不屈の悪魔   作:車道

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そいつの名は高町なのは その②

 両親がいちゃついている姿を眺めながら朝食を一足先に食べ終えたわたしは、読書をしながら家を出るまでの時間を潰すことにした。

 決して微妙な疎外感と甘酸っぱさを感じて、気を散らすために別のことに集中しているのではない。

 

 というか、結婚してから少なくとも五年は経っているだろうに、いつまでも新婚気分が抜け切らないのはどうなのだろうか。

 最近、無口で無愛想だった兄が同級生の少女と友達になったらしいが、この二人に影響されないことを切に願う。

 

「なのは、そろそろ時間だぞ」

「はーい」

 

 父の呼びかけに軽い返事を返し、読みかけの本に(しおり)を挟んでカバンに収めた。

 昔は読解力を磨くために子供向けの絵本を読んでいたが、日本語に慣れはじめたので高学年向けの児童書を読むことが多くなった。

 そのため家族からは本を読むのが好きな子供だと思われている。それは間違いではないが、わたしの趣味が読書かと問われると答えはNoだ。

 やれることが少ないから本をよく読んでいるだけで、もう少し体が成長したら必要以上に本を読むことはなくなるだろう。

 

 そもそもわたしは趣味といえるほど道楽を嗜んだことがない。

 故郷を焼き払い自らの過去から逃げ出すまでは趣味の一つでもあったかもしれないが、パッショーネの運営が軌道に乗った頃には趣味に費やす時間など残っていなかった。

 暗殺を恐れていたオレは普段はドッピオに体の主導権を譲り、自分が表に出ているときも組織の運営のためにメールで部下に指令を出していた。

 これはあれだ、仕事が生きがいな人間の行動と非常に似ている。

 そう考えるとオレの趣味はパッショーネの運営だったのか……なんとも虚しいな。

 

 

 

 過去の自分の趣味が仕事だったことに気がついて、微妙な気持ちになりながらしばらく歩いていると、三階建ての建物が見えてきた。

 ベージュ色の外壁に緑色の看板がよく映えている。

 この建物が父が店長、母が経理とパティシエを務めている喫茶店『翠屋(みどりや)』だ。

 

 同じく駅前商店街に店を構えているオープンカフェ『ドゥ・マゴ』とは違い翠屋は洋菓子店も兼ねており、ケーキやシュークリーム、自家焙煎コーヒーが看板メニューとなっている。

 菓子の仕込みなどの兼ね合いで開店時間は午前11時と少し遅めの時間だが、ランチタイムにはテラス席まで満席になるほどの賑わいを見せる。

 昼時の主な客層は近所の会社員や主婦が多いが、午後4時頃からは女性客や学校帰りの学生の割合が多くなる。

 

 従業員用の勝手口から二人とともに店内に入ったわたしは、いつもと同じように店内の掃除を手伝い始めた。

 掃除といってもわたしの仕事は机や床の汚れを拭き取ったりする程度で、厨房の中に入ったりなどはしない。

 

「おはよう、なのはちゃん。今日もお手伝い? えらいねェ~」

「おはようございます。掃除の途中なんで邪魔しないでくれませんか」

 

 しばらく掃除をしていると出勤してきた従業員の女性が突然、わたしの頭を撫でてきた。

 どれだけ冷たくあしらっても効果が無いので諦めているが、個人的にはあまり子供扱いをされたくはない。

 そもそも可愛いと言われたところでちっとも嬉しくない。

 

 しかし下手に反論しても恥ずかしがっていると思われるのが関の山だ。

 ……撫でられている間だけ時間を飛ばすか? 

 いや、こんな下らないことで能力を使って、誰かにスタンドがバレたらシャレにならない。

 

 結局、されるがまま頭を撫でられながら他愛のない会話を交わした後、彼女は三階にある従業員用のスペースへと向かっていった。

 あれで母の次に優秀なパティシエだというのだから驚きだ。

 話によると母は以前、東京の有名ホテルでチーフパティシエをしていて、その当時の知り合いから紹介してもらった人を雇っているそうだ。

 先ほどの従業員も、元々は母が助っ人として一時期仕事をしていた杜王グランドホテルで、パティシエをやっていたらしい。

 

 それがなぜ、こんな地方都市で店を構えることになったかというと、父との馴れ初めが関係しているそうだ。

 すこしばかり気になるが、そういった過去には深く踏み入らないようにしている。

 誰にでも隠したい過去というものがあることを、わたしは誰よりも理解しているからだ。

 

 開店時間まであと少しになると、いつも通り邪魔にならないように従業員用のスペースに移動して読書を始めた。

 普通の幼児なら幼稚園や保育所に居るような時間だが、わたしはそのどちらにも通っていない。

 両親の負担になっていることは自覚しているが、普通の子供ではないわたしでは、馴染めるはずがないのはわかりきっている。

 精神的には父や母と変わらない年齢の人間なのだから当たり前だ。

 

 あと二年もすれば小学校に通うことになるだろうが、果たして自分は馴染めるだろうか。

 出来ることならわたしとオレの人格を切り分けたいぐらいだが、残念なことにわたしは二重人格者ではなくなっている。

 

「どうしたの? なんだか難しそうな顔をしてるけど」

「ちょっと集中してただけだよ。もうお昼の時間?」

 

 いつの間にか休憩時間になっていたらしく、休憩ついでに母がわたしの様子を見に来ていた。

 物思いに(ふけ)っていたせいで気が付かなかったが、もうこんな時間になっていたのか。

 心配そうにこちらを見ている母には申し訳ないが、本心を明かせるはずもなく適当な言葉で誤魔化すしかなかった。

 

 

 

 

 

 昼食を食べた後も黙々と本を読み続けていると、下階から若い男女の話し声がいくつも聞こえてきた。

 どうやら学校帰りの学生客が入店してくる時間帯になっていたようだ。時計の針は4時を指している。

 

 この時間帯なら一人で町中を歩いていても問題はない。

 返却期限が迫っている本を図書館に返しに行くため一階に降りると、テーブル席に座っている学ランを着た三人組の男子学生の姿が視界に入った。

 

「お待たせいたしました、ご注文のシューセットでございます」

「どうもっス」

 

 シューセットは翠屋の看板メニューの一つだ。

 できたてホヤホヤのシュークリーム二つと、シュークリームに合うようにブレンドされたコーヒーがセットになっている。

 値段も手頃で学生客に人気のあるメニューだ。

 

 様子を眺めていると不機嫌そうな表情で膝を組んで座っていた学生が、シュークリームを手に取り豪快にかぶりついた。

 続いてコーヒーを一口だけ飲んで、もう一度シュークリームを口に含む。

 するといきなり涙を流しながら大声で喋り始めた。

 

「ゥンまああ~~いっ! こんなに美味いシュークリームを食ったのは生まれて初めてだぜ────ッ! 

 サクサクのパイ皮と中にギッシリ詰まったカスタードクリームッ! 一口頬張るごとに濃厚なバニラの香りが口の中に広がる! 

 それに加えてこの特選ブレンドコーヒーッ! 絶妙な酸味と苦味がシュークリームの甘みを更に引き立てる!」

「おい、億泰。美味いのはわかるけどよォ、あんまり騒ぐと店から追い出されちまうぜ」

 

 整髪料で髪を固めたハンバーグのような髪型の学生が、シュークリームとコーヒーの感想を大声で喋っている学生を小声でたしなめた。

 同席している小柄な学生は、申し訳無さそうな顔で周囲の客にペコペコと頭を下げている。

 

 背の低い気の弱そうな学生はともかく、オクヤスという男とハンバーグ頭の男は世間一般で言う不良のような風体をしている。

 この店ではあまり見かけないタイプの客だ。

 トラブルになったら困るが……父なら一捻りで追い出せるだろう。

 

 父の本気を見たことはないが、相手がスタンド使いでもないかぎり遅れを取ることはないと言い切れる。

 兄の話によれば御神流を極めた達人は、銃を持った相手が百人いたとしても勝てるのだとか。

 さすがにそれは冗談だとしても、飛んでくる弾丸を切るぐらいなら平然とやってのけそうな気がする。

 

 奇妙な三人組の様子をいつまでも見ているわけにもいかないので、レジカウンターから店内の様子を見ている父に声をかけた。

 

「ちょっと茨の館まで行ってくるね」

「あまり遅くならないように気をつけるんだぞ」

「大丈夫、門限までには帰るよ。それじゃ、いってきまーす」

 

 手を振っている父に手を振り返して、茨の館へ向かうため駅の方に向かって歩き始めた。

 茨の館は商店街をぬけた先に建っている。

 蔵書数は風芽丘図書館と比べると劣っているが、歩いて通える距離なので頻繁に利用している。

 

 すっかり顔なじみになった商店街の住人に挨拶をしながら見慣れた道のりを進んでいると、赤煉瓦(れんが)造りの洋館が見えてきた。

 三階建てのいかにも古そうな建物で、外壁は隙間なく茨に覆われている。

 これが近隣住人に『茨の館』と呼ばれている理由だ。

 

 赤煉瓦を見ているとフィレンツェの町並みを思い出す。

 あの辺りの建物は赤煉瓦の屋根が多く、ジョットの鐘楼(しょうろう)から見える景色は、仕事ついでに観光していたドッピオ越しに見たものだがなかなかに綺麗だった。

 

 門から建物までのびている煉瓦で舗装された道を踏みしめながら扉を開けると、図書館特有の匂いが鼻腔をくすぐった。

 この香りを嗅いでいると本を読むのに集中できる気がするから不思議だ。

 テストが近いのか一階の閲覧スペースにはいつもよりも多くの人が座っていた。

 

 玄関ロビーの先にあるカウンターにいた図書館員に返却する本を手渡して、螺旋階段を登り三階に移動して洋書のコーナーに向かう。

 常日頃から日本語の本を読んでいると、時々慣れ親しんだイタリア語に触れたくなるときがある。

 本当は家でじっくり読みたいが、イタリア語を読めることが家族に知られるとマズイので、何回かに分けて図書館で読むことにしている。

 

 ズラリと並んだ本の中から目当ての本を見つけることはすぐに出来たが、前は下の方にあったのに最上段に移動してしまっていた。

 近くに設置されている踏み台に乗って背伸びをしてみたが、身長が全然足りない。

 ジャンプしても届きそうにない。

 図書館員を呼ぶかスタンドで取るか悩んでいると、誰かが手を伸ばして目当ての本を本棚から引き抜いた。

 

「読みたいのはこの本であってるか?」

 

 声が聞こえてきた方向に顔を向けると、帽子と厚手のコートを着込んだ背の高い男が立っていた。

 距離が近いせいもあって顔は見えないが、イタリア人だったオレよりもデカイのは確実だ。

 礼を言おうと目を合わせるために見上げると、そこには見覚えのある顔があった。

 

 直接会ったことはない。

 写真越しでしか見たことのない顔だったが、わたしはこの男のことを一方的に知っている。

 かつてオレが殺したと思っていた男、ジャン=ピエール・ポルナレフの身辺調査を行った時に要注意人物としてマークしていた男だ。

 

 男の名前は空条承太郎(くうじょうじょうたろう)

 表向きには海洋学者として知られているが、SPW財団と深い繋がりを持っている手練のスタンド使いだ。

 

 しかし、なぜこの男が杜王町に居るんだ? 

 昔は日本で暮らしていたようだが、結婚してからはアメリカに移住したはずだ。

 

 いや、どちらにしろわたしには関係のないことか。

 わたしの記憶通りに物事が進んでいるのなら、ポルナレフはとっくの昔に再起不能になっている。

 スタンド使いだと思われることはないだろうが、変に勘ぐられる前にさっさと離れるとするか。

 

「あ、はい。ありがとうございます」

 

 頭を下げて足早に螺旋階段を駆け下りて閲覧スペースに移動する。

 本を読みに来ただけなのに、どうしてこんなことになったのか。

 スタンド使いとスタンド使いは引かれ合うという話を聞いたことがあるが、まさか本当に引き合わされるとは思ってなかった。

 あとすこし承太郎が来るのが遅かったら、スタンドを見られていたかもしれない。

 ……そういえばあの男、どことなくジョルノ・ジョバァーナと顔つきが似ていたな。

 

 

 

 

 

 今思えば、これが運命の始まりだったのだろう。

 命を運んでくると書いて運命と読むが、わたしの命は運ばれてきただけでまだ動き始めていない。

 過去に縛られ踏みとどまっているだけでは生ける屍と何ら変わらないのだ。

 わたしが歩み始める切っ掛けになった事件はすぐ側まで迫っていた。


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