意図せぬトラブルで時間を取られたが、なんとか予定の時刻に間に合ったわたしと父はフロントまで降りてきていた承太郎の案内により杜王グランドホテルのスイートルームに招かれた。
格式高いとまでは言わないが歴史のあるホテルのスイートルームなだけあって、置かれている家具は有名な海外ブランドのもので統一されている。
「とりあえず座ったらどうじゃ?」
屋内なのに大人用のサングラスとニット帽をつけた赤ん坊を抱いている大柄な老人──ジョセフ・ジョースターに
「……」
座ろうとしたソファは承太郎やジョセフのような2メートル近い日本人離れした長身の男性でもゆったり座れるような立派な品だった。
大きめとはいえ一般的な日本人女性でも背もたれとの間にクッションを挟めば十分に座れるサイズだ。
つまり身長が110センチにも届かない五歳児のわたしでは大きすぎるということである。
試しによじ登って座ってみたが両足が浮いてしまう上に、ソファクッション1つでは背もたれとの隙間をカバーできず非常に座り心地が悪い。
「ふむ、クッションをもっと用意したほうがいいかのう」
「それとも俺の膝の上に座るか?」
「パパ、遊びに来たわけじゃあないんだよ」
父を半目で睨みつけると残念そうな表情を見せながらも、おとなしく引き下がった。
結局、父の要望はなかったことにして部屋にあったソファクッションをかき集めて無理やりソファに座ることにした。
ジョセフのこちらを見る目が、心なしかやさしいような気がするのが余計に腹立たしい。
机を挟んで対面する形で置かれた2脚の一人がけの椅子にそれぞれ腰掛けた承太郎とジョセフ。
彼らの手元にはA4サイズで印刷された数十枚の資料があり、机の上には一台の
画面上には様々な言語の新聞や雑誌の切り抜きの画像が表示されている。
「ここにあるのはお前の記憶との差異を把握するため、半日ほどかけてSPW財団の人間に調べてもらった資料だ」
そう言って手渡してきた資料は日本語ではなく英語で
欲を言えばイタリア語が一番助かるが、これでも日本語よりは読みやすい。
しかし、たった半日でこれだけの資料を集めてくるとは、世界規模の組織なだけはある。
「わたしの記憶を読んだときに大まかに内容を記録していたとは、抜け目のない男だ」
「どちらにせよ確認は早急にしなくてはならなかったからな。見て分かるように、お前の記憶との差異は
承太郎の言う通り、パラパラと資料をめくると見覚えのある事件の詳細な内容が比較されていた。
パッショーネが強く干渉していたイタリア周辺ですらオレの記憶と同じ事件が起こっている。
全てが同じというわけではなく、些細な違いはあるようだが誤差の範囲に収まるレベルだ。
「逆に言うと、わずかだが差があるということか。つまり過去のオレ──ディアボロが死んだ世界ではない、と言いたいんだな」
「暫定だが、おれやSPW財団の科学者たちはそう考えている。
今後1年ほど様子を見て、おまえの記憶にある出来事が実際に起こるか検証はするが、ほとんど確定だと思っていい」
単純に過去の世界に生まれ変わったわけではない、というのは喜ばしい事実である。
なにせ、わたしの記憶通りに物事が進む運命の固定化された地獄のような世界ではないと証明されたのだ。
「未来を予知できるスタンド使いは感覚で理解しているが、一度
運命そのものを捻じ曲げるほどの強力な力を使うか、見た未来の解釈を変えることで回避するぐらいしか抜け道は存在しない」
「記憶通りに物事が進む可能性が減ったとしても、確実に変えられる可能性があるだけマシ、ということかのう」
承太郎のオマケだと思って軽視していたが、ジョセフも話の内容は理解できているようだ。
むしろ難しい顔をして唸っている父のほうが、ちゃんと理解できているのか怪しい。
「小難しい話は置いておくとして、ディアボロの正体や行動パターンを把握しているなのはなら先手を取れる、ということか」
「そういうことだね」
父の言う通り未来予知を改変する手段については、あまり関係ない話である。あくまで高精度の未来予想ができるというだけの話だ。
組織にわたしの知らないスタンド使いが増えているかもしれないので盲信はできないが、行動の指針にはなるだろう。
「……とはいえ、承太郎たちの目的としているポルナレフの救出は実行できるか怪しいな」
わたしがポルナレフを話題に出すと、承太郎とジョセフの目つきが変わった。わたしの記憶については前座で、やはりこれが本題だったか。
「おまえの記憶通りなら、この時期のポルナレフは既にディアボロに崖から突き落とされているんだったな」
「ううむ、あと数年早くなのはちゃんと接触できていたらポルナレフに忠告できたかもしれんのにのなあ」
承太郎は真剣な表情で思案し、ジョセフは口惜しそうにうなだれている。
追い打ちをかけてしまうため口には出さないが、ジョセフの言うように運良く数年早く接触できたとしてもポルナレフを救出するのは不可能だっただろう。
オレがポルナレフを始末したのは1990年代前半だが、わたしが生まれたのは1994年の4月6日──奇しくもジョルノに殺された日と同じである。
つまりどれだけ早く出会っていても手遅れだったのだ。それに生まれたての頃はマトモに意思の疎通などできなかったし、意識もはっきりしていなかった。
「コロッセオでのポルナレフの言葉から推測するに、現在は農村の
「人の少ない農村となると候補はある程度絞られるが、どうにかして見つけ出すことはできないか?」
「パッショーネはSPW財団や承太郎の動向も監視しているから難しいだろうな。
下手を打てば情報分析チームのカンノーロ・ムーロロにいいように利用されて終わるだろう」
ヤツのスタンド能力や組織内の立場、本人の人格を踏まえると、組織の調和を乱す存在を見つけたら素直に報告などせず、駒として扱うに決まっている。
ムーロロは暗殺チームに
お世辞にも褒められた性格ではないが有能だったため
それはともかく、ムーロロのスタンド──劇団<
予知能力は思ったほど使い勝手のいいものではない。映像、音声、静止画、文章、どのような形で表しても本人の受け取り方で解釈違いが発生してしまう。
映像と音声という複合的な能力のエピタフですら、十年以上使っていても読み違いは避けられなかった。
それなのにトランプたちが勝手に動いて劇を行い情報を伝えるという分かりにくい表現で百発百中というのは、いくら何でもおかしい。
あれの正体は非常に射程距離の長い群体型と遠隔操作型の性質を併せ持ったスタンドで、真の能力を誤魔化すために自力で情報収集をした結果をああやって見せていたのだろう。
「ディアボロの行動を先読みして先手を打つことは可能だと思うが」
……らしくないな、空条承太郎。冷静沈着で
わたしが否定的な答えばかり出しているせいで焦れているのか、心なしか機嫌も悪くなっているように思える。
承太郎の意見を
かつて自分が支配していた組織の恐ろしさを、わたしは誰よりも理解している。
だからこそ速攻でケリをつける方法を模索せねばならないのだ。
「わたしの記憶通りにヤツが動いているのなら不可能ではない。だが後々の事を考えるとそれは下策だ。
よしんばディアボロを殺せたとして、統制がとれなくなったパッショーネがどうなるか容易に想像できる。
あれは恐怖と利権で縛り付けただけの連中だ。絶対的なボスを失えば、ただでさえ悪化している治安が更に悪くなるだろう」
パッショーネは売春と強盗*1を除けば、ほぼ全ての違法行為に手を出している。特に国内外の麻薬取引は大きな収入源となっている。
当時のパッショーネは今ほど組織力が大きくなく、原産地や密輸ルートの確保はまっとうな手段では不可能であった。
手っ取り早く参入できる事業が裏社会に残っているはずもなく、どうやって組織の規模を拡大するか考えていたときに現れたのがマッシモ・ヴォルペという没落した貴族の家に生まれた男だ。
ヴォルペが海水や岩塩を原料にスタンド能力で作り出した麻薬は原価がほぼゼロなので、パッショーネの組織力を高めるのに非常に役立っていた。
もっとも個人の力に頼り切っていては離反されたときのリスクが大きすぎるため、初期こそヴォルペの作ったスタンド麻薬しか取り扱っていなかったが、最終的に通常の麻薬販売ルートも他のマフィアからかすめ取る形で確保している。
麻薬チームはヴラディミール・コカキというパッショーネ設立前から有名だった大物マフィアをリーダーに据えているので上手く逃げおおせるだろう。
しかし一般的な麻薬は偽装工作も兼ねて、パッショーネの支配下にある既存マフィアの名義で流通させていた。
パッショーネのボスが変わったと知れたら、フリーになった利権を巡って血で血を洗う抗争が起こるのは目に見えている。
「……だが、おまえの知識があるのなら、騒ぎを大きくせずにパッショーネを掌握することも難しくは──」
「空条さん、あなたはなのはをどうしたいんだ」
それは抑揚の感じられない静かな
あからさまに怒気を出しているわけではない。にもかかわらず、承太郎の首元に刀を
承太郎とジョセフも同じイメージを感じ取ったらしく、父が座ったまま動いてないにもかかわらずスタンドを出してしまっている。
「──すまない、おれが軽率だった」
「頭を上げてくれ、空条さん。あなたがポルナレフさんの身を案じて焦っているのもわかるが、少し冷静になってほしい」
かぶっていた帽子を脱いで頭を下げた承太郎に父が答える。
父も本気で怒ったわけではなく承太郎をたしなめるのが目的だったようで、すでに普段の
「ワァ────ッ! ンギャあああ────ッ!」
「お、おおっと、こりゃあイカン! 話の途中でスマンが、わしはこの子をなだめてくるぞ!」
一瞬とはいえピリピリとした空気が流れたせいか、今まで静かに寝ていた赤ん坊が大声で泣き出してしまった。
ジョセフは歳に見合わぬ見事な健脚を発揮してサッサと部屋を出ていってしまった。そもそも、なんで話し合いの場に赤ん坊を連れていたんだ……?
ジョセフがいなくても話は続けられるが場の空気を変えるため少し休憩を挟むことになった。
承太郎がルームサービスで頼んだ軽食と飲み物をつまみながら、わたしは先程の赤ん坊について尋ねてみることにした。
「ジョセフさんの抱いていた赤ん坊って何者なの?」
「……急に外見相応の口調になると調子が狂うな」
「そっちが話しやすいように意図して切り替えてるだけで日本語ならこっちが
真面目な話をしているのに場の空気が緩みそうな喋り方をするのもどうかと思うので、あえて父や兄の口調を真似ているのだが気に入らないのだろうか。
本格的に学び始めて3年は経つが未だに日本語や日本文化は理解しきれていない。表現方法が多いのはいいことだが、この言語は複雑すぎるのだ。
「じじいの抱いていた赤ん坊は、ものを透明にできるスタンド使いでな。親に捨てられたのか、見つけられなくなったのかは分からねえが、5月頃に仗助とじじいが保護した。
警察やSPW財団の手を借りて両親を捜索しているんだが、まだ見つかっていない。じじいが近くにいないとすぐに泣き始めてスタンド能力を暴走させちまうから、ああやって一緒にいたってわけだ」
「生まれながらのスタンド使いか。早く能力をコントロールできるようになるといいね」
親に捨てられたかもしれないというのは、わたしにも少し思うところがある。
良心ではなく同族意識に近いが、異質な力に理解のある親が現れることを願おう。
「ところで、おまえ──」
「なのはでいいよ」
承太郎はポルナレフの
だからといって、ジョセフのように
だが、これから仮初とはいえ仲間になるのだ。呼び捨てでいいので、さっさと名前で呼んでほしい。
「──なのはが『スタンドの矢』について把握していることを教えてほしい」
「知っていることはあまり多くはないけど、それでもよければ」
オレの発掘したスタンドの矢は6本で、その内の1本をパッショーネが確保している。
わたしと承太郎の情報を統合した結果、ポルナレフが確保している1本と吉良吉影の父親が持っている1本、虹村億泰の兄が持っていた1本までは所在を絞ることができた。
スタンドの矢がオレの発掘した6本しか存在しないと断定はできないが、最低でも行方不明の矢が2本存在すると把握できたのは大きい。
「そしてポルナレフの持っている矢にはスタンドを進化させる力がある」
「記憶にあった『
レクイエム化したスタンドは能力がどのように変化するか予想できない。
思えば虫のようなデザインの施された
承太郎によると回収した矢は普通の見た目で、回収できなかった吉良吉影の父親の矢にも、そのような特徴はなかったらしい。
スタンドをレクイエム化される可能性は低いがゼロとは言い切れない。
承太郎とその仲間たちには、敵のスタンド能力が変化するかもしれないと忠告しておいたほうがいいだろう。
その後もジョセフが帰ってくるまで、わたしたちはお互いの知識のすり合わせを続けていった。
誤字脱字、表記のぶれ、おかしな日本語、展開の矛盾を指摘していただける国語の先生をお待ちしております。