トリッシュとアバッキオを残して車は先を急ぐ。誰も口を開くことなく周囲を警戒している車内には張り詰めた空気が流れている。なのははエピタフの予知を流し見ながら、少しでも現状を把握しようとしていた。
なのはもディアボロの頃の知識からスタンド使いの殺し屋として有名なホル・ホースやラバーソールの情報は知っていた。そしてディアボロが、この二人をわざわざ高額な報酬まで用意して招き入れた理由も推測できている。
ブチャラティたちを分断するのも目的のひとつではあるだろう。だが、本命はそうではない。ディアボロが彼らを雇った本当の理由──それは、全てが終わった後にチョコラータとセッコを始末するためだとなのはは考える。
かつての
チョコラータのスタンド──グリーン・デイは無差別に広範囲を攻撃できる凶悪なスタンドだが、どんなものにも『カビ』を生やせるわけではない。グリーン・デイは生物相手にしか能力を発動できない。
その特性上、スタンドのみで遠隔攻撃できるクラッシュやエンペラーなら一方的に攻撃できる。身に纏うタイプのスタンドであるイエローテンパランスは本体を『カビ』から守れる。
ブチャラティたちの足止めのために現れたスタンド使いたちは、全員がグリーン・デイの能力を無視できる可能性が高かった。セッコという近距離戦闘に高い適性を持つ相棒がいるので簡単に勝てるとは言えないが、少なくとも一方的にやられるほど相性の悪い人選ではない。
消去法でこうなったのかもしれないが、十分に対処が可能な状況で暴走を恐れてゲスどもを呼び寄せないほどディアボロは臆病ではない。だからこそ、なのははコロッセオまで数キロ圏内に入った現状でも上空を警戒している。そして、ついに予期していた状況が現実のものになった。
「……なんだ、この音は? オレの耳鳴りか?」
「いえ、ぼくにも聞こえています。しかも、どんどんこちらに近づいている。この音は……ヘリコプターのローター音かッ!」
ブチャラティが耳鳴りだと思った音は全員が聞こえていた。クラッシュによって機銃を破壊されて無意味になった銃座から、ジョルノが身を乗り出して上空を確認する。見上げた先には、
車を追い越して、そのまま急旋回して大きく傾いたヘリコプターの内部から何かが車にめがけて投下された。エピタフで未来を見ていたなのはが目を見開く。彼女は、とんでもないものが車に直撃しそうになる未来を見てしまった。
「承太郎ッ! 空から
「スタープラチナ・ザ・ワールド!」
なのはの警告とほぼ同時のタイミングでヘリコプターを操縦している緑髪の男──チョコラータがスタンド能力を伝播させるために落とした死体が車体に当たりかける。だが、そのまま死体がフロントガラスを突き破るより早く承太郎が時間を止めた。
全身が『カビ』だらけの死体がこのまま直撃すれば、いかに頑丈なハンヴィーでもバランスを崩してスリップを起こす恐れがある。そこで承太郎は時間を止めたまま車外にスタープラチナを移動させて、全力で死体を掴んで近隣の住居の屋根の上に向けて放り投げた。
時が再び動き出し、彼らを乗せた車は坂道を降っていくが『カビ』が生える気配はない。承太郎が時を止めてグリーン・デイの能力で発生した『カビ』を遠ざけたおかげで感染を免れたのだ。しかし、チョコラータの攻撃はこれで終わりではなかった。
「この坂道を過ぎれば、コロッセオに着くまでは平坦な道が続いている。『カビ』に感染するより早く坂道を通り過ぎれば問題は──ッ!?」
「な、何が起こったんだッ! いきなり車がバランスを崩したぞッ!?」
「くっ……キング・クリムゾン! 時間を消し去って飛び越えさせるッ!」
ブチャラティが目視できる距離まで近づいたコロッセオを見ながら語りかけていたが、最後までいい切ることはできなかった。いきなり車体が前方に大きく傾いたことにジョルノが反応を示す。
坂道を下り終えかけていた車が前触れもなく大きな衝撃とともに勢いを失った。一同はすぐに動けるようにシートベルトをしていない。時速100kmオーバーで進んでいた車が急減速したことで、一瞬の内に全員の体が慣性の法則で空中に投げ出された。
このままでは窓ガラスを突き破って車外に放り出されるか、地面を転がる車内の壁面に叩きつけられて大怪我を負うだろう。コンマ数秒というごく僅かな猶予しかなかったが、なのはは迷うことなくキング・クリムゾンの両腕を使いジョルノとブチャラティを強引に掴んで時間を飛ばした。
宮殿を展開したことで物体をすり抜けられるようになったなのはは、車の外に脱出するとすぐさま時間を再始動させた。宮殿に取り込まれたことで運動エネルギーを一旦リセットされたブチャラティとジョルノは、いきなり車外に移動したことに驚き目を白黒させている。
時間を止めて脱出したのか承太郎も無傷でなのはの隣に立っていた。スタープラチナで時を止めてブチャラティたちを移動させることもできたが、時止めでは本体以外に作用している運動エネルギーに干渉することはできない。
時間を動かしたあと、真横に吹っ飛んでいかれたら困るので承太郎は二人の対処をなのはに任せたのだ。二人は互いにスタンド能力の検証や模擬戦を、この2年間に何度も行っていた。時止めと時飛ばしの利点と欠点は完全に把握している。
親と子ほど歳が離れているが、承太郎となのはは言葉を交わさずに動けるぐらいには信頼関係を築いている。友人といえるほど親密ではないが、かといって顔見知りほど冷めているわけでもない。あえて例えるなら職場の同僚のような関係だった。
「車が道路に沈んでいく……資料に書いてあったもうひとりのスタンド使いの能力か?」
「どうやら連中は二段構えの罠を張っていたようだな。おれたちのスタンド能力は、すでにバレていると考えたほうがいい」
バンパー部分が大きく歪んでいるハンヴィーが、エンジンが載っていて比重が重い前輪部分から沈んでいくさまを眺めながら、ブチャラティと承太郎が話し合っている。一同は坂道を下り終えているため『カビ』の影響を気にする必要はないが、民間人の被害は甚大だった。
ヘリコプターのローターによって舞い上がったグリーン・デイの『カビ』が散布されて、あっという間に感染が広がっていく。
娘のために医者を呼びに行こうとした父親が、坂道を下っていたバイクの運転手が、ベランダから下を見ようと身を乗り出した男性が次々と『カビ』の餌食となっていく。
この状況を見たジョルノとブチャラティは明らかに動揺していた。こうなる可能性を知っていた承太郎は口元を歪めて帽子を深く被り直しながら、なのはに視線を向けた。無言で頷いたなのはは、ポケットの奥深くに入れていた『紙』を取り出して広げようとしている。
「そんな……ッ! ローマには300万人もの人々が暮らしているんだぞ! 組織の者だっているはずだッ! それに、ボスがコロッセオに向かっているのなら確実に巻き込むぞッ! ヤツは親衛隊じゃあなかったのかッ!」
「……こいつは平気だ。こいつは楽しんでいる! ナノハッ! ボスはこれを承知でチョコラータを送り込んだのかッ!」
「
チョコラータの凶行を見たブチャラティとジョルノは額に汗をにじませている。思うところがあるのか、なのはは射殺さんばかりの殺気を漂わせながら『紙』から取り出した筒状の物体をキング・クリムゾンに握らせた。
兵器の類にはあまり詳しくないジョルノとブチャラティだったが、それが何の用途に使われるシロモノかはすぐに理解した。
キング・クリムゾンの肩に担がれた暗緑色の物体──それは『
当初は安価で比較的容易に入手できる
実際に戦う予定の承太郎やなのはは銃火器の扱いに長けているわけではない。そこでSPW財団やジョセフ・ジョースターの人脈を使ってアメリカ陸軍の高官と交渉して、狙いさえつければ自動的に追尾するスティンガーを1基だけ調達したのだ。
この事実が発覚したらアメリカ陸軍やSPW財団を巻き込んだ一大スキャンダルになるので、なのはもここぞというときしか使うつもりのない物だった。もし時期がずれ込んでアメリカで歴史的な同時多発テロ事件が起きたあとだった場合、入手は難しかっただろう。
数百メートル離れた位置からなのはたちの様子を見ているチョコラータはミサイルの照準を合わせられているとはつゆ知らず、つまらなさそうに鼻を鳴らしながら地面の中に潜んでいるセッコと電話をしていた。
「フン……時間を操作できるスタンド使い相手に、あの程度の罠は通用しないか。だが、残っている連中はどいつもこいつも近距離しか攻撃できない。オレはこのままヘリからカビを撒き続ける。
『……でも、よォ~~~ もし、あいつらが……ボスを倒しちまったら、どうするんだよォ。チョコラータァァ?』
「そのときは、あの男に教えてもらった『例のもの』を使うまでのことだ。ま、どっちが勝とうが最終的には使う予定なんだがな。ヘリを操縦しながらじゃあ、ビデオカメラで生命にしがみつく必死の形相を撮れないは残念だが……ん? あのガキ、何を持っているんだ?」
距離が離れているため肉眼ではなのはたちの様子がよく見えないチョコラータは、
ヘリコプターの動きが止まったタイミングで、なのはがスティンガーの引き金を引いたのだ。白い煙が尾を引きながらミサイルがチョコラータの操縦するヘリコプターに向かって突き進む。そして、そのままヘリコプターの側面に突き刺さって爆炎を上げた。
スティンガーの命中精度は8割程度だがエピタフの予知があれば百発百中である。ミサイルの一撃に耐えられるスタンド使いなど時間を操作できるか防御に優れた能力の持ち主だけだ。だが、地上に散らばるヘリコプターの残骸を眺めているなのはの表情は険しかった。
「直撃したぞッ! あの爆発なら、ヤツは確実に死んでいるはずだッ!」
「……いや、失敗だ。『カビ』が解除されない。チョコラータはまだ生きている」
「スタープラチナで見ていたが……どうやらあの野郎は爆発の寸前にヘリから飛び降りたようだ」
ブチャラティの目には爆発に巻き込まれたかのように見えたが、実際にはチョコラータは上手く逃げ延びていた。その証拠に、周囲に広がる『カビ』はまだ解除されていないとなのはが指摘する。承太郎の言うとおり、チョコラータは
なのははあわよくばこれで仕留められると思っていたが、そううまく事は運ばなかった。このままチョコラータを見逃して被害を広げるわけにはいかない。隠蔽のため時間を飛ばしてスティンガーの発射機を地中深くに埋めたなのはは、振り返って承太郎に話しかけた。
「あの男は確実に始末しなければならない……承太郎、後のことは任せる。チョコラータとセッコはわたしが相手をする」
「……ナノハだけであのコンビを同時に相手するのは厳しいでしょう。ぼくも残ります。ブチャラティとジョータローはコロッセオへ急いでください」
唐突に共闘を持ちかけてきたジョルノの言葉になのはは目を丸くした。なのはが単独でチョコラータとセッコを迎え撃とうとしたのはスタンド能力の相性もあるが、ブチャラティたちと協力して戦えるほど信用されていないと思っていたからだ。
今は協力しているとはいえ、かつてはディアボロと同じ人間だった相手に簡単に気を許すはずがない。ましてや、その気になれば簡単に自分を殺せるであろう能力の持ち主と肩を並べるなど正気ではない。そんななのはの反応を見たジョルノは微笑を浮かべている。
「ナノハの話で把握した人物像から判断するに、ディアボロとぼくの考え方は似通っている部分がある。ぼくが幼い頃に
だからこそ、ナノハはディアボロとは違うとわかるんだ。ナノハやジョータローがぼくたちに協力しているのは、こちらを信じているからだ。だから、ぼくもあなたたちを信じると決めた。さあ、行ってください。ブチャラティ、ジョータロー!」
ジョルノはジョースターの正当な血統ではない。もし、歯車がひとつでも狂っていたらDIOのような悪のカリスマになっていた可能性がある。しかし、劣悪な環境で生きてきたにもかかわらず、ジョルノはDIOのように歪むことなく黄金の精神を宿して成長できた。
幼い頃、ジョルノは名も知らぬギャングを助けたことがある。そのギャングは恩を返すため、間接的にジョルノの境遇を改善していった。それでいて、そのギャングはジョルノを決して裏社会の事情に巻き込もうとはしなかった。
前世のあり方を引きずっていたなのはがが高町家の面々から『人を頼る心』を学んだように、ジョルノは両親ではなく裏社会を生きるギャングから『人を信じる心』を学んだのだ。ジョルノとなのはには信じて頼ることを知ってあり方が変わったという共通点があった。
「行かせる、ものかよ……おまえたちは、ここで、地面に沈んで、カビだらけになるんだぜ」
地面から頭だけ出している茶色いスーツのようなスタンドを纏った男──セッコが周囲の地面に向けてスタンド能力を発動させた。彼のスタンド──オアシスは無機物、生物問わず本体が触れたあらゆるものを溶かしてしまう能力を持っている。
チョコラータはセッコをあらかじめ潜行させて、道路を溶かさせていたのだ。スパイス・ガールとは違い、オアシスの能力で液状化したものは本来の硬さを保っている。沈みこそするが液体のように扱えるのは、本体であるセッコだけなのだ。
高速で移動していた車は、溶けながらも硬いままの地面に
しかし、セッコの思い描いた通りに事態は進まない。地面に沈んで『カビ』を生やすかと思われたブチャラティたちだったが、そのような単調な攻撃が通用するほど承太郎となのはは甘っちょろい相手ではない。すでに二人は時間を操作して移動していた。
「……おまえが、オレと、戦うつもり、なのか? ジョルノ・ジョバァーナよォォォ!」
「おまえをこれ以上先に行かせるわけにはいかない。チョコラータの相手はナノハに任せた。おまえはぼくが始末するッ!」
ジョルノの斜め後ろから現れたセッコが
こうして様々な思惑が入り乱れた『矢』を巡る戦いが始まった。個々に分断されながらも、ブチャラティチームの面々は懸命に戦っている。最終的に誰が生き残り、誰が勝者となるのか。それは本来の運命を知るなのはですら予測できなかった。
生き残るのはこの世の『真実』だけである。真実から出た『誠の行動』は決して滅びはしない。過去を乗り越えるために運命をかき乱したなのはの行いが本当に『誠の行動』だったかどうか、今まさに試されようとしていた。
誤字脱字、表記のぶれ、おかしな日本語、展開の矛盾を指摘していただける国語の先生をお待ちしております。