行きつけの喫茶店の珈琲が美味   作:夕凪楓

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会えない時間も、ちゃんと想ってる。
寧ろ顔が見たいなと思う分、募っていくもんだよ。



第3話 More haste, less speed
Ep.10 Reveal a secret


 

 

 

 

 

「……」

「……」

「…………」

「…………」

「…………ああ、お前か。“朔月くん”とやらは」

「何故名前が割れてるの」

 

 ────誰この子。ミカさんの隠し子かな。

 

 座敷の座布団を取り出そうと一室の押し入れの引き戸を開いた途端、上段に自室を形成し、ご立派なチェアにふんぞり返る幼女と目が合った。

 金髪で小柄で、額を出して頭頂をリボンで縛っている。とても幼そうなのだが言葉遣いや声のトーンはなんだか大人びていて、思わず敬語になってしまった。

 

「どちら様ですか?」

「名前か?ウォールナットだ」

「ウォール・ナット、さん?……外国の人?え、どっちが苗字?どっちが名前?」

「……クルミ」

「???」

 

 ……ん、え?や、何?いや分かんないって。説明凄い面倒そうな顔するじゃん。

 クルミが名前?じゃあクルミ・ウォールナットって事?え、これ本名なの?直訳すると『クルミクルミ』だけど……あ、名前が『胡桃(くるみ)くるみ』って事?や、それはそれで可愛らしい名前だけど。

 ゲシュタルト崩壊起こしそう。

 

 ……あ、もしかして、新しいバイトの娘か?そんな話聞いてないけど……共有が無いって事はDA関連の人か?だよな、そうじゃなきゃこんな小学生か中学生か分からない女の子をこの店に置いておく訳が無い。

 それに、労働基準法56条で中学生のバイトは禁止されてるし……とかって考えてると、後ろから和服姿の錦木が駆け寄ってきた。

 

「朔月くんゴメン!紹介まだだったよね。今日から仲間のクルミ!」

「いや説明雑……えと、DAの人?」

「あー違う違う!一昨日の仕事の護衛対象。ウチで暫く匿う事になったの」

 

 一昨日の護衛対象というと、確か大物ハッカーの事ではなかったろうか。じゃあ目の前のこの娘が件のハッカーで、そのコードネームが『ウォールナット』って事か。なんか思ってたイメージと違うな。

 

「もっとこう……眼鏡で、痩せて小柄な男かと思ってた」

「そ、そんなわけないじゃーん、もう朔月くんったら、映画の見過ぎですよ〜……」

「いや君がそういう類の映画持ってきたせいだから」

「え!?もう見てくれたの!?昨日の今日で!?やっだもう嬉しい〜!ね、ね、どれが面白かった!?」

「テンション」

 

 昨日は休みを貰ってたがする事も無かったので、折角借りたしと思って何枚か観賞したのだが、まさかそこまで喜ばれるとは思わなかった。

 錦木は毎度感情のままの笑顔を見せてくるから、耐えかねて思わず目を逸らしてしまう。そんないつもと変わらないやり取りをしていると、押し入れからそれを眺めていた彼女が────

 

「……お前ら付き合ってるのか?」

「え?」

「ふぁっ!?」

 

 などと言ってきた。というか、錦木のその反応する時の声は毎度どっから出てきてるんだ。

 付き合うって……俺の勘違いとかでなければ男女交際って事だよな。ミズキさんにも前に聞かれた事あるけれどそういや経験無いなぁ。ハッカーの彼女には俺と錦木が付き合ってるように見えたのだろうか。

 特に慌てる事もなくボケっと突っ立っていると、対照的に錦木はこれでもかという程に顔を赤くして慌てふためいていた。

 

「え、な、何言っちゃってんのクルミさん、そんな訳無いじゃないですかぁ〜!」

「そうなのか。あ、じゃあ千束のカタオモ────」

「ちょ、ちょおおおおおおおおい!!!」

 

 押し入れの引き戸を思い切り閉める錦木。いや、今あの娘何か言おうとしてたじゃんか……錦木の反応が早過ぎて聞き取れなかったわ。

 しかし、その後またゆっくりと錦木は襖を引いて、ハッカー少女と顔を近付けて何やらボソボソ呟いていた。

 

「……黙ってなさいっ

「……承知した」

 

 よく聞こえないけどなんか話してるっぽい。

 何言ってるかは聞き取れないが、多分錦木が銃突きつけながら少女に揶揄うんじゃねえよ、って脅してるんだろうなあれ。俺と付き合ってるのかとか不名誉な事聞かれたから。怖過ぎだろリコリス。

 

 そのやり取りを眺めているとふと、彼女の目の前にある画面に目が向かった。何やら一枚の画像の解析的な事をしてるっぽい。なんだこの写真。ビルの窓の奥に人の姿がチラホラ見えて……これ銃取引がどうとかって言ってた写真かな。調べてるのか。

 ハッカーってそういうのもできるんだなぁ……正確にはクラッキングとかって言うらしいけどこの辺りは知識不足だしなぁとかって眺めていると、会話を終えたのか錦木とハッカー少女は一様に此方を見た。

 

「……どうかしたか?」

「や、ハッキングは勉強(・・)した事無いなぁと思って」

「やめとけよ、長生きできないぞ」

「君がそれを言うのか……」

 

 本職だよね君。実際、命は狙われていたようだけど。

 しかしこんな幼い段階から長生きできないと諦観してるというか、達観してしまっているのは中々に悲しい。何故この道を選ぶ事にしたのかも興味があるし、ハッキングって響きがもうなんかカッコイイから勉強してみたい気もするけれど、彼女が止めるなら止めておこうかな。長生きするかどうかはあんまり関係無いとは思うけど。

 

「……よいしょっと」

 

 錦木を退けて、押し入れから飛び降りる彼女。小さなタブレットを小脇に抱えて畳を踏み締めて、俺の前まで躍り出た。下から上まで一通り眺められ、なんとなく気恥ずかしくて目を逸らそうとした瞬間に、彼女から細い腕と小さな手が伸びてきた。

 

「今日から世話になる、ウォールナット改めクルミだ。よろしくな、“誉”」

「……っ」

 

 ハッカー少女が此方に手を差し出す。握手、という事だろうか。

 何故か彼女の後ろに立っていた錦木がピクリと反応していたが、思い返してみると……ああ、なるほど。

 

「……なんか、下の名前で呼ばれんの新鮮だな」

「ん?ダメか?」

「や、そんな事無いよ。よろしく……えと」

「クルミでいい。さっきは混乱させて悪かった」

「……よろしく、“クルミ”」

 

 そういって、差し出されたその手を握り返した。新メンバークルミを迎え入れて、リコリコはよりいっそう賑やかに……や、騒がしくなるだろう。主に錦木のせいで。

 

「……」

 

 ……で、錦木が何か言いたそうにこっち見てる。睨まれてるまである。

 

「どした?」

「べっつにぃ……」

「なんだよ、気になるじゃないか」

「何でもないですぅ」

 

 口を尖らせて部屋から出ていく錦木。それに首を傾げながら、彼女の背を追うのだった。

 あ、その前に。

 

「……ところでクルミって歳いくつなの?」

「秘密だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

「────というわけで閉店ボドゲ大会スタート!」

 

『『『イエーーーーーイ!』』』

 

「……何度目だこれ」

 

 物凄く短いスパンで開催されてるなこの大会……最近、ここの時間軸だけループしてるんじゃないかと疑いたくなる程に恐怖を感じてる。

 やっぱりあのゲームで金銭のやり取りが発生してるとしか思えない。賭博か此処は……リコリスとかDAとかって裏の仕事をやってるくらいだ、この喫茶リコリコはあくまでフロント企業、裏カジノ的な事をしていてもおかしくは……じゃなきゃ毎度こんなにメンツが揃うはずが無い。

 俺は震えながら、座敷にて円環を成す常連客に目を向ける。

 

「締切明日って言ってましたよねぇ?」

「今日の私には関係無いしぃ」

 

 と隣りに心理戦を仕掛ける米岡さん。帽子にグラサンで金髪……やばい、賭博のイメージが強くなったせいでその手のヤクザギャンブラーにしか見えなくなってきた。

 そんな米岡さんの忠告を我関せずでニヤつく伊藤さん。や、締切明日なら漫画優先すべきだろ。お金を稼ぐ為の仕事を放棄してまでこのボドゲやるって事はやっぱりお金稼げる賭博だろこれ。警察……いやDAに通報するぞ。

 

「よしましょう、仕事の話は」

 

 ニヤついた表情で格好付ける後藤さん。赤いジャケットがかなり様になって見える。此処で年金稼ごうとしてるのかな。

 そんな彼の言葉に反応するのは、そのまた隣りに座る阿部さんだった。

 

「実は自分も勤務中で……」

「刑事さん、ワルだねぇ?」

 

 ホントだよ。いや阿部さんはこの賭博取り締まる側でしょ何してんですか。

 それ聞いて隣りの山寺さんも不敵な笑みを浮かべている。言い方もなんかネットリしてるし、みんな営業中の時とテンション違う。リコリコカジノ恐るべし。

 

「早く始めましょうよー!」

「じゃあ順番決めるぞー」

 

 既にカードの束を両手にゲーム開始の催促をするのは北村さん。それを皮切りに、クルミが音頭を取り始めた。最近此処へ来た割に、クルミがみんなと打ち解けるのが早くて素直に驚いていると、すぐ隣りに立っていた錦木が、カウンター向こうで片付けをしてる俺の隣りでレジ締めをする井ノ上さんに声を掛けた。

 

「ねぇ〜たきなも一緒にやろうよ〜!レジ締めなら私も手伝うから」

「もう終わりました」

「え、早っ」

「レジ誤差ゼロ。ズレ無しです」

 

 機械のように無駄な動きなくレジ締めを終え、小さく息を吐く。そのまま踵を返して彼らに背を向けると、その背中に常連さん達の声が。

 

「って事は、もう暇でしょ」

「たきなちゃーん、ほらおいでよ。こっちこっち!」

「どうだ、たきな?」

 

「いえ、結構です」

 

 伊藤さん山寺さん、クルミと次いだ再三の誘いを刃物のようにスッパリと断って、店裏へと戻っていってしまう。

 思わず錦木へと視線を戻し、軽く目が合う。困ったように表情を変える錦木や、心做しかテンションが下がった座敷の空気に当てられて、堪らずその背を追い掛けた。

 

「……ちょっとくらい混ざっていけば?明日定休日じゃん」

 

 更衣室に手をかける寸前だった井ノ上さんは、俺のその声で動きを止めて顔を上げる。すると此方に視線を寄越して、酷く真面目な顔で告げた。

 

「────そうすればDAに戻れますか」

 

 ……や、知らない。

 ゴメン、それは分からないけれど。そうじゃなくて。

 折角みんなが誘ってくれたのに、あんなに冷たく断る事もないじゃないかと少し抗議に来ただけなのだが、彼女にとってはやはり此処の時間よりもDAに戻りたい願望が強いのだろう。

 ぶっちゃけ今戻っても、彼女が変わらなければ同じ事を繰り返す気もするけどなぁ……少しだけ、素人だし一般人だけれど、思った事を伝えてみようかな。

 

「……あー、やっぱりまだ戻りたいんだ。じゃあ試しにボドゲやってみたら?」

「……あれに参加して、戻れるわけないでしょう。貴方に聞いた私が馬鹿でした」

「え?や、至って真面目だけど」

「どこがですか」

 

 この娘一言一言に噛み付いてきて怖い。嫌われてんのかな。まあ、何にも知らない一般人にとやかく言われても面白くないよな、配慮が足らなかった。

 ただ、これは素直に感じた事だったので、素人ではあるが聞いてもらいたかった。

 

「話を聞く限り、井ノ上さんの転属の原因ってこの前の銃取引での独断専行なんでしょ?けどDAのリコリスは基本的に組織、最低でも二人一組(ツーマンセル)が基本らしいじゃん。つまり求められてるのはチームワークって事で、なら協調性とか組織として求められる行動に改善があれば良いんじゃないの?あそこに混ざるのは普通に手としてありだと思う」

「……」

 

 それを聞いて押し黙る井ノ上さん。ちょっと納得したのかな。それとも、自分自身に思う節があったのかも。

 どちらにせよ俺の理屈は屁理屈もいい所だけど、先日の沙保里さんが人質として捕まったワゴン車に対しての問答無用の射撃を体験してるから、なんとなく井ノ上さんがそういった独断行動を咎められている線も、あるのではないかと思ってしまった。

 

「……何も知らないくせに、それっぽい事言うんですね。そんなの、こじつけですよ」

「いや組織ならコミュニケーションもチームワークも大事じゃない?井ノ上さんが考えた作戦を、錦木がしっちゃかめっちゃかにして失敗したら面白くないでしょ?」

「……有り得そうなんでやめてください」

 

 だよね。錦木ってそういうの多そう。偏見だけど。

 任務中に遊び散らかしてたり、標的と楽しく会話してたりとか。とにかく彼女が絡むと予定通りに行かなそうだもん。俺なんて毎度珈琲淹れる度に邪魔されるからね。実体験だよ?

 

「……あの時は、あれが一番合理的な行動だと……あんな騒動になるなんて、思わなかったんです」

「……そっか」

 

 多分、機銃掃射の件を言っているのだろう。詳しくは聞いてないが、セカンドリコリスを人質に取られて動けなかったDAの中で唯一、井ノ上さんだけが行動を起こした。その内容が機銃掃射で、商人を全員撃ち殺したという話だった。

 そこに対して、俺自身が井ノ上さんに何か意見したり非難したりはお門違いだと思っている。だから、何も言わずにいたけれど。

 

「……まあ、俺は井ノ上さんのした行動が正しいかどうか言える立場じゃないけど……そこまで責められるようなものでも無い気がするけどなぁ」

「……何故、ですか」

「え、や、だって、井ノ上さんの行動で仲間が助かったんでしょ?非難されるばかりの事じゃないと思うけど。少なくとも、助けて貰った娘は感謝してるんじゃないの?」

「……千束さんと、同じ事を言うんですね」

「そうなの?……じゃあ、そういう事じゃん」

 

 まあ、人を殺すだの人が死ぬだのと言った話は、やっぱり気分良くはなれないけれど。最初に機銃掃射とか聞いた時は鳥肌立ったし。映画だけかと思ったわそんなん。

 

「ま、井ノ上さんの自由だとは思うけど。ああして誘ってくれてるんだし、暇な時だけでも顔出してあげたら?」

「……私は、此処で時間を持て余してる暇なんて……」

「そうなの?だったら尚更、色んな事を経験した方が良いと思うけど」

「……何の為に?」

「何の……や、考えてなかったけど……でも、毎日銃持って奔走するばかりの人生なんて損じゃない?今は此処が井ノ上さんの居場所なんだし、此処での時間を試してみるのもありなんじゃないかって思っただけ。それで嫌なら本部に戻ったら良いんだし」

 

 何の為かと聞かれれば、分からないけれど。

 それはきっと人それぞれで違うものだと思うから。俺にとってそれは、知らなかった事が知れて、周りに還元できて、ありがとうって言って貰えて、それが何より嬉しいからだけれど。

 井ノ上さんなら、また違う理由かもしれないけれど。

 

「……考えておきます」

「『行けたら行く』並に信用ならない……」

 

 話は終わりだと言わんばかりに視線を逸らされ、更衣室の引き戸に今度こそ手をかける────瞬間、後ろの扉が勢いよく開き、赤い和服の錦木が駆け寄ってきた。

 

「ね〜え〜たきな〜」

「なんですか?」

「一緒にゲームやろ?ね?」

「もう帰るので」

「あ、じゃあ明日は?」

「明日は定休日ですよ。……着替えるので」

「そう、だから明日も集まってゲーム会するんだけど」

 

 と、取り付く島ねぇ……。

 ピシャリと目の前で更衣室の扉を閉められる錦木。や、それでめげない彼女も凄いな、普通に尊敬するわ。

 

(……あ、そういえば)

 

「あ、錦木」

「?」

 

 そんな錦木の横顔を見て、ミカさんから錦木に伝言を言い渡されていたのを思い出した。錦木を呼び掛けると、コテンと首を傾げて此方に視線を寄越す。

 

「ミカさんが健康診断と、体力測定?が、終わってるのかって」

「……え、あ、や、まだぁ……あんな山奥まで行くのダルいし〜……」

「いや山奥なのは知らないけど……明日までに行かないとなんでしょ?仕事続けたいなら行ってこいってさ」

 

 DAの本部に戻って受けないといけないらしい。人間ドッグみたいな感じかな。なんか一般企業みたい。なんかライセンスの更新とかにも必要みたいで、期限を過ぎれば剥奪されてしまうらしい。

 つまり、戸籍もなく学校にも行ってない、かつ銃刀法違反の爆弾みたいな少女に成り下がるという事だ怖過ぎ。なんでそうなるまで放置してたのこの娘。

 

「ええ〜……そこは先生がどうにか言っといてくれないかなぁ……先生の頼みなら聞いてくれるでしょー、楠木さん」

「くすの、き……え、急に誰」

 

 知らん人……と思って思わず聞き返した、その瞬間だった。目の前の引き戸────つまり更衣室の戸が勢い良く開かれ、そこには瞳を見開いた井ノ上さんの姿があった。

 その音が大きくて、思わず視線をそちらに向けてしまって。

 

 

「司令と会うんですか」

 

 

 ────下着姿の彼女を目の当たりにしてしまった。

 

 

「っ……!?」

「うおいばっか服ゥ!」

 

 驚異的な反応速度で、錦木は思い切りその引き戸を閉め切る。そして、その視線を引き戸から勢い良く此方へと向けた。

 思わず目を逸らしたが、それでも錦木に凄い視線を向けられているのを圧で感じる。本当にこの店の人達は目力が強過ぎる。

 

「……見たよね」

「……見てない」

「顔赤くなってる。絶対見たでしょ」

「……極力見ないようにはした」

 

 着替え途中の癖に態々男女が会話してるところを、更衣室開けてまで介入してくるとは誰も思わない。

 余程井ノ上さんには聞き捨てならない発言だった様だ。彼女の司令、という発言。どうやら彼女を此処へ転属させた張本人の様だ────と、そんな此方の思考を阻害するかのように錦木が詰め寄ってくる。

 

「っ……あー!ほらやっぱ見たんだ!もう信じらんない!」

「は……!?あ、いや、今のは不可抗力でしょ!」

「朔月くんの変態!最低!覗き魔!」

「のぞっ……!?」

 

 これでもかと言わんばかりの罵倒。顔を赤くしながら錦木は畳み掛けるように俺を口撃してくる。錦木の声が大きくて、座敷の方からなんだなんだと声がして、慌てて俺は錦木を宥める。

 

「や……今のは回避できないでしょ!井ノ上さんが着替え途中に開けてくるのなんて予想できるわけ……」

「────私も連れて行ってください」

 

 俺の言葉を遮るように、再び引き戸か開かれ井ノ上さんがそう告げた。既に制服に着替え終えており、そのまま錦木に深々と頭を下げる。

 あまりの着替えの速さと、突然の懇願に言い合いそうになっていた俺と錦木が固まった。

 

「お願いします」

「「……」」

 

 二度目の懇願。また深く頭が下がる。

 どうしても本部に戻りたいのだと、変わらず刃のような鋭さを孕むトーンで。まるで、ここ数カ月間のリコリコでの日常などに、何も感じていないかのようで。少し、ショックだった。

 

「……分かったよ、たきな」

 

 錦木も、困ったように、仕方なさそうに。微笑みながら、井ノ上さんの肩に手を置いて了承した。井ノ上さんは『ありがとうございます』と感謝を述べて、荷物を取りに再び更衣室へと戻ろうとして。

 

「あ、井ノ上さん」

「……はい?」

「さっきは、その……ゴメン」

「……いえ、気にしてません。いきなり開けたのは私なので」

 

 そう言って更衣室の扉を閉めた。帰宅に伴って荷物の取り纏めをしてるのだろう。閉まった扉の先を想像する俺の横顔を見上げて、錦木が小さく呟いた。

 

「……えっち」

「っ……」

 

 ……な、何かいつもより執拗いな。

 錦木へと視線を向けると、プイッと逸らされてしまった。そして更に、追い打ちをかけるべく言葉を重ねる。

 

「……変態」

「っ……」

 

 ────グサッと来た。

 ……確かに見てしまったのは俺が悪いけど、錦木自身が見られた訳でもないのにそこまで責められる程、此方に非があったとは思ってない。井ノ上さんにだって謝ったし、これ以上錦木にどうこう言われるのは……こう、普通に傷付くんだけど。

 

「……なんだよ、何をそんなに怒ってんのさ」

「……ふんっ」

 

 ……マジで、何故錦木はこんなに怒ってるんだ……。

 回避できる状況じゃなかったし、わざとじゃないし、それを言い訳にこそしたけど謝ったじゃないか。他に何が不満なんだ……どうしよ、錦木まだ怒ってる……困ったな。

 

 というか流石にカチンと来たかもしれない。最近ちょくちょく錦木を甘やかしたり、揶揄われたりを続けてるんだ、今日くらいちょっと仕返しというか意趣返しというか報復というか復讐というか。

 

「……じゃあ逆に、俺はどうすれば今のを回避できたのか教えてよ。そんだけ最低だの変態だの言うんだから勿論あるんだよね」

「えっ……ええと……誰かが着替え中の時はこの扉の前で会話しない!……とか」

「そんな取って付けたようなルール……今みたいなのが起きる前に共有しとくのが普通でしょ。それに、先に着替え中の井ノ上さんにゲームやろうって話しかけてたのは錦木じゃん」

「そ、れは……お、女の子同士だし私はいーの!」

「俺が錦木に話し掛けたのだってミカさんからの言伝があったからで、そもそも俺が伝言しなきゃならなかった理由だって、錦木が今日まで健康診断サボってたからでしょ」

「ぐっ……」

 

 はい論破。何も言わずに俯いてしまう錦木。

 勝った。トップのリコリスに口喧嘩で大人気なく勝ってしまった。というか自分で言ってて今のやっぱり回避しようないじゃんか、とかって開き直りつつあった。

 さて、言い負かしたと良い気になりそうなのを抑え、錦木の様子を見る。彼女はふるふると肩を震わせたかと思うと、顔を上げて口を大にして叫ぶのだった。

 

「朔月くんの女ったらしぃ!」

「っ、おい待て、その悪口はおかしいだろ!」

 

 

 

 

 

 

 ●〇●〇

 

 

「千束と喧嘩したそうじゃないか」

「喧嘩って程でも……いつもの延長だよ。てかクルミは仕事しないの?」

「こちとら専門は電脳戦なんだ」

「この前和服で接客してたよね?」

 

 相変わらず押し入れの上段でチェアに凭れながら画面を明るくさせてキーボードを叩く彼女を眺めつつ、下の段から座布団を引っ張り出す。今日は千束とたきなが健康診断とやらでDAの本部に行く為に不在で、開店準備のフロア担当は誉のみだった。や、正確には定休日なのだが……ボドゲの為に常連客が押し寄せてくる予定なので、座布団の用意をしていた。

 クルミは我関せずでスナック菓子を口に運んでおり、それを見て誉はただ小さく笑う。まあいいか、なんて思いながら。最近この店の人達全員に甘くなってる自覚もあるのだが、どうにも文句など言えない性格をしている様だ。苦笑しつつ、誉が座布団を重ねて持って行こうと立ち上がった時だった。

 

「朔月誉。17歳、9月9日生まれのAB型RH-。出生は東京の国立国際医療研究病院にて、出生体重は2459gの低出生体重児。へぇ、しかも出産時は泣かなかったみたいじゃないか」

「────」

 

 ────ふと、誉は振り返る。

 押し入れの上部分で、クルミは変わらず眼前のディスプレイを眺めていた。それは、彼女のスキルで調べ挙げられたであろう誉のプロフィールだった。誉は、何も言わずに彼女の次の言葉を待った。

 

「学歴無し……けど不就学って訳でも無さそうだな、ちょいちょい学校には行ってたのか」

「へぇ、そんな事も分かるの?そんなに行ってなくて、単位足りなくて卒業できなかったんだよ」

「や、学校に行ってたかどうかっていうよりは病院の方にお前の診断書とか経過報告の書類があったんだよ。……というか、怒らないんだな」

「え……ああ、調べられてる事?別に隠してるわけじゃないからね。みんなには、聞かれないから答えてないってだけ」

「ふーん……そうな、の……か」

 

 ────そこまで言って、クルミの手が止まる。

 どうかしたのかと彼女を見れば、目を見開いて、画面を食い入るように見つめていた。

 そこに映っている何か(・・)に、いつも無表情の彼女の表情を、変えてしまう程の情報があった様で。

 

「……」

「ん?何?」

 

 クルミは、三度彼の方へと視線を向ける。

 誉は、それこそ我関せずで首を傾げるだけだった。それを見てクルミは、ポツリと。

 

「……これ(・・)、千束達には言ってるのか?」

「言ってないけど」

「……どうして」

「や、聞かれてないから」

「……こんなのピンポイントで質問される訳ないだろ……」

 

 つまり意図的に隠してるのだと、クルミは言外に伝えられたような気がした。最初はDAの支部にたった一人、無関係の一般人がいる事への違和感と、そこに対する興味本位で軽くプロフィールを漁ってしまおうかと思っただけだった。けれど、彼のこれ(・・)は、思った以上に。

 

「……お前、此処にいて平気なのか」

「え?……あ、うん、大丈夫だけど」

「これ、流石にミカには突っ込まれたんじゃないのか?一応この店の店長だろ」

「まあ、ね。けど、俺天涯孤独だから心配するような家族も居ませんよって言ったら、何も言わずにこの店に置いてくれたんだよね。感謝してる」

「……何も言えなかっただけじゃないのか」

「ははっ、そうかもね」

 

 その表情は本当に楽しそうで。

 何かに憂うものでも、諦めて絶望を孕んだようなものにも見えなかった。ただ幸せそうに、嬉しそうに、楽しそうに。それを見て、途端にクルミは罪悪感を抱き始めて。

 

「なんというか……すまない」

「え?」

「いや、プライバシーを漁るような真似……」

「ああ、いいよそんなの。寧ろクルミの腕にビックリしてる。ハッキングって凄いのな。やっぱ勉強しようかな」

「……教えてやろうか?」

「え、本当に?あ、でも難しいのかな」

「それは誉次第だな。先ずは────」

「え、あ、今?や、座布団の準備が……ちょ、待ってて」

 

 誉が慌てて座布団を抱えて、座敷へ運ぶべく飛び出していく。その背中を、クルミはただ眺めた後、再び画面へと視線を戻す。

 そして、一つ一つ調べていたファイルの右端のバツをクリックして、そのページ全てを削除して、深く溜め息を吐くのだった。

 

「……難儀だな、千束」

 

 

 

 

 








電車にて。


たきな 「……」

千束 「……」

たきな 「……あの、何か落ち込んでます?」

千束 「やー、その……言い過ぎたなって、朔月くんに」

たきな 「ああ……私は気にしてなかったんですけど、そもそも何故あんなに怒ってたんですか?」

千束 「……」

たきな 「……?」

千束 「たきな見て、顔真っ赤にしてるの見て……なんか、その……」

たきな 「……その?」

千束 「……おもしろく、ないなぁ……と、思って……」

たきな 「……」

千束 「……」

たきな 「……嫉妬、みたいな?」

千束 「っ!?え、や、ちがっ……!」

たきな (可愛いなこの人)

誰が好き?誰を推す?ルートは?

  • 錦木千束
  • 井上たきな
  • まさかの両手に花
  • ちさたきを見て『てぇてぇ』とか言い出す誉
  • ダークホースクルミ
  • み、ミカさん……!?

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