決して、眠りが浅かったという訳ではない。どちらかと聞かれればかなり深かったと言えるだろう。
「……っ!」
布団を投げ飛ばしてベッドから飛び起きる。辺りは既に朝───ではない。少し日が沈み始めている。半日以上も寝ていた事に少しばかり動揺するが、ひとまず横に置いておく。寝過ごしたことなど問題ではない。本当に問題なのは紅が今、
「ハジメ……?」
微かにだが遠くからハジメ達の殺気を感じる。
別に、ただチンピラに絡まれただけであればこうはなるまい。だが今なお、遠くから感じるこの殺気。つまり、何者かと戦闘中だということだ。
「…………ここ街中だぞ」
ソファーの背もたれに掛かっていたコートを掴み、窓から飛び出す。
無論、それはハジメ達を心配してのものではなかった。
屋根伝いにハジメの気配がする方へと走る。いや、ここまでくれば気配もクソもないだろう。明らかに破壊されたばかりの建物が前方に見えており、そこからは濃厚な血の匂いがする。
「上か」
建物の上空、黒いコートを靡かせてながら空を踏みしめる厨二病患者がいた。全ての元凶であろう彼は、何かを抱えているようだが知った事じゃない。
氣による飛行術を会得している紅にとって、その高さまで追い縋ることは容易だ。
後はどうやって地上に叩き落そうかと思案していたその瞬間、フューレン全体に轟くほどの轟音と共に周囲の建物をも巻き込んで凄絶な衝撃が走った。街中の至る所から音と衝撃が届く。爆炎が猛烈な勢いで上空に上がり、夕日とは違った赤で周囲の建物と空を染め上げた。
「………」
ストン、と表情が抜け落ちる。全力で目を背けていた現実が目の前にあり、それを成した元凶は高笑いをしていた。
◇
「倒壊した建物二十二棟、半壊した建物四十四棟、消滅した建物五棟、死亡が確認されたフリートホーフの構成員九十八名、再起不能四十四名、重傷二十八名、行方不明者百十九名……で? 何か言い訳はあるかい?」
「……壊した建物は、責任を持って直させます……」
「はぁ~~~~~~~~~」
冒険者ギルドの応接室で、報告書片手にジト目でハジメを睨むイルワだったが、ハジメの代わりに頭を下げている紅と、出された茶菓子をモリモリ食べている幼女に激しく脱力する。
紅は紅で、想像以上の被害に顔を青くさせていた。
「すみません、何が何でも責任は取らせるので………立てハジメ。自分の尻くらい自分で拭いたらどうなんだ」
「………(チ~ン)」
「というか、ハジメ君が一番ひどい状態だよね? 一体何があったんだい?」
現在、ハジメは意識を飛ばして机の上で伸びていた。
理由は単純。あの後地上に降りてきたハジメを、紅がシメたからだ。具体的には顔が倍に膨れるほど殴り続けた。これだけの被害を出しておいてこの程度で済んだのだ。まだマシだったと思いたい。
「気にしないでください。むしろ何があったのか聞きたいのはこっちでして……」
後ろに立つ、ユエ、シア、ティオの三名を睨む。すると揃って顔をそむけた。それで隠せると思っているのだろうか。
「まさかと思うけど……メアシュタットの水槽やら壁やらを破壊してリーマンが空を飛んで逃げたという話……関係ないよね?」
「……………、すみません」
紅もイルワも、シアの目が一瞬泳いだことを見逃さなかった。再び、深い、それはもうとても深い溜息を吐く。片手が自然と胃の辺りを撫でさすり、傍らの秘書長ドットが、さり気なく胃薬を渡した。
メアシュタットというのが何かは知らないが、リーマンは人の顔をした〝念話〟の固有魔法を持つ魚型の魔物だ。攻撃能力などは皆無であり、空を飛ぶなんて聞いたことがない。理由は不明だが間違いなくハジメ達の仕業だろう。
「シア、全て説明しろ。元凶のバカがまだ寝てるからな」
「……え~とですね、まず私とユエさんとハジメさんで観光地に遊びに行きまして~」
「うん」
「楽しく買い食……ではなく遊んでいたらハジメさんが下水道から子供の気配を感じる、と……」
「……それがこの娘か」
紅は美味しそうに茶菓子を食べている子供に視線を移す。その子供は、見た目三、四歳といったところ。エメラルドグリーンの長い髪と幼いが整った可愛らしい顔立ちをしている。だが何より特徴的なのは、その耳だ。通常の人間の耳の代わりに扇状のヒレが付いていた。
(海人族。………誘拐か)
海人族は、亜人族としてはかなり特殊な地位にある種族だ。西大陸の果、【グリューエン大砂漠】を超えた先の海、その沖合にある【海上の町エリセン】で生活している。彼等は、その種族の特性を生かして大陸に出回る海産物の八割を採って送り出しているのだ。そのため、亜人族でありながらハイリヒ王国から公に保護されている種族なのである。
「きみ、名前は?」
「みゅ? ミュウはミュウなの!」
「……そうか。よく頑張ったなミュウ」
子供は苦手だ。行動が読めない。それでいて傷つきやすく、死にやすい。触れることすら最大限に警戒しなければ怖がらせてしまう。
だが子供は宝だ。人の未来を背負い、築いていく彼女達は命に代えても守らなければならない。
「……この子が今ここにいるって事は」
「はい。ミュウちゃんを救出した後、保安署に連れて行って保護して貰ったんですが……」
ハジメ達が立ち去った後、保安署から爆音と黒煙が上がり、急いで保安署に戻るとミュウは連れ去られており、更にはユエとシアの身柄までも要求されたそうだ。
なるほど、シアはともかくユエを狙われたとなるとハジメがここまで動くのも理解できる。無論、納得はしていないが。
「それでその組織を含めて関連している全ての組織を潰した、と」
「は、はいですぅ……」
これには顔を顰めるしかない。敵対した以上禍根を残さないよう徹底するのは理解できる。そのために建物を破壊し、組織の人間を皆殺しにしたとしても、だ。
別に紅はどこぞの勇者の様に人を殺すことを悪だと断じているわけではない。ただ紅にとって『人類とは守るもの』であり敵とは『人類に仇なすすべて』である。人に感情があり、土地や食料が有限である以上人間同士の争いが無くなることはない。
叶うならば少しでも多くの人を救いたい。だが、自分の手がどこまでも届くわけじゃないことを、紅は嫌というほど知っていた。
それでも人間同士で争う事は無駄で醜いと思うし、人が死ぬと悲しくもなる。
「……胃が痛い」
「胃薬です。どうぞ……」
「ありがとうございます……」
ドットがイルワに渡した物と同じ胃薬を紅に渡す。効くかどうかはともかく、その心遣いだけで苦しみが和らいだ気がした。
これもすべてはハジメのせい。今も気を失っている
「いい加減に起きろハジメ。狸寝入りするな。バレてるぞ」
「…………わりとさっきまで本当に気絶してたんだけどな」
結果として大暴れしたハジメ達の処遇については、イルワが関係各所を奔走してくれたおかげと、意外にも治安を守るはずの保安局が、正当防衛的な理由で不問としてくれたので特に問題はなかった。どうやら、保安局としても、一度預かった子供を、保安署を爆破されて奪われたというのが相当頭に来ていたようだ。
「それで、そのミュウ君についてだけど……」
イルワがはむはむとクッキーを両手で持ってリスのように食べているミュウに視線を向ける。ミュウは、その視線にビクッとなると、またハジメ達と引き離されるのではないかと不安そうにハジメやユエ、シアを見上げた。
「提案としては、こちらで預かって正規の手続きでエリセンに送還するか、君達に預けて依頼という形で送還してもらうか、二つの方法があるが……」
「ハジメさん……私、絶対、この子を守ってみせます。だから、一緒に……お願いします」
シアがハジメに頭を下げる。どうしても、ミュウが家に帰るまで一緒にいたいようだ。紅とユエとティオは、ハジメの判断に任せるようで沈黙したままハジメを見つめている。
「お兄ちゃん……一緒……め?」
「……まぁ、最初からそうするつもりで助けたからな……ここまで情を抱かせておいて、はいさよならなんて真似は流石にしねぇよ」
「ハジメさん!」
「お兄ちゃん!」
満面の笑みで喜びを表にするシアとミュウ。
問題があるとするなら【海上の都市エリセン】に行く前に【大火山】の大迷宮を攻略しなければならないことなのだが、それに関してはハジメがなんとかしてくれるだろう。
「がんばれよ、お兄ちゃん?」
「う、うるせぇ! な、なあミュウ? その、お兄ちゃんってのは止めてくれないか? 普通にハジメでいい。何というかむず痒いんだよ、その呼び方」
ハジメの要求に、ミュウはしばらく首をかしげると、やがて何かに納得したように頷き……ハジメどころかその場の全員の予想を斜め上に行く答えを出した。
「……パパ」
「………………な、何だって? 悪い、ミュウ。よく聞こえなかったんだ。もう一度頼む」
「パパ」
「……そ、それはあれか? 海人族の言葉で〝お兄ちゃん〟とか〝ハジメ〟という意味か?」
「ううん。パパはパパなの」
「うん、ちょっと待とうか」
ハジメが、目元を手で押さえ揉みほぐしている内に、シアがおずおずとミュウに何故〝パパ〟なのか聞いてみる。すると……
「ミュウね、パパいないの……ミュウが生まれる前に神様のところにいっちゃったの……キーちゃんにもルーちゃんにもミーちゃんにもいるのにミュウにはいないの……だからお兄ちゃんがパパなの」
「何となくわかったが、何が〝だから〟何だとツッコミたい。ミュウ。頼むからパパは勘弁してくれ。俺は、まだ十七なんだぞ?」
「やっ、パパなの!」
「わかった。もうお兄ちゃんでいい! 贅沢はいわないからパパは止めてくれ!」
「やっーー!! パパはミュウのパパなのー!」
「仮に百歩譲って俺がパパなら、紅はどうなんだ!? 俺がパパならコイツもパパだろ!?(錯乱)」
「違うの。パパはパパで、お兄ちゃんはお兄ちゃんなの」
「なんでっ!?」
その後、あの手この手でミュウの〝パパ〟を撤回させようと試みるが、ミュウ的にお兄ちゃんよりしっくり来たようで意外なほどの強情さを見せて、結局、撤回には至らなかった。ちなみに〝ママ〟は本物のママしかダメらしく、ユエもシアもティオも〝お姉ちゃん〟で落ち着いている。
この日、ハジメは十七歳でパパになった……これより子連れの旅が始まる、のかもしれない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
場所は移り、ハイリヒ王国。その王城のとある一室。
「……ふむ」
カーテンを閉め切り、暗くなった室内で壁に映像を映し出している少女。つい最近雫の専属になったメイド、エリス・ヨークシアだ。
普段からは考えられない鋭い目つきで、壁面に投影されている西村紅という異世界人の戦闘映像を睨んでいた。
本来ならば「なぜ異世界にカメラとプロジェクターが!?」「そもそもいつ撮影したんだ!?」などツッコむところだが、この空間にそんな人物はいない。
ただ静かに、食い入るように、壁に穴が開きそうな程真剣に、映像の中の紅を見つめ……口角を高く吊り上げた。
「───素晴らしい。素晴らしい! この戦闘力、この殲滅力! どういう原理で銀気を身に纏っているのか知らんが、この『強さ』は是非とも欲しい!!」
ククク、と獰猛に笑うエリス。雰囲気も口調もまるで別人だ。
そのエリスの後ろ、片膝をついて頭を下げている人影が二つ。片や細身の中年男性。片や布面積の少ない猫耳と尻尾の生えた少女である。
「
「「はっ」」
エリスの一声に姿勢を崩すことなく答える二人。
「エリス様一の
「エリス様一の
「「この身は常にあなた様のお側に。なんなりと御命令を」」
「
それに視線を向ける事なく、エリスは誰も予想しなかった爆弾を投下した。
「ですが間違いなくネビュリムかボルギウス、あるいはその両方が近くにいるでしょう。あなた達で足止め、可能ならば始末しなさい」
ここで初めて、エリスは後ろを振り返る。自身に忠誠を誓う両者へと視線を流し、次いで花が咲いたかのようにニッコリと笑ってパンッと手を叩く。
「連携が重要です! 皆で力を合わせて竜王を殺しましょう!」
それはゾッとするほど冷たく、心臓を握られたと錯覚するほど恐ろしい笑みだった。