東方短譚   作:黄身白身

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夜に咲く

 

 切羽詰まった男が最後に向かった先は、湖の畔にある紅く染まった館。

 その館は紅魔館と呼ばれていた。現当主は悪鬼羅刹と怖れられてはいるが無闇矢鱈と人を襲うことはなく、正当な契約を結んだ者には強力な守護を与えるとも噂されている吸血鬼。名はレミリア・スカーレット。

 

「こちらが紅魔館か」

 

 男が呼びかけると、門扉の前に立つ赤毛の女が眠っているかのように閉じていた目を開く。興味なさげに男を見る瞳に、寝起きの鈍重さは感じられない。

 遠目には立ったまま居眠りをしていたようにも見えた彼女だが、男はこの女がいかに恐ろしい存在かを知っている。

 数ヶ月前の月夜、人里に侵入して狂い暴れる魔獣の首を拳一つで弾き飛ばした女なのだ。一つの集落が救われたのは間違いないが、無言で獣の死体を解体し始めた彼女に人々は震え上がったものだ。

 

「人がこの館に何用か」

「御当主様にお目通り願いたい」

 

 女は首を傾げた。と、そのさらに背後、門の内側から声。

 

「美鈴、通しなさい。お嬢様が直接話を聞くそうよ」

 

 男はその声の主を見たことがあった。人里に日用品を買い求めに現れることがある人間の女。

 美鈴と呼ばれたモノも外見は人間の女だが、人間の女には獣を拳一つで屠ることなどできない。人間であるのは外見だけ。

 館の中から現れたメイド姿のこの女も、外見がどうであれ果たして人間かどうか。

 

「わかりました」

 

 美鈴は門扉を開く。

 

「それでは、後をよろしくお願いします」

 

 案内するメイドが人間であろうとなかろうと、どちらにしろ男には引き返す選択肢などなかった。

 屋敷に入り、さらに少し歩くと重厚な扉の前に辿り着く。

 

「レミリア様はこちらにおられます。くれぐれも粗相のありませぬように」

 

 男が頷くと、メイドは扉をノックした。

 

「ああ、入りなさい」

 

 小さい、しかしハッキリと聞こえる声。耳ではなく、神経に直接響いたように男には感じられた。

 

「くれぐれも粗相の無いように」

 

 侍女は繰り返し、さらに言葉を一つ重ねた。

 

「貴方の命のためです」

 

 礼儀のためなどではない。直接的に命、と侍女は言ったのだ。

 男はその意味を脳裏に刻み込む。

 

「ウチのメイドは少々過保護でね」

 

 入室した男に対する、それがレミリアの第一声だった。

 こちらも外見は無力な人間の女に見える。それどころか、無邪気な可愛らしい少女の姿。しかしその実体は既に知られているとおりの恐るべき吸血鬼。畏怖すべき存在。

 

「それもみな、私の身を案じてのことだ。少々の無礼は私に免じて許してほしい」

 

 豪奢なソファに座るように促すと、いつの間にかテーブルの上には茶の用意がされている。

 そこには確かに部屋に入るときに背後にいたはずのメイドの姿が。

 いつの間に、と男は考えたが、やはりこのメイドも人外のモノなのだろうと結論する。

 人外の異能など理解できるわけもない。男の切り替えは早かった。

 男は自らの名を告げる。

 レミリアは一瞬遠くを見るように視線を外し、すぐに笑った。

 

「ああ、覚えているとも。君のお父上と取引をしたな。お父上はお元気かな」

 

 先年亡くなったのだと男が告げると、いかにも沈痛な表情を作ってみせる。

 

「おお、伝わっていれば葬儀にも顔を出していたものを。知らずとはいえ失礼した」

「御当主様のそのお言葉だけで父は満足でしょう」

「そう言ってもらえると私も気が楽だよ」

 

 ところで、と続けた。

 

「君のお父上との取引は実に有意義だった……なれば、君とも引き続き有意義な付き合いをしたいものだな」

 

 レミリアと父との取引。それが男の訪問理由だった。

 父の代からの取引を自分の代でも続けたい。ただし、多少の変更を許されたい。それが男の望み。

 

「ふむ。その変更とは、いや、待ちたまえ。こちらも確認しよう……パチェ」

 

 背後の暗がりから、またも少女の姿をしたモノが姿を見せる。

 パチュリー・ノーレッジ。レミリアと取引をする者ならば必ずその姿を目にすることとなる博識の魔女。決して誤魔化すことはできないが、正当な取引であれば友好的でもある存在。

 

「すまんね、パチェ。彼のお父上との取引記録を開示してくれないか」

「概略でいいわね……」

 

 男の父が望んだのは一族の繁栄。

 その代償は……

 男の覚えている父は常に車椅子に座っていた。足が動かないのだ。

 男の覚えている父には片目がなかった。眼球から喪われていた。

 男の覚えている父には左腕がなかった。肩から先には何もなかった。

 それでも未来視のようにも思える的確かつ大胆な投資によって財をなした父。周囲は彼を傑物と、陰では化物と呼んだ。

 繁栄の期限は父の死まで。それがレミリアとの取引だった。

 父が死んだ翌日から、全てがうまくいかなくなった。いや、全てが悪い方向へと進んだ。

 それでも、資産を護るだけでも男とその家族が生きて行くには充分なはずだった。しかし男はそれをよしとはしなかった、できなかった。自分の才を信じた。自分には才があると無根拠に信じた。

 だからこそ、父の後を継いだ男は積極的に打って出た。

 僅か三年で父の築き上げた会社は無価値となり、男の屋敷は抵当に入った。成金の馬鹿息子が無様に足掻いていると嘲る声があるのも知っている。

 

「スカーレットとの取引はワシで最後にしろ」

 

 父の遺言は無視された。

 もっともそれ以前の父の言葉「お前はワシの築いた財産を護ることだけを考えろ」も無視されていたのだが。

 

「是非、取引を再開したいのです。レミリア様の御力をお借りしたいのです」

 

 男は頭を下げていた。

 

「悪魔との取引には代償が必要だよ」

 

 是とも非とも答えず、レミリアはそう尋ねる。

 お前はそれを知っているのかと。

 父のように差し出すのかと。

 男は答えようとして絶句していた。何も言えない。言おうしていた言葉が喉に詰まる。

 レミリアの視線が男の言葉をせき止めていた。

 準備していた言葉を発すればこの場で殺される。男はそう感じていた。

 

「そうか。君には自分を差し出す覚悟はないのか」

 

 話にならん。言外の意志が冷酷な視線で明確に伝えられた。

 

「待ってください」

 

 そこで口を開くことのできた男はある意味傑物だったのかも知れない。と、パチュリーは後にレミリアに述べた。

 

「父は貴方に魂までは捧げていないはずだ」

「ほぅ? ならば、君は魂を捧げると?」

「……若い魂ならどうでしょうか」

 

 堰を切ったように男は喋り始めた。話を止めた瞬間、目の前の吸血鬼に縊り殺されるとでもいうように。

 

「約束する。私の娘、いや、違う。孫だ。私の孫だ。孫の魂をくれてやる。だから、私に父と同じく、繁栄を」

 

 必死の男の言葉を無視するようなレミリアの大きなため息。

 まさかここまでの愚者だったとは。レミリアは心から失望し、片手の指を上げ、ふと止めた。

 

「……ん?」

 

 パチュリーが首を傾げる。

 

「レミィ、何か見えたの?」

「ふふ……ああ、面白い。これは面白い」

 

 そして立ち上がり、男に手を伸ばす。

 

「いいだろう。繁栄をくれてやる。いずれ生まれるであろう君の孫はその魂から全て私のモノだ」

 

 男の額にレミリアの指が触れた。

 

「この私、レミリア・スカーレットがこの地にいる限り、君とその家族の安寧と繁栄を護ろう」

 

 

 

「さて、と」

 

 男が芝居めいた大袈裟な感謝の言葉と共に去った後、レミリアは尋ねた。

 

「何か言いたそうだね、パチェ?」

「何かも何も、私たち三十日後には幻想郷よ? 〝この地〟にはいないわ」

 

 レミリアの取引は『この地にいる限り』。ここから去れば、当然取引は雲散霧消する。

 

「三十日の繁栄も、傑物にも道化にもなりきれぬ半端者には上等だろうよ。自らを犠牲にして家族を守ったお父上の半分程度の気骨でもあればあるいはと思ったが、アレには無理な注文だったようだ」

「道化はどっちかしら。代償は取りっぱぐれじゃない。孫が生まれるまであの家が保つの?」

「どんな愚物であろうとどんな汚泥の中だろうと、生きてさえいれば子供はこさえられるさ。立派な屋敷、薄汚い貧民窟、くそったれの詐欺師と同じく馬小屋、どこで産もうが、周囲に祝福されて産もうが、母親の嘆きと後悔に塗れて産もうが、人は人さ」

「ああ、人間の生殖は度し難い、忘れてたわ」

「それにな、きっと面白い子が来るぞ。パチェもフランも美鈴も気に入るさ」

「だったらいいけど」

「ああそうだ、パチェ。幻想郷では日本語とやらを使うのだろう?」

「ええ」

「いずれやってくる子に与える名を、日本語で考えておいてくれないか。元の名は捨てさせるべきだ、おそらくは唾棄すべき思い出と共に」

「リクエストは?」

「吸血鬼の下僕らしく、夜に咲く、という意味の言葉などどうかな」

 

 

 

 

 

 

 

 




(X年後)

レミリア「……いやまさか、ここまでお気に入りになるとは思わなかった」
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