行きつけの喫茶店の珈琲が美味   作:夕凪楓

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理由なんて簡単でいい。複雑でなくても、分かりやすければそれで。



Ep.15 Nothing find

 

 

 

 

 

「『良いとこ』ってここですか?」

「うん、綺麗でしょ〜ここ。私好きぃ〜!」

 

 自慢気に胸を張る千束の隣りで、たきなは彼女に連れられて辿り着いた水族館を見渡した。水族館の中でも比較的小規模ではあるが、故に周り易く一つのショーケースを時間を掛けて見ていられる。

 千束の発言通り、水族館特有の暗がりと、それを照らすライトカラーが幻想的で入口から既に雰囲気に飲まれそうだった。

 

「よく来るんです?」

「ふふん、見てこれ年パスー!気に入ったらぁ、たきなもどうぞー?」

 

 年間パスポートを見せ付けて得意気に笑う千束。確かに、リコリスにはあまり馴染みが無いだけに、こういう娯楽にハマったら何度も来てしまいそうだ。故にパスポートを取るかどうかは、この水族館でハマり具合で決まってくるのだが……。

 

「すぅー……それにしてもだよ」

「……はい」

 

 ────千束とたきなが、意を決して振り返った。

 予想に反して、既にかなりの好感触というか……ドップリガッツリハマった人間が、振り返った先にいたのである。

 

「うわ何この変な形、これも魚なの?あ、クラゲだ、初めて見た……!」

 

「……誉さんですよね?」

「うん……だと、思うけど……」

「子どもみたいにはしゃいでるんですけど……」

「……あ、あのぉ……朔月、くん?」

 

 水槽に両手を付けて張り付かんばかりに水槽内の魚を食い入るように見つめるのは、千束にとっては同い年の異性だった。普段の大人びた印象から打って変わって、聞いた事も無いくらいの大興奮を目の前で見せている。

 あれが……誉?さっきまでと大分印象が違うのだが、と二人が顔を見合せていると、当の本人が急にクルリと振り返って駆け寄って来た。

 

「ねぇねぇ、これ写真撮って良いの?」

「え……う、うん、良いと思うけど……」

「ホント?やった、待ち受けにしようかなぁ、どうしようかなぁ……」

 

「「……」」

 

 ────目の前で大人びた青年が水族館で五歳児並に喜んでいる。誰この可愛い人。何このギャップ。

 水族館でここまではしゃぐ事のできる十七歳がこの世に存在するだろうか。その瞳をキラキラと輝かせて、携帯を開いて横向きにしてズームして笑っているのである。

 あまりの変わりように、千束もたきなも何を言えば良いのか何をしたら良いのか、考えあぐねて動けずにいたが、恐る恐ると尋ねてみた。

 

「さ、朔月くん、水族館も初めて?」

「うんっ、初めて!」

「かっ……!?」

 

 千束から変な声が漏れる。因みに今の『か』は『可愛い』の『か』である。

 たきなは変わらず彼の変貌っぷりを目の当たりにしてその瞳を見開いて固まっており、錦木は顔を真っ赤にした挙句、誉を直視できずに目を逸らしていた。

 

「ねぇ、この水族館イルカはいないの?俺見た事無くて」

「イルカ……は、いないかなぁ……」

「……そっか」

 

 分かり易くシュンと落ち込む誉。

 そんなにイルカが見たかったのか……と思いつつ励ますように、千束は慌てて口を開いた。

 

「っ、あ、ああ!サメ!サメならいるよ!」

「ホント?やった、じゃあ後でみんなで見に行こう?」

「んんっ……!」

 

 ああ、もう駄目だ限界だ。錦木はとっさに口元を抑え、誉に見られぬよう顔を背けて悶えていた。たきなはそれを呆れた様に見つつ、先程千束に教えてもらった事をそのまま誉に伝えた。

 

「気に入ったら、年間パスポートもあるそうですよ。千束はここの常連だそうです」

「そんなのもあるんだ。じゃあ、周り終わったらたきなも一緒に作ろうね」

「っ……え、ええ……良い、ですけど……」

 

 作るの確定なんだ……と、まだ入って十分と経ってないのに年パスを作ろうとしてる誉の、この水族館に対する入れ込み具合が半端では無い事に狼狽えるたきな。

 というか、一緒に作ろうと誘ってくれた誉の真っ直ぐな瞳と言動を受け止め切れなくて、結局たきなも千束と同じように目線を逸らす反応しかできなかった。

 

(……けど)

 

 たきなは、ただ純粋に気になってしまった。

 自分達のような孤児、一般人と比べて異質な環境で育った者ならまだしも、十七歳の一般男性が、()()()()()()()()()()()なんて事があるだろうか。

 

「……」

「……ん、たきな?どしたん?」

 

 前々から朔月誉という青年の、他の人には感じない何か────周囲とのズレみたいなものをたきなはずっと感じていた。一つ一つは些細な、小さな事ではあるけれど、積み重なったそれはたきなに違和感を抱かせる。

 以前、沙保里がワゴン車に拉致された事件に巻き込まれた時もそうだ。彼は車内で銃を突き付けられていたにも関わらず物怖じする事無く、千束とたきなが向かった時もケロリとしていて、とても殺されそうになっていたとは思えない。それどころか、怪我人を手際良く治療する気概まで発揮して。

 千束がその違和感を知ってか知らずにいるのかは分からないけれど、誉に対してその手の話をする事は無い。

 それに、誉が嘘を吐いているとも思えない。そんな嘘を吐く理由だってないし、何より────

 

「錦木、写真撮ってくれない?このクラゲと俺セットで」

「お、おう……え、朔月くんはしゃぎ過ぎじゃない?」

「い、良いだろ別に。何か文句あんの?」

「ううん別にー?可愛いなーと思って」

 

 ────見るもの全てが初めてで、興奮を抑えられないようなあの表情は、決して嘘偽りでは有り得ないと思った。

 

 

 ●○●○

 

 

「どしたの?」

「これ、魚なんですって」

 

 スマホで調べたのかたきなが目を細めて教えると、千束が訝しげに水槽の中に居るタツノオトシゴを眺めた。

 

「……マジ?ウオだったのかコイツ……」

「これも初めて見た……子どもの時に見た図鑑と一緒だ……」

「っ……!」

 

 誉は興奮を抑えられずに千束のすぐ隣りで、同じ高さでそれを見つめる。

 ────その横顔を見てすぐ隣りで頬を赤らめる千束に気付きもせずに。

 

「────“タツノオトシゴ。ヨウジウオ目ヨウジウオ科タツノオトシゴ属。周囲の色彩に合わせて体を変色させる事ができ、雄が育児嚢で卵を保護する繁殖形態が知られた分類群である”……だったっけ」

「お、おお……!朔月くん博識だねぇ」

「子どもの頃、動物の図鑑を読み漁ってた事があってさ」

 

 ああ、見られて良かった……写真連射しよう、とスマホを取り出す誉。

 千束の逆隣りで同様に身を屈めてタツノオトシゴを眺めるたきなも、楽しそうに微笑んでいて。

 

「この姿になった合理的理由があるんでしょうか」

「ご、ごうり?え、理由?えぇー……?」

「なんかあるでしょう」

「あ、俺知ってるよ。前に調べた事ある」

「マジ?」

「そんなピンポイントで調べる様な機会あります?」

 

 その後、思ったよりも詳しいタツノオトシゴの詳細を力説をする誉に、千束もたきなも感心しまくっていた。

 そしてその後も水槽が移り変わり、またも一般的に魚と言われる形をしていない、細長い紐のような魚が砂の穴から漂う様にユラユラしている様を見たたきなは、駆けて行って再びスマホを開く。

 

「これも魚ですか……」

「────“チンアナゴ。ウナギ目アナゴ科に属する海水魚の一種。西太平洋やインド洋の熱帯域に分布し、日本では高知県から琉球列島にかけて生息している。警戒心が強く、危険を察知するとすぐに穴の中へ逃げ込めるよう、砂の中にからだを半分以上埋めている。神経質な個体は、一度警戒するとなかなか穴から顔を出せず、そのまま餓死してしまう事もある”……らしいよ」

「へぇ……誉さんのお陰で、ネット要らずですね」

 

 たきなは小さく微笑みながら、持っていたスマホを仕舞い込んだ。そして屈んで、誉と同じ目線になってチンアナゴを眺める。

 

「随分と臆病な魚なんですね。お腹が空いても出てこないなんて」

「中々押し入れから出ないクルミみたいだな」

「っ……た、確かに……」

「あ、今笑ったでしょ」

「……はい、今のは笑いました」

 

 そうして顔を見合せ、互いに笑い合う。すると、視界端で何やら赤いものがゆらゆら揺らめいていて、思わず二人して其方へと顔を向けると────

 

「……何してんの」

「……何してるんですか」

 

 両手を掲げて海藻類みたいに揺れている千束の姿が目に留まった。集中してるのか、目を瞑って一心不乱に揺れていた。いや、こんな事で集中されても此方が困るのだが。

 というより、本当に何をやっているのだろうかと、誉とたきなが質問するのはほぼ同時だった。

 

「え?チンアナゴだけど?」

「いや聞いても分かんないんだけど」

 

 何故そんな当然ですみたいな顔ができんの、と誉の顔が言っていた。たきなも周りの視線を感じたのか辺りを見渡して、小さな声で千束に告げた。

 

「人が見てますよ。目立つ行動は……」

「なんで?」

「なんでって、私達リコリスですよ?」

「制服着てない時はリコリスじゃありませぇん!」

「五歳児かよ」

 

 ────その後もマンタが漂う大きな水槽の前で、変わらずチンアナゴの物真似を披露する千束の後ろ姿を、誉とたきなは横並びで腰掛けて眺めていた。

 

「……たきな、俺ちょっと御手洗行ってくる。錦木の事見てて」

「あ、はい。分かりました」

 

 因みに誉はというと、先程までのハイテンションから打って変わって静かになっていた。というのも、千束のこの人目を気にしない目立つ行動を見て、水族館に来てからの興奮しまくっていた自分の行動や言動を客観視できた様で、我に返っていた。今やたきなと同じ様に千束の奔放さに困り果てる側である。

 誉のその背を見送っていると、ふとたきなは顔を前に戻し、千束の背中を見つめた。

 

「……」

 

 ────誉が席を外した事で、機会に恵まれた気がした。

 そう、誉もそうだが、たきなには千束にも聞きたい事があったのだ。

 

「……千束」

「んー?」

 

 気が付けば、未だ揺らめく彼女の背に、たきなはその疑問を投げかけていた。

 

「あの弾、いつから使ってるんです?」

「……なーに?急に。てか、朔月くん分かんないでしょその話……てあれ、朔月くんは?」

「御手洗いだそうです」

「そっか……で?急にどしたの」

 

 チンアナゴの真似を止め、振り返って此方に歩み寄った千束は、そのままたきなの隣りへと腰掛けた。横並びで水槽の前に座って、暗い中青い光に照らされながら会話を続ける。

 

「旧電波塔の時は?」

「あの時先生に作って貰ったのよ」

「……何か理由があるんですか?」

「なに、私に興味あんのぉ?」

「……タツノオトシゴ以上には」

「チンアナゴよりもぉ?」

「茶化すならもういいです」

 

 話す気は無いらしい、と諦めた様に水槽へと視線を戻したたきな。揶揄っていた千束はそれを追い掛けるように、同じ様に水槽を見上げて口を開いた。

 

「────気分が良くない。誰かの時間を奪うのは気分が良くない。そんだけだよ」

「……気分?」

「そ!悪人にそんな気分にさせられるのはもぉーっとムカつく!だから、死なない程度にぶっ飛ばす!アレ当たるとめちゃくちゃ痛いのよ?死んだ方がマシかも〜……!」

「……ふふっ、ふふふっ……!」

 

 苦しげにお腹を抑える真似をする、ふざけた様に笑う彼女を見て、思わずたきなもクスクスと笑みが零れる。楽しそうに、可笑しそうに、頬が緩んだ。

 それを見た千束も楽しそうに反応して、此方に肩をぶつけてくる。

 

「なんだよぉ〜!変?」

「いえ、もっと博愛的な理由かと。千束は謎だらけです」

Mysterious Girl(ミステリアスガール)!そっか、そんな魅力もあったか私ぃ!でもそんな難しい事じゃないよ」

「────“したい事最優先”?」

「お、覚えてるねぇ!」

 

 忘れるわけが無い。

 自分がこの場所で、喫茶リコリコで、千束と同じ様な時間を重ねると決意した時の彼女の言葉だ。彼女と───そして朔月誉という少年に、教えてもらった事だったから。

 

「……じゃあ、DAを出たのも?」

「……え?」

「殺さないだけならDAでもできたでしょ?」

「……あー……」

「それも?そうしたいって、全部それだけ?」

 

 途端に歯切れの悪い反応をし始めた千束は、そのまま俯いてしまって。どこか悲しげで、儚げな表情で憂いているようで。

 聞いたらまずかっただろうか、と思った時だった。ポツリと、千束から言葉が紡がれる。

 

「……人探し」

「……なんです?」

「会いたい人がいるの。大事な……大事な人」

「大事な人……誉さん以上に?」

「えっ!?あ、や、それは……その、大事な人のベクトルが違うから!」

「ベクトル……」

 

 顔を赤くして慌てふためくところは未だ変わらない。誉が戻って来て今のを聞かれてるんじゃないかと、千束は周りをキョロキョロしながら両手を顔の前でブンブンと振っていた。

 やがて、先程までの話を思い出したのか、また少し儚げな表情へとその顔が戻り、振っていた両手は力無く下へと落ちる。けれどすぐまたその両腕は、今度は千束自身の首へと伸びて。

 

「……まあ、その人を探したくて、さ。ね、知ってる?これ」

「?」

 

 千束に見せられたのは、フクロウのような形を模した銅色のチャームだった。

 水槽を離れて飲み物を買って、明るい場所でテーブルを挟んで向き合う。たきなはスマホを取り出して、千束の言葉を頼りに彼女のチャームとサイトを見比べていた。

 そこに乗っていたのは『アラン』と呼ばれる支援団体の事が簡単にまとめられていた記事だった。その団体は才能ある若者を見出して、多種多様な支援を施してくれる様で、支援を受けた人にはこのフクロウのようなペンダントが贈られるらしい。

 つまり、千束にもこれを受けるに値する才能があるという事。

 

「……確かに同じですね。何の才能があるんですか?」

「分からなぁい?」

「……それじゃないのは分かります」

 

 壁に貼られたグラビアと同じポーズを取った千束を一蹴するたきな。絶対に色気とかそういう類のものではない。バッサリ切り捨てられたショックで、千束は額をテーブルに突っ伏した。

 

「……自分の才能が何とか分かるー?」

「何かあると良いですけど」

「そんな感じでしょー?」

「……あ、でも最近分かったんですけど、誉さんって凄く記憶力が良いんですよ。この前トランプした時とか誰も勝てませんでした」

「あー、あれね……」

 

 リコリコ閉店後に行われるボドゲ大会は、最近スゴロクだったりトランプだったりといったゲームもする様になった。その際、誉が見せたカードカウンティングという、場に出たカードを記憶して次の手を予想する技術によって、ポーカーやブラックジャックなどのトランプゲームにおいて一位を総ナメされる結果となったのは記憶に新しい。

 

「イカサマだよあんなん……」

「あれは才能ですね」

「たきなの下着姿とかバッチリ記憶されてるかもよぉ?」

「千束のさっきのひょうきんな踊りも記憶されてますね」

「だからぁ、あれはチンアナゴだってぇ……!」

 

「楽しそうじゃん」

「お、おかえりー」

「何の話してたの?」

 

 互いに笑い合っていると、誉が水槽側からそのまま千束とたきなが座るテーブルまで歩み寄って来ていた。楽しそうな雰囲気を見て当てられたのか、ふわりと嬉しそうに表情を綻ばせていて。

 

「誉さんは、千束には何の才能があると思います?」

「才能?何でまた」

「千束がこれを持ってたので、その話になって」

「────……これ」

 

 たきなが手に持った千束のチャームを見せると、誉は目を見開いて固まっていた。

 最近ニュースでも優秀な成績を収めたスポーツ選手が確かアランに見初められた人だったと流れていた事もあり、割とこの手の話はホットなのだが……誉は暫くそれをジッと見つめていた。

 

「……朔月くん?」

「っ……あ、ああゴメン、ちょっとビックリして……それ、アランのペンダントだよね。錦木のなんだ?」

「まーね。で、その才能がなんなのか話してたの」

「錦木の才能、ね……」

「……え、ちょ、何そんな見つめて。あ、朔月くん、もしかして私の才能に気付いちゃった〜?」

 

 そういって千束は、たきなに見せたセクシーポーズを再び誉の前で披露する。急に何だと訝しげに見つめていた誉だが、やがて近くの壁に貼ってあるグラビアの写真と目の前の千束が同じポーズを取っている事に気が付いて、交互に見比べて思わず────

 

「……ふふっ」

「っ……あー!笑ったぁー!今鼻で笑っただろぉー!」

「いや、ゴメ……ふっ、そうやって、人を笑顔にできるのは才能だと思うよ……くくっ」

「ちょ、笑い過ぎだからぁ!」

 

 笑顔にするというか、どちらかと言えば嘲笑された気が……。

 くつくつと笑う誉の腹に、千束が軽く拳で小突く。そして顔を赤くして力無く椅子に腰掛け、誉もそれに合わせて腰掛けた。

 

「……で?何でこのペンダントの話になったの?」

「え?」

「いや、そういう話になった経緯が気になって。まさか何の脈絡も無く錦木がこれ見せびらかした訳じゃないんでしょ?やりそうだけど」

「ちょおい」

「冗談だよ」

 

 そうやって軽く微笑んでから、真剣な眼差しを向ける。そんな瞳と交わって、千束は再びその表情を曇らせた。

 

「あー、その……私がDAを出たのって、会いたい人がいるからなの。けど、十年経って何の手掛かりもなくて、さ」

「……そうなんだ」

「これをくれた人って事ですよね?」

「……もう、会えないかもね」

 

 たきなが腕を伸ばして、預かっていたチャームを千束へと渡す。受け取った千束はそれを見下ろして、すうっとその瞳を細めた。

 たきなと誉は彼女のその表情に、この十年間を賭してその人の手掛かり何一つでさえ見付けられなかった事への諦観染みたものを感じた。

 

「“ありがとう”、って言いたいだけなんだけど……」

「……」

「……」

 

 たきなと誉は、何も言わずにただ彼女を見つめた。彼女が何故その人を探しているのか、どうして大事に思っているのか、どんな想いでその人の事を考えているのか、二人は知る由もない。

 変に励ましの言葉を伝えても、それは誤魔化しでしかないし、偽善に他ならない。彼女の心の内を、誰も知った様に口にする事はできないし、許されない。

 

「────っ」

「……たきな?」

 

 ────だからだろうか。

 何も言わずに離れた水槽を眺める千束のその表情をどうにかしたくて、たきなはきっと立ち上がったのだった。

 そうして水槽の前の広場で両手を重ね、身体を前へと傾けて片足を伸ばして見せた。恥ずかしそうに顔を真っ赤に染めて、それでも彼女を励ましたい一心で、そうして作り上げた魚のポーズ。千束のチンアナゴに負けず劣らず、身体を張っている。

 

「さかなー!」

「お〜!さかなかぁ〜!よぉーし……チンアナゴォ〜!」

 

 それを見た千束は、途端に笑顔に。

 受け取ったチャームを首に戻してたきなの横へと駆け寄り、並び立つようにチンアナゴのポーズを見せつけ、周りに稀有な目で見られるというよく分からない空気へと辺りが変化する。

『何あれ』と子どもにマジレスされてる中、千束は自身とたきなの滑稽な姿に、阿呆らしいその振る舞い方に当てられて面白可笑しく吹き出してしまった。

 

「……くっふふ……あっはっはっはっ……!」

「……ふふっ、ふふふっ……!」

 

 千束の太陽の様なその笑みにたきなも思わず微笑んで、目を細めて笑い合う。今までに感じた事の無いような感情の波が押し寄せて、それが楽しくて笑みが隠せない。

 そんな姿を、誉はただ眺めていて────スマホを横向きにして此方に翳していた。

 

「これが“てぇてぇ”……」

「ちょっと朔月くん、何撮ってんのよぉ!」

「あ、いや、ミズキさんに見せたら面白そうだなーと」

「やめんかコラァッ!」

 

 そう言いながらも、楽しそうに誉に絡む千束。先程までの憂い顔が消え去って、いつもの笑顔が。周りを照らし、他人までもを自然と笑顔にさせてしまう様な、そんな彼女の顔が、とても眩しい。

 そんな千束の姿を、たきなは瞳を細めて眺めていた。

 

「……ったく、油断も隙も……たきな?」

チャーム(それ)、隠さない方が良いですよ」

「え……そう?」

「ええ。────めっちゃ可愛いですよ。ね、誉さん?」

 

 そうして、誉に言葉を託す。

 千束は思わず、たきなの視線を追った先に立つ誉に瞳が動いた。その両手は、首に下がるフクロウのチャームを掴み、じっと顔を赤らめて誉の言葉を待つ。

 誉はふわりと軽く微笑んで、慈しむような笑みで千束を見つめていた。

 

「……うん。似合ってる」

「っ……そ、そっかそっか……にへへっ」

「なあ、錦木」

「うん?」

 

 誉は、顔を赤くしたまま嬉しそうに口元を緩める千束の名を呼ぶ。

 不思議そうに此方を見上げる彼女の視線から逃げる事無く、変わらない微笑みで彼女に告げる。

 千束にとってその人がどんな存在で、どんな想いを持って探しているのかなんて相も変わらず分からないけれど、会えないと嘆く彼女に誉が言ってあげられるのは、精々持論だったのかもしれない。

 ────ただ、そうだったら良いな、という願い。

 

「会わなきゃいけない人には、絶対に会えるんじゃない?」

「────……うん、そうだよね。にひひっ、ありがと!」

 

 けどその言葉は、確かに千束を救った様に見えた。彼女がまた楽しそうな笑顔を見せてくれただけで、伝えた甲斐があったというものだ。

 千束は、誉とたきなの肩を軽く叩いて、前に出て先導する様に声を上げた。

 

「じゃあ次行こっか!」

「……ちなみにさ、その会いたい人って男の人?女の人?」

「お?なぁにぃ朔月くん、気になるのぉ〜?」

「……や、タツノオトシゴと比べたら別に」

「え……ち、チンアナゴよりは?」

「あー、それと比べたら特に」

「ちょいちょい!もっと気になってよぉー!」

「誉さん、千束、次どこ行きますか?」

「くぅ……よぉし!こうなったら次はペンギン島に行くぞぉ!」

「「ペンギン!?」」

「二人とも食い付きハンパないな!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 ────翌日の早朝。

 

 

「ひゃああああああああハレエェェンチィィィイイイイイ!!!」

 

「っ……!?」

 

 既に開店してるリコリコの店裏で響き渡る甲高いミズキの奇声に驚き、その拍子に誉の淹れていた珈琲がカップから溢れ出た。

 

「……っぶね」

 

 うっかりポッドを落としてしまいそうな程に突発的なタイミングで上げられたその声は、何かの事件の兆しなのではとさえ恐怖する。

 表の常連のお客さん達も何だ何だと訝しげに店奥へと続くカウンター、つまるところ誉の方を見ていて。

 その疑問に応えるように、誉は思わずテーブルにポッドもカップも置いてその場から飛び出し、声のした更衣室付近へと駆け寄り────そして、呆れた様に目を細めた。

 

「……何してるんですか」

「コイツが男物のパンツ履いてんのよ!」

 

 そこには、取っ組み合う千束とミズキ……正確にはミズキに首を絞められた千束という構図が出来上がっていた。

 そして今の一瞬で、というかミズキの一言で誉は全てを理解した。先程開店前にたきなの男物の下着を全部捨てる発言をしていた千束だ、恐らく好奇心でたきなの下着に手を出したのだろう。それをミズキに見られた……といったところか。タイミングが悪過ぎる。

 

「白状なさいっ!アンタ朔月くんところに泊まって来たな!越えてはいけない一線を超えたわね私への当て付けか!」

「えっ、あっ、や、違う違う違う違う!朔月くんの家教えて貰ってないし私達まだそんな関係じゃないぃぃぃいいいいでででででで!!!」

「ガキの癖に不潔よ不潔ぅぅうううう!」

「聞けって!違うってえええぇぇのおおぉぉぉおおおおおお!なん……あっ、たきなの!たきなのだからぁ!」

 

 何の話をしてるのか一ミリも理解できずに首を傾げていると、そんな誉に向かって千束が指を差した。……正確には誉の隣りに並び立っていた、裏の様子を見に来た制服姿のたきなだった。

 急に名前を挙げられて何の事か分からないたきな。そんなたきなの事など知らぬ存ぜぬで、ミズキは千束からその腕を離すと、その眼鏡を光らせたきなに急接近した。

 そして────

 

「え────」

「ぶっ……!?」

 

 誉の目の前でペラリと、豪快にたきなのスカートを捲り上げた。

 誉はミズキのその流れる様な動作の所為で目を逸らすのが遅れ、ミズキはミズキで睨む様に目を細めてたきなの下着を見つめ、そしてスカートを下ろして一言。

 

「可愛いじゃねぇか」

「いやだからそれを昨日買ったの!え、あ、ちょいちょい何処へ────」

「皆さーーーん!このお店に裏切り者の嘘吐き野郎が居ますわよーーー!?」

「うおおおおおあああああ!ひいいいぃぃぃいいいい、やめろやめろやめろやめろやめろぉぉおおお!」

 

 表で千束の下着事情、もとい根も葉もない話をミズキにひけらかされそうになったその瞬間に千束の顔が真っ青になり、途端に彼女も表へと駆け出した。残されたのは、誉とたきなの二人だけ。思わず、誉はたきなへと視線を戻す。

 彼女は、今まで見た事も無いほどに真っ赤に、熟れた果実のように顔を染め上げていた。

 

「……み、ま、した……?」

「……ガッツリ見た……ホント、ゴメン……」

「いえ、その……今のは、仕方無いです……」

 

 ────嘘が吐けないのは美徳だと誰か褒めて欲しい。

 この場で公言はしないが、以前のトランクスと比べると明らかに女性らしい下着だった。ミズキの言葉を借りるなら……凄く、可愛いかった。

 

「……それに」

「え……?」

「これは、その……誉さんには、見られてもいい下着だと、千束に聞いたので……」

「────はあっ!?」

「……か、可愛かった、ですか……?」

「言えるかぁ!」

 

 わけ分から過ぎて一瞬固まった。

 ────見せて良い下着!?そんなの存在すんの!?痴女だろソイツ!と誉の頭の中では混乱が渦巻いていた。ちなみに『痴女』って言葉は最近覚えた。

 というか、見せていい下着の割には以前トランクスが千束に見られた時や、誉に着替え途中を見られた時よりも何倍もずっと恥ずかしそうに顔を赤くして俯いていて、それがただただいじらしくて。

 誉は、思わず目を逸らした。全ての元凶である錦木千束が居るであろう表の方を見据えて、目を細める。

 

「……と、取り敢えず、ミズキさんからの攻撃は錦木の自業自得って事で甘んじて受けてもらうか」

「……そう、ですね」

 

 そうしてお互いに気まずいまま、顔を赤くしたまま、お客さんの集まるサービスルームへと二人で足を運ぶと、そこにはミズキに羽交い締めにされたまま、クルミが用意した扇風機を前にスカートの中身を晒された千束の姿があった。

 

「ほれほれ」

「もおおぉぉおおいっそ殺してええええぇぇええ!」

 

 クルミに扇風機と団扇で煽られ叫ぶ千束と、ニヤけた顔でお客さんに千束の下着事情を伝達するミズキ。

 

「見ましたぁ?皆さん、男物のパンツですよぉー?」

「ちょ、違うってええぇ!だからたきなの、や、先生の指示で────」

「え、オッサンの?それって……」

「や、もうそれもややこしいいいいいいとにかくちがあう、違うってえええええ!」

 

 そんな、何とも情けない錦木と大人気ないミズキと、それをわけが分からず眺めるお客さんという地獄絵図。よく分からない空気に当てられて、思わず誉とたきなは顔を合わせて。

 

「……くっ、くく、あっははははは!」

「ふふっ……はははははははははっ!」

「ちょ、何二人して笑ってんの助けてよおおおおぉぉぉお!!」

 

 先程まで気不味くなっていた空気は消え去り、身内の情けない姿を見て、ただ二人で笑い合う。

 そんな楽しげな二人に向かって、羽交い締めにされたまま哀れな姿となった千束は、ひたすら助けを乞うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

「弾道を補正」

 

 

「反動を修正」

 

 

「風速を計算」

 

 

「標的を再確認」

 

 

「距離約三十メートル」

 

 

「射程を推定」

 

 

「行動を予測」

 

 

「高低差を計算」

 

 

「握力対比を調整」

 

 

「姿勢は自然体。首はそのまま銃を目線まで持ち上げる」

 

 

「フロントサイトとリアサイトの高さを合わせ」

 

 

「後に目の焦点をフロントサイトに合わせる」

 

 

 ────何度か反芻した、呪文のような動作確認。

 告げる度、耳を劈くような破裂音、いや銃撃による発砲音が響き渡る。そして手元にも、その音を引き起こす代物が生々しく冷たい感触を伝えてくる。

 重い。人の命を奪うに充分な質量。この黒光りする、人を傷付ける為にある力。使い方次第で、誰かを助けるものにもなるのだろうか。

 

 

「狙いは逸らさず」

 

 

 鉄骨の山、歪な骨組み、未完成な建物。

 そして、その高みで此方を狙う、黒い長髪の痩せた男。

 突き付けられたその銃が火花を散らし、刃で切れた様な痛みが頬を掠める。

 

 

「目的を違わず」

 

 

 けれど、逃げるわけにはいかない。

 生まれて一度もこんな修羅場に出くわした事は無い。

 こんな非日常に駆り出される様な未来なんて想定してない。

 それでも、すぐ傍で動けず座り込んでいる彼女の為にも、決してこの場を離れたりしない。

 

 

「────不殺を心に」

 

 

────⬛︎⬛︎⬛︎、⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎。

 

 

 ああ、声がする。

 懐かしい、酷く懐かしい誰かの声が。忘れたものだとばかり思っていたけれど、一度思い出すと、彼女から貰った言葉を何度でも呼び起こせる。

 それは、笑うように。

 

 

 

 

────⬛︎⬛︎ハ、⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎レル。

 

 

 

 

 それは、歌うように。

 

 

 

 

────⬛︎⬛︎ハ、何⬛︎⬛︎モナれる。

 

 

 

 

 それは、囁くように。

 

 

 

 

────⬛︎⬛︎は、何二デもなれる。

 

 

 

 

「────チェック」

 

 

 

 

────貴方は、何にでもなれる。

 

 

 

 

 それは、呪うように。

 

 

 

 

「────来いよ、“サイレント・ジン”」

「っ!」

 

 自分が放ったとは思えない底冷えするような声音で繰り出した挑発的な言動と同時に、奴の銃から弾が放たれる音が響く。

 その瞬間、その瞳を見開いた。直前まで食い入る様に見つめていた奴の顔、視線、瞳の動き、口元、指の動き、筋肉の機微。その全てが、この場で成すべき事を教えてくれる。

 

 

 ────気が付けば、その銃弾を首を傾けるだけで躱していた。

 

 

「……ほまれ、さん……」

「────下がってろ、たきな」

 

 彼女の銃をその手に、風でその髪と服を靡かせながら、大丈夫だと伝えてみせた。そのまま、振り返って目線を上げて、遥か上で此方を見下ろす長髪の男を見上げながら、再びあの声を思い出した。

 

 

────“貴方ハ、何ニデモナレル”

 

 

 きっと、母に求められた姿形ではないけれど。

 何者にもなれるのならば、今、仲間を守れる存在になれているだろうか。

 

 

 

「秒で終わらす」

 

 









たきな 「あ、じゃあタイム測ってますね」

誉 「ただの決め台詞じゃん」


※後書きはフィクションです。


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