幸せという名の自殺未遂   作:ROCKSTAR

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汚い涙

 

 

 

 

「…………だって俺、死ぬことしか考えてないから」

 

「……へっ?」

 

 黒川くんは目を点にし、素っ頓狂な声を上げる。

 そりゃあそうだ。いきなり『死ぬことしか考えてない』なんて言われたら、誰であっても彼と同じ反応を示しただろう。

 

「……冗談……を言ってる訳じゃなさそうだね。もしかして、学校で嫌なことがあった? 俺で良ければ相談に乗るよ?」

 

 それでも俺の言葉に笑うことなく、それどころか先ほどよりも真面目な表情になる彼を俺は直視できなかった。

 

「違う……別に、嫌なことがあった訳じゃないんだ……」

 

 不快なことしかなかった実家とは対照的に、俺が学校で不快に感じた出来事は極めて少なく、高校に入学してからは全くと言っていいほどなかった。仮に不快なことが起こったとしても、気にも留めなかっただろう。そんなもの、俺の最終目標を妨害するには束になっても敵わない。

 

「話しにくいことなら、無理に話せとは言わないよ。だけど、少しだけ踏みとどまってみない? 二階堂くんは文武両道なんだし、それをおじゃんにするのはすごく惜しいことだと俺は思うよ」

 

「……っ」

 

 ――なんでだよ。なんで、君はそんなに優しいんだ。

 

 『死ぬのは良くない』、『生きてりゃそのうちいいことある』といった、ありきたりな言葉ではなく、自分自身の言葉で俺を説得する彼の姿が俺にはまぶしすぎた。

 『太陽のような人間』という言葉が、以前読んだ本に書かれていたことを思い出す。黒川将平という人間は、まさにその言葉通りの人間だった。普通の人間なら、彼の人間性を褒めちぎるだろう。称えるだろう。

 

 だが俺は普通の人間なんかじゃない。どうしようもないろくでなしなのだ。ろくでなしは嫌悪されてしかるべきだ。罵倒され、憎まれてしかるべきだ。

 だから(ろくでなし)は、彼に嫌悪され、罵倒され、憎悪されるための言葉を汚らしく吐き出す。どんな汚物も尻尾を巻いて逃げ出す、例えようのない汚さで。

 

「てめえに、何が分かるっていうんだ……」

 

「……えっ?」

 

「てめえみたいな無菌培養された様な奴に、俺の何が分かるっていうんだ!!」

 

「……!」

 

「どうせてめえは、不幸なんて何も感じることなく、幸福ってもんだけを享受して生きてきたんだろう!? 『死にたい』なんて思ったことなんか、今の今まで一度としてないんだろう!? 違うか!?」

 

「……」

 

「そんな奴に限って、偉そうに世迷言をほざくんだ!! ふざけるな……ふざけるな!! そんなもん、戯言だ! 偽善だ! 自己満足だ! ……反吐が出るんだよ!!」

 

 ――ああ、これじゃあ俺も『奴ら』と変わらねえじゃねえか。一番憎んでいた奴と同レベルの真似をして、どうするんだよ。この、ろくでなし未満のゴミ屑が。

 

 でもいい。これで黒川くんが俺を憎悪すれば、心おきなく俺は『死』への道を全速力で駆け抜けることができる。

 さあ、今度は黒川くんの番だ。徹底的に俺を罵倒してくれ。殴り倒してくれ。何なら半殺しにしてもいい。これから君がやることは、どんな行為であっても糾弾される謂れはない。このゴミ屑に、正義の鉄槌を落としてやれ。

 

 

 

 

「……分かるよ!!」

 

 だが、彼は俺を罵倒することも殴り倒すこともなく、俺が全く予想していなかった言葉を浴びせた。

 

「……確かに俺は、何で二階堂くんが死にたいと思っているのか分からないし、二階堂くんから見たら無菌培養されてる人間なのかもしれない。だけど……だけど、『死にたい』っていう気持ちはものすごく分かるよ!!」

 

「……ど、どういうことだよ、それ?」

 

「俺も、『死にたい』って思ったことがあるから」

 

「……は?」

 

 わけが分からない。全くもって、わけが分からない。彼のような人間が『死にたい』と思ったって? 笑わせてくれる。どうせ、冗談なんだろう? ふざけるのもほどほどにしてくれ。

 

「……冗談きついよ。それに、それが本当だとしても俺に言う必要性は全くないんじゃないの? こんなに黒川くんを罵倒した俺なんかに」

 

「どんなに罵倒されても、俺は二階堂くんのことを友達だと思ってる。友達が困ってるなら、何があっても俺は助けるよ」

 

「……!!」

 

 友達――俺のことをそう呼んだ人間を見たのは、あの時以来だった。俺が死を決意するきっかけとなった、忌々しいあの時から。

 

 

 

 

『……また、来てもいいかな?』

 

『当たり前だろ。だって俺たち、友達じゃねえか』

 

『今度は外で野球しようぜ。100回ウラまでやるからな~』

 

『多すぎなんだよ、バカ!』

 

『はははっ』

 

『…………っ』

 

『お、おい。何で泣くんだよ』

 

 

 

 

「やめてくれ……」

 

 俺には友達なんかいないし、いらない。昔も今も、そしてこれからも。あんな忌々しい出来事は二度と起こってはならない。起こしてはならない。

 だが俺の拒絶の声は、先ほどの怒鳴り散らしが嘘に思えるほど弱々しく、消え入りそうだった。

 

「それに……みんな二階堂くんのことを待ってるよ。高桑くんも、鴨田くんも、芹澤くんもね」

 

「……な、何で……」

 

 彼の言葉に俺は驚くばかりだったが、特にその言葉は驚くどころではなかった。晴天(せいてん)霹靂(へきれき)とでも言うべきものであった。

 

「……何でそいつらのことを黒川くんが知ってるんだよ……何でなんだよ……」

 

「みんな俺の友達なんだよ。みんな、二階堂くんに謝りたいって言ってた。どうしてなのか俺は知らないし、聞かなかったけどね」

 

「……」

 

 頭がおかしくなりそうだ。真っ直ぐ進んでいた道を少しでも逸れたら、ゴミみたいに罵倒される。それならと道を糞真面目にひたすら真っ直ぐ進んでも、『止まれ』と言われて邪魔される。どいつもこいつも、俺のやっていることを否定する。

 ちくしょう、何だってんだ、くそったれ。

 

「……悪い……少しだけでいいから、考える時間をくれ……今は、何がなんだか、俺には分からない……」

 

「……分かった。みんな、待ってるからね。 ……それと……」

 

「……」

 

「二階堂くんが死んじゃったら、悲しむ人間はいるんだよ。現に俺は、すごく悲しいからね。だから、踏みとどまって。俺も力になるから。全力を尽くすから」

 

「……っ!」

 

 俺は駆けた、一目散に。彼の言葉には何も答えず、全速力で駆けて行った。彼の力強い眼差しと言葉から、俺は逃げ出した。

 臆病者のろくでなしには実にふさわしい、無様で馬鹿げた絵面だった。

 

 

 

 

 適当に走ったはずなのに、気がつけばそこは俺の家のすぐ近くだった。家に着くなり俺は、靴を脱ぎ捨て、鞄を廊下に放り投げると、そのまま2階へ上がり、自室のベッドへと倒れ込んだ。風呂には入らなかった。飯も食わなかった。病気でもないのに、そんなことをしたのはこれが初めてだった。そもそも、風邪をひいたのも片手で数えるほどしか経験のない俺にとっては、かなり久方ぶりの行為だった。

 

 

                                  

 

 

 

 高桑源五郎(たかくわげんごろう)鴨田克之(かもたかつゆき)芹澤一二三(せりざわひふみ)

 

 中学時代、俺を『友達』と呼んでくれた人間だ。そして、『奴ら』のクズっぷりを俺以外に間近で見た人間でもある。実は3人とも、俺と同じ聖櫻学園へと入学していたのであった。

 入学式に彼らの姿を見た時、表情には出さなかったが、内心ではパニックに近い状態になり、帰宅後トイレで何回も嘔吐した。あの時の地獄の光景と、彼らに見せてしまった醜態の自責の念から。

 そんな彼らが『俺に謝りたい』と言っていたという黒川くんの言葉は全くもって理解不能だった。

 

 悪いのは、全部あのクソ共なのに。

 いや、それを分かっていながら彼らと遊んでしまったこの俺が、全ての原因だというのに――――。

 

 

 

 

 

 

 ふらつく体に鞭を打って、教室へと入る。

 丸2日以上食事も睡眠もろくにとっていないせいで、身体は自分のものとは思えないほどに動かず、普段は30分前なのが、今日到着したのはホームルームが始まる3分前だった。あの日が金曜日だったせいもあり、翌日、翌々日ともに食事もろくに取らずに家にこもり切っていたため、体調が最悪になるのには十分だった。普通の人間なら間違いなく休んでいる状態だと思う。しかし、今まで異常なほどの糞真面目な生活習慣が癖になってしまったのか、気付いたら俺は登校する準備をして、途中で倒れることなく無事に学校へと到着してしまったのだった。

 

「……はぁ」

 

 だが席に着いたところでそれも限界となる。机に突っ伏して大きなため息をつく。そんな俺の姿が目に付いたのか、村上さんが心配そうに声をかけてくる。

 

「に、二階堂君、大丈夫ですか……?」

 

「大丈夫大丈夫……」

 

 顔は机に突っ伏したまま、投げやりに答える。もちろん、大丈夫でも何でもない。180度逆の状態だ。

 

「で、でもすごい隈でしたよ……? 保健室に行った方が……」

 

「大丈夫大丈夫……」

 

 壊れた機械のように、先ほどと同じ言葉を繰り返す。

 そういえば教室に入った際、教室がざわついていたような気がする。なるほど、俺の無様な顔を見たからか。それならざわつくのも無理はない。自分でこんなことを言うのもなんだが、クラスの中で俺は『真面目で規則正しい生活を送っている模範生』と思われているからだ。

 

「だけど、誰が見ても大丈夫じゃないわよ? 村上さんの言う通り、保健室に行った方がいいんじゃないかしら?」

 

 俺と村上さんのやりとりを見かねたのか、同じクラスの女子生徒、笹原野々花(ささはらののか)が割り込んできた。彼女の加勢に、いらだちが増す――――気力も湧かなかった。代わりに、絞りかすほどもないような気力を使って彼女たちの方へ顔を向けて言う。

 

「俺は大丈夫だから、放っておいてくれ……本当にやばくなったら、その時は保健室にちゃんと行くから……」

 

「それなら私は何も言わないけど……でも、無理はしちゃだめよ?」

 

「……」

 

 俺の全く説得力のない言葉に困ったような顔をして、笹原さんは自分の席へと戻っていく。村上さんもちらちらと俺に視線をやりながら席へと戻った。

 ふたりが戻ったのを見計らい、視線だけを黒川くんの席へと移す。クラスの人間の大半が俺に視線を向けている中、彼は俺には視線をよこさず、読書に集中しているようだった。

 

 まあ、当然だろう。罵倒されても必死になって説得したのに、その場から逃げだすなんてふざけた行為をとったのだ。彼にとって俺は、心底どうでもいい存在になったに違いない。でも、それでいい。

 

 ごめん、そしてありがとう、黒川くん。こんなろくでなしの馬鹿を『友達』と呼んでくれて。君の未来に、幸多からんことを――――。

 

 

                                 

 

 

 

 6時限目終了のチャイムが鳴り響き、俺は大きく息を吐く。

 なんとか今日の全ての授業を終えることができた。今日の授業に体育がなかったのは幸運と言えるだろう。キックボクシングのおかげか、それなりに体力はある方だと自慢できるが、それでも今の状態は疲労困憊というレベルではないほどの消耗ぶりだった。

 ここまで消耗していれば大した回復は出来ずとも、睡眠は嫌でも取ることができそうだと思いながら、鞄を手にとって教室を出ようとすると、背後から声をかけられた。

 

「二階堂くん、ちょっといいかな? 来て欲しいところがあるんだけど」

 

 振り向くと、その声の主は黒川くんだった。俺は一瞬驚くも、本当に一瞬だけだった。

 

 ――なるほど。そういうことか。

 彼にとって俺は心底どうでもいい存在になったんじゃない。引導を渡してやるつもりだったのだ。

 察するに、どこかに連れ込んで滅多打ちにする算段だろう。疲労困憊の状態になったところに狙いを定めるとは、さすがだと感心せずにはいられなかった。皮肉ではなく、心からの称賛だ。

 

「……分かった。付いて行くよ」

 

 もとより、あの時に俺はぶちのめされるはずだったのだ。少し期間がずれたと考えればいい。さあ、今度こそ正義の鉄槌を落とすんだ。

 

 

 

                                 

 

 

 黒川くんの後を付いてやってきたのは、他クラスの教室だった。校庭の外れの草むらなどの方がよほど目につきにくいのではないかと思ったが、別にどうでもいいことだ。近場でさっさと済ませて、この件に手早く終止符を打つつもりだろう。チャイムが鳴ってからさほど時間は経っていなかったが、周囲に人影は見られず、実に好都合な環境にもなっていた。

 

「別に――――」

 

 ――――別に黒川くんが俺を半殺しにしても、君にやられたなんて言わないから。

 扉の前に立つ黒川くんに、そう言おうとしたのだが、彼の声にそれは阻まれた。

 

「恨むのは俺だけにしてね。こんなやり方はずるいのかもしれないけど、どうしても二階堂くんには会って欲しかったんだ」

 

 そう言い終わるや否や、扉を全開にする。その先には――――。

 

「すまん!!」

 

「本当に、悪かった!!」

 

「許してくれなんて都合のいいことを言うつもりはない。けど、謝罪はさせてくれ」

 

「な、んで、お前らが……」

 

 ――――俺が裏切ってしまった、『友達』の姿があった。

 

 

 

 

 

 

「……俺は、お前らを裏切っちまったんだ。なのに、何でお前らが謝るんだよ……?」

 

 今すぐこの場から逃げ出したかった。しかしドアの前にはすでに黒川くんが立っており、逃げ出せるような雰囲気ではなかった。もう一方のドアから逃げることも考えたが、仮にそうしても追いかけられるのがオチだった。

 代わりに俺はその場に座り込み、項垂れて力なく言葉を絞り出した。

 

「このバカ2人は語彙力がないし、わけ分からんことのたまいそうだから俺が言う。――俺たちは、お前に裏切られたなんて思っちゃいない」

 

「おい! 『バカ』は余計だ!」

「ある意味一番バカなのはお前だろ、一二三!」

 

 『バカ』と呼ばれ、抗議の声を上げる2人、高桑源五郎と鴨田克之を尻目に、芹澤一二三――――そういえば謝る時も一番落ち着いた言葉遣いだった――――は言った。

 

「むしろ、謝らなきゃならないのは俺たちの方だ。あの日俺たちはお前のことを『友達』って言ったくせに、苦しんでいるお前から目を背けた。ぶん殴られたって、文句は言えねえよ」

 

「でも、あの時はどうにかできるような年齢じゃなかっただろうが……迂闊な真似したら、お前らまでやばいことになってたかもしれないんだぞ……?」

 

「だからと言って、それが免罪符になるか。ガキならガキなりにできたことはいくらでもあったはずなんだ。だけど俺たちは何もしなかった。俺たちは見捨てちまったんだよ、お前のことを」

 

 何となしに顔を上げた先に映っていたのは、淡々とした口調ながら深刻な表情で語る芹澤と、視線を下にやりながらも、気まずそうな表情で佇む高桑と鴨田の姿だった。そして黒川くんも目を閉じ、芹澤の言葉に耳を傾けているようであった。

 つまり、ここには誰ひとりとして、俺を糾弾したり、罵倒したりする者はいなかった。俺が望んでいることを、誰もしてはくれなかった。

 

「……もういい。もう、やめてくれ……頭がおかしくなっちまう……」

 

 頭をかきむしりながら突っ伏す。

 ――――頼むから、俺を許さないでくれ。そんなことはあってはならないんだ。そうなってしまえば、俺は――――。

 

「もう、いいじゃない。ひとりで抱え込まなくても。そのために俺たちがいるんだから。踏みとどまって、一緒に考えてみようよ」

 

「……ちくしょう、やっぱ将ちゃんの言葉はあったかいねえ。俺じゃあ冷たい言葉にしかならねえな。話下手だな、俺」

 

「バーカバーカ、ヘタクソー」

「アホンダラー、冷血人間―」

 

「……お前らにだけは言われたくねえよ、断じて」

 

「…………」

 

 しかし彼らは俺の様子など意に介さず、波状攻撃を続けた。多分、泣こうが喚こうがそれは収まらないだろう。いやむしろ、余計に大声でまくし立てるかもしれない。

 だが、収まる方法はある。たった、ひとつだけ。もしかすると俺は、そう言ってくれる人間をずっと待ちわびていたのかもしれない。黒川くんと、この3馬鹿が多分そうなんだ。

 

 それなら、もう少し生きる気力をつけてみようか。

 『奴ら』のことは、とりあえず後回しにして――――。

 

「…………ふふっ。そんなら、もう、いいか…………俺の負けだ。……死ぬのは、やめだ。やめやめ……くだらねえ……」

 

 仰向けに寝転がり、右腕で目を覆いながら、俺は彼らへの降伏を宣言した。

 

「この……アホンダラ共が……俺なんかほっとけば、もっと充実した生活送れたってのによ……」

 

 目と鼻から汚い液体をダラダラと流しながら、効き目なんてまるでない悪態をつく。

 

「うおっしゃー!」

「バンザーイ!」

「……よしっ」

「……うん!」

 

 4人は、それぞれ満足げな言葉を発した。

 終始テンションの高い高桑と鴨田は大声を、冷静な性格の芹澤と黒川くんはやや小さめな声を。

 

「……ひっひっひ……ひっひっひ……」

 

 そして気持ちの悪い笑い声を上げながら、憶病者は無様に泣いた。汚い涙と鼻水を、さっきよりも多く垂れ流して。

 

 

 

 

 結局、俺の人生における目標は消えてなくなってしまった。さあ、これからどうしようか? まあ、後で適当に考えよう。

 今はとりあえず気色悪く無様に、汚い涙を流して笑っていよう。それが一番、手のひら返しをした馬鹿な憶病者にはふさわしいのだから。

 

 

 

 

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