行きつけの喫茶店の珈琲が美味   作:夕凪楓

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知らない場所、知らない人、限られた時間を君と共に。



第5話 So far, so good
Ep.16 Are you ready to travel?


 

 

 

 

 

 

 

「ではみんな!今回の依頼内容を説明しよう!とっても楽しい、お仕事ですよ〜♪くっひっひっひっ、んっふっふっふっ……!」

「……笑い方が気持ち悪い」

「ちょ!女性に言う言葉かぁ!」

 

 リコリコが営業時間を終え、珍しく残っている常連のお客さんもいない。それが合図なのだと、数ヶ月此処で働いていれば流石に理解する。

 裏の仕事────つまりリコリスとしての仕事の打ち合わせがあるという事。一般人には聞かせられない。……従業員である俺を除いて。

 

 依頼内容の記載があるであろうタブレットPCを振り回して楽しそうに笑う錦木を眺めながら、チラリとミズキさんの方を見る。普段ならミカさんかミズキさんが依頼内容を説明するからだ。

 しかし、当の本人はたきなと並んで座敷に腰掛けている。それをたきなも不思議に思ったのだろう、疑問をそのまま口にした。

 

「ミズキさんが説明しないのですか?私、もう読みましたけど」

「今回やたら乗り気なのよ……」

「ちょ、ちょいちょいちょい、ちょおい!そこぉ!私語はしない!そしてそこのリス!……ゲームしてない?」

「聞いてるよ」

 

 二階で凭れてVRゴーグルを被りつつ、コントローラーをカチャカチャ操作しながらクルミは呟いた。あ、今日は押し入れの外なのか。

 まあクルミは要領良いし、ながらで聞けるだろうけど……って、錦木が何かこっち見てる。何。

 

「そして!そこの朔月くん!」

「俺関係無いだろ」

「呼んだだけ〜♪」

「……そうかよ」

「イチャイチャすんなら他でやれやぁ……!」

「し、しとらんわぁ!」

 

 千束は慌てた様にミズキさんにそう捲し立て、何事も無かった様に立て直す。態とらしく咳払いすると、タブレットに記載された依頼内容を音読し始めた。

 

「────『依頼人は72歳男性、日本人。過去に妻子を何者かに殺害され、自分も命を狙われた為に、アメリカで長らく避難していた。現在は……きん……き、き、きん……?」

「な、何て?禁忌飢饉(きんきききん)?」

「それなんて終末?」

 

 この世の終わりかな?恐ろしい単語が生み出された予感。

 カウンター越しで珈琲を淹れつつ視線を向けると、目を細めてタブレットと睨めっこする錦木の姿が。……ああ、漢字が読めないのね。

 これだと説明が進まないな、と思っていると二階からクルミの助け舟が出た。しかも、告げられた言葉は聞いた事のある病名だった。

 

筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう)

「……ALSか」

「知ってるんですか?」

 

 たきなが驚いた様に此方を見る。千束やミズキも同様に視線を寄越してきた。

 知ってるといえば勿論知っている。何せ、医者を目指した事もあるくらいだ。ALSに関してもよく覚えてる。十年前くらいに症例をこの目で見た事もあった。

 

「……指定難病の一つで、筋肉を動かす神経系───運動ニューロンが障害を受ける病気だよ。その結果、脳から体を動かすのに必要な信号が伝わらなくなって筋肉が痩せていく。発症率で言えば10万人に1人から2.5人。原因は十分解明されてないけど、神経の老化との関連や興奮性アミノ酸の代謝異常、酸化ストレス、タンパク質の分解障害、あるいはミトコンドリアの機能異常といった学説があって、最近だと────」

「わ、分かった!分かんないけど、分かった!」

 

 我に返って顔を上げると、錦木がヘンテコな顔をしていた。何その顔ウケる。

 多分此方の話の半分も理解してないだろう。

 というか、俺も話し過ぎたな。知識ひけらかしてマウントとる奴みたいになるから調子乗るのやめよ。こんなの調べればすぐ出てくるし。

 

「……よく覚えてますね」

「誉、ウィキみたいだな」

 

 座敷でたきなが、二階でクルミがそれぞれ関心していた。いや、クルミに関しては鼻で笑ったろ今。嘲笑だろそれ。言葉尻に(笑)って聞こえたぞ。

 

「じゃあ、自分では動けないのでは?」

「そう!去年余命宣告を受けた事で最後に故郷の日本、それも東京を見て回りたいって!」

「……観光、ですか」

「泣ける話でしょぉ〜?要するに、まだ命を狙われている可能性がある為、Bodyguard(ボディガード)します!」

「発音合ってるそれ?」

 

 ボディガードのとこだけアメリカン入れてたな今。

 てか仕事終わりだってのにやたらと元気だな。何故そんなに明るい……あ、もしかしなくても報酬が良いなこれは。

 錦木がこの手の仕事でニヤニヤしてんのはお金が絡んでる時だあーもー絶対にそうだもうこれしかないこれしか考えられない賭けても良い。

 

「何故狙われているのですか?」

「それがサッパリ。大企業の重役で敵が多過ぎるのよぉ〜、その分報酬はタップリだから♡」

 

 たきなの質問にゲスい恍惚とした表情を見せるミズキさん。

 ほれみろやっぱ報酬良いんじゃん。ミズキさんのゲスな笑顔見る前から明らかだったわ。

 その人も数ある場所からよくリコリコを選んだものだ、とまで考えてふと思った。

 

「日本に来てすぐに狙われるとも思えないけどねー。行く場所はこっちに任せるらしくて、私がバッチリプラン考えるから!」

「…………?」

 

 ……今、なんとなく思ったんだけど。

 よくよく考えてみたら、リコリスって機密機関で一般には知られてないんだよな。だったらリコリコに依頼する人達ってどういう経路で此処を見付けてくるんだろうか。

 

 その違和感を無視するとしても、そもそも今回の依頼主はアメリカに避難していた。その時だって命を狙われている危険は伴っていたはずで、なら既にボディガードが存在しているはず。態々日本に来て錦木達とそれを差し替える理由が分からない。

 しかも観光中はこちら側に一任している。命を狙われている自覚があるならあまりにも自由だし、初対面の錦木やたきなに対しての警戒心が無さ過ぎる。とてもじゃないが、ボディガードを依頼する人間性と矛盾するのだ。

 

 ────……なんか。なんか、違和感があるな。何だろう、このモヤっとした感じは。

 

「旅のしおりでも作ろうか?」

「それだ!ナイスクルミ、早速取り掛かろう!あー時間が無さ過ぎる!朔月くん珈琲私にも!」

「…………徹夜する気?」

 

 なんであんな元気なんだアイツは。ミズキさんなんて歳だからもう眠そ(規制)。ったく、誰の心配をしてると思って……まあ、いいか。錦木もあんなに楽しそうだし。

 彼女の要望通り、珈琲を仕上げてカップに注ぎ、それを人数分トレイに乗せて持ち運ぶ。客間に行けば既に錦木が旅のしおりの制作に取り掛かろうとしていて────その用紙どっから持ってきたの。

 

「〜♪」

「……」

 

 楽しそうな横顔。嬉しそうな鼻歌。

 誰かの為に一生懸命な彼女。今回に至っては、依頼主の為に旅のしおりを夜通し作ろうとしている。普段我儘で、やりたい事最優先を豪語してる割には、意外と人たらしというか、人想いなんだよな。

 ……だから、錦木の人に傾けるその想いが報われて欲しいと常々思う。彼女の思いが伝わって、それを皆が彼女に返してくれるような、報われるような結末であって欲しいと思うのは、傲慢だろうか。

 

「……錦木」

「んー?」

「しおりは紙媒体じゃなく、データの方が良い」

「え、何で?ご高齢だし紙の方が優しくない?」

「ALSで余命宣告されてるって事は多分呼吸筋も麻痺してるだろうから、人工呼吸器を使ってる。そこまで進行してる人だと指が動かせないから、ページが捲れない」

「あ……そっか」

 

 錦木はしおりの表紙を手掛けようとしていたそのペンの動きを止める。俺の言った事に気が付かなかったのか、顔を上げて目を見開いていた。

 

「多分……自動の車椅子か何かで来ると思う。会話も無理だから、多分音声合成ソフトを使っての会話かな。なら、そこまでパソコンが苦な人じゃないから、高齢の人でもデータで大丈夫。それに……」

「……それに?」

「そっちの方が、錦木の優しさが伝わると思うよ」

「────……っ」

 

 ……ちょ、今のは恥ずかしい事言った自覚ある。

 だからそんな顔赤くしてこっち見ないで錦木。カッコつけた自覚あるから。ゴメンて。そんな見ないでって。

 誤魔化す様に視線を逸らし、錦木が手掛ける用紙を指差した。

 

「ほ、ほら、さっさとやるぞ」

「え、あ、でも、私そんなパソコン使わないから……」

「あー、そうだよな……あ、じゃあ素体は紙で作って良いよ。画像データにすんのは俺がやるから」

「え、そんなんできんの?」

 

 カウンター席に腰掛けたまま、驚いた様に此方を見上げる錦木。そういえば、彼女の前でパソコンを使った作業をした事は無かったかもしれない。

 まあ、そもそもパソコン使うタイミングが無いしな。たまに時間ある時に売上とかデータで見てるけど。

 

「最近クルミにパソコンの使い方習ってるから」

「すぐ覚えるからあんま教えた気にならないけどな」

「物覚えが良いと楽だろ、師匠」

「可愛くない弟子だ」

 

 二階でクルミはつまらなそうに呟いた後、カチャカチャとコントローラーの操作に戻っていった。

 彼女の皮肉に軽く微笑みながら、再び視線を下に戻して────え、なんか錦木が目を細めてこっち見てんだけど何。

 

「なーんか、クルミと仲良いじゃん」

「……何、ヤキモチ焼いてるの?」

「っ、なっ、ちが────」

「大丈夫だって、ホントにパソコン教えてもらってるだけだから。クルミとは、錦木の方が仲良いって」

「違ぇよ」

「声冷たっ」

 

 え、怖、何。

 今のどっから出た声ですか。

 

 底冷えするような声を浴びせられて萎縮する俺の隣りで、千束は既に行くところを決めているのか下書き無しで用紙にサラサラとペンを走らせている。

 特に何も言わずにそれを眺めていると、見知った単語がつらつらと書き記されていく。

『浅草』『七夕祭り』『江戸城』『学術文化ミュージアム』『シビックセンター』……有名所手当り次第って感じである。どれも名前だけは聞いた事があるけれど、聞いた事があるってだけ。

 

「……何処も、行ったことないな」

「え?」

 

 思わずポロリと呟いてしまった。

 俺のその独り言を聞いた途端、錦木のペンの動きが止まる。ゆっくりと顔を上げ、その瞳と交わった。

 

「何処も行った事ないの?」

「え……あ、うん。まあ、ね」

「……あれ、家ってこの辺だよね?」

「そうだけど……まあ、色々あってさ。いつかは行ってみたいんだけどさ」

「……そっか」

 

 錦木はそれだけ言うと何か考える様に俯き、やがてしおりの制作に戻っていった。その対応が、有り難いような気不味いような、何とも言えない感覚だった。

 

 俺のいう『色々』を、錦木は踏み込んで聞いてこない。ある程度線引きして、距離を保っているような感覚。俺が学校に行っていない事は、ほぼ毎日平日休日問わず働いている事で分かっているだろうに、気付いているはずなのに今まで一度も触れてきた事は無かった。

 地元であるにも関わらず彼女がしおりに記した場所の一つでも行けた事がない。だからその場所に人並み以上の憧れがあって、思わず零れた羨望の言葉。

 

 俺は、羨ましいと思ってしまったのか。

 彼女は、人を守る為の仕事で赴くというのに。

 言ってしまってから、後悔した。

 

「……」

「……」

「…………」

「…………」

「……………………」

「……………………〜♪」

 

 いや、コイツ楽しんでるだけだわ。

 これ絶対錦木が行きたいところだろ私情挟んでんなよ俺も行きたいわ。言った事は後悔しません。

 

「……ったく。あ、ミカさん、珈琲です」

「ああ、ありがとう」

 

 錦木から離れ、たきな達にも珈琲を一杯ずつ渡していき、最後はカウンターの反対席で新聞を広げていたミカさんの前に淹れたての珈琲を置く。いつになっても、ミカさんに珈琲を飲んでもらうのは緊張するなぁ……。

 ミカさんは新聞を畳んで、俺が目の前に置いたカップを手に取った。そして、その視線の先で、嬉々としてしおりを作る錦木を見据えて柔らかく微笑んでいた。

 

「随分と楽しそうだな、千束は」

「……そう、ですね。危ない仕事のはずなのに、そんなの関係無いみたいで。単純に依頼主と東京観光するだけみたいで……なんか羨ましいな」

「羨ましい?」

「俺にとっては、東京で遊ぶのも難しかったんで」

「────……」

 

 その発言の後、ミカさんからの視線を感じた。

 ────ああ、本当に。やりたい事最優先の彼女が、行きたいところに何処までも行こうとするその意志が、行きたいところに行ける錦木が、心底羨ましい。

 

「俺も、機会があれば観光とか旅行とかに行ってみたいです」

「……そうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 そして、任務当日。

 

 依頼主から間も無く到着すると連絡が入ると、それから少しして店の前で車のエンジン音が聞こえた。依頼主だと直感したのか、千束は立ち上がって出迎えの準備を始める。それに続く様に、誉も千束とたきなの出発を見送ろうと立ち上がった。

 鈴の音と共に店の扉の開閉音が聞こえて、全員で来客を出迎えると────

 

「お待ちしておりましたー!……ぁ」

 

 千束の言葉尻が詰まる。

 サングラスの黒服に守られながら、ゆっくりと店の中に入ってきた車椅子の客人は、やはりこの空間では一際異彩を放っていたからだった。

 千束やたきなが依頼主のその姿を見た瞬間に固まって動けなかった中でも、ミカと誉だけは変わらずの態度で挨拶を交わしていた。

 

「松下さん、いらっしゃいませ」

「────遠いところ、ようこそ」

『少し早かったですかね。楽しみだったもので』

 

 依頼主────松下という名のご老人から発せられたのは、やはり誉が先日伝えた通りの合成音声。

 しかし思考をそのまま読み取り言語化し、音声として放っているのか、かなり高性能なソフトらしい。それに関しては誉も心の中で驚いていた。

 

 機械が生成する音声にしては発音が滑らかすぎる。会話も流暢で言葉の節々に感情らしきものすら感じる。合成音声であるはずなのに、何処か違和感が拭えない────が、そういうものなのだろうと納得ができてしまう理由が、誉にはあった。

 

(……箱庭(・・)にいた間に、外の科学は進歩してるんだな)

 

 ただ、やはり彼のその姿は健康体である人から見れば痛ましいものだった。

 自動で動く車椅子に、視力を補助する目的であろう機械的なゴーグル。筋肉は衰え痩せこけており、人工呼吸器特有の空気の排出音が静かな部屋によく響く。無表情に見えるその顔も、筋肉が動かせないが故のもの。

 余命宣告を受けているとの事だが、難病なのが目に見えて分かる深刻さだった。

 

「……あ、いえ!準備万端ですよ!旅のしおりも完璧でぇす!朔月くん!」

「オッケー。PDFにしたやつ用意する。松下さん、アドレスだけお伺いしても良いですか?」

『ありがとうございます、助かります。……後はこの方達にお願いするので下がって良いですよ』

 

 誉にお礼を言った後、松下の自動車椅子の向きが黒服へと移動する。彼の言葉を聞くと、素直に黒服は表に停めていた車に乗って早々にそこから離れて行ってしまった。

 誉はカウンターに腰掛けて、松下の為にPDFをしおりの順に並び替えてセッティングする。千束にそれを覗かれていてなんとなくやりにくい。

 

 その間、今回の依頼主である松下を中心になんとも言えない空気が漂っていた。特にたきな達は、松下という痛ましい姿をした存在の扱いに困るかの如く、何も言えずにただ彼を見つめる事しかできないでいる。

 すると松下当人もそれを感じたのか、誉と千束へとその車椅子の向きを傾けて呟いた。

 

『今や機械に生かされているのです。おかしく思うでしょう?』

「そんな事無いですよ。私も同じですから。ここに」

 

 機械に生かされている事を恥じるような松下の発言を、千束は両手を胸元で振って否定する。そして、その胸の前でハートの形を作ってみせた。

 自分の胸にも、私を生かしてくれる機械があるのだと暗に伝えていた。初耳である誉は、思わずパソコンから目線を外してしまった。

 

『ペースメーカーですか?』

「いえ、丸ごと機械なんです

 

「────っ」

「え?」

 

 ────この時声を出さなかった自分を褒めてやりたいと、誉は思った。

 たきなは思わず声を漏らし、クルミも視線が千束に向いた。彼女の言葉に困惑したその反応は、傍から見れば新顔である三人が何も聞かされていなかったであろう事が伺えた。

 

『人工心臓ですか』

「アンタのは毛でも生えてんだろうね」

「機械に毛は生えねぇっての……!」

 

 この反応からするに、ミズキは知っていたらしい。

 やはり驚きを隠せないたきなは、固まった表情のまま千束を見つめていて。

 

「ど、どういう────」

「誉、まだ終わんないのか?」

「今終わったよ。松下さん、今送ります」

 

 偶然たきなの言葉に重ねる様にクルミからの催促がかかり、誉は小さく息を吐く。完成したものをそのまま貰ったアドレスへと転送する。

 恐らく松下の身に付けた視力補助のゴーグルに、千束の手掛けた旅のしおりが表示されている事だろう。それを閲覧したのか、松下からまた驚きの声が。

 

『おお……!これは素晴らしい』

 

 喜んで貰えた様で何よりだ。やはり画像で用意して正解だった。

 千束のしおりが無駄にならなくて良かったと、そう心の中で思っていると、いつの間にか千束がすぐ近くにまで寄って来ていた。

 

「……ありがとねっ」

「……ああ、うん」

 

 嬉しそうに、楽しそうに笑う千束。

 夜遅くまで準備した割には千束は元気そうである。松下が此処に来るまでも、彼女は自作のしおりを何度も読み返しては、今日一日の予定を頭の中で楽しく復習していた事だろう。

 その顔を見ただけで、提案して、手伝って、喜んで貰えて良かったとそう思える。頑張って良かったと、誉はただ切に思った。

 

「では!東京観光、出発しまーす!行ってくるね!」

「うん、気を付けて」

 

 千束が松下の車椅子の取っ手を掴む。このまま運ぶつもりなのだろうが、松下もそれに対して特に何も言ってこない。行先は千束に任せるという話だったし、彼女がそのまま出口へと向かう事に対しても身を委ねていた。

 この中で唯一、たきなだけは完全に置き去り状態で立ち尽くしていた。原因は言わずがもがな、千束の人工心臓の話をまだ咀嚼できていないのだろう。突拍子も無い話である為、当然だった。

 

「あの、千束の今の話って」

「たきな行くよー!ミズキも車ー!」

「っ、あ、はい!」

 

 ミカやミズキへの質問を遮る様なタイミングで千束から急かされ、たきなは慌てて駆け出す。ミズキも後から続いて二人のその背を追おうとした、その時だった。

 松下の車椅子のブレーキが急に掛かったのだ。押し運んでいた千束は思わず前のめりになりそうになり、すんでのところで立ち止まる。たきなもミズキも急に千束が───いや松下が止まった事によってその足を止める。

 どうかしたのか、と誰かが口を開こうとしたその瞬間、松下から音声が響いた。

 

『彼は行かないのですか?』

「え……」

 

 ────千束を始め、たきなやクルミ、ミカやミズキ全員がこぞって『彼』と言われた存在に視線を集約させる。

 松下の言う『彼』とは、恐らく誉の事だった。誉は自分の事を言われてるのだと一瞬気付かずに固まっていたが、やがて松下の言葉を理解して我に返った。

 

『よければ、君にも同行をお願いできませんか』

「え……ああいえ、自分は」

『人数は多い方が楽しいですし、同性の方が居てくれると色々と有り難いのですが』

「……あー、えっと」

 

 この人は、誉の事も護衛だと思っている様だ。

 当の誉は思わず後ろを振り返ってミカへと視線を泳がす。ミカもどうしたものかと、困った様に眉を寄せていた。

 実際問題、体が動かせない病気となると介護必至だ。何かと同性の方が分かってあげられる事が多いだろうし、その手の事に関しては千束とたきなには期待は難しい。松下のお願いは的を射ていた。

 

(だからって、何で俺……)

 

 それ故に、問答無用で拒否するかと思われたミカも考える様に腕を組んでいる。依頼主、それも重役の提案を即座に否定するべきか否か悩んでいるのだろうか。たきなやクルミ達もそれぞれどうすんだこれ、と言わんばかりに顔を見合せている。

 

 しかし中でも千束は、誉がこの手の任務や仕事に興味を持つのを極端に嫌がる。個人の為のリコリスとして依頼されたものに関しては、内容によって誉が手伝う事もあるが、こうしてDAでの任務に近い銃撃が絡むものに関しては誉から遠ざけようとする部分が大きい。

 それは、千束が言わなくとも彼女の態度と行動で誉自身が自覚できる程のレベルだった。思わず視線をミカから千束へと移動する────千束は、やはりどうしたもんかと困った様な表情をしていてどう断ろうかと思案しているように傍目からは見えていた。

 

「あー……えっとですね、彼は今回別行動で────」

「良いですよ」

「っ……!?」

 

 誉は、たったの二つ返事だった。

 思わず千束は松下から再び誉へと視線を戻す。何言ってるんだと、その表情で訴えかけていた。

 

『おお、本当ですか。ありがとう』

「ちょ、朔月くん……!?」

 

 松下も喜びの声を上げ、引き下げられない状況へと一瞬で変わる。千束は思わず声を上げるも、松下に気を遣ってか即座に口を噤む。けれど、視線は変わらず誉を向いていた。

 そんな彼女から顔を背けて、誉はミカへと振り返る。特に困惑も焦燥も、マイナスの感情は一切無い。ただ、このDA支部の長へと、誉は柔らかな笑顔を傾けるだけだった。

 

「すみません、ミカさん。俺行きます」

「……」

 

 少しの時間、ミカと誉の視線が交錯する。

 普通なら、危険を伴うこの仕事の介入を良しとする人間はいない。ミカ自身、誉に初めて射撃場を案内した際にその手の話は伝えている。巻き込むつもりも巻き込ませもしない。それを止めるのは大人としての、そして何より千束の親としての務めでもある。

 

 けれど、もう既にミカは────誉の事を、この場の誰よりも知ってしまっていた。

『行っても良いですか』ではなく『行きます』と言い放った、誉の在り方と理由を。

 

「……千束の指示はしっかり聞いてくれ」

「っ、先生何でっ……!」

「ありがとうございます」

 

 勿論反対すると思っていたのだろう。

 予想外の発言に、千束は了承したミカに食ってかかりそうになる。それを遮るようにミカに頭を下げた誉は、千束が手放した松下の車椅子の取っ手を捕まえた。

 

「じゃあ行きますか、松下さん。俺が押しますね」

『ああ、すみませんね』

「いえいえ。それよりも観光、期待してて下さいね。錦木前日から張り切ってしおり作ってたんで」

「あ、ちょ……!」

 

 誉はそのまま松下の車椅子を押していき、店から出て車の前へと向かっていく。千束も慌てた様にそれに続き、たきなは千束の人工心臓の件も誉の任務参加もまだ鵜呑みにできておらず混乱で暫く固まっているも、狼狽えながら二人の後を追って行った。

 残されたのは、ミカとミズキとクルミ。ミズキは運転手担当なのですぐに彼らに続くのだが、気になった事をミカへと伝えた。

 

「人工心臓の事、たきな達に言ってなかったの?」

「千束に任せれば良い」

「後でボクにも説明しろ。……で、誉は良いのか?巻き込まれでもしたら……」

「……大人としては失格だろうがな」

 

 そう言って、杖を突いてゆっくりとカウンターに座る。ミズキとクルミが見つめる中、朝に誉が淹れてくれた珈琲のカップを、その瞳を細めて見据えていた。

 

「……彼の、思う様にしてあげたいと思ってしまったんだよ。彼は千束とよく似ている。色々とな」

 

 遠くを眺めるように、優しく告げる。

『似ている』という言葉の意味を、ミズキとクルミは分かりかねていた。

 

「ミカ、誉の事知ってるんだろ。千束とたきなには伝えないのか」

「……ああ、それも朔月くんに任せれば良い」

「千束と誉に任せっきりだな」

 

「……ああ、心底嫌になるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

『すみませんね。年寄りの我儘を聞いてもらって』

「いえ、俺も東京観光に行きたいと思ってたんで、誘ってもらえて嬉しいです」

『おや、そうなんですか。それは良かった。ですが、どうして東京に?』

「理由、ですか?……貴方と同じですよ」

『同じ?』

「死ぬまでに、何処でも良いから旅がしたかったんです」

 

 

 











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