行きつけの喫茶店の珈琲が美味   作:夕凪楓

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誰かの為にできる事をしたいんだ。そうすれば、その人の記憶の中でも生きていけると思うから。



Ep.19 Forget-me-not

 

 

 

 

 

 

 ───外国人の道案内から戻ったら、錦木も松下さんも居なかったんですけど、もしかして俺置いて電車乗った?

 

 東京駅のホームで電車を待つ人達の中に、あの目立った赤い制服も車椅子も見当たらない。これは完全にやってますね……錦木許せねぇよおい。

 

 いや、流石に気付かないなんて事無いよな。流石に置いてくなら置いてくで連絡とか入れてくれてるはず……いや、『置いてくね』なんて連絡来ても辛いだけなんだけど。

 

 慌てて携帯を開いて確認するも、それらしい連絡は来ていな……あ、今来た。

 錦木から、『東京駅前』とだけメッセージ。いつもはスパムメールみたいに長ったらしいの送ってくるのに今日はこれだけ……まだ勝手について来た事怒ってんのかな。

 流石にキレてるからって仕事中に私情で俺を置き去りにするのって良心が痛まないのか泣いちゃうぞ……いや、泣くな待て。

 

「……や、違う」

 

 もし、現在錦木がこの四文字を送るだけの余裕しか無いとしたら。既に暗殺者とやらが近くにいて、今この瞬間にも戦闘を繰り広げているのだとしたら。

 錦木だけでなく松下がいない事にも説明がつく。松下と一緒に暗殺者から逃げているのかもしれない。

 

 だとしたら、俺はどうすれば良いのだろうか。錦木のこのメッセージは、『東京駅前に来て』なのか『東京駅前には来てはいけない』なのか、どっちなのだろうか。

 暗殺者が来る前に送ってきたのなら『駅前に居るから合流して早く逃げよう』という意味になるが、来た後に送ってきたのなら『駅前でドンパチやってるから来るんじゃねぇ』って意味になる。これだけじゃ流石に分からない。

 

 なら俺が後悔しない選択をするべきだと、この時は即決だった。駅前へと向かうべく、俺は踵を返し───

 

 ────先程外国人に道案内をしたその足で、盛大に道に迷っていた。

 

 

 ▼

 

 

 千束と松下を追っていたはずだったのだが、道に迷った先で何故かたきなと合流し、暗殺者であろう黒髪長髪の女性……いや、男性───どっち?───と、対峙していた。

 

 格好付けたは良いけど、何だこの状況。たきながあの長髪の暗殺者に銃を突き付けられて居るのを見て、咄嗟に拾った銃で発砲し、たきなと奴の間に入る事ができたのは我ながら褒めてやりたい。

 ……咄嗟に拾った銃っていうパワーワードよ。

 

 だが、千束は近くにおらず、たきなは足に被弾して動けずにいる。戦えるはずもなく、この場を乗り切る為には俺がなんとかしなくてはいけない状況だった。

 

 ……てか痛っ。痛い痛い。えっ、頬の傷、深くない?

 瞬間的じゃなくて断続的に痛いんですけど。え、やだ、何これ泣く。

 

 しかし割って入った以上、せめて錦木が来るまでの時間くらいは稼ぎたい。たまたま暗殺者の持つ拳銃に銃弾がヒットしたから良いものの、以前試し打ちで撃った非殺傷弾と反動も使用している銃も何もかも違う。

 屋内と屋外では空気抵抗や風力の差も視野に入れつつ、動く的という事も計算に入れて行動しなければならない。

 

 チラリと、たきなへと振り返る。

 彼女は瞳を見開いて、何も言わず此方を見上げていた。その表情からは驚愕が見て取れる。俺と手元の拳銃を交互に見ているので、言わんとしてる事にもなんとなく察しがつくものだ。『お前こんな危ないとこで私の銃持って何してんの?』って事だよね。

 や、分かってる。ホントゴメン。水上バスで言ってる事と全然違うよな。全然サポート担当の職務じゃない。そんな目で見ないで、ガチで迷子ったんだって。

 

 ただ、たきなが動けないうえに錦木もいないのであれば、付け焼き刃であってもこの状況を打破できる可能性があるのは自惚れなく自分だけなのだ。

 たきなも俺では心細いかもしれないけれど、彼女には大丈夫だと思って貰える様にと虚勢を張って笑って見せた。強がりでも良い、安心させろ。

 

「────秒で終わらす、下がってろ」

「っ……は、はい……」

 

 たきなはポツリと、頬を赤らめてそう呟いた。

 怪我をしていたとしても反対すると思っていただけに、二つ返事で了承されるのは少し意外だったけれど、それは後だ。秒で終わらす(願望)。

 装填数は残り十発、補充の弾を貰っている暇は無い。この残りで暗殺者の行動を停止させねば────

 

「────っ」

 

 土煙の中から、暗殺者が顔を出し……て……え、身長高っ、てか身体ほっそ……ゴボウみたい。

 たきなを巻き込まないよう、此方に視線を向けさせる為に、銃を突き付けながら横に走る。コンテナという死角を巧みに使いつつ、いつでも撃ち抜けると威嚇しながら、暗殺者の視界を此方に釘付けにさせる。

 

 その一瞬の隙さえあれば、たきなが自身の身体を再び動かして、奴の弾道から外れてくれるはず。振り返ってたきなを見れば、予想通り身体を動かしてくれた。視線が彼女と一瞬だけ交わる。小さく頷いてから、視線を暗殺者へと戻すと、既に奴はその銃を此方に向けていた。

 

「……ぶねっ……!」

 

 ────暗殺者から、再びの発砲。続けざまに二発。

 思わず反射的にしゃがむ。瞬間、右肩と左足に一発ずつ銃弾が掠り────痛てててててっ!!なんこれ痛過ぎてウケるんだけど。

 その抉るような射撃に思わず表情が歪むも、どうにか体勢を立て直してコンテナへと隠れる。

 

「痛ってぇ……ええ、銃弾って掠っただけでこんなに痛いの……?あのツナギでグラサンの人よく耐えてたよなぁ……」

 

 錦木とたきながリコリスだと知った初めての事件を思い出す。あのツナギでグラサンの四人組が可愛く見えてくるレベルだ。

 あの人達撃たれた奴の事考えた事あんのかな。というか、あの人達元気かな。

 

(……痛みに慣れとく為にあの時たきなに撃たれときゃ良かったかな)

 

 脱線した、現実逃避してる場合じゃない。

 別に暗殺者を倒す必要は無い。錦木とたきなの会話や、たきながコイツに付きっきりなのを見ると、どうやら暗殺者はアイツ一人だけの様だ。ならば錦木が来るまでの時間稼ぎさえできれば、役割としては上出来だろう。

 ……錦木、というか。女の子に任せっきりな絵面はかなりダサいというか情けないけれど。

 

「……っ!?」

 

 再び銃声、慌ててその場から飛び出す。

 すると、待ち構えていた、暗殺者の姿。出会った時と変わりなく鉄骨で組み上げられた床で此方の上を取り、下で直線上に立つ此方に向かって銃を突き付け、即座に放たれた。

 その銃弾は右腕を掠め、再び痛みに耐えるよう歯を食いしばる。

 

「あっ、ぐ……ってぇなっ……!」

 

 仕返しと言わんばかりに銃を突き出して一発、狙ったのは銃を握る右腕部分────命中。だが再び弾かれてしまう。あれも防弾なのか……火花が散るって、素材何なのそれ。凄い気になる。

 

「……それ、防弾なの凄いね。何処で売ってるの?それともオーダーメイド?」

「────……」

「俺今着てるのただの服なんで、当たっても痛くなさそうで羨ましいな」

「────……」

「いや何か喋れ」

 

 ……全然喋らんやんあの人。めっちゃ静かやん。なんか俺が一人で吹かしてるみたいで恥ずかしいんだけど。暗殺者だと物騒だし、サイレントって呼ぶぞこの野郎。

 しかしどうなってんだあの服。ただの布地じゃないのか。ちょっと欲しいな物持ち良さそう……とかって現実逃避しないとやってられないくらいには痛い。

 会話で油断とかしてくれると嬉しかったんだけど、楽しむ気は無いらしい。問答無用で三発目が飛んでくる。

 

 迎撃せんと、振り向きざまに右腕をサイレントに突き出す。両手で支えて銃を放つ基本的なスタイルから外れ、片手のみで標的を見据える。一発無駄になるかもしれないが、経験値として情報を更新するのにこの一発は必要不可欠。

 

「────ってぇ、相変わらず反動デカ過ぎ腕痺れる湿布欲しい早く帰って珈琲飲みたいぃ……!」

 

 その一発は奴の右肩付近を素通りした。外したようだ。

 しかし撃った際の反動、弾道、命中精度などの記憶全ては、生々しく脳裏に記録されていく。改善、修正、改訂、補正。

 

「……────片手撃ちの情報更新。反動を再修正、弾道を再補正」

「────……っ!」

 

 残り八発。研ぎ澄ませろ集中力。駆け巡れ思考回路。

 間断無く機械のように、情報更新(アップデート)を繰り返す。少ない銃弾で牽制しつつ逃げ回る中でも、奴の癖もパターンも決して見逃しはしない。錦木が来るまで、たきなは俺が守るとそう決めただろ。

 

「高低差再計算、予測との差異を修正、空気抵抗補正、標的の行動予測完了───よし、当たれ(シュート)

 

 というか当たって。で、ちょっとでも痛がって。

 目を見開き、狙いを定め、不殺を心に三発目を放つ。

 サイレントが銃を突き付けるであろうタイミングを見計らっての発砲。予測通り、奴が銃を突き出した位置に丁度弾丸が到着し、奴の銃を再び弾き飛ばした。

 

「なっ……」

「漸く声を漏らしたな、サイレント野郎」

 

 あさっての方向に弧を描く拳銃を見上げ、サイレントは驚愕の表情で此方に視線を戻した。

 狙いはしたけど当たったのは偶然ですよぉ……とかって言うのは煽りに聞こえるかもしれないからやめておこう。

 

「────あと、七発」

 

 心臓が、悲鳴を上げている。

 

 

 ▼

 

 

「……嘘」

 

 その光景を前に、身動きを取る事は叶わない。

 自分を助けに来てくれた彼の姿に目を奪われ、惹き付けられ、魅入られて動けない。目を疑わずにはいられなくて、何かの間違いなのだと思わずにはいられなくて、見つめ続けずにはいられないのだ。

 

 たった一人で強敵を相手にする、一般の学生。

 十七歳の、自分と然程年齢も変わらないその少年が、たきなの目の前で拳銃を片手に暗殺者と渡り合っている。

 およそ現実とは思えない光景が、目の前で繰り広げられていた。

 

(……誉、さん……貴方は……)

 

 これだけでも異常過ぎる光景なのに、驚くべきは彼の射撃能力。二度もジンの手元を狙い、拳銃を弾き飛ばしているのだ。プロの殺し屋相手に偶然では済まされない所業。

 無駄撃ちする事無く要所要所で的確に弾を使って、時間を稼いでくれている。つまり、彼も千束が到着するのが勝ち筋だと理解しているのだ。

 

 場馴れしている、もしくは相当頭が切れる。

 この土壇場で素人が時間を稼ぐという思考結果に行き着くのもそうだが、その為の行動に転じている程の適応力と余裕がある。彼はリコリスのような血に塗れた裏の世界に関わる事など今まで無かったはず。千束だって彼には関わらせなかったはずだ。

 

 ……情報量が多過ぎる。何なのだ、彼は一体。

 学校に行っていないかと思えば人並み以上の知識を有し、かと思えば水族館や、地元の観光にさえ赴いた事の無い程の稀有な十七歳。記憶力も並外れており、初めて出会った時もそうだ、拉致事件に巻き込まれた際もなんて事のない表情で、千束とたきなに笑みを向けていた。

 

 今もそうだ。以前と同様の事件にも関わらず恐怖しないどころか、敵と相対しているだなんて。見たところ五分五分……いや、そんな楽観的な解釈で良いはずがない。

 誉はただの一般人だ、長く保つはずがない。数秒後に瀕死になる可能性だって十二分に孕んでいる。

 被弾するのが────死ぬのが、怖くないのだろうか。

 

「……止めなきゃ……!」

 

 たきなは今も変わらず血を流す左の腿を抑えながら、どうにか立ち上がる。愚かな己に憤りを感じながら、動く度に痺れるように走るこの痛みは、自分の行動に対する罪なのだと、自分に言い聞かせながら。

 

 先程の自分は本当にどうかしていたと、今更ながらに思った。怪我をしていたとはいえ────そして何より、その背中が逞しく見えたからとはいえ、誉に自身の銃を預けたまま飛び出させてしまったのは自分の落ち度だ。

 これではDA本部に成果を報せるどころか、ただ自身の汚点が増えるだけだ。千束にも顔向けできない。決して、してはいけない事だった。

 

(っ……千束……!)

 

 思い出したかのように我に返る。

 この状況を千束に連絡しなければならない。誉の現状を説明して千束がどんな反応をするかなんて考えない。千束の為と、そうやって誤魔化して隠してる場合などでは決してない。彼女と誉と、何より自分の為に。

 

「千束っ……聞こえますか、千束……っ!」

『っ……たきな!?大丈夫!?』

 

 インカムで千束に繋ぎ、痛みを堪えて絞り出すように声を出す。残された希望、任務を成功させる為の活路となる存在を、必死になって呼びかける。

 

「すぐに来て下さいっ……急いで!」

『今向かってる!もう少しだけ待ってて!』

「待て、ません……っ、早く……千束っ……!」

『……た、たきな……?』

 

 ────早く、早く来て。

 何してるんだ、一秒でも早く来て欲しいのに。

 事の状況を分かっていない。貴女がこれまでずっと恐れていた状況よりも酷い事が、今目の前で起こっているというのに。

 

 

「────誉さんが、ジンと交戦してるんですっ……!」

『────……ぇ』

 

 

 千束の、思わず零してしまったような小さな声を耳にした、その瞬間だった。彼女の次の反応を、言動を、謗りを待ち受けていた、その瞬間だったのだ。

 

「……っ!?」

 

 二つの銃声が同時に鳴り響き、思わずたきなは顔を上げた。

 その視線の先で土煙が舞い、その更に先で弾道が交わり、火花を散らせて、そして衝撃が走る。

 

「────ぁ」

 

 ────誉の左肩を無慈悲に貫く弾丸と、波状的に広がる血飛沫をその眼で目撃した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ▼

 

「……あ、れ」

 

 ────突如、グニャリと視界が歪んだ。

 身体の神経系全てが麻痺したような感覚と共に足元が縺れ崩れ、ふらつく。そして景色が反転し、身体が勝手に近くのコンテナへと流れ、勢い良く衝突した。

 

「っ……てぇ」

 

 物凄い衝撃音を立て、誉はそのままズルズルとコンテナに凭れながらへたり込みそうになるのを、何とか抑える。

 高校生にもなって、なんという体たらく。奴に気取られる前にと、誉はその身体に力を入れ────瞬間、再び銃声と火花が視覚と聴覚を攻めてくる。慌てて身を屈め、距離を保ちながら物陰に隠れた。

 

「チィ……あの妖怪“おとこおんな”め……」

 

 たった今穿たれた、左肩の激痛が凄まじく、身体全体に広がって思うように身体を動かせない。

 舌打ちしつつ再び大地を蹴飛ばすも、飛距離が足りない。縺れた足の粗末さが再び身体のバランスを覆し、誉は地面へとその身を叩き付ける。

 

「……あ、れ……立てないな……もう歳ってか……なわけ……っ」

 

 立てない、動けない。どうして。不安と焦りが心臓に直結する。呼吸は回復するどころか次第に荒くなっていく。

 視界が段々と暗くなり、脳内で心臓の音がうるさいくらいに響き渡る。まるで死の危険を報せる警鐘であるかのように、その鼓動は大きくなっていく。

 

(────痛い)

 

 胸が────心臓が、痛い。

 突然、自身の身体の動きが酷くなり、鈍くなっていく感覚。自覚もあるし、原因もとうの昔に理解していて。

 

「……こんな時に、持病かよ……もうちょっと頑張れよ……っ」

 

 ────ドクリ。

 心臓の音が、鼓膜を震わす程に強く鳴り響いた気がした。視界が暗く染るだけでなく、景色も不明瞭に、朧気になっていく。死が近づく事実を、息苦しさがこれでもかも伝えてくる。

 

 

(……あ。これ、ガチでやば────)

 

 

 ────胸を、強く握り締める。

 

 呼吸、が、段々と早く。

 身体に、ちから、が入らない。

 目の前が、暗く、黒く、染まっていく。

 心臓の鼓動がうるさい。胸が、痛い。苦しい、辛い。

 あ、これ、ダメなやつ、かもしれな────

 

 

 ────“⬛︎⬛︎夫、大丈⬛︎⬛︎から”

 

 

「────……っ」

 

 声がくぐもって、よく聞こえない。

 ただ、誰かが自分に声を掛けてくれている。我に返ったように、ゆっくりと顔を上げると、誰もいない。気の所為か、空耳なのか。

 けれど、ずっと前から知っている声。酷く懐かしさを覚える、優しい声音。

 

 ああ、思い出した。遠く昔の記憶だ、これは。

 いつかの日に、死の淵にまで陥った自分に、これでもかと寄り添ってくれた家族の声。何故、今またその声が聞こえるのだろうか。

 自分が、かつての過去と同じ状態になりつつあるからだろうか。

 

 

『⬛︎、さん……俺、死ぬの……?』

 

 

────“⬛︎⬛︎なこと⬛︎い、大丈⬛︎だよ”

 

 

 朧気に、ところどころ霞んで消えかかっていても、その声の主が分かる。何度も、何度も何度も、自棄になる自分に在り方を諭してくれた存在の声。

 

 

『でも、⬛︎も苦しいし、⬛︎⬛︎もできない……⬛︎んじゃうよ……』

 

 

────“平⬛︎よ、きっと。⬛︎⬛︎、いつもみた⬛︎に想像して?強⬛︎自⬛︎を、病⬛︎なんかに負⬛︎ない⬛︎分を”

 

 

 弱い自分を認めない。強く在ろうとする心を持つ事を、いつだってその身をもって教えてくれた、優しい人の声。

 

 

『む、無理だよ……だって、こんなにも⬛︎い……こんなにも、⬛︎しいんだ……』

 

 

────“大丈夫。大丈夫”

 

 

『……どうして。どうして、そんな事が分かるの?』

 

 

────“だって、⬛︎⬛︎は、私の⬛︎⬛︎だもの”

 

 

 慰めと、励ましの言葉。だが決して、それらの言葉は無責任に放たれたものではなかった。

 いつだって、自分の事を考えてくれて、優しい笑顔を向けてくれた、家族の声。

 

 

────“忘れないで。貴方は、何にでもなれる。これくらいじゃ死なないわ”

 

 

 それは今も胸の中に刻まれている、その言葉。何度も胸の奥で反芻する。歌うように、呪うように。

 望めば、何者にもなれる。想像次第で、強くも弱くも自分を変えられる。なりたい自分になれるのだと、死ぬまで自分に教え続けてた存在。

 

(……忘れない)

 

 突如、正気を取り戻したかのように視界がクリアになった。心臓は次第にその高鳴りを鎮めていき、呼吸が段々と整っていく。どれだけ息を吸っても、酸素が足りず頭痛まで引き起こしつつあった先程の状態が、回復していっているのが分かる。

 額を汗塗れに、そして頬を血塗れにして座り込んでいる自分が情けなくて、その顔は────不敵な笑みへと変わっていた。

 

 

「っ……ああ、そうだな……これくらいで死んでる場合じゃねぇよな……」

 

 

 まだ死ねない。成すべき事がある。

 頬に流れる血を拭って、ゆらりと立ち上がった。残りの弾丸は六発、補充は無い。千束が来るまでの時間稼ぎのつもりだったが、弾丸の節約を考えながらの今の立ち回りこそ、奴の付け入る隙になる。

 

 ならば、戦い方を考えろ。何が自分にできて、自分のどこが奴に勝てている部分なのか。付け入る隙を、奴の動きの癖を、これまでの時間で刻まれた記録と記憶を引き摺り出して、全ては奴からたきなを守る為に。

 

「……はっ、アイツが知ったらどんな反応するかな……」

 

 その生き方に、在り方に憧れを抱かせてくれた少女の背中を思い出す。いつだって自由で、自信に満ち溢れてて、知らない世界をいつも見せてくれる、かつて行きつけの喫茶店だった、“リコリコ”の看板娘。

 

 彼女がこういった世界に自分を関わらせる事を避けていたのを知っているだけに、自分が銃片手にプロの殺し屋と現在進行形で戦ってると知られたら。想像するだけで恐ろしい。

 

 ────だからこそ、その顔を見るまでは。彼女に怒られるまでは、まだ死ぬわけにはいかない。

 

 君が来なくなって、君に守られなくたって、一人で歩いて生きれるように。

 憧れた君のような生き方を、意識せずとも全うできるように。

 

 

「……見てろよ、錦木千束」

 

 

 この弱い心臓に、負けはしない。

 決して、憧れてばかりじゃいられない。

 誰かの心に残れるように、大切な誰かに覚えて貰えるように、誰かの為に在り続ける為に、立ち上がる。

 

 死ぬその瞬間まで、この生き方を貫き通せるように。

 

 

 ▼

 

 

 暗殺者────“サイレント・ジン”は、先程まで相対していた一人の少年に対して、異質さと不気味さを感じていた。

 

 銃を構えるその姿は手本とも呼べる程に綺麗な、基本的な姿勢と構えであり、射撃も正確であることは間違いない。此方の銃を狙って二度も手元を撃ち抜き、銃のみを弾き飛ばす技量に関して言えば流石の一言だ。

 

 両手から片手に持ち替えての射撃も、一発目は外すもそこからすぐに修正を完了し、二発目で命中させる事ができる程の能力を持ち合わせている。これは射撃の才能とか、そんな甘いものではない事は本能で理解していた。

 

 しかし、立ち回りや動きがやや拙い。完全に素人のそれだ。こういった仕事での戦闘経験が少ないのか、それとも本職でないのか。

 

 どう見ても防弾性能のない私服を身に纏って拳銃片手に奔走するその姿は異様と言わざるを得ない。戦闘中に普通に話し掛けてくるところも驚いたが、全体を通しての動きだけを見るのなら、先程の黒髪の少女の方が場馴れしているようにジンには見て取れた。

 

 総合的には先程の彼女の方が優れている────ような気がする。断言できないのは、それほどまで今銃撃戦を繰り広げている彼の正体が不明瞭で、その実態を掴みあぐねているからだ。

 

 標的の護衛をしていた二人の少女。制服も色は違えど同一のものだ。一方の黒髪の少女が拳銃を所持していたのを考えるに、あの赤い制服の少女も恐らく護衛の任を受けているだろう。ならば、その少女が此処に来るまでの時間稼ぎを彼が受け持っているのか、彼もそれを理解しての立ち回りだったのか。であれば、彼はやはり素人では────

 

「────っ!?」

 

 瞬間、銃声がすぐ近くで響いた。

 反射的に銃を下のコンテナの列へと向ける。最後に奴が隠れていた付近だ、上を取っている此方からなら奴の動きに対処できると踏んで、銃を構えて見下ろすが、視界内で動く影は見当たらない。

 

「こっちだオジサン!」

「……!」

 

 奴の、少年の声。思わず右へ視線を向ければ、奴が此方に銃を向けながら右に走って行くのを目撃した。

 先程まで下にいたのに、いつの間に上に────!?しかし、遠目からでも分かる程に額に夥しい程の汗を滲ませながら、呼吸を荒らげて駆けている。ジンは追従するように銃を構えて再び弾丸を放つ、今度は二発。

 

「っ、ぶな……!」

 

 運良くしゃがみ……いや、よろけて体勢が崩れたのだろうか、弾丸は彼の後頭部をすり抜けて近くの鉄骨の柱に着弾する。それを隙と見たか、黒髪の少年は此方とは別方向へと変わらずその足を向けて走り、やがてその速度を緩めていく。

 

 その先には、改修工事で使用すると思われる大量の鉄パイプの山があり、彼はそこに辿り着くと頂点にあるパイプを一本手に取った。

 右手に拳銃、左手に鉄パイプといった、異様な立ち姿。此方を見据えて小さく不敵に笑みを浮かべて、銃とパイプをそれぞれ構えているのを見て、ジンは目を細めた。

 まさか、あれで此方に対抗しようというのか。

 

「────素人だからと油断するなよ、サイレント。プロとしての経歴に泥を塗りたくなければな」

「────……!」

 

 自信に満ち溢れたように、そう告げる奴の声。それと同時に此方に向かって駆け出して来た。疲弊からか、それとも流血によって血を失っているからか、顔色が悪いのが遠目からでもよく分かる。

 やはり素人、この世界の裏を知らない純粋無垢な一般人。そんな奴が何故此処にと考えるのは後だ。奴に乗せられるのは非常に癪だが、その言葉の通り油断などしない。それが命取りだというのがこの世界での常識だ。

 

(────悪いな)

 

 狙いは外さない。一般人とて仕事に置いて手は抜かない。先程の少女と同様にこの標的の護衛の任務に関わっているのなら、沈める事に躊躇は無い。

 少年の右足が、僅かに縺れる。既に肩で息をして、苦しげな顔で迫ってくる奴は瀕死もいいところだ。その右足を撃ち抜いて行動不能にしてやると、その引き金を引き、銃弾を弾き出す。

 

「シッ────!」

「なっ……!?」

 

 その銃弾を放ったタイミングで、少年は右足をずらして躱す。瞬間、弾が床に弾かれ、広範囲に火花が飛び散る。

 少年はまたふらつきながらも、視線を此方に固定して再び迫り始めた。

 

(────何だ、今のは)

 

 ────偶然か?今、銃弾を躱されたような気がした。

 そんな訳が無いと、再び両手で銃を構える。奴の隙を一瞬で見極め、今度は右肩に狙いを定める。拳銃を持つその腕の機能を停止させるつもりで、再び放った。

 

「────らぁっ!」

 

 ────同時に、少年が左手に所持していた鉄パイプが袈裟斬りで振り抜かれ、瞬間火花を再び散らした。ジンは目を見開き、慌てて奴の肩を見据える。撃ち抜かれた様子も、流血した形跡も無い。

 まさか、右肩を撃ち抜くはずだったその銃弾が、彼の振り抜いたその鉄パイプに弾き飛ばされたのか。

 

(────有り得ない)

 

 此方の射線が────銃弾が見えている?

 流石に焦燥が拭えない。再び銃を構える。距離は次第に小さくなっていく。今度は少年の腹部に視線を向けて、その銃を乱射した。拳銃の弾速も考えれば必中距離、決して外しはしな────

 

「っ……!」

 

 まるで分かってたと言わんばかりに、銃の引き金を引いたタイミングで右に横っ飛び。弾を後方へと置き去りにし、その先の鉄骨に弾かれる音が響き渡る。

 

(────馬鹿な)

 

 なんだそれは。有り得ない、銃弾を躱すなど。

 しかも今の至近距離での回避、撃つタイミングが分からなければ躱しようがないではないか。

 

「────っ!」

 

 再び銃を構え────る前に、前方から鉄パイプが振り抜かれる。それは奴の手元を離れ、高速回転しながらジンの眼前まで迫ってくる。

 思わず腕を前に持っていって、咄嗟に防御する。防弾である為にダメージは少ないが、身動きが取れないこの瞬間にも、少年は此方に向かって走り込んで来ており────

 そして、その銃を此方に向けていた。

 

(しまった────)

 

 ────その透き通る様な瞳に、自身の驚いた顔が映り込んでいるのが、この距離でも分かった。瀕死に近い、苦痛に顔を歪めながら走る彼の表情に、尚も背筋が凍るような恐怖が走る。

 

 少年のその銃弾が、再びジンの手元の拳銃を弾く。

 これで、三度目だ。もう偶然で片付けてはいけない。再び放物線を描いて飛んでいく拳銃を視界端に捉えながら、絞り出すように吐き出された少年の声を耳にした。

 

「────あと、四発」

「────んだ、お前は」

 

 それと同時に繰り出された銃弾。

 右脚、左脚に一発全てを撃ち抜かれる。防弾である為致命打にはならないが、身体を即座に動かせない程の激痛が下半身を通して身体全体に響くように。

 身体はよろめき、上体が仰け反り、仰向けに倒れるその寸前に。

 

「何なんだ、お前は」

 

 その少年の、瞳を見た。

 苦しげに歪める表情の中でも、不敵に笑ってみせようとするその気概を見たのだ。

 ジンの質問、それに対する答えは無い。されど、少年は倒れゆくジンの事を見据えながら、瞳を細めて告げた。

 

 

「────Forget-me-not」

 

 

 その言葉と共に発射される弾丸、二発。

 銃声とほぼ同時にジンの肩に激痛か走る。右肩と左肩、そこから痛みが波状的に広がって、指先一つまともに動かせない。向こうは、至るところから血を流していて、今にも死に体だというのに。

 ジンはその場から崩れ落ちるように、空を天井に倒れゆく。視界が薄れる中でも、ジンは目の前の少年から目が離せない。

 

 少年は小さく息を吐き、苦しそうに胸を抑えて蹲り、手元の拳銃を見下ろして小さく呟いた。

 

 

「………………あっ、やべ銃刀法違反……」

 

 

 ────今更かよ。

 ジンは、手放す意識の中で、最後にそう思った。

 

 








皆さん、いつも感想ありがとうございます。
毎話必ずくれる人とかもいてとても嬉しく思います。書くモチベになっているのでとても助かっております。

あと、感想欄でGoodとbadってあると思うんですけど、Goodで80件も貰ってる人がいて、『ああ、感想欄って自分だけじゃなくてみんなも見てるんだなぁ』と思って凄く感慨深かったです。
色んな人の考えや感想を知れるのって面白いです。

今話から頂いた感想に関しては、拙いながらも返事を返してみようと思います。質問やアドバイスなどあればよろしくお願いします。



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