過去の繋がりを完全に断ち切ることは不可能だ。
ジョースター家と
高町なのははディアボロではない。
どれだけ内面が似ていたとしても、なのははディアボロとは違う道を歩んでいる。
だが彼女は過去に囚われ続けている。
恐怖とはまさしく過去からやって来る。
レクイエムから解放されているにも関わらず夢を通して死を体験し続けているのも、未熟な過去を乗り越えられていないからだ。
『運命の車輪』は確実に回転していく。
ディアボロが弓と矢を発掘してエンヤに売ったことで始まった運命の流れは確実になのはの元に迫っていた。
運命から逃げていては何も始まらない。運命とは自分で切り開くものなのだ。
なのははまだ、自分の意志で道を選択する余地のない『ぬきさしならない状況』に陥っていない。
選んだ道が近道か遠回りかはともかく、自分でどの道を進むか選択することはできる。
その結果がどうなるかは誰にもわからない。
しかしこれから起こる出来事は、結果から見ればなのはが歩み始める切っ掛けとなるだろう。
それがなのはの意図する展開ではなかったとしてもだ。
広瀬康一は、ぶどうヶ丘高校に通っているどこにでもいるような普通の男子学生だ。
身長と体重が高校一年生の全国平均を大きく下回っているのが彼の個人的な悩みだが、それ以外に目立つところもなくクラスメイトからの評価もいたって平凡である。
塾に通っているが勉強はあまり出来る方ではない。
最近は少々性格のキツイ同級生の少女に勉強を教えてもらっているのでマシになったが、結果が現れるのはもう少し先になるだろう。
そんな彼がスタンド使いになったのは今年の四月のことだ。
ひょんなことから知り合ったリーゼントがトレードマークの同級生、
矢に選ばれなかったものはどんな部位に当たろうが死んでしまう。
康一は狙いすましたかのように喉を貫かれてしまった。
だがほんのちょっぴりだけ矢に選ばれていたが故に即死しなかった。
瀕死の怪我を負った康一を救ったのが仗助だ。
彼は触れたものを元の状態に戻すという珍しいスタンド能力を持っていた。
本来は死んでしまう状況から救われた康一に発現したのは、直径三十センチほどの大きさの緑と白のまだら模様をした鶏の卵のようなスタンドだった。
スタンドとは精神が具現化したものだ。
攻撃的で醜悪な精神をしているのならそれ相応の外見と能力を持ったスタンドになる。
スタンドとはスタンド使いの性質を表す鏡のようなものなのだ。
康一の場合は精神が未熟だったため、殻に閉じこもった何も出来ないスタンドとなってしまった。
しかし逆に考えれば、どんな形にも成長しうる可能性を秘めたスタンドとも言える。
康一はスタンド使いになってからの数ヶ月で様々なスタンド使いと渡り合った。
その経験が彼の精神とスタンドを大きく成長させた。
母と姉を守りたいという決心が、追い詰められた状況を打開したいという恐怖が、自分を庇ってくれた承太郎の気持ちに答えるための覚悟が、彼のスタンドの殻を破り脱皮という形で進化をもたらしたのだ。
「ぼくは塾に行く準備をしてから合流するよ」
「それじゃあ、おれと仗助は先に病院に向かっとくぜ」
「承太郎さんも時間を合わせて来るから遅れるなよ?」
わかってるよと答えながら康一は手を振って駅に向かう仗助と億泰を見送った。
彼らは高町士郎の治療と事情を説明するために海鳴大学病院に出向くことになっている。
本日の日付は七月一日、この日の時点でムカデ屋での事件から二日が経過していた。
士郎がどこに入院しているかは桃子とトニオが知り合いだったためすぐに分かったのだが、実際に行動するのには準備が必要だった。
表向きには士郎はSPW財団が経営している病院に移送されることになっている。
いきなり仗助のスタンドで大怪我を完治させてしまうと大騒ぎになってしまうからだ。
スタンド能力は大っぴらにするものではない。
仗助のスタンド能力が万が一にでも広まったら、ろくな事にならないのは目に見えている。
だからこそ病院関係者を誤魔化すために多少の時間を要した。
今現在、この町には多数のSPW財団の人員が待機している。
理由としてはスタンド使いが杜王町で起こした事件を内々で処理するためというのもあるが、スタンドの矢を回収することも仕事に含まれている。
康一や仗助、承太郎とその仲間たちは杜王町に潜む殺人鬼『
ただの殺人鬼なら警察に任せるのが妥当だが、吉良はスタンドを使って人知れず殺人を行っていた。
地球ではスタンドを使った犯罪を法律で裁くことができない。
魔法や
調査機関や法的機関に所属しているスタンド使いや、スタンドを知っている普通の人間も僅かながらに居るものの、あてに出来るほど人数が多いわけではない。
だからこそスタンド使いの犯罪はスタンド使いが止めなくてはならない。
しかし四六時中、吉良を探すのに時間を割り当てられるわけではない。
ある程度自由に予定を立てられる漫画家や調査の一環として滞在している海洋学者、仕事から引退して隠居生活に入っている老人とは違い、吉良を追っている者の大半は学生なのだ。
放課後や休日の時間を吉良の捜索に割いているが、連続殺人犯を追いかけているからといって学校を休むわけにはいかない。
正義感で動いているからといって日常生活を投げ出すわけにはいかないのだ。
急ぎ足で家に帰った康一は、玄関の前で死んだように眠っている大型犬──ポリスの背中をいつものように軽く踏んだ。
相変わらず身じろぎ一つしないなと思いながら玄関のドアに手をかける。
しかしドアは開かない。
この時間帯は康一の母親が在宅しているので玄関の鍵が開いているはずなのだが、今日に限って鍵がかけられていた。
鍵がかかっているということは買い物にでも出かけたのだろう。
そう思った康一は通学カバンから家の鍵を取り出してドアの鍵穴に差し込んだ。
「ただいまあ」
誰も居ないのはわかっているが、いつもの癖で挨拶を口にする。
康一の予想通り誰の返事も帰ってこない。
やっぱり誰も居ないのかと思い靴を脱いだ康一は違和感を覚えた。
出かけているはずの母親の靴がなぜか玄関の
それに室内の電気がついたままなのもおかしい。
康一の母親はこういう細かいところはシッカリしているはずだ。
以前、康一の家に小林
「かあさん……?」
康一の母親は窓際に置かれている二人掛けのソファーにもたれ掛かって眠っていた。
何かがおかしいと直感的に思った康一が近寄ろうとしたそのとき、母親がもたれ掛かっているソファーの背後から幼い子供のような声が聞こえてきた。
「おまえが広瀬康一だな」
その声色は思わず康一が息を呑むほど恐ろしく冷たいものだった。
いきなりの問いかけに康一が返事もできずに固まっていると、ソファーの背後にニメートル近い大きさの人型が浮かび上がった。
赤と白の二色で彩られた人型が、憤怒の形相を浮かべながら康一を睨みつけている。
現れた人型の姿に見覚えはないが、それの正体を康一は瞬時に理解した。
「スタンド使いだとッ!? 母さんに何をしたッ!」
「わたしはおまえが誰かと聞いているんだ。質問に質問で答えるのは礼儀がなってないぞ」
身構えた康一をたしなめながら、声の主がゆっくりとソファーの脇を回りこんで母親の隣に腰掛けた。
康一の立ち位置からだとスタンド像が邪魔をしていて本体の姿はよく見えなかったが、髪型と身長ぐらいは見て取れた。
康一よりも頭ひとつ小さい背丈と左右に別れたツインテール。
チラリと見えた服装からして少女であることに間違いは無さそうだが、感情を感じさせない冷徹な声は何十年も生きているような重みを漂わせていた。
「ぼくが広瀬康一だ。さあ、答えたぞ! 次はおまえがぼくの質問に答える番だッ!」
「そんなに心配することはない。当て身で気を失わせているだけだ。放っておけばそのうち目を覚ますだろう」
少女は単調な調子で康一の質問に答えた。
どこか機械的な印象すら感じられる口調に康一は冷や汗を流した。
お互いの距離は約5メートル、すでにACT3の射程距離内に入っているにもかかわらず康一は身動きをとれずにいる。
母親と敵スタンドの距離が近すぎるため迂闊に手を出せないのだ。
康一の眼前に佇んでいる真紅のスタンドはどこからどう見ても近距離パワー型のスタンド。
普通の人間と比べると素早い動きができるACT3だが、承太郎のスタープラチナや仗助のクレイジー・
「では次の質問だ。おまえは二日前の午後、靴のムカデ屋で空条承太郎と共に爆発する戦車のようなスタンドと戦ったな」
「たしかに戦ったけど……どうしてそんなことを聞くんだ?」
「……認めたな。ならばキサマは今この時からわたしの敵だ。二度と戦えないように再起不能になってもらうッ!」
てっきり少女のことを吉良の仲間か何かかと思っていた康一には、質問の意図がさっぱり分からなかった。
だが康一の回答は少女が感情を露わにする理由となった。
敵意をむき出しにしてソファーから立ち上がり襲いかかってきた少女の言葉の端々には、肌で感じられるほどの怒気が込められていた。
「迎撃しろ!
「了解シマシタ。『
いきなり態度が急変したことに驚きながらも、康一はスタンドに命令を下す。
エコーズの第三形態は自我を持っていて、本体が命令すれば自動的に対処することができる。
ACT3は拳で触れたものを重くする能力を持っている。
ACT3の殴打をスタンドでガードすればそれだけで能力が発動して本体にも影響が出るのだ。
素早さや力で劣っていたとしても、真正面からの殴り合いなら拳を触れさせることなど難しくないと康一は考えた。
「選択を誤ったな、広瀬康一」
「なッ!?」
康一の攻撃は一発も敵を捉えることはなかった。
少女と真紅のスタンドは康一の視界から掻き消え、音もなく背後に回りこんでいたのだ。
スタンドを戻そうと思った時にはすでに手遅れだった。
腕と足に車で
生け垣に突っ込んだので地面を転がるようなことにはならなかったが、手足は完全に使い物にならなくなっていた。
これではスタンドを十全に扱うのは難しいだろう。
「なに……が……起こったんだ……まさ……か、時間を止めたのか……?」
「空条承太郎のスタンド能力と一緒にするんじゃあない」
頭から血を流してうずくまっている康一の胸ぐらを、真紅のスタンドが掴んで持ち上げる。
肉が裂け骨が露出するほど折れ曲がった手足が、粗雑に持ち上げられたことで悲鳴を上げた。
全身に走った激痛で泣きわめきそうになった康一は、奥歯を噛み締めて声を出さないように必死に堪えた。
下手に騒いで近所の住人が様子を見に来たら巻き込んでしまうと思ったからだ。
「なんで……急所を外したんだ……」
「キサマが承太郎をおびき寄せるための撒き餌だからだ。ヤツが泊まってるのは杜王グランドホテルの324号室なんだろう?
仲間の連絡先を固定電話のそばに置いてあるアドレス帳に書いておくなんて、不用心すぎるんじゃあないのか?」
息も途絶え途絶えになっている康一にアドレス帳を見せつけた少女は、スタンドの脚力で生け垣を飛び越えて裏道に移動した。
そこには、そこらのチンピラが乗っていそうな型落ちのセダンが停車していた。
タイヤがすり減りボディが薄汚れていることから、納車からそれなりの年月が経過しているようだ。
窓ガラスが全てスモークになっていて中の様子が見えないようになっている。
少女は後部座席のドアを開けて乱暴に康一を押し込むと、助手席に移動して運転席にスタンドを座らせた。
スタンドで車のキーを回してエンジンを始動させた少女は、おもむろに折りたたみ式の携帯電話を取り出して、杜王グランドホテルの電話番号を打ち込み始めた。