首の裏から鉄杭が突き出ているミスタと、体中から尖った鉄の固まりが肌を貫いて穴だらけになったナランチャの横を通り過ぎて、透明のまま姿を見せない黒いフードを被ったモノクロ調の服を着た男──リゾット・ネエロは真っ直ぐ歩みを進める。
なのはの目にはリゾットの姿は見えないが、エピタフの予知で立っている位置は把握していた。
足音を立てないようにゆっくりと着実に歩いているリゾットは、倒れているミスタとナランチャには目もくれずにトリッシュとなのはに向かっている。
「え……何が起こったの? 急にふたりとも倒れて……血が、あんなにも血が出てるわ! すぐに助けないと──」
「駄目だ! 近寄るんじゃあないッ! すでにわたしたちは敵スタンド使いから襲撃を受けている。今すぐ後ろに下がれ!」
前に出ようとするトリッシュの手をなのはが掴んで引っ張りながら、ポケットから透き通った物体を取り出した。
先端が尖った銃弾のような形をしたそれは、リゾットと交戦した場合に備えて用意していたポリカーボネート製の弾丸だった。
ポリカーボネートは戦闘機の
金属製の弾丸ではメタリカの能力で防がれると考えて、事前に用意していたのだ。
キング・クリムゾンの両腕だけを出したなのはが、スタンドの手に弾丸を握らせて指弾の要領で発射する。
精密な動きがスタープラチナやクレイジー・Dと比べると苦手でも、この距離なら狙った場所に攻撃するのは容易い。
なのはの狙い通りに飛んだ弾丸がリゾットの右太ももに食い込んで体勢を崩した。
金属と比べると合成樹脂はどうしても質量が軽くなるので、距離が離れていたのもあって貫通まではしなかった。
だが、ダメージを受けたことでスタンド能力の制御が緩んで、透明だったリゾットの姿がなのはたちの目に見えるようになった。
リゾットの透明化は、スタンド能力で生み出した磁力で砂鉄を体の表面に付着させて景色と同化させるという原理で発動している。
表面の砂鉄が攻撃で削れたり本体がダメージを受けると、どうしても一瞬だけ能力が解除されてしまうのだ。
「
ならば……トリッシュ・ウナ共々、ボスを暗殺するために利用させてもらうぞ」
「トリッシュだけではなく、わたしも狙っているだと……? どこでその情報を──ッ!」
地面から飛び出してくるメスのような形状のナイフによる集中砲火をエピタフで予知したなのはが、小さく舌打ちしながらキング・クリムゾンの両腕を使って防御を行う。
同時に『紙』から金属が一切使われていない特注品の透明なライオットシールドを取り出して、トリッシュとともに身を隠した。
両腕だけでは防ぎきれなかったナイフが盾に深く突き刺さってトリッシュが小さく悲鳴を上げた。
ザクザクと音を立てて大量のナイフが盾に突き刺さるが、幸いにも一本も貫通しなかった。
小口径の銃弾なら防げるように設計されているだけあって、磁力で初速が上がっていたとはいえ、目で追える程度の速度のナイフを防ぎ切るぐらいの耐久度はあった。
「オレの『メタリカ』への対策は万全ということか。ならば、やり方を変えるとしよう。
オレはおまえに近づかない。コイツらを殺されたくなければ、おまえのほうからメタリカの射程距離内に入ってこい」
なのはが都合よく取り出した非金属製の道具を見ても、リゾットは表情を崩さない。
あえて二人を即死させずに生かしていたのは、人質にするためだった。
もっとも、なのはが躊躇したらリゾットは問答無用で二人を殺すだろう。
二人に意趣返しのような攻撃をしたのも、散っていった仲間たちの痛みを思い知らせてやるという意思の現れだった。
(マズイ、このままではミスタとナランチャを殺されてしまう。時を飛ばすか……いや、
ブチャラティたちに時を飛ばしたことがバレるのは構わないが、ディアボロに感づかれるのだけは避けなくてはならない。時を飛ばすのは最終手段だ)
スタンドの腕だけではなく全身を展開してダメージ覚悟でリゾットの側まで近づき、1秒ほど時間を飛ばして背後から不意打ちをすれば始末できる自信がなのはにはあった。
ダメージを受けたとしても即死しなければジョルノのスタンドで治療できる。
勝算はそれなりに高かったが、それでも実行には移せなかった。
1秒以下の時飛ばしに反応できる人物はほとんどいない。なのはの知っているかぎり、気がつけるのは承太郎とディアボロだけだ。
時を飛ばせば承太郎は何か起きていると感づくだろう。
だがディアボロがこの付近に潜伏している場合は、なのはの本当のスタンド能力を自分から教えることになってしまう。
自分以外にも時を飛ばせる相手がいると知った場合ディアボロがどう動くのか、なのはにも予想がつかない。
時間にして数秒にも満たない間に最善の行動を考えているなのはと向き合っているリゾットも、優れた観察眼と事前に仕入れていた情報を用いてなのはの正体を探っていた。
(なぜ、あの子供はスタンドの腕だけを展開しているんだ?
あの動きの速さからして、両腕だけではなく全身を出せばナイフを防ぎきれたはず……まさか、
そもそもスタンドの腕だけ出しても本来のパワーは発揮できないので、本体が殴るのと同時に体に沿わして展開して射程を伸ばすぐらいしか使いみちのないテクニックである。
明らかにスタンドと本体の体格が釣り合っていないなのはが両腕しか出さない理由など、リゾットにはひとつしか思い浮かばなかった。
この状況においてスタンドのヴィジョンを隠す理由──それは
なのはがキング・クリムゾンの腕しか使っていない理由をリゾットは正しく見抜いていた。
なのははリゾットをナメているから手を抜いて戦っているわけではない。
むしろ、条件さえ整えばディアボロすら暗殺できる人物という高い評価をしている。
全力を出せていないのは、ブチャラティがキング・クリムゾンのヴィジョンを見てしまっているからだ。
彼に自分のスタンドを目撃されるか共に戦った人物から外見を伝えられたら最悪の場合、そのまま協力関係が瓦解してしまうのを危惧して腕だけで戦っているのだ。
似た能力ならともかく外見すら同一のスタンドなど、それこそ
スタンドとは本体の精神性の表れであり、たとえ家族や双子でもよっぽど特異な条件が重ならなければ全く同じ外見にはならない。
なのはのキング・クリムゾンはディアボロのものと完全に同じ外見をしている。
精神性の違いで、なのはのキング・クリムゾンは歯を食いしばったような表情はしておらず口を閉じているが、違いはそれぐらいしかない。
全身ならともかく、腕だけなら多少は誤魔化せるだろうという考えで仕方がなく、ドッピオにキング・クリムゾンの腕を貸し出していた状況と同じ戦い方をしているのだ。
「無駄だと思うが、ひとつだけ聞いておきたいことがある。
リゾット・ネエロ、わたしたちと協力してパッショーネのボスを倒すつもりはないか?」
「オレは組織を乗っ取るために、ボスを暗殺しようとしている。
ブチャラティたちと目的が同じなのに協力できるわけがない。さて……そろそろ決断したか?」
スタンド能力を再発動して足先から徐々に透明になっていくリゾットの黒い瞳がなのはを射抜く。
ミスタとナランチャの首元に大ぶりのナイフが生成されていく姿を見せつけながら、リゾットがなのはを急がせる。
リゾットが少しでも磁力を操作してナイフを動かせば、ミスタたちは頸動脈を傷つけられて死んでしまうだろう。
「……分かった、わたしからキサマのほうに行く。だから、その二人には手を出すんじゃあないぞ。トリッシュは、そこで動かず待っていてくれ」
「駄目よ! ナノハじゃあ、一度でも攻撃を受けたら再起不能になるわッ!」
透明化が解けているリゾットの特徴的な外見を見て、トリッシュはようやく目の前にいるスタンド使いが、昨日なのはが予知で見た人物だと気がついた。
リゾットのスタンド能力も説明されていたため、トリッシュはなのはを止めようと警告したが首を横に振って前へと進む。
なのはの体重は20キログラムちょっとしかない。身長が180センチ前後あるドッピオやディアボロの体重の三分の一以下である。
人間の体の中を流れる血液は体重に比例する。当然、血中に含まれる鉄分の量も同じだけ変化する。
すなわち、なのははドッピオの三分の一以下しかリゾットの鉄分操作に耐えられないということになる。
実際には身体能力の差もあるので、耐えられても2回が限度だろう。そのリスクを承知で、なのははリゾットとの戦闘に踏み切った。
「そうだ! あたしがブチャラティたちを呼んでくるわ!」
「オレは近づかないとは言ったが黙って見逃しもしないぞ、トリッシュ・ウナ」
リゾットに背中を向けて、ブチャラティたちがいる方向に行こうとしたトリッシュに向けて大量のナイフが放たれた。
なのはがスタンドの腕を使って盾を投げて壁にしたことで大半は弾き飛ばされたが、防ぎそこねた一本がトリッシュの頬をかすめた。
まさか自分まで攻撃されるとは思っていなかったトリッシュは、軽く裂けて血が出ている頬を触れながら怯えている。
リゾットは無傷でトリッシュを手に入れるつもりはない。情報さえ聞き出せるのなら、手足を切り落としてでも拉致するつもりでいる。
なのはが血を流して意識を失っている二人に近づいたのを確認したリゾットは、体を完全に透明にして気配を消してしまった。
なのはには士郎のように気配を探る技術がない以上、リゾットの居場所を知る手段はエピタフと磁力の反応しかない。
(コンパスの針は大きくは動いていない。リゾットはトリッシュのほうには向かわず、スタンドを使えるわたしを先に再起不能にするつもりか)
手のひらの中に密かに隠し持っていた
エピタフでは現在のリゾットの位置が分からないので、予知と合わせて磁力の発生源を探っているのである。
戦いは時間との勝負だった。メタリカの鉄分操作は即効性があるわけではない。
例外として自分自身の鉄分は瞬時に操作できるが、射程距離の中心である本体から離れれば離れるほど鉄分を集めるのに時間がかかる。
また、血中の鉄分を操作する場合は、完全に静止している相手以外は表皮に近い位置しか操れないという欠点もある。
動き回っている人間の体内の鉄分を集める場合、どうしても目に見える表皮に限定されてしまうのだ。
よって、この状況で脳や心臓の中に鉄製の物体を出現させ対象を即死させるのは不可能だ。
もっともリゾットの目的は暗殺ではなく拉致、もしくは拷問なので可能だったとしても即死させようとはしないだろう。
「……そこかッ!」
「ぐっ!?」
リゾットの大まかな位置を推測し終えたなのはが弾丸をリゾットに向けて放った。
リゾットはなのはから見て左方5メートル前方の岩陰に潜んでいた。この距離ならば、予知と併用すれば確実に弱点を攻撃できる。
なのはの撃ち出した弾丸はリゾットの左目に突き刺さり、そのまま眼球を完全に潰した。
反射的にメタリカを使って眼球周辺の鉄分を集めてガードしていなければ、
再び透明化が解除され左手で目を押さえながらよろめいているリゾットに、なのはが距離を詰める。
すでにキング・クリムゾンの腕には新しい弾丸が握られており、リゾットの右目に狙いを定めていた。
「キサマのスタンドは暗殺向きだが……致命的な欠点があるな。
射程距離の短さから察するに、目視した相手しか攻撃できないんだろう? このまま右目も潰してやる」
「見事な攻撃だ……だが、メタリカの弱点を知ったところで、もう遅いんだぞ。
鉄分を操作して止血したのか、目から手を離したリゾットが岩に背を預けて右目を細めながら冷淡な声で宣言する。
エピタフの予知ではリゾットに攻撃が成功する未来しか見えていなかった。
だからこそ攻撃に踏み切ったのだが、今になってなのはは判断ミスだったと理解した。
リゾットは攻撃されることを想定して、なのはをこの場所まで誘導していたのだ。
「こ、これは……いつの間に、こんな物を……」
「ナノハッ!?」
突然、なのはの左足を突き破って銀色の液状の金属が大量に飛び出してきた。
前触れもなくいきなり発生した攻撃に、トリッシュが悲痛な声でなのはの名を呼ぶ。
筋繊維ごと足をズタズタに引き裂かれたことで体重を支えきれなくなり、なのははそのまま崩れ落ちてしまった。
痛みで錯乱することもなく、なのはは殺意の籠もった眼差しをリゾットに向けているが状況は最悪だった。
「オレのスタンドは磁力を操作して鉄分を集めるが、それは鉄が地表に出る金属の中ではもっとも多い金属だからだ。
ミスタの銃弾を曲げたように、鉄以外の金属を操作することも当然できる。
おまえの予知が見ることしかできない能力で助かったよ。
もし予知した未来を実際に体感できる能力だったのなら、こうして騙されなかったはずだからな」
背景と同化している自分の位置を正確に見破れる能力ということは、視覚に頼った予知なのだろうとリゾットは予想していた。
恐るべきは、これだけの判断材料で能力の詳細を見抜いてみせたリゾットの観察眼だろう。
なのはがリゾットの目に弾丸を直撃させる未来を見た段階で、実際にはリゾットの攻撃も始まっていた。
エピタフは死角からの攻撃には反応することができない。
10年以上エピタフを使っているなのはも、そのことは理解していたつもりだった。
だが誰かを守りながら戦うという慣れない動きは、彼女の判断を僅かに鈍らせていた。
キング・クリムゾンは自分の身しか守ることのできない能力だ。
誰かと共闘した経験など数えるほどしかないなのはでは、この状況で本領を発揮できるはずがない。
最初から時を飛ばしていれば、この場にトリッシュがいなければ、ミスタやナランチャが人質になっていなければ結果は変わっていただろう。
しかし、この結果を招いたのは全てはなのはの判断によるものだ。
なのはは無意識の内にリゾット・ネエロを甘く見ていた。
ギリギリのところまで追い詰められてナランチャのエアロスミスを利用したとはいえ、一度は前世で勝っている相手だ。
スタンド能力の全容を把握していて、対策として様々な道具も用意している。本当に危なくなったら時を飛ばせばいい。
なのははリゾットを高く評価しているつもりで、自覚もなく
彼女の精神性はひどく歪んでいる。日常や家族、友人を守ろうとする心がある一方で、帝王としてのプライドが崩れ去っても、かつての
杜王町にいる頃は比較的安定していたがイタリアに来てからというもの、なのはの精神性はディアボロの頃に近づいていた。
ディアボロと同じように、異常なほどに正体を隠したがる言動もその表れである。
その結果、時を飛ばせば勝てるはずのリゾットにものの見事に手玉に取られてしまった。
追いつめられたことで、ようやくなのはは自分がどれほど愚かな行動をしていたのか自覚した。
「持って生まれた『
礼を言うぞ、リゾット・ネエロ。おまえのおかげで、わたしはようやく『自覚』することができた」
「おまえ……何者だ? その目つきに自信……元より年齢にはそぐわないと思っていたが、外見通りの中身をしていないな」
急に改まって、神妙な面持ちで礼を言い始めたなのはにリゾットは眉をひそめる。
おそらく時間稼ぎなのだろうと判断したリゾットが次なる攻撃を放とうと構えた瞬間、
「消えただとッ!?」
地面から垂直に伸ばした鉄の棒で体を縫いつけようとしていたリゾットは、攻撃が失敗してなのはの姿が見当たらなくなったことに一瞬だけ動揺したが、すぐさま落ち着きを取り戻した。
目を凝らすと、岩場に点々と血が滴り落ちているのだ。
その血痕を追いかけるとすぐになのはの居場所は見つかった。
なのはは腕しか見せていなかったスタンドの全身を展開して、時を飛ばしながら岩陰まで移動していた。
ギリギリ射程距離の外まで逃げられたこと以上に、どうやって一瞬で移動したのかについてリゾットは考えを巡らせている。
そして最終的に行き着いた答えに、そんなことがあり得るのだろうかと自問自答してしまった。
(血が滴り落ちているということは、ジョータロー・クージョーが時を止めて救出したというわけではないだろう。
……まさか、
もしかすると……オレは思いもよらぬところでボスの正体を掴んでしまったのかもしれない)
彼は
どこで知ったのか、その情報にはブチャラティチームや承太郎たちだけではなく、ディアボロのスタンド能力まで含まれていたのだ。
ボスの素顔や素性、本名までは分からなかったが、サルディニア島に辿り着けたのもその男の情報によるものだ。
なのはの予知能力を知っていたのも、それが理由だった。もっとも半信半疑だったので、リゾットも最初から信じていたわけではない。
トリッシュからはボスの素性を引き出すため、なのはからは事前に予知で得ていたであろう未来の知識を得るためにリゾットはサルディニアまで来ていたのだ。
ブチャラティチームの暗殺はボスを始末してからでも遅くないと考えている。
砂鉄をかき集め背景に溶け込みながら、復讐者となった暗殺者は静かに動き出す。彼は今まさに『真実』の一端に触れようとしていた。
誤字脱字、表記のぶれ、おかしな日本語、展開の矛盾を指摘していただける国語の先生をお待ちしております。