捻った料理名が多いため、普通の客でも初見は戸惑う。ただし、一度飲み食いすれば戸惑いは称賛に替わるのだ。

 彼の注文を手伝ってしばらく話をしているうちに意気投合し、定期的にここで会うようになった。

 彼は酔うと決まって、二人娘の自慢を始める。

 

「二人とも全寮制の学校に通っていてね、しばらくは顔も見てないんだよ……ああ、会いたいなぁ、レミィ、フラン……」

「そりゃあお父さんとしては心配でしょうね。娘さん二人ともなんて」

「信頼できる有能な召使いを一人つけてはいるんだがね。女性だが腕のほうも抜群で、そういう意味での心配はないんだが、それでもなぁ」

「召使い付の学校とは凄いですね」

「いやいや、我が家の召使いだよ」

 

 スカーレット家というのがかなりの資産家であると聞いて私は驚いたものだ。そんな金持ちがこんな街中の居酒屋でくだを巻いているとは。

 

「もっとも、現地で更にもう一人召使いを雇ったようで、ウチから着いていった美鈴は門番役になったそうだが」

「メーリン?」

「ああ、中国系の娘だがとても優秀な良い子でね。新しく雇ったのは日本人らしいが、その子もなかなか優秀だと聞いているよ」

 

 日本にある学校なのだろうか。

 

「銀髪だと言ってたな」

 

 そんな日本人はいない……あ、いや、最近はわからないか。

 

「ボクの親友の娘も一緒の学校に居るから寂しくはないだろうが、こっちが寂しくてねぇ」

「そういうもんですか」

 

 私は頷いていた。

 我が家は私と妻の二人きりの家庭なのだが、時々無性に寂しくなるときがあるのだ。

 子供に恵まれずにこの年まで来たのだ、正直もう私は、そして妻も諦めてはいるのだ。それでも、寂しくなるときはある。

 とはいえ娘を心底可愛がっているマイケルに話すようなことでもないし、そんなことを話して彼に余計な気を使わせたくもない。だから私はいつも、彼の娘自慢を静かに聞くことにしているのだ。

 正直、聞いているだけでも微笑ましい気分になる。

 勿論、今夜も。そして酒も進むというものだ。

 ジョッキを空けるとお代わりを頼む。

 

「あと、狐焼きも……マイケル、君も食べるかい?」

「日本では狐を食べるのか?」

「いや、これは……」

「油揚げの詰め物焼きですよ」

 

 ギョッとしているマイケルに店員の注釈が入った。

 日本語が読めたとしても、ここのお品書きを一見で理解するのは難しい。何故か、狐焼きとか狐のタタキとか狐を目の敵にする料理名が多いのが謎だ。

 

「ウチの大将がタヌキ好きでして」

 

 なるほど、そういうこともあるか。

 

「佐渡から出てきてこの店立ち上げただけあって料理の腕は確かなんですけどね、どうも料理の名前のセンスだけはもう一つでして」

「うるせえよ」

 

 狐焼きを手に、大将が姿を見せた。

 

「佐渡で世話になってた親分……あ、カタギですよ? が旅に出ちまって、下で働いてたあたしらはどうしたもんかと思ってた所に昔の知り合いから話が来て。で、あたしはここで退職金はたいて店を構えたってわけでしてね」

「いい店じゃないか」

 

 マイケルが笑うが、彼の犬歯が妙にぎらついているように見える。たまにこういうときがあるのだ。

 

「ボクはこの店が気に入ってるんだ……そうだな、たとえば万が一、万が一だよ? ウチの会社がここら一帯を更地にして再開発するような計画をたてたら、大反対するか、新しい店を作らせようじゃないか」

「あ、ありがたいことです」

 

 立ち上がり熱弁するマイケルに迫られた大将と店員が怯えたようにも見えるが、押しの強い大柄な西洋人に迫られたらそりゃ怖いだろう。

 

「タヌキはアジアの一部にしかいないんだ、狐なんぞよりよっぽど大切にするさ」

 

 ボクも昔、狐とその飼い主には酷い目にあってね、とマイケルは笑いながら続けるが、一体なにがあったというのか。ペットの狐で一悶着あったのだろうか。

 

「おや、旦那も狐がお嫌いで」

「嫌いだね。特に飼い主に尻尾を何本も振るようなやつは」

 

 東欧の狐は尻尾が何本もあるのだろうか。九尾じゃあるまいし。

 

「じゃあ一杯奢らせてもらいますよ。狐嫌いに悪いやつぁいないですからねえ」

 

 それじゃあ、と言ったところでマイケルの上着のポケットから音が鳴った。

 

「っと、ごめんよ」

 

 スマホを取り出すと立ち上がり、店の隅へと移動するマイケル。

 勿論盗み聞きするつもりなどないが、聞こえてしまうものはしょうがない。

 

「……ボクだ、悪いが今は友人と楽しく飲んで、いや、君も友人だが……キミは父娘揃って出不精すぎるんだよ……管理人から連絡?……いいさ、ほっとけ、本物の急用なら今すぐボクの前にスキマ繋げてやってくるさアレは……そう慌てるな……ノーレッジの名が泣くぞ……なんならウチの娘からパチュリー君に伝言しようか、君が寂しがって泣いてるって……冗談だよ……」

 

 よくわからないところがあるが、仕事用語かそれとも日本語を間違って覚えているのだろうか。

 と、私のスマホにもメールが。しかもこの着信音は仕事用スマホのほう。

 同僚の宇佐見だ。

 文面に目を通すと……休日出勤シフトを替わって欲しい? 娘の授業参観忘れてた?

 宇佐見の娘は確か、あった事はないが名前は聞いたことあるな。確か、菫子ちゃんと言ったか。授業中はいつも寝てばかりだと三者面談で担任に注意されたと嘆いていたな。

 別に交替するのは構わないが、さて、私の予定は如何だったかな。

 休日の予定を思い出そうとしていると、マイケルが戻ってきた。メールの返事は後でも構うまい。

 

「すまないね。ボクのビジネスパートナーは長年の友人なんだがね。仕事は非常に優秀なんだが、どうもそれ以外が弱気で困ったもんだ」

「スカーレットさんに優秀と言われるなら本当に優秀なんでしょうね」

「自慢の友人さ。おっと、今は君も、ここのタイショーも、ボクの自慢の友人だぜ。ああそうだ、一度奴もここに連れてこよう、きっと気に入るさ」

 

 その時は私も宇佐見を誘ってみよう。四人で飲むのは楽しいだろう。

 後は愚にも付かない話を続けて、最後にきつねうどん……本当にこの店は狐ばかりを食べる……で締めると、私はまだ飲み続けるというマイケルに別れを告げて店を出た。

 あれだけ飲んでまだ飲むというのだから、とんでもない酒量である。ザルを通り越して枠だ。しかし、楽しく飲んでいるのがよくわかる。ああいう人と飲むのは本当に楽しい。

 ビルから出て私は、忘れないうちに宇佐見へのメールを送信しようとした。

 スマホがない。ポケットにも、カバンの中にも。

 どうやら店に忘れたようだ。メールを確認してそのままカウンターかどこかに置いてしまったのだろう。

 慌てて戻ると、椅子の上にポツンと置かれている。

 

「すまない、忘れ物だ」

「あ、こっちこそ気付かずスイマセン」

 

 大将に頭を下げられる。見ると、さっきまでいたはずのマイケルの姿がない。

 私はマイケルとすれ違っていない。店からは出てないはずだが。

 

「あれ? マイケルは?」

「ああ、スキマ……いや、タクシー呼んで裏口から帰りましたよ」

 

 店に裏口があったのは知らなかった。タクシーということは大通りに面した側に繋がっているのか。

 

「じゃ、また来るよ」

 

 今度こそ、私は店を後にする。

 ビルを出て、宇佐見に返信をしようとして思いついた。

 そうだ、ついでにこのメールで宇佐見を誘おう。

 シフトの交替を快諾して、それから今度飲もうと。あと、娘の授業参観しっかり参加しろよ、と。

 娘か……私にも娘がいたらどうなっていただろう。名前は……そうだ、早苗がいいな。

 不思議と、私の中でしっくりとくる名前だった。うん、いい名前じゃないか、早苗。

 すぐに返事が来た。

〝ありがとうございます。東風谷さんのお薦めの店、楽しみにしてますよ〟

 私は上機嫌でスマホをポケットに入れると、帰路を急いだ。

 

 






マイケルは世を忍ぶ偽名。
なお、ネーミングセンスは娘二人には大不評
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