トリッシュ・ウナはイタリア国内の女性シンガーとして非常に知名度の高い人物──ドナテラ・ウナの娘である。
父親譲りのストロベリー・ブロンドと母親譲りの美貌を持った歌手見習いの15歳の少女だ。
トリッシュはイギリスのクリステラ・ソングスクールに留学していたが、ドナテラが急死したという連絡が入って大急ぎでイタリアに帰国していた。
膨大な遺産などの整理はドナテラと仲の良かったティオレ・クリステラに協力してもらって片付きつつある。
金銭目当ての見たことも聞いたこともない親戚や、怪しい活動家が実家のあるイスキア島へ集まってくるので一刻も早くイタリアを離れたいが、遺産整理は簡単には終わらない。
事情を説明しても納得する連中などおらず、最愛の母親を失って傷ついた心を癒やす暇もない。
それでも2ヶ月ほど頑張って、なんとかイギリスに戻れる
トリッシュはできることならドナテラとの思い出が詰まった実家を離れたくはなかった。
歌手としての活動で忙しかったにも関わらず、ドナテラはできる限り時間を作ってトリッシュに愛を注いだ。
トリッシュにとって、この家は唯一の家族との思い出の場所なのだ。
イギリスにも友人はいる。特に世話になっているティオレの娘のフィアッセのことをトリッシュは姉のように慕っている。
HGS患者が超能力を使う際に現れる
ああ、早く帰っていつもの生活に戻りたい。そう願うトリッシュだったが、運命は彼女を逃さない。
強盗対策のために民間の警備会社を雇っていたにもかかわらず、トリッシュはパッショーネの者に半ば拉致に近い形でレストランテに連れて行かれ事情を説明されることとなった。
一般人でも知っている犯罪組織のボスが自分の父親だった。
そう言われてもトリッシュには実感が湧かない。
生まれてこの方、父親について考えたことは無くはないが、一度も会ったことのない男など居なくて当然なものとしか思っていなかった。
トリッシュに事情を説明した小柄な老人──ヌンツィオ・ペリーコロはギャングとは思えない物腰の柔らかい人物だった。
それは警戒心を緩めさせるための擬態だったのかも知れないが……環境が変わりすぎてついて行けていないトリッシュには、そこまで深く物事を読み取る余裕はなかった。
ペリーコロに言われるがままカプリ島まで連れて行かれたトリッシュは、年若い青年たち──ブチャラティチームに護衛されながらパッショーネのボスであるディアボロの
サン・ジョルジョ・マジョーレ教会が建っている島は1ヘクタール──縦横100メートル程しかない小さな島である。
キング・クリムゾンの時飛ばしなら島全体を軽く覆ってしまえるほどの小さな島だ。
ディアボロはパッショーネの力を使って、改修工事と称して観光客や教会の関係者を追い払ってトリッシュの到着を前日の朝から待ち構えていた。
ブチャラティチームは暗殺チームの猛攻を
自分自身ともう1つの人格以外は絶対に信頼しないディアボロだが、ブチャラティの統率力とチームの実力には尊敬の念を抱いていた。
このまま何事もなくトリッシュを引き渡し終えたら、組織内での地位を更に引き上げてもいいと思うぐらいには評価している。
教会の
ディアボロはトリッシュを自らの手で始末するために護衛させたのだと気がついたブローノ・ブチャラティは、エレベーターシャフトを伝って追跡を開始した。
こうしてブチャラティの生死を分けるであろう戦いが始まったのである。
「くらえ『スティッキィ・フィンガーズッ!』」
ジョルノ・ジョバァーナがゴールド・エクスペリエンスの能力で生命を与えたテントウムシのブローチはセンサーとしての役割を果たす。
ブチャラティはエレベーターシャフトを降りていくディアボロに、密かにブローチをくっつけていたのだ。
ジョルノからディアボロの位置を携帯電話で伝えられたブチャラティは、
だが、ブチャラティの攻撃はディアボロには当たっていない。
彼の目には、柱の陰に立っている自分を自分で殴ったように見えていた。
「柱の影にいたのは
「最後だから教えてやろう……おまえがたった今目撃し、そして触れたものは……『未来』のおまえ自身だ。
数秒過去のおまえが未来のおまえ自身を見たのだ」
ブチャラティは過去にジョルノのスタンド能力で生命力を過剰に与えられて、精神が暴走して肉体を飛び出すという経験をしている。
今起きている現象は、そのときと同じ原理だ。
時間が吹っ飛んでいる間の行動はキング・クリムゾンを使える人物以外は把握できない。
ブチャラティは攻撃している最中に時間をふっ飛ばされて、無意識に柱の裏に回り込んだ行動を認識しきれず脳が誤作動を起こしたのだ。
「これが我が『キング・クリムゾン』の能力!
時を飛ばしてブチャラティの背後に回り込んでいたディアボロは、そのままキング・クリムゾンの拳を叩き込もうと構える。
だが、そのとき予想外の出来事が起きた。
拳が腹に突き刺さる寸前だったブチャラティが、いきなり目の前から消えたのだ。
まるで瞬間移動したかのように姿を消したブチャラティに、ディアボロは目を見開いて驚いた。
ディアボロが知るブチャラティチームのメンバーに瞬間移動を可能とするスタンド使いはいない。
唯一スタンド能力の全貌が分かっていない
(馬鹿な……エピタフが『未来』を映し出さないだとッ!?)
未来さえ読めれば不幸という名の『落とし穴』を回避して『沈む』ことなく『絶頂』のままでいられる。
しかし、起動したはずのエピタフは真っ黒な未来を映し続けたまま、何の情報ももたらさない。
納骨堂が暗いからなどという単純な理由ではない。
ディアボロも初めて遭遇する現象だが感覚的に理解できた。
何らかの能力が干渉して、エピタフの未来予知を妨害しているのだ。
「やれやれ、際どいタイミングだったが……なんとか間に合ったようだな」
「キサマは……まさか、ジョータロー・クージョーか!」
暗がりから現れた厚手の白いコートを着込んだ男が、キング・クリムゾンの背後から様子をうかがっていたディアボロと向かい合う。
ディアボロは現れた男のことを以前から知っていた。
男の名は空条承太郎。ディアボロの正体を追っていたジャン=ピエール・ポルナレフの仲間であり、SPW財団という超常現象を密かに研究している組織と繋がりがある。
暗殺を生業としている裏社会のスタンド使いには名のしれた人物で、ディアボロも警戒していた相手だ。
いずれ戦う可能性があると考えて顔を覚えていたので、瞬時に正体を見破ることができた。
「な、何が起こっているんだ……オレはボスに背後をとられていたはずなのに……この『能力』は一体なんなんだッ!」
「落ち着け、ブローノ・ブチャラティ。わたしたちは敵ではない。トリッシュを保護しに来たSPW財団の人間だ」
承太郎はトリッシュとブチャラティをディアボロから守るため立ちふさがっている。
警戒している承太郎の代わりに、柱の陰から姿を見せた何者かがブチャラティに語りかけた。
聞こえてきた声の主の姿にブチャラティは困惑する。
「な……子供だと……?」
「あの男の『
スティッキィ・フィンガーズを出したまま、どう動くべきか思い悩んでいるブチャラティに桜色の長袖のパーカーと灰色のショートパンツを着ているツインテールの少女──高町なのはが忠告する。
あえてディアボロに自分を警戒させるため、なのはは自身の能力の一部をこの場で説明した。
彼女の狙い通り、ディアボロは突然の乱入者に警戒して動きを止めている。
エピタフは最終的に選択した未来を予知する能力だ。
では、同じ能力か同系統の能力がかち合うとどうなるか?
答えは単純だ。お互いに結果を覆し続けて永遠に予知が終わらなくなる。
後出しジャンケンに例えると分かりやすいだろう。
両者とも最初から後出しするつもりだと、どちらも動けずに
その結果が真っ黒に塗りつぶされた予知である。
『ブチャラティ、聞こえていますか! 何か異常が起きている。早くそこから逃げてくださいッ!』
「緊急事態だ、ジョルノ。説明は後でするがオレは今、ボスと戦っている。そして第三者が戦いに介入してきた。
相手の言葉を信じるなら、オレとは敵対する気はないようだが……どうにかトリッシュを連れて脱出を試みる」
『……分かりました。ボスの足止めは任せてください』
承太郎が時間を止めて救出したブチャラティの手には携帯電話が握られたままだった。
承太郎となのはを信用できない以上、敵になるかも知れない人物がいる状況でディアボロに集中していたら不意打ちされる恐れがある。
ブチャラティが最も信用ならないと思っていたのは、承太郎ではなくなのはだった。
彼はギャングとしては
彼は直感的に、なのはが自分と同じく裏社会に属しているか、かつて属していた過去の持ち主であろうと見抜いていた。
その上、未来を予知できるスタンド能力を持っていると自分から明かしたとなっては、警戒するのは当然とも言える。
(実際に会ってみて、トリッシュが『我が娘』であると直感で理解した。ということは、つまり! おまえも、このオレと同じことを感じられるということだ。
だからこそ、この場で始末しなければならないのだが……クソッ! エピタフが使えなくては
一方のディアボロも、このまま戦うか逃げるか決めあぐねていた。
キング・クリムゾンをポルナレフが無敵の能力と称したのはエピタフで未来を予知できるからだ。
未来が読めなくても直感で時を飛ばすことはできるが、ここぞというときに時を飛ばせない可能性が出てくる。
見るからに近距離パワー型のスタンドを使う承太郎を相手にするだけならディアボロは戦うことを選ぶだろう。
だが、自分と同じく未来予知のスタンド能力を使えると宣言してきたなのはが加わると、一気に戦況は怪しくなる。
それに加えてディアボロは奇妙な違和感を覚えていた。
トリッシュよりはハッキリとしないが、なのはからも妙な気配を感じるのだ。
血の繋がりとは違う。むしろドッピオと自分の関係に近いであろう
「キサマの目的はジャン=ピエール・ポルナレフの敵討ちといったところか。
だが、
ポルナレフが密かに情報を伝えていたとしても、動くのが遅すぎやしないか? え? ジョータロー・クージョー」
「ポルナレフがてめーにやられたってのも理由の一つだが……問題はそこじゃあない。
おまえは自分のためだけに『娘』を切り捨てようとした。『悪』とはてめー自身のためだけに弱者を利用しふみつけるやつのことだ。
だから……てめーは、この空条承太郎がじきじきにブチのめす」
未来が読めなくとも時を飛ばせば簡単に逃げられる。
ならば最終的にどちらを選ぶにしろ、少しでも情報を引き出すべきだと考えたディアボロは、あえて承太郎を挑発するような言葉を選んで投げかけた。
しかし承太郎は挑発には乗らなかった。
これがDIOを倒すために旅をしていた頃の承太郎なら、ディアボロの
だが歳を取ったことで承太郎は良くも悪くも落ち着きを覚えてしまったのだ。
それはつまり、精神的な爆発力が減ってしまったということだ。
DIOとの決戦時に怒りでスタンドパワーを増大させたような真似は、今の承太郎では難しいだろう。
戦いの勘を取り戻したことで全盛期と同等──5秒の時間停止が可能となっているが、それでも当時の承太郎のほうが強い。
しかし落ち着いたとはいえ、承太郎は怒りを感じていないわけではない。
彼は結婚していて8歳の娘もいるのだ。海洋学者やSPW財団の仕事が忙しくて直接会える機会は多くはないが、それでも1日1回以上は電話で家族と話すことを心がけている。
承太郎にとって父親は家にいないのが当たり前の存在だった。
だから、自分が家に居なくても、態度や言葉で示さなくても、妻や娘は自分の考えを理解しているだろうと思い込んでいた。
その考えが変わったキッカケは、杜王町で見た高町家のやり取りだった。
頭では分かっていても、言葉にしなければ分からないことはある。
仕事の忙しさにかまけて、承太郎は無意識に妻と娘に自分の考えを押し付けていたのだと気がついたのだ。
それからというもの、承太郎はマメに家族と連絡を取るようになった。
熱を出していた娘の
寂しい思いをさせてすまなかった。これからは一緒に過ごす時間を可能な限り作ると自分の考えを言葉にした。
急に態度が変わったことで妻と娘に気持ち悪がられて落ち込んだりしたが、少なくとも家族を大切にしているという気持ちは伝わった。
失った信頼を取り戻すのは難しい。これから何年もの歳月をかけて、承太郎は妻と娘に
そんな彼が、自分の娘を
顔に出さないだけで、承太郎は爪が食い込み血が出そうなぐらい力強く拳を握っている。
先に手を出さないのは、時を止めて仕留めきれなければ逆に再起不能にさせられると理解しているからだ。
「ならば、キサマも食らうがいい。我が『キング・クリムゾン』の能力を──ッ!? な、なにィ~~ッ!?」
「『亀』にボスが吸い込まれた……ジョルノの『ゴールド・エクスペリエンス』の能力か!
足止めとはそういう意味だったんだな。よし、今のうちにトリッシュを連れて──」
ディアボロが承太郎の真意を確かめるために二の足を踏んでいたのは悪手だった。
密かに貼り付けられていたテントウムシのブローチにジョルノはスタンド使いの亀──ココ・ジャンボの細胞を植え付けた上で生命力を与えていた。
ココ・ジャンボはディアボロがブチャラティチームに貸し与えていたスタンド使いである。
ココ・ジャンボのスタンド──ミスター・プレジデントは本体である『亀』の体の中に居住空間を作り出すという能力を持っている。
『亀』は人間ほど多彩な精神性を宿していない。そのためか、ゴールド・エクスペリエンスで作り出したココ・ジャンボのクローンも同じスタンド能力を持っていたのだ。
「正直少し驚いたが……エピタフで未来が読めなくとも、時を飛ばせばこのような小手先の技をかわすのは
このままエピタフを妨害しているガキから始末してやる」
「ずいぶんと自信があるようだな。やれるものならやってみるがいい。
もっとも……わたしからしてみれば、おまえの能力は無敵でもなんでもないがな」
「き、さま……なぜだ、なぜ
時間が消え去り、全ては動きの軌跡となった世界をディアボロ以外の人物が認識している。
それはあってはならない事態だった。ディアボロは衝撃のあまり、脂汗をにじませながら顔を歪めている。
ディアボロがパッショーネのボスとして君臨できているのは、これまで築き上げてきた経験によるものが大きいが、彼は生まれながらに帝王だったわけではない。
帝王としての『素質』こそ生まれながらに持っていただろうが、それを開花させたのはキング・クリムゾンの存在が大きい。
彼のプライドや自信は、スタンド能力で『未来』を捻じ曲げられる絶対的な優位性があるからこそ維持できているのだ。
その立場を脅かす
それこそ、自分の正体の手がかりになりうるトリッシュより見逃せない存在だ。
なのははスタンドのヴィジョンを出さずに、無表情でじっとディアボロの瞳を見つめている。
懐かしむようでいて、嫌悪感も混ざっている奇妙な眼差しだった。
もっとも、ディアボロにはなのはの
ディアボロはキング・クリムゾンに絶対の自信を持っているが、素顔を見られた上で逃げられるリスクは避けようとする臆病とも言える性格をしている。
幸いにもディアボロは、宮殿を認識しているなのは以外には顔を見られていない。撤退するなら、今このタイミングしかない。
近接戦しかできないキング・クリムゾンは、多人数を相手に戦うと顔を見られる可能性が高い。
過去の経験上、エピタフを併用すれば5人相手までなら完全に隠れたまま立ち回れる自信があったが、予知を封じられている現状では3人相手でも完全に姿を隠して立ち回るのは難しい。
承太郎のスタンド能力も把握しきれていない以上、無理をしてまでこの場で決着をつけるのは不確定要素が多すぎる。
自分と似たような能力の持ち主であろうスタンド使いを放置するのは歯がゆいと思いながらも、ディアボロは今すぐに始末するのを諦めて撤退することに決めた。
「逃げる気か? このまま身を隠して、わたしに怯えて過ごすつもりなのか?」
「オレの『帝王』としてのプライドを刺激して、無理やりにでも戦闘に持ち込もうとしているようだが、その手には乗らんぞ。
このままブチャラティの部下が集まってきたら、オレの素顔が露見するリスクが増えるから仕切り直すだけだ。
だが……我が宮殿に土足で踏み入ったおまえを決して逃しはしない。覚悟しておけ……次に会ったときがキサマの最期だッ!」
なのはの挑発を軽くいなして、ディアボロはエレベーターの入り口をすり抜けて消えていった。
ディアボロを取り逃がしてしまったが、なのはは最初からこうなるだろうと思っていた。
なのははディアボロの性格をこの世の誰よりも熟知している。
本人が敗北を意識していないかぎり、逃げようとしたときに呼び止めても『帝王の誇り』を守るために戦闘はしないだろうと予想はできていたのだ。
結末は分かっていたのにディアボロを挑発した理由──それは、自分を囮にしてトリッシュを守るためだった。
今回の
優先順位を上げさせることで、少しでもトリッシュに身の安全を確保する。
そのために、あえてなのはは自分がディアボロに対応できるスタンド使いだと明かしのだ。
『ブチャラティ、ナランチャのレーダーが島から離れていく反応を探知しました。そっちはどうなっていますか?』
「オレにも何がどうなったのか分からんが……どうやらボスは姿をくらましたようだ。その離れていく反応とやらがボスなんだろう。
ジョルノとミスタ、ナランチャは納骨堂まで降りてきてオレの援護をしてくれ。こいつらから注意をそらしたくない」
トリッシュを抱えて離れた位置から承太郎となのはの様子を注意深く観察しているブチャラティが、携帯電話でヒソヒソとジョルノに連絡を取っている。
視線の先では承太郎となのはが何やら会話しているが、ブチャラティには内容までは分からず見ていることしかできない。
なのはと承太郎の会話はイタリア語ではなく日本語だったため、ブチャラティには何を言っているか理解できなかったのだ。
意見のすり合わせを終えた二人は、壁に背を預けて一言も言葉を発さずにジョルノたちが降りてくるまで動かずに待っていた。
誤字脱字、表記のぶれ、おかしな日本語、展開の矛盾を指摘していただける国語の先生をお待ちしております。