響き渡り消えゆくベヒモスの断末魔。ガラガラと騒音を立てながら崩れ落ちてゆく石橋。
そして瓦礫と共に奈落へと吸い込まれるように消えてゆく紅とハジメ。
その光景を、まるでスローモーションのように緩やかになった時間の中で、ただ見ていることしかできない香織は自分に絶望する。
それは雫も同様だった。
昨夜のことを思い出す。
不安に駆られて夜風を浴びようと宿屋の中庭出た時の事。そこではクラスメイトの西村紅が倒れていた。
体調が悪いのか、あるいは怪我でもしたのかと急いで駆けつけてみたらただ眠っていただけで「人騒がせな……」と思ったものだ。
だが紅は異常な程に魘されていた。全身から汗を流し、何かに耐えるように呻いていた。これはさすがに尋常ではないと思い名を呼ぶ、揺するなどして起こそうと試みた。
そうだ、あの時は気が付かなかったが自分以上に大変な状況にいた紅を見て、緊張も不安もいつの間にか吹っ飛んでいた。それに気づいたのが部屋に戻ってからだったが……。
だが、あの晩、一番重要なことは、雫が約束をしたことだ。
紅達を、みんなを守るという約束。戦う力のないくせに態度だけは大きかった少年との約束だ。奈落の底へ消えた紅達を見つめながら、その時の記憶が何度も何度も脳裏を巡る。
「離して! 南雲くんの所に行かないと! 約束したのに! 私がぁ、私が守るって! 離してぇ!」
飛び出そうとする香織を光輝が必死に羽交い締めにする。香織は、細い体のどこにそんな力があるのかと疑問に思うほど尋常ではない力で引き剥がそうとする。
このままでは香織の体の方が壊れるかもしれない。しかし、だからといって、断じて離すわけにはいかない。今の香織を離せば、そのまま崖を飛び降りるだろう。それくらい、普段の穏やかさが見る影もないほど必死の形相だった。いや、悲痛というべきかもしれない。
(そうよ。香織だって南雲君と約束したって……。だったらもうこれ以上……!)
「香織っ、ダメよ! 香織!」
雫は香織の気持ちが分かっているからこそ、かけるべき言葉が見つからない。ただ必死に名前を呼ぶことしかできない。
「香織! 君まで死ぬ気か! 南雲達はもう無理だ! 落ち着くんだ! このままじゃ、体が壊れてしまう!」
それは、光輝なりに精一杯、香織を気遣った言葉。しかし、今この場で錯乱する香織には言うべきでない言葉だった。
「無理って何!? 南雲くんは死んでない! 行かないと、きっと助けを求めてる!」
誰がどう考えても助からない。奈落の底と思しき崖に落ちていったのだから。
しかし、その現実を受け止められる心の余裕は、今の香織にはない。言ってしまえば反発して、更に無理を重ねるだけだ。龍太郎や周りの生徒もどうすればいいか分からず、オロオロとするばかり。
「っ! 香織、ごめんなさいっ!」
これ以上は香織の体が危険だと判断した雫は、香織の首筋に手刀を落とした。ビクッと一瞬痙攣し、そのまま意識を落とす香織。
「雫!? なんてことをッ!」
「なんとしても!! ……これ以上一人たりとも死なせる訳にはいかないの。このままじゃ香織の方が危ないってわかるでしょ? 今は時間がないの。香織の叫びが皆の心にもダメージを与えてしまう前に、何より香織が壊れる前に止める必要があった。……ほら、あんたが道を切り開くのよ。全員が脱出するまで。……南雲君も言っていたでしょう?」
「雫の言う通りだ。もう一人も死なせるわけにはいかない。全力で迷宮を離脱するぞ」
雫の言葉にメルド団長が便乗する。それに光輝は頭を振り、切り替える。
「……はい。早く脱出しましょう」
目の前でクラスメイトが二人死んだのだ。クラスメイト達の精神にも多大なダメージが刻まれている。誰もが茫然自失といった表情で石橋のあった方をボーと眺めていた。中には「もう嫌!」と言って座り込んでしまう子もいる。
ハジメが光輝に叫んだように今の彼等にはリーダーが必要なのだ。
光輝がクラスメイト達に向けて声を張り上げる。
「皆! 今は生き残ることだけ考えるんだ! 撤退するぞ!」
その言葉に、クラスメイト達はノロノロと動き出す。トラウムソルジャーの魔法陣は未だ健在だ。続々とその数を増やしている。今の精神状態で戦うことは無謀であるし、戦う必要もない。
光輝は必死に声を張り上げ、クラスメイト達に脱出を促した。メルド団長や騎士団員達も生徒達を鼓舞する。
(これ以上約束は破れない。もう誰一人死なせない……!)
香織を担ぐ雫は一人、誰にも悟られないよう唇を噛み締めていた。
(強く、なりたい……!)
~~~~~~~~~~~~~~~
ザァーと水の流れる音がする。
冷たい微風が頬を撫で、冷え切った体が身震いした。頬に当たる硬い感触と下半身の刺すような冷たい感触に「うっ」と呻き声を上げて目を覚ました。
ボーとする頭、ズキズキと痛む全身に眉を寄せながら両腕に力を入れて上体を起こした。
「あっ、痛っ~、イテェなちくしょう……ここどこだ?」
ふらつく頭を片手で押さえながら、記憶を辿りつつ辺りを見回す。
周りは薄暗いが緑光石の発光のおかげで何も見えないほどではない。視線の先には幅五メートル程の川があり、体の半分以上が浸かっていた。
奈落に落ちていながら助かったのは全くの幸運だった。
落下途中の崖の壁に穴があいており、そこから鉄砲水の如く水が噴き出していたのだ。ちょっとした滝である。そのような滝が無数にあり、紅は何度もその滝に吹き飛ばされながら次第に壁際に押しやられ、最終的に壁からせり出ていた横穴からウォータースライダーの如く流されたのである。とてつもない奇跡だ。
「ああ、そういえばオレ達落ちたんだっけ。……? ハジメ? おいハジメ!?」
もう一度辺りを見回す。だがハジメの姿はどこにもない。
「まさかはぐれて……!」
マズイ。ただでさえ戦闘力皆無のハジメと紅二人でも心もとないというのに(かなり下の方だろう)この階層では死しかない。
「クソッ! ……はっくしゅん! 寒っ。そういえば鎧を着たまま水につかってるんだった……」
地下水という低温の水にずっと浸かっていた為に、すっかり体が冷えてしまっている。このままでは低体温症の恐れもあると早々に川から上がる紅。ガクガクと震えながら鎧と服を脱ぎ、絞っていく。
「ああ~魔法が使えれば火が焚けたんだけどなぁ……ううっ寒い」
とにかく服が乾くまでおとなしくするしかない。だがただジッとしていても体温が奪われていく。ならばやるべきことは一つ。
「運動、するか……」
そう言って紅は立ち上がり、走り出した。火を熾せない以上他に方法はない。体力は奪われるが死ぬよりはマシだ。
ランニング、スクワット、反復横跳び、両足飛び。そして川の水で水分を補給する。菌などが怖いが、どうせ飲まなきゃ死ぬのだ。飲まずに後悔より飲んで後悔、である。「なにしてるんだろオレ……」と泣きそうになりもしたが堪えて動き続けた。
そうして一時間後。完璧とはとても言えないがある程度はマシになった服と鎧を着て出発することにする。どの階層にいるのかはわからないが迷宮の中であるのは間違いない以上、どこに魔物が潜んでいてもおかしくない。
慎重に慎重を重ねて奥へと続く巨大な通路――ではなく、その反対の道へと歩を進めた。
優先すべきは身の安全とハジメの捜索。どうせ片っ端から探さなくてはいけないのだから、まずは川の上流に行ってみよう。
「ん? あっオレの剣! よかった近くに落ちてたんだな」
だがこの判断は間違いだった。なぜならこの時、ハジメは逆の方向にいたのだから。
紅がそれを知る由もないのだが。
川に沿った道を歩く。複雑で障害物だらけだが通路の幅は優に二十メートルはある。狭い所でも十メートルはあるのだから相当な大きさだ。歩き難くはあるが、隠れる場所も豊富にあり、物陰から物陰に隠れながら進んでいった。
そうやってどれくらい歩いただろうか。
既にかなりの時間が経過しているはずだ。そろそろ疲れを感じ始めた頃、それを発見した。
行き止まりだ。
「ンまじかぁ~」
曲がり角を曲がってみるとそこには行き止まり。つまりまた最初の場所まで戻らなければならない。精神的にも体力的にもかなりキツイが、こっちにハジメはいない、という事が分かっただけ良しとしよう。
溜息を吐き、引き返そうとするも何かが動いたような気配を感じ、慌てて曲がり角に身を潜める。
そっと顔だけ出して様子を窺うと、先ほど通ってきた道から白い毛並みの狼のような魔物が歩いてきた。
その白い狼は、大型犬くらいの大きさで尻尾が二本あり、赤黒い線が体に走って脈打っている。この世界の、ましてや魔物も同様なのかは知らないが狼であれば知能も高く、耳や鼻もいいだろう。
(マズイマズイマズイマズイマズイ!)
だが本当にマズイのはその数だ。一匹一匹が恐ろしく格上。なのにあの二尾狼は五匹の群れを形成していた。逃げ場はなく、勝算もない。万事休すか……そう思われた時───
「なんだ。また貴様らか
それは現れた。
(
見た目は人間の、大男の様に見える。だが直感が、本能がそれを全力で否定する。アレは断じて人なんかではない。
「グ、グルゥア!!」
三匹の二尾狼が別々の方向から飛び掛かり、残る二匹は後方から、恐らく固有魔法であろう電撃を放つ。
だが……
「〝血は
刹那、五匹の二尾狼そのすべてが串刺しにされた。
(───ッ!?)
二尾狼を貫いたのは〝血〟。鋭利な刃物状に変化したヤツの血が突き刺さり、細切れにした。
「ふん」
感じ取れる重圧はベヒモスなどよりもさらに上、比較することさえおこがましいほどの差があった。
(けどアイツが道を塞いでいる以上何とかしないと脱出できない。どうすれば……)
「そこで潜んでいる者。出てこなければ殺す」
「っ!」
気付かれた。いや最初から気付いていたのかもしれない。どちらにしてもこれで生き残る方法は一つだけとなった。
「……待ってくれ。攻撃はしないでくれ」
「ほう驚いた。よもやここに人間が迷い込んでいたとは」
この男を殺す。それが生き残るための唯一の方法。
だが正面切って戦ったところで勝ち目はない。隙、ヤツに向かって剣を振り下ろす隙さえあれば。
「アンタは……人間じゃないよな。ましてや魔物でもない。何者だ? まさか噂の魔人族ってやつか?」
「……今、何と言った?」
空気が変わる。何かおかしなことでも言ったのだろうかと紅は内心で舌打ちする。
「───あの
膨れ上がる殺気。気が付けば紅は、全力で横っ飛びをしていた。
「同列に扱うな! このっ下等生物が!!!」
突如迷宮内を支配する膨大な光と熱。先ほど二尾狼を串刺しにした奴の〝血〟が爆せたのだ。
「ぐうっ───」
爆発の衝撃で壁に叩きつけられる。刃物になったり炎になったり、便利な〝血〟もあったものだ。
「特別だ、私の名を教えてやる。我が名は〝グリュムウェルテ〟『翼の血族』『第十位階』その矮小な脳に、この名を刻んで死ね」
そう言って大男、グリュムウェルテは獰猛に笑った。
(逃げないと……でも逃げ道は塞がれて───違うだろ!)
倒さなきゃいけない。殺さなきゃいけない。それ以外に自分の生き残る道はないのだから。
立ち上がり剣を構える。目を逸らすな。隙を探せ、と自分に言い聞かせる。
「……その銀剣。まさかこの世界にそれ程の質の
「ゼェ、ハァ……狩竜人? なんのことだ」
「いやどうでもいいことだ。どう足掻こうと貴様は死に、私の記憶にも残らないのだから」
探せ。探せ。奴の隙を!
目を逸らすな。目を逸らすな。逸らしたら死ぬぞ!
「……グルルル」
「っ!?」
「チッ。また獣か」
通路の奥、グリュムウェルテの後方から新たな魔物が現れた。
その魔物は巨体だった。三メートルはあるだろう巨躯に白い毛皮。例に漏れず赤黒い線が幾本も体を走っている。その姿は、たとえるなら熊だった。ただし、足元まで伸びた太く長い腕に、三十センチはありそうな鋭い爪が三本生えているが。恐らく二尾狼の死体の匂いでも嗅ぎ付けてきたのだろう。
その爪熊が、いつの間にか接近しており、グリュムウェルテと紅を睥睨していた。
「獣風情が誰を見下ろしている?」
「ッ!? グルルァァ!!」
先に動いたのは爪熊。本能的に脅威を感じたのか紅の方には目もくれず、グリュムウェルテに襲い掛かる。
だがやはり……。
「〝血は刃〟」
結果は同じだ。
二尾狼の時と同じように血で生成された刃物が爪熊の全身に突き刺さる。
(まだ……まだだ)
隙なんてできやしない。今動いたところで爪熊の二の舞になるだけだ。
「グ……グルルァァ!」
既に瀕死の重傷を負った爪熊は一矢報いようとその大爪を振るう。
風爪。それがこの爪熊の固有魔法だ。あの三本の爪は風の刃を纏っており最大三十センチ先まで伸長して対象を切断できる。距離も申し分ない。のだが……。
「〝
それは普通の相手だった場合。グリュムウェルテは爪が届くよりもなお早く、爪熊ごと辺り一帯を火の海にした。
(ここっ!)
そしてこれこそ、紅が狙い続けた隙だった。獲物を仕留めた瞬間、なおかつ派手に燃やしてくれたおかげで火が目隠しになっている。
一気に距離を詰め、全身の体重を乗せた銀剣を首めがけて振るう。この位置、このタイミング。もはや回避も防御も間に合わない。〝殺った〟そう確信し───
次の瞬間、銀剣が砕けた。
「なっ――」
剣の耐久性? オレの技術不足? コイツの硬度が剣を上回っていた? 頭の中で思考か加速するも答えは出ない。あるのはただ〝銀剣が折れた〟という現実のみ。
「愚かな」
突如、腹部に激痛が走り体ごと吹き飛ばされる。どうやら奴の蹴りをまともに食らってしまったらしい。鎧を着ていてなおこの威力。着ていなければ即死だっただろう。
「ぐうぁっ!」
吹き飛んだ紅は何度も弾み、転がり、川へと落ちた。
それを興味なさげに見つめるグリュムウェルテはやがて踵を返した。
「先を急ぐとしよう。トロワ様にどやされる」
彼にとっては所詮その程度の存在だったのだ。
運が良いのか悪いのか。追撃を防げたという意味では良いし、現在進行形で死にそうという意味では悪い。
落ちた川はその一部だけ極度に深くなっており、紅はそこを沈んでいく。
鎧が重く上手く動けない。そもそも動く体力などもうない。
沈んでいく。
深く深く、川の底へ。
沈んでいく。
深く深く、
目の前でハジメが死んだあの日から、すべてが変わった。
どうしてこんな目にあった?
───あの魔物共が、オレ達を襲うからだ。
なぜ魔物に襲われなくちゃいけない?
───オレ達は勇者一行でこの世界を救うために戦わなければならないからだ。
先日まで普通の学生だったオレ達に、戦いを強制させるのは誰だ?
───世界だ。国だ。騎士団だ。聖教教会だ。奴らがオレ達を拉致して地獄に落とした。
それは違うはずだ。オレ達を拉致した黒幕は誰だった? オレ達をこの地獄に呼んだのは、誰だ?
───……神だ。この世界の神、エヒトだ。奴のせいでオレ達は理不尽に戦わせられ、ハジメは死んだ。
ならばどうすればこれ以上失わない? すべてを守るにはどうすればいい?
───力だ。あらゆる理不尽をねじ伏せる、圧倒的なまでの〝強さ〟が欲しい。強くなければ何も守れない!
その日から紅は無謀な復讐を始めた。
すべての魔物を殺し尽くす。二度と失わないために、仲間と日本に帰るために。
神を、殺すために。
そして毎日のように戦い続けた。
戦う。 強くなる。 自分を限界まで鍛える。
しかし、及ばない。
戦いの中で賛同してくれる仲間を得ることもあった。だがそれすら失う。
敵は神だけではなかった。〝翼の血族〟に……あの忌々しい竜共にクラスメイトも仲間も、すべて奪われた。
失うばかりの人生。それでも戦い続ける。
限界の限界の限界の限界の限界の限界のさらにその先の強さへ───
『今になって振り返れば……オレはただ死にたかっただけなのかもしれない。だが死ななかった。オレはいつも生き残る』
真っ白な空間。そこに居たのは紅とボロボロの布を纏う銀髪の男二人。だが紅は膝をつき、顔中を大量の涙で濡らしている。
無理もない。今紅の中に流れてきたのは記憶。この男が歩んできた地獄のすべてなのだから。
「こんな……こんなのがっ」
『お前の未来。そして、
「お前がっ……」
絶望で顔を上げられない。それでも、涙の混じった声で紅は言った。
「
『……オレは
あの夢もすべて、起きた現実。
『守りたいと言いながら、自分の弱さに甘えていたお前が。本当に大切だというのなら! 自分が誰よりも強くなって守らなければいけなかった!』
男――否、未来の紅から伝わってくるのは〝怒り〟そして〝後悔〟。
『今のオレは強い! 誰よりも強い! 『竜王』とさえ渡り合える! 今なら失ったもの全て守れる!!』
『だがもう、守るものが何一つ残っていない』
『なんだこれは!? なんなんだ! 何故オレはこんなに強い!?』
『こんな強さに何の価値がある!?』
それはまるで嵐のようで。何年、何十年と溜まり続けた想いを吐き出していた。
「……だったら……オレにくれ!!」
なればこそ。その道を辿らぬために。
「いらないならくれよ! 今……今なんだ!」
覆すために。
「オレには今、
今度こそ、守るために。
『……ああ、もとよりそのつもりだ』
ズドッ
「……ぇ」
男の持つ銀剣が、紅の胸部を貫いた。
「あ……ぅぁ…?」
『お前にわかるか? あの日、今の強さがあればとどれだけ……』
ドクンッ と心臓が大きく高鳴り、それは起きた。
『悔やんだかっ……』
「う、うゔあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」
それは先ほどの比ではない膨大さ。記憶、経験、そして――
『今この瞬間、過去と未来は繋がっている。今からお前に、オレの全ての〝強さ〟を流し込む!』
───男の歩んだ、生涯のすべて。
『……代償がいると
お前に託す。お前が救え。この未来を───
───打ち砕け!
「早々にトロワ様と合流し、この迷宮の最奥にあるという例の魔法を持ち帰らねば……」
第十位階。紅に伝えたこの肩書はつまり、血族内で十番目ということである。四天王最弱とかそんな次元じゃない。
最低でも九体、コイツより強い者がいるという事なのだから。
「やはり階層を破壊しつつ降りる方が速いか……?」
そもそもグリュムウェルテがここにいるのは下階層へと続く階段を探していたからである。だが仮にも迷宮。道は複雑で迷いやすい。
「チッ。血主がお待ちしているというのに───ッ!?」
思考に耽っていたその時、背後の川の水が爆せ、辺り一帯に降り注いだ。
「重いな……これ」
ガシャンッと鎧を地面に落とし、鎧の下に着ていたコートを脱いで腰に巻く。
川から上がってきたのは先ほど吹き飛ばした紅だった。
「馬鹿な……なぜ生きている?」
そしてこの身を刺すような鋭い殺気。ありえない。先ほどまでとは明らかに別人だ。
「ッ! 行け! 奴を殺せ!」
グリュムウェルテから血が溢れだし、それはやがて竜へと姿を変えた。
グリュムウェルテのような〝血族〟の『成者』と呼ばれる存在はその血を媒介に獣を生成できる。下位竜と呼ばれるこれらは固有魔法こそ使えないがその物量が非常に厄介だ。この一瞬だけでも三十を超える下位竜が生み出されていた。
だがそれも過去の話。
襲い掛かる一匹の竜に触れる。触れた先から竜は
また襲い掛かってくる竜を手の甲で、指で、肘で触れ、凍らせていく。
(未来の戦いで最も厄介だったのは魔人族でも神でもなく、コイツ達〝翼の血族〟だった)
多くの人が死んだ。多くの国が滅びた。復讐の切っ掛けは神だったがその矛先はすぐに血族へと向かっていった。
竜を、血族を滅ぼすと決めた紅はやみくもに挑んでいった。
何度も死にかけ、その都度生き延び、そしてまた挑んだ。
負けて負けて負けて負けて負けて負けて負けて負けて負けて負けて負けて負けて負けて負けて負けて負けて勝って負けて負けて負けて負けて負けて負けて負けて勝って負けて負けて負けて勝って負けて負けて勝って負けて勝って勝って負けて勝って勝って勝って勝って勝って勝って勝って勝って、狩った。
そんな戦いを十年。いつしか銀剣は己の一部であり、己こそが銀剣であるという認識が生まれる。やがてそれは現実となった。
不気味な現象。だが竜を狩るのに不都合はない。身体が異常な激痛を訴えるが無視して戦い続ける。
五年がたち銀剣と完全に融合。肉体そのものが銀気を発する武器となる。
そこから三年。体内の銀気を増大させる術を編み出し、四年で銀気を自在に操る術を身に付ける。
人の領域を幾段も踏み越え、さらなる高みへ。
そして十年。ついに最強の戦技が完成する。
滅竜の極み〝銀気闘法〟
体内で生成・増幅させた銀気を纏う戦闘技法。
それが未来の紅が生み出し、現代の紅が受け継いだ〝最強〟。
銀剣との融合にあたり髪の色が変色したが、戦闘にはなんの支障もない。
「馬鹿なッ!」
既にグリュムウェルテの生み出した下位竜はすべて、紅の放つ銀気によって凍りつくしていた。
トッ……
「!!!」
紅とグリュムウェルテにあった距離はおよそ二十メートル。それを音もなく一瞬で縮め、懐に入る。
「う、なっ……」
思い出す。今感じている感情の名を。それは。
(この感覚を、私は知っている。血族の実質的指導者、『王』の称号を賜った方々に感じたのと同じ)
絶対強者への、畏怖。
「……ありえん、ありえんぞ!!」
怒りで歯を食いしばる。そうでもしないと呑まれかねなかったから。この人間に対する〝恐怖〟に。
「人間ごと気ヲッ私が畏レルなどっ! アッてなるものカァアアア!!」
グリュムウェルテの身体が変形していく。大きく、悍ましく、まさにおとぎ話にでてくる竜を彷彿とさせる。
「コレガ血ニ宿ル魔力ヲ全開ニシタ私ノ真ノ姿ダ!! ソシテコレガッコノ姿デノミ放ツコトガデキル最大威力ノ『凍れ』〝血ノ───」
竜形となったグリュムウェルテは体内に残存する膨大な魔力解き放とうとし───一瞬で凍り付いた。その巨体が、骨の芯まで凍っている。
既に紅の実力はたかだか〝第十位階〟如きがどうこうできる次元ではないのだ。
「砕けろ」
ピンッと指で弾く。だがその衝撃はグリュムウェルテだった氷像と周りで凍っている下位竜を粉々にし、迷宮中に響き渡った。
「ハァ、ハァ……終わった……」
息切れが激しい。だがそれ以上に、涙が止まらなかった。
─── あの日、今の強さがあればとどれだけ悔やんだか。
遠い未来の誰かの数十年分の思いが、ただただあふれた。
~~~~~~~~~~~~~~~
白い空間。そこは紅達が力の譲渡をした場所であり、いまだ
「……なんだお前。立ったまま死んだのか」
その男に近づく中性的な容姿の人間。否、その爬虫類のような瞳からしておそらく人間ではないのだろう彼は言う。
「言っただろう代償がいると。受け取った過去のお前も長生きはできんぞ。だというに」
─── なんだその緩んだ
「そのぐらいでいいだろ。俺達はそいつにすべてを託した。後は、過去の俺達に祈るしかない」
コツコツと靴を鳴らして歩いて来たのは白髪の男。黒いコートに眼帯、そしておそらく義手だろう左腕。
白髪の男は紅の肩を掴み、なにかを堪えるかのように話し出す。
「……紅。頼むユエをシアを香織をティオを……みんなを救ってくれ。俺の策もアーティファクトも
「ふん。……まあいい。後は過去次第だ。全ての竜を殺し尽くす日が来ることを、過去の私とお前達に期待する」
先ほどまで何もなかった空間には、いつの間にか大きな歯車が浮かび、回っていた。
~~~~~~~~~~~~~~~
この日、翼の血族第十位階〝
同時に竜にとっての『死神』が生まれた日でもあった。
本来の歴史よりも数十年時を早めての死神の登場。果たして未来を変えることはできるのか。
これは英雄譚などではない。〝神殺しの魔王〟と〝竜殺しの死神〟。
二人が歩む道は希望か、絶望か。
補足として未来の紅は奈落には落ちていません。あとハジメが死んだとか言ってますけどあれは『奈落へ落ちたから死んだと思い、復讐を誓った』という話ですね。
神?ああ、あの引きこもりはハジメさんが殺してます。ただその後から本格的に『翼』が動き始めた訳です。『翼』にとっても神は邪魔。だけど引き篭ってるから殺せない。戦えば勝てるんですけど神域に入れないんですよね。結界竜がなんか頑張ってるらしいですけど(笑)