不屈の悪魔   作:車道

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※TS、憑依、独自解釈などの地雷成分が含まれます。TSに関する描写は薄いです。ご了承ください。
※魔法少女リリカルなのはとジョジョの奇妙な冒険の世界観がクロスしています。なるべく作中で説明するようにしていますが、両作の知識がなければイメージしづらい描写があります。
※作中では『魔法少女リリカルなのは』のアニメ版、劇場版、小説版、漫画版、とらいあんぐるハートシリーズの設定が混在しています。また世界観をかけ合わせている都合上、設定が改変されている部分があります。
※作中では『ジョジョの奇妙な冒険』の第1部から第8部と外伝漫画、外伝小説の設定が混在しています。また一巡前(第6部まで)と新世界(第7部から)の設定を混ぜている部分があります。


序章

 オレは死に続ける。あらゆる状況で、あらゆる環境で、あらゆる方法で、何回も、何十回も、何百回も、何千回も、何万回も、何億回もオレは死に続ける。 

 ヤク中の浮浪者に刺されて死んだ、生きたまま臓器を摘出されて死んだ、よろけた拍子に車に()かれて死んだ、光線のようなスタンド攻撃にえぐられて死んだ、胸を腕で貫かれて死んだ、異空間に飲み込まれて身動きがとれず死んだ、ありとあらゆる殺され方で死んだ。

 

 死の迷宮に迷い込んだオレの精神は今までにないほど揺れ動いていた。

 絶え間なく襲いかかる死への恐怖と半生を共にしたもう一つの人格の喪失に、オレの精神が追いつけなかったのだ。

 しかし人間は良くも悪くも環境に適応する能力を持っている。

 オレの精神にかつての誇りは残されていないが、現実から目を背けて考えるのをやめようとはしなかった。

 オレはメビウスの輪だ。連続した生と死は、生きているとも死んでいるとも言えない。

 決して終わらぬ生と死の連鎖は、裏表が繋がったメビウスの輪と同じだ。

 

 だが、それは同時に無限に考える時間があるとも言える。

 死から遠ざかる行動を行うと体が鉛になったかのように重くなり身動きがとれなくなるが、考えるだけならいくらでも可能だった。

 思考を放棄し考えるのをやめようとしても、レクイエムは逃してはくれない。

 レクイエムはオレが考えるのをやめるという結果に到達しようとすることすら妨害しているのだろう。

 

 だからこそ過去の記憶を思い返す。

 パッショーネのボスをやっていた頃は疎ましいと思っていた未熟だった頃の記憶も、絶頂から転げ落ちた今では数少ない自己を保つための道具だ。

 まだ裏の世界に足を踏み込んでいなかった昔の記憶には、輝かしい栄光も豊かな暮らしもなかったが、たしかな温かみが感じられた。

 何も知らない娘を自分の都合だけで殺そうとしていた頃のオレが今の心情を知ったら、なんと軟弱だと嘆くだろう。

 キング・クリムゾンは過程を飛ばして結果だけを残せるが、過ぎ去った過去を変えることはできない。

 落とし穴を回避することはできるが、今までに選んできた道は変えられないのだ。

 

 オレは決して沈むことのない人生を絶頂だと思っていた。

 だが、そんな人生が幸福だったといえるのだろうか。

 心を許せる家族など誰もおらず、自由に顔を晒して生活することすら叶わない。

 そんなものを生きていると言っていいのか。

 

 本当の絶頂は常に感じるものではない。日々の暮らしの中で感じる幸せこそが、オレの求めていた絶頂だったはずだ。

 生まれたときから社会の底辺だったオレが、本心から憧れていたものだったじゃあないか。

 

 オレは人並みの幸せが欲しかっただけだ。

 社会的地位のないオレが人並みになるには、マトモな方法は残されていなかった。

 裏社会を生きるものを束ねて金を得るうちに組織は肥大化していき、気がついたら恐怖によって構成員を縛ることでしか舵をとれなくなっていた。

 

 その結末が今の状況だ。過去に後悔はしない。

 どれだけ悔やんだとしても過ぎ去った出来事を変える手段など存在しない。

 もしかしたらそういったスタンド能力もあるかもしれないが、オレのキング・クリムゾンに過去を変える力など備わっていない。

 

 ならばオレは抗い続ける。オレの意識が、オレの精神が、オレの魂が、オレを構成する全てが擦り切れてしまったとしても後悔はない。

 それが今のオレに残された唯一の道なのだから。

 

 

 

 

 

 

 かつてパッショーネというギャング組織を立ち上げて、イタリア全土の裏社会をまとめ上げていた男がいた。

 決して表舞台には顔を出さず、正体を徹底的に隠し通していた男の名はディアボロ。

 イタリア語で悪魔を意味する名を持つ男は、その名の通りの冷酷で残忍な性格をしていた。

 

 パッショーネのボスの正体を探ろうとする者には問答無用で死が訪れる。ボスの正体を探っていたソルベという男が、相棒の目の前で生きたまま輪切りにされたという逸話は、裏社会では有名な話だった。

 しかしディアボロの栄光は永遠のものではなかった。先送りにしていた死の運命が無くなることはない。彼はそのツケを最悪の形で支払うことになったのだ。

 

 この世には、射られることでスタンドという超能力を目覚めさせる矢が存在する。

 ディアボロがパッショーネを立ち上げるために、とある老婆に売り払った五本の矢の内の一つ。その矢が巡り巡って彼を殺すこととなる。

 その矢には生物をスタンド使いにする以外にもう一つの力が宿っている。

 それは屈強な精神の持ち主のスタンドに新たな能力を付与する力だ。

 奇しくもディアボロは裏切り者一行の新入り、ジョルノ・ジョバァーナが矢を手にしたことにより絶頂から叩き落とされた。

 

 ジョルノのスタンド能力は物質に生命エネルギーを送り込み、生物を生み出すものだったが、矢に貫かれてレクイエムになったことでまったく別種の能力を得ることとなった。

 その能力とは、周囲の人間の魂を支配して、スタンドと本体に対する攻撃や意思といった行動を無効化することで、それらの行動で発生する『真実』に到達させないというものだった。

 それだけでも十分に恐ろしい能力だが、このスタンドの恐ろしさは別のところにある。

 このスタンドで殺された者は、決して死んだという結果にはたどり着けなくなる。つまり永遠に死に続けるのだ。

 

 肉体は滅びても魂はレクイエムに囚われ続ける。

 ディアボロはこのままジョルノの寿命が尽きるまで殺され続けるはずだった。

 転機が訪れたのはそれから十年後。アメリカ合衆国フロリダ州中央部に位置するケープ・カナベラルで、エンリコ・プッチがスタンド能力を使って時間を超加速させたことにより引き起こされた。

 無限にも等しい時間の加速により世界は終焉を迎え、新たなる世界へと移行するはずだった。

 しかし、プッチの計画はうまくいかなかった。

 敵対していたスタンド使いの一人が完全に世界が一巡する前にプッチを殺したことで、正しい形で世界が生まれ変わることは無くなった替わりに無数の並行世界が生まれたのだ。

 

 プッチのスタンド能力で新たなる世界に行けるのは生きているもののみ。では死に続けていたディアボロはどうなったのだろうか。

 世界が一巡しレクイエムの効力から逃れたディアボロは、別の世界にはじき出された。

 レクイエムの干渉から解放され肉体を失った彼は、死人と何ら変わらない。

 本来あるべき流れのとおりに魂が天に登っていく最中(さなか)、ディアボロは安堵(あんど)の笑みを浮かべていた。

 しかし、彼が死の安息を迎えられることはなかった。天に還ろうとしていた魂が、そばを歩いていた女性の(もと)へと引っ張られ始めたのだ。

 ようやく楽になれると思っていたディアボロは必死に抵抗した。

 しかし、抵抗むなしくディアボロは女性の体内に吸い込まれて意識を失った。

 彼が次に目を覚ますこととなるのはこれから十ヶ月後、彼女が『娘』を出産するときだった。

 

 

 

 

 

 

 本来なら交わることのなかった『魔導師』と『スタンド使い』だが、この世界では話が違ってくる。

 『海鳴市』に『杜王町』が存在する時点で、両者が接触することは避けられない運命となった。

 古代文明の遺産を管理している『時空管理局』と、地球上に点在する異物を蒐集(しゅうしゅう)している『スピードワゴン財団』の思惑とはなんなのか。

 感情を歪んだ形で現実のものとする『ジュエルシード』と、精神をパワーあるヴィジョンとして現実のものにする『スタンドの矢』に関連性はあるのか。

 『無限の欲望(アンリミテッド・デザイア)』が今までの研究を投げ捨ててまで興味を示した『完成された究極の生命体(アルティミット・シイング)』の正体とは一体なんなのか。

 何もかもを忘れ、幽霊の殺し屋として彷徨(さまよ)い続けている殺人鬼『吉良吉影』と、26年間眠り続けている少女『アリシア・テスタロッサ』はどのような出会いを果たすのか。

 執務官長を名乗る『ファニー・ヴァレンタイン』と『最高評議会』の狙いとは一体なんなのか。

 『魔法』と『スタンド』が合わさったことでもたらされるのは繁栄か、それとも衰退か。それを知るものはただ一人としていない。


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