ようこそ負完全がいる教室へ 作:てぶらじーんず
あの後。クラス全体に漂う薄暗い雰囲気が晴れることは無かった。
ギスギスとした空気では喋りにくいのか、お調子者ものの池でさえ沈黙していた。
帰りのホームルームが終わると、皆足早に教室を離れていく。誰もが一刻も早く、居心地が悪い場所から立ち去りたかった。しかし綾小路はその中で目的の人物に話しかける。
「なあ球磨川」
『ん、僕になんかよう?』
けろっとした、何の気負いもない調子で返答される。
まるで先程の一件が無かったかのように。球磨川の表情からは何も読み取れない。
ただ、入学当時。彼の奥底へ封じ込まれてあった不気味さが。気持ち悪さがより増しているのが肌でひしひしと感じる。
「一緒に帰らないか」
『…………』
ーー何か、警戒されている?
球磨川のドブ川のように濁りきった瞳は、綾小路をしっかりと捉えている。
「どうした?」
『いやあ、なぜか僕って誰からも話しかけられなくてさ。これはまさか夢じゃないかと現実を疑っちゃってね。こんな風に誘ってくれたのが綾小路くんが初めてさ!』
「それは……辛かったな」
それも当然だろう。
誰が出会い頭に架空の雑誌や、文庫を口にする電波男と友人になりたいものか。
しかし、既に教室には球磨川と綾小路だけしか残っておらず、それもホワイトルームで育った箱入り息子と口にした張本人。特に突っ込まれる事はなく会話が進む。
『良いんだよ。こうして綾小路くんが話しかけてくれたんだから。むしろ僕が孤独だったのは君が話しかけてくる為だったと言っても過言じゃないね。さ、一緒に帰ろうか!』
意外なことに球磨川は話上手ではあったようで。
薬にも毒にもならない四方山話をしながら歩いて行く。
『それで、買い食いするならお勧めは寮近くにあるたい焼き屋さんかな。あそこのつぶあんは美味しくてね。すっかり常連客の一人になっちゃったよ』
「そうか」
もっぱら綾小路は聞きに徹するだけではあったが。時折相槌を入れながら球磨川を観察する。
これまでの経緯から、少し様子を伺ってみたが妙な動きは無く、至って普通の男子生徒にしか見えない。
ともすれば、幸村を追い詰めた討論がーー球磨川の一方的な独壇場ではあったがーー幻であったかのように。
「なあ球磨川」
『なんだい? もしかして食い気じゃなくて色気がある話をして欲しかった? それなら僕が入学して調べたとっておきのパンチラスポットをーー』
「お前だろ。この事件の犯人は」
それは綾小路がずっと考えていた事だった。
最初は教師の犯行だと推測していた。
しかし綾小路の所属はDクラス。それも歴代でも最も底辺であると茶柱から断言された掃き溜めの巣窟。態々手を出す人物は限られている。
そして、犯人となる情報を幾つもばらまいていたのが、眼前にいる危険人物。
頭の狂った愉快犯。
それが球磨川であると突きつけた。
『……犯人? 一体、なんの事かな』
「シラを切るつもりか」
『切るも何も、僕は何も知らないし』
先程まで談笑していた相手が、突然“お前は悪者だ”と前触れも無く投げかけてきたのだ。
普通は疑われた事に対して、何かしらの怒りや悲しみ等、表情に揺らぎを見せてもいいものだが、球磨川は、貼り付けられたような、薄っぺらい笑みを変える事なく、綾小路へと向けていた。
「お前はクラス全員が零点を取ったと聞いた時。なぜ笑っていた?」
『自分の処理能力を超えると、つい笑ってしまう癖がついてるんだ。おかげで余裕がありそうに見えるってよく言われる』
へらり、と軽薄な笑みを浮かべる。
子供騙しにもならない、明らかな嘘ではあったが綾小路は無視して話を続けようとする。
『って、おいおい。もしかして、まさかとは思うんだけど、僕を疑ってるのかい?』
「そうだ。オレはお前を疑っている」
きっぱりと、綾小路は言い切った。
綾小路は本来、こうして直接対峙するのは避けたかった。裏で暗躍し、陥れ、密かに退学への花道を用意する。それが安定した最良の策ではあった。
が、しかし。綾小路の勘は警報を鳴らしていた。
ーー恐らく、このクラスは一年と持たない。
それでは困るのだ。
もし万が一。誰かが綾小路を狙った場合、纏まりのないクラスでは防衛手段が無い。集中攻撃されれば呆気なく脱落することになるだろう。
一年あれば。周囲を誘導し、実力主義である校風を活かした特別試験にて退学させる準備が整えられたかもしれない。
だがそれまでに動かせる駒が全滅していました、では洒落にならない。
だからこそ、綾小路は球磨川と敵対するリスクを犯してまで、牽制する為に釘を刺しに来た。
俺はお前の悪事を見抜いているぞ、と。
「お前はこの結果を予測出来ていただろう?」
『何を根拠に言ってるんだい? 僕だってそりゃあ驚いたよ。何せ、退学がかかっていたしさ、必死にテスト勉強したのに零点になって戻って来るんだから』
「嘘だな」
『だから、一体何を根拠にーー』
「お前は今致命的な嘘を一つ吐いた」
実際、球磨川が九割九分犯人だとは思っていた。
だが、残りの一分は犯人では無い可能性があった。けれどもこのやり取りで十割、ーーつまり完全にDクラスを混乱の渦に叩き落とした人物が彼であると確信を得た。
『僕は嘘なんかついてないさ』
「だったら、今回のテスト順位を覚えているか?」
『テスト順位だって? あはは。そんなの、皆そろって零点だから、全員同じに決まってるじゃん』
「確かに普通なら、そうだな。じゃあ、なんで球磨川。お前は四十位というクラス最下位の順位を一人だけ取ったんだろうな?」
茶柱があの時出した結果には、きっちりと一位から四十位までの順位が羅列してあった。本来であれば、零点という枠組みに区別はなく、同率一位になって然るべきなのに、だ。
『ーーあれ? さあ、なんでだろう。わかんないや。でも先生のミスとかじゃないかな?』
「いいや、茶柱先生のミスじゃない。あれは各個人のテスト結果により算出されたもの。つまりは本来あるべきテスト順位と同じだって事だ」
通常、問題を解けば配点が与えられる。
そして正当していた分、配点の合計を足して順位を出す。
それらの作業が行われた上で、全てのテスト結果が零点となった訳だから、同じ零点でも順位に差がある事態になった。
故に、成績上位者であった幸村は上位にいたし、素行が悪い池や須藤などは下から数えた方が早い順位だった。
即ち球磨川は本来であれば最下位の成績を取ったことになる。
『ちょっと待ちなよ。どうして綾小路くんにそんな事が分かるんだい? 君のそれは憶測に過ぎない。それこそ結果を出した先生でもない限り分からない筈でしょ』
「その通りだ球磨川。よく理解してるじゃないか。どういう基準で出したのかはオレじゃあ分からなかった。だから、茶柱先生に直接聞いたんだ。プライベートポイントを使ってな」
プライベートポイント。
それはこの学校で利用出来る通貨でもあり、権力でもある。ポイントさえあれば何だって購入出来る。物品のみに関わらず、情報といった形の無いものでさえ入手可能だ。
綾小路は茶柱にプライベートポイントを支払う事で、テストに纏わる情報を購入したのだった。
「茶柱先生によると、テスト用紙を回収した順番。及び提出物の課題やノートから筆跡鑑定を依頼し、正確な個人を特定したらしい。だから、お前が最下位を取ったという純然たる事実は変わらない」
『……それで? まさか僕が余りにも底辺な成績を出すから、やけっぱちになってクラス全員の名前を全部消してやったとでも言いたいのかい?』
「少し違うな。お前は最初からそうするつもりで、中間テストで手を抜いたんだ。事実、小テストの時は赤点組に入って無かった。“ 必死で勉強した”にしては成績下位者である須藤より下になるのは道理に合わない」
『ふむ。なるほど。君の主張はよく分かったよ』
ここまでは綾小路の描いた展開通りに持っていけている。問題はこの先。短時間でふとした違和感に気付き、情報を集めた手腕は誰にも真似出来ることでは無い。
綾小路の優秀さは、ここに来て遺憾無く発揮されていた。
ーーしかし。
『で、証拠は?』
『そこまで言うんだ。僕がやったという明確な証拠は当然あるんだよね!』
「それはーー分からない」
相手を問い詰める上で重要なもの。
「証拠」までは集める事は不可能だった。
綾小路の頭脳を持ってしても、犯行に使用された手段、方法は一切発見出来なかった。
クラス全員分のテスト用紙に仕掛けを施すとなると大規模なものになる。例えどれほど入念に証拠を隠滅したとしても粗は残る。それを探そうとしたのだが結局、何も見つけられず徒労に終わってしまった。まるで、元から何も無かったかのように。
『あれれー、まさか、何も証拠がないまま僕を疑ってた? 憶測と状況判断だけで、確たるものがないまま、こんな善良な一生徒を悪の親玉に仕立て上げようとしてたの?』
「ああ、そうだ」
証拠はない。
けれども動機としては充分過ぎるほど、球磨川は情報を落としている。
怪しいけれど、実は犯人では無かったというオチが起きるのは漫画の中だけだ。
綾小路は入学当初、出会った日。
球磨川に対して身の危険を感じていた。
球磨川には、底知れないナニカがある。
それだけで球磨川を犯人と断ずるに迷いが無かった。
「オレは間違いなくお前が動いたと思っている。そして、この考えを曲げる気はない」
『そっか、僕はもちろんやってないけど。綾小路くんはどうやら頭が硬いみたいだし。これ以上何言ってもしょうがないよね』
「話はこれで終わりだ。球磨川。オレはお前に怪しい動きがないかいつでも見張っているからな」
『はいはい。それじゃ、またね』
球磨川はひらひらと手を振り、去って行った。
綾小路は球磨川を相手取った事で、疲労を感じていた。正直、楔を打ち込めたか怪しい。やはりもう少し手札を揃えてから挑むべきだったか、と考えて首を振った。
もし、たらればの話をするなんて随分甘くなったものだ。過去の自分では考えられない。
ちょっとした自分へのご褒美として、偶には贅沢をするのもいいかもしれないな。
そう、近くに設置されてある自動販売機へ足を向けて。
『忘れてた。そういや僕って
「が、ぎ……ッ……!!」
腹部に衝撃が走る。
制服の中から突き出た巨大な螺子。それは綾小路の臓物をかき分け、貫いたことで真紅に染めあげられていた。
見るまでもなく、致命傷だと分かる。
『のこのこと敵対宣言をして無傷で返してくれるなんて、それこそRPGで序盤に登場するラスボスくらいのものさ。僕はただの村人Aなんでね。雑魚は雑魚らしく、不意打ちさせてもらうことにしたよ』
現代人にあるまじき、殺意。
花を手折るように、至極あっさりと殺人を犯す異常性。真っ当な倫理観を備えたものならば、忌避すべき精神。まさに産まれる時代と場所を間違えたとしか言いようがない怪物。
綾小路はぐりぐり、と苦痛を与えるかのように、螺子を押し込まれ苦悶の声を上げる。
『君が余計な詮索をしなければこうならなかった。僕だって、こんな結果になって残念だよ』
とは言いつつも、決して螺子から手を離さない。
抵抗しようにも流血した量はとっくの前に致死量を超えており、次第に身体から力が抜けていくのを感じる。
これは、どうしようも無いな。
綾小路は目を閉じた。
最期まで、醜悪なものを見ないように。
『ーーだから、僕は悪くない』
ぐしゃり、と頭に螺子をぶち込まれる。
綾小路は暗い泥沼に身を浸すように、意識を失った。