ようこそ負完全がいる教室へ 作:てぶらじーんず
ーー少し、話があるんだけど。
背後から突然声をかけられて。
後方を振り返れば、何時もへらへらと笑っている薄気味悪い男が立っていた。
ーー名前は、そう。球磨川と言ってたっけか。
須藤は記憶からうろ覚えだった名前を引っ張りだす。
球磨川、それは須藤と同様にクラスから浮いている人物。
須藤がクラスの輪に入れないのは当然だ。
性格は自己中心的で粗暴。協調性もなく、赤点を取るほど知能が低い。しかも他クラスの生徒に傷害事件を起こしたともなれば、クラスに馴染めるわけが無かった。
しかし、翻して。
球磨川はどうだろうか。
初日に少々電波チックな自己紹介をしたものの。
須藤とは違い、話題を振られればちょっとした冗談も交えて返すし、風貌も悪くない。やや童顔気味で柔和な印象を与える。
これだけ聞けば、何も周囲から浮く様な事がない善良な学生に思えてしまうだろう。
だが、実際は違う。
それは何故か。
こうして対峙すれば理由は良く分かる。
ーー様々な長所を打ち消して余りあるほど、球磨川は不気味なのだ。
球磨川には意識すらしていないことかもしれないが、一挙一動。些細な動作でさえも、禍々しく、恐ろしく感じてしまう。
これでは近寄りたいと思う人は居ないだろう。
「.んで、なんの用だよ」
『君はどうやらCクラスと揉めたらしいね』
球磨川は不躾にもそんな質問をしてきた。
今やクラス中で話題になっている須藤の暴力事件。それは友人の少ないーーそもそも友人がいるかどうか怪しいーー球磨川でさえ耳に入っているらしい。
同時に須藤の額にビキリ、と青筋が浮き出る。
球磨川が自分に話しかけてきた理由が分かったからだ。他のクラスメイト達と同様に、己を悪者だと責め立てる気だと解釈して、須藤の自制心はいとも容易く消し飛んだ。
「あれは! アイツらが先にやってきたんだ!」
『もちろん。それは信じてるさ。だから僕の話を聞いてくれないかな?』
須藤の予想だに反し詰る訳でもなく、さりとて慰める訳でもなく。冷静に話を切り返され、鼻白む。
どうやら、球磨川は他の有象無象の輩とは違うらしい。ーーだからといって、特に心を許す筋合いもない。が、とりあえず話だけは聞こうと思い顎で続きを促す。
『えっとね。……慌てず、落ち着いて聞いて欲しいんだ。君が今置かれている状況だけどね。実はCクラスに仕組まれた出来事なんだ』
「んだと?」
つまらない話だったら無視しようと思っていたが、球磨川の語る言葉は須藤の興味を引いた。
ーーそれが聞いてはいけない類の、人格破綻者の甘言とは知らずに。
『Cクラスに王様がいるって話は知ってるかい?』
「いや、初耳だ」
『なら詳しく教えてあげるよ。いいかい。Cクラスには、クラス全員を束ねる王がいるんだ。彼は独裁気質でね。配下の独断行動は許さない。無論、暴力事件等以ての外だ』
球磨川は歌い上げるように、大袈裟ともいえる身振り手振りを加えながら須藤に語りかける。
『さて、そうだとしたら須藤くん。果たして、君を襲った彼らは自らの意思でやったんだろうか。態々君を気に入らないと言う理由だけで、今後の学校生活を棒に振る覚悟を持って、襲撃したと本気で思うかい?』
「まさか、あの野郎共が俺を襲ったのは、その王とやらの指示で動いてたって事か……?」
ぽつりと、気付かぬうちに呟いていた。
普段なら目も合わせたくない、気味が悪い相手だ。無論今でもその気持ちは変わらない。酷く嫌悪の情が湧き上がる相手なのだがーーしかし、須藤は球磨川に対して妙な安心感を抱き始めていた。
無意識に、心情を吐露するほどに。
『そう、その通り! Cクラスの王【龍園 翔】彼こそがCクラスの生徒に命令を下し、君を襲わせた張本人なのさ』
球磨川には妙なカリスマ性があった。
どこまでも深く、どこまでも温く。
人を惹きつけ、安らぎを与え、堕落させる。悪のカリスマが。
須藤とて、無知無能では無い。
最低限、人となりを見抜ける観察力はある。
球磨川は決して善人ではない。
むしろ悪人。いやそれよりもタチが悪い存在だと薄らと勘づいている。だがーーそれでも。
それでも、問題ないと思い始めていた。
自分を助けてくれるなら。例えどれ程気持ち悪くても、飲みこめる。受け入れられる。
「ーーそれが本当なら、許せねえな」
『うんそうだよね! だったらーー』
「それが本当だったら、の話だがな」
なるほど。球磨川の説明は理にかなっている。
他クラスの戦略と言われれば素直に納得がいく。
ああ、そうなんだと浅く流し、復讐心に燃えただろう。
平田等の人望がある人間から伝えられた場合、の話だが。
あるていに言ってしまえば球磨川に信用がないのだ。人望がない。友人がいない。故に信用出来ない。これが須藤の心にブレーキがかかった理由。
須藤はギリギリの所で持ち堪えた。
崖に落ちる寸前。一歩先へ踏み込めば、たちまち奈落の底へと転げ落ちる間際ではあるが。踏みとどまれた事実には変わりは無い。
『残念ながら情報の出処は教えてあげられないね』
「ハッ。なら余計信じられねえな」
『まあ、そうだろうね』
「やけに素直じゃねえか」
『ぽっと出の僕が信用されるなんて虫のいい話さ。きちんと内容を吟味し、疑問に思う知性がある。やっぱり須藤くんをここで失うのは勿体ないよ』
明らかに上っ面だけを取り繕ったお世辞。
なんら心を込めてない空っぽの言葉だった。
しかし、人間誰しも褒めそやされて気分を害する事は無いだろう。類に漏れず、須藤もまた、悪い気はしていなかった。
何だかんだ言ってこいつは目の付け所が違う、と須藤は思った。見る目の無い他の連中と違って、俺の価値を理解してくれていると、思ってしまった。
無論、須藤にそんな価値はない。
誰だろうと球磨川のような危険人物は警戒して当たり前。ひとえに須藤の思い上がりに過ぎない。
けれども当初警戒して握りしめていた拳は、自然と緩めていた。
過負荷相手にそんな隙は致命的である。
球磨川はより一層不気味なオーラを放つ。
だが、須藤は賞賛という言葉の麻薬に囚われ、気づく事が出来ない。
ーー気づく事さえ、させて貰えない。
『そんな須藤くんに、お願いがあるんだけど』
「ま、内容によるな」
口ではそういいつつも、球磨川の頼み事を断る気はなかった。
普段、頼られることが無い反面、褒めそやされ自尊心を擽られる態度に、どうしても精神的優位であることを見せつけたかった。
ちっぽけなプライドだ。
元々底辺まで評価が落ちていたゆえに、沈んでいた心は球磨川の手によって浮き上がった。
そして、どれだけその手が泥に塗れていようとも。
気づく事を放棄してしまった須藤の目に映らない。
『お互いにとって悪い話じゃないんだ。僕一人じゃ怖くて出来ない。でも勇猛な君なら、出来ると信じているよ』
「勿体ぶらず、早くいえって」
例え先程の球磨川の言葉が真実じゃなくても。信用出来ない相手であっても、軽い相談なら受けてやっても良いとのぼせ上がっていた。
からからに乾いた砂漠に、水が染み込むように。どこまでも甘く、優しく入り込んでくる声に抗うことなど出来なかった。
『ーー僕の右腕、折ってくれない?』
「は?」
故に、球磨川の放った言葉が上手く飲み込めなかった。
この男は、今なんと言った?
右腕を折れ?
友達と気軽にお出かけしよう、とでも誘うように。ためらいなく、自然体でさらりと提案してきた事に驚く。
ーー無論、そんな事はできない。
倫理観的にも道徳的にも当然やってはいけない行為だ。そんな行為を、いくら気色悪いとはいえ、同クラスの生徒に行う訳が無い。
今更、球磨川の危険度を再認識した。
おだてられ、褒めそやされ、鈍らされた勘がようやく働き出す。
しかしーーもう遅かった。
取り返しはつかない。深淵へと足を踏み入れた以上引き返す手段は須藤には無い。
足を動かすことさえ出来ず、その場に佇んでいると、再び球磨川が口を開く。
『目には目を。歯には歯を。冤罪には冤罪をかけるのさ。なに、君は僕の腕をーー左腕でも良いけど、折るだけでいい。あとは万事上手くやっておくから』
ーーそして、須藤を中心として渦巻いていた策謀。
この事件は呆気なく、球磨川の手によって終わりを告げた。
★ ★ ★
「先日、また新たにトラブルが発生した。まあ、球磨川を見て分かると思うが、暴行を加えられた映像が監視カメラで確認出来た」
「ついては相手側の生徒、石崎、小宮、近藤 の三名を退学処分。また須藤の件に関しても同様の手口と思われる為、あの一件は不問とする。差し止めしていたポイント支給は明日配布される事になる」
ざわざわとクラスメイトが色めき立つ中。
骨折でもしているのか、左腕にギプスを取り付けている球磨川。
クラス全員から注目を浴びている最中。
いつもと同じ、気持ちの悪い表情で。
ーーへらりと、笑っていた。