幸せという名の自殺未遂   作:ROCKSTAR

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Fear of the Princess

 

 

 

 

 ここ聖櫻学園には、何気に凄い特技を持つ生徒が数多く在籍している。写真のコンテストで入賞経験のある望月さんはそのひとりだ。

 

 しかしながら、『特技』と呼んでしまっては、些かスケールが小さく感じてしまうような生徒もいる。俺と同じクラスに在籍している、時谷小瑠璃(ときたにこるり)はまさにその代表格と言って差し支えのない例だった。

 

 彼女は俺と同じ高校生の身でありながら、ファッションデザイナーとしての顔も持ち、ただデザインするだけでなく、自分の手で服飾の制作に当たることもあるようだ。当然ながら所属は手芸部で、その手腕を遺憾なく発揮している。部の上級生も彼女の技術の高さには敵わないと聞く。

 

 ところで、聖櫻学園は他校では見られないイベントを多く開催することで有名で、そのイベントを楽しむために入学する生徒も少なくない。入学の動機としてそれはどうなのかと言いたいが。

 話が逸れたが、そのイベントに必要となる衣装はほぼ全て手芸部が作成したものであり、完成度も高いと評価されている。その評価には手芸部自体のレベルの高さもあるが、時谷さんの入学以降は彼女のデザイナーとしての資質が大きく影響しており、『彼女なくして聖櫻のイベントは語れない』とまではいかないが、極めて重要な存在であることに疑いの余地はないだろう。

 

 これだけでも有名人としての要素は十分すぎるくらいにあるのだが、彼女を有名たらしめるもうひとつの理由がある。それは、彼女の性格だ。

 彼女は非常に強引な性格で、自分の都合を相手に押し付けるきらいがある。自分のデザインした服が合いそうな人を見つけた場合、有無を言わさず手芸部室に連行する。俺は何度かその現場を目にしたことがあり、去年は3年生すらその対象にしていたことがあった。

 さらに彼女は、古風……とでも言うのだろうか、とにかく話し方が今時の女子学生のそれとはかなり異なっており、そのためなのか風格のようなものを漂わせている。誰かが『まるで姫だ』と噂していた気がするが、その例えは言い得て妙だ。

 そんな風格に加えて、イベントの衣装も数多く提供しているという理由から、彼女の校内における発言力はかなり強く、彼女の頼み――性格上、命令に近いのだが――を断れるような人間は上級生を含めても皆無であった。

 

 だが、唯一彼女の頼みを断った――否、『逆らった』人間がいたことを、俺はこの時まだ知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 放課後。

 いつものように俺は、図書室で読書にふけっていた。初めに手に取った1冊目を読み終えたので、次の本を探すために席を立ち、本棚へ移動する。

 その時、ふと時谷さんのことを思い浮かべた俺は、手芸関係の本がある棚に向かい、面白そうなものはないか物色を始めた。

 

 多少は手芸の知識及び技術は持ち合わせているが、手芸部の面々に比べれば天と地の差がある。時谷さんに至ってはそんな比較ではむしろ失礼なレベルだ。だが、それはまだ俺の知らないことやできないことがたくさんあるという証明だ。だからこそ、俺は貪欲になれるのだ。知識を、技術を得ることに。

 別に彼女のようになろうとは考えていないが、そうでなくとも知識や技術を得ることは俺のこれからの人生をより良いものとするためには実に良い手段だ。

 

 ありとあらゆるものを楽しめる人間に俺はなってみせる。自殺願望しかなかったこれまでの人生を、塗りつぶすがごとく。

 

「おっ、これは……」

 

 そんな中、俺は一冊の手芸の教本を手に取った。表紙の写真などから古い本であることは容易に想像できたが、発行された年を確認してみると、何と40年も前だった。

 だが、こういった本は面白いものがかなり多いと、個人的な感想ではあるが思う。今時の本にはない、『味』とでも形容できるものがあるのだ。本好きの人間なら、俺の感想にも理解を示してくれるのではないだろうか。

 

「あっ……」

 

 そんなことを考えながらぱらぱらとその本のページをめくっていると、後ろから声が聞こえた。振り向くと、そこには当の本人、時谷小瑠璃の姿があった。

 名残惜しそうな表情をした彼女の視線を辿ると、それは俺が今手に取っている本に向けられているようだった。

 

「もしかして、この本借りたい? それならいいよ。別に今すぐ読みたいってわけじゃないし、時谷さんが返してからでも問題ないから」

 

 俺は本を閉じ、時谷さんに差し出す。

 

「あ、ああ……ありがとう、二階堂……」

 

 本が自分の手に渡れば、表情も明るくなるのだと思ったが、俺から本を受け取った時谷さんの表情は、相変わらず気まずそうな――いや、と言うよりも、若干怯えのようなものが見受けられた。

 

 ――ちくしょう、やっぱりこの身長はほとんど損しかねえ。

 時谷さんは、他の女子生徒と比較しても特に小柄な体格で、失礼は承知の上だが、見た感じ150cmもないような気がする。そんな彼女からすると、190cmの俺は特に大きく見えるに違いない。『ガリバー旅行記』とまで言うのはさすがにオーバーな表現だろうが、それでも威圧されているような感じにはなると思う。いくら彼女は発言力が強く、物怖じしない性格と言っても、俺との身長差をおっかないと思うのは当然と言えた。

 

 ……特価とは言わん。ただでやるから、俺の身長10cmばかりもらってくれっ! もういやっ! こんな高い身長!

 

「それじゃあできたらでいいから、返す時になったら俺に教えてくれない? 時谷さんほどではないにしても、俺もその本を読みたいと思ってるから。他に読みたい人がいればその人優先でもいいけど、そうじゃなければそうしてくれると助かるかな」

 

 高すぎる身長のコンプレックスはとりあえず隅に置き、俺は彼女に本のキープを頼んだ。こうしておけば、時谷さんが返した際に他の人が借りてしまい、いつまでも読めなくなるという事態を防ぐことができるだろうと考えたからであった。

 

「わ、分かった。明日には読み終えておくよ」

 

「い、いや、別に返却期限いっぱいまででもいいんだけど……急かしてるわけじゃないんだから、ゆっくり読めばいいじゃない」

 

 優先順位は限りなく下で構わないと言っているにもかかわらず、妙に慌てた様子で時谷さんはそんなことを言う。その慌て様は、俺と彼女の身長差だけが原因とは思えなかった。

 

「いや、いいんだ。ここ最近はいろいろ忙しくて、多分今日しか読む暇がないんだ。それじゃあ」

 

 そう言って、彼女は逃げるように貸出しカウンターへと向かってしまった。彼女らしからぬ行動の連続に俺は呆気にとられていたが、間髪入れずにより腑に落ちない光景を目撃することになった。

 

「貸出しでお願いします……」

 

「……はい」

 

 ――ど、どうなってんだ。

 普段貸出しや返却を受け付ける時の黒川くんは、日常会話の時以上に明るい態度で応対するのだが、今時谷さんに応対している彼の態度はかなり冷淡で、表情も厳しいものとなっていた。

 時谷さんの方も、さっき俺に見せた態度が霞んで見えるほどで、『怯える』という表現より、『怖がっている』と言った方がしっくりきた。話し方もいつもの古風な雰囲気漂うものではなく、普通の話し方となっており、かなり余所余所しい態度だった。

 

「……6月3日までに返却をお願いします。どうぞ……」

 

「はい……ありがとうございます……」

 

 そんな今まで見たことのないふたりの姿に、俺はあんぐりと口を開けた間抜け面で突っ立って、呆然と眺めることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 本を借り終えた時谷さんは、脱兎のように駆けて図書室を去っていった。直後大きなため息を、心底疲れたような表情をしながら黒川くんはつく。

 

「黒川くんさ、時谷さんと何かあった? もちろん、話したくないなら無理には聞かないけど」

 

 時谷さんもそうだが、それ以上に黒川くんの見たことがない表情の変化に戸惑いを隠せなかった。お互いのプライバシーに関わることなので詳細を尋ねることは決して好ましいとは言えないのだが、1年以上の学園生活を最も近い距離で共にしてきた彼のあんな表情を見てしまえば、そういうわけにもいかなかった。

 

 俺の自殺願望を消し去ってくれた彼への恩返し――と言うには程遠いかもしれないが、少しでもお節介は焼きたかった。出来るのであれば、彼の力に俺はなりたかったのだ。

 

「ああ、うん……1年の頃にちょっと色々あってね……詳しいことは、俺の口からはあまり話したくないから、勘弁してもらえるとありがたいかな……」

 

「いやいや、全然問題ないから」

 

 自分のことを他人に何でもかんでもペラペラ喋ることが信頼の証だとは、俺は絶対に思わない。

 誰にだって言いたくないことはあるものだ。俺自身、黒川くんには過去のことを話していない(もっとも、聞かれたら俺の場合は答えてしまいそうな気がするが)。

 むしろ、他人のことを隅々まで知ってしまったら、逆に窮屈になり、信頼関係の形成を妨げてしまうのではないだろうか。

 

「でも、二階堂くんが他の人から詳しいこと聞いても、俺は何も言わないよ。多分俺と時谷さんの間に何があったか知ってる人多いと思うし、その中に二階堂くんが加わったって、そんな変わらないだろうから」

 

「黒川くんは嫌なんじゃないの? 見た感じ良い話題とは到底思えないし、そんなら他の誰かに聞くのもやめておくよ、俺は」

 

「いや、大丈夫だから。俺の口から話したくないってだけだし、それに二階堂くんなら、知っても問題ないと俺は思ってるよ」

 

「…………」

 

 それは、ほぼ間違いなく俺を信頼してくれているからこそ出た言葉だろう。

 だが俺は、素直に喜ぶことは出来なかった。

 

「そう言ってくれるのはありがたいけど、あまり抱え込みすぎないようにね? 芹澤の言葉の真似になるけど、何かあったら遠慮しないで言っていいからさ」

 

「……うん。ありがとうね」

 

 わずかだが、黒川くんの表情が柔らかくなったような気がし、俺は内心安堵した。

 

「じゃあ、俺はこの辺で失礼するわ。そんじゃね」

 

「うん。また明日」

 

 結局本は借りず、帰宅を俺は選択した。

 明日には時谷さんが借りていった本を読むことになると思うので、無理に他の本を借りることもないだろう。

 

「はぁ……何であんなことしちゃったんだろ……」

 

 彼の意味深な呟きを背後で聞きながら、俺は図書室をあとにした。

 

 

 

 

 

 

 翌日の放課後。

 俺は昨日の時谷さんの言葉に従い、図書室で彼女が本を返却しに来るのを待っていた。『少し遅くなるかもしれない』とは聞いていたので予想はしていたが、彼女が姿を現したのは俺が図書室に着いてから30分が経ってからだった。

 

「返却で頼む」

 

「はい、ありがとうございました」

 

 着いて早々、時谷さんはカウンターの村上さんへ本を渡す。

 今日、黒川くんは委員の仕事は休みだ。そのせいなのか分からないが、村上さんに本を渡した時谷さんからは、昨日のような怯えらしきものは見受けられなかった。

 

「あっ、すまない村上。ちょっと頼みたいことがあるんだ」

 

「はい、何でしょうか?」

 

「その本、二階堂が借りたいって言っていたから、まだ本棚にはしまわないでくれないか? 多分、もう来てるはずなんだが……」

 

「それなら、あちらの方に」

 

「えっ? ……あっ」

 

 村上さんが指し示した方向――つまり、俺のいるところに視線を向けた時谷さんは、俺と目が合った瞬間、妙なくらいに驚いた顔をした。

 

「ちょ、ちょうどよかった。それじゃあ村上、頼んだぞ」

 

 そう言って時谷さんはすぐに俺から視線を逸らし、昨日と同じような慌てた仕草で逃げるように図書室から去っていってしまった。

 

「二階堂君、時谷さんと何かあったんですか?」

 

「こっちが聞きたいよ。何でなのか俺にはさっぱり分からん。昨日も妙なくらいに怯えた顔してたし」

 

「そうなんですか?」

 

「うん。というか昨日の時谷さん、俺よりも黒川くんの方を怖がってた感じだったよ」

 

「えっ、黒川君にですか?」

 

 俺の言葉に村上さんは心底驚いた表情を見せる。

 1年生の初めから今日に至るまで同じ委員会で活動してきたのだから、彼女も黒川くんの性格を良く知っているはずだ。そんな彼に、怯えた反応を示した人物がいるとなれば驚くのも無理はない。俺が村上さんなら同じ反応をしただろう。

 

 ……まあ、黒川くんのことは俺の方がよく知っていますがね、はい。

 

「そういえば時谷さん、黒川君だけは『くん』付けで呼ぶみたいですね。もしかして、そのことと関係があるんでしょうか?」

 

 わけの分からない対抗意識を燃やしていた俺に、村上さんはそんなことを言った。

 

「あれ、そうなの?」

 

 時谷さんは基本的に同級生や後輩は全て呼び捨てにすると聞く。現に今、俺も村上さんも呼び捨てにしていた。なのに黒川くんだけは『くん』付けで呼ぶとは、まず間違いなく理由があると見ていいだろう。昨日のふたりのやりとりも加えて考えると、余程の大事が起きたのだろうか。

 

「クラスの人から聞いた話なので、本当のことはちょっと分からないんですけどね」

 

「そうか……何があったんだろうな……?」

 

「はい……何があったんでしょうね……?」

 

 ふたりして頭をひねり、『う~ん』と唸っていると、背後で『カシャッ』と音がした。

 

 ……この展開、以前もあったような。

 

「考える人もとい、考える文緒ちゃんね。う~んっ、可愛いわ~っ♪」

 

 ……予想通り、その音は望月さんのカメラから発せられたシャッター音だった。

 

「も、望月さんっ。写真を撮るのはほどほどにしてくださいって言ったじゃないですか」

 

「大丈夫よ~。この1枚で終わりにするから~」

 

「もう……」

 

「…………」

 

 以前と変わらぬふたりのやり取りに俺は置いてけぼりを食う。

 ……仲の良さを見せ付けちゃってくれるわね。アタシもう帰ろうかしら。

 

「そういえば、文緒ちゃんと二階堂くん、ふたり揃って唸ってたみたいだけど、何かあったの?」

 

「ああいや、時谷さんが何で黒川くんや俺に余所余所しい態度取るのかって話してたんだけど……ってやべえ……」

 

 他人のプライバシーを何で俺はペラペラ喋ってるんだ。

 慌てて俺は口を閉じたが、ほとんど全ての内容を言ってしまったので今さらだった。

 

「ああ、なるほどね……」

 

 しかしながら、望月さんはさほど驚いたような仕草は見せなかった。むしろ、以前からこの話を知っていたような素振りですらあった。

 

「望月さん、何か知ってるんですか?」

 

「う~ん、でも話しちゃっていいのかしら……絶対誰にも言わないって約束なら、大丈夫なんだけど、ここだと他の人に聞かれちゃうと思うわ」

 

「今、ここには俺たち3人だけだから、聞かれる心配もないと思うよ。他の図書委員、今は奥の書庫で作業してるんでしょ、村上さん?」

 

「あ、はい。さっきみんな行ったばかりですし、すぐには戻ってこないと思います」

 

「……二階堂くんはともかく、文緒ちゃんまで聞きたがるなんて、ちょっと意外ね~。まあ、いっか」

 

 望月さんの言葉には俺も同感だった。てっきり村上さんは『聞くべきではない』とでも言うのではないかと思ったからだ。

 恐らく彼女は、黒川くんと仲が良いというのもあるのだろう。もしかすると彼女もまた、黒川くんの力になりたいと思っているのかもしれない。単純な野次馬根性で言ったわけでは決してないはずだ。

 

「二階堂くんはどうしてなのか分からないけど、黒川くんのことなら分かるわ。実は黒川くん、小瑠璃ちゃんに怒ったことがあるのよ。確か、去年の9月だったかしら?」

 

「……なあ望月さん、それって本当の話なのか? どうも俺には尾ひれがついてるようにしか思えないんだよ」

 

 芹澤たちが話していた『ブチ切れ事件』、春宮が見たという『ヤンキーのような目つき』。

 近頃、黒川くんの良くない話題ばかり聞き、俺はやるせない気持ちになった。もちろん黒川くんに対してではない。

 そのやり場のない怒りをぶつけるように、俺は望月さんに若干いらだちを込めた言葉を投げた。筋違いだということは分かっているのだが、それでも言わずにはいられなかった。

 

「黒川くんと仲のいい二階堂くんがそう思うのも無理はないと思うわ。だけど、本当の話よ。私、その場にいたから」

 

「……そうなんだ」

 

 実際のところ、芹澤たちの話にしても春宮の話にしても信憑性は高かった。彼らは面白半分でそんなことを話すような人間ではないからだ。春宮に至っては本人がその目で見たと言っていたので、尚更であった。

 望月さんも今までに見たことのない真剣な表情で話しており、尾ひれの付いた話ではないことを実感させられた。

 

「小瑠璃ちゃんって自分のお眼鏡にかなった人を、有無を言わさず連れて行こうとするでしょ? その日は黒川くんがその対象だったみたいなんだけど、黒川くん、それを断ったのよ」

 

「黒川君って、自分の意見をしっかり言いますからね。私と違って……」

 

 村上さんの言葉には、俺も同意見だった。

 『何でもズバズバ言う』というわけではないが、口数が少ない性格とは裏腹に黒川くんは自分の言葉で意見を、嫌なものは嫌だとはっきり言える人間だと思う。意外に行動力もあり、俺はそんな彼の性格に救われたと言っても過言ではなかった。

 

「だけど小瑠璃ちゃんって、ただ断っただけじゃ簡単には引き下がらないから、無理矢理連行しようとしたのよ。それに黒川くんは怒って、壁を思い切り蹴ったの」

 

「……マジかよ。嘘じゃないってことは分かってはいるんだけど、それでも信じがたいな……。でも時谷さんって、そのくらいで諦めるような性格とは思えないんだけどね」

 

「うん。普通に蹴ったくらいじゃどこ吹く風って感じだったとは思うけど、その蹴った衝撃がすごくて、廊下全体に響いたくらいだったの。地震と勘違いしてた人もいたからね。それだけじゃなくて黒川くん、小瑠璃ちゃんを睨みつけたの。正直、別人かと思うくらいに怖い雰囲気だったわ。その場で小瑠璃ちゃんを殴り倒すんじゃないかって、ちょっと焦ったけど、結局何もしないで帰っちゃったわ。それ以降小瑠璃ちゃん、黒川くんには完全に頭が上がらなくなっちゃったのよ」

 

「…………」

「…………」

 

 俺も村上さんも、望月さんの話には何も返答することができなかった。

 それは、今まで聞いた話が可愛く思えるほどの強烈なインパクトを持っていた。

 

「でもふたりとも、黒川くんのことを変な目で見ないであげてほしいわ。私は、このことで黒川くんを責めることは出来ないと思うのよ」

 

 そんな俺たちに望月さんは意外なことを言った。四六時中『女の子、女の子』と連発している彼女が、まさか男子生徒である黒川くんの肩を持つとは意外だった。

 

「確かに、壁を蹴ったり、睨みつけたりしたのは褒められたことじゃないと思うけど、その時の黒川くん、何回も小瑠璃ちゃんに『帰らせてくれ』ってお願いしてたのよ。それに凄く疲れたような、悲しそうな顔してたから、早く家に帰って休みたかったんじゃないかしら? 小瑠璃ちゃんはもう少し黒川くんの気持ちを酌んであげるべきだったと思うのよ。それなのに無理矢理部室に連れて行こうとしたから、黒川くんも我慢の限界になっちゃったんだと思うわ」

 

「……意外だね。望月さんのことだから、全面的に時谷さんの味方をするもんだと思ったけど」

 

「そうですね……私も少し驚きました……」

 

「もう、失礼ね~っ。私だって物事を客観的に見ることは出来るわよ~っ。文緒ちゃんまでひどいじゃない~」

 

「でも、ずっとこのままふたりの関係が悪いのは、ちょっと悲しいですね……」

 

「そうね……それにその事件が起きるまで、小瑠璃ちゃんと黒川くんは仲が結構良かったから」

 

 そうなると、余計に関係の修復は厳しいだろう。初めて会った時から仲が悪いことより、『初めは仲が良かったが後に対立した』というパターンの方は、信頼していた相手に対する失望が加わることで、前者よりも強い対立になる場合が多いと言えるからだ。

 

 もっとも、黒川くんと時谷さんは昨日のやり取りから考えると、対立しているというよりも気まずい関係と言った方が近いような感じもする。時谷さんの方は怖がっている雰囲気ではあったが、黒川くんの方は別に彼女を威圧しているようには見えなかった。それならまだ、何とかなるのではないだろうか。

 

「ちょっと考え付いたことがある。村上さん、さっき時谷さんが返した本、借りたいんだけどいいかな?」

 

 

 

 

 

 

 数日後。

 5月も終わりにさしかかろうとしている今日、俺は部の見学をするために、手芸部の部室へと向かっていた。

 

 俺の予想通り、あの手芸の本は極めて興味深い内容だった。基礎から応用まで、ありとあらゆるものが網羅されており、初心者から上級者までお勧めできる一冊であった。発行が40年前というのもあって、載っていた作品例はデザインが前時代的な物だったが、そういう『昔ながらのデザイン』というものは、俺は嫌いではない。昔の作品を知ることも知識や技術の向上に役立つはずだ。『古臭い』と一笑に付してしまうのは、もったいないのではないだろうか。

 

 そんなことから俺は手芸にある程度興味を持ったので、入部するつもりはとりあえずないが、手芸部の見学をすることにしたのであった。アポイントは取っていないが、あくまで見学なので大丈夫だろう。

 

 ――そして何より、何で俺のことまで怖がるのか分からない。誤解は解いておかなければ。

 黒川くんと時谷さんの関係は望月さんの話で分かったが、俺にまでなぜ怯えていたのかは彼女にも分からないようだった。俺にしても、このままの状態でいるのは嫌だ――と言うより、何か気持ち悪いので、その理由を時谷さんに聞き、誤解を解くという目的もあった。むしろ、こっちの方が手芸部へ行く意味合いが強い。

 

 それにここで誤解を解いておけば、時谷さんと話す機会も多くなるだろうし、黒川くんと彼女を和解させる場を作ることができるかもしれない。余計なお節介であるということは重々承知しているし、場を作れるという確信も全くない。しかし、やってみる価値はある。

 

「……おっ、ここだな」

 

 色々考えているうちに、俺は手芸部の部室前に到着していた。

 扉をノックし、反応を待つ。

 

「はい、何でしょうか?」

 

「すいません、見学したいんですが」

 

 扉が開き、恐らく部員と思われる3年の女子生徒が現れた。緑のリボンを着けているので間違いないだろう。

 早速、半ば口実となっている用件を俺は伝える。

 

「あっ、本当? でも何でこんな時期に? それにあなた、2年よね?」

 

 彼女が疑問に思うのも無理はない。とっくに新入部員の勧誘期間は終わっているし、おまけに見学の希望者が2年生というのは、誰でも頭に疑問符を浮かべるだろう。

 

「最近手芸の教本を読んだんですが、面白くて手芸に興味持ったんです。ここの手芸部はかなりレベルが高いって話なので、活動の様子なんかを見てみたくて」

 

「本当に!? めっちゃ嬉しいわ! 是非見てって!」

 

「本当はもっと早い時期に、1年生に言われた方が良かったのかもしれないですけど」

 

「ううん、そんなの全然関係ないわよ! 今からでも遅くなんてないわ! こんな所で立ち話もなんだから、入って入って! みんな~、入部希望者よ!」

 

「いや、まだ入部希望って決めたわけじゃ……」

「しかも男子よ! 最近手芸に興味持ったんだって!」

 

 そんな俺の声はその3年の声にかき消されてしまった。

 過剰なまでに目を輝かせ、やたらと嬉しそうなリアクションを取る彼女に俺は罪悪感を抱く。さっさとことを済ませるつもりだったのに、これで『入るつもりはない』と言ったら、かなりがっかりされることは想像に難くない。そもそも『見学したい』としか言っていないのだが、この流れではそう言ったとしてもがっかりしないという状況にはなり得ないだろう。

 

「すいません! ちょっといいですか?」

 

 とは言え、このまま流されて本来の目的が有耶無耶になってしまっては元も子もない。なので、俺はかき消えないように声を張り上げて流れを切った。

 

「どうしたの?」

 

「時谷さんって、今いますか?」

 

「時谷さんって……時谷小瑠璃さんのことかしら?」

 

「はい、そうです。ここに来たのは見学もあるんですけど、時谷さんに話があるから、というのもあるので」

 

「そうなの。それじゃあ、ちょっと待っててもらえるかしら? 彼女、まだ来てないのよ。休むとは言ってなかったから、もう少ししたら来ると思うわ」

 

「分かりました」

 

「じゃあ、この椅子にでも座っててね」

 

 言われた通り、すすめられた椅子に俺は座る。

 部室内に入った直後は気付かなかったが、椅子に座ってから辺りを見回すと、様々な服や、イベントの様子を撮影した写真が壁に飾られていることに気付く。見たところ、ミスコンと思わしきイベントの写真が多いようだ。

 

 ――確かに、これはレベルが高いというのも頷ける。

 服の現物を見ても写真を見ても思ったことだが、どれもこれもレベルが高い代物で、俺はまるでファッションショーでも見ているような気分になった。

 また、部員は全員がかなり充実した表情で活動に励んでいた。比率は圧倒的に女子生徒が多いが、男子生徒の姿もそれなりにはあった。

 わずかではあるが、入部してもいいのではないかと思えるほどに活き活きとした部活であるという印象を俺は持つ。

 

「すいません、遅くなりました」

 

 壁をあらかた見回し終えたちょうど良いタイミングで、俺が本来ここに来た目的の人物――時谷小瑠璃が部室に姿を見せた。

 

「あっ、時谷さん。今入部希望者がいるんだけど、その人あなたに話があるみたいよ」

 

「えっ、誰ですか?」

 

「ほら、あそこにいる背の高い彼よ」

 

 俺を出迎えた3年生が俺の目の前にいたため、部室に入った時谷さんには俺の姿が見えなかったようだ。椅子に座っていたので、背の高い俺でも彼女の身体で隠れていたらしい。

 その3年生が俺を指し示すために横にずれたことで、視界に俺の姿を入れた彼女はかなり驚いた表情になった。予想はしていたが。

 

「に、二階堂!? 何できみがここに!?」

 

「見学ついでに、時谷さんに話しておきたいことがあってさ」

 

「…………何だい?」

 

「単刀直入に聞くけど、何で俺を見ると怯えたような顔になるのよ?」

 

「……っ!」

 

「もし俺が時谷さんに対して嫌なことをしていたなら、全面的に謝罪したい。だけど、俺は時谷さんに何をしちゃったのかが分からないんだ。思い出したくもないことなのかもしれないけど、できれば教えてくれるとありがたいかな」

 

「…………」

 

 俺の質問に、時谷さんは俯いて沈黙した。

 相当に言いにくいことなのだろうか。だが俺は、何としてでも今日中に確かめておきたかった。だからと言って急かすことはできない。その代わりに俺は息を殺して、彼女の返答を待ち続けた。

 時谷さんが俺を視界に入れるまでは喧騒に包まれていた部室にも、いつの間にか沈黙が伝播しており、部員の声は全く聞こえなかった。

 

 手芸部にはとても似つかわしくない不気味な静寂が、そこにはあった。

 

「きみは……」

 

「?」

 

「きみは、黒川くんと仲がいいのだろう……?」

 

 しばしの静寂が過ぎた時、ようやく口を開いた時谷さんからもたらされた言葉は、俺が全く予想していなかった、黒川くんの名前だった。

 さらに村上さんの言っていた、黒川くんだけは『くん』付けで呼ぶという話は本当だったらしい。

 

「……あ、ああ、うん。むしろ、俺ばっかり良くしてもらってる感じかな? 以前の俺って、もっと暗くて卑屈な奴だったけど、黒川くんのおかげでそれを脱却できたからさ。黒川くんのおかげで、色々なことも楽しいって思えるようになったしね」

 

「……だからだよ!!」

 

「……!?」

 

 黒川くんをやたら褒めちぎっていた俺のもとに飛んできたのは、先ほどの黒川くんの名前以上に予想していなかった、時谷さんの叫び声だった。

 それに俺は身体がびくりと跳ねる。見えはしなかったが、周囲の手芸部員も同じ反応を示したのではないだろうか。

 

「今の話を聞く限りじゃ、きみと黒川くんはとても信頼し合っているのだろう? そんなきみとちょっとでも関わりを持ったら、また黒川くんの怒りを買うことになる!」

 

「な、何でだよ?」

 

「きみも知っているだろう? 私は、黒川くんに最低最悪の、どうしようもない馬鹿な真似をしてしまったんだ! きっと今も、私を深く恨んでいるだろう!」

 

「だ、だからって、俺にまで怯える理由にはならないだろうに……」

 

「なるんだよ。きみと話していると、怒りに満ちた黒川くんの、まるで蛇のような眼光が映るんだよ! 『俺の友達を盗りやがったら、ぶっ殺すぞ』って言っているようにも見えるんだ! きみに限った話じゃなくて、黒川くんと特に仲のいい人の背後からは、みんなそれが見えるんだよ!」

 

「だけど黒川くんは、そんなことで怒るような真似はしないだろ……」

 

 時谷さんの言葉に、呆れに近い感情を俺は抱く。

 黒川くんの性格をろくに理解していないから、そんなことが言えるのではないだろうか。あまりに短絡的な決め付けに、半ば憤りを覚える。

 

「きみは何を言っているんだ? 自分の逆鱗に触れた人間が自分の友達に接触して、自分との時間を奪っているって思ったら、腹が立つだろう? 私の場合なら、黒川くんに半殺しにされたっておかしくはない。そもそもあの時に黒川くんに半殺しにされていたって、私は文句を言う権利なんてないんだ!」

 

「は、半殺しって……いくら何でも……」

 

「そのくせ私は、黒川くんに謝罪するどころか、頭すら下げてない! あの時の光景にみっともなく怯えて、びくびくして、謝る素振りすら見せようとしていないんだよ!」

 

「…………」

 

「これで分かっただろう? 私はきみ自体に怯えているわけじゃない。黒川くんに怯えてるんだ! 黒川くんの怒りと憎悪のこもった眼光に!」

 

「…………」

 

「だから、もう私に関わるのはやめてくれ! きみまで黒川くんの怒りを買いたくはないだろう!?  あの時みたいな馬鹿な真似は、もう二度としたくないんだ!」

 

「……分かったよ」

 

 『いくら何でも、黒川くんはそんなことしねえよ』と言おうとしたのだが、時谷さんの激しい剣幕に、俺は言うタイミングを逃してしまった。

 この調子では、何を言ったとしても彼女の理解は得られないだろう。もはや、俺が彼女にできることなど、何ひとつとしてなかった。

 

「お騒がせして、本当にすいません。失礼します」

 

 椅子から立ち上がり、四方に頭を下げて俺はドアへと歩を進めた。

 だが、このまま何もしないで帰るわけにはいかない。ノブを握ったところで振り返る。

 

「みなさん、どうか時谷さんのことを責めないで下さい。責任は全部自分にあります。自分の勝手な憶測で時谷さんに変な話をしてしまった、俺だけを責めてください」

 

 今のやり取りは手芸部員にも余さず伝わっていたのだ。そこから良からぬ想像をされて、部員にまで責められるようなことがあれば、彼女は何もかも失くしてしまうことになるだろう。それだけは絶対にあってはならない。

 俺は強く念を押すように部員全員にそう言い残して、部室を去った。

 

 

 

 

 生まれ変わった宣言をしてから俺は、様々な経験をしてきた。

 だがそれは、いいこと尽くめの日々を送り続けることができるわけでは決してないと思い知らされることになったのだった。

 

 

 

 

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