ずっと断り続けてきたことで、部活に入る意思がないことを感じ取ったのか、最近は運動部への勧誘はほとんどなくなっていた。1年の頃からずっとやってきたことが、ようやく実を結んだ形になったと言える。
しかし、それでもなお俺を勧誘してくる奴がひとりだけいた。登校時に校門まで着くと、待っていたかのようにそいつが声をかけてくる。
「先輩、おはようございます!」
「はいはい、おはようさん……今日は朝練休みなのか?」
「はい、そうですよ。そんなことより、入部は考えてくれましたか?」
「あのさあ……最初から言ってるじゃねえか。俺は、陸上部はもちろん他の運動部にも入るつもりはないって……」
1年生の彼女が2年生の俺を勧誘するというのもおかしな話だが、これは陸上部所属の2年及び3年の作戦らしく、『可愛い後輩の誘惑で二階堂を陥落させろ』という内容だと、春宮の口から聞いた。春宮本人も、体育の時間の俺を見て感激したらしく、ぜひとも陸上部に入ってほしいと思っているらしい。
客観的に見ても春宮は『可愛い』と形容できると思うが、短い髪型だからなのか雰囲気はボーイッシュで、とても誘惑をできるようなタイプには見えなかった。当の本人もどうやったらいいのか分からなかったようで、最初は身体をくねらせたり、変に甘ったるい声を出したりしていたが、すぐに普通の勧誘の仕方に改めた。
…………だが、突っ込みたいのは春宮がそういう行為をしたことじゃない。
失礼ながら、陸上部にはバカしかいないのだろうか。色仕掛けを使って入部させようとするなど、全世界探してもここしかないだろう。そんなことをしている暇があるのなら練習するべきだ。それに後輩を使ってそんな真似をすること自体、喜ばしいこととは言えない。
「でも、先輩が入ってくれたら大会でもきっといい結果が残せると思いますよ? もしかしたら、全国優勝なんてことも……」
「いくらなんでも夢見すぎだろ、それは……。そもそも、陸上なんて体育の授業でしかやったことのない俺が入るより、専門にやってる部員の方がずっといい成績残せるだろうし、仮に俺がそんな資質あったとしても入るつもりはないっての。いい加減諦めろよ……」
「う~ん、手ごわいなぁ。でも、私は諦めませんからね! 先輩の方から入りたくなったら、いつでも来てください! 部の先輩たちも待ってますから!」
そう言い残し、1年生の教室がある棟へと駆けていった。
「……まったく、どうしたもんかな……」
誰になんと言われようが、俺は陸上部に入るつもりはない。だからと言って、邪険にするのもためらわれる。何とかして対象を俺から逸らす方法はないだろうか。
今日は一日中対処法を考えていたが、結局良い案は思い浮かばなかった。
翌日の昼休み。
弁当も食い終わり、本を読んで残りの時間を俺は過ごしていた。
ふと廊下側に目をやると、春宮が黒川くんと話をしているようだった。しばらくその光景に目をやっていると、黒川くんが俺を指差しながら視線もこちらに向け、春宮もそれを追う。
俺に気付いた春宮は黒川くんに頭を下げると、ためらうことなく教室へと入り、俺の方へと向かってきた。
「先輩、そろそろ決めてくれって部の先輩たちから言われてるんですが……」
「だーかーらー、決めるも何もアタシは入らないって言ってるでしょ? なんなら、直接陸上部に行って断ってくるけど?」
この状態がいつまでも続くようでは、俺はもちろん、陸上部、中でも春宮は一番骨折り損になってしまう。面倒なのでこの手段は取っていなかったが、こうでもしないと埒が明かない。
「そ、そうですか……そこまで言うなら、もう諦めたほうがいいかもしれないですね……」
「陸上部の部長は、そこまで分からず屋じゃないんだろう?」
「は、はい……恐らくは、分かってくれると思うんですけど」
「それならいいや。お前が責任負うようなことにはならないように取り計らってやるから、そこは安心しな」
部長が立案者なのかどうかは知らないが、春宮を使った色仕掛けの作戦を通してしまっていることを考えると、色々残念な人間であることは間違いなさそうだ。これで話も分からない人間ならどうしたものかと焦りがあったが、何とか大丈夫だろう。
「というか、お前も俺の勧誘してる暇があるんだったら、彼氏でも作ったらどうなんだ?」
「うぇっ!? か、彼氏ですか!?」
半ば冗談で言ったのだが、俺の言葉に春宮は過剰なまでに跳び上がる。顔もみるみるうちに、茹でたタコのように赤くなっていった。
「わ、私にはそんなの無理ですよ! まだ入学して1か月ちょっとしか経ってないし、それに私、男っぽいし……」
「俺は別にそうは思わないけどな。そもそもそう思ってるのなんて、案外お前だけかもしれないぞ?」
「…………」
随分としおらしくなっちゃって、まあ。
こういうリアクションを取れるなら、男っぽいとは到底言えない。むしろ『乙女チック』とでも言えよう。
有栖川さんにこの光景を見せたらやたら喜びそうだと思ったが、当の本人は学食にでも行っているのか、姿が見えなかった。
「……とりあえず、彼氏云々は置いておくにしても、趣味の合う友達でも作ったらいいんじゃないか? そして部活にもしっかり取り組む。俺なんかに構って時間を無駄にするより、ずっと有意義だと思うんだが」
今はしおれた花のようになってしまっているが、本来春宮は明るい性格だ。おまけに変に押しつけがましい訳でもないので、友達は容易に作れるはずだ。
「い、一応友達はいますけど……」
「なら話は早いな。そういう人との時間を大事にした方がいい。……そうでないと、俺みたいになっちまうから」
俺の場合は家庭の環境が環境だったという、いわば運が悪かったとでも言えるので、俺と同じ境遇に春宮がなるとは考えにくい。しかし、だからこそ俺は他人に口うるさく、人間関係を大切にするように言い続けなければならない。
余計なおせっかいであることは百も承知だが、俺のような目に会う人間は今後誰ひとりとして現れてはならない。
「……えっ? 今、何て?」
「いや、何でも~? そういえば教室に入る前、黒川くんと話してたけど、何を話してたんだ?」
あまり聞こえなかったようだが、それならそれでいい。過干渉せずとも、彼女ならきっと大丈夫だ。
話題を逸らすために、先ほどの光景の話題を俺は振った。
「いえ、特に何か話してたわけじゃなくて、先輩の教室に着いた時にたまたま教室から出てきたから、先輩がいるかどうか聞いただけです。 ……あれ? ということは黒川さんのお兄さんってことかな?」
「ん? どういうこっちゃ、それ?」
「ああ、ごめんなさい。同じ1年の女子に黒川さんって人がいて、兄妹揃って同じ学校なのかなって思って。顔も似てましたから」
「あれ? 黒川くんに妹っていたのか?」
今までの黒川くんの話を聞く限り、彼の家族構成は彼を除くと両親だけだった気がする。妹に限らず、兄弟がいるという話は全く聞いたことがなかったので、春宮の情報には驚いた。
「多分そうだと思いますよ。名字が同じだけってことなら兄妹じゃない可能性もありますけど、結構顔似てましたし」
「ということは、仲悪いってことなのか……」
黒川くんが妹のことを話題に出さなかった理由として、俺はふたつの可能性を思い浮かべた。
ひとつ目が、そもそも兄妹でも何でもなく、彼がその『黒川さん』なる人物を知らないこと。しかし、春宮が言うには彼女と黒川くんは顔が似ているらしく、それなら兄妹である可能性に説得力が生まれる。そうなるともうひとつの可能性が現実味を帯びる。
そのもうひとつ目が、仲が悪く、話に出すことすら憚られるほどの対立ぶりなのではないかということだ。いわゆる、『犬猿の仲』というやつである。その場合だと彼が一切話題に出さなかったことにも説明がつく。
「そうだとしたら、ちょっと悲しいですね……」
「……そうだな」
以前俺は、『黒川くんは悩みがなく、よしんばあったとしてもすぐ解決できるだろう』と思ったが、さすがに軽率な考えであったと反省した。悩みのない人間なんて、やはりこの世にはいやしないのだ。それに、そう簡単に解決できるわけでもない。
だが俺は、彼の悩みがいつか解決してほしいと、妹との関係が良好なものになってほしいと強く願う。
「だからあんなに目つき悪かったのかな……?」
そんな考えを巡らせていたら、春宮が意味深なことを呟いた。
「はぁ? 黒川くんが目つき悪いって、お前本気で言ってるのか?」
先日芹澤たちが話していた『黒川くんのブチ切れ事件』に関して、俺はまだ半信半疑だというのに、今度は『目つきが悪い』などと言い出されては、まるで彼が馬鹿にされているような気がして、若干の憤りを覚える。
「ほ、本当なんですって。すぐに普通の顔になったんですけど、私が話しかけた直後はすごく怖い顔してて、思わずヤンキーかと思いましたよ」
「ぶっ……」
『ヤンキー』というあまりに馬鹿馬鹿しい言葉に、思わず俺は噴き出してしまった。それによって、先ほどまでの憤りはあっさり消えてなくなった。だが、春宮の誤解が変に広まってしまうのは嫌なので、それを解くことにする。
「あのなあ、言っとくが黒川くんはヤンキーなんかとは全く逆だぞ? むしろ仏みたいな人間なんだからな?」
「ほ、仏ですか……」
「お前と会ったばかりの俺、もっと暗い奴だっただろ? そんな俺をここまでペラペラ喋って、人付き合いもできる人間にしてくれたのが、黒川くんなんだ。一生かかっても返せるか分からないくらい大きな借りも作っちまったからな」
「まあ、人は見かけによらないって言いますからね」
「見かけも何も、黒川くんは普段から目つきが悪いわけじゃねえっての。それどころか、いつも笑顔を絶やさないんだ。裏があるような感じもまったくしないし、性格も本当にいい。真面目だけど馬鹿な冗談も通じるから言うことなしだ。……言っとくが、お世辞じゃなければ、盲信してるわけでもないからな? 本心で言ってるんだからな?」
「ふふっ、仲いいんですね。私も、そういう人になれたらいいんですけどね」
そう言って笑みを浮かべる春宮からは、わずかながら黒川くんと似たような雰囲気を感じた。俺が以前彼に対して抱いた(もっとも、今でも抱いているのだが)『太陽のような明るさ』とでも言うべきか。
それと同時に、俺はひとつの案を思いつく。
「そんじゃあ春宮、お前黒川くんと話してみたらどうだ? 俺なんかよりずっと面白いと思うぞ?」
「えっ? どうしてそういう流れになるんですか?」
「だってお前、『そういう人になれたらいい』って今言ったじゃないの。そんなら、当の本人と話をするのが一番手っ取り早いだろうが」
いくら陸上部の部長が物分かりがいいと言っても、俺は部長と話したことがないので本当のことはまだ分からない。往生際の悪い真似をしてくる可能性もある。大丈夫と思っても、過信は禁物だ。そのため半分は、勧誘の意識を俺から逸らし有耶無耶にするために、春宮を黒川くんに押し付ける目的もある。
だが、春宮本人にとってもずっと有意義な時間が過ごせると考え、黒川くんとの交流を提案したのだ。
「先輩がそこまで言うなら断る理由はないですけど、大丈夫かな……?」
「何が心配なのよ?」
「いや、話が合うかなって……」
「ちなみにお前、趣味は?」
俺と黒川くんには、共通の趣味はない。
彼の趣味のひとつに漫画やアニメがあるが、俺は趣味と言えるほどの知識はないので、それに関して彼と話をしたことはほとんどなかった。漫画は最近になってから読む量はそれなりに増えたが、それでも小野寺さんなどと話している時の彼の話題は、まだ理解できていなかった。
そんな状況にあっても交友関係を築くことは出来るので、絶対なければならないというわけでもないのだが、あって損するわけでもないし、むしろ話のネタを広げることにもつながるので、とりあえず春宮の趣味を俺は尋ねた。
これで黒川くんと同じなら、万々歳なのだが。
「……少女漫画を、少しばかり……」
「少女漫画か……」
そうなると、共通と言えるかどうかは微妙なところだ。
聞いたわけではないので完全に勘でしかないが、黒川くんは多分少女漫画の類は読まない気がする。ただ、それでも『漫画』という共通点があるにはあるので、十分だろう。
「……まあいいや。黒川くんも漫画好きだから、もしかすると日が暮れるまで話し込んじまうかもな」
「あっ、本当ですか?」
「少女漫画はそこまで詳しくないかもしれないけど、一応お前、少女漫画以外にも読むんだろ?」
「まあ、それなりには」
「よし、それなら文句なしだ……っと、もうこんな時間か」
チャイムの音にふと時計を見ると、あと5分で授業が始まる時間だった。
チャイムが鳴らなかったら気付いていなかったかもしれない。俺はともかく、ここは2年の教室なので、1年の教室はここから離れている。春宮は間に合うだろうか。
「それじゃあ、明日の昼休みにでも時間を作っといてくれ。黒川くんの方は放課後に話を付けておく。あと、陸上部の勧誘のお断りもな」
「分かりました。じゃあ、これで失礼しますね」
「授業には間に合うか?」
「多分大丈夫です。全力疾走すればなんとか」
そう言って春宮は廊下に飛び出し、あっという間に駆け去っていった。さすがは陸上部と言うべきか。
「教師に怒られても知らねえからな……」
そんな俺の呟きは、当然春宮に聞こえることはなかった。
「…………」
「…………」
「さっ、自己紹介」
翌日の昼休み。
学食へ黒川くんと春宮を連れ込んだ俺は、ふたりが向かい合うように席に座らせた。
しかし、いつまでもふたりは話そうとしないので、急かす目的で自己紹介を促した。
「く、黒川将平です。どうも……」
「は、春宮つぐみっていいます。よろしくお願いします……」
(よし、自己紹介ができれば俺がもうしゃしゃり出る必要はないな。退散退散)
「ちょ、ちょっと待ってよ二階堂くん! 俺、どうすればいいの?」
「ま、待ってくださいよ先輩! どこ行こうとしてるんですか?」
これから先はふたりに任せようと考え、踵を返そうとした俺を、見事にシンクロしたふたつの声が呼びとめる。
「いや、俺がいたって邪魔なだけでしょうに。何でもいいから、何か話せばいいじゃない」
「いやいや、むしろいなきゃ駄目だって! 何か話せって言ったって、二階堂くんがいないと何も話せないよ!」
「そうですよ! 先輩がいてくれないと、何話したらいいか分かりませんよ!」
「そんだけシンクロしてれば問題ないでしょ。んじゃ、さいなら~」
困惑するふたりの抗議を尻目に、手をひらひらと振りながら俺は逃げるようにその場から走り去った。正直その速度は、昨日の春宮の全力疾走より速い自信があった。
「だ~っ! 待ってくれ~っ!」
「待って下さいよ~っ!」
わずかながらふたりの嘆きが聞こえたような気がするが、俺は完全無視して駆け抜けていった。
よし、押しつけ作戦は成功だ。これで俺はもちろん、黒川くんと春宮にとっても最高の結果となるだろう。多分。