不屈の悪魔   作:車道

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キング・クリムゾンの重圧 その①

 エニグマの少年を再起不能にしてから数時間後、承太郎経由で吉良吉影に関して気になる情報が見つかったとなのはに連絡が入った。

 露伴が駅前で撮影していたサラリーマンたちの写真の中に怪しい人物が写っていたと判明したのだ。

 その人物の名は川尻浩作(かわじりこうさく)、S社に勤めるサラリーマンだ。家族構成は妻と息子と自身を含めた3人家族。

 素行や経歴に怪しい点があったわけではない。偶然、コソコソしている小学生に興味が湧いた露伴が気まぐれに撮った写真がきっかけだった。

 

 背中に取り憑く敵スタンド──チープ・トリックを倒すために、杜王町内に存在するオカルトスポット『振り向いてはいけない小道』に逃げ込んだ露伴は、無事にチープ・トリックを倒すことができた。

 その際に、小道に居着いている吉影に最初に殺された被害者──杉本鈴美(すぎもとれいみ)の幽霊が、偶然にも露伴がばらまいてしまった写真の中から(くだん)の少年を見つけ出したのだ。

 少年の名は川尻早人(かわじりはやと)──川尻浩作の息子である。息子にビデオカメラで隠し撮りされている男は普通じゃない。そう睨んだ露伴は翌日の朝に早人と会うため承太郎たちに招集をかけた。

 待ち合わせの時間は7月16日の午前8時30分、早人に関する情報を持っている露伴と合流して、戦えるスタンド使い全員で話を聞きに行くという形でまとまった。

 

 なのはももちろん同行するつもりでいる。士郎も当初は付いていくつもりだったが、スタンド使いとの交戦経験があってもスタンドが見えないことに変わりはないのだから無理をしないでほしいと、なのはに止められてしまった。

 明日も士郎には仕事があるし承太郎や仗助たちが一緒だから平気だと説得されて渋々折れたが、集合場所までなのはを送る約束だけは取り付けたのだった。

 

 

 

「もうこんな時間か」

 

 自分の部屋で椅子に座って早人の写真を眺めていたなのはがポツリと呟く。室内に置かれている目覚まし時計は7月16日の午前8時を指している。

 集合場所は高町家からそう遠い位置ではない。なのはの足でも十分に歩いて行ける距離である。今から家を出ても早すぎるだろう。

 そろそろ一階に降りようかと思ったなのはが席を立ったとき、奇妙な音が室内に響き渡った。

 なのはが何事かと思って目をやると、飲みかけで放置していた蓋の閉じたペットボトルがなぜかひしゃげているではないか。

 

「……?」

 

 不思議に思ったなのはが蓋を開けるとペットボトルはプシュッと音を立てて元の状態に戻った。

 いよいよもって意味がわからず首を(かし)げていると、急に顔をしかめてよろめいた。

 

「耳の奥が痛い……いったいなにが……スタンド攻撃を受けているのか?」

 

 耳を押さえながら、なのはは下階にいる家族の様子を確認するために前進する。

 そして扉を開けようと取っ手に手をかけたが、そこでふと動きを止め額に意識を集中した。

 エピタフの予知を見たなのはは困惑した。どれだけ能力を使い続けても、予知に映っている自分は扉の前で立ったまま動こうとしないのだ。

 

(なぜ扉を開けない……いや、これは()()()()のではなく()()()()()()のか?

 開けたら何かが起こるから『扉』を開けない、ということなんだな。ならば時を飛ばして『扉』をすり抜ければいい!)

 

 ゆっくりしている暇はない。蓋をもう一度閉じたペットボトルはベコベコと音を立てながら圧縮され続けている。

 エピタフを解除してキング・クリムゾンを出現させたなのはが時を飛ばそうと身構えたその時、ゆっくりと部屋の扉が何者かによって開かれた。

 

「なの、は……大丈夫か……?」

「パ……パパッ!?」

 

 倒れ込むように扉を開けて室内に入ってきたのは士郎だった。だが、その様子は尋常ではない。

 扉を開けて移動してきた瞬間、鼻や目、耳から多量の血を垂れ流し始めたのだ。しかも症状は悪化の一途を辿っている。

 このままでは士郎が取り返しのつかない状態になってしまう。どうにかしようと高速で思考を巡らせていたなのはの脳裏に、ひとつの可能性が浮かび上がった。

 

(そうか、理解できたぞ。予知のわたしが『扉』に触れなかった理由(わけ)が!)

 

 出したまま待機していたキング・クリムゾンで倒れ込んでいた士郎を廊下に移動させたなのはは、そのまま大急ぎで扉を閉める。

 そして、すぐにでもスタンド能力を使って士郎の様子を見に行こうとしていたなのはの頭上に、先程までは影も形もなかった未知のスタンドが姿を現していた。

 

「よくもやってくれたな、くらえッ! キング・クリムゾン!」

 

 逆さまにしたバケツのような頭部と先端がキャスターのようになっている四足が特徴的な敵スタンドに、鬼のような形相をしたキング・クリムゾンの拳が襲いかかる。

 しかし敵スタンドはぐにゃぐにゃと形を変えて攻撃を受け付けない。煙を殴ったような手応えしか残らない結果に、なのはは舌打ちをついた。

 

(クソッ! この手応え、ポルポのブラック・サバスと同じ遠隔自動操縦型のスタンドか!)

 

 本体が近くにいない可能性になのはは焦りを覚えた。通常の攻撃が通用しない遠隔自動操縦型のスタンドはダメージのフィードバックがなく、直接本体を倒さなければ能力が解除されない場合が多いのだ。

 

 キング・クリムゾンは一見すると強力な防御能力と予知能力を併せ持った無敵に近いスタンドだが、明確な弱点が存在する。

 それは遠隔で広範囲を攻撃するスタンド相手に有用な攻撃方法が欠けているという点だ。

 相手の効果範囲外に逃れるだけなら簡単なので弱点とは言えないかもしれない。実際、自分を守るだけでよかったディアボロにとっては弱点でも何でもなかった。

 だが、なのはは違う。ディアボロとは違い、なのはには()()でも守らなければならない家族がいるのだ。自分ひとりだけ助かるだなんて選択肢を選べるはずがなかった。

 

「……賭けになるが、やるしかない。キング・クリムゾンッ! 我以外の全ての時間は消し飛ぶ!」

 

 髪を結っていたリボンを外しながら宮殿を展開したなのはは、意を決して廊下へと歩を進める。

 そのまま扉をすり抜けながら首を回して髪を広げると、宮殿を展開したままエピタフの能力を発動させた。

 これこそがなのはの真の切り札、キング・クリムゾンとエピタフの同時使用である。

 代償として宮殿の展開時間が半減するが、代わりに時を飛ばした場合の未来を予知することが可能となる。

 この予知で室内に戻っている自分の姿が見えた場合、敵スタンドの能力はキング・クリムゾンでも回避不能ということになるが──

 

「ぐっ……すまない、なのは。迂闊に動いてしまったようだ」

「ううん、パパは悪くないよ。それよりママたちは?」

 

 なのはは敵スタンドの影響を無事に回避することができたようだ。

 とはいえ安心はできない。なのはがスタンド能力の影響を確認するために部屋から持ち出したペットボトルは、元に戻るどころかへこみ続けている。

 

「みんなリビングにいたはずだが……まずいな、異変に気がついて『扉』を開けてしまうかもしれない。それにこの現象はいったい……」

「『加圧』だよ。スタンド能力で空気が『加圧』されているんだ。そして『扉』を開けると一気に『減圧』される……そういう能力だと思う」

 

 士郎の身に起きた症状になのはは心当たりがあった。いや、心当たりどころか実際に食らって死んだ経験すらあった!

 この症状の正体は──減圧症! 人体が馴染むよりも早くに気圧が低下することで発生する機能障害だ。

 急激な気圧変化で血中の空気が気泡となり膨張することで血管をつまらせる。

 どれだけ肉体を鍛えた武術の達人でも体の作りが人間である以上、耐えることのできない現象だ。

 

「なら『扉』ではなく窓や壁に穴を開けて移動すれば……」

「いや、その程度で回避できるほどスタンド能力ってのは単純じゃあない。このスタンドは閉じられた空間ひとつひとつを『結界』にして、それぞれの内部を『加圧』していく能力の可能性が高い。

 どんな手段であれ、移動して『結界』の境界をまたいでしまったら能力の影響で『減圧』に巻き込まれるよ」

 

 キング・クリムゾンは発動中、ほぼ全ての物質や能力から干渉されなくなる。敵スタンドの『結界』を通り抜けた過程すらなかったことになるのだ。

 スタンドを超越した存在(レクイエム)や、能力同士が矛盾していて相手のほうがスタンドパワーが上回っていないかぎり、キング・クリムゾンの能力は絶対である。

 

 しかし戦闘面において突出した強さを誇るキング・クリムゾンでも、場に作用するスタンド能力を全て無効にすることはできない。

 なのはは『減圧』こそ回避できたが『加圧』の影響は受け続けている。

 気圧差による影響がなかったということは、それぞれの『結界』の『加圧』される速度は同じであると証明された。だが、時間の猶予はあまり残されていない。

 

「わたしのキング・クリムゾンならパパを連れて『減圧』の影響を無視して『結界』から『結界』へ移動できる。とりあえず、みんなの様子を見に行かないと」

 

 減圧症の影響でふらついている士郎をキング・クリムゾンで支えながら、なのはは階段を降りる。

 幸いにもリビングの『扉』は開けっ放しになっていて、廊下の『結界』と同じ範囲内に収まっていた。

 

「桃子!」

「ママ!」

 

 リビングにはソファに座ったままぐったりとしている桃子しかおらず、恭也と美由希の姿が消えていた。

 なのはと士郎が桃子に声をかけると、頭だけを二人に向けながら青白い顔をして口を開いた。

 

「ふたりは道場に……人影が見えたから様子を確認してくるって……」

 

 高町家にはあまり大きくないが道場が敷地内に併設されている。家と繋がっているわけではなく独立した作りとなっていて、移動するには一度外に出る必要がある。

 

「すぐに終わらせてくるから、パパとママはここで待ってて」

 

 恭也と美由希が追いかけた相手はスタンド使いの可能性が高い。ならば手遅れになる前に動かねばならないとなのはは考える。

 自分のせいで家族を巻き込んでしまったことを悔やみながらも氷のように冷たい表情で内心を隠しつつ、すぐさま道場に向かおうとした。

 

「俺も連れて行ってくれ」

 

 よろめきながら立ち上がった士郎がなのはを呼び止める。

 なのはも万全の状態とは言い難いが、一度『減圧』を食らっている士郎よりは余裕があったがゆえの判断だった。しかし彼には納得いかなかったようである。

 

「立つのがやっとの状態で、いったいなにができるの? わたしならこんな相手、簡単に倒せるから──」

「刺し違えてでも勝つつもりの娘を黙って見送れるわけがないだろ」

 

 暴慢とも言える答えで煙に巻こうとしたなのはの言葉に重ねるように士郎が言い返す。

 ピクリと眉を動かしたなのはは視線を左右に揺らしながら返す言葉を考えているが、ろくに言い返せずにいる。

 

「恭也と美由希も、そのスタンド使いに攻撃を受けているかもしれないのに、黙ってここで待っているなんてできない。

 戦った結果、二度と戦えない体になるかもしれないが構わない。それに、やっと本心を知れた娘を守れないほうが、よっぽど悔いが残るからな」

「……絶対に死なないと約束して。約束できないなら同行は許可しない」

 

 重々しく口を開いたなのはの顔には苦渋の色が見て取れる。本来ならば、僅かにでも勝率を上げるなら士郎も一緒にいたほうがいいだろう。

 肉体のリミッターを外す奥義がある御神の剣士は、多少なら常人よりも無茶をすることができる。当然反動は相応のものだが、それでも無理を通して戦うことはできる。

 役に立つのは分かっていた。それでもなのはが連れて行こうとしなかったのは、単純に士郎にこれ以上怪我をしてほしくなかったからだ。

 だが士郎の想いを知ってしまえば簡単には断れない。矛盾するふたつの思考はなのはを悩ませた。苦悩の上で出した答えが、意味のないようにも聞こえる口約束であった。

 

「ああ、約束する。俺は絶対に死なない」

 

 呼吸を整え小太刀を手にした士郎が、なのはの暗く淀んだ藍色の瞳を(しか)と見つめる。

 なのはは士郎を信じることにした。そして何が何でも家族全員──自分も含めて絶対に誰も死なせないという覚悟を決めたのだった。

 

 

 

 なのははキング・クリムゾンにファイヤーマンズキャリーという方法で士郎を担がせて、残った片腕を使って自分を持ち上げた。そして時を飛ばすと同時に力強く地面をスタンドに蹴らせる。

 近距離パワー型のスタンドの脚力は馬鹿にはできない。一般的に脚力は腕力の三倍と言われているのと同じで、スタンドの脚力も腕力以上に常人離れした力を持っている。

 一度(ひとたび)地面を蹴れば、長距離は難しいが自動車並みの速度で移動することも可能なのだ。

 

「お兄ちゃん! お姉ちゃん!」

 

 道場の入り口をすり抜けて内部に入ったなのはの目に飛び込んできたのは、士郎のときと同じように顔から血を垂れ流して床に倒れ込んでいる恭也と美由希の姿だった。

 士郎のときよりも容態が悪く、手足や顔の一部が大きく陥没してしまっている。担ぎ上げていた士郎を下ろしながら、なのはは二人の容態を確認するために駆け寄った。

 

「……よかった、息をしてる」

「なのは、気を緩めるんじゃない! 誰かがいるぞ!」

 

 士郎の忠告に従って、なのはも道場の奥まった位置に身を潜めていた人影に視線を向ける。確かに、そこにはなのはと大差ない大きさの人影が見えていた。

 

「時が吹っ飛ぶ感覚でなんとなくわかってはいたが、まだくたばっていなかったか。

 ワシのスタンド……『オゾン・ベイビー』の能力を受けてなおここまでたどり着けるとは、吉廣の言っていたとおり中々に強力なスタンド能力ぢゃな」

 

 隠れていたのは不気味とも言える風体の男だった。身長は五歳児のなのはより少し大きい程度で、遠目から見ればただの子供に見える。だが、顔や手には壮年の男のような無数のシワが刻まれていた。

 服装もマトモではない。ちゃんと服を着ているように見えるが、実際には短パンと靴しか履いておらず、残りは直接体に書かれたボディペイントである。

 そんな異様な外見の男──プアー・トムは、あぐらをかいてタバコを吹かしながら、ブロックのおもちゃで作られたホワイトハウスのような見た目の物体を小脇に抱えている。

 

「おまえも吉良の父親が矢で生み出したスタンド使いか!」

「いいや、違う。ワシと吉廣はもっと昔からの付き合いぢゃよ。もっとも……ここで始末されるおまえに語ったところで無意味ぢゃがなッ!」

 

 両者の距離は10メートルと少し、キング・クリムゾンで時を飛ばせば十分に近づける距離である。だがプアー・トムは立ち上がりもせずに、ただニヤニヤとなのはたちの様子を眺めているだけだ。

 

(ヤツはわたしの能力を理解しているようだが、なぜ逃げようとしない? この手のスタンドは本体に近寄られるのが弱点のはず……何か秘策があるのか?)

 

 エピタフの予知で映し出される5秒後の未来でもなのはは一歩も動いていない。近づくことで何かが発生するのは確実なようだが、迂闊に行動できずにいた。

 こうしている間にも『加圧』は進んでいく。気圧ではなく水圧で例えるが、人間の素潜りの最深記録は214メートルである。

 鍛えている士郎なら21気圧を超えても耐えられる可能性がある。しかし一般的な五歳児と大差のないなのはでは、とても耐えられない。

 しびれを切らしたなのはがエピタフによる予知を打ち切り、時を飛ばしてプアー・トムを直接攻撃しようとしたとき、沈黙を続けていたプアー・トムが口を開いた。

 

「おまえ、いまスタンド能力を使ってワシに近付こうとしたな? それはやめておいたほうがいい。余計に苦しむだけぢゃ」

「キサマが近寄られたくないからって、そうやって警戒させようとしても無駄だ」

 

 発言とは裏腹に、なのはの脳裏にはプアー・トムの発言は本当なのではないかという考えが浮かんだ。

 根拠はある。恭也と美由希の負傷が士郎の負傷よりも酷いという点になのはは疑問を覚えた。

 もし『加圧』が始まってから外に出たのなら、リビングから出た時点で倒れているはずである。

 つまり二人が道場に入った時点では、まだオゾン・ベイビーの効果は本格的に現れてはいなかったはずなのだ。

 それなのに減圧症の症状に加えて、手足が陥没するほどの『加圧』を受けた痕跡が残っているのは辻褄(つじつま)が合わない。

 欠けていたピースが組み上がっていく。無意識のうちに、なのはは自分の予想を口に出していた。

 

「……まさか、キサマのスタンド能力は『距離』も影響するというのか?」

「そのとおり、ワシのオゾン・ベイビーは一定の距離に近づけば一気に『加圧』が強くなる。そこの二人はワシを取り押さえようとしただけでそうなったんぢゃよ」

 

 ニタニタと嫌らしい笑みを貼り付けたまま、プアー・トムは新しいタバコに火をつけた。

 『加圧』は緩むことなく進み続ける。なのはたちに残された時間は刻一刻と減っていっていた。




誤字脱字、表記のぶれ、おかしな日本語、展開の矛盾を指摘していただける国語の先生をお待ちしております。

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