ハジメがユエと出会った日。紅が力を使った反動で眠り続けていたころ。
光輝達勇者一行は、再び【オルクス大迷宮】にやって来ていた。但し、訪れているのは光輝達勇者パーティーと、小悪党組、それに永山重吾という大柄な柔道部の男子生徒が率いる男女五人のパーティーだけだった。
理由は簡単だ。話題には出さなくとも、ハジメの死が、多くの生徒達の心に深く重い影を落としてしまったのである。〝戦いの果ての死〟というものを強く実感させられてしまい、まともに戦闘などできなくなったのだ。一種のトラウマというやつである。
当然、聖教教会関係者はいい顔をしなかった。実戦を繰り返し、時が経てばまた戦えるだろうと、毎日のようにやんわり復帰を促してくる。
だからこそ、戦えないという生徒をこれ以上戦場に送り出すことなど断じて許せうそれに猛然と抗議した者がいた。愛子先生だ。
愛子の天職は、この世界の食料関係を一変させる可能性がある激レアである。その愛子先生が、不退転の意志で生徒達への戦闘訓練の強制に抗議しているのだ。関係の悪化を避けたい教会側は、愛子の抗議を受け入れた。
結果、自ら戦闘訓練を望んだ勇者パーティーと小悪党組、永山重吾のパーティーのみが訓練を継続することになった。そんな彼等は、再び訓練を兼ねて【オルクス大迷宮】に挑むことになったのだ。今回もメルド団長と数人の騎士団員が付き添っている。
今日で迷宮攻略六日目。
現在の階層は六十層だ。確認されている最高到達階数まで後五層である。
現在、彼等の目の前には何時かのものとは異なるが同じような断崖絶壁が広がっていた。次の階層へ行くには崖にかかった吊り橋を進まなければならない。それ自体は問題ないが、やはり思い出してしまうのだろう。特に、香織は、奈落へと続いているかのような崖下の闇をジッと見つめたまま動かなかった。
「香織……」
雫の心配そうな呼び掛けに、強い眼差しで眼下を眺めていた香織はゆっくりと頭を振ると、雫に微笑んだ。
「大丈夫だよ、雫ちゃん」
「そう。無理はしないでね? 私に遠慮することなんてないんだから」
「えへへ、ありがと、雫ちゃん」
雫もまた親友に微笑んだ。香織の瞳は強い輝きを放っている。そこに現実逃避や絶望は見て取れない。洞察力に優れ、人の機微に敏感な雫には、香織が本心で大丈夫だと言っているのだと分かった。
(やっぱり、香織は強いわね)
ハジメと紅。二人の死はほぼ確定事項だ。その生存は絶望的と言うのも生温い。それでも、逃避でも否定でもなく、自らの納得のため前へ進もうとする香織に、雫は親友として誇らしくなる。
「香織……君の優しいところ俺は好きだ。でも、クラスメイトの死に、何時までも囚われていちゃいけない! 前へ進むんだ。きっと、南雲もそれを望んでる」
「ちょっと、光輝……」
「雫は黙っていてくれ! 例え厳しくても、幼馴染である俺が言わないといけないんだ。……香織、大丈夫だ。俺が傍にいる。俺は死んだりしない。もう誰も死なせはしない。香織を悲しませたりしないと約束するよ」
「はぁ~、何時もの暴走ね……香織」
「あはは、大丈夫だよ、雫ちゃん。……えっと、光輝くんも言いたいことは分かったから大丈夫だよ」
「そうか、わかってくれたか!」
光輝の見当違い全開の言葉に、香織は苦笑いするしかない。
光輝の中でハジメは既に死んだことになっている。故に、香織の訓練への熱意や迷宮攻略の目的がハジメの生存を信じてのものとは考えられない。自分の信じたことを疑わず貫き通す性分は、そんな香織の気持ちも、現実逃避をしているか心を病んでしまっていると解釈するだろう。
長い付き合い故に、光輝の思考パターンを何となく分かってしまう香織は、だからこそ何も言わず合わせるのだった。
「香織ちゃん、私、応援しているから、出来ることがあったら言ってね」
「そうだよ~、鈴は何時でもカオリンの味方だからね!」
光輝との会話を傍で聞いていて、会話に参加したのは中村恵里と谷口鈴だ。
二人共、高校に入ってからではあるが香織達の親友と言っていい程仲の良い関係で、光輝率いる勇者パーティーにも加わっている実力者だ。
そんな二人も、ハジメ達が奈落に落ちた日の香織の取り乱し様に、その気持ちを悟り、香織の目的にも賛同してくれている。
「うん、恵里ちゃん、鈴ちゃん、ありがとう」
高校で出来た親友二人に、嬉しげに微笑む香織。
「うぅ~、カオリンは健気だねぇ~、南雲君め! 鈴のカオリンをこんなに悲しませて! 生きてなかったら鈴が殺っちゃうんだからね!」
「す、鈴? 生きてなかったら、その、こ、殺せないと思うよ?」
「細かいことはいいの! そうだ、死んでたらエリリンの降霊術でカオリンに侍せちゃえばいいんだよ!」
「す、鈴、デリカシーないよ! 香織ちゃんは、南雲君は生きてるって信じてるんだから! それに、私、降霊術は……」
何時も通りの光景を見せる姦しい二人に、楽しげな表情を見せる香織と雫。ちなみに、光輝達は少し離れているので聞こえていない。肝心な話やセリフに限って聞こえなくなる難聴スキルは、当然の如く光輝にも備わっている。
その後、一行は特に問題もなく、遂に歴代最高到達階層である六十五層にたどり着いた。
「気を引き締めろ! ここのマップは不完全だ。何が起こるかわからんからな!」
付き添いのメルド団長の声が響く。光輝達は表情を引き締め未知の領域に足を踏み入れた。
しばらく進んでいると、大きな広間に出た。何となく嫌な予感がする一同。
その予感は的中した。広間に侵入すると同時に、部屋の中央に魔法陣が浮かび上がったのだ。赤黒い脈動する直径十メートル程の魔法陣。それは、とても見覚えのある魔法陣だった。
「ま、まさか……アイツなのか!?」
光輝が額に冷や汗を浮かべながら叫ぶ。他のメンバーの表情にも緊張の色がはっきりと浮かんでいた。
「マジかよ、アイツは死んだんじゃなかったのかよ!」
龍太郎も驚愕をあらわにして叫ぶ。それに応えたのは、険しい表情をしながらも冷静な声音のメルド団長だ。
「迷宮の魔物の発生原因は解明されていない。一度倒した魔物と何度も遭遇することも普通にある。気を引き締めろ! 退路の確保を忘れるな!」
いざと言う時、確実に逃げられるように、まず退路の確保を優先する指示を出すメルド団長。それに部下が即座に従う。だが、光輝がそれに不満そうに言葉を返した。
「メルドさん。俺達はもうあの時の俺達じゃありません。何倍も強くなったんだ! もう負けはしない! 必ず勝ってみせます!」
「へっ、その通りだぜ。何時までも負けっぱなしは性に合わねぇ。ここらでリベンジマッチだ!」
龍太郎も不敵な笑みを浮かべて呼応する。メルド団長はやれやれと肩を竦め、確かに今の光輝達の実力なら大丈夫だろうと、同じく不敵な笑みを浮かべた。
そして、遂に魔法陣が爆発したように輝き、かつての悪夢が再び光輝達の前に現れた。
「グゥガァアアア!!!」
咆哮を上げ、地を踏み鳴らす異形。ベヒモスが光輝達を壮絶な殺意を宿らせた眼光で睨む。
全員に緊張が走る中、そんなものとは無縁の決然とした表情で真っ直ぐ睨み返す女の子がニ人。香織と雫である
「もう誰も奪わせない。あなたを踏み越えて、私は彼のもとへ行く」
「コイツを倒さない限り、私の心は前に進めない」
あの日から止まってしまった時間を、進めるために。
「万翔羽ばたき 天へと至れ〝天翔閃〟!」
先手を取ったのは勇者である光輝だ。
曲線状の光の斬撃がベヒモスに轟音を響かせながら直撃する。以前は、〝天翔閃〟の上位技〝神威〟を以てしてもカスリ傷さえ付けることができなかった。しかし、いつまでもあの頃のままではないという光輝の宣言は、結果を以て証明された。
「グゥルガァアア!?」
悲鳴を上げ地面を削りながら後退するベヒモスの胸にはくっきりと斜めの剣線が走り、赤黒い血を滴らせていたのだ。
(……いける。私達は確実に強くなっている。だけど……)
メルド団長が騎士団員を引き連れベヒモスの右サイドに回り込むべく走り出した。それを機に一斉に動き出し、ベヒモスを包囲する。
前衛組が暴れるベヒモスを後衛には行かすまいと必死の防衛線を張る。
「グルゥアアア!!」
ベヒモスが踏み込みで地面を粉砕しながら突進を始める。
「させるかっ!」
「行かせん!」
クラスの二大巨漢、坂上龍太郎と永山重吾がスクラムを組むようにベヒモスに組み付いた。
「「猛り地を割る力をここに!〝剛力〟!」」
身体能力、特に膂力を強化する魔法を使い、地を滑りながらベヒモスの突進を受け止める。
「ガァアア!!」
「らぁあああ!!」
「おぉおおお!!」
三者三様に雄叫びをあげ力を振り絞る。ベヒモスは矮小な人間ごときに完全には止められないまでも勢いを殺され苛立つように地を踏み鳴らす。
その隙を他のメンバーが逃すはずがない。
「全てを切り裂く至上の一閃〝絶断〟」
雫の抜刀術がベヒモスの角に直撃する。魔法によって切れ味を増したアーティファクトの剣が半ばまで食い込むが切断するには至らない。
(……足りない。もっと!)
一度剣を引き、同じ個所へ再度振るう。正確に、精密に、繊細に。針の穴に糸を通すがごとく。
そして、遂にベヒモスの角の一本が半ばから断ち斬られた。
「ガァアアアア!?」
角を切り落とされた衝撃にベヒモスが渾身の力で大暴れし、永山、龍太郎、雫、メルド団長の四人を吹き飛ばす。
(力も、技術も、何もかも足りない!)
「優しき光は全てを抱く〝光輪〟!」
衝撃に息を詰まらせ地面に叩きつけられそうになった四人を光の輪が無数に合わさって出来た網が優しく包み込んだ。香織が行使した、形を変化させることで衝撃を殺す光の防御魔法だ。
香織は間髪入れず、回復系呪文を唱える。
「天恵よ 遍く子らに癒しを 〝回天〟」
香織の詠唱完了と同時に触れてもいないのに四人が同時に癒されていく。遠隔の、それも複数人を同時に癒せる中級光系回復魔法だ。以前使った〝天恵〟の上位版である。
(すごいわね香織……)
光輝が突きの構えを取り、未だ暴れるベヒモスに真っ直ぐ突進した。そして、先ほどの傷口に切っ先を差し込み、突進中に詠唱を終わらせて魔法発動の最後のトリガーを引く。
「〝光爆〟!」
聖剣に蓄えられた膨大な魔力が、差し込まれた傷口からベヒモスへと流れ込み大爆発を起こした。
「ガァアアア!!」
傷口を抉られ大量の出血をしながら、技後硬直中の僅かな隙を逃さずベヒモスが鋭い爪を光輝に振るった。
「ぐぅうう!!」
呻き声を上げ吹き飛ばされる光輝。
しかし、その苦しみも一瞬だ。すかさず、香織の回復魔法がかけられる。
「天恵よ 彼の者に今一度力を〝焦天〟」
先ほどの回復魔法が複数人を対象に同時回復できる代わりに効果が下がるものとすれば、これは個人を対象に回復効果を高めた魔法だ。光輝は光に包まれ一瞬で全快する。
ベヒモスが、光輝が飛ばされた間奮闘していた他のメンバーを咆哮と跳躍による衝撃波で吹き飛ばし、斬られた角にもお構いなく赤熱化させていく。
「角が折れても出来るのね。……あれが来るわよ!」
雫の警告とベヒモスの跳躍は同時だった。ベヒモスの固有魔法は経験済みなので皆一斉に身構える。しかし、今回のベヒモスの跳躍距離は予想外だった。何と、光輝達前衛組を置き去りにし、その頭上を軽々と超えて後衛組にまで跳んだのだ。大橋での戦いでは直近にしか跳躍しなかったし、あの巨体でここまで跳躍できるとは夢にも思わず、前衛組が焦りの表情を見せる。
だが、後衛組の一人が呪文詠唱を中断して、一歩前に出た。谷口鈴だ。
「ここは聖域なりて 神敵を通さず〝聖絶〟!!」
呪文の詠唱により光のドームができるのとベヒモスが隕石のごとく着弾するのは同時だった。凄まじい衝撃音と衝撃波が辺りに撒き散らされ、周囲の石畳を蜘蛛の巣状に粉砕する。
しかし、鈴の発動した絶対の防御はしっかりとベヒモスの必殺を受け止めた。だが、本来の四節からなる詠唱ではなく、二節で無理やり展開した詠唱省略の〝聖絶〟では本来の力は発揮できない。
実際、既に障壁にはヒビが入り始めている。天職〝結界師〟を持つ鈴でなければ、ここまで持たせるどころか、発動すら出来なかっただろう。鈴は歯を食いしばり、二節分しか注げない魔力を注ぎ込みながら、必死に両手を掲げてそこに絶対の障壁をイメージする。ヒビ割れた障壁など存在しない。自分の守りは絶対だと。
「ぅううう! 負けるもんかぁー!」
障壁越しにベヒモスの殺意に満ちた眼光が鈴を貫き、全身を襲う恐怖と不安に、掲げた両手が震える。弱気を払って必死に叫ぶが限界はもうそこだ。ベヒモスの攻撃は未だ続いており、もう十秒も持たない。
破られる!鈴がそう心の内で叫んだ瞬間、
「天恵よ 神秘をここに〝譲天〟」
鈴の体が光に包まれ、〝聖絶〟に注がれる魔力量が跳ね上がった。香織の回復系魔法だ。本来は、他者の魔力を回復させる魔法だが、魔法陣に注ぐ魔力に合わせて発動することで、流入量を本来の量まで増幅させることができる。〝譲天〟の応用技だ。天職〝治癒師〟である香織だからこそできる魔法である。
鈴は、一気に本来の四節分の魔力が流れ込むと同時に完璧な〝聖絶〟を張り直す。パシンッと乾いた音を響かせ障壁のヒビが一瞬で修復された。ベヒモスは、障壁を突破できないことに苛立ち、怒りも表に生意気な術者を睨みつけるが、鈴も気丈に睨み返し一歩も引かない。
そして遂に、ベヒモスの角の赤熱化が効果を失い始めた。ベヒモスが突進力を失って地に落ちる。同時に、鈴の〝聖絶〟も消滅した。
肩で息をする鈴にベヒモスが狙いを定めるが、既に前衛組がベヒモスに肉薄している。
「よく頑張ったわね、鈴」
居合の要領で剣を一閃。狙うは足の関節部分、機動力を削るのが目的だ。
「後衛は後退しろ!」
光輝の指示に後衛組が一気に下がり、前衛組が再び取り囲んだ。ヒット&アウェイでベヒモスを翻弄し続け、遂に待ちに待った後衛の詠唱が完了する。
「下がって!」
後衛代表の恵里から合図がでる。光輝達は、渾身の一撃をベヒモスに放ちつつ、その反動も利用して一気に距離をとった。
その直後、炎系上級攻撃魔法のトリガーが引かれた。
「「「「「〝炎天〟」」」」」
術者五人による上級魔法。超高温の炎が球体となり、さながら太陽のように周囲一帯を焼き尽くす。ベヒモスの直上に創られた〝炎天〟は一瞬で直径八メートルに膨らみ、直後、ベヒモスへと落下した。
絶大な熱量がベヒモスを襲う。あまりの威力の大きさに味方までダメージを負いそうになり、慌てて結界を張っていく。〝炎天〟は、ベヒモスに逃げる暇すら与えずに、その堅固な外殻を融解していった。
「グゥルァガァアアアア!!!!」
ベヒモスの断末魔が広間に響き渡る。いつか聞いたあの絶叫だ。鼓膜が破れそうなほどのその叫びは少しずつ細くなり、やがて、その叫びすら燃やし尽くされたかのように消えていった。
そして、後には黒ずんだ広間の壁と、ベヒモスの物と思しき僅かな残骸だけが残った。
「か、勝ったのか?」「勝ったんだろ……」「勝っちまったよ……」「マジか?」「マジで?」
皆が皆、呆然とベヒモスがいた場所を眺め、ポツリポツリと勝利を確認するように呟く。同じく、呆然としていた光輝が、我を取り戻したのかスっと背筋を伸ばし聖剣を頭上へ真っ直ぐに掲げた。
「そうだ! 俺達の勝ちだ!」
キラリと輝く聖剣を掲げながら勝鬨を上げる光輝。その声にようやく勝利を実感したのか、一斉に歓声が沸きあがった。男子連中は肩を叩き合い、女子達はお互いに抱き合って喜びを表にしている。メルド団長達も感慨深そうだ。
そんな中、未だにボーとベヒモスのいた場所を眺めている香織に雫が声を掛けた。
「香織? どうしたの?」
「えっ、ああ、雫ちゃん。……ううん、何でもないの。ただ、ここまで来たんだなってちょっと思っただけ」
苦笑いしながら雫に答える香織。かつての悪夢を倒すことができるくらい強くなったことに対し感慨に浸っていたらしい。
「そうね。私達は確実に強くなってるわ」
「うん……雫ちゃん、もっと先へ行けば南雲くんも……」
「それを確かめに行くんでしょ? そのために頑張っているんじゃない」
「えへへ、そうだね」
「……でも私は満足していないわ。強さが足りない。とりあえず自分に足りないものが見えたからそれで良しとするけど」
そんな二人の所へ光輝達も集まってきた。
「二人共、無事か? 香織、最高の治癒魔法だったよ。香織がいれば何も怖くないな!」
爽やかな笑みを浮かべながら香織と雫を労う光輝。
「ええ、大丈夫よ。光輝は……まぁ、大丈夫よね」
「うん、平気だよ、光輝くん。皆の役に立ててよかったよ」
同じく微笑をもって返す二人。しかし、次ぐ光輝の言葉に少し心に影が差した。
「これで、南雲達も浮かばれるな。自分を突き落とした魔物を自分が守ったクラスメイトが討伐したんだから」
「「………」」
光輝は感慨にふけった表情で雫と香織の表情には気がついていない。どうやら、光輝の中では奈落に落としたのはベヒモス
それも
今では、暗黙の了解としてその時の話はしないようになっているが、事実は変わらない。だが、光輝はその事実を忘れてしまったのか意識していないのかベヒモスさえ倒せばハジメ達は浮かばれると思っているようだ。基本、人の善意を無条件で信じる光輝にとって、過失というものはいつまでも責めるものではないのだろう。まして、故意に為されたなどとは夢にも思わないだろう。
しかし、香織は気にしないようにしていても忘れることはできない。〝誰か〟を知らないから耐えられているだけで、知れば必ず責め立ててしまうのは確実だ。だからこそ、なかったことにしている光輝の言葉に少しショックを受けてしまった。
雫が溜息を吐く。思わず文句を言いたくなったが、光輝に悪気がないのはいつものことだ。むしろ精一杯、ハジメのことも香織のことも思っての発言である。それに、周りには喜びに沸くクラスメイトがいる。このタイミングで、あの時の話をするほど雫は空気が読めない女ではなかった。
若干、微妙な空気が漂う中、クラス一の元気っ子が飛び込んできた。
「カッオリ~ン!」
そんな奇怪な呼び声とともに鈴が香織にヒシッと抱きつく。
「ふわっ!?」
「えへへ、カオリン超愛してるよ~! カオリンが援護してくれなかったらペッシャンコになってるところだよ~」
「も、もう、鈴ちゃんったら。ってどこ触ってるの!」
「げへへ、ここがええのんか? ここがええんやっへぶぅ!?」
鈴の言葉に照れていると、鈴が調子に乗り変態オヤジの如く香織の体をまさぐる。それに雫が手刀で対応。些か激しいツッコミが鈴の脳天に炸裂した。
「いい加減にしなさい。誰が鈴のものなのよ……香織は私のよ?」
「雫ちゃん!?」
「ふっ、そうはさせないよ~、カオリンとピーでピーなことするのは鈴なんだよ!」
「鈴ちゃん!? 一体何する気なの!?」
雫と鈴の香織を挟んでのジャレ合いに、香織が忙しそうにツッコミを入れる。いつしか微妙な空気は払拭されていた。
これより先は完全に未知の領域。光輝達は過去の悪夢を振り払い先へと進むのだった。