〝ぬ、抜いてたもぉ~、お尻のそれ抜いてたもぉ~〟
北の山脈地帯の中腹、薙ぎ倒された木々と荒れ果てた川原に、何とも情けない声が響く。声質は女のものだ。直接声を出しているわけではなく、広域版の念話の様に響いている。竜の声帯と口内では人間の言葉など話せないから、空気の振動以外の方法で伝達しているのは間違いないだろう。
「ハ、ハジメ! お前なにを!?」
「いやケツ穴から突き刺してぶっ殺そうかなーって。つーかコイツってまさか……」
「―――ぶわっはははは!! ちょっ、姫サンあんたホンマに……ぶははははっ!!」
いつの間にやら近寄ってきていた竜人族の男(仮)も黒竜の有様に大爆笑している。その様子をスルーして話を進める。
「ああ竜人族だ。そうだろ?」
〝む? いかにも。妾は誇り高き竜人族の一人じゃ。偉いんじゃぞ? 凄いんじゃぞ? だからの、いい加減お尻のそれ抜いて欲しいんじゃが……そろそろ魔力が切れそうなのじゃ。この状態で元に戻ったら……た、大変なことになるのじゃ、妾のお尻が〟
紅の問いかけにあっさりと自分が竜人族だと認めた。ハジメののそばではユエが好奇心に満ちた目で黒龍を見ている。ユエにとっても竜人族は伝説の生き物だ。自分と同じ絶滅したはずの種族の生き残りとなれば、興味を惹かれるのだろう
「クククッ……いやぁ姫サン傑作やわ。そないな格好で誇りとか言うても説得力ないで」
〝むっ! その声はフーか!? もうこの際お主でもいい! 早く抜いてたもぉ……割と本気で限界なんじゃが……〟
「ワシかて今、生殺与奪を握られとるんですわ。むしろ助けて欲しいぐらいや」
「いくつか聞きたいことがある。それに答えてくれれば大人しく開放する」
未だ巨大な杭が刺さったままの黒竜と、フーと呼ばれた男に声をかける。ハジメは納得いっていないようだが、少しでも情報が欲しいのか大人しく従った。
話を要約するとこうだ。
1 竜人族の仲間が、数ヶ月前に大魔力の放出と異常な何かがこの世界にやって来たことを感知した。竜人族には表舞台には関わらないという種族の掟があるらしいのだが、流石にこの未知の来訪者の件を何も知らないまま放置するのは、自分達にとっても不味いのではないかと、議論の末調査の決定がなされ、この黒竜はその事を調べるため単身調査に乗り出した。
2 人型で市井に紛れ込み、竜人族であることを秘匿して情報収集に励むつもりだったのだが、その前に一度しっかり休息をと思い、この一つ目の山脈と二つ目の山脈の中間辺りで休んでいた所、黒いローブを着た少年が一日かけて闇魔法を使い洗脳されてしまった。
3 黒ローブの少年に従わされ魔物の洗脳の手伝いをされていたところ山の調査に来ていたウィルたち冒険者を発見、洗脳のことを知られては不味いと判断した黒ローブに差し向けられた
4 気が付いたらフルボッコにされて尻に異物を挿入されていた
だが竜人族は肉体・精神共に強靭なタフネスを誇る。いくら竜化しての睡眠だったとはいえあそこまで完璧に洗脳できるはずがないのだ。つまりそれだけ桁外れの術師だったという事である。正気に戻れた理由がハジメの一突きというのが残念過ぎるが……
「……ふざけるな」
事情説明を終えた黒竜に、そんな激情を必死に押し殺したような震える声が発せられた。皆が、その人物に目を向ける。拳を握り締め、怒りを宿した瞳で黒竜を睨んでいるのはウィルだった。
「ふざけるなよ。洗脳されていたからってあの人たちを殺したのは仕方ないとでも言うつもりか!」
拳を握りしめ、怒りをを宿した声で黒龍を睨みつける。どうやら、状況的に余裕が出来たせいか恩人の冒険者達を殺されたことへの怒りが湧き上がったらしい。激昂して黒竜へ怒声を上げる
〝………〟
対する黒竜は、反論の一切をしなかった。ただ、静かな瞳でウィルの言葉の全てを受け止めるよう真っ直ぐ見つめている。その態度に少々落ち着きを取り戻しながらも絞り出す様に声を出す
「……分かっていますよ……恐らくあなたの言っていることが本当だってことは……それでも、あの人たちを殺したってことは変わりないじゃないですか……」
親切にしてくれた先輩冒険者達の無念を思いだし悔しそうに顔をゆがめるウィルを見て、黒竜が懺悔するように、声音に罪悪感を含ませながら己の言葉を紡ぐ。
“……今話したのは真実じゃ。竜人族の誇りにかけて嘘偽りではない。じゃが操られていたとはいえ、妾が罪なき人々の尊き命を摘み取ってしまったのは事実。償えというなら、大人しく裁きを受けよう。だが、それには今しばらく猶予をくれまいか。せめて、あの危険な男を止めるまで。あの男は、魔物の大群を作ろうとしておる。竜人族は大陸の運命に干渉せぬと掟を立てたが、今回は妾の責任もある。放置はできんのじゃ……勝手は重々承知しておる。だが、どうかこの場は見逃してくれんか”
竜人族は高潔で清廉。己の誇りにかけて、とまで言ったのだから嘘はないのだろう。
黒竜の言葉を聞き、自然と全員の視線がハジメに集まる。このメンバーの中では、自然とリーダーとして見られているようだ。実際、黒竜に止めを刺そうとしたのはハジメなので、決断を委ねるのは自然な流れとなったのだろう。
そのハジメの答えは、
「お前の都合なんて俺が知るわけないだろ。運が悪かったと諦めてくれ」
そう言って義手の拳を振りかぶった。
“待つのじゃー! お、お主、今の話の流れで問答無用に止めを刺すとかないじゃろ! 頼む! 詫びなら必ずする! 事が終われば好きにしてくれて構わん! だから、今しばらくの猶予を! 後生じゃ!”
ハジメは冷めた目で黒竜の言葉を無視し杭をねじ込もうとするだがそれはかなわなかった。ユエがハジメの腰にしがみついたのだ
「……殺しちゃうの?」
「え? いや、そりゃあ殺し合いしたわけだし……」
「……でも、敵じゃない。殺意も悪意も、一度も向けなかった。意志を奪われてた」
どうやら、ユエ的には黒竜を死なせたくないらしい。ユエにとっては、竜人族というのは憧れの強いものらしく、一定の敬意も払っているようだ。
「そもそも質問に答えれば解放する約束だからな。考え方が物騒すぎる。もう少し気楽にやってもいいんじゃないか?」
紅とユエの言葉に複雑そうに考え込むハジメ。操られていたとはいえ、殺し合った敵だ。敵は殺す。だがパートナーが、友が生かして欲しいと言う。
「………」
〝いい感じの所申し訳ないんじゃが、迷いがあるなら、取り敢えずお尻の杭だけでも抜いてくれんかの? このままでは妾、どっちにしろ死んでしまうのじゃ……〟
「ん? どういうことだ?」
〝竜化状態で受けた外的要因は、元に戻ったとき、そのまま肉体に反映されるのじゃ。想像してみるのじゃ。女の尻にその杭が刺さっている光景を……妾が生きていられると思うかの?〟
「それは酷い……」
その場の全員が、黒竜のいう光景を想像してしまい、若干一名を除いて「うわ~」と表情を引き攣らせた。特に女性陣はお尻を押さえて青ざめている。
〝でじゃ、その竜化は魔力で維持しておるんじゃが、もう魔力が尽きる。あと一分ももたないのじゃ……新しい世界が開けたのは悪くないのじゃが、流石にそんな方法で死ぬのは許して欲しいのじゃ。後生じゃから抜いてたもぉ〟
「……ハジメ抜くぞ。手伝え」
「わかったわかった。ったく……」
その弱弱しい声音から本当に限界が近いようなので、力を込めて杭を抜こうとするが深く刺さっているのかなかなか抜けない。
「おっ? 抜けないな……お前どんだけ深く刺したんだ……」
〝あひんっあっぅう〝
「殺す気で突いたからな。そう簡単には抜けない自信がある」
〝ひゃう…そんなに力強くしないでほしぃのじゃ……〟
「捨ててくれ! そんな自信!」
〝はぁあん! ゆ、ゆっくり頼むのじゃ。まだ慣れておらっあふぅうん。やっ、激しいのじゃ! こんな、ああんっ! きちゃうう、何かきちゃうのじゃ~〟
「「頼むから黙ってろ!!」」
みっちり刺さっているので、何度か捻りを加えたり、上下左右にぐりぐりしながら力を相当込めて引き抜いていくと、何故か黒竜が物凄く艶のある声音で喘ぎ始めた。
ズボッ!!
〝あひぃいーーー!! す、すごいのじゃ……優しくってお願いしたのに、容赦のかけらもなかったのじゃ……こんなの初めて……〟
そんな訳のわからないことを呟く黒竜は、直後、その体を黒色の魔力で繭のように包み完全に体を覆うと、その大きさをスルスルと小さくしていく。そして、ちょうど人が一人入るくらいの大きさになると、一気に魔力が霧散した。
黒き魔力が晴れたその場には、両足を揃えて崩れ落ち、片手で体を支えながら、もう片手でお尻を押さえて、うっとりと頬を染める黒髪金眼の美女がいた。
腰まである長く艶やかなストレートの黒髪が薄らと紅く染まった頬に張り付き、ハァハァと荒い息を吐いて恍惚の表情を浮かべている。
見た目は二十代前半くらいで、身長は百七十センチ近くあるだろう。見事なプロポーションを誇っており、息をする度に、乱れて肩口まで垂れ下がった衣服から覗く二つの双丘が激しく自己主張し、今にもこぼれ落ちそうになっている。
「ハァハァ、うむぅ、助かったのじゃ……まだお尻に違和感があるが……それより全身あちこち痛いのじゃ……ハァハァ……痛みというものがここまで甘美なものとは……」
何やら危ない表情で危ない発言をしている黒竜は、気を取り直して座り直し背筋をまっすぐに伸ばすと凛とした雰囲気で自己紹介を始めた。まだ、若干、ハァハァしているので色々台無しだったが……
「面倒をかけた。本当に、申し訳ない。妾の名はティオ・クラルス。最後の竜人族クラルス族の一人じゃ。そしてこの目つきの悪いのがフー。妾の従者じゃな
「今更取り繕っても手遅れやで姫サン。誇りもクソもないわ」
ティオ・クラルスと名乗った黒竜は、次いで、黒ローブの男が、魔物を洗脳して大群を作り出し町を襲う気であると語った。その数は、既に三千から四千に届く程の数だという。何でも、二つ目の山脈の向こう側から、魔物の群れの主にのみ洗脳を施すことで、効率よく群れを配下に置いているのだとか。
魔物を操ると言えば、そもそもハジメ達がこの世界に呼ばれる建前となった魔人族の新たな力が思い浮かぶ。それは愛子達も一緒だったのか、黒ローブの男の正体は魔人族なのではと推測したようだ。
しかし、その推測は、ティオによってあっさり否定される。何でも黒ローブの男は、黒髪黒目の人間族で、まだ少年くらいの年齢だったというのだ。それに、黒竜たるティオを配下にして浮かれていたのか、仕切りに「これで自分は勇者より上だ」等と口にし、随分と勇者に対して妬みがあるようだったという。
黒髪黒目の人間族の少年で、闇系統魔法に天賦の才がある者。ここまでヒントが出れば、流石に脳裏にとある人物が浮かび上がる。愛子達は一様に「そんな、まさか……」と呟きながら困惑と疑惑が混ざった複雑な表情をした。限りなく黒に近いが、信じたくないと言ったところだろう。
とそこでハジメが突然声をあげた。どうやらティオの話を聞いてから無人偵察機を出し魔物の群れを探していたらしい。そこで無人探査機の一機がとある場所に集合する魔物の大群を発見した。その数は…
「へぇ、これは三、四千ってレベルじゃないな。桁がもう一つ追加されるレベルだ」
ハジメの報告に全員が目を見開く。しかも、どうやら既に進軍を開始しているようだ。方角は間違いなくウルの町がある方向。このまま行けば、半日もしない内に山を下り、一日あれば町に到達するだろう。
「は、早く町に知らせないと! 避難させて、王都から救援を呼んで……それから、それから……」
事態の深刻さに、愛子が混乱しながらも必死にすべきことを言葉に出して整理しようとする。愛子の言う通り、一刻も早く町に危急を知らせて、王都から救援が来るまで逃げ延びるのが最善だ。
と、皆が動揺している中、ふとウィルが呟くように尋ねた。
「あの、ハジメ殿達なら何とか出来るのでは……」
その言葉で、全員が一斉にハジメの方を見る。その瞳は、もしかしたらという期待の色に染まっていた。
「できるな」
「いや、やらないからな? 俺達の仕事は、ウィルをフューレンまで連れて行く事だ。保護対象連れて戦争なんてしてられるか。いいからお前等も、さっさと町に戻って報告しとけって」
愛子は、ハジメの言葉に、また俯いてしまう。そして、ポツリと、ここに残って黒いローブの男が現在の行方不明の清水幸利なのかどうかを確かめたいと言い出した。生徒思いの愛子の事だ。このような事態を引き起こしたのが自分の生徒なら放って置くことなどできないのだろう。
しかし、数万からなる魔物が群れている場所に愛子を置いていくことなど出来るわけがなく、園部達生徒は必死に愛子を説得する。しかし、愛子は逡巡したままだ。その内、じゃあ南雲が同行すれば…何て意見も出始めた。いい加減、この場に留まって戻る戻らないという話をするのも面倒になったハジメは、愛子に冷めた眼差しを向ける。
「取り合えず一度町に戻ろう。逃げるにしても迎え撃つにしても、一度このことを伝えないと」
不穏な空気になってきたことを察し、紅が締める。ここで話していても埒が明かない、とハジメ達も下山の準備を始めた。
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ウルの町に帰還する途中で愛子親衛隊がいたが華麗にスルーし何やかんやで ウルの町に着く一行。魔力駆動四輪が行きよりもなお速い速度で帰り道を爆走し、整地機能が追いつかないために若干グロッキーになっているが、無事に到着することができた。
ハジメは愛子の注文通りにウルの町についたので愛子たちを下ろしてウィルをフューレンへ送ろうとしたが、ウィルがすぐに町長の居る所へ飛び出していったため仕方なく後を追いかけた。
町の中は、活気に満ちている。料理が多彩で豊富、近くには湖もある町だ。自然と人も集う。まさか、一日後には、魔物の大群に蹂躙されるなどは夢にも思わないだろう。ハジメ達は、そんな町中を見ながら、そう言えば昨日から飯を喰っていなかったと、屋台の串焼きやら何やらに舌鼓を打ちながら町の役場へと向かった。
「………」
「紅さん行かないんですか?」
「ちょっと離れてる。シア、ハジメが悪さしないか見てやってくれ」
「? 了解です!」
ようやく町の役場に到着した頃には既に場は騒然としていた。ウルの町のギルド支部長や町の幹部、教会の司祭達が集まっており、喧々囂々たる有様である。皆一様に、信じられない、信じたくないといった様相で、その原因たる情報をもたらした愛子達やウィルに掴みかからんばかりの勢いで問い詰めている。それを面倒くさそうと判断した紅は、ハジメに押し付けて町の外へと歩いて行った。
「む? なにやら話し合いをするのではなかったのか?」
「向こうはハジメに任せることにした。リーダーはあいつだ。それよりもティオ……さんとフーだったか。西村紅だ、よろしく。……それで冒険者たちを襲ったこと、償う気はあるんだよな?」
「無論、竜人族の誇りにかけて偽りはない。それがどうかしたのかの?」
「これから攻めてくる魔物の殲滅に協力してほしい。殲滅自体は可能だと思うんだが、守りながらとなると話は別だ。確実に穴ができる」
「おいちょっと待てや。何勝手に話進めと「少し黙っておれ」」
ただの魔物がどれだけ群れた所で問題ない。だが防衛戦となると別だ。紅だけ無事で後には魔物の死体と破壊されたウルの町だけが残るだろう。それでは何の意味もないのだ。
勝手に話を進めていく紅とティオにフーが口を挟もうとするも、ティオの一言によって制される。
「お主の言う事は承知した。じゃがご主……ゴホン。彼が話に乗るかは分からんのではないか? ウィル坊の救出が最優先なんじゃろう?」
「何だかんだ言って町を守ることになると思うが……仮にそうならなかったとしてもオレは残って迎え撃つ。元々、旅の目的が違うからな」
「……なにやら訳アリの様じゃな。あいわかった。では交換条件、という訳ではないのじゃが少し頼みごとを聞いてもらえんかのう?」
「察しはついてる。ハジメから旅の同行許可を貰えるよう協力して欲しいんだろ。いいよ、戦力は多いに越したことはない」
紅の言葉に目を見開く。あっさり許可を貰えたこともそうだが、考えを読まれていたことに驚いていた。
「だがら勝手に話を進めんなや。ワシは誇りなんて下らんものないからな、こんな町ほっといて里に帰るで」
「フー、お前が何故ドルニーアの魔法を使えるのか知らないが、この際どうでもいい。その魔法は大群に対して比類なき性能を持ってるからな。……協力してくれないなら危険だし殺すしか……」
「どんな脅しやねん!? ハァ~もう嫌やぁ、これも全部呑気に昼寝して洗脳されたどっかのアホのせいやで」
「わ、悪かったとは思っとるよ。相手が悪かったのじゃ」
すると話し合いが終わったらしいハジメ達が続々と歩いてくる。先頭のハジメは紅の姿を見つけると能面のような無表情で近づいてきた。
「お前シアに何言いやがったんだコラ」
「は? 特に何も言ってないけど……なんかあったのか?」
「……俺が町を救うかどうかで先生と口論してた時、いきなり膝カックン喰らわされたんだが? 聞いたらお前の指示だって言うじゃねぇか。おうこらいい訳なら聞くぞ」
「悪さしないか見ててくれとは言ったが……そんな事よりどうするんだ? この町を守るのか見捨てるのか」
そんなことで切り捨てる紅に青筋を浮かべるハジメだったが、必死に自分を抑え込んでいる。その様子に成長(?)を感じてウンウンと頷いた。
「先生に説得されちまったからな。とりあえず今回は救う方向でいく。……お前こうなること分かってただろ」
「オレは最初から助けるつもりだったぞ。まあ最悪一人でもやるつもりだったからかなり楽だけどな」
「一人でって……敵の数分かってて言ってんのか……?」
無論、分かってて言っているのだろうと察したハジメは心底呆れ返っていた。
だがこれで心置きなく戦える。そんな様子の紅に深く溜息を吐きながら、ウルの町を助ける算段を考えるハジメだった。
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ウルの町。北に山脈地帯、西にウルディア湖を持つ資源豊富なこの町は、現在、つい昨夜までは存在しなかった“外壁”に囲まれて、異様な雰囲気に包まれていた。
この“外壁”はハジメが即行で作ったものだ。魔力駆動二輪で、整地ではなく“外壁”を錬成しながら町の外周を走行して作成したのである。もっとも、壁の高さはハジメの錬成範囲が今現在は半径六メートル位で限界なので、思ったほど高くはない。大型の魔物ならよじ登ることは可能だろう。一応、万一に備えてないよりはマシだろう程度の気持ちで作成したので問題はない。そもそも、壁に取り付かせるつもりなどないのだから。
町の住人達には、既に数万単位の魔物の大群が迫っている事が伝えられている。魔物の移動速度を考えると、夕方になる前くらいには先陣が到着するだろうと。当然だが住人はパニックになった。町長を始めとする町の顔役たちに罵詈雑言を浴びせる者、泣いて崩れ落ちる者、隣にいる者と抱きしめ合う者、我先にと逃げ出そうとした者同士でぶつかり、罵り合って喧嘩を始める者。明日には、故郷が滅び、留まれば自分達の命も奪われると知って冷静でいられるものなどそうはいない。彼等の行動も仕方のないことだ。
だが、そんな彼等に心を取り戻させた者がいた。愛子だ。漸く町に戻り、事情説明を受けた護衛騎士達を従えて、高台から声を張り上げる“豊穣の女神”。恐れるものなどないと言わんばかりの凛とした姿と、元から高かった知名度により、人々は一先ずの冷静さを取り戻した。畑山愛子、ある意味勇者より勇者をしている。
冷静さを取り戻した人々は二つに分かれた。すなわち、故郷は捨てられない、場合によっては町と運命を共にするという居残り組と、当初の予定通り、救援が駆けつけるまで逃げ延びる避難組だ。居残り組の中でも女子供だけは避難させるというものも多くいる。愛子の魔物を撃退するという言葉を信じて、手伝えることは何かないだろうかと居残りを決意した男手と万一に備えて避難する妻子供などだ。深夜をとうに過ぎた時間にもかかわらず、町は煌々とした光に包まれ、いたる所で抱きしめ合い別れに涙する人々の姿が見られた。
避難組は、夜が明ける前には荷物をまとめて町を出た。現在は日も高く上がり、せっせと戦いの準備をしている者と仮眠をとっている者とに分かれている。居残り組の多くは“豊穣の女神”一行が何とかしてくれると信じてはいるが、それでも自分達の町は自分達で守るのだ! 出来ることをするのだ! という気概に満ちていた。
「正直、避難してもらった方がやりやすいんだけど……」
「居ようが居まいが変わらねぇよ」
町を背にするように城壁に腰かけ、魔物が来るのを待つ。準備も既に終わっており後は迎え撃つだけなのだが、その時間が如何せん暇なのだ。
「暇だな。……………こっちから攻めた方が被害少なくなるんじゃないか?」
「おう行ってこい。俺達はここで高みの見物と洒落込むさ」
「………。そう言えば、さっきからユエの様子がおかしいけどどうした?」
「ティオさんを見て、竜人族に抱いていた憧れと尊敬の気持ちが砕けたって言ってましたけど……」
「……あれが、竜人族?」
「あの二人が特殊すぎるだけだろ。片方は変態だし、もう片方は〝誇りなんてクソほどの価値もない〟って言い切りやがったし」
「変態なのはどう考えてもハジメのせい」
そんなこんなで話しているうちに愛子と生徒達、ティオ、ウィル、デビッド達数人の護衛騎士がやって来た。愛子は黒ローブの人物を殺さないで連れてきてほしいとハジメに頼み込む。ハジメ自身にも思うところがあったのか、意外な事にその頼みを承諾した。
愛子の話が終わったのを見計らって、今度は、ティオが前に進み出てハジメに声をかけにいく。
「西村君、少しいいですか?」
「……………………………今ちょっと忙しいです」
「なぜ嘘を吐くんですか?」
ハジメとの話が終わった愛子は次いで紅の所へやってきた。
「え、説教されるのでは……」
「怒られるようなことをしたんですか?」
問い返されて思わず黙ってしまう。無いかと聞かれれば無い気がするし、あるかと聞かれればある気もする。
「今回はお説教ではありません! ただ君とはゆっくり話す時間がなかったので……」
「……そうでしたっけ」
言われてみれば確かにそうだ。ハジメは直接先生の部屋へ行ったり、車の中で話したりしたみたいだが、紅はその辺りがまったくである。
「別に避けてた訳じゃないんですけどね」
「ええ、わかってます。ただこれから魔物の大群と戦うのに、このままではいけないと思っただけです。……本当は君達に危ない事をさせたくはないのですが……」
「大丈夫です、心強い仲間もいますから。むしろ心配なのは先生やハジメの方ですね」
「え? 戦う力がない私はともかく、南雲君もですか? 先ほど話した時も普段通りリラックスしていたように見えましたが……」
「清水の事です。魔物相手に傷を負うなんて端から考えてません。仮に魔物の群れを率いてくる黒ローブの男が清水だった場合、先生が壊れてしまわないかが心配なんです」
先程のハジメ達の会話は聞こえていた。ハジメが黒ローブを生かして連れてくると。黒ローブが清水だったとしても愛子は許し、罪を償わせようとするだろう。それこそまさしく、女神のように。
「先生は強い人だ。肉体ではなく精神が、オレ達の様な子供よりも遥かに。……問題はハジメです。アイツの信条は〝敵は殺す〟なので、最終的には清水を殺そうとするかもしれない」
「ッ! まさか、いくら今の南雲君でもクラスメイトは―――!」
「もちろん、そうならないよう気を付けはしますけどね。だから心配なのは、これから起こる魔物の殲滅戦ではなく
たとえ罪を犯したとしても、紅にとって人とは須らく『守らなければならないもの』である。だからこそハジメに殺しをさせない様にしているし、かつて樹海で襲ってきた帝国兵をも守ろうとした。紅にとっては人に害を為す
数ヵ月前の、日本にいた頃とは変わってしまったと自他ともに認めている紅とハジメだが、何もかも変わってしまった訳ではない。そのことに、愛子は少しだけ安堵する。
「西村君のお話はよく分かりました。その上でどうか、私の我儘なお願いを聞いてもらえますか?」
「え、あ、はい。なんですか」
真剣な目で紅を見つめる愛子に、ちょっとだけ気圧される紅。相変わらず愛子には逆らえないようだ。
「どうか君が南雲君を支えてあげてください。教師の私でも、こ、恋人のユエさんでもなく、
「……そんな大層なものでもないですけどね」
愛子の言葉に苦笑いで返す。自分がいてもいなくても、ハジメは前を向いていけると識っているから。むしろ彼の旅に自分は邪魔なのでは、とさえ思う。
「…………先生、オレからも一つ聞いてもいいですか」
「ええ、なんでしょうか?」
「今ここにいない人達……天之河達は無事ですか?」
それはずっと気になっていたこと。気になっていたが勇気が出なかった問い。ハジメと一緒に奈落に落ちなかった未来では、勇者パーティーと組んで迷宮攻略をしていた。未来と同じであれば無事なのだろうが、既に多くの事が変化している。
本気で心配している紅に顔を綻ばせた愛子は、安心させるように言葉を紡いだ。
「大丈夫ですよ。報告では誰一人死傷者は出ていません。それどころか最近は人類未踏の階層まで進出したと聞いています」
「───よかった」
死傷者なし。その報告だけで十分だった。無意識に緊張していたのだろう、肺にたまった空気をゆっくりと吐き出していく。
「できれば迷宮攻略もやめて、平和に生きていてくれればいいんですけどね。白崎さんがいる以上無理か……」
「ふふふ、はい。皆が君達は死んだと言っても、彼女だけは諦めていませんでした。自分の目で確認するまで、君達の生存を信じると。今も、オルクス大迷宮で戦っています。天之河君達は純粋に実戦訓練として潜っているようですが、彼女だけは君達を探すことが目的のようです」
「どうですかね。ハジメの事で一杯一杯になって、オレの事なんて忘れているかもしれませんよ」
彼女ならありえる、と考えている紅に愛子は目を逸らすだけだった。手紙でやり取りしているらしいが、よもや本当に忘れられていたのではと不安になる。
「で、ですが八重樫さんは君の事を忘れていないと思いますよ! 白崎さんと一緒に二人を探すと書いてありましたので!」
「───八重樫さんが、ですか?」
「? はい、八重樫さんが、ですけど……」
意外そうに目を見開く。あまり接点のなかった自分の生存を信じてくれていることへの嬉しさを感じ、次いで、まだ『約束』を守ろうとしてくれている事に申し訳なく思ったのだ。
「……そうですか。なら機会があれば一度顔を出しに行きます」
「本当はこのまま皆と合流してくださるのが一番なんですけどね……」
困ったように笑う愛子だが、強制させないのは紅達の事情をハジメから聞いたからだろう。頭ごなしに否定するのではなく、事情を聴き、受け入れ、尊重する。言葉にするのは簡単だが実行するのは難しい。これほどまでに〝強い〟人は中々いないだろう。それが彼女の魅力であり、多くの人に好かれる理由だ。
「ありがとうございます、先せ「紅! すまぬが援護を頼む!」……すみません、ちょっと行ってきます」
「ふふふ。はい、行ってきてあげて下さい。何やら困っているようなので」
助けを呼ぶティオの声に、イヤそうな顔をしながら愛子に頭を下げてその場を後にした。
去っていく紅の背中が日本に居た頃と重なって見える。確かに失ったものは多いのだろう。だが無くなっていないものもまた確かにある。否、以前よりも『大切』なものが増えたからか、肉体以上に精神面が大きく成長したように感じる。
「どうかご無事で……」
無力な自分には祈ることしかできない。大人として守ることもできず、ただ無事に帰ってくることを信じて待つことしか。だがその事実を前にしてなお、俯くことなくこれから戦場へと赴く教え子たちの姿を目に焼き付けていた。