救急車と消防車のサイレン音を聞きながら車椅子に腰掛けている銀髪の円柱形の髪型をした男──ジャン=ピエール・ポルナレフはコロッセオの2階から双眼鏡を使って周囲の様子を探っていた。
彼がコロッセオという有名な観光地を集合場所に選んだのには、いくつかの理由があった。第一に観光地なのでイタリア人以外の人物がいても違和感がない。第二にコロッセオ周辺は地元民が立ち寄ることは少ないので不用意に目立たずに済む。
第三にブチャラティたちより先にパッショーネの暗殺者が現れた場合は、交戦や撤退がしやすい立地である。コロッセオは身を潜められる物陰が多い上、柵で封鎖されている部分もあるが脱出経路は多く存在している。
ディアボロと戦ったときの後遺症で満足に体を動かすことのできないポルナレフだが、それでも鉄柵を自身のスタンド──シルバーチャリオッツのレイピアで切断できる程度の力は残されていた。
「あちこちから煙が立ち上っている。先程、大きな爆発音も聞こえたが……ディアボロの手下のスタンド使いが暴れているのか? 幸いにもコロッセオまで被害は届いていないが、ここで待ち続けるのは危険かもしれないな。だが……おれには待つことしかできない」
車椅子を移動させてアーチ部分から離れたポルナレフは手に持っていた双眼鏡を手頃な高さの手すりの上に置いた。そして膝の上に乗せていたノートパソコンに目をやる。画面上には、協力者が用意したブチャラティたちの顔写真や経歴に関する情報が映っていた。
ポルナレフは単独で動いているが協力者が全く残っていないわけではない。スタンド使いの協力者はいないが、彼の祖国であるフランスを拠点としているSPW財団と協力的な裏社会の組織や、麻薬を
ディアボロに追い詰められてSPW財団や承太郎の助力を得られなくなってからはパッショーネに動きを察知されないように最小限の活動しかしていなかったが、ディアボロについて情報を探っている人物が現れたタイミングでポルナレフは協力者と連絡を取っていた。
ポルナレフが死んだと思っていたディアボロはSPW財団や承太郎の動きは情報分析チームに監視させていたが、協力者の存在を全て把握できているわけではなかった。しかし、
協力者を通じてSPW財団と情報のやり取りをすれば、間違いなく自分が生きているとディアボロにバレるだろうとポルナレフは考えた。だからこそ、彼はディアボロの正体にたどり着く者が現れるまで耐え続けた。
イタリアの社会に深く根を張ったパッショーネを簡単に出し抜けると思うほどポルナレフは単純な男ではない。満を持して協力者を本格的に動かした以上、ディアボロを倒さなければ遅かれ早かれ協力者の身元は割り出されて、全員始末されてしまうだろう。
「『希望』はある。彼らに『矢』を託すことができれば、間違いなくディアボロのキング・クリムゾンを超えることができるはずだ。おれは待っていることしかできないが……承太郎、どうにか彼らをここまで導いてくれよ」
右手で握りしめた『矢』の
ポルナレフは承太郎の実力の程を深く理解しているが、ディアボロに勝てると断言はできない。それでも承太郎ならなんとかしてくれるという不思議な安心感があった。DIOを倒したときのように、承太郎ならどんな障害があろうとも乗り越えられるとポルナレフは信じているのだ。
「……誰かがコロッセオに近づいてくるぞ。なんだ、あの小僧は? あんなヤツ、データには──ッ!? こ、これは……バカなッ! おれはパソコンを手すりの上に置いた覚えはないぞ! まさか、こいつはッ!」
コロッセオに入ろうとしているタートルネックを着た少年の正体を確かめようとしていたポルナレフは、一瞬の内に膝の上からノートパソコンが消えて自分の位置が移動していたことに驚き戸惑っている。慌てた様子で2階へと上がるための階段に目を向けると、先程の少年が足音を立てながら足をかけていた。
ゆっくりと着実に向かってくるそばかすが特徴的な赤毛の少年──ヴィネガー・ドッピオの動きをポルナレフは黙って見ていた。ポルナレフはドッピオの発するおぞましい殺気に当てられて、息を呑んで動けずにいるのだ。
ドッピオは気弱な少年といった風貌だが、普段とは違い茶色から緑色に変化した瞳には水底のような冷たさが宿っていた。外見こそドッピオだったが、彼の体を動かしているのはディアボロである。ディアボロは階段を登りながら自分に言い聞かせるように、ぽつりと言葉を呟いた。
「これは『試練』だ。過去に打ち勝てという『試練』とオレは受け取った。人の成長は……未熟な過去に打ち勝つことだとな。え? おまえもそうだろう? ジャン=ピエール・ポルナレフ」
時間を飛ばして服を脱ぎながらディアボロは持論を述べる。顔から汗を流して緊張しているポルナレフは、誰よりも早く現れたディアボロからどうやって『矢』を守り抜くか必死に考えていた。そうしている間にもディアボロはポルナレフに近づいていく。
「過去は……バラバラにしてやっても石の下から……ミミズのように
「その階段に足をかけるんじゃあねぇ────ッ! おれは上! きさまは下だ!」
ディアボロが知っているはずのない『矢』に関する情報が知られていることにポルナレフは眉をひそめながら声を荒げる。ポルナレフは指先を噛んで血の
本体であるポルナレフが足を欠損しているため、今のチャリオッツは鎧を脱いでも分身しているように見える速度で動くことはできない。それでもチャリオッツの振るうレイピアの速度は全盛期と同等の鋭さを保っていた。
時を飛ばして攻撃してきたタイミングに合わせて反撃するため、ポルナレフは神経を研ぎ澄ます。動かずにいるポルナレフから『矢』を強奪するため、ディアボロは地面を蹴って一気に階段を駆け上がった。
「おまえが下だ! ポルナレフッ! オレの過去を知るおまえを地獄の下に送ったあとに、ゆっくりと『矢』の使い方を調べさせてもらうッ!」
「地獄に落ちるのはてめーのほうだッ! そこだ、シルバーチャリオッツ!」
血の滴が増えた瞬間、ポルナレフはチャリオッツに自分の周囲に円を描くように切らせた。過去にポルナレフが殺されかけたときも、ディアボロは時間を飛ばして背後から攻撃してきた。
そのときのことを覚えていたポルナレフは、時が再始動したのと同時に側にいるであろうディアボロを狙って攻撃したのだ。しかし、
「てっきり再起不能になっているとばかりに思っていたが……衰えてはいなかったか。そして勉強したようだな。時が消し飛んだ瞬間を『血の滴』で見分けるとは……タイミングも天才的だった。
「ぐっ……ま、マズイ……このままでは『矢』がディアボロに奪われてしまうッ!」
ディアボロは時を飛ばしながら同時にエピタフも使用していた。本来なら絶対にやらなかったであろう行動をした理由──それは姿を見せないなのはを警戒してのことだった。宮殿の内部で自由に動けるなのはが不意打ちしてくる可能性を考えて、ディアボロはエピタフを併用していたのだ。
なのははこの時点ではチョコラータと戦っている最中である。距離も1km以上離れているため、時飛ばしの射程範囲外だった。妨害に来るはずのない相手を警戒して使ったエピタフは無駄だったが、無意味に終わったわけではなかった。エピタフの予知に映る自分の行動を見て距離をとることにしたのだ。
近づくのはマズイと考えたディアボロはズボンのポケットに忍ばしていたコロッセオの外壁の欠片を2つ、キング・クリムゾンに投擲させて車椅子の車輪と『矢』のシャフトにぶつかる寸前で宮殿を解除した。片輪が壊れた車椅子はバランスを崩して、座っていたポルナレフも地面に投げ出された。
同時にシャフトが折られて半分以下の長さになった『矢』は、ポルナレフの背後に飛ばされた。『矢』のシャフトを折るために飛んできた外壁の欠片が胸部に直撃したポルナレフは、口元から血を流しながら地面にひれ伏している。
立ち上がれずにいるポルナレフを見下ろしているディアボロの目に油断の色は感じられない。なのはという自分の立場を脅かす存在が現れたことで、ディアボロは本気になっている。今のディアボロは普段は隠しているスタンド能力の応用も惜しみなく使うだろう。
(『矢』は5m以上離れてやがる……射程距離外に出てるからチャリオッツに拾わせるのは不可能だ。今のおれの足じゃあ、立ち上がって拾いに行く前にディアボロに殺されちまう。まさに絶体絶命の状況だな……まるであのときと同じだ。あのときはイギーが助けてくれたが……)
ヴァニラ・アイスというDIOの部下に追い詰められたときと今回の状況は似ていた。ボストンテリアという種類の小型犬のスタンド使い──イギーを姿を思い出しながら、ポルナレフは反撃のアイデアを考える。足を負傷して動けなかったポルナレフを敵スタンドの攻撃から救ってくれたのは瀕死のイギーだった。
今回のポルナレフは単身で戦っている。一歩一歩、未来を見ながらゆっくりと迫ってくるディアボロを瞬きもせずに睨みながら、ポルナレフは考えを巡らせる。あのときと同じ3択がポルナレフの脳裏に浮かんだ。
ポルナレフとしては②を選びたかったが、ディアボロが単身で現れた時点で承太郎やブチャラティたちがタイミングよく助けに現れる可能性は低かった。ローマの状況を観察していたポルナレフは広範囲を攻撃しているスタンド使いがいることはすでに把握している。
だが、①を選ぼうにもチャリオッツの強みでもある機動力が失われている時点で、ポルナレフは戦いの土俵にすら立てていなかった。ポルナレフの目的は『
(承太郎……わざわざ助けに来てくれて悪いが、どうやら再会する前に死んじまいそうだ。それでも……希望をここで途絶えさせたりはしないッ! このクソッタレの
レイピアの剣先をディアボロに向けながら、ポルナレフは覚悟の込められた目で睨みつける。ポルナレフの纏う気配が変わったことに気がついたディアボロは警戒心を高めた。現在の両者の距離は3mほどあり、チャリオッツとキング・クリムゾンは互いに射程距離外である。
エピタフの予知で危険がないことを理解しているディアボロは止まることなく歩き続ける。そして両者の距離が2メートルになろうかとしたそのとき、チャリオッツの構えていたレイピアの
「馬鹿が……オレが未来を予知していることを忘れたのか? 見えている攻撃が不意打ちになるわけがないッ!」
「それはどうだろうな」
斜め上方向に射出された剣針を時も飛ばさず横にずれて避けたディアボロの行動を見たポルナレフは口の端を吊り上げている。そんなポルナレフの反応に違和感を覚えたディアボロは、何かに気がついたのか慌てた様子で0.5秒だけ時間をふっ飛ばした。
ディアボロが時を飛ばすのとほぼ同じタイミングで、壁にあたって跳ね返った剣針がディアボロの頭部付近をすり抜けて飛んでいった。ポルナレフは射出した剣針を壁面に当てて反射させるつもりで放っていたのだ。20年以上、剣術を磨き続けてきたポルナレフの腕前は達人の域に達していた。
針に糸を通すような繊細な攻撃をしてきたことにディアボロは驚きこそしたが、当たらない攻撃に意味はない。奥の手を外したというのに、動揺していないポルナレフに不気味さを感じたディアボロは、剣針の行方を見てようやくポルナレフの狙いに気がついた。
「ポルナレフ! キサマの狙いは、オレではなく『矢』だったのかッ!」
「おれは時間を稼げれば、それでよかったんだ。おまえに殺されたとしても、おれの意思を継いでくれるヤツらはいるからな」
ポルナレフが剣針を当てるつもりだったのはディアボロではない。反射して飛んだ先にある折れた『矢』だったのだ。ディアボロが剣針をキング・クリムゾンで防がないかどうかは賭けだったが、運はポルナレフに味方した。
甲高い音を立てて弾き飛ばされた『矢』はクルクルと回転しながら宙を舞い、そのままアーチ部分をくぐり抜けてコロッセオの外に落ちていった。その様子をディアボロは目を見開きながら呆然と眺めていた。
「おまえの予知は自分の身の守りには向いているようだが、それ以外には大して役に立たないようだな」
「やってくれたな、ジャン=ピエール・ポルナレフッ! キサマを殺して、すぐにでも『矢』を手にして──ッ!?」
キング・クリムゾンにポルナレフの心臓を貫かせようとしていたディアボロが目を見開いて真横を向いた。自分を狙って飛び込んでくる物体に対処するため、ディアボロはキング・クリムゾンを迎撃に向かわせる。前触れもなくディアボロの真横に現れた物体──それは大型のバイクだった。
よほど勢いがついていたのか、キング・クリムゾンが拳を突き立てたバイクは激しい衝突音を立てて破壊され、パーツが周囲に降り注いだ。バイクの衝突を難なく防いだディアボロは、険しい顔でポルナレフが倒れていた場所を見ている。
ディアボロの視線の先には鋭利な刃物で切断されたような穴が空いた床があった。迷うことなく穴に飛び込んで1階に降りたディアボロはポルナレフを壁際に寄せていた男──ブローノ・ブチャラティを視界の中に収めると平坦な声で語りかけた。
「
「滅びるのはあんたのほうだ、ディアボロ! このコロッセオで全ての因縁に決着をつけるッ!」
ブチャラティとディアボロのスタンドが互いにラッシュを放つ。姿を隠している承太郎は息を潜めながら、時間を止めて攻撃するタイミングを見計らっていた。壁にもたれかかっているポルナレフは、自分の足掻きは無駄ではなかったと心の中でひとりごちながら、戦いの行く末を眺めているのだった。
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