幸せという名の自殺未遂   作:ROCKSTAR

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レイジング・スネーク

 

 

 

 

 3バカ達と町へ繰り出してから1週間。俺はますます充実した日々を送ることができていた。

 まだアニメはともかく、漫画の話題に関しては小野寺さんとそれなりに話ができるようになり、それに伴って話をする人の数はさらに増えた。

 笹原さんの喫茶店での仕事も、若干戸惑いながらも順調にこなすことができた。顔見知りの客の人もでき、学外での人のつながりも形成された。

 

 

 

 

 学内、学外双方の生活が実にうまくいっており、まさに順風満帆であった。

 

 

 

 

 

 

 今日は教室で読書でもしようと思い、朝練のある運動部ほどではないが、早めの時間に登校した。

 教室に着くと、案の定生徒は少なく、大量の資料――恐らく、行事で用いる衣装の作成工程などが書かれているのだろう――に目を通している時谷さんや、俺と同じことを考えたのであろうか、本を机の上に置いた村上さん、クラスが違うはずなのに村上さんと会話をしている望月さん――望月さんが一方的に話をしている感じではあったが――の姿くらいであった。

 

 そんな光景に、『平和って素晴らしい』などと柄にもないことを考えながら、鞄から本を取り出そうとすると、教室の扉が勢いよく開かれた。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 扉を開けた者の正体は、春宮であった。息を切らせながら教室へと入ってくる。陸上部のこいつが息を切らせるなど、珍しいこともある。

 さらに陸上部のユニフォーム姿のままであることから、まだ朝練が終わったわけではないらしい。ふと視線を向けた時計の時間も、朝練が終わるにはまだ早い。加えて1年のこいつが2年の教室に入ってきたということから、余程緊急の用事がここにあるということだろうか。

 

「すいません! 二階堂先輩は……って、いた! ……よかった、いてくれて……」

 

 開口一番、妙なまでに深刻そうな表情で教室を見渡しながら俺の名を呼ぶ春宮だったが、俺の存在に気が付いたと同時に、心底安心したような表情を見せる。

 何か嫌な予感がした俺は、彼女に呼ばれる前にすぐ椅子から立ち上がって傍まで近づいた。時谷さん、村上さん、望月さんも移動こそしなかったが、訝しそうな表情で春宮に視線を送っていた。

 

「何があった?」

 

「く、黒川先輩が、1年の教室がある棟で怒鳴っているんです!」

 

「……何だって? どういうことだ、それは?」

 

 春宮の言葉のあまりの頓珍漢ぶりに、どういう反応をすればいいのか困った。かと言って、春宮の状態を考えると冗談にはとても思えない。

 

「と、とにかく付いて来てください! ここで事情を話してたら、大変なことになっちゃいそうなんです!」

 

「……分かった」

 

 なぜ黒川くんが怒鳴り散らしているのか、そもそもなぜこんな早い時間に1年の教室のある棟へ行っているのか、疑問は尽きなかった。だが、慌てた様子の春宮から、そんなことを考えている場合ではないことを悟り、すぐさま走り出した。春宮も俺に続く。さすがは陸上部なだけあって、正直俺よりも速い。

 

「春宮、念のためお前が先導してくれ! 1年の棟に行くのは久しぶりだから、迷う可能性がある!」

 

「わ、分かりました!」

 

 俺の言葉に春宮はわずかばかりペースを上げ、廊下を駆けてゆく。俺は彼女の背中を見失わないよう、ぴったりとくっつくようにして疾走した。

 

 

 

 

「ふ、文緒ちゃん!? どこ行くの!?」

 

 

 

 

 

 

 1年生の教室周辺は、なぜかかなりの喧騒に包まれていた。廊下に出て何やらひそひそと話をしている者も数多く見受けられる。まさか、その対象は――――。

 

「はぁ……はぁ……あっ、あそこです!」

 

 息を切らせた春宮が指差した方向――およそ40メートル先――に、確かに黒川くんはいた。だが、そこにいたのは――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺に楯突きやがったあのクソ野郎どもは、どこだぁぁぁっ! ぶっ殺してやる! 腹かっさばいて、晒し首にしてやる! とっとと出てきやがれぇぇぇっ!」

 

 

 

 

 

 

 そこにいたのは、真面目ながらも、馬鹿な冗談も通じ、常に笑顔を絶やさない、いつも俺が目にしていた彼の姿ではなかった。

 顔は痣と傷だらけで、目はギラギラと血走り、額には血管がビキビキと浮き出、ガパッと大きく口を開けながら舌を限界まで伸ばし、どうやったらそこまで出せるのだと疑いたくなるほどの巨大な怒鳴り声で、周囲に唾液が跳ぶのを気にも留めずに暴言を吐きまくって廊下を闊歩するその姿は、さながら鱗を剥がされ、肉を削がれたことにより、我を忘れて毒液を吐きながら暴れ回る蛇のようだった。

 

 

 

 

 まさに今の彼は、怒り狂う毒蛇であった。

 

 

 

 

「隠れてんじゃねえぞ、カスが! 俺にあんだけ楯突きやがったんなら、当然やり返されるのが筋ってもんだろうが! ぶっ殺してやるから、早く出てきやがれぇぇぇっ!」

 

(まずい、早く止めないと!)

 

 春宮の言う通り、このまま彼を放置しておくわけにはいかない。黒川くんの身に何があったのかは分からないが、このままでは無関係な人間にまで被害が及ぶ可能性もある。とにもかくにも、彼を落ち着かせなければならない。

 だが面と向かって何か言ったところで、今の黒川くんには一切通じないと判断した俺は、近くの教室に入って身を隠し、彼が通り過ぎるのを見計らって背後から羽交い絞めにした。

 

「黒川くん、落ち着け!」

 

「何しやがんだ! 離しやがれ! てめえも俺にぶっ殺されてえのか!」

 

 ――なんという力だ。

 俺は彼に暴言を吐かれたことよりも、羽交い絞めを解こうと抵抗する彼の異常なまでの力の強さに驚きを隠せなかった。

 

 黒川くんはあまり運動が得意ではないと、俺個人としては思う。体育の授業においても他の同級生に比べて動きは速くなく、球技でボールを投げた時の速度や飛距離などから見て、力もそこまでではなかったように感じる。

 

 おまけに彼は、男子生徒の中でも小柄な体格――身長は160cm台に見える――のため、なおのことその力の強さに度肝を抜かれた。全力で羽交い絞めにしないと、突き放されるどころか吹っ飛ばされてもおかしくなかった。

 恐らくは、身体のリミッターが外れた状態――いわゆる、『火事場の馬鹿力』というやつだ――になっているのだろう。このままその状態を維持していると彼の身体が壊れる危険性もあったので、俺は何としてでも彼を止めなければならなかった。

 

「俺だ! 俺だ! 二階堂だ! 落ち着け、俺だ!」

 

「!」

 

 俺であることを伝えた途端、黒川くんの力が緩む。俺は羽交い絞めを解くと、すかさず彼の前に回り込み、肩に手を置いて、しつこいくらいに俺であることを連呼した。

 

「俺を見ろ! 落ち着け、俺だ!」

 

「に、にかい、どう、くん……?」

 

「そうだ、俺だ! 俺を見ろ、大丈夫だ!」

 

「…………」

 

 血走った目は相変わらずだったが、額に浮き出た血管や限界近くまで伸びた舌、巨大な声の暴言の嵐などは収まった。同時に、崩れるように彼はその場に座り込む。

 

「……おい、お前ら! 見世物じゃねえんだ! とっとと散れ!」

 

 野次馬として集まっていた多くの1年生を、一喝して散らせる。

 その中にはかなり心配そうな表情をした――恐らくは、黒川くんと親しい1年なのだろう――者もいたが、配慮をしている暇はなかった。

 

「悪いが春宮も、教室に行っててくれないか? そもそもお前、着替えないとまずいだろ」

 

 授業が始まるまでに、まだそれなりの時間はある。だが春宮は部活のユニフォーム姿のままなのだ。ここで油を売ってしまっていては、着替える時間がなくなり、授業にも間に合わなくなってしまう。

 

「で、でも……」

 

 しかしながら、春宮はかなり悲痛な表情で、俺の指示へのためらいを見せた。その表情や、ここ最近は春宮とほとんど話をしたことがなかったことを考えると、ひとつの答えが導かれる。

 恐らく春宮と黒川くんは、良好な関係を築いていたのだろう。あの時の押しつけ作戦は、俺が予想していた以上の結果を産んでいたのかもしれない。そうでなければ、春宮が俺の教室に息を切らせながら来るなどということはあり得ないし、ほぼ間違いなく野次馬のひとりにしかなっていなかったはずだ。

 

「お前の気持ちは痛いほど分かる。だけど変に騒ぎが大きくなって、変な噂がお前にまで及んじまったらまずいんだ。すまんが、ここは退いてくれ」

 

「……分かりました」

 

 最後まで俺の言葉に納得できない様子ではあったが、春宮はそう言って階段を下りて行った。多分着替えるために更衣室へと向かったのだろう。

 

「……ちっ」

 

 春宮が去ったのとほぼ同時に、何人かの教師が俺と黒川くんのもとに駆けつけてきた。誰かが呼んだのだろうか。

 

「な、何があったの!?」

 

 1年生の担任を務めている橘先生を始めとして、教師たちはかなり戸惑った様子で俺たちに質問を投げかける。

 だが俺はそれには一切答えず、黒川くんに無理矢理肩を貸して立ち上がらせた。

 

「すみませんが、俺に任せてくれませんか? それと、このことはできるだけ他の生徒に広めないようにしてほしいんです」

 

 事情を教師に話すことよりも、まずは黒川くんを保健室まで連れていく必要がある。それくらいに彼の顔の傷や痣はひどいものだった。顔だけではなく、腕にもそれは見受けられ、俺は彼の傷が全身にあるのではないかと予想した。

 それに実際のところ、なぜ彼がここで激昂していたのかという詳しい事情は俺にも分からないのだ。

 

 そして何よりも、このことが変に尾ひれの付いた噂となり、黒川くんにとってよくないことになってしまうのは絶対にごめんだ。春宮を帰したのも、彼女が巻き添えを食わないようにするためだった。

 教師陣に釘を刺したところでほぼ無意味なことは分かり切っていたが、それでも何も言わないよりはましだろう。いざとなれば、どんな手を使ってでも噂を止めさせる。

 

「どいてくれ……ひとりで歩ける……」

 

 教師陣の返答を待たずに、俺は黒川くんと共に歩きだす。すると黒川くんはそう言いながら、俺の肩を解こうとした。

 

「お、おいおい。いくらなんでも無茶だって」

 

 見た感じでは骨折などの重傷はなかったが、それでも彼の怪我は、なぜ学校に来られたのか疑いたくなるレベルだった。

 こんなところで見栄を張っている場合ではないだろうと思いながら、脇を締めて解かせないようにしたが――――。

 

「……邪魔だ!」

 

 先ほどよりは劣るものの、再び強い力を出され、無理矢理解かれてしまった。先ほどのように全力で脇を締めていたわけではないので、あえなく俺は解かれ、おまけに吹っ飛ばされそうになった。

 

「…………」

 

 呆然と立ち尽くすわけにもいかず、俺は彼の少し後ろを歩くことにした。これなら、ふらつきながら歩く彼が倒れるなどした際に、即座に対応できる。さらに今の彼の様子を見る限りでは、隣を歩くのは彼をいらつかせることになるだろう。そういう理由から、これが最も望ましい対応だと判断した。

 

「…………あっ」

 

 階段を下りていく際、村上さんの姿が目に入った。彼女も黒川くんとは仲がいい。心配で走ってきたのだろうか。

 俺たちの姿を目にした彼女は、春宮以上に悲痛な面持ちをしていた。

 そんな村上さんの表情などまるで気に留めず、黒川くんは彼女の横を通り過ぎていった。まるで村上さんの姿など、そこに存在していないかのように。

 

「悪いけど、村上さんは教室に戻っていてくれないかな?」

 

「で、でも……」

 

「今の黒川くん、自分の邪魔する人間は見境なくぶっ飛ばすと思う。俺はまだいいけど、村上さんをそんな目に合わせるわけにはいかないしね」

 

「…………」

 

 俺の言葉に村上さんは沈黙する。

 黒川くんを見失わないようにするため、俺は村上さんの返事を待たずにその場をあとにした。

 

 

 

 

 

 

 結局黒川くんは保健室には行こうとせず、教室に入って自分の席に着いてしまった。背負いっぱなしのリュックを下ろし、机の横のフックに引っかける。それからはピクリとも動かず、じっと正面を見据えていた。

 それに遅れて、村上さんもとぼとぼとした足取りで戻ってきた。

 

「おいおい、どうしたんだよ……何であんなに傷だらけなんだ?」

「えっ、もしかしてあれ、黒川君なの?」

「何があったんだ?」

 

 黒川くんの着席と前後して、予鈴のチャイムが鳴り響く。そのため、先ほどと違って教室の席には、ほぼ全員その主が座っていた(まだ本鈴ではないため、席を立って雑談している者も何人かいたが)。

 こんな状況を目にしては当たり前の話だが、黒川くんの姿を目にしたクラスの連中は、ひとりの例外もなく呆気にとられたような表情をして、近くの人間と小声で話し始めていた。

 

「…………」

 

 そのまま自分の席に着くのも気が引け、俺は黒川くんの真横に行く。

 彼の表情を見据えた時、その目つきに俺はぎょっとなった。『何だよこの目つきは』と、内心で呟かずにはいられなかった。

 

 彼の目つきは『険しい』という表現では生易しいと感じるものとなっていった。先ほどの怒りをあらわにしたようなものではなく、どす黒い憎悪の感情で埋め尽くされた、暗いものだった。

 まるで今から誰かを殺しにかかるような、殺気立ったものが溢れたそれに、俺は冷や汗が流れ落ちた。

 

 そんな彼の姿に野次馬根性が触発されたのかは分からないが、クラス連中の小声の会話は次第に大きくなり、ざわつきと呼べるものにまでなっていた。会話の内容も、『やばい奴と喧嘩でもしたんじゃねえの?』とか、『黒川君、真面目な人だと思ってたのに、ちょっと幻滅したな』といった、あまりにも理不尽かつ身勝手な憶測だらけのものばかりであった。

 そんなクラスの反応に、小野寺さん、有栖川さん、村上さんといった面々は、憤りの表情を浮かべていた。彼女たち以外にも、憤りの表情をしている人間はおり、それに俺はわずかながら安堵した。

 ……そして時谷さんは、無言で俯いていた。彼女の表情は他と違って悲しそうなもので、今の時谷さんと黒川くんとの関係を考えると、その表情になるのは無理もないような気がした。

 

 ――とりあえず、やめさせなければ。

 先ほどの不安が違う形で的中することになってしまった。実際に耳にして強く実感したが、尾ひれの付いた噂話というものは、こうもおっかなく、腹が立つものだというのか。

 『訳分からんこと言うな』と、このざわつきを収める言葉を口にしようとしたところで――――。

 

 

 

 

「……黙れ! てめえら全員ぶっ殺すぞ!」

 

 

 

 

 黒川くんの怒りの咆哮が、教室内に轟いた。

 同時に、ざわめきは消失する。まるで、一瞬で潮が引いたかのように。

 教室内の全ての人間は、黒川くんを除いて心臓が飛び跳ねる。俺の視界に入った者の中では、時谷さんが最も大きな反応に見えた。

 

「な、何があったんだ……?」

 

 数瞬遅れて入ってきた担任は、冷や汗を垂らしながら困惑した表情をしていた。

 

 

 

 

 

 

 黒川くんは結局、全ての授業を受けていた。真面目な性格の彼だからこそなせることなのだろうが、怪我の状態を見るに、失礼ながら正気の沙汰とは思えなかった。

 当然授業の度に彼の怪我に驚いた、担任を含む教師から何があったのかと尋ねられていたが、彼は一切口を開こうとしなかった。

 

「…………」

 

 ホームルームの終了と同時に、無言で席を立ち、リュックを背負って黒川くんは教室を去っていく。彼の背中に、そこにいた全ての人間が視線を送っていた。

 

「待ってくれ!」

 

 俺は廊下へ飛び出し、黒川くんを呼びとめる。

 無視されるだろうかと思ったが、予想に反して彼は歩みを止め、顔をこちらに向けた。

 

「…………」

 

「少しだけでもいい。何があったのか教えてくれ」

 

 本当は聞きたいことが山ほどあった。だが、そんな贅沢は言っていられない。僅かばかりでも事情が分かれば、俺は彼の力になれる。

 あの時3バカたちに言った『力になる』という言葉を、嘘にはしたくない。

 

「……ここの1年に、昨日襲撃された……」

 

「……へっ?」

 

「……10人近い人数で、袋にされたんだよ。俺が言えるのは、それだけだ……」

 

「そ、それはどういう……」

 

 俺の質問に黒川くんは答えず、代わりに意味深なことを口にする。

 

「結局俺は、どこに行ってもおもちゃにされるだけだったってことか……まあ、ふざけた真似をしたツケが回ってきたんだろうね……」

 

「……?」

 

 言葉の意味が分からず、何と返答すればいいのか決めあぐねていると、黒川くんは顔だけではなく身体も俺の方へと向けた。その表情は怒りや憎悪というよりも、あの時町で見かけた、半ば達観したような物悲しいものへと変わっていた。

 

「二階堂くんは、俺なんかがいなくても大丈夫だよ……。高桑くんたちともよりを戻せたし、それ以外にもたくさん話が合う人ができたんだ。俺ひとりがいなくなったって、大して変わらないよ……。もう、俺のことは無視してくれ……そこらへんの石ころみたいにね……」

 

「…………」

 

「ばいばい、二階堂くん……」

 

「…………」

 

 踵を返し、彼は去って行く。

 その姿に俺は、一言も声をかけることができなかった。

 

 

 

 

 

 

 俺を『友達』と呼んでくれた彼は、遠い遠い、遥か彼方へと行ってしまった。

 後には、呆然と立ち尽くすだけの薄情者の姿しか残っていなかった。

 

 

 

 

 




今後の予定を活動報告に載せたので、ご覧になっていただければ幸いです。



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